魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第二十六話 高性能

 その日の午後は零とフォワード4人との模擬戦だった。

 

 今まで零は対空戦だけを想定した訓練を行ってきたのだが、八神はやてに『戦い方が偏る』と言われ、とりあえずの対地戦として新人達と対戦することになったのだ。

 ガジェット相手ではないのは、すでに零は対ガジェット戦をある程度マスターしてしまっているから、シミュレーションによる戦闘より対人戦の方が得るものは大きいだろう、ということだ。零もその意見に同意した。戦いの幅が広がるのは悪いことではない。

 

 制限時間は無制限。勝利条件は新人全員に一発でも攻撃を与えること。敗北条件はその逆、あるいは戦闘におけるルール違反、つまり反則負けである。

 

 

 地面から1メートルほどの高さで零は左急旋回。後方から追撃してくる目標に狙いを定める。GUN攻撃モード。0.5秒ほどの射撃を至近距離で叩き込む。

 

「くっ!」

 

 目標──赤髪の少年、エリオ・モンディアルは横っ飛びにそれを避ける。零が感心するほど上手い回避行動だったが、かなりの高速で追撃していたためか突然の回避にバランスを崩す。槍型デバイスのストラーダの先が下を向き、地面をかすめる。それでさらにバランスを崩す。石につまずいたような格好となり、完全に隙だらけとなった。

 

 それを雪風は見逃さない。もう一度GUN攻撃のために照準を合わせる。自動照準。ロックオン。

 

「させない!」

 

 零の正面から複数の射撃。恐らくティアナ・ランスターの援護射撃だ。突発的なその攻撃に零は動揺しながらも雪風に迎撃を命じる。同時に後退することでエリオから距離をとる。これ以上エリオを追撃するのはリスクが高い。

 

<RDY-CIWS/IFS-ON/RDY-GUN>

 

 雪風は人間が認識できないほどの速度で全ての迎撃システムを起動させる。近接防御火器システム作動。迎撃火器管制がONになる。CIWSモードでのGUN攻撃。

 レディ、ガン。向かってきた全ての弾が迎撃を受け、消滅する。零はティアナの姿を捉えようとするが、見当たらない。どこだ。

 離脱。足先が地面をかすめるほどの超低空をアイススケートのような状態で高速移動する零。右に左に、不規則に機動を変えることで背後から射撃を受けるリスクを少しでも減らす。

 

 零は追いすがろうとするティアナを視認。あんなところにいたのか。だが速力の違いからあっという間に距離が開く。この瞬間にエリオに得意の高速移動魔法ソニックムーブを使われては厄介なのだが、あの完全に転んだような体勢からではすぐには無理だろう。

 

 かろうじてティアナの顔を確認する。彼女の顔には自信に満ちた表情が浮かんでいた。自身の攻撃をしのがれ、離脱されたのにもかかわらず。

 その表情から零は直感的に理解する、まだなにかあるのだ。

 

「今よスバル!」

 

 ティアナの掛け声とともにスバルが零の眼前に躍り出る。右の拳を構え、いかにも攻撃してくる、という感じだ。

 隙だらけだ、と一瞬だけ零は思うが、その余裕は上からせまる影に掻き消される。

 

<BREAK AWAY...Lt.>

 

 回避せよ、と雪風の警告。同時に自分の周辺が暗くなる。影だ。敵の。

 フリードリヒに乗ったキャロの奇襲だった。フリードリヒの白い巨体が零めがけて急降下してくる。軽い右旋回でかわす零。

 

「くそっ!」

 

 フリードリヒの巨体によって引き起こされた風が零の身体を揺らがせる。雪風は飛行制御に魔力だけでなく空力まで利用しているため、風が大きく乱れると乱気流に巻き込まれた飛行機のようにその姿勢を保つことができなくなってしまうのだ。

 

 まさかこれを見越しての奇襲攻撃か。

 

 攻撃をかわされたフリードリヒはその場で滞空する。その羽ばたきでまきおこされる風で零はさらにバランスを崩す。

 

