魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第三十八話 道半ば

 

 

「空母……って、日本のですか!?」

 

 ブリーフィングルームに高町なのはの声が響いた。零はディスプレイから目を離すことなく頷き、彼女の問いに答えてやった。

 

「ああ。アドミラル56。日本の原子力空母だ。どうして、あんなところに」

 

 真剣な表情でディスプレイを見つめる零とは対照的に、ぽかん、と口を開けたままになるなのは。それと合わせて六課のメンバー達がざわつき始める。

 

「……はやて。自衛隊って空母持っていたかな」フェイトが怪訝な顔で訊く。

「私はミリタリー詳しゅうないからようわからんけど、たぶん、なかったはずや」

「私達も存じません。山本五十六元帥の名前をもじっているようなので、日本の艦船であることは確かなのでしょうが……」とシグナム。ヴィータもその隣で頷いていた。

<ええ。我々が知る日本国の海上自衛隊はあのような大型航空母艦を保有していません>レイジングハートが断言した。<ヘリ空母はありますが、少なくともそのままの状態で固定翼機を搭載できる艦船は存在しないはずです。日本に空母が存在するとすればアメリカ合衆国海軍第七艦隊のものでしょう。ですが、深井中尉の知る日本は空母を持っているようですね>

「Japan Self-Defense Forces?」なんだそれは、と零。「アドミラル56は日本海軍の所属だぞ。JSDFって、なんだ?」

「海軍!?」

 

 はやてとなのは。生粋の日本人である二人がその言葉を驚愕の表情で受け止めていた。零は彼女達の変化に気づき、不思議そうな目つきでで彼女達を見つめ返した。自分は何か変なことを言ったのだろうか。短い付き合いとはいえ、彼女達がこんな表情になる時は何かしら互いの常識が食い違っていることがほとんどだとわかっている。巨大な空中空母バンシーや、フェアリィ基地の巨大な地下居住区の話をした時なども彼女達は今のような表情をしていた。

 

 零はかすれた記憶を脳の奥から引っ張り出し、彼女達との認識の差を埋めようとする。Japan Self-Defense Forces? 日本語なら『日本自衛軍』だろうか。日本にそんな組織はないはずだが、彼女達の日本には軍隊の代わりに存在しているらしい。

 以前聞いた話では彼女達の知る日本も自分が知る日本も天皇を象徴とする立憲君主制で成り立っているし、各都道府県も同じだという。ほとんど同じ国と言ってもいい。こちらの日本とあちらの日本における明確な差異があると言えば……答えはひとつしかない。

 

「……思い出した。そういえば現代社会の授業でやっていたな。第二次大戦後は『自衛隊』って組織があったって」

「あった?」

「ジャム戦争勃発後に自衛隊は日本軍に変わったんだ、確か。今から30年ほど前の話だ。おれの生まれる前さ。そっちの地球ではジャム戦争がなかったから、自衛隊のままなんだな」

「自衛隊が軍隊に……。まさか、ジャムとの戦争に日本も巻き込まれたんですか?」

「どうしてそう思う」

「いえ、日本がジャムに攻撃されたなら、その刺激で自衛隊が軍隊になってもおかしくないかな、って」

「ジャムは南極から侵攻したから北半球の日本にはほとんど被害はなかったよ。被害があったのはオーストラリアと南米くらいなものさ。だが日本も列強の一角だからな。地球防衛軍に参加しないわけにはいかなかったんだろう。他の先進国も同じだ」

「日本軍……なんだか不思議な感じです」狐につままれたように高町なのは。「ということは平和憲法じゃなくなったってことですよね。日本が軍隊持つにはそうするしかありませんし。原子力空母ってことは非核三原則も無くなったんですね」

「憲法なんていちいち覚えていないさ」肩をすくめる零。「そんなの知らなくても、生きていける」

「中学生レベルの意見ですよそれ。数学できなくても生きていける、みたいな」

「フムン」小学校のテストで0点をとったことがある零には彼女の言葉が胸に突き刺さるように感じられた。ちなみに社会のテストだ。「科学と数学はできたぞ」

「そういう話じゃないです」

「──ま、エイリアンが侵略してきとるのに憲法9条云々なんて言ってられんもんなぁ」と少し複雑そうな表情の八神はやて。仕方ない、といった顔つき。「自分の国だけ守る自衛隊やと不便やったんやろ。軍隊ならどっかの国がジャムに襲われよってもすぐ援護しに行ける。それに人類の運命がかかっとるんや、いざっちゅー時には核爆弾も使わなあかん。地球の危機なんやし、しゃーないわな」

 

 なのはがそれを聞いて肩をすくめた。「……それもそうだね。たぶん最適な判断だと思うよ。平和憲法のために地球が滅んじゃったら意味ないし」

 

 自衛隊も日本軍も武装はしていたわけだし別に変らないではないか、と思う零だが口には出さない。同じ日本人ではあるが、人格の基幹となる世界が違うのだから口出しすべきではないだろう。世界が違えば倫理観が違うのも当然だ。

 

 そもそも自衛隊という組織など自分はあまり知らない。教科書で見た時はどんな組織だったのか気にも留めなかった。自分の知っている日本は核弾頭を積んだICBMも空母もあらかた持つ国だが、彼女達の日本はどんな日本だったのか。たぶん、同じ日本でもずいぶん異なっているのだろう。それならば彼女達が見せたカルチャーショックも理解できる。やはり彼女達の日本と自分の日本は違う世界の存在なのだ。それを実感した。今まで同じ日本人ということである程度お互いを理解し合えていたが、思わぬ差異が見つかった。世界観、いや、日本観の差異だ。

 

 人間ひとりひとりは同じ世界に生きているように見えるが、それは錯覚だと零は思う。この二つの日本のように、同じに見えても全く違う世界が広がっている。誰かと同じ世界観を有していることなどありえない。全く同じ人生を歩んできた存在などいないのだから。

 

 この自分と高町なのはの場合は生まれ育った世界が違うという極端な例であるが、しかしこの世界観の差異はもっと普遍的なもののような気がする。皆、生きている世界が違うのだ。

 

 人は自分が知覚した世界の情報を自分なりに解釈して、それを他者に伝える能力を持っている。機械知性達も同様だ。相手と自分の持つ世界観はどこか違っているわけで、誰かと会話することで得られる概念や情報はその伝えられた世界観に付与されたものに違いない。

 

 人は相手に己の世界観を教えることで、その世界観を認識してきた自分という存在を示している、とも言えるが、コミュニケーションとは、ある意味でその違う世界観を行き来するものではないだろうか。つまり高町なのは達は、この自分が生きてきた世界の一部を脳内にシミュレートしたことで、それまで己が生きてきた世界とのギャップに驚き、このような反応をしたのだ。零はどういうわけかそんなことを考えていた。もしかしたらこの会話というものは『世界の交換』なのかもしれない。『世界換』とでも言うのだろうか。

