魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第三十二話 瞳

 

 

「このクソ猫! あんたはいつもいつも無茶ばかりして!」いつものソフィアの怒鳴り声が、ヘリのキャビンに痛いほど強く響き渡った。

 

「にゃ、怒るなよソフィア。お前の数少ないまともな要素の顔が台無しだぜ」

「数少ないって何よ。私に長所がほとんどないみたいな言い方じゃない」

「だってソフィア、胸もないし腰の括れもないし身長もないし性格も最悪じゃないか。顔ぐらいだろう? いいところって」

<それを言うなら唯一まともな、でしょう。ソフィアにアホ面──もとい、顔以外の長所があると思いますか?>

「にゃるほど、ないな。お前の言う通りだ。たまにはにいいこというじゃないか、サディアス」

<私は常に正しいことしか言わないようにできています。あなた方と違って>

「ウソだー。いつも俺様のこと悪く言うくせに。これだから中古デバイスは性格悪くて嫌になるぜ」

<私はこの世で最も優れた性能を持つ最新鋭インテリジェントデバイスです。あなたは中古ネコでしょう。品のないボロネコです。ぜひ回収業者に引き取ってもらいたいですね>

「中古ネコ? ソフィアだってそんなひどいこと言わないぜ」

「黙れ中古ブラックホールネコと中古ポンコツデバイス。言わせておけばあんた達は──」

 

「黙らんかい! このアホトリオ!」

 

 騒ぎ続けていた一人と一機と一匹に、ぴしゃりと雷が落ちる。それは独特の訛りのせいか、それとも音量のせいか、先の怒鳴り声よりも幾分迫力があった。その声の迫力に驚いたのか言い合いを止めるアホトリオことソフィアとサディアスとカール。

 

「さっきからずぅううううううっとアホな口喧嘩聞かされる身にもならんか! 今どんな状況やと思っとるんや! 作戦行動中やで!? もっと他にやることあるんとちゃうんか?」

「作戦って言ってもさー。ガジェットは俺様が全部食ったんだから終わりだろう?」カールは目の前で目くじらを立てて怒っている八神はやてに言う。実に呑気な口調で。「早く帰ろうぜ。帰ってチョコレート食べるんだ。ベッタリチョコっていうの買ったんだよ。新製品なんだぜ。べったりと壁とかになすりつけて食べるんだ」

「何言うとるんや。今ここにレリックがあるんやで? しかも2つ! このヘリめがけてガジェットが殺到してきたらどうするんや」

「俺が食べるもん。心配いらねーよ」げふ、と盛大なゲップを吐き出すカール。若干ではあるが鉄と生肉の臭いが含まれた空気が外に放出される。「それよりもご褒美が欲しいな。俺様のおかげなんだぜ、ガジェットと戦いながらもう一個のレリック見つけ出せたのは。そうだ、牛一頭丸々ステーキにしよう! 牛を頭から丸かじりするの、一度やってみたかったんだ」

「……ほんまにもう、この黒猫は……食べることしか頭にないんか?」

<私が保証します>とサディアス。

「いらん、そないな保証はいらん」はやてはヒラヒラと手を振ってサディアスの言葉を受け流した。もう心底あきれた、という表情で。

 

「で、いったい何が起きたっていうんだ」そのさまをはやて以上の呆れ顔で見つめていた零が割って入った。「着の身着のまま連れ出されてヘリに詰め込まれたおれと雪風の身にもなってくれ。状況を説明しろ」

 

 零はもうわけがわからなかった。このミッドチルダに飛ばされた時と同じくらいに混乱していた。部屋で昼寝をしていたら何の前触れもなく八神はやてとリインフォースが突撃してきて、布団を引っぺがされてそのままヴァイスの操縦するヘリに放り込まれて、有無を言わさず市街地の上空まで直行である。半分寝ぼけた状態だった上に制服を着る暇さえなく、今の服装は寝巻きとして使っているジャージのままだ。かろうじて靴を履くことをできたのは幸運だった。

 

 足元では雪風が零にしがみつくようにして佇んでいた。彼女は彼女で、一体どんな奇天烈な状況下におかれていたのか想像もできない身なりだ。まさかのゴスロリ服である。ゴシック&ロリータ。可愛らしさを前面に押し出すロリータファッションとはまた違う、ヨーロッパの貴婦人を思わせる幻想的な装いだ。そういった一風変わったファッションが世の中に存在していることは零も知識としては知っていたが、雪風の身につけているそれがドールスタイルというタイプであることまでは理解できていなかったし知らなかった。

 黒くて落ち着いた印象を見せてはいるがやはりフリルとリボンまみれで、黒い長手袋に覆われて今は見えないものの、爪にはご丁寧にネイルまで施されているらしい。確かに雪風に良く似合っていたし美しく幻想的で、小悪魔めいた妖しさが魅力的に思える。しかしこのような格好で前線に出た人物など、ミッドチルダの歴史でもいないのではないだろうか。むしろ全次元世界のどこにもいないでほしい。

 彼女にこのような手の込んだ細工を施せる人物は六課において一人しか該当しない。すなわち零が部屋でのんびりしている間、雪風と一緒だったであろうシャマルだ。いったいこの自分がいない間に何が行われていたのだろうか、本当に想像もできない。後で個人的に問い詰めよう、と零は思う。

 

 

 零の質問にはやてはちょっと困ったような顔になって、くいくいと親指でとこうなった原因であるモノを示した。

 

「あの子や、あの子」

 

 はやての指さす先をたどってみると、ヘリの中の簡易治療台に載せられた小さな少女が目に入った。つい先ほど地上でこのヘリに搬送された金髪の少女だ。雪風よりもさらに幼い。小学校に入る前くらいの年齢なのではないだろうか。怪我をしているのかどうしてか気を失っており、シャマルとエディスが様子を見ている。

 

「あの女の子が、何がどうしてか街のマンホールの下から出てきてな。それでもってレリックの入ったケースを持っとったんよ」

「レリック?」レリックと言えばこの機動六課で回収しているロストロギア、すなわち回収すべき物であって、しかもスカリエッティがガジェットを投入して奪おうとしている重要物だ。