 思わず上空に退避しようとするが、雪風にそれを止められる。その機動は禁止されている、と。この戦闘のルールに反する、と。

 くそう、零は歯噛みする。こんな『ルール』でなければ四人ともあっという間に倒せるというのに。あんなハンデ、背負うべきではなかった。

 

 

 零とフォワードメンバーとの模擬戦において、零にはハンデを付け加えられていた。

 それは『飛行できるのは地上から高さ1メートルまで』『CDSの使用禁止』『刀の使用禁止』というものだった。

 なおCDSはデバイスにも少なからず効果が出てしまうということがわかったので、模擬戦の際は通常出力ではなく、機械に害を及ぼさない程度の弱いモノを使用するようにしていた。その微弱な電磁波がデバイスに当たったかどうかで撃墜判定が決まる。

 

 ハンデのうち、前者二つは納得できた。フォワードメンバーは零のようには飛べないからだ。CDSも回避が非常に困難で、フォワードに勝ち目がなくなってしまう。戦闘をフェアなものにするためのものとして充分受け入れられる。

 

 だが刀を使えない、というのは大問題だった。接近戦を全てCIWS・GUNに頼るしかなくなってしまう。大きすぎるハンデだ。

 

 零は反対したが、八神はやてに『ほ~、それやったらこっちにも手があるで』とホテル・アグスタにおけるCDSで起きた被害の請求書を見せつけられたのだ。とんでもない額だった。ミッドチルダで高級車が買えるほどだ。無論、零にそんな金は無い。

 

『これ全部立て替えるのは誰やと思っとる?』

 請求書をちらつかせながら零に迫る、あの時のはやての顔を零は忘れない。ようは『大人しく言うこときけ』という脅しのつもりだったのだろうが、全く怖くはなかった。クーリィ准将の方が十万倍は怖い。

 むしろ、かわいそうな、悲しそうな顔ではあった。どこかで見覚えのあるような。

 

『セントラルコンピュータがそう言ったのか? なんで給水塔の電気代がうちの予算から引かれるんだ!』

 そう、特殊戦の予算編成に苦労して夜も眠れない時のブッカー少佐と同じ顔だった。あの時のブッカー少佐は零も見ていられないほど哀れな姿だった。

 予算編成に苦労するのはどんな世界・組織であっても管理職の宿命なのだ。

 

 どこの世界も中間管理職の悩みは同じなのだな、と零はしみじみと思い、その苦労をねぎらう気持ちでハンデを受けることにしたのだ。ただしアグスタでCDSをぶっ放したことに関しては一切反省していない。

 

 

「零兄、逃がさないよ!」

 

 スバルが零の退路を塞ぐべく再び真正面に現れる。この状況はスバルから撃墜判定をとるチャンスだが、彼女に攻撃を与える瞬間はこちらの背中ががら空きになり、背後から攻撃を受けるリスクが非常に高まる。後ろにはまだキャロとフリードリヒ、追撃してくるティアナとエリオがいる。

 

 正面のスバルが右ストレートを撃ち出そうと力を込める。

 ただの右ストレートでないことは零も知っていた。彼女の右手には籠手のようなデバイス、リボルバーナックルが装着されている。当然、普通のパンチとは比べものにならない威力を持っているのだ。恐らく撃ち出されるのはスバルの得意技、ナックルダスターだろう。あれを食らったら終わりだ。防御など意味をなさない。

 

 バランスを崩した自分、正面には攻撃モーションに入ったスバル、背後にはキャロとフリードリヒ。しかも背後の彼らを突破したとしても、その向こうには先ほど追撃を振り切ったティアナとエリオがいる。左右に逃げてもティアナからの射撃が待っているし、第一そんなことをすればフォワード全員から狙われる状況になってしまう。

 

 

──追いつめたつもりだろうが──

 

 完全に包囲された状況だった。

 だが零の戦闘勘は本能的に、瞬間的に答えを導き出す。

 

