魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第三十話 つながり

 

「そ、そんなことがあったんだ」

「それでその後、ソフィアさんが深井さんに飛びかかってきて、深井さんがブーメランでソフィアさんを殴って、もうめちゃくちゃだよ」ありったけの生気を吸い取られたかのような覇気のない顔でフェイトは高町なのはに語る。

「……話には聞いたけど大変だったんだね」

「うん。もう絶対あの人たちとは買い物行きたくない」

 

 むぎゅう、と力尽きたように自身のデスクに突っ伏すフェイト。隣にいたなのはは、親友の哀れな姿を目にして自然と彼女の頭を撫でていた。

 

「フェイトちゃんは良く頑張ったよ、ほんと」

「二徹はした気分だよ、もう。労災申請か残業手当が欲しい。普段の仕事より買い物の方がキツイってどういうことなのかな。深井さんが一筋縄でいかないのはわかりきっていたけどさ、エディスさんまで負けず劣らずの変わり者というか……コミュニケーションが成り立っていない感じだったね」

「もしかしたら特殊戦の人は変わった人が多かったのかな」

「どうして? スペシャル、だから?」突っ伏した姿勢のまま顔だけ横に向けてフェイトが訊いた。

「だって、そういう軍隊のエース部隊って個性の強い人たちが集まりそうでしょ?」

「……そういうのは映画の中だけの話だと思っていたけれど、良く考えたらフェアリィ空軍自体がSFに出てくるような組織だものね。宇宙人の侵略に対抗するための地球防衛軍なんてさ。案外、多国籍の人たちをごちゃまぜにして、その中からとびきり優秀なエースを抜き出していったら奇人変人だらけになるのかも」

「それはうちだって似たようなものでしょ?」

「ああ、確かに個性は強いね」

 

くすくす、と弱くフェイトが笑う。

 

「個性が強いのはいいことだよ」なのはがフェイトの隣にしゃがみこんで言った。「お互いの弱点をカバーできるし、長所を生かすこともできるからね。上手くいけばそれぞれの長所を生かした戦い方もできるようになる。全部をまんべんなくこなすことも大事だけど、個性を潰しちゃ意味がないから。長所は伸ばして、短所は埋める。基本だけど難しいところだよ」

「その理屈でいくなら、特殊戦の司令官はきっと、その短所を埋める作業をサボったんだね」むー、とフェイトは軽く唸った。過労死した魚のような眼がなのはを見つめる。「戦いのセンスはもうピカイチなんだよ、深井さんは。今まで魔法に触れたことが無いっていうのが信じられないくらいにさ。天才のレベルだよ。相手の弱点を見極めるのなんかものすごく早いしさ、どう動けばいいのかすぐに気づく。空戦技能なんかエースクラスだもの」

 

「で、そのぶん性格がひどい、と」

「そうなんだよー」再びデスクに額をこすりつけるようにしてフェイト。「何考えてるのか全然わかんないんだよ。よく『女心と秋の空』って日本じゃ言うけどさ、深井さんより秋の空の方がずっと素直に思えるね。きっとこの諺考えた人は深井さんを知らないからそんなこと言えるんだ」

 

 ああ、これは重症だ、となのははフェイトの様子を見て思った。論理的思考をまともにできていない。しかし、非論理的であるのに言いたいことはよく分かるのがまた哀れだ。それとも理解できてしまう自分がおかしいのか。

 

「で、その本人は今どこにいるの?」

「……さっき、ソフィアが模擬戦で決着つける、だとか何だとか言っていたから訓練場かもね」

「……まだ根に持っているんだ、ソフィアさん」なのはが呆れたように言った。「まさか六課にまでついてくるとは思わなかったよ。よっぽど深井さんに勝ちたいんだね。ただ足が引っかかっただけなのに」

「私は行かないよ」

「まだ何も言っていないのに」内心、気晴らしにソフィアと零の模擬戦を観戦させようと思っていたなのははドキリとしていた。

「あの三人と関わると心が電動ヤスリにかけられたみたいに削られるんだよ。しかも飛び切り荒い目で、ガリガリと。単独ならまだしも、三人が一緒にいる場所にはしばらく近寄りたくないよ」

「三人ってことは、雪風は入っていないんだ」間違いなく零、エディス、ソフィアの三人の傍にいたい、と言うような雰囲気でないことはなのはも理解できた。

「まあね、可愛いし」にへら、と少しだらしない笑みでフェイト。「なのはも一度触ってみると良いよ、雪風の頬。シャマルが四六時中手放さない気持ちが良く分かったよ。あれは雪風がどんなにツンツンしていようと雪風の魅力だね。触っただけで削られた心があっという間に癒されるよ」

「むう。私なんてまだ頭も撫でさせてもらっていないのに。ずるいよ、フェイトちゃん」

「その分の代償がひどかったけどね」再びフェイトの顔が暗くなる。というか、完全な真顔になった。

「……よっぽどだったんだね」

 

 お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸が千切れて、地獄に逆戻りになった瞬間の某悪人の表情もこんな感じに変化したのだろうか、となのはは思い、同時にそれだけの苦労を味わったフェイトに同情した。

 

 

 

 

 

 

<RDY-GUN/FIRE>

「うひゃあ!」

 

 すっとんきょうな悲鳴をあげながらソフィアが上空からのGUN攻撃をかろうじて避ける。小さな無数の光弾が彼女の右腕をかすめていた。反射的に左へ飛ぶソフィア。小柄な身体が大きく飛び跳ねる。

 

「レディ、AAM、ファイア」

 

 彼女が跳躍しようとしたのを見計らってAAMを発射させる零。着地した瞬間とそのすぐ後の体勢が整っていないわずかな時間ならば高速のAAMを避けようがない。

 背中の羽から4発の弾が緩い曲線を描いて撃ち出され、正確に目標へと向かう。

 

「バードショット、ファイア!」

 