 

「雪風を連れてくるか?」零の思考を割るようにシグナムが提案する。「あいつもあの艦について知っているんだろう」

「それとこのことをハラオウン提督とカリム・グラシアさんにも連絡を」フォス大尉が頷いた。「あの艦にほかの部隊が手を出さないよう、根回しをお願いして」

「なんでだよ」とヴィータが口を挟む。

「あの艦が超空間通路の監視任務に就いていたとするなら、アドミラル56は国連軍所属よ。私達と同じ国連の傘下にあるわ」

「FAFも国連の組織なのか。まあそれ以外に管理できそうなところはないが」

「つーかフェアリィ空軍と国連軍が別々の組織なのかよ」あっけにとられたようなヴィータ。「てっきり国連軍がフェアリィ空軍になったんだと思っていたぜ。自衛隊が日本軍になったみたいに」

「国連軍は各国の軍隊を集めなければならないけれど、FAFは国連傘下の独立した軍隊なの。各国から抽出した軍隊を長期にわたって活動させるよりも、一つのまとまった軍隊を展開させる方が長期的に見たら簡単でしょう?」

「確かにあちこちの部隊から隊員を集めて連合部隊にするよりは、新たに部隊を新設した方が手っ取り早いからな。指揮系統もすっきりする」とシグナム。「そもそも国連軍は国家間の戦争を仲裁したりするのが主だからな。エイリアンとの長期戦争には向かん。それでも通路を監視しているのはいざという時のための保険といったところだろう」

「そういうこと。だからこそアドミラル56に手を出してドンパチされたらマズイのよ。攻撃するにしても最小限にとどめないといけない。相手は日本海軍の虎の子で、国連艦隊の旗艦なんだから。最悪複数の国と外交問題になるわ。この世界と向こうの日本で外交云々が通用するかわからないけど」

「面倒事はごめんだぜ」ヴィータがぼやく。

「概要はわかった。そのことも含めて両者に連絡しよう」

 

 シグナムは頷くとヴィータと共にブリーフィングルームを出て行った。一瞬だけ広い部屋が静かになったような錯覚を覚える。

 

「深井さん、エディス先生。あのアドミラル56という空母はどんな艦なんですか」最初に沈黙を破ったのはフェイトだった。「時空管理局のデータベースには第97管理外世界とされる地球のことしか記録されていません。もう一個の地球に関しては情報が無いんです。ましてや日本の原子力空母だなんて完全に想定外で……。お二人と雪風に頼るしかないんです。何か知っていることがあったら、お願いします」

「……私はアドミラル56についてはあまり知らないわ。でも、あのタイプの艦は世界各国で建造されたものというくらいは知っている」とフォス大尉。「各国の軍事力を統合運用する『地球軍構想』の一環として、主要国でそれぞれ建造された空母群。そのうちの一隻よ。アメリカでもほぼ同型のヒラリー・クリントン級が建造されたわ。他にもイギリスとオーストラリア共同のイーグル。ヨーロッパ共同でグラーフ・ツェッペリンが造られた」

「それで、日本はあれを造ったと」

「各国の足並みがそろわなくて建造時期がずれた上に、同型という割には相違が大きくなってしまったけれどね。言ってみれば準同型艦ってところかしら」

「『地球艦隊』……世界中の艦隊が一緒に戦うんやなぁ。宇宙戦艦やないけどほんまにSFの世界やわ」

「でも一国単独で建造できたのは資金とノウハウが豊富だったアメリカと日本くらいよ。フランスなんてEU共同の計画から離脱して自分達だけで作ろうとしたくせに資金不足で起工にすら至っていないわ」

「結局金かいな。ロマンぶち壊しや」

「そんなことより」フォス大尉と八神はやての言葉を遮るように零。「どうしてあの空母がこの世界に来たかってことだ。こちらの地球にある日本が空母を保有していないってことは、あれは間違いなく向こう側の地球から飛ばされたってことだぞ」

 

 それを聞いたフォス大尉は自身の顎に手をやって考え込む。

 

「中尉は核で自爆して、私はバンシーに乗っていて、あの空母自体は原子力で動いている。──全部原子力が関係しているわ。原因はそれかもしれない」

「そんなこと言ったら地球上の原子力発電所が全部転移してくるはずだろう」

「わからないわよ。通常の場所ならともかく、超空間通路の付近で強い原子力エネルギーを使うと空間が不安定になるのかもしれないわ。あんなに大きな通路でもそれ自体は三発の核弾頭で消滅させることが可能なんだし、ありえないわけではない。あの艦は通路の監視任務に就いていたはずでしょう?」

「とするなら向こう側で戦闘が起きて、アドミラル56が核の至近爆発に巻き込まれたって線もあるな。通路のすぐ近くでドンパチやらかしているのかもしれん」

「それならこの無線封鎖も気合いの入ったECMもわかるわね。核弾頭まで持ち出すような大規模戦闘中に単艦でわけのわからない海域に飛ばされたら、そりゃ警戒するわよ」

「フムン」

 

 零はルキノに近づくと席を代わるように言い、彼女から通信用インカムをひったくった。

 

「あ、ちょっと」

 

 ルキノが抗議の声を上げるが、零はそれを完全に無視して操作卓を手早く操作。地球の国際緊急チャンネルの周波数で音声通信を試みる。「こちらFAF特殊戦。日本海軍アドミラル56、応答せよ。くり返す、応答せよ」

「……ダメです。反応ありません」とアルト。「ジャミングによるノイズがひどくて届いているかどうかもわかりません」

「なんなんですか。空母なのにこのジャミング能力は」フェイトが言った。「ミッドチルダのレーダーシステムまで妨害されるなんて」

「あれも能力なんですか? その、アドミラル・イソロクとかいう船の」

「アドミラル56には強力なアクティブステルス能力がついているんだ」操作卓をいじくりながら零。「それがこの強力なジャミングさ。原子炉から供給される莫大な電力で妨害電波を放出し、敵のレーダーから艦隊を丸ごと覆い隠すんだ」

「あの船体の横についている盾みたいなのが、アンテナなんですね」

「まあな。対艦ミサイル防御はできないが、強力な隠れ蓑にはなる。ただECM能力に電力を割いたせいで電磁式カタパルトが使えなくて、未だにスチーム式カタパルトを使っているんだがな」

