魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

37 / 46
第三十三話 邪悪の狼煙

 

 敵の行ったレーダー源をわからなくする攪乱戦術の模倣は、雪風の能力をもってすればそれほど難しいことではなかった。

 インターネットから得られたこの近辺のビル配置、およびそれぞれのビルの構造をサディアスにデータ送信してもらい、雪風がそのデータを元に最適な照射角を割り出したのだ。どうということはない。ここは超高層ビルが無数に乱立している。電磁波を反射するのには困らない。

 

 敵が高度な電子戦能力を持っているというのであれば、それを逆に利用して敵を混乱させてしまえばいい。電磁波を操る高度な技術を持っているということは、すなわち電磁波を感知する技術も高度であるということだ。自分で認識することのできないモノを操ることはできない。目には目を、電磁波には電磁波を、だ。

 

 360度全方向から自分達に攻撃照準波が向けられていると分かったら、まず動揺して対応するのに時間がかかるはず。すぐに自分達が行った戦術とほぼ同じであることに気づくはずだろうが、そのわずかな時間だけでもこちらから意識を逸らしてくれれば不意をついて接近することは容易だ。

 

 そして成功した。敵はものの見事にこちらの攪乱戦術にはまり、こちらから意識をそらしてくれた。あっけなかった。相手が気づいた時にはすでにその背後をとれていた。雪風の飛行制御と電磁制御は伊達ではない。

 

 

 問題はその後だ。意外なことに、六課のヘリを撃墜しようと攻撃してきた犯人は二人の若い女性だったのだ。むしろ少女と言った方が良いかもしれない。それくらい、若い。二十代、いや下手したら十代かもしれなかった。高町なのはや八神はやてと同年代だ。一人はサングラスをかけ長い茶髪を二つの三つ編みにし、もう一人は自分の身体よりも大きそうな黒い大砲のようなものを抱え、濃い茶髪を後ろでまとめている。戦闘服のつもりなのだろうか二人とも水色のボディースーツを着ていた。首元にはナンバープレートのような金属板が取り付けられている。三つ編みサングラスはローマ数字の4で、大砲持ちは10だ。作戦行動のためのコールサインだろうか。

 

 二人の女はこちらと対峙したまま、様子をうかがうかのように動こうともしなかった。身じろぎもしない。まるで機械だ、と零は思う。人間の姿をした戦闘機械。

 

 この自分達に対し攻撃を仕掛けた敵というのは状況から考えても彼女達で間違いないと判断できた。

 というのも少女達の目つきや態度がその年頃の女性にはあり得ないほど冷たく、鋭かったからだ。研ぎ澄まされた日本刀の切っ先のように、美しくも冷酷な攻撃性が見て取れる。野獣のような生々しい獰猛さとはまた違う、無機質な殺意だ。

 それと同時に、彼女達の視線はそれとは対照的な恐怖、いわゆる『畏れ』といったものも醸し出していた。つまり敵が自らの予想を超えた動きをとったことに対する動揺と羨望、そして敬意と恐怖だ。それは非人間的で無機的な存在が認識することのできない概念であって、有機的な人間や人間的な知性体に特有のものだ。機械は畏れを抱かない。

 

 彼女達は深井零というこの敵を殺したい、倒したいと思うと同時に、手強い相手だ、怖い相手だ、とも思っているわけである。無機的な殺意と有機的な畏れ、そんな感情をこの自分に対し持つ人間が一般人であるはずがない。

 

 零は自分達に向けられるその殺意と畏れを鋭敏に感じ取り、彼女達が砲撃を行った犯人だと断定した。

 

 少女であるとはいえ、自分達の命を狙ったことに変わりはなかった。すなわち敵である。自分が軍人である以上敵は殺さなくてはならない。

 しかし同時に今は機動六課という警察機構に協力している身でもある。犯人を即時殺害することはこれから先、六課のバックアップを受ける上で非常にまずい。生きたまま捕縛する必要がある。非常に面倒くさいことではあるが仕方ない。できれば気づかれていないうちに背後から刀で心臓を一突きできればよかったのだが。相手が再び自分を殺そうと向かってきてくれれば正当防衛で殺すこともできるだろう。

 

 いざとなったらGUN攻撃で逃げる前に二人とも叩きのめせばいい。この距離でCIWSを使うことはできないが、射程まで近づけば防御魔法を展開しようとも1秒以内にケリがつく。

 ガジェットを一人で──いや一匹で十体も倒したというカールもいる。戦闘能力では負けていない。立場ではこちらが未だ上だ。

 

「市街地での危険魔法使用、および殺人未遂の現行犯、だったかな。おとなしくしてもらおう」刀で相手を指しながら零。すでに雪風に命じて二人をいつでも攻撃できるようロックオンしている。「言っておくがすでにお前達はおれの攻撃の射程内だ。逃げようとしても無駄だ」

「ケーサツだ。抵抗するな、くたばれ」にやにやと笑うカール。

「カール、くたばれ、ではダメだ。殺したら逮捕できない」

「じゃあ俺の腹の中に捕まえてやるよ」

 

 くわっ、と牙を見せながらカールが二人の少女に威嚇行動をとる。倒した獲物の血で洗い、砕いた骨で磨かれたような鋭い牙だ。エメラルド色の双眸が日の光を冷酷に反射する。シリアス。

 

「俺達に喧嘩売るなんて、いい度胸しているじゃないか。その度胸に免じて好きなところから食ってやるよ。どこから食われたい? 足か、頭か?」

 

「……」食ってやる、と息巻くカールに対し身構える二人。カールの態度からそれが冗談ではないと感じたのだろうか。しかし零には二人がライオンに立ち向かう二頭のハイエナのように見えた。警戒はしているが、おびえてはいない。

 

「とにかく、おとなしくしてもらおう」カールと二人の間に割り込むように言う零。右手の刀を両手に持ち替えて構えの姿勢をとる。ずっと昔に中学校で習った剣道を思い出すが、授業とはまったく違う実戦の空気を吸いこむことで刀の先まで神経が通じているかのような感覚を覚える。「抵抗するならただではすまさない。おれは普通の管理局員みたいに甘くはないぞ。手足かアバラの二、三本は覚悟してもらう」