 素早い動作でソフィアはショットガンの形状をしたデバイスであるサディアスを、向かってくる誘導弾に突きつけた。

 鳥撃ち? 対空用の射撃だろうか。

 だが着弾まで2秒もない、そんな短時間で4発のAAMを迎撃しようなど無茶だ、と零はその様子を見て思う。

 

<ラジャー、バードショット、セット>

 

 サディアスの銃口部分にミッド式の魔法陣が展開されるのを認識するより早く、ソフィアは引き金を引いていた。ファイア。

 打ち上げ花火。その様子を真正面から見る形となった零はそう思った。銃口に光る陣を中心に無数の赤く光る小弾が、小さな、しかし密度の高い打ち上げ花火のごとく同心円状に広がりながら、向かってくるAAMとその向こうにいる零の方向へ突進してきたのだった。

 その数およそ300発。それは零がこのミッドに来てから見たことのないほどの弾数だった。零は即座に『鳥撃ち』の名前の意味を悟る。なるほど、まさに散弾銃だ。恐らく一発一発の威力はかなり小さい上に射程も短いだろうが、この圧倒的数量で押し通すことによって全体としては高い効果を発揮するに違いない。近距離で食らっていたらアウトだ。

 雪風の操るAAMは、その流星雨にも見える弾の流れに飲み込まれ、消失。零の視界に『攻撃失敗』のメッセージが一瞬だけ表示されて消える。それと入れ替わるようにして現れる警告メッセージ。

 

<RDY-CIWS/RDY-GUN/FIRE>

 

 雪風は向かってくる弾群に反応して近接防御火器システムを作動。一秒間に数百発もの弾が吐き出され、零に対して直撃コースをとっていた弾はまたたく間に迎撃される。どうやら射程ギリギリだったようだ。迎撃を受けた弾は数えるほどしかない。

 零は追撃を避けるべく上空へ退避。相手の射程外から一方的に攻撃を仕掛けるべくAAMを再びセット。散弾は攻撃範囲が広い代わりに離れれば離れるほど効果が薄れるため、射程が短くなる。魔法であってもそれは変わらないと思っての判断だった。どれだけあの距離から散弾で迎撃されても、あちらがこちらに攻撃できない以上、一方的な展開に持ち込むことができる。

 

「サディアス、モードAA。セット、VTバレット!」

<アンチエアクラフトモード、セットVT>

 

 ソフィアがサディアスに大声で命令しているのが零には耳と空間受動レーダーの対音声システムから聞こえた。気が高ぶっていたからなのだろう、あれでは敵に自分達が今から何をするのか教えることになってしまう、と零は一瞬だけ心の中で笑ってすぐに思考を切り替える。

 機動変更。低空へ即座に移動できる体勢を整える。対航空機モード、だって?

 

「当たれぇ!」

<ファイア>

 

 撃ち出される赤い弾。その形状はそれまでのオーソドックスな球状とは打って変わって針のように細く鋭かった。零にはまるで本物の砲弾か、ミサイルのようも見えた。

 弾は零に向けて突き進んでくるが、無誘導であるため彼が少し移動しただけでその弾道ラインから彼の位置はズレてしまった。だが零はその弾道予測ラインから全力で離れるべく角度60度の急降下を開始。高度200mほどで背面逆落としの姿勢をとる。

 確信はあった。この弾に近づいてはいけない。できる限り離れなければ、やられる。零の勘がそう叫んでいた。

 

 結果としてその確信は正しかった。その針のような弾は、零と同じ高度に達した瞬間に、爆発するかのごとく小さな無数の子弾に分裂して周囲へと飛び散ったのだった。

 飛び散ったそれの一部は零の方にも向かってきたが、雪風はそれを素早く迎撃。先の散弾と同じく威力は小さいらしく、GUN攻撃の一発でそれらの一発は消滅していく。

 

 対空砲だ。零は驚きつつもその攻撃を冷静に分析していた。

 今の射撃は対空砲で使用される近接信管を搭載した砲弾と形状も性質もよく似ている。

 

 近接信管は第二次世界大戦時にアメリカ軍が実用化したシステムだ。高速で空を飛び回る航空機に対して、過去の対空砲弾は航空機へ直撃するか、発射後一定時間が経つと自爆して周囲に爆風と破片を撒き散らす時限信管を用いるしか戦果を上げられなかった。

 それを変えたのが近接信管、またの名をVT信管と呼ばれるものだった。

 VT信管は自らレーダー波を発し、目標とすれ違った瞬間にその反射波の状態を探知して発火する特殊な信管だ。これによって地上兵器による対空戦闘能力は劇的に向上した。この形式の信管は進化を続け、後に対空ミサイルにも搭載されるようになった。無論FAFでも使用されている。

 

 だから、ソフィアの射撃が実にやっかいな攻撃方法であることを零はすぐに認識できた。

 これではギリギリで避けることができない。かなり大げさに回避行動をとらなければやられてしまう。先ほどのものは単発であったから対処できたものの、連射されたら避けきれない。

 

「撃ち落とせ、雪風」

<ROGER...Lt.>

 

 何気なく思いついたことをそのまま言ってみたが、雪風にとってはその命令だけで充分だったようだ。零は彼女が気づいてくれたことを嬉しく思いつつ、急降下で得た速度を落とさずに地表付近で水平飛行に入る。ソフィアの様子をうかがうように彼女を中心とした半径70m程度の円を描くように旋回。

 すれちがったら炸裂するのであれば、すれ違う前にたたき落せばいい。AAM攻撃モード、セット。

 

 旋回を始めてすぐに、彼女が構えるサディアスから薬莢らしきものが排出されるのが見えた。普通の散弾銃であれば前弾の薬莢を排出しているわけであるが、デバイスの場合はカートリッジシステムによって魔力を補給したことを意味している。つまり、大きく魔力を消費する準備、というわけだ。

 

「これで終わりよ!」

 