「モールスでも使ってみる? 出力を目いっぱい出せば届くかも。ある意味で元祖デジタル信号だから音声信号よりはノイズに強いはずよ」とフォス大尉。

「ハイテクよりローテクの方が勝ることもあるが、どうだかな。おい、電鍵はあるか?」

「えっと、確かこの辺に……」ルキノがブリーフィングルームの収納スペースを漁る。「あった。ありました。これです」

 

 引っ張り出されたのは地球製の電鍵とよく似たシロモノだった。電鍵とはモールス信号を打つための機材で、第二次大戦ものの映画などで通信兵が打っていたりする、あれだ。この世界にも存在はしていたようだが、放置されていたためか幾分ホコリを被っている。

 

「えらくシンプルなやつだな。自動電鍵はないのか? そうでなくてもモールス信号変換ソフトとか」

「あいにくと普段使う機会がないので。これ自体も緊急用なのでほとんど使ったことがありません」

「フムン」

 

 零としても電鍵を使うのはこれが初めてだった。モールス信号はFAF入隊時に暗記させられたが、できるかどうかわからない。

 とりあえずやってみるか、と操作卓まで持って行こうとしたところで青い双眼と視線がぶつかる。

 

「私が打つ」

「雪風」

 

 シャマルに連れられた雪風が入り口からこちらに歩いて来ていた。シグナム達から事情を聴いていたのだろうか、その目は明確な目標を持ってディスプレイを見据えていた。

 

「……わかった。やってみろ」

「了解」

 

 本来ならば無線免許が必要なところであるが、雪風なら問題ないだろうと思う零。罪に問われても彼女の見た目なら放免される可能性が高いし、何より人間よりは電波の扱いに習熟しているはずだ。

 

「雪風ちゃん、モールス信号できるの?」

「問題ない」

 

 なのはの問いに応えながら、雪風は電鍵の先に付けられたプラグを操作卓に差し込もうとする。が、背が低くて届かない。

 仕方ないのでシャマルが雪風を抱え上げてやる。カチリとプラグが差し込まれ、ディスプレイに新たな機材が接続されたことを示すマークが現れる。プラグが入れられたことを確認した零は電子的な操作で電鍵と機動六課の通信アンテナを直結し、アンテナに向かうパワーを限界ギリギリまでブーストした。

 

「通信を開始する」

 

 電鍵本体を操作卓の上に置いて、雪風がシャマルに抱えられたままトン・ツーの組み合わせで構成された信号を打ち始める。英文で『こちらFAF特殊戦所属のB-503。アドミラル56、応答せよ』と。熟練した技士のような電信スピードに六課のメンバーから声が上がる。

 

「なんつー早さや。キツツキみたいやわ」

「私より早いなんて」

「通信士の面目丸つぶれです」

「というか、今までの雪風ちゃんを考えたらこれくらい当たり前なんだろうけどね」

「普段もっと高度なことをやっているんだろうけど、一瞬すぎてそんな気がしないんだ」

 

 まさかこのミッドチルダでモールス信号を打つことになるとは思ってもいなかった零。しかもそれを打っているのがハイテクの申し子たる雪風であることに妙な遠回りを感じ取る。最新鋭のスーパーコンピュータにわざわざロボットアームを操作させてテレビゲームをしているような。

 

 雪風は四、五回ほど繰り返してその信号を送ったが返答はなかった。さらに和文モールスも試してみるが結果は同じだった。

 

「出力的にも周波数的にもあちらに届いているはずだ」電鍵のプラグを引っこ抜きながら零。「こうなったら直接乗り込むしかないな。狼煙でも上げてみるか?」

「それって、ニイタカヤマノボレ?」無邪気な表情でフォス大尉。

「宣戦布告の狼煙にしてどうする。いや奇襲か。なお悪い。誰から聞いた」

「アドミラル・ヤマモトだからてっきり通じるかと。トラトラトラ、ね。ブッカー少佐から聞いたわ」

「そろそろジャックの趣味がわからなくなってきた。雪風の名前もそうだがなんで元ロイヤルマリーン(イギリス海兵隊)が第二次大戦時の日本軍のことを知っているんだ。ブーメランと料理が趣味じゃなかったのか。──それと港を爆撃させるつもりかきみは。ここは真珠湾じゃないんだぞ」

 

 そう。奇襲だ。通信が使えない状況で乗り込もうとする以上、結果としてアドミラル56へ奇襲を仕掛けるような状態になるだろう。しかし機動六課の戦力で傷を付けずに侵入するなど、困難極まりない。高町なのはの砲撃でなら遠距離から滅多打ちにできるかもしれないが、原子力空母相手にそれはまずい。

 さてどうしたものか。零は考え込む。ブリーフィングルームにいる全員がディスプレイ上のアドミラル56を見据え、複雑な表情をしていた。

 

 

 そしてそれは起きた。

 

「話は聞かせてもらったわ!」

 

 バガン、という妙な音を立てて何かが背後で落下した。その場にいた全員が振り向くと、金属製の換気口蓋が天井から落下したものだと分かった。そしてその蓋のあった場所から女性のモノと思われる脚と、黒くてふさふさした尻尾のようなものがブラリと垂れ下がっていた。

 

「?」その場にいた全員が、虚を突かれたような表情になる。なんだ、あれ。

 

 そして数秒の沈黙の後、換気口のあたりから騒がしい声が聞こえてきた、

 

「いててて。痛い痛い。肋骨が折れる。にゃあ。誰か引っこ抜いて。まな板と穴の縁に挟まった」

「この黒猫! 一緒に降りようとするんじゃないわよ! せっかくカッコよく登場するつもりだったのに。それと誰がまな板ですって?」

<なにやってんですかね私の上司は。換気口の大きさを見れば一度に通れないことくらいわかるでしょうに>

「こんだけ胸が小さければ俺の通るスペースくらい確保できると思ったんだよ」

「なんですって。もう一度言ってごらんなさい。殺す。叩き殺す。ぶち殺す。捻り殺す。えぐり殺す。こね殺す」

<すでに圧殺されかかってますけどね。ほら、もう少し力を入れてください。換気口の縁と小さくて密度の高い胸で押しつぶすんですよ>

「黙れ腐れデバイス。あんたなんてこうよ!」

<ぎゃあ! 蜘蛛の巣が! 私の美しいボディに蜘蛛の巣が!>

「にゃははは。いい気味。──うえぇ。俺にまで蜘蛛の巣がかかってきた。は、鼻が……ぶぇっくしょい!」

「うぇっぷ。こっち向いてクシャミしないでよゲス猫!」

 

 なにやっているんだ、こいつらは。その場にいた、雪風を除く全員が頭を抱えそうになる。こんな会話をする奴らは『アレ』しかいない。あいつらだ。あのアホトリオ。

 