 

「……そう。普通の管理局員ではないということは、やっぱりあなたが例のイレギュラーってわけね」サングラスの女が口元に笑みを浮かべながらそう言った。「やるじゃない。この私と電子戦でやりあうなんて」

「お前達の目的は何だ。あのヘリの積荷か」女の独特の甘ったるい口調が零の癇に障る。零は女の話を無視して訊いた。「それともおれ達の命か」

「別にあなた達の命なんてどうでもいいわ。私は仕事をするだけよ」

 

 女の言葉に零は口元を緩めそうになる。バカな女だ。いや小娘だ。

 仕事、ということは誰かに頼まれてか、命ぜられて行っているということだ。単純に日々の糧を得るためならどこかの店か穀物庫を襲うはず。そして六課とこの自分の命を狙ったわけではないと女は言った。それだけでこいつらの目的はあのヘリに積んだ二つのレリック、もしくは例の少女を奪取することか、六課の人間達に危機感を抱かせることの二つに絞られる。だが後者単体、ということは恐らくないだろう。危機感を抱かせるだけなら砲撃をかすらせるだけでいい。

 

 彼女達はそのブツを奪うことを仕事と言った。日々の生活に直結しない仕事。それはつまり先の通りこの女達の背後に黒幕がいるということを証明することだ。それかこの女がその黒幕の一味であるかだ。そいつらがエネルギーと例の少女を欲している。恐らく兵器としての転用だろう。金髪少女の方をどうするのかは考えたくもない。

 

 この少女達は、レリックか子供の奪取を第一の目標にしている。零はそう結論付けた。

 

 そしてレリックを狙っている人間といえば──

 

「お前達はスカリエッティの手先みたいだな」零は機械音声のように抑揚のない無機質な声で訊く。「ノコノコ出てくるなんて、こっちにとってはありがたい。探す手間が省けた」

「……!」

 

 彼の見下すような口調に腹が立ったのか、サングラスの女が歯をギリリと食いしばる。零はその反応を肯定と受け取った。

 大したことのないやつだ。女狐のように策謀の匂いを漂わせてはいるものの、感情を露わにして情報までも洩らしてしまうようではまだまだ小娘だ。クーリィ准将のような老練の女狐にはほど遠い。あの稀代の女傑には。

 

「やっぱりレリックとかいう宝石が目当てか。積荷を目当てに攻撃するなんて、スカリエッティもお前達も正真正銘の海賊じゃにゃいか」零の言葉を受けて、カールの耳元まで裂けた真っ赤な口がそう言い放つ。エメラルドグリーンの瞳が狂気に染められたように爛々と輝き出していた。「海賊は皆殺しだ。この世に生きる価値もない。この俺様の胃袋に収まるのを光栄に思え」

「……ふざけたことを言う黒猫ねぇ。海賊? それに私達を食べる、ですって? 人食いのつもり?」サングラスの女が挑発するように言う。

「へえ、勘がいいじゃないか三つ編み女」じゅるり、と舌なめずりしてカール。「気に入った。まずあんたから食ってやるよ。首かっ切って楽にしてやるから動くなよ」

 

 とたんに、黒い影が零の足元から女へ向けて飛び出した。コンクリートの床に爪を立て、全身の筋肉をしならせてカールはサングラスの少女に跳びかかった。

 

「猫のクセに!」

 

 三つ編みの女は見た目に似合わぬ俊敏さで黒猫の突撃をかわすと、その無防備な腹に蹴りを叩きこむべく脚を振り上げる。それをカールは空中で海老反るように回避。着地する寸前に空中で銀色の首輪から赤い魔力のビームを閃かせる。

 

「おっと!」

 

 女は至近距離で放たれたそれを、カールと同じく身体を大きく反らして避ける。バックステップでお互いに距離をとる一人と一匹。どちらもとてつもない俊敏さだ。

 

 そこへ砲手の少女が巨大な砲を振り上げて黒猫に襲い掛かる。この至近距離では砲撃など行えるはずもない。ならば鈍器として扱った方が手っ取り早いと考えたのだろう。

 零はカールを援護すべくすかさずGUN攻撃。同時に突撃。狙うのは振り上げられた黒い大砲。射程まで接近したことで発動したCIWSモードによる強力な連射は、その無骨な砲身を彼女の手から弾き飛ばした。しかし砲身自体は無傷だった。何かしらの防御魔法がかかっているのだろうか、単純に頑丈なのか。やっかいだ。

 素手になった女に零は牽制として刀を投げつける。零自体も女に向かって急接近しておりその距離は急速になくなりつつあるが、零の腕によって加速された刀はブーメランのように縦回転しながら零よりも速く女に接近した。

 

 女は得物を奪われたことに一瞬茫然となりながらも、その直後には自らに迫っていた回転する刀を手の甲で無造作に弾いている。零には人間技とは思えなかった。大の男が本気で投げた太刀を、素手で弾く、だって? どんな動体視力と反射神経をしているのだ。魔導師とはいえちょっとタイミングがずれただけで手がすっぱりと切断されてしまうだろうに。

 零は驚きながらも右腰に残った刀を左手で引き抜く。本物の刀であれば鯉口を切らなければならないところを、この刀は鍔と鞘の部分に細工がしてあるので片手で引き抜けるようになっていた。

 

 左手に持ったそれで女の顔めがけて切りつけた。女は零の斬撃を右の籠手のようなもので素早く防ぐ。ガキン、と甲高い金属音が鳴った。

 感触からして籠手に多少の切れ込みは入っただろうが、切断には至っていないらしい。左手とはいえ渾身の力を込めた斬撃を、女は涼しい表情で受け止めている。くそう、と零は悪態をつく。かなりの力だ。

 すかさず空いた右手で殴りつける。が、女はそれを左手でたやすく受け止めた。それどころか零の拳を握りつぶさんばかりの力を込めてきていた。魔力を込めているのだろうか、右手を構成する骨がギリギリと音を立ててきしむのが聞こえる。万力で手を破壊されるようなすさまじい痛み。

