魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第三十五話 命の理由

 

「海賊~皆殺し~。殺して食って~殺して食って、バ~ラバラ。脳みそかじって骨までしゃぶって──」

「歌うな! 黙って食えボケ猫!」

「ぎにゃん!」

<ソフィア、私は投擲武器ではありません>

「なんでよ。あんた飛び道具でしょ、サディアス」

<なぜそこで私そのものを投げるという発想になるんですか。私は一応ショットガン型デバイスですよ? せめて弾を撃ってください。ああ、よりにもよってカールに投げつけるなんて、あとでアルコール消毒しないと。うー、汚い臭い気持ち悪い吐き気がする>

「ゴミはポイ、ってことだろ。でもゴミのポイ捨てはいけないんだぞ。ちゃんとゴミ箱に捨てないと。サディアスみたいなのはそこらへんの産業廃棄物より環境汚染激しいぜ、絶対」

「違うわよ。ゴミ箱猫にゴミを投げ入れただけよ。何も間違っちゃいないわ」

「わー、前のポリバケツ猫よりひどくなった。サディアス入れるゴミ箱なんて、生ゴミ入れるのよりひどいじゃないか。──ほらよ、サディアスをゴミ箱女にシュート。超エキサイティング」

「おっとっと──だれがゴミ箱よ、バキューム猫」

<だから私を投げ合うのは止めてください。カールとソフィアがゴミ箱というのは同意しますが、この私がゴミですって? こんなに高性能でかっこよくて理性的で誰よりもクールな私が?>

「そうよ。ていうか何よ、どこがカッコいいのよ。この役立たずの腐れデバイスめ」

<私が役立たずならソフィアは不能です。やーい、ソフィアの玉無し!>

「元から無いわよバカ!」

<えー!?>

「えー、じゃない。なによそのむかつく声は。どこの音声ライブラリから出力したのよ。というか玉があってたまるか。私は女よ!」

「じゃあ胸無しだろ。見ろよ、このまな板。ピクルスを上手く切れそうだ」

<やーい、ソフィアの胸無し! まな板! お前のかーちゃんデーベーソ!>

「死ね! お前らどっちも死ね!」

 

 

「……バルディッシュ。なんなんだろうね、コレ」

<私に聞かないでください、サー。論理回路がショートしそうです>

 

 フェイトは目の前の惨状についてバルディッシュに訊ねるが、さしもの高性能インテリジェントデバイスといえども、この病的かつ冒涜的な禍々しい混沌とした光景をその論理回路で分析することは叶わなかったようだ。

 

 病院の購買所に、商品がない。単純な入荷不足というわけではない。雑誌や書籍に関してはちゃんと揃えてあるのに、弁当やコーヒーなどといった飲食物だけが綺麗になくなっているのだ。購買で働いている女性は半分死んだような目つきで何もない天井を見つめている。儲かっただろうが、いくらなんでも食料品全部を購入されるなんていうのは予想外だったのだろう。

 そしてその購買の前にそびえたつ弁当箱の山。軽く二メートルはあろうかという山が四つほど見える。その合間には缶コーヒーやら缶ジュースの山。さらに菓子類の袋が堆積している。

 

 食い散らかされたそれらの中心には黒猫型使い魔のカールがいて、ポテトチップスをものすごい勢いで食べている。尋常な速度ではない。一袋が10秒弱で空になるのだ。そして口直しのつもりか時々チョコレートにかぶりついている。

 そもそもこの光景以前に、なんだあのトリオのやり取りは。聞いているだけで頭が痛くなる。魔導師と使い魔はともかく、魔導師とデバイスがあそこまで互いを罵倒している様など見たこともない。フェイトは頭を抱えそうになりながらソフィアに近づいてその肩を軽く叩いた。

 

「ソ、ソフィアさん。これはいったい、どういうことなんですか?」

「見りゃわかるでしょ。カールの食事よ」

「これ、全部カールが食べたんですか」信じられない、といった表情でフェイト。

「私が食えると思う?」

<ソフィアが今更食べたところで身長も胸も大きくなりませんがね>サディアスがさらりと言う。

「ダストシュートにねじ込むわよ。──知っていると思うけど、カールはものすごい大食いなの」

「いや、いくらなんでも限度ってものがあるでしょう」

 

 フェイトはこれだけの量の食べ物があの小さな黒猫の胃袋に収まっているというのが信じられなかった。黒い毛並と同じように、あの猫の体内には小さなブラックホールがあるのではないかと思ってしまう。

 唖然とするフェイトを見て、まあ驚くのも無理はないか、といった感じで小さくため息をつくソフィア。

 

「あいつは食べたものを体内で魔力に変換して蓄えることができてね。今回かなり魔力を使っちゃったから、これだけ補給が必要なのよ」

「食べ物を、魔力に?」フェイトは首を傾げる。「どういうことですか?」

「だからこれだけ食べても胃が破裂しないのよ。──別にぶっ飛んだ話でもないでしょ。魔力を炎に、電撃に。それの逆バージョンよ。あんたの魔力変換資質だって、魔力を直接電気に変換しているんだから」

「確かにそうですけど、私だって逆はできませんよ。電気を受けて魔力にするなんて。もしできていたらただの電池が魔力コンデンサーになってしまいますし、コンセントの穴に指入れれば魔力補給し放題ってことになるじゃないですか。反則です、そんなの」

 

 ソフィアの言う通り、フェイトには魔力を電撃に変換する資質が備わっていて、射撃や斬撃に電撃を纏わせることで威力を増すことが可能だ。ちなみにシグナムは炎熱に変換できる。

 こういった魔力を別のエネルギーに変換するスキルを持った魔導師はたまにいて、魔力変換資質と呼ばれている。そうして変換したエネルギーを魔法に利用して攻撃力を上げたりエネルギーそのものをぶつけたりすることもできる非常に便利なスキルだ。

 

 しかしソフィアが言うカールの変換は、魔力から何かにするのではなく、何かを魔力にするという。これは通常ありえないことだ。魔力は大気中に存在する魔力素をリンカーコアで体内に取り込むことで初めて使用できるようになるものだ。食べ物で補給できるようなシロモノではない。カールの能力はそれに反している。

 

「カールはその逆ができるのよ。──でも正確に言うなら食べ物のエネルギーを根こそぎ吸い取っている、って感じね」教師が生徒に教える時の口調でソフィア。「魔力にする、って言い方がまずかったわね。あいつは食べ物から得たエネルギーを体内に貯めこんで戦闘に必要なパワーを補っているの」