──前方のスバルさえ突破すれば勝ちだ──

 

 

 そう考えた零は、そのままスバルに突撃する。スバルは零が突っ込んでくることに多少驚いている様子。

 

「はあっ!」

 

 彼女の間合いに入った瞬間、撃ち出される魔力が乗った右ストレート。これをまともに食らえば確実に撃墜判定をとられる。

 

 

 だが予想に反し、零はそれの回避に成功していた。

 

 彼は拳が叩き込まれる寸前に、後ろ向きに倒れ込んでいた。零の鼻先をうなりをあげてかすめるスバルのリボルバーナックル。

 彼の身体は重力に従い地面に吸い寄せられるが、同時に先ほどまでの慣性を維持し、前進し続ける。雪風の絶妙な飛行制御により、零の身体は地面から数センチの所で滞空していた。雪風も零の考えを理解したのか、四枚の羽を飛行制御に支障が出ない程度にたたむ。

 

 零はスライディングをするような格好となり、スバルの両足の間をすり抜けていた。スバルにとっては渾身の一撃を繰り出すために大きく脚を広げて踏ん張っていたのが仇となった。脚の間をすり抜ける瞬間に、スバルがキョトンとした表情を浮かべていたのが零には見えた。

 

 地面すれすれを仰向けで飛行することによりスバルの背後を取ることに成功した零は、体勢を立て直すことを後回しに攻撃を優先した。雪風もそれに同意する。

 何せ今この瞬間、背後に存在するのは地面だけなのだ。背後をとられる可能性はゼロに等しい。

 GUN攻撃モード中止。AAM攻撃モードを選択。レーダーからの情報で四人と一匹の位置を特定し同時にロックオン。

 

「レディ、AAM」

<RDY-AAM×8/FIRE>

 

 零の背中から突き出した羽の一部が円形に光り、そこから白い光弾が打ち出される。その数8つ。一度に発射できるのは羽の枚数の都合上4つまでだが、万全を期すため二連続で発射された。

 それらは上空へ一度直進した後、急速に向きを変えて目標へと迫る。

 

 人間の眼はその構造上、左右に移動するものを捉えることは得意だが、上下に移動するものを捉えることは苦手としている。対人戦の場合、打ち出した瞬間から目標へ向かうより、上へ撃ち出してから目標へ急速降下する垂直発射式の方が相手は反応しづらい、そう考えての攻撃だった。

 

「うわっ!」

 

 真っ先に被弾したのは最も近いスバルだった。さすがに零が股の下をスライディングで通過したことが原因で動揺していたようだ。何のガードもなしに脳天へ直撃を受ける。撃墜判定。

 

「きゃあ!」

 

 キャロはフリードリヒと同時の撃墜判定。先の急降下から体勢を立て直すのに手間取っていたようだ。スバルと同じく直撃を受けた。もしかしたらあの急降下で零を仕留めるつもりだったのかもしれない。それを軽々と避けられたので驚いていたのか。

 

 残ったのはエリオとティアナ。エリオは自分とティアナに向かってきた4つの弾をストラーダの穂先で切り裂いていた。良い反応速度と判断だ、と零は思う。雪風の放つ誘導弾は180度反転してでも目標に突っ込もうとする。一回避けた程度では対処したことにならない。迎撃、あるいはシールドで防御するのが最も正しい。

 二人は零にさらなる攻撃を加えようと急速接近。

 

「レディ、ガン」

<ROGER...Lt./RDY-CIWS/RDY-GUN/FIRE>

 

 零は仰向けの姿勢から一瞬で直立状態に戻り、彼らに近づかれる前にGUN攻撃。AAMと違って弾速が非常に速いCIWSモードの射撃なら迎撃される心配はない。反応する前に着弾する。

 

 零の読み通り、エリオから撃墜判定をとることに成功。回避すら叶わずの撃墜だ。

 しかし彼はとっさにストラーダの大きな槍頭を盾にすることで数瞬間持ちこたえていた。撃墜判定を下されたのは一秒間に数百発というCIWS・GUNの絶大な連射能力と威力にエリオの腕力が耐え切れなかったからだ。