「……ソフィアさん。なにやっているんですか?」

「ああ、その声は高町一等空尉ね。見て分からない?」

「すいません。その状況を見て一目で判断できるほどの頭を私は持っていません。幸運なことに」

「私達だけのけ者にされて悔しかったから、通気口から盗み聞きしていたのよ!」床に立っていれば仁王立ちするかのように天井から突き出た脚がまっすぐになる。「特に策もないけれど、魔導師はひとりでも多い方がいいでしょう?」ドヤ顔ならぬドヤ脚だな、と零は思う。

「大した作戦を考えついたわけでもなくカッコつけて登場しようと思ったら、挟まったんですか」

「挟まったのではないわ。これは『溜め』よ。主役があっさり登場を決めたらつまらないでしょう? だから登場シーンを長引かせるために──」

「レイジングハート。これからレイジングハートでソフィアさんの向こう脛を連打するけど、いいかな」レイジングハートを杖形態に変化させて野球バットのように振るなのは。

<私はその程度では壊れませんし、面白そうなので賛成します。どうぞご自由に>

「わー! タンマタンマ! ごめんなさい。引っこ抜いてくださいお願いします」

 

 どうしてこう、こいつらアホトリオはシリアスな雰囲気をぶち壊さなければ気が済まないのだろう。

 零は静かにため息をつき、雪風の頭を撫でてやった。

 

 雪風はなにも言わなかった。

 

 

 

 

 

「いい? ミサイルが見えたらすぐに撃ち落とすのよ。対空ミサイルは避けても近接信管が作動するし、そうでなくても反転してどこまでも追ってくる。爆発の効果範囲は数百メートルにもなるわ。バリアジャケットの防御を過信しないで撃ち落としなさい。──わかったら返事!」

「り、了解!」

「それと、もし撃ち落とし損ねた場合の回避機動なんだけど、普通は位置エネルギーを利用して加速を──」

 

──あれ? なんで私こんな畏まってるんだろ。

 

 フェイトは輸送ヘリの揺れる床を靴越しに感じながら心の中で首をひねった。

 窓の外を眺めれば青い空と群青色の大海原が広がっている。雲は少なく、波もそれほど高くない。フェイトにとって海の上を飛ぶのは初めてではないが、海上をヘリで移動するのはあまり経験がなかった。それゆえ床に足を付けた状態で見る群青と空色の境目は一種奇異に思えた。

 

「──けれど今回は海面スレスレを飛ぶから……って聞いてるの!?」

「は、はい!」

 

 そこに小柄な赤色の怒声が落ちる。フェイトはビシリと姿勢を正し、また心の中で首をひねった。

 

(なあ、テスタロッサ。クックの階級って三等陸尉だったよな?)隣で同じく姿勢を正したシグナムが念話で訊いてくる。

(うん。まあ、管理局は厳密には軍隊じゃないし、知識のある人に従うことは間違いじゃないけど)フェイトはそう答えて目の前の女性を見つめ返した。

 

 フェイトは執務官であり階級に換算すると一尉に相当する地位にある。シグナムは二等空尉。一方目の前で強い口調の喋りを展開しているソフィアは三等陸尉だ。つまり現在の状況は、少尉が別部隊の中尉と大尉に対し説教しているのとほぼ同じなのである。フェイトはそれを考え、むう、と聞こえないくらい小さく唸った。悔しいわけではないがなんだか釈然としないものがある。いつものソフィアの素行を目にしているからかもしれない。

 ソフィアが戦闘機動について説明しているのを直立不動で聞きながらフェイトとシグナムはこっそりと念話での会話を続けた。マルチタスク。脳内で複数の思考や情報処理を並行して実行する技能。飛行魔法と攻撃魔法を同時に展開しなければならない魔導師にとって必須となるこの思考法を用いて、ソフィアの話を理解しながらもう一つの思考で会話をするという状態に移行する。

 

(それにしたってこの剣幕はすごいな。まるで地球の映画に出ていた鬼軍曹だ。……『バリアジャケット』じゃなくて、ええと──)

(『フルメタルジャケット』じゃなかったかな。私もテレビでやっているのちらっと見たことしかないけど)

(思い出した。海兵隊の教官で、トイレで太った男に撃ち殺される軍曹だ)

(よく覚えているね、そんなの。ソフィアはそれの女性版?)

(バリアジャケットも軍隊風だしな。雰囲気は出てると思うぞ)

(教導の経験でもあるのかな? ミサイルの性質に詳しいみたいだし)

(クック三尉なんて名前、陸の教導隊にいた記憶なんてないが……。教官が厳しくてそれをマネたとか?)

(だとしたら何なんだろう、あのバリアジャケットの迷彩は。迷彩服を勧める教官なんて聞いたことないよ。管理外世界の出身なら軍隊に居たってことで説明つくけど、ソフィアは生まれも育ちもミッドなんだよね)

(教官が原因でないとしたら、ミリタリーファンなんだろう、たぶん。だが合理的だと思うぞ? 迷彩柄なら敵からの発見を少しでも遅らせられるからな。色もピンクから灰色まで自由自在らしい)

(ピンクの迷彩なんて需要あるのかな)

(さあ)

「フェイトさーん。お腹すいた―。チョコレート持ってなーい?」

 

 ソフィアの足元で黒猫のカールがひょっこりと顔を出す。それに対しソフィアは露骨に嫌そうな顔をし、カールを蹴飛ばそうとする。ジャンプして蹴りを回避するカール。器用に前足で己の目元を引っ張り、アカンベー。

 

「黙ってなさいこのクソ猫。あんたが菓子食って発生する熱量で赤外線誘導ミサイルがこっちにきちゃうじゃない。代謝切って冷たくなりなさいよ」

「それ遠回しに死ねって言ってるようなもんじゃにゃいか。俺寒いの苦手だぜ」

<いえ、いっそのことミサイルが来た時のためのフレアにしましょう。黒いのでミサイルシーカーの画像認識相手でも良く目立つと思いますよ。蚊や蜂も黒色めがけて攻撃してくると言いますし>

「えー。ミサイルの方が避けちゃいそうだけど」

<いいえ。ミサイルだって、このような冒涜的かつ禍々しい混沌とした黒猫をこの世から消し去るためなら己の身を犠牲にしたいと思うはずですよ>

「やっぱりサディアスお前、回路どっかショートしてんじゃにゃいか? もっと言語表象ライブラリの中を探れよ。俺を讃える言葉が出てこないなんておかしいぜ」

「あんたに与える評価なんて罵倒以外にあるわけないじゃない。珍しくサディアスは正常よ」

<私はいつも絶好調です>

「絶好調だ? やっぱり狂ってるじゃにゃいか。でもソフィアの評価もまな板以外ないもんな。AAAだっけ? 魔導師ランクだったら良かったのにな」

「よし。決めた。殺す。絶対殺す」

「やーい。このまな板娘! やれるもんならやってみろ!」

「このゲス猫! 虚数空間にでも行っちまえ!」

<ヒト勝てネコ勝てどっちも負けろ! そうすりゃ私の一人勝ち! ウェーイ!>

 