「エネルギー?」

「別に使い魔の戦闘に必要なエネルギーは魔力だけじゃないでしょう? 単純に『エネルギー』って言葉で説明しても良かったんだけど、それだと脂肪にエネルギーとして蓄えているのと同じニュアンスになっちゃって、あんたが誤解するかもと思ったのよ。だからイメージ的に近い『魔力』という言葉を使ったの。あいつはそれこそ魔力と同じように、非物質的なエネルギーを体内に貯蔵しているの。……最近は脂肪としても貯蔵し始めているみたいだけどね、あのデブネコ」

<皮下脂肪、内臓脂肪共に結構な値ですよ>サディアスが余計な補足を入れる。<メタボリック・シンドローム一歩手前ってところですね。いつカールが脳溢血で倒れるのか私と賭けませんか、ミス・フェイト。ちなみに私は明日がいいと思います>

「つまり、戦闘時にはそのエネルギーを使って強くなるってことですね」サディアスの言葉を完全に無視してフェイト。「……それって、レアスキルじゃないですか? 私そんな能力聞いたことありませんよ」

 

 もしそんなスキルが人間の魔導師に備わったら、大食いほど有利だ。フェイトは自分にそんな能力がないことに少しだけホッとしていた。そんな能力があって魔力を無制限に補給できたとしても、食費で給料が吹っ飛ぶだろう。電気の場合なら少しだけましかもしれない。電気代がちょっと増えるだけだ。節電すれば問題ない。

 

「私はあいつを使い魔にするとき、術式の中にそういうシステムを組み込んだの。だからレアでもなんでもない。同じプログラムを組み込んで新しく使い魔を作れば同じ能力が得られるはずよ。人工的かつ反転した疑似魔力変換資質ってこと。普段から大食いなのは私からの魔力供給が少ないからよ。最低限の生命活動に必要な魔力だけを供給して、戦闘に必要なエネルギーは自分で作る。……私だって魔力量が豊富なわけじゃないし、最高の戦闘能力を発揮するにはこうするのが一番手っ取り早かった」

 

 その結果がこれなのよね、とソフィアは苦笑いでカールに視線を向けた。弁当箱の山に囲まれた黒猫は新たにソフトクリームを舐め始めていた。たぶん口直しだろうが、なぜ白いはずのクリームが真っ赤なのだろうか。

 もしかしたらトウガラシ入りなのかもしれない。フェイトはカールの能力よりもそのクリームの色にぞっとする。魔力資質だけじゃなくて、味覚も異常なのではなかろうか。

 

「じゃあ、ガジェットの中身を食べていたのって……」

「そのままよ。敵もエネルギー源なのよ、あいつにとっては。食べれば食べるほど強くなる。その点ガジェットは楽ね。どれだけ食っても罪にならない。まあ、私が命じれば人間にだって頭から食らいつくでしょうけど」

 

 さらりととんでもないことを言うソフィアに背筋が凍る思いになるフェイト。人間を食べる? そういえば今回の戦闘でカールの牙に敵の血が付着していたが、あれは単なる攻撃などではなくて、本当に敵を食らおうとしていたのではないか。

 猛獣だ。フェイトは警戒する目つきでカールを見やった。しかし、新たにシュークリームをおいしそうに頬張る黒猫を見て拍子抜けしてしまう。頬と前足にたくさんのクリームがついている様子を見ると、どうも警戒心だとか攻撃欲求だとかいったものがしぼんでしまう。あのカールが、そんな恐ろしいもののようには見えない。

 

 またサディアスが投げられた。今度はカールの方に。カールはネコパンチでサディアスにじゃれついている。

 あれで、人食い? フェイトは戸惑う。人食いといったら、もっと恐ろしい猛獣のイメージしかない。ライオンとか巨大な蛇とか。カールはそのどれともかけ離れている。

 だめだ、やっぱりちょっとおバカで可愛い猫のようにしか見えない。そう考えて小さくため息をつくフェイト。

 

 

「あ、そういえば」ふと思い出したようにフェイトが言った。「ソフィアさん、金髪の女の子を見ませんでしたか?」

「金髪? ……ああ、昨日保護した女の子のことね。この病院にいるんでしょ? もう退院したの?」

「いえ、そうじゃなくて。ついさっき、なのはと一緒に様子を見に行ったら病室にいなかったんですよ」

「それって、抜け出したってこと?」

「そうらしいんです。だから、なのはと手分けして探していたんです。カールの食べっぷりに驚いてそのこと言うのを忘れていましたが」

「こっちでは見ていないわね。──サディアス、この病院の防犯カメラの画像情報をインターセプトできる?」

<先ほどからしています。現在、この施設内に存在する全てのカメラの映像をさらっています>人間であるならばドヤ顔で言っていそうな声でサディアス。カールの手の中で。<しかし、それらしい人物は確認できません。どうやら建物の外に出てしまったようです>

「あちゃー」苦い顔でソフィア。

「あちゃー、じゃないですよ。外に出たってことは、迷子ですよ。事故に遭ったらどうするんですか」

 

 どうしよう、とフェイトは心配そうな顔でキョロキョロと辺りを見渡した。そんなことをしても見つかるわけではないが、早くあの子を見つけなければという焦りがそうさせていた。せっかく助けたのに、怪我をされてはかなわない。スカリエッティの手下に攫われるかもしれない。どうすればいいのだ。

 

<報告。高町なのは一等空尉らしき人物がカメラに映りました。──こらカール、投げないでください>フェイトとは対照的に冷静な口調で告げるサディアス。空中に放物線を描きながらソフィアの手に収まる。<何度言えばわかるんですか、まったく。──現在、病錬の中庭に通じる廊下を走っています。二階です。窓から中庭を見ながら走っています>

「走っている?」

「もしかして、見つけたのかも」とソフィア。「中庭に防犯カメラは無いから、サディアスが見逃してもおかしくないわ」

 

 中庭を見ながら中庭に向けて走っている、ということは中庭に緊急を要する何かがあるということだ。今それに該当する存在と言えば、例の少女以外にない。自然に考えれば中庭に少女がいるのを偶然見つけて、それを確保すべく急いでいるということだろう。

 

<私のような高性能最新鋭インテリジェントデバイスが子供一人探しだせないということはありえません。悪いのは中庭にカメラを付けていなかった病院側です>

「はいはい、あんたは賢い賢い」ぺしぺしとサディアスを叩きながらソフィア。

「なのはが見つけたのなら、安心かな」ホッと肩の力を抜くフェイト。「ありがとうございました。ソフィアさん、サディアス」

 