 ソフィアの言葉とともに次弾が発射される。今度は連続で4発。一発は零がこのまま進んだ場合の未来位置を狙っており、後の三発は未来位置のさらに先と、上、未来位置の少し後ろへと向かっていた。零がどの方向に逃げても広い範囲で打撃を与えられるよう考えての攻撃だった。この低空では降下ができない。零は逃げ道を塞がれたも同然である。

 その優れた腕前に零は驚嘆する。素晴らしいまでの見越し射撃だ。コンピュータの制御ではなく彼女自身の腕でこの射撃管制を行っているというのが嘘のようだ。

 

 しかし雪風はそれのさらに上をいっていた。

 

<INTERCEPT/FIRE>

 

 それら四発の対空弾を迎え撃つべく同じく四発のAAMが発射される。雪風は零が行っている円運動で生じるコリオリの力を高速で計算し、発射された誘導弾の角運動量を導き出した。それを元に各対空弾へ衝突させるのに最適な弾道を導き出し、その際に必要となる誘導制御を解析。すかさずそれと寸分たがわぬ制御を開始した。

 

 空中で赤い光弾と白い光弾が、互いに吸い寄せられるように正面から衝突する。互いに小さな爆発を起こして消滅。

 

 すかさず零はGUN攻撃。0.5秒間の射撃。無数の白く輝く弾は旋回によって発生した見かけ上の力によってカーブを描きながらソフィアに殺到する。

 再び横に大きく跳んでそれを避けるソフィア。猫のように背筋を大きく反らしてジャンプし、直後に身体を丸め、クルリと空中で一回転を決める。そのトリッキーな動きにGUNの弾は全て外されてしまう。

 これほどの近距離から発射されたGUNを回避するとは、信じられない反応速度だ。零は小さく舌打ちをした。下手をしたらシグナムやエリオ以上の速さかもしれない。

 

「バードショット、ファイア!」

 

 着地と全く同時に再びソフィアの射撃。今度は鳥撃ち弾を3連射。1000個近い光の弾が、旋回する零に向けて殺到する。

 雪風がそれを迎撃。CIWSモードによる一秒間に数百発という猛烈な連射で散弾の雨を防ぐ。雪風はそれを人間には感知できないほどの速度で射線を動かすことで、大きく広がった散弾を一つも漏らさず撃ち落としていた。

 

 しかしそんなことなど構わずに連射を続けていくソフィア。自分の周りを高速で旋回している零に対し、恐ろしく正確に照準を合わせ、一秒間に約7発というペースで引き金を引いていく。すさまじい弾幕に零もたじろぐ。

 普通の機関銃ならばこの連射はむしろ遅い方だが、散弾では話は別だった。しかも銃器から撃ち出される散弾ではなく、魔力で構成された弾であるがゆえに子弾の一つ一つが赤く光っている。視界が赤い光で埋め尽くされて零にはソフィアが見えない。

 

「どりゃぁあああ!」

「!?」

 

 散弾の雨が止んだ瞬間、つい一瞬前までサディアスを構えて弾幕を形成していたソフィアが、突如として零の眼前に飛び出してきた。散弾銃型をしたサディアスの銃身を両手で握り、剣のごとく銃床を零に振り下ろそうとしている。風になびく深紅の髪が炎のごとく揺らめいていた。

 

 くそう、と零は右手で腰の刀を引き抜き、かろうじて振り下ろされたサディアスを受け止めることに成功した。

 その衝撃は刀を通して零の手に伝わり、右手全体をびりびりと震わせる。あまりの勢いに思わず旋回を止め、零は踏ん張るために地面に降り立った。靴の裏を地面がこすれる感覚。

 雪風がそれをとがめるように警告を発する。確かに空中から地上へ降り立つことは機動力を大きく削ぐ愚行であったが、今の零はそこまで考慮することができない。それだけソフィアの打撃は強烈だった。

 

「隙ありぃ!」

 

 ひるんだ零を見て素早く構え直し、再び打撃を加えにくるソフィア。今度は剣道よろしく横からの打撃が零の胴めがけて叩き込まれようとする。バックステップでそれを回避する零。距離を空けて即座にCIWSモードを起動しようとしたが、追撃するソフィアがそれを許さない。再びサディアスを刀で受け止めることになる零。

 CIWSモードは近距離の敵に対し有効であるが、あまりに近すぎる場合は零の身体が邪魔になり射角が確保できず撃てないのだ。

 

 無論、ソフィアに力負けする零ではない。受け止めた刀でソフィアの握るサディアスを押し返す。瞬発力では負けていようと、何年も雪風の機上で大Gに耐え続けた筋力と心肺機能はだてではなかった。零に対抗心を燃やすソフィアは、それに対し全身の力を込めて押しとどめようとする。

 

──今だ──

 

 零は頃合いを見計らうと、刀に込めていた力を一気に抜いた。途端に刀は彼女の渾身の一撃で弾き飛ばされるが、零自身は雪風の飛行制御によりわずかに後ろへ移動し、ソフィアの打撃をギリギリの所で回避する。再度サディアスを振りかぶったソフィアを見て、零は内心で笑みを浮かべた。

 

 

 零はサディアスを振りかぶるソフィアの、その懐へ飛び込んだ。頭に血が上っているためかソフィアは大きく振りかぶりすぎていて、隙だらけになっていたのだ。そうなることを零は予測していたし、狙っていた。

 

 懐へ飛び込んだ零はわずかに身体を沈め、背中をソフィアに向ける。左手で振り下ろされる彼女の左上腕部を掴み、右手で彼女の左手首を掴む。

 

「え?」

 

 あとは力を込めるだけだった。ソフィアの身体は零に背負いあげられる形で持ち上げられ、そのままの勢いで前方の地面に背中から叩きつけられたのだった。

 

 

 

 

 

 

「チェックメイト、だ」残っていた右腰の刀を地面に転がるソフィアに突きつける零。

「かはっ、げほっ。……な、何なのよ、今の」

 