 

「この!」

 

 化け物め、と罵りながら零はその女の腹に蹴りを叩きこんだ。さすがにこれは効いたのか女は零の拳を解放して後ろに蹴り飛ばされる。二人の間に距離が生まれる。相対距離、2.5メートル。

 

「レディ、ガン。ファイア」

<RDY-CIWS/RDY-GUN/FIRE>

 

 敵はひるんだ。そして距離が空いたことでGUNの射角は確保されている。撃つなら今しかない。雪風もそう判断したのか零が指示するのと全く同時に火器システムを作動させている。射撃、2秒。魔力の浪費も射程も命中精度も考えない。リミッタ解除。最大出力。

 

 

 秒間1000発もの爆発的な連射を至近距離からその身に叩き込まれた女は、小さく悲鳴を上げてなすすべもなく倒れた。糸の切れたマリオネットのように華奢な身体が崩れ落ちる。非殺傷設定だから恐らく気絶しているか、ダメージで動けなくなったのだ。

 

 さすがにこの距離からのCIWSは避けられなかったようだが、彼女の動きに妙な感覚を覚える零。

 

 

 今のは、避けようとした?

 

 その奇妙な感覚は零の脳内で明確な言葉として無意識下から浮上する。それを理解しようと零は意識下に上がった言葉を反芻し、論理的な思考として脳内で細分化させる。戦闘意識のハイ状態を維持したまま、冷静な思考を行うという戦闘機乗りとしての高度な技術を彼は持っていた。

 

 目の前で光る何かを撃たれたら反射的に避けるのは人の性だ。初見で避けるなという方が無理といえる。だから、攻撃目標がこちらの攻撃を避けようと判断したことはいたって論理的でまっとうな事象なのである。

 

 問題なのはこの女が『こちらが撃つ前に回避動作を行った』ということなのだ。撃たれてからではなく、撃たれる前に、避けようとしたのだ。それどころか雪風が火器管制を作動させる前にはもう避ける準備をしていたようだった。少なくとも零にはそのように見えた。もし接近中に発砲していたら避けられていたかもしれない。

 

 GUN攻撃には大きな予備動作が存在しない。何の前触れもなく突然発砲できる。それがどこに向けて発射されるのかなどなおわかることではない。いつ、どこに向けて、どのくらい発射されるのかわからない攻撃。威力と連射に並ぶGUN攻撃の強みだ。それらを完璧に知っているのは零と雪風だけである。相手が知るのは発砲の瞬間だけだ。

 それを、この女は感づいた。いや、感づいたのではなく明確に知っているのだ、と零は思った。GUN攻撃のタイミングを。この自分と雪風がいつどのような状況下で撃とうとするのかを。

 

 まさか、こいつらは今回だけじゃなく、ずっとおれ達のことを──

 

 

「ふぎゃあ!」

 

 カールの叫び声と何かがコンクリートに叩きつけられる音。振り向くと、黒猫とサングラスの女が対峙していた。ビルの床面に叩きつけられたのはカールだったようだ。すでに起き上がって戦闘態勢に入っている。

 

「この、クソ猫……! しつこいのよ」

「痛いな、ひどいじゃないか……大人しく食われろよ、抵抗するなって言っただろう」

 

 カールを睨んで対峙する女の姿は、敵とはいえ痛々しかった。上腹部に鋭い爪で切り裂かれた痕があり、そこから血がしたたり落ちている。内臓までは届いていないようだがかなり深い傷だ。それと左の二の腕に噛み傷、そして同じ左の手首と上腕部にもう一つの爪痕。腹の傷はともかく腕のダメージが深刻そうだ。左腕全体が血で赤く染まっている。どれほどの力で噛みつかれ、切り裂かれたのか。

 一方カールも無傷とはいかなかったようだ。右の後ろ足が変な方向に曲がっている。黒くて分かりにくいが頭の辺りに血がにじんでいるし、動きも少し鈍くてふらついている。先ほど叩きつけられたせいで脳をやられたのかもしれない。

 

「カール!」

 

 とっさに零は黒猫を援護するべくGUN攻撃。距離があるためCIWSモードは作動しなかったが、それでも無数の光弾は高速で女に殺到する。

 

「ちっ!」

 

 ところがその女は、軽い舌打ちとともに自らに殺到したGUN攻撃をたやすく避けていた。身体を右に傾けると同時に重心を下げ、脚の力に任せて横に飛んだのだ。そして着地点では無傷の右手をサスペンションのように用い着地の衝撃を和らげ、接地点を支点としてジャンプの慣性に従い逆さの身体を右に傾けると、すかさず力を込めて片腕だけで飛び上がる。その素早くトリッキーな動きにCIWSモードを作動させていない火器管制システムはついていけない。管制システムにはこの女のありえない動きが予測できなかったのだ。

 

 零は驚いた。魔法というのは、人間にこんな動きを実現させることができるというのだろうか。この女は、飛行魔法を発動させたそぶりも見せずに右手の腕力だけで上方向に1メートルは跳んだ。それだけならスバルの辺りでもできそうなものだが、速さがありえなかった。移動速度もかなりのものだが、今まで戦ってきた誰よりも反応速度がすさまじいのだ。

 

 

 驚愕する零をよそに、雪風が強制的にCIWSモードを作動させるべく自らの火器管制システムへ割り込みをかける。零には彼女の行動がまるで回避されたことを悔しがっているようにも思えた。一拍遅れてGUNの弾幕がCIWSのそれへと変わる。

 

 ダメだった。何十発かは命中するが、大多数の弾が横方向への移動だけで避けられてしまう。零と女との距離はCIWS・GUNの最大射程よりもわずかに遠い。強制的にCIWSへと変更されたGUN攻撃はその距離において本来の威力も命中率も発揮することができなかった。CIWSモードの一発当たりの威力はたかが知れている。有効なダメージを与えられていない。

 

 これは完全に雪風の判断ミスだと零は一瞬思うが、すぐにその考えを改める。これは雪風が判断を間違えたのではない、火器管制システムが狂わされたのだ。

 