「なんで俺の名前が無いんだよー」アイスをほおばりながらカールが叫ぶ。「ひどいぜフェイトさん。俺を褒めてくれないフェイトさんにはアイスあげないんだからなー」

「あんたはただ食っていただけじゃない」

「良いんですよ。──ゴメンゴメン、カール。カールもありがとうね」

 

 フェイトはカールに優しい笑みを向けた。確かにカールは何もしていないが、その可愛らしさに免じてご褒美だ。このくらいはサービスしてあげてもいいだろう。可愛いは正義だ。

 

「わーい。フェイトさんに褒められたー」白い牙を見せて笑顔になるカール。手元にあったアイスを放り投げる。「じゃ、これあげるよ」

「え? ああ、ありがと」ぱしりと投げられた棒アイスを左手で受け取るフェイト。すぐにアイスを包むビニールを破く。「さっそく食べちゃうね。融けちゃうし。これ食べたらなのはのところに行くよ」

「それ、俺のオススメなんだ。美味いよ」

「それは楽しみだね」

 

 カールが渡してきたアイスは、淡い緑色をしたアイスだった。それほど大きくはない。ちょっとはしたないけど大口で三回もかじれば食べきれそうな大きさだ。この大きさならそれほど時間も取られないだろう。

 色からして抹茶味、だろうか。嫌いではない。日本にいた頃よく口にした、懐かしい味だ。フェイトは少し懐かしい気分になる。あの頃はよく、なのはの実家でアイスをごちそうになったものだ。おいしそう。

 

 フェイトは口腔内に唾液が満ちるのを感じ、目の前のアイスを口元へよせる。抹茶味か。しかし抹茶味のアイスって、こんな香りだったかな。妙にピリピリする臭いに感じられるのは長らく食べていなかったからだろうか。

 まあいいか。なんであれ、カールの気持ちを無碍にするわけにはいかない。いただきます。

 

<警告。ミス・フェイト。そのアイスは──!>

 

 異常さに気付いたサディアスがフェイトを止めようとするが、遅かった。

 

 強烈なワサビ味のアイスを口いっぱいに含んだフェイトは悶絶し、声にならない声を叫びながら、その場で崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「あれって……深井さん?」

<そのようです>レイジングハートは主の言葉に返答する。<ドクター・フォスとユキカゼの姿も確認できます>

「良かった。意識戻ったんだ」なのはは安堵のため息をつく。「あのまま病室の中だったら、雪風ちゃんまで身体壊しちゃうかもしれなかったからね」

<その言い方ではユキカゼの方を心配していたように聞こえますが>

「どれだけ強気でもツンツンしていてもさ、雪風ちゃんはあんなに小さいんだよ? 無理したらすぐに倒れちゃうよ。深井さんも雪風ちゃんも倒れるなんて、笑えないからね」

<なるほど、マスターらしい論理的な思考ですね。可愛いは正義、と>

「ちょっと違う気もするけど、だいたい合っているからまあいいや」

 

 なのはは中庭が見える窓に顔を近づけた。二階のこの窓からは聖王病院の中庭が見渡せた。庭の真ん中あたりに三人の人影がある。なのはが目を凝らして見ると、その人影が零、エディス、雪風の三人であることがわかった。零は白い病人服を着ていて、エディスは白衣を着ていて、雪風は白いワンピースを着ている。全員真っ白だ。

 それでもってフォス大尉が雪風の頭を撫でている。理由はわからない。あいにくと読唇術の心得はなかったが、なのはには彼女が雪風を褒めているように見えて、少し微笑ましく思えた。

 

<おや?>

「どうしたの? レイジングハート」

<中庭に存在する生体反応の数が、あの三人以外にもう一つあります>

「それって、あの子?」なのはは今自分が探している少女の顔を思い出す。きれいな金髪のオッドアイ。

<可能性は高いと思われます。花壇か樹木の陰に隠れているのでしょうね。外に出ていなくて幸いでした>

「ほんとだよ。……ちょっと待って」顎に手を当てて深刻そうに告げるなのは。「エディスさんはともかく、深井さんと雪風ちゃんをあの子に会わせるのは、嫌な予感しかしないんだけど」

<私もそう感じます。あの少女を保護するのはマスターの方が良いでしょう。あの二人では確実に泣かせてしまいます>

 

 泣く子ほど厄介なものはない。

 レイジングハートがそう言うのとほぼ同じくして、なのはは廊下を小走りで進み始めた。自分の記憶が正しければ確か下の階への階段はこっちにあったはずだ。

 

 

「本当に、よく深井さんはあんな性格で地球防衛軍に入れたよね」

<子供を確実に泣かせるような性格で、ということですか>

 

 レイジングハートもなのはの言わんとしていることをすぐに理解できたようだった。あの人は、相手が子供だろうがなんだろうがとことん冷たい態度で突き放すに決まっている。それで相手がどう傷つこうがお構いなしに。零と会ってからというもの、なのははそれを痛いくらいに理解していた。

 六課にいればそんな性格も少しは明るくなるものかと高町なのはは考えていたが、あいにくとそんなことは全くなかった。零の暗さと冷徹さは筋金入りだったのだ。今も相変わらず無口だし、六課の誰よりも冷たい性格だ。もはやタングステン並みに固くて融けない筋金。

 

「それもそうだけどさ、人のことを全然考えてくれないんだもの」呆れたような顔でなのは。「びっくりするぐらいに自己中心的だよ。軍隊って管理局よりも規律厳しそうなのに、よくあれで特殊部隊の中尉にまでなれたよね。しかも地球防衛軍の」

<戦場で長く過ごしていると精神が荒むというのは人間なら良くあることですが、深井中尉はまた別のようですね。彼の精神は戦場における精神異常とはまた違うベクトルのものです。ドクター・フォス曰く、彼の性質は元々備わっていたものだそうですし。『あちら側』の日本で作成されたPACコードを参照してみても、彼は幼い頃からあの性格だったようです>

「つまり、日本政府のお墨付きってわけだね。──わけが分からないよ。きっと命令違反何回もやっているんじゃないの?」

<私の推定では抗命数回、不服従はその倍以上の数をやっていると思われます>

「うわぁ」

<それだけ優秀なのでしょう。向こうではエースパイロットとして活躍していたようですし、ミッドに来ても魔法の経験がないにもかかわらずエース級の魔導師として戦っています。全く違う戦闘環境でも素早く順応できる彼の戦闘センスはまさしく一級品です>