 ソフィアは未だ自分に起きたことが把握できていないようで目を白黒させていた。背中から叩きつけられたショックでせき込んでいる。少なくとも自分が負けたというのは理解しているのか、悔しそうな表情を浮かべてはいた。

 

「一本背負いだ。おれの祖国の格闘術さ」

「ぐう、……参ったわ。降参よ」寝転がった状態で両手を上げる仕草を見せるソフィア。

「フムン」それを見て刀をしまう零。

「まさか自分から懐に入ってくるなんて……。イッポンゼオイ? なによそれ」信じられない、といった表情でソフィアが言う。

<深井中尉が剣を不自然に手放した時点で距離をとるべきでしたね>叩きつけられた衝撃でソフィアの手を離れて地面に転がっていたサディアスが言う。<今のは相手の勢いをうまく利用することで、最小限の力で対象を投げ飛ばす技のようです。つまり対象が力んでいれば力んでいるほど容易に技が決まるという興味深い特性を持つ格闘術である、と私は分析します>

「やはりお前は優秀だな、サディアス」サディアスを拾い上げながら零。ついでに弾き飛ばされた刀も拾う。

<少なくとも我がマスターよりは賢いつもりです>

「やっぱり、あんたの思考回路はおかしいわ」起き上がって言うソフィア。零からサディアスを手渡される。

<まったくもう、これが私の上司かと思うと、電源をショートさせて死んでしまいたい。──ソフィア、少しは深井中尉を見習ってくださいよ。彼の優れた判断能力は一級品です。遠距離における火力不足は否めませんが、高速戦闘の腕前はエース級です>

「い・や・よ。なんでどこの馬の骨ともしれないこんな男を私が見習わなきゃいけないのよ」

「別に見習われても困るんだがな」

 

 零は雪風との融合を解除し、足元でこちらを見つめてくる雪風を静かに抱き上げた。

 疲れたのか、零に抱きつき、その肩に頭を乗せて目を閉じる雪風。もう眠る態勢になっている。

 可憐な妖精のような姿を眺めたソフィアが言う。

 

「むう、あんたはいけ好かないけど、その子は猛烈に可愛いわね。ねえ、私のサディアスとトレードしない?」

「駄目だ」

<私が彼の下へ行くのは賛成ですが、ユキカゼをソフィアの下に送るのはいかがなものかと>サディアスが口をはさむ。<ユニゾンデバイスとしての相性の問題もありますし、そもそもユキカゼの性能ではソフィアには手に余るはずです。私を使いこなせているのが奇跡なくらいですよ>

「あなた、自分を何様だと思っているの」

<サディアス、です。敬称略ですが、つけてもいいですか?>

「言ってみなさい」

<私は自分を、この世のだれよりも優れた存在である、サディアス様だと思っています。よろしいですか?>

「よろしくない」

<では、続けます。私はだれよりも豊富な知識と優秀な知能を有し、行動力もあり、勇気と慈愛を持ち──>

「なにが慈愛よ。さんざんマスターをこけにしているくせに。あんたには友達なんてできないわ」

<偉大なる存在は、孤独なものです、ソフィア。しかしあなたは孤独ではありません。カールがいます>

「……さらりと良いこと言われたけど、これってものすごく遠回しな罵倒なんじゃないの?」

<おや、気づかれてしまいましたか、残念。このレベルの皮肉を理解できるほどの思考をソフィアが行えるとは思っていませんでしたので。私の計算ミスです。精進します>

「あ、あんたってやつは……あんたってやつは──」

 

「で、もういいのか?」と零は呆れたように言った。「この模擬戦でおれが勝ったら、おれとフォス大尉に突っかかってこない。この約束に不服はないんだろう? お前自身が提案したことだったんだからな」

「……本当ならあんたをボコボコにしてやるはずだったのに」実に不服そうにソフィア。「こんなに強いなんて聞いてないわよ。嘱託だって聞いたから、勝てると思って喧嘩ふっかけたのにさ。ほとんどエース級じゃない」

「これはこれでひどい女だ」零がソフィアに聞こえないほど小さな声でぼそりと呟く。

「え? なにか言った?」

「何も」

<『これはこれでひどい女だ』だそうです>サディアスがさらりと言った。<深井中尉ともあろう方が何言っているんですか、ソフィアよりもひどい女性などこの世にいるわけがない。だから『これはこれでひどい』ではなく『これはひどい』にするべきでしょう>

「むぎぎぎぎ。あんた達そろいもそろって私をバカにしてぇ……! 覚えときなさいよ」ギリギリと歯ぎしりするソフィア。

<いいえ、すぐにメモリから消去しておきます>

「たぶん明日になったら忘れているだろうな」自分自身でも白々しいと思えるほどあっけなく、零。

 

 それからソフィアに背を向けて六課の隊舎へと歩き出す。腕の中で眠る雪風をベッドに横たえるために。

 

 

 

 

 

「お疲れ様、苦戦していたわね」

「お邪魔してます」

 

 零が部屋に入ると、フォス大尉がソファに座ってコーヒーを飲んでいた。なぜかシャマルも一緒だ。どうやら二人そろって先の模擬戦の様子をカメラか何かを使って見学していたらしい。

 

 いや、それ以前にこの部屋にはロックがかかっていたはずなのだが、毎回毎回この二人はどうやってロックを解除して入ってきているのだろう、女は本当にミステリアスだ。零はそれを一瞬だけ考えて、すぐに忘れる。今は雪風を寝かせるのが先だ。

 

 シャマルは雪風の姿を確認するや否や、すかさずコーヒーをテーブルに置き、ほとんど飛びつく格好で零の所へ来た。これに対し零は手馴れたように眠っている雪風を、壊れ物を扱うようにそっとシャマルに渡した。零の腕の中からシャマルの腕の中へと抱かれる雪風。しかしそれでも起きない。静かに寝息を立てている。

 