「で、カールがその子の出てきたマンホールの中に入って、その子を追ってきよったガジェット十体をボコボコにしたんや。カールはその後に地下水路の中で迷子になって、偶然もう一個レリックを拾ってきた。──というわけや」

「わけがわからないな」カールが単騎でガジェット10体を? にわかには信じがたい。

「ま、その辺は後で報告書見せたるから。嫌と言うほど頭に叩き込んで構わんよ。──深井さんと雪ちゃんまで呼んだんは、このヘリに積み込んだ二個のレリックを狙ってガジェットが追跡してくる可能性があったからなんや。魔導師だけが乗っているヘリならともかく、あないな子が乗っとる状態やから、戦力を万全にしときたかったんよ」

「フムン」とりあえず納得する零。すなわちレリックを狙って敵が襲い掛かってくる可能性があるため、自分と雪風はこのヘリの護衛を任されたということだ。

 

 戦力を万全に整えておきたかった、という言葉を聞いて零は無意識のうちに足元の雪風の頭に手をやっていた。彼女に触れていればいつでも融合できる、という安心感が零をそうさせていた。

 

 今このヘリの中にいる戦闘要員は、自分と雪風、あと八神はやてとリインフォースとザフィーラくらいだ。シャマルは医者だし、エディスは魔法すら使えないので論外だ。フォワードの四人は地上にいて例の地下水路を調べているらしいから数に入らないし、そもそも彼らは飛行できない。ついでに高町なのはとフェイトとヴィータも地上だ。他の地上部隊との連絡やらがあるのだろう。

 

 確かに護衛戦闘というのは恐ろしく面倒くさい。敵の狙いがこちらの撃破にあるのであればこちらが敵の攻撃を避けて、そのまま応戦すればいいだけなのだが護衛戦闘はそうもいかない。敵の狙いが自分以外に向くことの方が多いからだ。

 だから、ただこちらから応戦するだけでは相手が護衛対象を攻撃してしまうこともあり得る。爆撃機や輸送機を護衛する戦闘機の数が護衛対象の何倍も必要とされるのはそのためだ。そうでもしないと守りきれないのだ。この法則は第一次世界大戦や第二次世界大戦、そしてフェアリィ戦争にいたるまであまり変わっていない。

 

 他の部隊ならともかく、単独での作戦遂行が当たり前の特殊戦隊員である自分は護衛する戦闘に慣れていない。そして同じ戦場を共に戦ってきた雪風もまたその経験がほとんどない。特殊戦機の強力な武装は己を守るためだけに存在する。

 

 このヘリを見捨てて、仕掛けてきた敵を叩くというのも一つの手だ。しかし、ここでフォス大尉を失うのは痛い。自分と雪風を含めて三人しかいないFAFの同胞が、一人消えるのだ。同じ価値観を持った人間が。彼女は非戦闘員ではあるがジャムに対抗するための重要な戦力なのである。戦力三分の一の喪失はミッドチルダで孤立状態にある自分達にとってあまりに痛い。

 彼女を抱えて空戦できるほどの技量は自分にはないし、雪風もそこまでの出力を出せるのかどうかわからない。普段の空戦ですら背中の羽に風を当てることで揚力を生み出し、飛翔するための魔力を節約しているのだ。まともに飛べたとしても火力が不足するか、戦闘継続力が大きくそがれる可能性がある。

 

 ならば、このヘリを守るしかない。零は静かに思う。八神はやてがわざわざフォス大尉を連れてきたのはあの少女が怪我をしていたからなのでこちらから文句を言う筋合いはない。できればフォス大尉まで引きつれてきてほしくはなかったが、これから先、戦力の喪失を恐れてフォス大尉を現場まで連れていかない、というのは無理がある。フォス大尉本人も嫌がるだろう。怪我人がいる場所に危険だからという理由で直接いけないというのは医師の理念に反するからだ。

 医師だって戦場においてなくてはならない戦力である。戦力の出し惜しみは軍事において最悪の愚行だ。

 

 実に面倒なことになったな、と零は自分の考えに対し、自分で呆れる。誰かを守るために戦うというのは今まで生きてきた人生の中で初めての経験だ。考えたことすらなかった。

 自分以外の何かを守るために戦うなんていうのは、戦士が戦う理由としては最低だ。自分以外のもののために戦って、何の意味があるというのだ。そんなものは戦士とは呼べない。そのような自己犠牲的概念をもって戦う存在は騎士や、侍であって、戦士ではない。戦士は自らのために戦うものだ。誰かのために戦う者は、戦闘において最高性能を発揮することなど到底できない。戦場において自分と敵以外の物事は、己の性能を低下させるノイズでしかないからだ。

 自らのために敵を殺してこそ戦士は戦士たりえるのだ。この自分も、今までその原則に従ってフェアリィの空で戦ってきた。だからこうして生きている。

 

 今の状況はそれに反することを自分にしろと言っているわけだ。すなわち他人を守れ、と。

 なんとバカバカしい。しかもその守るべき対象がフォス大尉と、この機動六課の面々であるというのはあまりにも皮肉めいている。よりにもよって、だ。

 

──せめて、フォス大尉が魔法を使えればな──

 

 

「何考え込んでいるの、中尉」

 

 足手まといにならずに済むのに、と心の中で言おうとした時にフォス大尉が声をかけてきた。ほんの少しドキリとする零。

 

「……いや、敵がどう来るのかを考えていた」

「やっぱり中尉も、まだ敵が来ると考えているのね?」

「やつらの目的となるブツが二つもあるんだ。こんな対空戦闘もへったくれもないような輸送ヘリに。敵が仕掛けてこない、と言う方がおかしいだろう。フレアもチャフも無いんだ。対空ミサイルの一発で落とせるかもしれないんだぞ」

「それもそうよね。早く隊舎に着けばいいのだけれど、怪我人がいるんじゃあ荒っぽい操縦はできない。今こうしている間にも敵が狙っているのかもしれない」

 

「エディス先生、あの子の容体は?」零に変わってはやてが訊いた。

「疲労しているみたいだけど怪我もそれほどひどくはないし、今のところ命に別状はない。血圧は少し低めなだけ、体温も平常、瞳孔の大きさは異常なしだし、対光反射も左右ともに良好。バイタルは安定しているわ。でも──」