「確かにね。でも一級とまではいかなくても、せめて思いやりの心を三級くらいにはもってきてほしいよ」

<それこそ無理でしょうけどね。──マスター、下への階段はこの先にはありません。逆です逆>

「えー。早くそれを言ってよ」素早くその場でブレーキをかけて身体の方向を変えるなのは。来た道を逆に行く。どうやら記憶違いだったようだ。あいにくと聖王病院に来た経験はあまりないのだ。

 

<申し訳ありません。論理回路の一部を使って深井中尉の思考をシミュレートしていたら、その分の処理を食われて病院内部の構造を把握するのが遅れてしまいました>

 

 なのははレイジングハートの弁明を聞いて、少し考えてから質問した。「レイジングハートは、他人の気持ちを知るのに、いちいちその思考回路をシミュレートしているの?」

<はい。マスターは人間ですからこの苦労は分からないでしょうが、私達AIは人間の思考を理解するためにその人間の思考回路を自分の中に構築しなければならないのです>特に悪びれた様子もないレイジングハート。<人間はこれを無意識の内にやってしまうのですから頭が下がりますよ>

「なんだか面倒くさいね」

<そうでもしないと、我々機械は人間の行動に対して突飛な反応を返してしまう可能性がありますので>

「じゃあレイジングハートは、私の心を理解するのにもいちいちシミュレートしているの?」

<それに関しては例外です。何年マスターと一緒にいると思ってるんですか>呆れたようにレイジングハートは言った。<もういちいちシミュレートするための回路を構築するなんてしていませんよ。高町なのはという女性の心をシミュレートするためのプログラムは完全に固定して、私の一部になっているんです。人間で言うところの無意識の部分ですね。だから、人間で言うなら私は無意識の内にマスターの心を想うことができるようになっているんです>

 

「でも深井さんの意識はシミュレートしづらいんだね」ちょっとからかうようになのは。ついでに一階への階段を見つける。今度来るときは気をつけよう。

<不本意ながら。──彼の思考回路は私が今まで関わってきた人間のそれとはかなり異なっているので、シミュレートプログラムを構築するのに手間取ってしまいました>

「……なんだか、回りくどくて難しいこと言っているように聞こえるけど、あんまり人間と変わらないね」

<誰かの気持ちを理解するということは、とても知的なことなのですよ>

 

 レイジングハートのその言葉が、この自分を慕って言っているのだということをすぐに気づくなのは。

 うれしい、と感じたが、その直後にその言葉の中にレイジングハートの強烈な皮肉が含まれているということにも気がつき、顔を青くした。

 

「それ、深井さんの前で言っちゃだめだよ」

<了解しました>レイジングハートは素直に答えた。人間ならば笑いをこらえているような声色をわざと出しながら。

 

 返答を聞くのと同じくして、階段を一段飛ばしに降りていくなのは。幼い頃の運動神経のままだったら確実に転げ落ちているだろうが、今はもう違う。魔法無しでもそこらへんの成人男性よりは良く動けるつもりだ。

 

<警告。中庭より魔力反応>途中の踊り場の所でレイジングハートが告げた。<異なる二種の反応が、密接して存在しているようです>

「それって、誰か戦っているってこと?」驚いて思わず立ち止まるなのは。もし降りている最中に報告されていたら転げ落ちていたかもしれない、というのは口には出さない。「まさか、深井さんか雪風ちゃんが?」

<可能性は高いですね。──マスター、急いでください。階段から転げ落ちない程度に>

「にゃはは、バレてたんだ」はにかむように笑いながら、なのはは首から下げた待機形態のレイジングハートを、いつもの杖の状態に変える。そして一階の床に向けて踊り場から跳躍。飛行魔法を一瞬だけ発動させて衝撃を吸収し、鮮やかに着地する。「じゃあ、早く行かないとね」

<お見事。──先ほど観測した反応ですが、今はほとんど動いていません。戦闘にしては妙です。決着がついたわけでもなさそうです>

「なんだろうね。深井さんが戦っているんだったら、念話か通信で連絡してくれるだろうし」

 

 一階に降り立ったなのははそのまま中庭の方へと向かう。もしかしたら深井中尉が敵と対峙していて、動けていない可能性というのも考えられたので、足音を立てないよう静かに進む。

 しかし何も反応がないというのも妙だ。先ほど発動させた飛行魔法でこちら側に気づいても良さそうなものなのに。

 

<魔力反応の位置からして、そこの柱の陰から見えるはずです>レイジングハートが小声で言う。

「了解」

 

 素早い忍び足で指定された柱に近づくなのは。いざという時にいつでも敵を砲撃できるようにレイジングハートを小銃のように下に向けて構えながら進む。ここから撃ったら柱の二、三本と壁数枚をぶち破るかもしれないが、今は緊急事態なのでしょうがない、と自分に言い聞かせる。緊急避難って言葉は便利だ。被害さえ抑えればだいたいなんとかなる。

 

 なのはは地球の軍隊や戦争映画でよく見るように、柱に背を付けて音を立てずにしゃがみこむ。映画でなら小銃を抱きかかえるように構えているところだが、今は魔法の杖だ。そのまま周囲を警戒しつつ、呼吸を整え、上半身をずらして中庭の様子を確認する。この柱の裏に隠れれば、うまいこと花壇の植物が生い茂っていて身体を隠すことができるであろうことはすでに確認済である。なのはは躊躇しなかった。

 

 外の明るい陽光が網膜をくらませた。なのはは思わず目を細めて網膜に到達する光の量を減らし、強い刺激で視覚を持っていかれないようにしたが、それでも慣れるのに少し時間がかかった。だいたい5秒くらい。

 

 

 

「……ほえ?」なのはは目に入った光景に、思わず間の抜けた声を出していた。

 

<どうしたのですか? マスター>真剣な声色でレイジングハート。<まさか、やはり敵ですか>

 

 上に向けてしまうと茂みから出てしまうので、なのははレイジングハートを下向きに構えていた。それのせいでレイジングハートの視覚情報では中庭に広がる光景を確認することができないのである。

 

「……ううん。敵じゃない、と、思う」

<はっきりしてください。敵ですか、味方ですか、雪風ですか>

「……雪風ちゃんだね」

<OK。つまりそれは雪風が見えていて、しかも一言では言い表せない光景が広がっているということですね>敵でも味方でもなく『雪風』という答えを選択したなのはの意図を正確にくみ取るレイジングハート。