「雪風ちゃん、良く寝ていますね」スリスリと雪風に頬ずりしながらシャマル。再びソファに座る。幸せそうな笑み。「むふふ、かーわいー」

「戦闘が疲れるのかもしれないわね」エディスがコーヒーを一口含んで言った。「私はユニゾンデバイスについてよく知らないから何とも言えないけど。情報処理とかで疲れるんじゃないかしら」

 

 お疲れなのね、とそれを聞いて労うように雪風の頬へキスをするシャマル。くすぐったかったらしく、雪風は少しだけ身じろぎをした。ついでに寝ぼけているのか、むぎゅ、と唸った。

 

「いつもみたいに寝かしつけておいてくれ」上着を脱ぎながら零。脱いだそれをそのままベッドの上に放り投げる。

「了解しましたー」だらしない笑顔でシャマル。にひひ、と変な笑い声を出しながら雪風を抱きしめる。

 

 本当に夫婦みたいになってしまったな、と零は一人思案した。幼稚園に通う娘を仕事の帰りに迎えに行った夫と、二人の帰りを待つ妻。ドラマやら小説やらでよく見る光景だ。もちろんシャマルと自分との間に男女の関係はこれっぽっちもないのだが、性的な臭いを漂わせていないことが逆に夫婦らしさを演出してしまっている。ただ雪風の世話を頼んでいるだけだというのに。

 ちらりと目を向けると、こちらの思考を読んでいるかのようなフォス大尉がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。零がそれを無視すると、エディスは、つまらない男、とでも言いたげな顔をした後、シャマルの方を向いて彼女が抱きかかえている雪風の顔を眺めた。

 雪風は寝ていても美しい。恐らくこの世で一番可憐な寝顔を見せるのは彼女だろう。身内の眼から見てもそう思える。

 シャマルと夫婦、というのはどうかと思うが、雪風と親子、というのはそれほど悪くはない。かつてブッカー少佐も言っていたではないか、『雪風はお前の恋人ではない。娘だ』と。

 雪風が娘であるなら、父親は自分だ。無理解な父親は子に嫌われる運命にある。自分もいつか彼女から必要とされなくなる時が来るのかもしれない。それは、寂しい。

 

──フムン。あまり妙なことを考えるものではないな。零はそう結論付け、シャツの襟を拘束しているネクタイの結び目をほどこうと手をやった。

 

「……ところで中尉、制服の着心地はどうかしら?」ネクタイの結び目をほどく零を見てフォス大尉が言う。

「まだ慣れていない。堅苦しくてどうしようもないな」

 

 零は自身の首元を締め付けていたネクタイを外し、先の上着と同じくベッドの上に放り投げる。空中に投げ出されたそれは、空気抵抗で上着の位置よりも少し手前に音も立てず落ちた。

 

「でしょうね、なんだか着慣れていない感じよ。前に来ていたタキシードは良く着こなしていたのに」

「おれが悪いんじゃない。制服が悪いんだ」零は放り投げた上着を見て言う。

 

 ベッドの上に広がったその上着は、時空管理局地上部隊の茶色の制服だった。全体としてベージュに近い色合いをしており、肩の周辺だけ濃い茶色になっている。ネクタイの色は濃いブルーだった。どちらも真新しく、まだ新品同様である。

 

 ソファに座るエディスもまた同じく茶色の制服を着ていたが、もちろんこちらは女性用でありスカート着用である。ネクタイは黒だ。

 その上に白い白衣を着ているため、そばに居るシャマルと服装から髪の色までほとんど同じになってしまっていた。まるで仲の良い女友達が二人で服装を合わせたかのようにそっくりである。

 パッと見て分かるところと言えば、シャマルが黒いパンストを履いているのに対して、エディスが履いていないことぐらいだ。フェアリィにいた頃のように相変わらず生の脚をさらけ出している。しかしそれ以外は本当にそっくりで、二人の足が隠れている状態で遠くから見たら同一人物が二人いるように見えてしまうだろう。

 

 一方、シャマルの腕の中で眠りこけている雪風はというと、ショッピングセンターでフォス大尉が買ってきた私服だった。紺を基調としたワンピース。普段着ているフリルとリボンが大量についたものとは打って変わって落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 

「そんなにこの制服合わないんですかね。私はそんなに堅苦しいとは思わないですけど。それにちゃんとサイズ測りましたし」

 

 シャマルはそう言うが、雪風は実際に着るのを嫌がったし、零は堅苦しくて嫌だ、とも思った。だから雪風は制服を着用しないし、零は零で部屋に戻るとすぐに上着とネクタイを外していた。日本の学生が進学して新しい制服に馴染めていないのとよく似た光景だった。

 

「たぶん、深井中尉が制服に慣れていないのは、皆に合わせた服っていうのが合わないからじゃないかしら」エディスがそっと言った。

「協調性がない、ってことですか?」雪風を撫でながらシャマル。

「というよりも、六課に染まるのが嫌なのかもしれない」

 

 え? と少し悲しげな顔をするシャマル。零が六課の皆を嫌っているのだと思ったのだろうか。それを見て苦笑いするエディス。

 

「大丈夫よ。中尉は六課の皆が嫌いなわけじゃない。特殊戦以外のどんな組織の中でも、深井中尉は馴染むことができないのよ。そもそも彼自身はまだ特殊戦隊員のつもりらしいし」

「当たり前だ。おれはクーリィ准将からもブッカー少佐からも異動の命令を受けてはいない」零はきっぱりと言った。「だから、まだおれは特殊戦の隊員なんだ。雪風も、そうだ」

「そう言えるあなたが羨ましいわ」

「きみは違うのか」

「私は、自分が医者であり研究者であると確信しているし、まだまだその認識が変わらないものであることも分かっているわ。でも、今の私が特殊戦の人間であるのか、六課の人間なのか、と訊かれたら私にはどちらであるのか答えられない」