「何か、変わったところが?」

「簡単に眼検をしてみたのだけれど。あの子、虹彩異色症みたいなの」

「こ、虹彩異色症?」

「一般的にはオッドアイと呼ばれるものよ。左右で虹彩の色が違うの。あの子は右目がグリーンで左目が赤だったわ」

「なんや、オッドアイのことか。ややこしい名前やとわからんわ。……私は医学とかには詳しくないんやけど、珍しいんか?」

「犬や猫ではたまにあるのだけれど、人間では稀ね。ワーデンベルグ症候群などといった遺伝による先天性のものと、病気や薬品、事故によって虹彩が変質する後天性のものがあるわ。後者ならともかく、前者だと厄介な先天性の症状を抱えている場合もある。もちろん何の異常も認められない人もいるわ。──あの子はどうなのかここの診療機材だけではわからない。ちゃんとした病院で検査してみるのがいいかもしれない」

「ちゃんとした病院、な。……戻ったら聖王病院に連れて行った方がええんかもな」

「それが一番だと思う」

 

 こくりとエディスが頷いた。気のせいかどうかわからないが、彼女がやたらと輝いて見える。やはり己を必要とされる状況と言うのは嬉しいのだろう。正確にはその能力を、だが。今の彼女は己の知識を存分に披露する機会を与えられて、喜んでいるのだ。彼女が褒められれば褒められるほど力を発揮するタイプの人間であるのかは知らないが、少なくともやる気は出してくれているようだ。

 それはこの自分にとっても良いことだ。零は満足そうに窓の外を見やった。ミッドチルダにおけるFAFの戦力の三分の一を占めるエディスが、彼女に持てるだけの力──最高性能──を引き出しているのであれば、それはすなわちFAFが三分の一の力を少なくとも出せているということなのだから。あとは残り三分の二を受け持つ自分と雪風がしっかりと力を発揮さえすれば、FAFが最高性能を出していることになる。

 常に最適の健闘をすれば、そう簡単に負けることはないし、不安になることもない。

 

 

 ふと、この自分は雪風から見て最高の性能を引き出せているのかと思い、零は足にしがみつく雪風を見やった。

 雪風はじっとこちらを見つめていた。まるでこの自分を品定め、いや、見極めているかのような視線が零を射抜いていた。

 

「……どうした、雪風」

 

 零は意味ありげな視線を投げかける彼女に思わず訊いていた。夏の奥深い青空を写し取ったような美しい瞳に見つめられるのは嫌ではなかった。天使に優しく微笑みかけられているのと同じような感覚で、むしろ心地よい。それほど雪風の瞳は美しい。宝石のようだ。

 しかし、雪風のその眼がこちらになにかを訴えかけているように零には感じられた。

 

「……誰かが、このヘリを見ている」

「なんだと?」

 

 雪風の言葉が予想外のモノだったせいか、通常英語で答えた彼女にFAF語で訊き返してしまった。何者かが、こちらを見ている、だって?

 

「狙われている、というのか。このヘリが」いや、しかしそれは予測されていることではある。

 

 零の問いに対し、ふるふると頭を横に振る雪風。頭に斜めに着けられた小さいシルクハットのような帽子がその揺れで少しだけずれる。

 

「狙われる、という言葉は正しくない。より正確に言い表すのであれば、監視されている」零に合わせてFAF語で話す雪風。

「監視、か」零はほんの少し安堵する。照準されているわけではないらしい。「まさか偵察か? ガジェットの」

「そこまではわからない。しかし、微弱なレーダー照射を受けている。どこから照射されているのか判断できない」

 

 どこからかわからないというのはどういうことだ、と訊き返そうとしたところで窓の外を見て気づく零。今、六課のヘリは多数のビル群の間を縫うように飛んでいる。窓の外の景色も並び立つ超高層ビルばかりだ。

 

「そうか、レーダー波がビルに反射して、干渉しあっているのか。これではどこから浴びせられているのかわからないな」

「少なくとも攻撃照準波でないことは確か。レーダー波をかく乱する高層建築物が多数存在するこの空域・高度において、これほど弱い出力ではどんなFCSも正常に機能しない。あくまでこちらの行動を見るためだけに照射しているものと推測される」

「……他の奴に、言った方が良いか?」

 

 もしかしたら敵はこちらがレーダー照射に反応することを望んでいる可能性もある。例えばレーダー照射を避けたり、照射元を捜索するといったこちら側の反応を記録しようとしているのかもしれない。もしくはそれらの行動をこちらがとることを予想して、罠を仕掛けているのかもしれない。こういう状況下では敵の思惑に乗せられないよう慎重に行動しなければならないのだ。下手に騒ぎを大きくするのはかえってまずい。

 

 零の提案に、こくりとうなずく雪風。また帽子がずれたので少し直してやる。どうやら彼女は六課の人間を無力だとは考えていないようだ。少なからず頼りにはしているらしい。

 

「わかった。話してくるからちょっと待ってろ。何かあったらおれかフォス大尉に伝えるんだ」

「それは緊急事態や、状況が変化した場合に、という認識で問題ないか」

「問題ない。──それともしこのヘリが撃墜されそうな事態になって、状況の好転が望めなかった場合、雪風、お前だけでも脱出しろ」

「了解した」

 

 何のためらいもなく、簡潔なFAF英語で雪風はそう答えた。それはすなわち、いざという時は深井零を含めた全員を見捨てろ、という命令を肯定したことを意味していた。冷酷で、論理的で、非感情的な命令だ。人間が話すにはあまりにも機械的なFAF語がその冷たさを助長する。

 もしこれが六課の人間の場合だったら、戸惑うか、苦い顔で了承するか、命令を拒否するなどといった反応を見せるだろう。零は無意識のうちにそう考えていた。少なくとも雪風は暖かくて人間味あふれる六課の人間達の影響を受けてはいないらしい。この自分のようには。

 彼女さえ変わらないのであれば、自分にもまだ元のブーメラン戦士に戻る余地があるということになる。冷酷で論理的で、非感情的なフェアリィの戦士に。雪風は自分達FAFの指標とも言える存在だ。雪風が雪風でさえいてくれれば、それでいいのだ。

 

 

 零が納得したようにうなずき、少女の容体と処置についてエディスと話し込んでいる八神はやてのもとへと向かうと、雪風は一拍置いて窓の外へ視線を向けた。

 