 歌うようなサディアスの声を皮切りにカールが床を蹴って飛び上がると、ソフィアの顔面に後ろ足のキックを叩きこんだ。だがカールが離れる寸前にソフィアの右手がその黒い尾を掴んでいる。あっという間に一人と一匹の取っ組み合いが始まった。サディアスがそれを面白おかしく実況している。

 

「うん。なんだか相変わらずで安心した」

 

 これから異世界の質量兵器を相手にするというのにいつもと変わらぬ喧嘩っぷり。きっとこのトリオは未来だろうと宇宙の果てだろうとこんな感じなんだろう、と考えるフェイト。火星あたりで海賊狩りとかしていそうだ。

 

「これが『相変わらず』でなくなればいいんだがな」

「で、こっちは対照的に落ち着いているだよね。相変わらず」

 

 その反対側を見やると、シートに座った深井零と目が合った。彼の隣では雪風が窓の外を眺めている。

 

「……」

「……」

 

 零とシグナムは数秒ほど視線を合わせた後、どちらともなく反らした。まるで何か遺恨があるかのように。

 フェイトはそれを見て、やってしまった、と己の発言を後悔した。

 

 どうも深井零とシグナムの間には何かしらあったらしい。フェイトが見た限りではここしばらく仕事のことしか会話をせず、目線も合わせようとしない。明らかに険悪な空気が両者の間に横たわっている。二人にそれを聞いてもなにも答えてくれない。零はともかくシグナムまでもが、だ。以前はあんなに零のことを『優れた戦士だ』と讃えていたにも関わらず、打って変わって彼を毛嫌いするかのような態度でふるまっている。

 ホテル・アグスタの直前などは目も当てられないほどの険悪さだった。それに比べればだいぶマシになったと思うが、それでもお互いの会話がないのはとても居心地が悪い。

 

 どうすればいいのだろう。フェイトは心の中で唸った。二人のことだから作戦に私情を持ち込むようなことはしないと思うが、万が一ということもある。できれば穏やかな関係であってほしい。

 

 フェイトのそういった考えを察したのか、それともただ単に興味の方向が移ったのか、零がソフィアの方を向いた。

 

「……きみはずいぶんと質量兵器に詳しいんだな、クック三尉」

「ああん?」下手なことを言えばすぐさま魔力散弾が飛んできそうな形相でソフィア。すでに米軍風のバリアジャケットを装着しているためその迫力はなかなかだ。

「質量兵器が禁止されているこの世界で、よくきみはミサイルやら近接信管やらの知識が得られたな、と言っているんだ。アンチエアクラフト・バレットだったか? あれは近接信管内蔵型の対空砲を模したものだろう?」

「あんたこそよく……そっか、そういえば本職か、あんた」

「おれはともかくきみだよ。どっかの管理外世界に旅行でもいったのか?」

「魔導師が質量兵器を知ることは良いことよ。対魔導師用の戦術を研究するのは構わないけど、そのために対質量兵器の戦術を忘れちゃ意味ないじゃない。殺傷能力の高い質量兵器で人質を取られて身動きできなくなったりとか。そういう案件がいつ起きないとも限らないでしょ。むしろその辺を警戒していない今の管理局がおかしいのよ」

「きみには似つかわしくないほどの正論だな。ダメもとで連れてきたが、思いのほか役に立ちそうだ」

「何よその言い方。後であんたの歯磨き粉にタバスコ混ぜてやる」

「なんですかその微妙な嫌がらせは」とフェイト。

<色でばれます。彼の使っている物は緑がかっていますのでワサビがよろしいかと>

「くだらないことに演算能力を使わないでくれ」

<失礼しました。黒猫退治に使用した方が世界のためになりそうですね>

「フムン」

 

 零は軽く頷くと、再び窓の外を見つめて黙り込んだ。雪風は相変わらず零にもたれ掛ったまま何も話さない。

 そしてカールとソフィアは取っ組み合いを始める。

 

 なんでこうも上手くいかないのかなぁ、とフェイトは思った。

 

 

 

 

 

<対象艦船まで60km。この辺りで停止してください。グランセニック陸曹>

「あいよ。前進停止。ホバリングに移行するぜ」

 

 輸送ヘリコプターがゆっくりと速度を落とし、空中で完全に停止する。アドミラル56との距離、およそ60km。

 

<対象艦船からの火器管制レーダー照射を確認しました>陽気な口調でサディアス。<人気者はつらいですね。でも迎撃機が上がってくる気配はありません>

「艦載機も上げずにロックオンね。混乱しているのかしら」

「まあいい、やるだけだ。──雪風」

「ラジャー」

 

 零は雪風の手を取って、融合。いつもの黒いフライトスーツ型バリアジャケットを展開する。

 フェイトとシグナムもそれに合わせてバリアジャケットと騎士甲冑を展開。零の後ろに付いて後部ハッチが開くのを待った。

 

「さ、近づけるのはここまでよ」ソフィアはそう言うとサディアスを普段のショットガン形態にする。「このヘリに来るミサイルは私が撃ち落とすから、あんた達は任務に専念しなさい」

「出撃寸前のカミカゼになった気分だ。桜花かな」

「特攻隊と特攻専用機に喩えるのは止めてください」うげぇ、といった顔でフェイト。「当たって炸裂しておじゃんじゃないですか」

「じゃあ何に喩えるんだ」

「え? えーと……対艦ミサイル、とか?」

「テスタロッサ、それも当たって炸裂して木端微塵になるぞ」ため息交じりにシグナム。

「うう、ごめんなさい」

「まあいい。当たって砕けないことを祈る」背中の翼を開閉させて動きをチェックしながら零。「後部ハッチ解放を確認。これより状況を開始する。ブーメラン1、発進する」

「ライトニング1、出撃します」

「ライトニング2、出る」

 

 零はハッチから大海原の上へと身を躍らせた。雪風が四枚の羽を展開したのを確認すると、すこしきつめの降下を始める。魔力による加速と浮力はないが、重力によって徐々に加速していき羽に充分な風が纏わりつく。

 3秒ほど滑空したところで雪風は充分な飛行速度を得られたと判断したのか、翼に魔力を集中させて推進力を発生させた。滑空からアクティブな飛行状態になったところで零は加速。その揚力をもって水平飛行に移行する。