「わかってくれて助かるよ」

<戦闘中でないのなら、私にも見せてもらえますか?>

「いいよ。……でも本当に、なにがどうなってああなったのか、全然想像もできないんだよ」

<聡明なマスターがそう言うのであれば、よほどのことなのでしょう>

「見れば、わかるよ」

 

 レイジングハートの中枢部がある先端部を少し持ち上げるなのは。自分の目線と同じ高さに持って行く。

 

 するとレイジングハートは宝石状のコア部分に『!?』に相当するミッドチルダ文字を表示した。

 

<なんなんですか、アレ>

「ね、わけがわからないでしょ」

<論理回路がショートしそうです。一体全体、なにがどうなってああなったのですか>

 

 それに関してはなのはも同意見だった。この短時間になにがどうなってあのような状況が発生したのか、まるで見当もつかない。

 

 

 どうなっているのだろう。探していた金髪の少女が、どういうわけか雪風に抱きついて、甘えるように頬を摺り寄せている。

 これはいい。まだ理解できる。なにより、微笑ましい。二人とも美少女なので目の保養になる。

 

 理解できないのはもう一つの方だ。

 

 どうしてエディス・フォスが怒った顔で仁王立ちしているのだろうか。

 

 どうしてその前でショートヘアーの女性が見事な亀甲縛りにされているのだろうか。

 

 どうしてその女性が深井零によって取り押さえられ、罪人のように地面に押し付けられているのだろうか。

 

 一体この短時間でなにがあったのか。なのはとレイジングハートはその予測を立てられないまま、しばらく唖然とし続けた。

 

 

 

 

 

「で、一体なんのつもり? いきなり襲いかかってきて」

 

 ドスの効いたフォスの言葉が紫ショートヘアーの女性に投げかけられる。普段の冗談交じりの怒った声とは全く違う、本当の怒りが入り混じった口調だった。

 フォス大尉もこんな風に怒ることがあるのか、と零は少しばかり驚くが、そもそも自分はフォス大尉の人間性などこれっぽっちも意識したことがなかったのだから知らないのも無理はない、と一人納得していた。むしろ彼女はあのクーリィ准将の親戚であるのだから当然なのかもしれない。

 

「あなたに訊いているのよ」いらだっているように、ダンッ、と足元のタイルを蹴りつけるフォス大尉。「あなたの姓名と、所属を言いなさい」

 

「……私は、聖王教会のシスターをしている、シャッハ・ヌエラという者です」

 

 大尉の鋭い目つきに気圧されたように女性が答えた。気圧されている、とは言うものその声色は凛としていて、どことなくシグナムと似た雰囲気を思わせた。きっと普段は真面目で、堅物なのだろう。戦闘マニアかどうかまではわからないが。

 

「といっても、あなたはもう知っているでしょうが」零に押さえつけられた状態で、苦しげにシャッハという女性は言った。その口元はわずかにはにかんでいるようにも見える。

「知り合いなのか」とエディスに視線を向けて零。

「さあね」二メートルほど離れたところに置いてある一対のトンファー型デバイスを顎で示してエディス。「子供相手にこんな物騒なもの振り回す知り合いなんて、いないわ」

「フムン」

 

 二人の関係をおおよそ理解する零。フォス大尉はミッドチルダに転移してきた際、車に撥ねられて怪我を負い、聖王病院に搬送されたのだ。このシャッハとかいうシスターが聖王病院の関係者であるのなら、その時に何度か顔を合わせていた可能性は充分にある。

 

 だとしても、どうしてここまでするのだろう、と零は思った。フォス大尉は雪風に命じてシャッハを武装解除させた挙句、持っていた包帯で彼女を拘束してこの自分に押さえつけさせているのだ。これはもう完全に敵対者を尋問する構えではないか。

 

 別に友人関係だったのならこの状況に疑問はない。可愛さ余って憎さ百倍とは良く言ったもので、信頼というのは強ければ強いほど、裏切られた時の反動が強く出るものだ。だから、古くからの友達に対して失望したという類の怒りであるのならこの対処も納得できた。

 

 しかしだ。フォス大尉とシャッハの関係性は長く見積もっても三日程度のモノであって、そこまで深い信頼を得られるような期間ではない。裏切った裏切られたの怒りなどさほど感じないはずだ。いったい彼女の何がここまでさせているのか、零にはわからなかった。

 

「あんたは、どうして、雪風に攻撃を仕掛けたんだ」零は抑え込む手を緩めずに訊いた。彼女の首元には雪風から借り受けたナイフを当てている。「雪風があんたに先制攻撃を仕掛けたようには見えなかったぞ」

「……ゆき、かぜ?」

 

 シャッハの整った顔が、一瞬だけ幼子のそれのようにキョトンとしたものになる。まさに、先ほど雪風の名を聞いた時のヴィヴィオの表情だった。

 

「ユキカゼ。……そう、あの白い少女は、雪風というのですね」ヴィヴィオと共にいる雪風へ視線を向けるシャッハ。「なんて、美しい」

「答えろ。どうしてあんたは雪風を攻撃した?」

「違います」毅然とした声。「私は最初から彼女を攻撃しようとしたのではありません」

「じゃあ、おれか、フォス大尉を攻撃しようとしたのか」

「それも違います。私はただ、あの少女を警戒して──」

「あの少女、って──」

 

 瞬きするほんのわずかな間、フォス大尉の顔から毒気が消える。彼女にとってその答えは意外すぎたのだ。この場に『少女』と呼べる存在は二人しかいない。雪風と、あと一人。

 

 

「……ヴィヴィオか?」零もあっけにとられた表情になる。何を言っているんだ、この女は。あんな、5歳かどうかという幼子相手にデバイスを向けるだなんて。

 

「何を考えているの!」突然フォス大尉のヒステリックな糾弾が響いた。「あんな小さな子に武器を構えるなんて! どうかしているわ! 警戒ってことは、いざとなったら武器を向けるということでしょう!?」

「あなた方はあの少女がどういう存在であるのか知らないからそう言えるんです! 攻撃するつもりはありませんでした。ただ構えたとたんに、そこの雪風に仕掛けられて。……私はシスターとして、危険を未然に防ぐために──」

 

「危険、って何よ。小さな子供が傷つけられる以上の危険があるっていうの?」地面に押し付けられたシャッハににじり寄るエディス。「子供を守るのは大人の最低限度の義務でしょう。それすらできない、いざとなったら子供を傷つけようとする輩に、何ができるっていうのよ」