 高速戦闘を得意としているだけあって反応速度は良いようだ。凡人なら構えることすらできないはずなのに。

 

 残るはティアナだけだが、彼女は零がGUNによる攻撃をしかけてくると予想していたらしく、素早いバックステップで回避していた。さらにティアナは零から距離をとりながら両腕のクロスミラージュを構え、零に向けて弾幕を形成する。その迎撃に追われる零と雪風。一瞬ティアナの姿を見失う。

 

 零と雪風にとって、フォワード四人の中で最も油断ならない相手はティアナ・ランスターだった。頭の回転が速く、二手、三手先を読んでくる。

 さっき零が追いつめられかけた布陣も、恐らくティアナが考えたものだろう。エリオで先制攻撃を仕掛け、自らはそれを援護し、零が距離をとったところで上空からの奇襲により動揺を誘い、スバルによって退路を遮断する。この状況においては見事な作戦だ。さすがにスバルの足元をすり抜ける、という零のトリッキーな行動までは予想していなかったようだが。

 

 バックステップで回避する、という行動も正しい。通常のGUN攻撃はバリアやシールドの類で防御することも充分可能だが、近接防御火器システムを起動させたGUN攻撃の場合はそれができない。CIWSモードにおける破壊力と弾速は通常のそれとは比べものにならないからだ。射程は通常よりずっと短くなってしまうが、圧倒的な連射速度により並の防御魔法ならほんの数秒間で破られてしまうだろう。弾幕を張ることによる迎撃すら困難ときている。ティアナはそれを警戒したのだ。受けたり、迎撃するより、避けたほうが良い、と。

 

 だがみすみすやられる零ではない。おのれと雪風の全能力を使ってでも彼女から撃墜判定をもぎ取るつもりだった。大人げないとは思うが、こちらにもブーメラン戦士としてのプライドがある。こんな小娘一人に負けてなるものか、と。

 かつてシステム軍団との模擬戦で味わった屈辱、あんなのはもうたくさんだ。もう、負けない。

 

 ティアナを再び視認。こちらを待ち構えているような状態だ。雪風に命じ、全レーダーシステムを起動。ロックオンを完璧にする。今度は絶対に逃がさない、確実に一撃で仕留め──?

 

 

 零は戸惑う。レーダーの情報が視覚から得られる情報と食い違っていた。

 

 どういうことだ、ティアナ・ランスターが『2人』いる、だと?

 

 零の視界では、ティアナは前方30メートルの位置にいる。だが雪風のレーダーでは後方20メートルに目標──つまりティアナがもう一人いることになっている。後ろを振り返って肉眼で確認してみても誰もいない。

 レーダーのエコーか? いや、こんな地上でエコーが起きるはずがない。どういうことだ、これは。

 

 零はとっさにレーダーシステムをアクティブレーダー、IR(赤外線)レーダー、空間受動レーダーへと次々に切り替える。

 現在の雪風のレーダーシステムは、通常のレーダー波による探査、赤外線と可視光による探査、そして空間受動手段による探査、の3系統が複合的に使用されている。それら3つの手段で得られた情報は雪風が統合し、零に提供されている。しかし、場合によってはそれら3系統を独立して使用することが可能なのである。零はこの不可解な状況を、3つのシステムで得られる情報をそれぞれ比較することで打破しようとしていた。

 その結果、アクティブレーダー、IRレーダーには前方にしか反応がないが、空間受動レーダーには両方の反応がある、ということがわかった。

 後方の『何か』に気づいてから約1.5秒、前方のティアナに動きはなかった。なぜ動かない。

 

 いったいどういうことだ? そう零が考えていると、雪風が警告を発した。後方の目標が接近中、と。

 レーダー画面を見ると、後方のそれはゆっくりと歩くような速度で近づいてきている。まるで足音を忍ばせて目標に接近する暗殺者のような動きだ。

 