 

 雪風が制御するのは空力と魔力のハイブリット飛行システムだ。水平飛行時には魔力を推進力とし、空力で揚力を発生させ身体を浮かせる。通常の魔導師が行う飛行魔法は推力も浮力も全て魔力を利用して発生させているが、雪風の方式でなら浮力分の魔力を提供することなく、それより遥かに少ない推進力のみで身体を浮かべることが可能だった。彼らが飛行機なら、普通の魔導師はヘリコプターのようなものだ。飛行機が自機の重量より小さな推力で飛べるのと同じで、この方式は通常の飛行魔法に比べて圧倒的に効率が良かった。

 その分、気流の影響を受けやすいという弱点はあるものの、こうして落下のエネルギーをも飛行の原動力として利用できる点は大きな強みだったし、零としても今まで戦闘機で培ってきたノウハウを生かすことができた。

 

 そして何より、通常なら浮力に回すべき魔力を全て推進力に充てることができるという点で他の飛行魔法の追随を許さなかった。

 

「深井さん、もうあんなに速く飛べるんだ」

 

 フェイトは遥か前方を行く深井零の姿に目を見張った。圧倒的加速で自分とシグナムを引き離している。深井零を先頭に、その左後方にフェイト、右後方にシグナムという三角形の形をしたフォーメーションをとっていた。ところが零の加速は尋常ではなく、今やその三角形は上の二辺だけが伸びた二等辺三角形になろうとしていた。下の辺は3kmほどだが、上の二辺はもう8kmに達そうとしている。

 

<現在、深井中尉は時速1100km。気温による変動を無視すればマッハ0.9です。ユキカゼの力があるとはいえ、最近まで魔法を知らなかった人間とはとても思えませんね>

「あんな速度出す初心者が深井さん以外にいたら自信無くすよ」マッハ0.8で飛行するフェイト。「前までは800kmが目標とかなんとか言っていたのに、とうとう1000km超えだなんて」

<このまま行けば空戦ランクはオーバーS確定でしょうね。ただ、規定された課題をクリアするという点で彼らに試験は難しいでしょう。性能が空戦と電子戦に特化しすぎています。そもそもランクの認定試験を彼が受けようとするとは思えませんが>

「『それがどうした。おれには関係ない』って言いそうだね、それ。──でも深井さんのことだからあれはたぶん本気じゃない。戦闘のために余力を残しているはずだから」

<解析したところかなり効率の良い飛行システムを使用しています。極めて精密な飛行制御により、一般的な飛行魔法の4割程度の魔力消費で同じ速度に達することができるようです。さすがはフカイ中尉とユキカゼ、といったところでしょうか>

 

 噂をすればなんとやら。深井零からバルディッシュを経由して通信が入る。空中に描いた魔法陣に映像と音声を出力する空間モニターではなく、通常の電磁波を用いた通信回線だ。雪風の強力な電波出力はアドミラル56の妨害をぶち破るためにこちらの方が都合が良かった。シグナムと自分とソフィアの通信も雪風をハヴとして行われている。

 

『こちらB1。目標まで40km』相変わらず冷たい口調で零。『ミサイルを撃ってくるかもしれん。注意しろ。L1、L2』

「こちらライトニング1、了解」

『ライトニング2、了解』

 

 予め打ち合わせていた通り、もともと低かった飛行高度を海面から10mの高さまで下げる。深井中尉が言うにはレーダーから逃れるための方法らしい。マッハ0.9や0.8という音速を超えるか超えないかという速度もレーダーに感知されるのを防ぐためだ。超音速衝撃波が海面を叩き、水しぶきが上がるとレーダーで探知されてしまうのだとか。

 深井中尉と目標までの距離が35kmを切った時、深井中尉から緊急通信が入った。フェイトと目標までの距離は約45km。

 

『空間受動レーダーが衝撃波を捉えた。ミサイルだ。撃ってきたぞ。8発』

「!」

『おれ達それぞれに2発ずつだ。ヘリにも向かってるな。予定通りクック三尉のAAバレットによる狙撃とこちらのCDSで破壊するが、撃ち漏らすかもしれん。各自迎撃用意』

 

 遥か前方の水平線上でオレンジ色の閃光が5つ煌めく。フェイトはバルディッシュに命じ、戦闘態勢を整える。

 

「今のは深井さんの?」

<ユキカゼのCDS攻撃波を確認。5発に命中した模様>

「すごい……」

 

 超音速で飛ぶミサイル5発を正確に狙撃するとは。フェイトは深井零と雪風の戦闘技能に感心した。

 

『後続のやつを撃ち漏らした。L1とL2に1発ずつ。ヘリに1発向かっている。今からではCDSの照準は間に合わん。迎撃しろ』

 

 CDSは電波をレーザーのように撃つのではなく、電波と電波の干渉によってレーザーのように細い攻撃波を形成している。その電波干渉の計算は雪風の卓越した処理能力をもってしても膨大であり、結果として照準に時間がかかる。ましてや己が高速で飛翔しつつ、反対の方向から超音速で飛翔してくる複数目標に狙いを定めるという戦いには全くもって向かない。それでも使用するのは光の速さで到達する即応性と極めて長い射程があるからだ。

 

『ミサイル速度はマッハ2.5。こいつはたぶんシースパローじゃない。ESSM(発展型シースパロー)だ』

「ESSM?」

<しかしESSMの最大射程は50kmです。60kmの距離にいるヘリには届きませんよ>

『牽制だろう。おれ達はヘリが放った対艦ミサイルだと思われているのかもしれん。──ミサイル接近。CDSバラージ、ファイア』

 

 再び前方の水平線の上で閃光が煌めく。しかし一つだけだ。

 

『ミサイル1撃墜、確認』

<ヘリに向かっていたミサイルです>

「CDSバラージは遠距離には使えないんだっけ。なら1発落としただけでも御の字──」

 

 前方で何かが光った。フェイトはすかさずバルディッシュを構え、迎撃に移る。たぶん、あれがミサイルだ。目測では相対距離6km。落とすなら今のうちだ。

 

「プラズマランサー・ファイア……──!?」

 

 迎撃に移ろうとしたところで、背後から高速で何か近づいてきていることに気が付く。とっさに高度を下げるが、それはフェイトを無視して一直線にミサイルへ突っ込んでいく。長さはだいたい2m。直径30cmほど。まるで赤い砲弾だった。それが、単縦陣を組んで5発飛翔している。

 