 GUN攻撃が威力を発揮できないのは、目標がCIWSモードの最大射程ギリギリにいる瞬間だ。そこは通常攻撃モードを用いるには近すぎるし、CIWSにとっては遠すぎる。二つのモードは使用している火器管制プログラムの仕様が違うため、併用することはできない。そこにいる敵にGUNを使っても素早く動かれると照準がついていけず、CIWSモードにすると射程ギリギリで同じく効果が薄い。

 そこからほんの少しでも敵が近づくなり遠ざかるなりすれば叩きのめせるので、その安全領域は幅にして数十センチあるかどうかだ。この空間に敵がいる場合、雪風の火器管制システムはどちらの攻撃モードを使えばいいのか判断できず、論理上の発振状態に陥ってしまう。

 

 恐らく雪風は、発振状態になりかけた火器管制システムを見かねて、強制的にCIWSモードを発動させたのだ。それで敵に有効的なダメージを与えられなかったとしても、一発も当たらないよりははるかにマシだ。雪風はそう考えたのだ。論理的で冷静な判断だ。雪風が悔しがることなどありえない。そんな暇があったら次の手を考えている。

 

 

 零は飛行魔法を発動させ、CIWSモードのレンジに女を入れるべく高速接近。女はそれに反応してバックステップで遠ざかろうとする。零は自らとその女との相対距離を確認し、やはり、と確信した。

 

 

 こいつらは、ずっとおれ達のことを監視していたんだ。

 

 サングラスの女は、零との距離を一定に保っていた。その間合いはちょうどCIWS・GUNの最大射程とピッタリ重なっている。偶然とは思えない。こいつは明確に火器管制の混乱を狙っているのだ。

 

 相手の攻撃の最大射程を初対面で見破るなんてことはまずありえない。何度か刃を交えなければ理解できないものだ。それをほんの数回もしないうちに理解した、ということは、すなわち何度もその攻撃を見ているということなのだ。

 零の知っている限り、彼女達との交戦はこれが初めてだ。しかし、外でGUN攻撃を使用したのはこれが初めてではない。ホテル・アグスタでは数えるのも面倒になるほど使った。その時に、こいつらがその様子を観察していたのだとしたら、つじつまが合う。

 

 だが、おれ達を観察? 何の目的でそんなことを。観察する余裕があるのならレーザーでも実弾でも使って殺してしまえばいいものを。どうしてこいつらはそれをしなかったのだ。零の脳内に疑念が渦巻く。

 

 

「クアットロ!」

 

 背後から聞こえた声。零はその声が先ほど倒した砲手の女であることにすぐ気づいた。まだ意識を保っていたのか。クアットロ、というのは今自分が対峙しているサングラス女のことだろうか、それとも何かの合言葉か合図なのか。

 

 サングラスの女から目を逸らすわけにはいかない零は、雪風の可視光受光システムと赤外線レーダーを用いて自らの背後の状況を意識下に投影する。人間が持ちうる視覚を超越した広範囲の情報を得ることは零の精神に大きな負担をかけてしまう。

 だから普段は自らの意識に反映させることなく雪風にその映像処理を任せ、緊急時や任意の時に自らの意識上に情報を流すようにしてある。しかし常時わからないというわけでもなく零自身には後ろの状況がわからないと思っていても、あてずっぽうに近い感覚でほぼ正確に答えることができた。彼の意識にはその視覚情報のフィードバックがなされておらず、知覚的な経験(クオリア)を伴っていない。ブラインドサイト。いわゆる盲視という現象に近い状況だった。意識下では知らなくても、無意識下では知っているのだ。

 

 その無意識下での情報処理において、今の状況がとんでもなく危険な状況であると零の脳は認識していた。虫の知らせの感覚に近い。だが彼の意識はそれを認識しておらず、混乱していた。無意識は『危ない』と言っているのに、意識は『わからない』と言っているのだ。無意識と意識との間に認識の齟齬である。零の行動はその齟齬を解消するための行動だった。

 

 そうやって零は自らの意識下において後ろの場景を認識した。先ほど倒したと思っていた女が、地面に這いつくばったまま、手に何かを持っている。単一乾電池を上下に二つ並べたような大きさのモノ。

 何だあれは、と零は一瞬理解が遅れるが、女の親指の位置からそれが何らかのスイッチであることをすぐ認識した。どこに隠し持っていたのだ。爆弾か? 自爆のつもりか。

 

 やめろ、と零は叫びそうになる。敵とはいえ、少女が爆死する様など、見たくもない。

 

 少女は何のためらいもなく親指でそのスイッチらしきものを起動させた。

 瞬間、スイッチの本体から四方に向けて電波が照射されるのを雪風の通常レーダーシステムによって零は視た。指向性はない。何らかのビーコンか緊急信号か、と零はそれが爆弾でなかったことに安堵しつつ彼女を警戒した。

 

「!?」

 

 異変はスイッチを押した彼女ではなく、周辺で起きた。零は予想外の出来事に驚愕する。

 煙幕だ。煙幕が四方八方から吹き出している。

 

「煙幕? 原始的にもほどがあるだろう!」

 

 そう叫ぶカールの姿も零の目では見ることができなくなった。白い煙幕がビルの屋上全体を覆い尽くそうとしている。少女達の姿も視認できない。してやられた。何も見えない。

 

「逃げるつもりか」

 

 そうはさせるか、と零は雪風に命じてIRレーダーと通常レーダーによって周囲の捜索を行わせる。早いうちならまだそう遠くまで逃げはしないはずだ。

 

 零の視界にそれらの情報が投影されるが、結果は芳しくなかった。

 

「なんだ、この煙幕は」

 

 全レーダーシステムが機能しない。空気の透明度によって影響を受ける可視光と赤外線と空間受動レーダーが使えないというのは納得できるが、強力なアクティブレーダーが使用できないというのは理解できない。雪風の殺人的出力は煙幕なんてものともしないはずなのに。