 ふわりと粉雪のような髪が流れ、黒を基調とした服に装飾されたリボンとフリルが風に揺れ動く。一幅の絵画を思わせる優雅な姿は、見た者を即座に魅了してしまうほど、美しかった。

 

 しかし、もしその第三者が彼女の眼を真正面から見ていたとしたら、心に抱いた彼女の美しく優雅な印象を即座に翻すことになるだろう。畏れと敬意をもって。

 

 彼女の眼差しは獲物を探す肉食獣のそれであった。

 

 

 

 

 

「見えたわ。方位210。情報通り単機よ。速度約70ノット。ポイントBからCに向けて飛行中。進路変更なし」

「了解」

 

 とある高層ビルの屋上に二人の女が佇んでいた。一人は何やら機械じみたサングラスのようなものを用いて辺りを探り、もう一人はその華奢な身体に似合わぬほど巨大な、黒い大砲のようなものを構えていた。

 砲撃手である女は、隣の女の報告をもとに射撃位置を調整。手に持った大砲がほんのわずかだが動く。

 

「射程までは?」

「あと50秒。砲撃ポイントまではあと40秒」

 

 砲に備え付けられた機器を軽く操作するロングヘアーの女性。吹き付ける風が後ろにまとめられた彼女の長い茶髪をなびかせる。彼女の目つきは一般人からすると考えられないほど冷たく、機械的だ。

 

「そろそろかしら」砲手を務める少女の隣で、それまでサングラスをかけていた女がそれを外し、首元にかけていた丸眼鏡をかけた。そしてそのサングラスを興味深そうに見つめる。「本当にこれ便利ねぇ。ここらへん一帯の状況が手に取るようにわかるわ」

 

 それは何度も聞いた、と言いたげに砲手の女性は誰にも聞こえないほど小さなため息をついた。確かにその小型HMD付きのヘッドセットは便利なのかもしれない。しかしそれをいちいちこの場で言うのは止めてもらいたい、彼女の甘ったるい声色と合わさって、正直うっとうしいのだ。

 

 その新型ヘッドセットは通常のレーダー探査機能に加えて、ビルに反射したレーダー波までもをキャッチして、それがどこから反射してきたのかを自動的に光学処理して持ち主に見せてくれるという機能まで備わっている。ようは多数の鏡に反射して元の像が解らなくなったものを、電子的に処理して元の姿に復元するということなのだそうだ。

 

 それは彼女の能力も合わさることでとてつもない汎用性を誇ることになる、と砲手の女性は聞いていた。先の原理を応用することによって、逆にこちらからレーダー波を四方八方に発し、無数のビルに反射したそれを目標の探知に利用することもできるそうだ。相手にしてみればレーダー波が360度全方向から来るため、どこから照射されているのかわからない。通常のレーダーシステムとは一線をかくす機構だ。

 

 そう、確かアグスタとかいうホテルをガジェットで戦闘を高空から偵察させたときに、生き残って帰還した何機かの戦闘情報記録を参考に作りあげたと『ドクター』は言っていた。とあるデバイスが保有しているレーダー探査能力と強力なEMP攻撃能力に目を付けたのだとか。詳しくは聞かされていない。正直言って、それらからどのような発想を経てこのようなレーダーシステムを構築することができたのか、自分には皆目見当がつかない。

 

 しかし、役に立っていることは確かである。実際、自分達はそのデバイスの持つ電磁的探知から逃れ、こうして対象に知られることなくビルの屋上に陣取ることができているのはそのシステムのおかげだ。そうでなければ今頃、その強力なレーダーを持つ相手に見つけられてしまっているはずだから。

 

 狙撃において身を隠すのは特に重要だ。狙撃手はそう簡単に動くことはできない。己のいる場所が敵にばれたら死んだと思った方がいいかもしれない。その点においてこのシステムは実にありがたい。まあ今は見つけられていないにせよ、狙撃の基本は『撃ったらすぐに移動』もしくは『隠れる』だ。この一発を撃ったらすぐに退却。敵に射撃位置を悟られてはならない。悟られる前に、潰す。

 

「絶対に外しちゃダメよ」

「……了解」

 

 ガチリ、と砲の安全装置を解除しながら答える。見えた。遥か遠くで、大型のヘリがビルの陰から姿を現す。報告通りゆっくり飛んでくる。先の特殊レーダーシステムで得られる情報が正しいと証明されたわけだ。

 

 外す方が難しいと女性は思ったが、万が一のため、砲に備え付けられた攻撃照準ディスプレイを操作して、目標の像を拡大表示させる。このディスプレイも『ドクター』が新たに備え付けてくれたものだ。先のシステムと同じように件のデバイスを参考にした高度な機構を備えているようだったが、よく分からない。しかしその画面に表示された輸送ヘリの像は、空気の揺らめきを自動で補正しているためか非常にくっきりと見えた。窓から中の様子まで見えそうだ。

 

 ふと、そのヘリの側面にある窓に人影があることに気づく。人影というよりも、顔だ。7歳か8歳くらいの女の子だ。上空から眺める景色を堪能しているのだろうか、きょろきょろと無邪気に外を見回している。この距離からではその人相を詳しく確認することはできないが、純白の髪の美人だった。頭に乗せた小さな帽子も良く似合っていて、とても可愛らしい。

 そのような幼気な少女をも撃ち殺すことは残酷ではある。が、今は仕事だ。変なことを考えると手元が狂う。悔やむのは帰ってからでも問題ない。砲手の女性は気持ちを切り替える。

 

「ジャミング開始」

 

 眼鏡の女が呟くと同時に、ディスプレイの表示が一瞬だけ乱れる。撃つときは攻撃照準波を出さなくてはならないが、それは同時にこちら側の位置を露呈してしまうことにつながる。なら、その照準波もどこからきているのかわからないようにしてしまえばいい。先のヘッドセットを用いればより簡単なのだが、眼鏡の女にとってそれはお茶の子さいさいといったところだ。視認している目標相手なら、ヘッドセットの補助などいらない。

 

「FCS作動。トラックナンバー2628。対空目標。発射用意」

 

 冷酷に告げる。向こうはジャミングに気づいているのかもしれないが、もう逃げられない。攻撃照準波を照射。ロックオン。トリガーに指を重ねる。冷たい金属の感触。

 