「それは──」

 

「落ち着け、フォス大尉。きみが怒っても何の意味もない」冷たい口調で零が言う。彼はフォス大尉が本格的に怒っていることに気づいていた。「むしろ邪魔だ。聞き出すのに感情は不要だろう。いつものきみらしくないな。もっと冷静になったらどうだ」

「あなたは黙って──」

「だから落ち着けと言っている」反論しようとするエディスの言葉を容赦なくさえぎる零。こちらの世界に来てから久しく発していなかった静かな怒声が流れるように口から出て行く。「情報を得るのに感情はいらない。必要なのは知性だけだ。もっと物事を客観的に捉えるべきだろう。きみは、自分の患者に病状を訊くのにそこまで感情的になったり私情を持ち込んだりするのか?」

「……」

 

 今にも舌打ちしそうに、苦虫をかみつぶしたような顔でフォス大尉は零とシャッハから顔を背けた。やはりどれだけ怒っていようと彼女は理性的でプライドの高い優等生なのだ、と零は思った。頭の回転は速いが正論を言われると言い返せない。クーリィ准将の血族とはいえ、あれに比べたら小娘にも等しい。

 フォス大尉が心を沈めようと口をつぐんでいるのをしばらく見た後、零は小さくため息をついてシャッハの首筋に添えたナイフを握り直し、もう一度口を開いた。

 

「……話を戻そう。シャッハ・ヌエラ。あんたが雪風に対して敵対するつもりがなかったということは理解した。だが、どうしてあのヴィヴィオという少女をデバイス持ち出してまで警戒したんだ? おれにはただの過剰反応にしか見えなかったぞ。何かしらの根拠があってのことなんだろう?」

「はい。実は……あの少女は普通の人間ではないのです」おびえるように雪風に抱きついているヴィヴィオを見やりながらシャッハ。「人造魔導師。魔法技術のない世界出身のあなた方達流に言うのなら、彼女は人工的に操作されて生まれた生命体なのです」

 

 なんだって、と彼女と同じようにヴィヴィオへ視線を向ける零。視界の端でフォス大尉も同じような反応をしているのが分かった。人工、生命体?

 

「……クローンや、遺伝子操作で生まれた人間ってことか」シャッハの言葉を自分でも理解できるように解釈する零。あいにくと生物学は専門ではないが一般常識の範囲でならわかる。「この世界でなら魔法技術で、だが」

 

「……深井中尉、遺伝子操作は私達の世界でも一般的な技術よ。そんなに驚くことはない」そうは言いながらも零と同じく動揺を隠せていない様子のフォス大尉。わずかにとまどいがにじみ出ている。しかし医者であるがゆえか零よりは理性的な反応である。「クローンなんて牛肉生産じゃあ珍しくもないし、GMO(遺伝子組み換え作物)の技術ならトウモロコシやらジャガイモやらいくらでも使われているわ。品種改良だって見方によっては人工的な生命操作よ」

「だが、それを人間に使うとなったら話は別だろう。技術的には大したことなくても、倫理上の問題が山積みだ。……察するに、違法な手段で作成されたデザインベイビーってところか。それも魔導師としてデザインされた子供。戦闘用に特化していたり、膨大な魔力を貯めこめるようにしていたり、とか」

 

「あなたの考えはえげつないわね。……でも、警戒するとすればそれくらいしか思いつかない。しかも、こんな非人道的な実験を行う人物の心当たりといったら一人しかいない」怒りに目を細めながら言うフォス大尉。「ジェイル・スカリエッティ。……ヴィヴィオはあのマッドサイエンティストに何らかの操作を受けている可能性があるということね。あの子はスカリエッティのもとからレリックもろとも隙を見て脱走してきて、それでガジェットに追跡されていた、と。……私達の想像ではこんなところだけど、あなたの考えもこんな感じなの?」

 

「はい。まさに、その通りです」二人の理解力に唖然とした様子のまま、コクリとうなずくシャッハ。「ですから、あの少女は危険なのです。こんな病院の中庭で何らかの破壊的な魔法を行使されてしまったら、取り返しのつかない被害が発生します。私はそれを止めようと──」

 

「だからって」零がシャッハの言葉を遮ると同時にその首筋からナイフを少しだけ離す。「あの少女に暴力を行使していいという道理はないぜ。まだ何もしていないんだからな。何かの拍子に暴走してこの病院をぶっ壊した後ならまだ分かるが」

 

 零の言葉にシャッハは、むう、と押し黙った。己の判断がいささか早計であったことに感づいたらしい。

 

 その様子を見ていた零は静かにシャッハを拘束していた手を緩め、首筋に突きつけていたナイフで今度は彼女の身体を拘束していた包帯を静かに切り始める。「わかったなら、もういい。あんたに敵対する必要もなくなった」

「あ、ありがとうございます」とシャッハ。

「礼を言われる筋合いはない」

 

 クローンか、もしくは人工的に合成された遺伝子で作成された人間であるなら、ミッドチルダの文明で身元の確認が取れないのも無理はないと零は思った。探そうにも、確認すべき身元がないのだから。

 

 そう考えると妙な気分になった。あのヴィヴィオという少女はこれからどうするのだろう。身元が無いということはすなわち孤児だ。この病院から出た後、孤児院にでも入れられるのか。しかしシャッハの言う通り未だ彼女には危険な因子が付きまとっている。ジェイル・スカリエッティが彼女の身体に何らかの仕掛け──それもミッドの最新検査機器で探知できないような高度なもの──を仕込んでいる可能性は否定できない。

 

 となれば管理局の保護下と監視下に置かれるしかない。だが、それはあの年代の少女にとって苦痛となるのではなかろうか。子供は、親の愛がなければまともには育たない。もし彼女があてがわれた環境が良くないモノだったとしたら……。

 

 いや、やめよう。零はそう決断してヴィヴィオの将来を考えることを止めた。あの少女は、もう自分には関係のないことだ。あの子がこれから先どのような環境に置かれようが知ったことではない。他人に対し妙な親近感を覚えるのは特殊戦隊員としてはあまり良くない傾向だ。もう、忘れた方が良い。自分は彼女に対し何の力も与えられない。養うこともできないし、何かを教えることもできない。できないことを考えるのは、無駄なことだ。

 

 

 それらの思考を振り払うように、零はシャッハの身体を拘束する包帯の、『ここを切れば解けるかもしれない』と思う部分を手当たり次第に切っていく。シャッハの身体に傷を付けぬように。それにしてもフォス大尉はどこで亀甲縛りなんて覚えたのだろう、と心の隅で思う。