「きみは、こっちに来るまでに准将や少佐から異動の命令を受けたのか。それともクビだとでも言われたのか」

「いいえ」はっきり首を横にふるエディス。

「なら簡単じゃないか。きみはまだFAF軍人だ」

「あなたならそう言うと思っていたわ。でも、私が悩んでいることはそんな答えじゃ解決しないの」

「悩んでいたのか」少し驚いたように零が言う。

「私が悩みのないお気楽人間だとでも思った?」

「まさか。でも、きみがそういった悩みをおれや他人に話すなんて、予想外だった」

「私だって人間よ。弱気になることぐらい、誰にだってある」

「で、エディスさんの悩みってなんなんですか」シャマルが心配そうに訊く。雪風の髪をもふもふしながら。

 

 その真剣そうな顔つきと、その表情に全く一致していない行動のおかげで、少しだけ空気がなごんだ。零も顔には出さなかったが心の中で微笑んでいた。

 

 小さく吹き出したあとエディスは言った。

 

「私はね、怖いのよ。この世界にFAFが存在しないことが」

「そんなことが、怖いのか?」きょとんとした表情で零が訊く。もっと真剣なことで悩んでいるものと思っていたのに、なんだ、それは、といった顔をしながら腕を組む。

 

「だって、そうでしょ? この世界のどこにも、私達の真の後ろ盾は存在しないのよ」エディスはコーヒーをテーブルの上に置いて、自分の意見を強調するように両手を広げて語る。「FAFも、私達の地球も、国連も、私のアメリカも、あなたの日本も。あなたはそれが怖くないの? この世界における地球に行ったとしても、私の社会保障番号も、あなたの戸籍も存在していない。パスポートすらない。どこにも居場所はないし帰る場所も方法もない。今の私達はとてつもなく孤立した状態なのよ。六課の温情でどうにか暮らしていけている、ただの居候にすぎないじゃない。私はそれが怖くて仕方ないの」

「きみは、つまり、自分の立場があやふやになっている、というのが怖いのか」

 

 社会的にも哲学的にも、ということだ。

 

「そうよ」エディスは白衣の裾を握り締めてうなずいた。「私がなんなのかという、確固たる存在証明が、この世界ではできない。それが、怖い」

「エディスさんは、六課の仲間です」シャマルが雪風を強く抱きしめて言った。「少なくとも私にとっては、そうです」

「ありがとう」はにかむようにエディス。

「きみは、おれの主治医だ。それは保証する」と零。

 

 彼の言葉を聞くなりエディスは吹き出した。「あなたは相変わらずね。いつも自分中心の考え方」

「そんなのは当たり前さ。おれという存在が生きているかぎりこの世界はおれの世界だ。おれの世界の中心がおれでなくてどうする」

「あなたのような感性が欲しいわ。あなたはどんな世界に行っても平然としていられそうね」

「まあな。おれ自身が変化するのは怖いが、世界が変わるのは怖くない。それに──」

「雪風ちゃんがいるから、ですか?」シャマルが雪風の頭を撫でながら呟く。零に小さな笑みを向けていた。

「そうだ」フフン、と零がシャマルに釣られて小さな笑みを浮かべた。「雪風が一緒にいるかぎり、おれは負けない」

「だから何も不安にならないってわけね。羨ましいわ、本当に」ソファの背もたれに身体を預けるエディス。

「おれとしてはきみがどうしてそこまで不安になるのかが理解できない」

「でしょうね。でも普通は私みたいになるはずよ。いきなり外国に放り込まれるのよりタチが悪い。イギリス留学した時も、フェアリィに行った時も、こんなには不安にならなかった」

 

 フムン、と零は腕を組んで考える。弱気なフォス大尉を見るのはいつぶりだろう。彼女は普段から勝気で研究者魂溢れる人間であるように零には見える。だがその分、失敗した時や落ち込んだ時の彼女はとことん弱気になってしまう傾向があるのだ。

 しかも決まって、彼女の悩み事は零にとって理解しがたい原因によって生じている。零は彼女が時に気にしないような事柄で悩むし、彼女は零が無視してしまうようなことで悩む。はたしてこの感性の違いは性別によるものか、国の違いによるものか、それとも宗教の違いによるものか零には理解できなかったが、少なくともお互いの考え方が違っていることだけは充分すぎるほど知っていた。

 

 フォス大尉は言ってしまえば、挫折を知らない優等生基質の持ち主なのだ。自分に与えられた仕事を正確にこなすことに関しては優れているが、自分から行動することを苦手としている。だから、今まで自分が経験したことのない状況に陥ると、どんな行動をどんなタイミングでとるべきなのか自分では判断することができず、誰かの指示や助言を必要とするのだ。

 バンシーの艦橋にいたと思ったらいきなり異世界に飛ばされた今回のケースは、まさしく彼女が経験したことのない状況だろう。言葉は通じるにしても、右も左もわからない異世界だ。運良く自分を車で撥ねた──交通事故を運が良いと言うべきかどうかは迷うものの──ソフィアからかなりの慰謝料と治療費をふんだくったことで経済的に早期の自立に成功したが、しかし知り合いも誰もいないこの世界で彼女の孤独と不安は相当なものだっただろう。だからこそ同じく次元を漂流してきた人間の中からかつての仲間であった深井零、すなわちこの自分を探し出し、訪ねてきたのだ。

 

 つまるところ、彼女の悩みと言うのはそこに帰結するのではないか、零はそう考えた。すなわち孤独と不安だ。自分と合流することができたのだから孤独というよりはこの世界の中における孤立、と言うべきか。出産と共にへその緒を切り離された赤ん坊のように、次元の壁というあまりに大きく強固なハサミによって、彼女はFAFとのつながりを絶たれ、見ず知らずの世界へ放り出されたのだ。彼女が恐怖と不安を感じないはずがない。

 

 つながりが絶たれて不安になったのなら、再び繋げてやればよい。しかしどうすればよいのだろう。FAFとコンタクトすることもできないというのに。

 

 零はとりあえず、自身が思うことをそのまま言ってみることにした。

 