「カウントダウン開始。20秒前、マーク」

 

 眼鏡の女の言う通り、心の中でカウントダウンを開始する。照準を覗き込み、狙いを定める。

 

 狙いを定める中、先ほど見えた女の子の姿がまた見えた。かわいそうに、あの少女はこれから自分の身に何が起こるのか知らないまま死ぬのだ。砲手の女性はそう考えるが、いや、今は仕事中なのだ、と己に強く言い聞かせるように一瞬だけ強く目を瞑った。忘れろ。悔やむのは後だ。

 

 

 そうして目を開けるが──彼女の眼に信じがたい光景が映し出された。

 

 

 先の少女と、目が合ったのだ。

 

 

 ありえなかった。あの距離からこちらの姿を視認することなど到底できるはずがない。こちらはジャミングを施しているからレーダーで確認することもできないはずだ。それなのにあの少女はこちらを、見た。

 

 たまたま、偶然、あの少女の視線がこちら側に近い方向を向いただけだ、という仮説も考えられた。一般的な思考ならばそう考えるのが自然だが、それは絶対に違う、という確信が持てた。あの少女は間違いなくこちらに気づいて視線を向けたのだ。

 

 なぜなら、少女の目つきが、まるで獲物を食らおうとする獣のようだからだ。喉元にナイフを突きつけられていると思わせるほどの威圧感。これほどの距離を超えて間近に迫る殺気。少女らしさも、可愛らしさもない。だがそれでも残酷なまでに美しいと思わせる冷たい瞳。それがこの自分を射抜いている。

 

 お前を、殺してやる──少女の視線はそう告げていた。

 

 一瞬で喉の渇きを覚えた。カラカラになった口の中は緊張と恐怖で一滴の唾液も分泌されない。萎縮した体は鳥肌すら立つことを許さない。信じられないほどの威圧感。

 

「3、2、1、ゼロ」

 

 反射的に、あたかも草食動物が肉食動物に襲われた時とっさに逃げ出すのと同じように、砲のトリガーを引いていた。防御反応といったところだろうか。偶然にも発射タイミングは眼鏡の女性のカウントダウンが終わるよりもちょっと早いだけで済んだ。

 

 瞬間、砲の内部に爆発的な熱量が発生するのを肌で感じる。その強力なエネルギーは砲身を高速で突き進み、人間には認識できないほどわずかな時間で砲口に達する。砲口から吹き出すのは血のように赤く、触れたものを徹底的に破壊するエネルギーの奔流である。

 熱と光と破壊を伴うそれは大気を切り裂き、一直線に目標の未来位置に向かっていく。あまりにも強いエネルギーのため、目標との間に存在する大気による減衰をほとんど受けることもなかった。

 

 女性は、勝った、と思った。莫大なエネルギーで構成された砲撃はあと3秒もたたないうちに目標ヘリコプターの外装を突き抜け、中の乗員もろとも破壊するだろう。あの輸送ヘリに攻撃の手段が存在しないことを踏まえれば、相討ちの可能性もない。完全なる勝利を達成できる。

 

 あの白い少女がこちらの姿に気づいたのは確かに驚異的ではあるし、実際に心の底から湧き上がるような恐ろしさを感じた。しかし、それがどうした。例え気づかれようとも撃破してしまえば問題ない。あの少女が気づいたところで、もう手遅れだったのだ。周囲に脅威となりうる魔導師はいない。防御手段もない。ならばこちらの勝利に決まっている。

 

 

 だが、目標へとエネルギービームが向かうさなか、砲手と眼鏡の少女が全く想定していなかった事態が発生し、その確信は完全に外れてしまうのだった。

 

 

 敵ヘリコプターが、大きく翻ったのである。

 

 

 

 

 

<ソフィア、大変です>

「どうしたの、サディアス。私の部屋でカールの溜め込んだ菓子でも爆発炎上したの?」

「う、うそだ。信管は食べたから、爆発なんかするはずが──」

「本当? 本当に、爆発する菓子があるの?」

「ダイナマイトって飴はとっても甘くてうまいんだぜ」

「カール、それは飴じゃない、あんた──」

<ソフィア、緊急です。このヘリは何者かに狙われています>

「ほら見なさい、今度こそあんたの溜め込んだ菓子を全部没収──なんですって?」

 

「サディアスも気づきおったんか」はやてがソフィアたちに近寄って言った。「今、深井さんからも同じこと言われたんよ。雪ちゃんが気づいたんや」

<さすがはユキカゼ>サディアスが心から讃えるように言う。<素晴らしい高性能です。私が認めただけのことはありますね>

「それは良いとして、どう狙われているっていうのよ。ロックオンされているとでもいうの?」

<現在、このヘリの周囲にあるビルから来る特殊なレーダー波を感知しました。最初はどこかの航空機か船が照射したものがビルに反射しているものだと推測したのですが、この電波はまるで我々をホーミングするかのように照射されているのです。つまり、このヘリが移動すれば電波の入射角や強度が変わるか、そもそも感知できなくなるはずなのです。しかし、そうではなくビルに反射したレーダー波が常に我々に当たるように調節されている>

「それで狙われている、と判断したわけね」納得したようにソフィア。「相手もずいぶんと手の込んだことをしてくるじゃない。ガジェットではないわね、こんなまどろっこしいやり方。あいつらなら数で押し通すはずだもの」

 

「だが、やっかいではある」零は二人と一機の間に割り込むようにして言った。「敵が照準波を照射してくるならまだしも、ただこちらを見ているだけだからな。ひょっとしたらレーダー波の当たらない方向へ誘導するつもりなのかもしれないし、ただ単にこちらの様子を見ているだけ、ということもあり得る。敵の狙いがわからないことほどやっかいなのはないぞ」

<深井中尉、残念ながら敵の狙いは明らかです>

「なんだというんだ」

<たった今、強力なジャミング電波と同時に攻撃照準波を感知しました。ロックオンされています。九時の方向です>

 

 サディアスがそう告げた瞬間、全員の表情が凍りつき、零にはまるで時が止まったかのように感じられた。

 最初に動いたのはソフィアだった。

 彼女はキャビンからコックピットへ突っ込むと、座っているヴァイスに飛びかかるような格好で操縦席に転がり込んだ。直後、ヘリのキャビンに警報が鳴り響く。敵の攻撃が迫っていることを示す警告音。