 まさか、と零は思いつく。

 

──前にいるティアナはマボロシで、本物のティアナは透明化している?──

 

 それならば説明が付く。前にいるのがマボロシで、赤外線や電波を反射、あるいは放出する性質があるのなら。マボロシを見せたり、姿を消したりする系統の魔法があるのなら。

 

 空間受動レーダーは空気の歪みを探知する特殊なセンサーだ。ジャム戦闘機の持つステルス能力、光学迷彩能力に対抗すべく開発されたもので、対象が空気を押しのけて移動しているかぎり絶対に捉えられるという優れものだ。

 空気の歪みを捉える、というのは感覚的には陽炎(かげろう)を見ることに近い。あれは人間の視覚でも探知できる大気の揺らめきだ。あれと同じ原理で空気の流れや振動を読みとることも可能となる。

 

 この世界に空間受動レーダーのような特殊レーダーは無い。時空管理局、というだけあって空間の歪みを捉えることはできるようだが、空気の歪みまでは捉えられるのかは疑問である。

 ならば、どんなに透明化する魔法があったとしても、空間受動レーダーまではだませない可能性が高い。この世に存在しないセンサーにまで対処することはできないし、必要がないのだから。

 

 分身した、という考え方もあるが、その可能性は低い。分身できるなら最初から二体でこちらを翻弄すればいいだけの話だ。

 どちらにせよ、透明化している方が危険であることには変わりない。

 

 そこまで考えた零にためらいは無かった。マボロシから、透明化しているであろう本体に顔を向ける。

 一応怪しまれないように、たまたまその先でAAMの直撃を受けて地面にのびているスバルに視線を向ける『ふり』をする。透明化しているティアナに視線を向けるのではなく、あくまでティアナ以外の三人と一匹を見ているように装うのだ。これならば彼らを心配したり、警戒しているように見えるだろう。

 

 レーダー上で透明化している目標の動きが止まった。明らかに動揺している。零は、空間受動レーダーで得られる視覚情報と、おのれの肉眼で得られる視覚情報を重ね合わせるよう雪風に命令する。雪風は言われた通りに実行。警告がやむ。

 ぼんやりと、人間のようなシルエットが視界に映る。空間受動レーダーは空気の流れに依存するため、正確な位置を特定することは難しい。だからぼんやりとした像しか映らない。

 

 無言のまま照準をそのぼんやりとしたシルエットに合わせる零。GUN攻撃モードが自動起動。早く撃て、と雪風が促しているのだ。

 

 だが零は焦らない。逆に、再びマボロシの方に顔を向ける。再び雪風が警告する。何をしている、早く本体を仕留めろ、という雪風の叫びのようだ。やかましいその警告をじっとこらえる零。

 

 するとレーダー上で、透明化したそれはしびれを切らしたかのようにダッシュしてきた。避けられる可能性がある射撃魔法より、絶対確実な近接戦闘で零を倒すつもりなのだろう。『幻に気をとられている今のうちに、仕留める』というティアナの心が手に取るようにわかる。

 

 この瞬間を零は待っていた。空間受動レーダーは目標が速く移動すればするほど正確にその位置を特定できるのだ。だから、いくら透明化していても慌てて走り出そうものなら空間受動レーダーにはその姿がはっきりと映し出されることになる。一撃で仕留めるためには、より正確に目標の位置を把握する必要があるのだ。

 

 零はフッ、と一瞬だけ口元を歪め、背後から接近してくるそれに素早く向き直り、再びガンレティクルを目標に合わせる。レティクルを合わせた瞬間に、雪風が受動レーダーでとらえた空間の、最大命中確率グリッド域を高速で計算する。目標との距離があまりに近いためCIWSモードが強制作動。

 

「やれ、雪風」

<RDY-CIWS/RDY-GUN/FIRE>

 

 零の指示よりも早く雪風が自動発砲。目標との距離は約5メートル。

 