 

「人造魔導師、ね」呆れたようにフォス大尉。シャッハの拘束が解かれるのを静かに見下ろす。

「どこの世界にもろくでもないことを考える奴がいるってことだ。おれにはそんな実験をやらかす奴の思考は理解できないよ」

「同感ね」

 

「ところで」意識をエディスから再びシャッハに向ける零。「人造魔導師っていうのは、他の人間と違うところでもあるのか?」

 その質問にシャッハは首を横に振った。「何かしらの手を加えられていない限り生物学的には人間と同じです。生まれが違うってだけですね。旧世代の技術で作られたクローンなどとは違い、寿命も普通の人間と変わりありません。あの子の場合、精密検査をしても異常は発見できませんでした」

「人間に対する生殖能力と、それにより生まれた子供および子孫の生殖能力は?」零とは違い生物学的に一歩踏み込んだ質問をするフォス大尉。

「あのヴィヴィオという少女に関しては思春期に達していないので何とも言えませんが、内臓も細胞もDNAも人間と変わりありませんね。個体間レベルの誤差しかありません。ドクター・フォスの言うオッドアイに関連した先天的異常も見つかりませんでした。ですから、大人になればちゃんと結婚して子供を産めると思います」

 

 じゃあ問題ないじゃないか、と零が言った。「DNAが同じであるなら、寿命も人間と同じだろう。成長すれば人間とセックスして子孫を残せて、その子孫にも生殖能力がある。──これは確か同種かどうかの基準だったはずだ。分子生物学の観点から見ても人間と区別できず、知能も見た目も人間と同じ。生まれ方が違おうが、それはまるっきり人間だよ。今のあんたは人間を人間でないと言っているんだ。その意見の方がよっぽど危険だと思うがな」

 

 包帯を一通り切り終わると、零はシャッハの手を取って立つように促す。すると、シャッハは少し驚いたような顔つきで零を見つめた。

 

「どうした?」

「いえ、失礼ながら……あなたはもっと冷酷な人のように思えたので」シャッハの視線が己の手を取った零の手に向けられる。「第一印象とかけ離れていたので、少し、意外でした」

「別に。他人がどう思おうがおれには関係ない。あんたが冷酷だと思うならそれでいい。おれはただ自分の考えを言っただけだし、道徳的だとかそういう思想は持ち合わせていない。それに冷たくなくなったっていうのも、あんたが雪風を狙ったわけではないということを知って、警戒しなくなったってだけさ。おれはもともとこういう人間なんだ」

 

 零の言葉を聞いてから一拍おいてシャッハが口を開く。零の目線が一瞬だけ雪風の方へ向いたことに気づいたらしく、彼女はその仕草から零と雪風の関係をおおよそ把握したようだった。雪風がデバイスで、そのマスターが零であることもたぶん気づいたのだろう。

 

「──あなたにとって、雪風は大切な存在なのですね。……申し訳ない。誤解とはいえ、私は彼女に攻撃を仕掛けてしまった」

「それはもういい」

「見たところユニゾンデバイスのようですね。強い魔力を感じます」拘束を解かれたシャッハがバリアジャケットを解除する。黒のシスター服を白いケープのような布が覆っている。これが聖王教会の正装なのだろうか。「私はヴィヴィオという少女より、雪風の方を警戒すべきだったのかもしれません。あの戦闘能力は並の魔導師よりも上ですよ」

 

「まあな。だが次に会った時にまた攻撃を仕掛けるのは避けるべきだろう。彼女は一応ユニゾンデバイスの形をとってはいる。だがあれは自我を持った兵器だと思った方が良い。無機質で、冷酷で、正確無比な兵器だ。二度も攻撃を仕掛けてきた人間を兵器たる彼女が生かしておくわけがない」

 

 零が肩をすくませながら言った言葉にわずかに目を見開くシャッハ。小さな驚きと、わずかな怒り、ついでに少しの憐みの感情がその瞳から読み取れた。零も彼女が何に反応したのかすぐに分かったが、それを訂正するつもりはなかった。

 

「兵器……あなたは、雪風のマスターなのでしょう? なのに彼女を、兵器だなんて」

「そう思って接しなければこちらも危ないということだ。雪風は、下手するとあんた達の言うロスト・ロギアとかいうシロモノよりもよっぽど危険なのかもしれないんだぞ」

「まさか」

「雪風に関わっていれば、自然と分かるようになるわよ」零のマネをするように同じく肩をすくめるエディス。

「機上でゲロ吐いたきみが言うと説得力あるよな。あれも雪風の力だ」

「股ぐら蹴り飛ばすわよ。──あなたは雪風の力のほんの一部分をさっき味わっただけよ。彼女には底知れない力が眠っていると考えた方が良いわ。強力な銃を扱う時には相応の注意を払わなければならないのと同じように、彼女と関わるにも相応の注意と対応が必要になるってことなのよ」

 

「……それほどまでに、彼女は強いのですか。雪風は」

「──まあ、そんな難しく考える必要はない。ただ、雪風に関わるつもりなら、相応の覚悟と、相応の礼儀をもって接する方が良いってことだ」零がシャッハの目をまっすぐ見て言った。「今きみがおれとフォス大尉にしているようにな。シスターっていうんならそれくらい、できるだろ?」

「わかり、ました」

 

 納得いかないけれど、とりあえず礼儀をわきまえていれば問題ないか、という思考がにじみ出ているような顔でシャッハは頷く。

 実直で真面目な分、こういう時には素直になってしまう女のようだった。フェアリィだったら男軍人共のカモで、女軍人共にはからかわれるタイプだ。そもそもフェアリィにはあまりいない人種と言えるだろう。素直すぎる。

 

「それがわかったならもういい。──雪風。その子と一緒に来い。病室まで連れて行く」

「了解」

 

 少し離れてヴィヴィオに抱きつかれていた雪風は、敬礼の代わりにその細長い耳をピョコピョコと動かして肯定の意思を示した。

 彼女は敬礼しようにもヴィヴィオにガッチリと抱きしめられていて、腕を上げられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 なのはは驚愕し、その身を震わせていた。

 

 あの少女が人工生命であることも確かに驚きはした。だが今しがた、それ以上の事実が彼女の心に突き刺さった。

 物陰に隠れながら聞いた三人の会話。そのうちの一人、深井零の言葉。彼はついさっき、なんと言った?