 

「ほんまに撃って来よった!」

「耐衝撃体勢をとれ!」零はエディスとシャマルに叫ぶと、とっさに雪風の元へと駆け寄った。すかさず融合。脱出を図ろうとするが、サディアスの言う通り進路方向左側の窓を見やり、その向こうに赤いビームのようなものが迫っているのを見て、間に合わないことを悟る。

 

──墜ちる!──

 

 そう思った。敵の攻撃はもうこのヘリの間近まで迫っている。しかもちゃちな射撃ではない、砲撃だ。高町なのはが撃つような、恐ろしく強力なエネルギーの奔流だ。あんなものを食らったら、ただではすまない。敵がご丁寧に非殺傷設定をしてくれている可能性は低い。下手したらあのビームに飲まれて死ぬことになる。くそう、と悪態をつく零。

 

 だがその直後、零は足元が急激に傾斜するのを感じた。尋常でない速度でキャビン全体が右に傾いていく。傾斜するというよりは見えない巨人の手に振り回されているような荒っぽさだ。キャビンだけでない、コクピットも、全部が回転しようとしている。横転。

 時間的に敵の攻撃はまだ命中していない。ならば、これはヘリの回避行動なのだろうか。零はとっさにフォス大尉のそばへ急接近し、その襟首を掴んだ。キャア、と悲鳴をあげられるが今は緊急事態なので無視。となりを見ればシャマルが例の金髪の少女をかばうように抱きしめていた。考えることは同じだったようで、シャマルは零とほぼ同時に飛行魔法を発動させてキャビンの床から浮き上がる。

 

 傾斜を初めて一秒も経たずにヘリは元の体勢とは真逆になった。すなわち上下逆さまだ。ローターによる揚力を失い、重力に引かれてヘリ全体が落下するのを感じるが、零は雪風の飛行制御によりキャビンの床にも壁にも天井にも触れない程度に飛行している。雪風の表示により、ヘリ自体が50メートル以上も落下したことを知る。

 

 ヘリはその回転を止めずに、そのままの勢いで逆さまの状態からもとの体勢へと戻る。傾斜を初めてから二秒弱が経っていた。

 回転運動が収まると同じくしてギシリという音が機体全体から聞こえるが、これは落下にブレーキがかかりフレームに急激な負荷が発生したことによるものだろう、と零は判断している。それほどこのヘリにかかった荷重は大きかったわけだ。きっと機体を支えるローターにはもっと大きな負荷がかかったはずで、下手したら空中分解していたかもしれない。ぞっとする。

 

「おい、バカ! いきなりスティックを蹴るやつがあるか! 危うく機体がバラバラになるところだったぞ!」

「うるさいわね、たかだかロールしただけじゃない。それに敵の砲撃を避けられたんだから結果オーライでしょ」

 

 ぞっとしたところでヘリのコクピットから男と女の言い争いが聞こえてきた。声からしてヴァイスとソフィアだ。自分達が生きているということと今の会話から、敵の攻撃を回避することに成功したようだった。

 

「このヘリは輸送用なんだ。戦闘ヘリじゃない! 次に無茶な機動をしたら死ぬぞ!」

「そんなんだから墜とされかけるのよ。操縦代わりなさい」

「素人がそう簡単にこの機体を扱えるわけない。どけ、邪魔だ! 前が見えん!」

「やってみなきゃわからないでしょ。シミュレーターもやったことないけどね」

「論外だ。スティックから手を離せ! スロットルに触るな! おい、それはペダルじゃない、俺の足だ。踏むな!」

 

 ああ、なるほど。だいたい理解できた。零はフムン、と息をつく。今の急激な横転はソフィアが無理矢理行ったものなのだ。あのような空中分解寸前の機動を、敵の攻撃を回避するためとはいえ一級ライセンスを持つヴァイスがするはずがない。結果オーライではあるが、まともな判断能力と操縦能力を持っているなら絶対に選択するはずのない回避行動だ。

 

「わー、ソフィア。ズルいズルい。俺にもやらせろよ。リプレイしようぜ」

「このアホネコ、計器をかじるな! こら、尻尾がくすぐったいんだよ!」

<カール、これはゲームではないのです。シリアスですよ>

「ちぇー、つまんない」

「お前ら出てけ!」

 

 ついでに聞こえてくるカールとサディアスの声。このトリオは本当に行動が予測不能なのにわかりやすい。見なくても会話を聞くだけで今コクピットがどんな状況にあるのか手に取るようにわかる。ヴァイスも気の毒なやつだな、と一瞬だけ同情する零。

 

「まったく、なんだっていうのよ」ヴァイスに追い出されたソフィアがキャビンに戻りながら言う。「どこのどいつよ。ただの通りすがりに砲撃してくるなんて、まるで海賊じゃない。ぶっ殺してやる」

「敵は海賊だ」ギラリと牙を見せてカール。「ぶちのめせ。海賊は皆殺しだ」

<海賊行為を働くものには等しく死を。地獄に叩き落してやりましょう>

 

 そう息巻くソフィアはいつの間にか戦闘用のバリアジャケット姿になっていた。

 ソフィアのバリアジャケットは通常の武装局員のそれとは一線を画す迷彩入り戦闘服タイプだ。作業服にも似た長袖長ズボンに、同じく迷彩を施した鉄帽、ついでに戦闘靴。派手さや華麗さはあまりなく、どう見ても地球の陸軍の戦闘服にしか見えないゴツさがある。断言はできないがたぶんアメリカ系だ。

 迷彩の色は自由に変えることができるらしく、零は彼女が試しに設定したベイビーピンクの迷彩で六課をうろついているのを見て唖然としたことがある。ファイアレッドの迷彩を見た時は消火ロボットかなにかと思ったくらいだ。

 今は市街地戦を想定してかコンクリートに似た灰色迷彩だ。「敵は海賊よ。一匹残らず撃ち殺してやる」

 