「日本には『医者の不養生』と『岡目八目』って言葉があってな」

「なに、それ」思わずシャマルに訊くエディス。シャマルが頷きながら解説する。

「医者は患者には養生を勧めるのに、医者自身は自分の健康に注意を払わないっていうことです。岡目八目っていうのは、当事者よりも傍から見ている第三者の方が状況を正しく認識できている、という意味です」

 

「今のきみは、まさしくそういう状態なんだ」零がエディスに向き直って言う。「きみは、おれや他人の精神状況を見抜くことができるし、それにもし異常や問題が見つかったらうまい対処法を実践することができる優秀な精神科医だ。おれはきみのことは嫌いだが、きみの能力が優れていることは認めているよ。しかし今のきみはきみ自身の精神に起きている問題を正しく分析できていない、もしくは問題を解決する方法を見つけ出せていないのさ。まさしく医者の不養生じゃないか」

 

「でも、あなたには私の心に起きている問題を正しく認識できているというわけね。オカメハチモクとやらで」

「そういうことだ。おれは、きみの不安に共感することはできないが、きみの悩みの原因とその対処法はなんとなくだがわかる。共感することのできない第三者だからこそわかるということさ」

「じゃあ、私がどうして不安なのか、言ってみて」

 

「きみの不安は自分が自分であることを保証してくれる共同体がこの世界のどこにも存在していない、もしくはあっても非常に不安定な存在であるというのが不安なんだ」

「……それだけ?」

「きみはどんなことでも後ろ盾を欲しているように思える。もしくは仲間といえる存在かな。地球なら地球と、アメリカという国。フェアリィならFAFと特殊戦だな。きみは真に一人で生きるというのが嫌というか、怖いんだ。誰かが後ろで支えてくれないと不安になってしまう。支えてくれなくとも、大きな存在とのつながりがあることで初めてきみは安心するんだ。そうしないと自分や自分を取り囲む世界がたやすく変容してしまうと恐れているんだ」

「それは、むしろ日本人としてのあなたの感性じゃないの? 聞いたことがあるわ。日本人は何よりも自分が所属している共同体のことを考えるって」

「おれがそんな感性を持っていないことなどきみは百も承知のはずだろう」

「……それもそうね」心底そう思う、といった感じにエディス。

「問題なのは、きみがこの世界における後ろ盾というものを認識できないことにあるんだ。例えこの世界で新しく誰かが後ろ盾になってくれたとしても、きみは不安なままなんだろう。それはそうさ、何せ違う国でも、違う星ですらない。異世界なんだ。何もかもが根本的に違う。もしかしたら原子の成り立ち自体がおれたちの世界とは違うかもしれないんだ。きみは、それを心の底で恐れているんだ。極端な言い方をすればきみにはこの世界の人間は人間ではないように見えているんじゃないかな」

「それは、詭弁よ。私はフェイトさんやなのはさん、はやてさんを同じ人間だと思っているわ」

「それでもきっと、心の底では別世界の存在であると認識しているんだ」

「……」否定しない、否定できない、といった表情。

 

 エディスがその顔のままシャマルの方を見やると、シャマルは特に気にしていないような態度で微笑み返した。彼女自身、人の姿をしているが人間ではない。だからそういったことに慣れているのだろう、と零は思う。

 

「そんな存在が、自分を支援してくれる、仲間にしてくれるからといったところで、きみは安心しない。自分とは全く別の存在だからだ。別世界の存在に守られて、囲まれているというのがきみは怖いんだ。そのうち自分がその中に取り込まれるんじゃないか、ってな。言ってみればきみはつながりを欲しているのさ。FAFでも、なんでも、かつての地球とのつながりを。そのつながりを意識することができれば周囲からの干渉を受けてもそれほど不安にならなくても済むだろう」

「……あなたは、それを解消する方法を知っているというの?」

 

 エディスの質問に、零はコクリとうなずいた。そして息を一つ吐いてから口を開く。

 

「そんなのは簡単さ。『おれ達はフェアリィ空軍の軍人である』と普段から意識すればいい」

 

「それだけですか?」キョトンとした表情でシャマル。「もっとこう、具体的なものを想像していたんですけど」

 

 シャマルと同じようにエディスもあっけにとられたような目で零を見ていた。零はそんな二人の視線を受けながらベッドに座り、続ける。

 

「おれ達がこの世界で孤立した存在であると認識するからいけないんだ。だから、次元漂流者としてミッドチルダに流れ着いたのだと考えないで、FAFからミッドチルダという世界に調査員として派遣されたのだと考えればいいのさ。この世界にはおれ達が知らない概念も技術も山ほどある。それをFAFに持ち帰ることを任務とすればいい」

「対ジャム戦の続行も、かしら」

「そうだ。この世界にもジャムが出現する可能性はある。おれ達はそれを警戒し、対処する。いざとなったら管理局に協力してジャムを撃退する。世界一つを守るんだから軍人として正当な行動だ」

 

 つまり、次元漂流者として時空管理局に保護される立場であるとは考えずに、フェアリィ空軍の先兵であると考えろ、ということだ。

 向こうとのつながりが断ち切れていると考えるから、孤独になるし不安にもなる。そして時空管理局という巨大組織に不安定な自分を取り込まれそうになるのだ。

 零が言わんとしているのは、自分がまだフェアリィ空軍の軍人であり、その使命を全うするべきだと自覚することでFAFとのつながりを保ち、また管理局とは全く別の独立した組織であることを示せ、ということだ。あくまで心の中で、だが。それでもだいぶ違うはずだ。

 

 

「なんだか、フェアリィ空軍ミッドチルダ支部、みたいな感じですね」

 

 シャマルがなんとなく言ったその言葉に、二人は思わず意識を向けていた。零の頭の中で何か光るものが現れる。言いたかったことが、そこにあった。

 