 なんということだ。まさか帯磁性の煙幕だというのか。零は驚きながら周囲を見渡し、煙幕の中に何やら細長いものが大量に、桜吹雪のごとく漂っていることに気づく。近くに来たそれを手でつかむ。短冊状に加工された、銀白色の金属箔。アルミ箔のようだ。

 

「チャフ、だと?」

 

 チャフとは電波を反射する物体を空中に散布することで、レーダーによる探知を妨害する防御兵器だ。主に金属箔やプラスチックフィルム・ワイヤーにアルミを蒸着させたものが主流となっている。それらを空中に散布すると、レーダー波が攪乱されることでレーダーシステムが正常に動作しなくなる。戦闘機においては敵のレーダー誘導式ミサイルの誘導を外すために使われるし、電子戦機などでは大量散布してチャフの雲を作ることでレーダーから己の姿を隠すことも可能だ。零のいた地球ではフレアと双璧を成す一般的な防御兵器であったし、もちろんフェアリィ空軍でも使用されている。零にとっては見慣れたモノだ。

 

 それが、四方八方にばらまかれている。これではまともにレーダーが作動するわけがない。雪風は目を封じられたも同然だ。さらに零自身の視覚が煙幕によって封じられている。自分達は完全に盲目状態になってしまった。

 

 

『深井さん、聞こえますか? なにが起きているんです?』

 

 通信回線から聞こえてくる高町なのはの声。八神はやてが要請していた応援だ。それを聞いて少し安堵する。ジャミングはかけられていないらしい。

 

「犯人をとり逃した。チャフと煙幕をばらまかれてレーダーを封じられたんだ」

『チャフと、煙幕? この白い雲のことですか』

「そうだ。今どこにいる」

『その煙幕の外です。なにも見えないので中に入ることができなくて』

「そこから犯人を追跡できないか」

『かなり広範囲に煙幕が張られていて難しいですけど、サーチャーを使ってみます』

「周到な準備のようだな、いくつものビルに煙幕発生器を仕掛けていたんだ。──わかった。犯人は手強いぞ。油断するな」

『了解しました』

 

「おい、フカイ。この煙幕危ないぞ」通信が終わるのと一緒にカールが足元まで近寄ってきて言った。右後ろ足は動かせないようだが元気そうだ。

 

「なんだ。毒入りか? お前なら平気だろう」

「違う。この煙幕、アルミの粉がかなり混ざってる」鼻をひくひくと動かしながら言うカール。「それもすごく細かいやつ」

「アルミの、粉末──」

 

 まさか、と思う零。それと同時に雪風からの警告音。IRレーダーとパッシブレーダーから得られた情報が強制的に零の視界へ重ねられる。

 

 手に持っているアルミ箔から、人間には感知できない領域の電磁波がにじみ出し始めている。雪風はこれを高エネルギー反応であると警告していた。周囲を漂うチャフからも同じエネルギーを感知。まるで爆発直前のダイナマイトのような。

 

 まずい。零はとっさにそのアルミ箔を投げ捨てると同じ腕でカールを抱え込み、雪風の飛行制御によってその身体を急上昇させる。原理はさっぱりわからないが、危険だということは直感で理解できた。

 これは敵の逃走手段などではない。攻撃手段だ。

 

 煙幕の雲から脱出すべくさらに加速。案の定、煙幕は上方向には水平方向ほど張られてはいなかったようですぐに青空が見えた。早くあそこまで行かなくては、焼かれる。零は焦った。

 

 

 直後、すさまじい熱と爆風が煙幕全体から発生。それが零とカールを足元から包み込み、その圧力をもって一人と一匹を上空に弾き飛ばした。

 

 

 一人と一匹は空中で意識を手放した。

 

 

 

 

 

「深井さん!」

 

 なのはは深井零の身体が、上空高く弾き飛ばされているのをサーチャーから送られてくる視覚情報によって認識していた。場所を特定できたのは運良く彼の近くまでサーチャーが届いてくれたからだ。

 中距離探索魔法、エリアサーチ。魔力で生成したサーチャーという消費型端末を複数飛ばすことで、術者はサーチャーの届く範囲全てを視認捜索することができる索敵に特化した魔法だ。なのはにとってはもう10年近く使ってきている十八番だ。

 

 だが一番近くに存在したそのサーチャーも爆発の余波で消し飛んでしまったらしく、白色の閃光を最後に映像送信を途絶えてしまった。その次に近くにいたサーチャーからの映像では、その周囲一帯の空間が爆発を起こしていたのを確認できたし、爆発の音もこの耳で聞こえてきていた。

 

 なのはは零が爆発に飛ばされた空域まで全力で飛んだ。煙幕が爆発を起こしたのは深井零のいる空域だけのようで、その他の場所では爆発を起こしていなかった。まるで低空に発生した雲のようにビルの上を覆っている。

 爆発が起きたと思われる中心に存在するビルは屋上部分が黒く焼け焦げており、落下防止の柵は金属製であるにも関わらず爆圧でズタズタにされていた。しかし、ビルそのものや周囲の建物の被害はそれほどでもない。見たところ水平方向への爆風が強くはたらいたようだ。爆心地のビルが比較的他のビルより高かったことが幸いした。地上では爆風でガラスが飛散するなど混乱が起きているようだが、それは他の部隊の管轄である。今は深井零と雪風とカールを助け出す方が先決だ。

 

 あらかじめサーチャーでおおよその位置把握していたため、すぐに深井零は発見できた。なのはが見つけた時には爆発で飛ばされて、斜めの弾道を空中に描きながら落下している最中だった。どうやら意識を失っているらしい。

 

 自身の持てる最高速をもって彼に接近し、地上に落下する前にそれをキャッチ。背中の羽を掴むとこちらの手が切れてしまいそうなので彼の腕を掴んだ。重かったが、支えられないわけではない。

 

「深井さん、起きてください! 深井さん!」

 

 煙幕に覆われていない手近なビルに彼の身体を下ろす。大きな外傷は確認できない。頬のあたりに軽い火傷があるのと、髪の毛が少し焦げているだけだ。しっかりとした息もしているし妙な呼吸音もない。首筋に手を当てるとちゃんと脈も感じ取れた。両目のまぶたを優しく上げると光に反応して瞳孔も小さくなった。