「あー。盛り上がっとるとこ悪いんやけど、殺しはアカンよ?」人間形態のザフィーラに抱えられた八神はやてが血気盛んな一人と一機と一匹に言う。「ソフィアさんは引き続きこのヘリの警護や。──それと深井さん、出撃や。市街地での危険魔法使用、および殺人未遂の現行犯。どんな輩かわからんけど、絶対に確保するんや。なのはちゃん達には連絡入れて応援に来させるさかい、それまで粘ってや」

 

「了解」零はフォス大尉を床に下ろして答える。「出撃する。ハッチを開けてくれ」

「中尉、気を付けて」零に掴まれたせいで乱れてしまった服を整えながらFAF語でエディス。「敵は電子戦もやってくるみたいよ。これまで通りにはいかないわ。フェアリィでの戦いを思い出すことね」

「きみに言われるまでもないさ。むしろ、ようやく電子戦を仕掛けてくる敵が出てきた、と言うべきだろう。フェアリィではそっちの方が多かったんだから。雪風の本領発揮というわけだ」

「あなたと雪風にはこの世界における電子戦の経験なんてないのよ。今回は、相手が常識外の手段を使ってくる可能性が高い。サディアスの言っていたことが本当なら、敵はレーダーの反射波までも自由に扱える相当に手ごわい相手よ」

 

 エディスの言うことももっともだった。ガジェット相手の電子戦なんて、せいぜいジャミングを施せば済む程度のものでジャミングしかえされることなんてなかった。しかしこのヘリを狙ってきた敵は違う。ビルに反射するレーダー波の一つ一つまでもほぼ完璧に制御できるほどの技量を持っているのだ。それに加えて先の砲撃からわかるように火力も強大ときている。

 

 だが、それがどうした。零は思う。敵は明確にこちらを殺そうとする意図を持っていた。ならばここで相手をまいたとしてもまた命を狙ってくる可能性がある。ひょっとしたら敵の狙いはヘリに積んであるレリックなどではなく、この自分か、はたまた雪風なのかもしれない。もしそうだとしたらここで逃げても追ってくるだろう。今は逃げおおせたとしても、夜中にこちらの寝首を掻きにくる可能性だってある。充分に脅威だ。

 

 今は敵が攻撃してきたことによって相手がどこにいるのかわかっている状態だ。ならば今叩くしかない。蚊と同じだ。見えないところに隠れた蚊を潰すのは難しいが、血を吸いにノコノコ出てきたところを潰すのは簡単だし、次に吸血されるリスクがなくなるため追い払うよりも遥かに効率的となる。今はまさにその状態だ。敵はこちらの血を吸うことに失敗し、どこかへ隠れようと逃げだしている最中だ。物陰に隠れて見つからなくなる前に殺さなくてはならない。隠れられては見つけるのが難しくなる。

 この自分と雪風の生存の妨げになるというのであれば、叩き潰すだけだ。蚊を殺すように、無慈悲に。

 

「おれは特殊戦のブーメラン戦士だ」零はフォス大尉に向き直って言った。「どんな相手だろうと生きて帰ってくるだけだ。最低でも敵の情報は持って帰るさ」

「そんなこと言っていると、足元掬われるわよ。そういうのを日本じゃ『死亡フラグ』って言うんでしょ? 『もうなにも怖くない』とか『別にあれを倒してしまっても構わんのだろう?』みたいなセリフを言った人物はその後の戦いで死ぬ可能性が高いってやつ」

「妙な知識を仕入れてくるな、きみは。……大丈夫だ、問題ない。そういうのはフィクションの中の話だ」

「……妙に不安になるのは気のせいかしら」

「雪風がいるさ」微妙な顔をするエディスに吹き出しながら零。「彼女がいる限り、おれは負けない。雪風が負けると思うか?」

「……ものすごい説得力があるわ。それなら心配なさそうね。──グッドラック、深井中尉、雪風。敵にFAFの力を思い知らせてやりなさい」

「ああ。きみも、な」

 

 二人の会話に答えるようにかのように、雪風が視界に表示してくる。

 

<EVERYTHING IS RDY ...Lt.>

「ブーメラン1。深井中尉、雪風。発進する」

 

 零の要請通り、後部ハッチが開いた。零は雪風に飛行魔法を展開させるように指示。後部ハッチから空中に飛び出した。

 

 

「俺も行くぞー!」

「あ、カール! まちなさい!」

「むは」

 

 頭に毛むくじゃらの何かが飛びつく感覚。視界の端に黒い猫の尻尾らしきものが見えたことでカールが自分の頭に飛び乗ったことに気づく零。振り払おうにもすでに空の上だ。地上まで100メートル以上ある。とにかく今は敵を補足することが優先されるので零はカールを頭の上に乗せたままビル群の間を飛行することにした。雪風の精密な魔力制御と空力制御によって零の身体は飛行機のように空を翔る。

 

「何のつもりだ、カール」

「ずるいずるい! 俺にもやらせろ! 海賊をぶっ殺すんだ! ガジェット10体じゃ腹の足しにもならない」

「お前はヘリで待っていろ。邪魔だ」

「俺はヘリで待機しろなんて言われてないもんね。留守番はソフィアだ」

「とにかくおれの頭に乗るな。せめて背中に乗れ」

「はーい」珍しくカールは素直に従った。頭にしがみつく体勢から零の肩に前足を置いて背中に引っ付く状態になる。

 

≪深井中尉、聞こえますか≫念話のように聞こえてくる声。サディアスの声だ。念話ではなく電波か何かで通信しているのか若干ノイズが流れている。≪うまくカールを振り落せましたか?≫

『背中に引っ付いたままだ』雪風のレーダーシステムを考慮して電磁波で通信を行い、そして雪風がそれを自動で音声に変換したのだろう、と零は判断し、雪風に命じて己の声をサディアスと同じ方式の通信波にして返答。『仕方ないからこのまま行く』

≪了解しました。カールはどこか適当な場所で振り落してください、なるべく高いところで。──今、そちらに敵の位置情報をデータ送信しました。敵がまだ動いていないとするなら、目標はそこにいます≫

 

 それを聞いた零は、視界の中央付近に赤いターゲットサイトが表示されていることに気づく。雪風がサディアスからのデータを受け取り、それをレーダーに反映させたに違いない。敵は、あそこだ。

 