 見破られた幻、正確に把握された本体の位置、5メートルという至近距離、雪風の高度な火器管制、CIWSの圧倒的弾速・連射能力。

 

 勝敗はすでに決していた。

 

 

 

 

 

 

「よし、今日の訓練はここまで。みんな、お疲れさま!」

 

 なのはが快活にそう告げると同時に、互いの融合を解く零と雪風。フォワードの四人も軽いため息と共にバリアジャケット姿からいつもの制服姿へと戻る。

 

 改めて空を見ると、もう夕暮れが近づいていた。フェアリィの紫色に似た夕暮れとは違う、地球と同じような緋色の夕焼け。西を見れば、一つだけの太陽が地平線の上でほんの少し歪んで見える。

 かなり激しく動き回っていたこともあって、零は空腹だった。それが一日の終わりをより強く認識させる。一日中遊んでいた子供が、夕暮れになって空腹とともに帰宅するのと似ているかもしれない。

 

 フェアリィ星は地球と自転速度が違っていた、それもかなり大きく。戦闘において時間を合わせるというのは極めて重要であるが、だからといってフェアリィ星の運行サイクルに合わせて時刻を決定しようものなら、軍人たちの生活サイクルが大きく狂ってしまう。

 

 戦闘に昼も夜も関係ないし、居住区は地下にある。ならばいっそフェアリィ星の自転サイクルなど無視してしまおう、ということでFAFの標準時は地球のグリニッジ標準時と共通していた。フェアリィ星の自転と時刻が完全に食い違っていたため、基地のランチタイムに地上では夜というのも珍しくなかった。

 

 一方ミッドチルダの一日は地球と同じだった。地球出身である高町なのはが苦も無く生活していられるのはそのためだ。

 フェアリィ星で四年以上の月日を過ごしてきた零にとって、時刻と太陽の運行が一致する、というのは新鮮な体験だった。地球──祖国日本にいた時のことを思い出すのは嫌だったが、新鮮であると同時に懐かしい感覚でもあった。

 きっとこれが人間本来の生活サイクルなのだろう、と零は思う。太陽が出ているうちに活動し、太陽が沈んだら住居に戻る。人間は、太陽の動きを無視して生きることは難しいのだ。無視しようものならあっという間に身体を壊す。

 

──こっちに来てから体調が良いのはそのせいか──

 

 ミッドチルダで生活するようになってから零の体調はすこぶる良くなった。訓練や模擬戦がリハビリ替わりとなり、筋力も元通りになっている。偏った食事もなくなって、部屋もきれいに掃除するようになった。

 

 偏った食事をしようものならなのは達にいろいろと注意されるし、部屋が少しでも汚くなろうものならシャマルにもっと注意される。零としてはうっとうしいことこの上なかったが、雪風も一緒に生活している以上、規則正しい生活を心がけるほかなかった。

 雪風の生活リズムは零と完全に同期している。零は完全に大人の身体だから少々だらしない生活をしたところで問題はないが、幼い身体の雪風にはそれができない、簡単に体調を崩してしまう。これではダメだ。雪風に悪影響を与えるわけにはいかない。

 

 零はいやいやながらも六課の面々と生活リズムを同調させ、健康的な生活を心がけた。酒もなるべく控え、早めに寝るようにした。

 本来は雪風のためだったが、まさか自分の体調もここまでよくなるとは思ってもいなかった。医者であるフォス大尉に言わせれば当たり前のことなのだろう。

 

 

「零兄! ユッキー!」

 

 背後から聞こえてきた声と人の走る音に零は思考を中断する。ついでに心の中で舌うち。

 えいっ、と零の左腕に抱きついてくるスバル。右から来ると思っていた零は回避に失敗する。雪風との融合を解除した状態では背後の状況を確認することはできない。

 

「さっきの戦い方すごかったね、零兄。かっこよかったよ」スバルはしがみついたまま満面の笑みで零の顔を覗き込んでくる。

 