 さすがに内臓破裂や内出血の類はわからないが、苦しむ様子もないし命に別状もなさそうだ。バリアジャケットによるダメージ軽減が良く効いていたのだろう。そうでなければ即死していたはずだ。

 

「雪風ちゃん、聞こえる? 融合を解除して」

 

 なのはは念話と合わせて雪風に語りかける。深井零に怪我が少ないのはわかったが、それの代わりに雪風の方にダメージが行ったのではないかという不安がなのはの中に生じたのだ。

 だが雪風からの応答はない。それによってさらに不安になるなのは。

 

<ユキカゼ。深井中尉との融合を解除してください>なのはの言葉を補足するようにレイジングハート。<あなた自身へのダメージも確認しなければなりません。私の言っていることが理解できたのなら、お願いします>

『了解した』

 

 通信回線から雪風の声が聞こえてくる。彼女はどうあっても念話を使わないらしい。こんな状況ではあるが、なのはには雪風が自分よりもレイジングハートの方に反応したように思えて少し悔しくなった。

 

 一拍置いて零の身体から雪風が分離した。彼女の方は見たところ特に問題なさそうだ。この状況においてゴスロリ服というのがかなりシュールであったが、なのははそれよりも雪風が痛い思いをしていないかどうかの方が気が気でならなかった。なのはは優しかった。

 

「雪風ちゃんは大丈夫? 痛いところはない?」

「……私は問題ない。たぶん中尉も命に別状はない。ただの脳震盪と推測される」

「そう、よかった……。でも一応病院に連れていくから。心配しなくても大丈夫だからね」

「?」

 

 雪風は、よく意味がわからない、といったような表情でなのはを見つめ返した。命に別状はないというのに、なにを心配するのか、と。

 そして彼女を無視するように、雪風は零の傍に黙って寄り添った。彼の手を取って、脈を測りながらその手を握っている。

 それに対し、なのはは自分を無視されたというのに怒りを覚えなかった。なのはの目には雪風が零のことを深く心配しているように見えたのだ。大切な人が傷ついたら心配するのは至極まっとうなことだし、この自分が口出しすべきことではない。むしろ彼のことを心配してあげている雪風の優しさを褒めるべきだ、とも思った。

 

 雪風の身体をすっぽりと覆う漆黒のゴスロリ服を見て、なのははあることを思い出す。

 

「そうだ、カール。カールはどこ? 一緒にいたんじゃないの?」

「カールならここだよ、なのは」

 

 上からの声。見ると、フェイトが黒猫を抱えながら降りてきていた。腕の中のカールも同じく気絶しているようだ。

 

「フェイトちゃん」

「黒いから見つけやすくて助かったよ。もうちょっとで地面に落ちるところだった」

「うわ、すごい血」

 

 なのはは目を見張る。カールの頭部は血で赤く染まっていて、フェイトの腕を赤く濡らしている。「大丈夫なの?」

 

「これカールの血じゃなくて、犯人の血みたいなんだ。ほら」フェイトがカールの口を少し開けさせて、その鋭い牙を見せる。牙にはさらにべっとりと血が付着していた。「返り血だよ。犯人に噛みついて、その時についたんだ。頭の毛にまで染みついている。カール自身の怪我は脚だけだよ」

「それ、むしろ敵の方を心配した方が良いんじゃないかな」返り血がついているということは相当の深手を負わせたということ。犯人を殺してしまった、なんてことは御免だ。法律的にも精神衛生上においても。「少なくともこの煙幕の中を逃げるだけの元気はあったわけだから、大丈夫だと思うけど」

 

 すでに実行犯を捕縛することは諦めていた。すでにかなり遠くまで逃げてしまっているだろうし、これだけ広範囲に煙幕とチャフをばらまかれてはどうしようもない。下手に追ってまた爆発を起こされては、自分達は対処できても民間人にも被害が及ぶかもしれないのだ。どこで爆発が起こるのかわからないこの煙幕の中は地雷源と同じだ。完全に敵の間合い。

 

「この血からDNAを採取して、データベースに検索をかけよう。過去の逮捕者の中からヒットするかもしれない。──バルディッシュ、ロングアーチに連絡を。深井さんとカールを回収しないと」

<すでに連絡済です、サー。あと5分ほどでヘリが迎えにきます>

「了解」

 

「それにしても、チャフ、だっけ?」なのはは徐々に薄まりつつある煙幕を見つめながらつぶやいた。「いったい何なの? 雪風ちゃんの目から逃げ切るなんて」

 

<チャフは非常に安価な情報攪乱兵器です。アルミ箔を短冊状に切って空中にばらまくだけでレーダーの働きを妨害することができます。我々の知る地球でも陸海空全ての軍事において使用されています>なのはとフェイトに教えるような口調でレイジングハート。<同じ技術体系の中にいた雪風も当然チャフの存在を理解していますし、それの対抗策として可視光・赤外線による探知機能も有しています。ですが今回はチャフを撒き散らされたことにより通常レーダーが使用不可能になり、合わせて煙幕によって可視光・赤外線レーダーまでも使用不可能になったのです>

「な、なるほど」少々圧倒されながらなのは。「よく知っているね、レイジングハート」

<ネットで拾ってきた知識です。大したことではありません>

 

「魔力的な探知システムを使わずに、光学的な探知システムを使っている深井さんと雪風の弱点を見事に突いてきたというわけだね」納得した様子のフェイト。「普段はエリアサーチで探知できる範囲よりももっと遠くまで見えるくらい高性能で、アクティブな戦闘を行っている時でも十分な情報を得ることができるし、魔力的に見ているわけじゃないから私達が影響を受ける魔力的な妨害を受けにくい。すごく効率的で効果的なシステムだよ。でも光学的だからこそ光学的に妨害されるとその影響をモロに受けちゃうんだ」