 その赤い光はフェイトの前方で霧雨のような数千個の小弾に分裂。上下左右に100mの広がりを持つ弾幕を形成して突進していく。続く4つの弾も同じように分裂し、合わせて5重の弾幕が形作られる。ミサイルはフェイトを狙い直進し続け、目前に展開された散弾の雨に突っ込む形となった。

 

 ミサイルは1層目の弾幕を掻い潜ることに成功するが、2層目で散弾と接触し操舵翼の一つをもぎ取られる。バランスを崩し正面からの投影面積が大きくなったそこに残りの弾幕が命中する。3層目でロケットモーターを内蔵した胴体部にいくつもの穴が開き、続く4層目と5層目の直撃で弾頭部もろともズタズタに破壊された。魔力弾の高エネルギーにより炸薬が発火。フェイトの前方2.5kmで炸裂。粉々になる。

 爆発の衝撃波で至近の散弾群が掻き消され、オレンジ色の閃光に赤い魔力光が煌めく。

 

「今のは……ソフィアの?」ミサイルの爆炎を避けながら呟くフェイト。右の方向にもオレンジ色の閃光が見えた。シグナムの方だ。

『私の散弾砲撃を甘く見ないでちょうだい』通信回線から雑音交じりのソフィアの声。『ああ。警告しなくてゴメン。シグナムさんの方には警告送ったんだけど、あんたの方には間に合わなかった』

≪シースパロー。海のスズメ、ですか≫通信回線に割り込んでくるサディアス。≪鳥撃ちにはもってこいですね。私としては黒猫を撃ちたいのですが≫

『スズメ? 焼き鳥にして食お──いててて』傍でしゃべっているらしいカール。『ソフィア、ヒゲはやめて。痛い痛い。フェイトさん、こっちに砲撃ぶちかましてこのまな板娘止めて』

「ゴメン、フォローしようがないしここからじゃ届かない」

『クック三尉、感謝する』一言ではあるが感謝の言葉を述べるシグナム。

 

 それにしても超音速で飛翔してくるミサイルを20km近く離れた位置から狙撃? そんなことが可能なのか。しかも自分とシグナムに向かっていた2発を同時に。

 

『超音速飛行目標用のAAバレットよ。一発あたりの威力はカスだけど、高速で移動している物体にはこれで充分なの。航空機はたいてい脆いしね』

「すごいですね。ここまで遠距離の砲撃したの、なのはしか見たことないです」

『え。あの人、km単位の距離で撃てるの?』

「そりゃもう。余裕で砲撃できますよ。でも精密に撃てるかどうかはわかりません」

『高町が迎撃するなら海面ごとミサイルを消し飛ばすだろう』

「あー、ありそう」

『……高町一尉ってすごいのね。核兵器みたい。さすが管理局のエース』

 

 フェイトは高町なのはの砲撃の威力を本人の次に理解していると自負していた。なにせかつての自分もあの化け物みたいな砲撃をモロに喰らった一人なのだから。

 さらにアドミラル56に接近し、先頭の零が17kmの地点に近づいたところでまた彼から警告信号が放たれる。

 

『第二波来るぞ。すさまじく気合いが入ってる。時間差で12発だ。ヘリには向かっていない。今度はおれに8発。脅威度が高いと判断されたんだな。空母のクセにイージス艦並みの処理能力があるらしい』

「大丈夫なんですか?」

『悪いがL1とL2の分は対処できそうにない』

『ゴメン。もうここからじゃ援護できない』とソフィア。『撃てることは撃てるけど、弾速が間に合わないの』

「わかりました。こちらで対処します。──バルディッシュ」

<Plasma Lancer>

 

 フェイトの周囲に環状魔法陣付きの8個の光弾が展開される。フェイトの得意とする直射型の射撃魔法、プラズマランサー。深井零が使用するAAMと性質が似ており高速で目標に向かう他、外れても反転して目標へ突っ込ませることができる。

 

 展開してすぐに再びミサイルを視認。距離6.5km。今度は2発。1発目の800m後方に2発目が追随。マッハ2.5で突っ込んでくる。こちらの速度は約1000kmなので相対速度はマッハ3に達している。

 

「プラズマランサー、ファイア!」

 

 すかさずフェイトは魔力で構築されたスフィアを放つ。一発一発のタイミングを微妙にずらしながら二つのミサイルに4発ずつ。環状魔法陣で加速された雷色の弾丸は高速でミサイルに接近。

 

 3km先でオレンジ色の閃光。1発目は迎撃成功。

 しかし2発目は迎撃失敗。先に発生した爆風と爆炎で狙いがそれた。さらにスフィアの一つが爆発に巻き込まれて消滅してしまう。予想より爆発の影響範囲が大きい。

 

 今からの迎撃は間に合わない。発射済みのスフィアを反転させてもミサイルには追いつけない。自分が避けても近接信管が作動する。ミサイル命中まで4秒。

 

──こうなったら

 

「斬る!」

<Zanber form>

 

 バルディッシュが斧の形状から剣の柄のような姿に変形する。さらにそこからフェイトの身長に匹敵する金色の魔力刃が展開。巨大な剣となる。

 

──近接信管の反応でミサイルが炸裂するのなら

 

 ミサイルとの相対距離、100m。直撃コース。

 

──反応する前に信管をミサイル本体から切り離してしまえばいい

 

<Blitz Action>

 

 フェイトの姿が掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

「……なんてやつだ」

 

 零はレーダー表示を見ながら驚きの表情を浮かべ、静かにそう呟いていた。

 

 2発のミサイルのうち1発の迎撃に失敗したフェイトがソニックムーヴのような高速移動魔法を使い、ミサイルを斬ったのだ。先端部を胴体部から切り離すよう、正確に。先端部に搭載されたミサイルシーカーと誘導コンピュータを失ったミサイル本体はフェイトを見失い、彼女の数百m後方で自爆した。

 

 相対速度が上乗せされているとはいえミサイルの近接信管が反応しないとは。零はフェイトのスピードに舌を巻いた。高町なのはと並ぶ管理局のエースとは聞いていたが、これほどとは思っていなかった。零は彼女の高い能力に好感を覚えた。彼女そのものではなくその戦闘能力に、だ。

 

 ミサイルを斬った後の彼女の姿をズームすると、自爆したミサイルを見て『あれ?』と首を傾げるような動作をしていたのが見て取れた。なにか思った通りにいかなかった雰囲気だった。零も、何かミサイルに仕込んであったのかと気になった。

 ところがその直後にバルディッシュから空対空ミサイルの構造に関するデータの請求が雪風宛に届いたことで、零は彼女が斬撃によって炸薬と信管を斬り離すという恐ろしく無茶苦茶なことをしたのだと悟った。ブッカー少佐がこれを聞いたら卒倒するだろう。