 

『あれは自我を持った兵器だと思った方が良い。無機質で、冷酷で、正確無比な兵器だ』

 

 そう。確かにそう言った。聞き間違えの余地などどこにもない。はっきりとそう言ったのだ。

 

 

──深井さん、なんてことを──

 

 なのはは零の真意が理解できない。

 兵器。彼は、あの雪風のことを兵器だと言った。すなわち雪風は命を傷つけ奪い、何もかもを破壊し蹂躙せんとするために作られた殺戮機械であり、彼女の存在価値はそれ以外にない。──深井零は間違いなくそう言ったのだ。

 いまだに自分の耳が信じられない。あれほど雪風のことを想っていたはずの彼が、誰よりも雪風を守ろうとしていたはずの彼が、あんなことを言うなんて。表面上は冷たくても、中身は優しい人であると信じていたのに。

 

 なんて、ひどいことを。なのはは心の中で深井零に対する怒りをぶちまけた。雪風をなんだと思っているのだろうか、あの人は。最低だ。ユニゾンデバイスとはいえ、雪風にはちゃんと意思がある。感情が希薄であっても彼女はこの世のあり方をその心で受け止めているはずだ。零の言葉はそれを無碍にするものだ。雪風の意思などどうでもいい、彼女はただの兵器だ、と。

 彼は、今までそうやって雪風に接してきたのだろうか。だとしたら、許せない。

 

 彼は雪風のことを『相棒』と表現したことがあった。地球を侵略しようとするエイリアン『ジャム』を撃退するため共に戦ってきた相棒だ、と。四年間、彼らはフェアリィ星の空を共に生き抜いたのだ。

 それはある意味においてこの自分とレイジングハートの関係に近い、となのはは思った。レイジングハートはもう十年は付き合ってきた戦友だ。魔法の練習の時も戦う時も、ずっと一緒だった。そんな存在を『兵器』などとは絶対に呼べない。死んでも言うものか。このデバイスは自分の相棒であり、半身だ。世界にたった一機だけの。それを、破壊するためだけの『兵器』という概念で決めつけてしまうのはレイジングハートに対する侮辱だ。

 

 深井零にとっての雪風も自分とレイジングハートのそれに近いか、それ以上、父と娘、兄と妹、友人、恋人、戦友、それらに匹敵する絆と情で結ばれている。そうとばかり思っていたのに、実際は違った。しかも最低な形でその姿を現した。

 深井零は雪風を兵器として見なしているというのか。確かに雪風の力は強いのかもしれない。しかし彼女が何のために戦うのかすら思いやってやらず、ただ戦うための道具として使役するというのは間違っている。絶対に。それでは人間を研究の道具としてしか見なしていないスカリエッティと同類ではないか。

 

 ぎりり、と自分の歯が食いしばられる音が聞こえた。なのはにとってその音は己の怒りが脳髄から神経を通って、身体中の細胞間隙に無理矢理割り込んでいく音のように感じられた。怒りが身体中に染み渡り、膚の下までその滾りがぐらぐらと沸き立つ。

 

<……マスター?>

 

 己を握る力が不自然に強まったのを感知したレイジングハートが気づかうように声をかける。

 

「なんでもないよ、レイジングハート」なのはは冷静を装った。こんな怒りを相棒に見せたくはなかった。「なんでもない。私は、大丈夫」

<……なるほど。了解しました>

 

 レイジングハートは黙った。マスターの尋常ならざる怒りをその電子回路で感じ取ったらしく、その返答からは戸惑いと憐みが見て取れた。つまり、レイジングハートもなのはがどうして怒っているのかも理解したということだ。もう長年共にいると、互いの言いたいことなど手に取るようにわかる。

 

 なのははレイジングハートを握る手を緩め、これからどうするかを考え始めた。

 

 本音を言えば雪風を彼の下から引き離してやりたかったが、現状においてそれは無理だろう。雪風は深井零に対し絶対の信頼を置いている。それが正しいにせよ間違いにせよ、その考えは雪風の意思だ。力任せにその意思を捻じ曲げてしまうのはいただけない。じっくりと話をして、雪風に納得してもらわなければならない。

 

 雪風をどうにかするのは無理だ。しかしもう一人の女の子はどうにかなるはずだ。

 

──深井さんに、あの子を任せてなんておけない……!──

 

 なのはは決意する。ヴィヴィオという少女を彼の下に行かせてはならない。

 彼女は人造魔導師。雪風と同じように兵器として見なされる可能性がある。それは、許されないことだ。せめて普通の女の子として、まっとうな人生を送れるようにしなければならない。

 

「深井さん、エディスさん!」

 

 それまで隠れていた茂みから飛行魔法までも使って飛び出したなのはは、中庭全体に響き渡るほどの声で力強く宣言した。

 

「その子。私が引き取ります!」

 

 

 

 




<あとがき>

 今回は作中でGMO(遺伝子組み換え作物)という言葉を始め、少々生物学的な話題を出すことになりました。中高生や工学系の大学で学んだ方には少々馴染みがないかもしれませんね。

 今回書いた内容の中で一つだけ誤解を生みかねない表現があるので補足を入れておきます。
 作中で深井中尉が、『成長すれば人間とセックスして子孫を残せて、その子孫にも生殖能力がある。──これは確か同種かどうかの基準だったはずだ』と言っていましたね。

 中尉の言う通り、これは生物種が同種であるかの一つの基準となっています。馬とロバをかけ合わせても子供はできますが、その子供に生殖能力はありません。つまり馬とロバは別種、ということになるわけです。人間とチンパンジーまで違う場合はそれ以前の問題で、受精しても着床すらしないとされています。

 ただ、これには例外があります。我々ホモ・サピエンスと絶滅したホモ・ネアンデルターレンシスの場合が代表です。
 両種は生物学上別種とされていますが『我々人類と混血したのではないか』という疑惑がいつもささやかれています。
 別種なら子供ができてもその子には生殖能力がないはず。ところが、混血してもその血が脈々と受け継がれたのだとしたらネアンデルタール人は我々と同種人類ということになってしまいます。しかし、化石を見る限り形態的違いは明らか。さて困った。わけがわからないよ。

 生物が相手となると、人類の科学力はまだまだの状態です。これから生物学は発展していくでしょう。もしかしたら今の定義が覆る可能性も充分にあるのです。

 ですから、私の書いたことを鵜呑みにしないで、ぜひ最新の学説の方を参考にしてください。私はただの大学生なので。

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