「目には目を、光には光をってわけだね。──あとアルミホイルがばらまかれた状態でCDS撃ったら火花散って危ないし、それも狙っていたんじゃないかな」

「ああ、電子レンジのアレが起きる、と。……アルミホイルじゃなくてチャフだよ。連想しちゃうのはわかるけどさ」

 

 フェイトも料理経験は豊富なのでその手の話はすぐに理解できたようだった。深井零もカールも命に別状はなさそうなのでなのはは雑談することに抵抗を感じなかった。

 

 電子レンジというシロモノは高周波の電磁波──すなわちマイクロ波によって食品中の水分子を振動させ加熱する調理機械だ。だから水分子を含んでいるものほどより強く加熱され、含んでいないものほど加熱されにくい。

 

 一方、金属は電子レンジから出る周波数によって加熱されにくいが、金属の中に存在する電子は別だ。金属中の電子、特に金属表面の電子は電子レンジから出る電磁波を浴びると電磁波からエネルギーを吸収し、非常に速く動き出す。誘導電流だ。また金属表面の電子が活発に動き回る事によって受けた電磁波とは逆位相の波を放射するようになる。金属内部に電磁波が届かないのも、金属が電磁波を反射するのもこの原理が基になっている。

 

 そして電子レンジや雪風のCDSといった強力な電磁波を金属が受けると動き回る電子によってより強い誘導電流が生じ、これが火花となるのだ。だからアルミホイルを電子レンジに入れると周囲にマイクロ波を反射し、さらに尖った部分から火花を散らすことで機器に悪影響を与えてしまう。ただし、鳥のモモ肉を加熱する時などに骨の先にアルミ箔を巻いて加熱しすぎを防止したりすることもある。要は使い方の問題だ。

 なのはは実家が喫茶店を営んでいる上に彼女自身も料理は得意だ。原理を知らなくても電子レンジと金属の扱いについてはかなり熟知していた。

 

「あの煙幕はたぶん可燃性の粒子かガスで構成されていたんだ」なのはは足元に落ちていたチャフの一つを手に取った。陽光を浴びてキラキラと光を反射するさまは見慣れたアルミホイルと大差ない。「煙幕とチャフで目を封じられた深井さんは、相手がどこにいるかわからないから行動しようがない。ようは混乱状態になって動きが止まっちゃうわけだね。そうなったら敵は深井さんのいる空間にまとめて着火するだけ。もし深井さんに補足されて攻撃されても、少なくともCDSは防げる。CDSを撃ったらその一帯のアルミホイル──じゃなかった、チャフ全部から火花が出て、ドカン。……自滅させることもできたんだよ。深井さんはそれに気づいて脱出することにしたみたいだから良かったけど」

<確かにこの煙幕にはアルミニウムかマグネシウムのような微粒子が含まれているようです>

 

 レイジングハートの言う通り、ビルの屋上には金属の粉のようなものが薄く積もっていた。煙幕が晴れるに従って重い粒子は風に流されず地面に落下したのだ。

 

<これらが高い濃度で煙幕中に含まれていたのだとしたら、マスターの想定しているような爆発現象が起きる可能性は低くありません。いわゆる粉塵爆発というやつです。金属粒子単体で粉塵爆発を引き起こすにはかなりの濃度が必要となるでしょうが、煙幕の中に燃焼を助長するような物質が含まれていたのかもしれませんね>

「用意周到、ってレベルじゃないね。ほら、あそこの隅にも仕掛けがある。爆発の起きた場所からこんなに離れているのに」

 

 フェイトがビルの屋上の隅を指さす。見ると落下防止のフェンスの根本に、何やら筒状の物体が備え付けられていた。日本でよく見た金属製の茶筒にも見える。大きさもそのくらいだ。その下に大量のアルミ箔が落ちている。

 

「あそこから煙幕とチャフが飛び出したんだ。きっとこの辺一帯のビルに仕掛けていたんだろうね。じゃないとあんな大量の煙幕を短時間で張れるわけないもの」

「完全に計画的犯行だね。もしかしたら深井さんじゃなくて私達が来ていても、また別の妨害手段を使ってきていたかもしれないよ。──いやだなぁ。どうせなら全力全開でやって手の内全部明かしてくれた方が後々楽なのに。あの茶筒みたいな煙幕発生器には大した情報なんて残ってないだろうし」

 

 ここまで用意周到な罠を仕掛けた人間が重大な証拠を残すとは考えにくい。恐らくあの煙幕発生器はかなり原始的かつシンプルな機構のはずだ。機械を使った仕掛けというのは複雑になれば複雑になるほど大きな証拠や情報を残しやすいものなのだから。

 

「胸の中がモヤモヤしてすっきりしないのは私もだよ、なのは。とりあえず現場検証は後にして、深井さんとカールを例の女の子と一緒に聖王病院へ送ろう。ほら、ヘリも来たみたいだし」

 

 

 後ろを振り向くと、ヴァイスの操縦するヘリが風でチャフを巻き上げながら近づいてきていた。

 

 

 ヘリの巨大なローターによって引き起こされる風が薄く積もった金属粒子とチャフを巻き上げる。目に入らないようにと思わず目を細める二人。それらがきらきらと陽光を反射する様は雪国のダイヤモンドダストを思い起こさせた。本当はそこまで綺麗なものではないが、目を細めたことでほどよく視界がぼやけ、幻想的に見えるのだ。

 

 一方、零の傍らでしゃがみこんでいた雪風はヘリを出迎えるかのようにゆっくりと立ち上がる。強い風で乱れる白銀の髪を手で押さえ、もう一方の手で暴れるスカートの裾を軽く掴む。黒くて妖艶な雰囲気を生み出すドレスを着た彼女は、この光景に完全に調和しているように思えた。少なくともなのはには。その光のきらめきは彼女に、由緒正しい教会に飾られた荘厳な宗教画を連想させる。女神の降臨を描いた一幅の絵画。

 

 

 こんな時に見とれている場合ではない、と頭の中で思いつつも、高町なのはは唐突に現れた美と調和を目に焼き付けるかのように見つめていた。正確には見逃すまい、と無意識の内に視線を釘付けにされていたのだ。フェイトも同じようにその光景から目を逸らすことができないようだった。