 

 先端部に信管があると勘違いしていたのは彼女らしい。現代のミサイルの先頭部分は誘導部で、炸薬はその下にある。彼女が切り離したのは誘導部だけだ。だが結果として近接信管の作動限界を超えた速度で移動したフェイトはミサイルの爆発から逃れることができた。

 

 正確な情報を渡せば次はミサイルを誘導部、弾頭部、推進部の3つに分割できるだろう。対空ミサイルを三枚におろすとは末恐ろしい女だ。

 ちなみに『教えてくれませんか?』という言葉から緊急性がないモノと判断したのか、雪風はその要求を黙殺・消去してしまった。そして零もそれを黙認することにした。そのくらい調べておけ、という意味だ。

 

 一方シグナムの方はレヴァンティンを弓に変形させ、そこにつがえた矢でミサイルを正確に狙撃していた。ボーゲンフォルムとかいう弓形態らしい。命中率は高いようで2発のミサイルを2本の矢だけで貫くことに成功している。

 零が驚いたのは放たれた矢の速さだった。雪風のレーダー観測によればおよそマッハ2。飛びながら射ったシグナム本人の飛行速度を引いても超音速領域だ。しかもそれを2本とも命中させたというのだからすさまじい。歴戦の騎士というのは伊達ではないということか。

 

 今回の作戦に彼女達を選抜したのは間違ってなかった、と零は思った。二人とも高速戦闘に慣れている。他の者ならこうはいかないだろう。

 少なくとも自分と雪風のように数km先の目標を察知し、迎撃できる腕前が必要だ。その意味で2人はこれ以上ない適任者だった。

 

 そして零と雪風は、すでに己へ向かっていたミサイル8発をCDSとAAMで全弾撃墜している。本当に一瞬のできごとで、GUN攻撃を使うまでもなかった。

 

 対魔導師、あるいは対ガジェット戦において狙い撃つべき対象物は小回りが利く。数十cm単位で旋回することだって可能だ。だから命中率を上げるためにAAMとGUN攻撃の射程は短くなる。できるだけ短時間で対象に接近しなければならず、AAMの場合その『有効射程』は対魔導師戦では1000mもない。

 

 だがシースパローのように『人間と比べれば』大きなミサイルの場合、旋回半径は数十mから数km単位となる。つまり自分が今まで経験してきた空対空戦闘とほぼ同じ間合いで撃つことができるわけだ。さすがに100km先までは魔力が持たないし弾速も遅すぎるので撃つことはないが、数km程度なら高速移動目標に命中させることはたやすかった。

 

 アドミラル56との距離が10kmを切ったところでようやく艦の全容が見えてきた。左舷側をこちらに見せている。艦橋など高い部分は30km辺りからでも見えたが、その10万トンの鉄塊は山のごとく鎮座していて、改めて全容を見るとその巨大さと重厚さに圧倒される。横幅1400mに達するバンシーの10機分の重さだ。それが海に浮かび、波をかき分けて進んでいる。雪風のような高性能で高速な戦闘機械とはまた違う、超重量の気迫だ。

 

 その艦影を雪風がスキャンする。艦船用の近接防御火器システムである対空ファランクス砲の位置を特定し、破壊のためにCDSをロックオン。左舷に2門。この数なら一瞬でいける。

 

<RDY-CDS>

「ファイア」

<FIRE>

 

 雪風のCDS攻撃波により、ファランクス砲は2門ともその機能を破壊される。ただし艦の機能とはほぼ完全に独立しているためその2門だけの破壊で済んだ。これでアドミラル56に残された武装は反対側のCIWSとミサイルだけだ。

 CDSを撃ち安心した零は緩やかに減速を始めた。徐々に後続の二人との距離が縮まり、互いの距離が7kmほどにまでなる。

 

<CHECK ON DANGER…Lt.>

「!」

 

 減速した零の脳内に雪風の警告音。同時にミサイルの排気炎が赤外線レーダーで探知される。数は12発。肉眼でも発砲炎を確認。距離3km。この自分が対艦ミサイルに見られているのだとすれば、迎撃できるギリギリの距離であると判断されたことだろう。最後のあがきというわけだ。全弾がこちらに向かって接近してきたところをCDSバラージでまとめて撃破すればよい。零はそう考えた。

 

 ところが零がもう一度迎撃体勢をとろうとして雪風のレーダー表示を見た時、発射されたミサイルの軌跡がおかしいことに気が付く。

 

──おれに向かってこない?

 

 ミサイル群はフェイトとシグナムの両名に向けて放たれたものだった。まさか、至近の自分に対する迎撃が間に合わないと予想して、後続の2人を。

 ちょうど2人が合流しようと互いに接近しているところを狙ったのだ。ミサイルが7km後方の2人に到達するまで約9秒。CDSバラージは届かない。

 

「L1、L2、ミサイル多数。緊急回避!」

『え?』

『テスタロッサ、避けろ!』

≪ダメです。間に合いません!≫

 

 

 空中にオレンジ色の閃光が煌めいた。

 

 




<あとがき>

 ご無沙汰しておりました。スカイリィです。
 就職活動中ゆえ更新が遅くなって申し訳ありません。
 以前よりトマホーク・ジョンを登場させる、と言っていましたが今回の話には収まりきらず次回に持ち越しとなりました。次回、必ず登場させます。

 あと、荒れる可能性があるので本編でも言及されていた「自衛隊を日本軍にするか否か」に関する政治的な意見や主張を感想として書くのはお控えください。ここは政治の話をする場所ではありません。雪風とリリカルなのはの話をする場所です。

 いやしかしリリカルなのはで対艦戦やるなんて慣れないことするもんじゃないですね。
 ESSM等の艦対空ミサイルの知識はいろいろと調べましたが、私は艦船は専門外なので間違っているところがあるかもしれません。

 アドミラル56に搭載されているミサイルに関しては、FAF ACTION REPORTを参考にしました。ただ、局点防御用対空ミサイル発射機4基で、VLSとしか書かれていないのでいったい何セルあるのかは私の妄想です。Mk.41VLSの8セル×4基×4発で128発はさすがに多すぎかなと思って32発に留めておきました。

 ちなみに雪風と八神はやての二人の名前はどちらも旧日本軍の兵器の名前に由来しています。
 雪風は艦これ……もとい、陽炎型駆逐艦の8番艦「雪風」から。はやては陸軍四式戦闘機「疾風」から。疾風の方は駆逐艦でも使われた名前なので二人とも駆逐艦仲間となります。まったく、駆逐艦は最高だぜ!
 さらに零の方はゼロ戦があるので、零とはやてで戦闘機仲間も結成できたりします(こじつけ)。

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