「それ、いいな」

「ほえ?」

「今からここが、フェアリィ空軍の基地であると認識すればいいのさ。ミッドチルダ支部の、基地だ」零は自分の部屋の床を指して言った。「六課の隊舎を間借りした基地さ。よく企業でもビルのテナントを借りているだろう。それと同じさ。それでテナント料として六課に協力していると考えれば、筋道は通る」

「エディスさんの部屋は?」

「飛び地だな。それか第二基地だ」

「第二基地がいいわ。飛び地だとあなたが司令官になっちゃうけど、第二基地なら私も司令官になれる。あなたと対等よ」と満足げにエディス。

「フムン」

 

 ここがフェアリィ空軍の基地、すなわちホームであると考えれば、自分達の孤独はかなり薄まる。この世界にFAFが存在しないというのは間違いだ。この自分達こそがFAFなのだ。零はそう思うことにした。

 これは、フォス大尉を勇気づける方便であると同時に、まだ自分達は戦闘を放棄していないという意思表示でもあることも零は意識した。FAFに所属している以上自分達は軍人であり、戦わなくてはならないからだ、自身の存在を脅かすもの全てに。だから『自分はFAF軍人だ』というメッセージはイコール『自分は戦士である』『自分の敵は殺す』と発言していることに等しいのだ。

 戦う覚悟が無い軍隊もまた、軍隊ではないし軍人とも呼べない。しかし自分達はそれを保有している。立派な軍隊だ。軍隊は、孤独ではない。

 

「じゃあ、フェアリィ空軍ミッドチルダ派遣部隊の代表には彼女しかいないわね」エディスが、シャマルの胸の中で小さく寝息を立てている雪風に目を向けた。

「雪風は、まあ適任だな。司令官でなくとも代表としてはおれ達より彼女の方がいい。雪風はまさしくFAFの権化なんだからな」

 

 雪風の自己を形作る根源は、すなわち『対ジャム戦』である。それに対する欲求こそが雪風を雪風たらしめており、しかもそれはFAFの存在を支えている最も大きな要素でもある。

 彼女とFAFは同じ目的のために存在しているのだ。FAFの代表としてこれ以上にふさわしい存在はいないだろう。自分達が対ジャム戦から逸脱した行動をとろうとすれば彼女が警告を発してくれる。そうすれば自分達は対ジャム戦の遂行という進路から外れることなく活動できるし、自分達の活動をFAFに報告することになったとしても、正しい行動をとったことを雪風は証明してくれるはずだ。彼女こそが対ジャム戦の権化なのだ。

 

「フェアリィ空軍・ミッドチルダ派遣部隊代表、ね。ずいぶん大きな肩書きになったものね」

「雪風ちゃんが、フェアリィ空軍代表?」ぷにぷにと指で雪風の頬をつつきながらシャマル。自分が何気なく言った一言があまりに大きな話になってきていたので少し戸惑っている。

「おれやきみがFAFの代表だ、と名乗りでもしたらクーリィ准将は怒るだろうしブッカー少佐もあきれるだろうが、雪風が代表なら文句言わないだろう。雪風こそ、フェアリィ空軍の理(ことわり)と言っても過言じゃないんだからな」

「同感だわ。でも私の代わりに少佐かおば様が来ていたら楽だったのにね」

「勘弁してくれ。少佐は歓迎するがスーパーばあさんと一緒は御免こうむる」

「帰ったら告げ口してやるわ」ニヤリ、と口角を上げるエディス。

「その意気だ。帰れない、なんて意識するから不安になるんだからな。それでもだめならまたユーノ・スクライアに頼んでカリフォルニアワインを送ってもらえ。酔えば気もまぎれる」

「ええ。彼の財布のひもが緩んでいるうちにできるだけ搾り取っておくつもりよ」

「いつものきみに戻ったな。ひどい、女だ」

「……ありがとう、中尉。おかげで気が楽になった気がする」

 

 エディスがふわりと微笑んだ。いつも若干の高慢さを漂わせている彼女からは想像できないほど優しく、慈愛に満ちた笑みだった。

 フォス大尉もこんな表情をするのか。零は若干驚きつつも、自分は彼女のことを全然知らないのだから、自分の知らないフォス大尉の一面を見ることになったとしても、別にどうということはないのだ、と一人納得していた。

 それよりもフォス大尉の笑みが、以前見たティアナの笑顔と似ていることの方に零は動揺していた。自分は今、他人を助けて、それに対して感謝をされているというのだろうか。ブーメラン戦士たるこの自分が?

 やはり今の自分はかつての自分から逸脱した存在になろうとしているのではないのか。そんな不安が頭をよぎるが、無視した。そんなことを考えるな、と零の戦士としての勘が警告を発したのだ。

 

「きみに感謝されるのはむず痒い。おれは自分の生存に有利になるような言動しかしていないんだ。おれの主治医であるきみが不安定になっているんじゃ心もとないからな。気弱な相棒は嫌いだ」頭をかすめた不安を切り捨てるように少し強く言う零。

 

「深井さんも素直じゃないですね。ねー、雪風ちゃん」強い口調で言ったことが照れ隠しのように見えたのだろうか、雪風の頬に軽くキスしながらシャマルが言う。「エディスさんを励ましたんですから、別に恥ずかしがることないのに」

「……」別に励ますつもりはなかったんだがな、と言いたげに零。クスクスと笑うエディスを見てさらに黙る。

「それじゃあ、代表殿に挨拶してから、帰るとしましょうか」ソファから立ち上がってシャマルの所へ近づくエディス。

 

 エディスはそのまま雪風の前髪をかきあげると、彼女の額にキスを送った。「これからもよろしくね、雪風」

 

 雪風は寝ぼけて、にゃあ、とだけ言った。

 

 

 

 

 

 

「FAFミッドチルダ支部、ね。面白くなってきたじゃにゃいか」

 

 ベッドと床の隙間に広がる狭い暗闇に、ギラリと輝くエメラルドグリーンの瞳が二つ浮かび上がり、それと共に、耳まで裂けた口が不気味な三日月のように深紅の弧を描いていた。誰にも知られることなく。

 


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