 

 

 舞い上がる光の中で整然と佇む雪風は、幻想的で、どうしようもなく美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フムン。失敗したか」壁に表示されたディスプレイを見つめながら、大柄な東洋人が呟いた。「ま、ユキカゼが向こうにいる時点で成功する確率など知れたことだがな。逃げ切れただけでも上出来だ」

 

「言うじゃないか、ヤザワ少佐。耳が痛むよ。彼女達も私の大切な傑作の一つなのだがね。……チンクまで出しておいて正解だったよ。でなければクアットロとディエチは捕まっていた」その後ろで椅子に座りながら言う、科学者。ディスプレイのスイッチを切り替えて、別のデータを表示させる。「確かにユキカゼは脅威だ。いや驚異、だな。ジャムともあろうものがアレを警戒するというのも、最初は奇妙に思っていたのだがね。見れば見るほど驚きだ。私はあそこまで高度な知性体を知らないよ。ジャムが引き付けられるのもうなずける。我々の知る知性体。すなわち時空管理局が知りえる全次元に存在する人間、有機知性、機械知性、それらのどれよりもユキカゼは強い。──強さ云々というよりも存在のあり方も考え方さえも違うんだ。完璧な機械知性の身でありながら人間の本質を見抜き、そのあり方を悟っている。機械知性にとっての『悟り』をね。……きっと彼女は現生人類が生み出した究極の人工知性体だ」

 

「悟りとは、いいセンスだ、ドクター・スカリエッティ。……そうだな。ジャムはユキカゼもろともその『悟り』を自らのものにしようとしているのかもしれない」ヤザワと呼ばれた男は科学者に向き直る。

「悟りをダウンロード、か。面白いことを考えるじゃないか」

「彼女は機械知性である上に、思考に迷いがない。迷うという概念すらない。だから人間の側からすれば最初から悟っている、とも言えるわけだが……。ユキカゼは人間の本質をジャムよりずっと深く理解できているよ。人間とは異なる世界に生きる存在でありながら、人間と共にある。それがジャムには理解できない」

「あまりにも違いすぎるからね。機械知性は人間よりむしろジャムに近い。より真実の世界を見ている」

「だから機械と人間を融合させようと?」

 

 ヤザワはスカリエッティに対し、値踏みするような視線を投げかけた。その瞳は喜怒哀楽といった人間らしい感情が見て取れないほど、冷たく無機的だった。

 スカリエッティは一度ため息をつくと、一拍置いてから口を開いた。

 

「まあ、それもある。しかし私は人間がより機械に近づくことができたら、と君たちに会うまで考えていたんだ。非効率的な人間の肉体なんて、最高性能を発揮するには邪魔だ。より高く飛び、より速く走り、より多く殺すことができる。人の肉体では不可能なことが、機械ではできる」

「確かにそうだ」心底そうだと思うようにヤザワ。「人間は肉体に縛られている」

「しかしだ。きみたちに会って、私は人間の脳さえも非効率的であるように思えてきた。我々の意識は、この1500g程度の肉塊に縛られ、世界の真の姿を見ることが難しくなっている。見ようとするなら人間の脳と精神を捨て去らなければならない。だけど脳まで機械に置き換えたら、それはもう人間じゃない。機械になってしまう」

「フムン。やはり君は面白い人物だ。管理局が指名手配する気持ちもよく分かる」

「……この世には本来、正義も悪もないんだ」白衣のポケットに両手を入れ、感慨深そうに言うスカリエッティ。「聖も邪も、毒も薬も、もとはといえば同じものであって、それらを区別しているのはヒトの思い込みや、ヒトという人体そのものだ。私はそれが煩わしい」

「真理を探究する科学者らしいセリフだ。きみのそういった姿勢には私も敬服するよ」

「ありがとう」

 

 スカリエッティはニヤリ、とヤザワに笑みを見せた。感謝の言葉とは裏腹な、挑発的で、狂気を思わせる微笑み。

 

 

 

「報告です。『彼』の調整が終了しました」二人のやりとりをさえぎるように、背後から聞こえてくる女性の声。

「おお、ご苦労だった。ミス・ウーノ」女性の声にヤザワは振り向いて、労いの言葉を述べた。「さすがに仕事が早いな。私の部下に欲しいくらいだ」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」薄い紫のロングヘアーの、ウーノと呼ばれた女性は、ヤザワの言葉を受けても眉ひとつ動かさなかった。彼女の瞳はどこまでも冷たく、ヤザワのそれよりも機械じみていた。「『彼』はまだ麻酔が効いていて眠っていますが、数時間後には目覚めるでしょう」

 

 彼女の言葉と共に壁に設置された、いくつものディスプレイのうちの一つが起動する。その画面には手術台のようなものの上に身体を横たえた、一人の男性が映し出されていた。

 

「ウーノ、『彼』の身体の状態は?」スカリエッティが訊く。「生身と機械部分の拒絶反応は起きていないだろね」

「人工筋肉とフレームの協調性は良好です。拒絶反応も今のところありません」

「それは良かった。新型だから、うまく適合するか少し不安だったんだ。あとは試運転で正常に動作してくれれば問題はない。引き続き様子を見ていてくれ」

「了解しました」

「『彼』の武装ももうじき完成する。プロトタイプだが、使いこなせば充分な戦力として期待できるだろう」

「それはなによりだ」と満足げにヤザワ。「ありがとう、ミス・ウーノ。もう下がっていい」

「はい」

 

 短い了承の言葉を述べて、女性は身をひるがえしスタスタとその場を離れていった。カツン、カツンと無機的な床を固い靴底が叩く音が部屋に響き渡る。

 

 

 

「さて、『彼』はユキカゼへの対抗戦力たりえるかな?」わずかに歯を見せて微笑むヤザワ。

 

「わからない。しかし素体は悪くない。使い方次第とも言えるね」

 

 

 スカリエッティはヤザワに合わせるようにして笑みを作ると、ディスプレイに表示された男性の顔を見つめ、言った。

 

 

 

 

「期待しているよ。トマホーク・ジョン」

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。