「ブーメラン1、エンゲージ」零は左腰の刀を抜き、雪風とサディアスに向けて宣言する。

<B-1 YUKIKAZE ENGAGE/TARGET LOCK ON>

 

 零の宣言に答えるように、雪風はそう告げた。

 

 

 

 

 

「ヘ、ヘリがひっくり返った……?」

 

 周到に準備を重ねてきた奇襲が失敗に終わったことを、眼鏡の女性──クアットロは信じられない、といった表情で認識していた。空の彼方へと消えて行った砲撃が場の無常観を増幅させる。

 そんなバカな。あのヘリコプターは純粋な輸送ヘリであって、戦闘ヘリや偵察ヘリではないことは事前調査で分かっていた。間近に迫った砲撃に対して横転で避けるような変態的な行動を行えるはずがない。もし行えば空中分解の危険があるからだ。確かに輸送ヘリは自機の重量を遥かに上回る荷重に耐えられるほど頑丈に作られてはいるが、大型輸送機で曲芸飛行するのと同じで、どう考えても無茶だ。

 

 それなのにあの機体は何の躊躇もなく、まるで操縦桿を足で蹴飛ばしたかのように乱暴な動きで右にロールした。あれでは中の乗員もただでは済まないだろうが、しかしヘリそのものが無傷であることは事実だ。

 

「いったいどんなパイロットが乗っているのかしら」

「……少なくともまともな頭のパイロットではないと思う」手に持った砲の構えを解かずに砲手のディエチが言う。「あの動きでは、フレームの各所に歪みが生じる。ローターにもその軸にもダメージが入る。まともなパイロットならあんな動きはしない。もうあの機体は激しい機動を行えない」

「じゃあ、もう一発撃てば当たるのかしら?」

「単純に考えればそう。しかし現在の状況では現実的ではない」

「どうしてかしら?」

「たった今、ヘリの後部ハッチから空戦魔導師と思われる物体が飛び出してきた」砲の高性能複合画像認識システムのディスプレイを覗き込みながらディエチ。「こっちに向かってきている。接触まで3分もない」

「あら、まだいたのね。せっかく地上に主だった奴らを引き付けておいたのに」

「それよりも、魔導師が攻撃照準波を照射している。危険」

 

 なるほど、やつが例のユニゾンデバイス持ちか、と感慨深そうにクアットロは眼鏡を外し、先ほどまでつけていたサングラス型のヘッドセットを装着する。

 通常の魔導師は攻撃照準波など出さない。魔法による戦闘は基本的に目視で行われ、レーダー類を使用しないからだ。魔法を使用した場合の高速戦闘ではレーダーディスプレイなどを見る暇がないので目視で敵を認識し、自分の勘と裁量でその敵を攻撃した方が手っ取り早いというのもそうだが、時空管理局が定める質量兵器の定義に引っかかる可能性があるのだ。

 だというのにそれを平然と使用しているということは、その魔導師は法律を軽視しているか、魔法的にレーダー波を放出し魔法的にそれを認識しているかのどちらかということになる。

 

 自分達が知っている中で、それに該当する人物は一人しかいない。いや二人、の方が正しいか。この自分の能力と正面から対決しうる高度な電子戦闘能力を持ち、高い機動性と攻撃力で多数のガジェットを葬ってきた強敵。

 あのドクターが、このヘッドセットを開発する際に参考にしたというほど電磁波の扱いに優れている相手だ。油断はできないが、同時に正面から戦ってみたくもある。彼と自分のどちらが電子戦の王者なのか、白黒つけてみたいものだ。そんなプライドから来る戦闘欲求がクアットロの心を刺激する。

 しかし、今は退却だ。

 

「撤収よ。ポイントD7へ退却」

「了解。──敵がビルの陰に隠れた? 攻撃照準波消失」

「あらぁ? こっちの出方をうかがっているのかしら」

 

 妙ね、とクアットロはヘッドセットを通して得られる情報を見て首をかしげる。件の魔導師は、突然進路を変更し、手近にあったビルの陰に隠れてしまった。あのままこちらに接近してしまえばいいものを、あの魔導師は何を考えているのだろう。

 

「怖気づいたのかしら。とにかく今のうちに逃げちゃいましょう」

「──! 方位010・040・090・110・120から同時に攻撃照準波!」

 

 なんですって。非現実的なディエチの報告を聞いて、クアットロはヘッドセット横の操作ダイヤルを動かして周囲を見渡す。とたんに彼女の表情が驚愕に歪む。

 

「な、なによこれ!? 方位130・150・190……ほとんど全方向から狙われている!? どういうことよ!」

 

 ありえなかった。攻撃照準波が、まるで自分達をぐるりと取り囲むようにほぼ全方位から照射されている。先に目視した魔導師のいる位置から来るのは当然として、それとは全く違う方向からも照射されている。

 これはつまり、自分達が多数の敵に方位されていることを意味している。しかもその敵はロックオンに攻撃照準波を使用するほど高度なレーダーシステムを用いていることになる。だがそんなことはありえない。今の時空管理局の人間達がそのような探知手段を使用するなんてことは、まずない。だというのにこれだけの数の照準源があるということは、いったいどういうことなのだ。

 

 動揺するクアットロの頭の中に、とある考えが浮かぶ。もしかして、この攻撃照準波群は──

 

「まさか……!」

 

「そのまさか、だ」

 

 スタン、と背後に誰かが降りたつ音。それと男性の声。ディエチとクアットロはほぼ同時に振り向いていた。

 

 そこに立っていたのは、すらりとした長身の男性。黒いフライトスーツのようなバリアジャケットに身を包み、背中からは四枚の黒い羽が突き出ている。彼の足元には今にも跳びかかってきそうな黒猫の姿。

 

 クアットロは戦慄した。この男は自分達の戦術を、技術を、ほんのわずかな時間でモノにしたというのか。ありえない。そんな才能を持つ人間を自分達は知らない。あのドクターでさえ不可能だろう。

 

 化物だ、こいつらは。そんな思考が頭をよぎる。

 

 

 男は右手に握った剣をこちらに向けて、静かに口を開く。足元の黒猫もニヤリと牙をむき出しにして笑みを浮かべていた。

 

 

「お前達を、捕まえにきた」

 

 

 彼らの瞳は獲物を見定める肉食獣のそれであった。

 

 

 


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