 今日はなぜだか、スバルが妙になれなれしい。なれなれしいというよりは甘えてくるというか。やたらとスキンシップをとるようになった。今朝、彼女に頭を殴られた辺りからこんな感じだ。零のことを『零兄』と呼んだり、こんなふうに抱きついてくるのだ。

 

「いっしょにご飯食べよう、零兄」ぐいぐいと零の腕を引っ張るスバル。

 

 雪風に対して抱きついたり『ユッキー』などと呼んだりするのは前からよくあったのだが、こんなことは初めてだった。以前はむしろ、零のことを怖がっているような節もあったというのに。

 いったいどうしてこんな状況になったのか、零には見当もつかない。迷惑なだけで、まだ怖がられていた方がマシだった。たかだか15歳程度の小娘に抱きつかれてもあまり嬉しくはない。

 

 彼女はどこかで頭をぶつけたのだろうか。もしかしてあの時の殴打はスバルの頭突きだったのではないか、と零の中に自分でも馬鹿馬鹿しい、と思うような考えが浮かんでくる。

 

「断る。それとその呼び方はやめろ、スバル・ナカジマ二等陸士」

「別にいいでしょ? 私のこともスバルって呼んでいいよ」

「それも拒否する。……とりあえず離れろ。歩きづらい」零はスバルを腕から振りほどこうとするが、こうもガッチリつかまれていてはどうしようもない。

 

「零兄がいっしょにご飯食べてくれるなら、離すよ?」零がもがいていると、スバルはすねた子供のような表情で零の腕をさらにきつく拘束し、零が自力で逃れられないようにした。余計に振りほどけなくなる。

 

「意味がわからん。もう一度言う、離れろ」

「やだ」

「……」

「ねえねえ、零兄は何食べる? ハンバーグ? それともパスタ?」

「いい加減にしろ」少しきつく言う零。「おれはお前とは一緒に飯は食べないし、これ以上引っ付かれるのも御免だ。とっととおれの腕を離せ」

 

「……もしかして零兄、照れてるの?」強く言ったにもかかわらず、今度はいたずらっぽい笑みを浮かべ、スバルは自分の胸をぐいぐいと零に押し付けてきた。かなりわざとらしい表情だ。年頃の少女の胸が二の腕を優しく圧迫する。「へ~、零兄も女の子には弱いんだね」

 

 だが零は顔色一つ変えない。むしろさらに嫌そうな顔でスバルを引きはがそうとする。

 

「うっとうしい。何度も言わせるな、離れろ」

「無理しちゃって。ホントはドキドキしてるんでしょ?」

「おれは子供の身体なんかには興奮しない」

「むう。でも、さっきの模擬戦で私の足の間通り抜けた時、零兄が私のお尻しっかり見てたの、知っているんだからね」

「股の下を通り抜けたことは謝るが、おれはガキの尻にも胸にも興味はない」

 

 スバルがバリアジャケット姿においてスカートでなくホットパンツをはいていたことに心の中で感謝する零。もし彼女がスカートをはいていて、自分がその下着を見てしまっていたら、殴られても文句は言えない。そうなったら手加減して殴り返すつもりだが。

 

「う~。いじわる!」

「黙れ」

 

 これはもう収拾がつかないな、こうなったら雪風を身代わりにするか、と零は辺りを見渡すが、すでに雪風はシャマルに手を引かれて六課の隊舎へと入っていくところだった。

 こうなることを読んでいたのだろうか。見事なまでの戦術的撤退だ。ほんの少しの絶望感。

 

「あら、中尉ったらモテモテじゃない」フォス大尉がにやにやとした表情で歩み寄ってくる。「こんな可愛い女の子に好かれるなんて、もてる男はつらいわね『零兄』?」

「……今ほどきみを憎らしいと思ったことはないぞ」

「あら、ありがとう」

「褒めたんじゃない」

「わかってる」

「……」

「モテ男さん、早く食堂に行きましょ?」

「ほら早く行こう、零兄」と零の腕を引っ張るスバル。

 

 なんだかこちらに来てから女に振り回されるようになった気がするな、と零はあきれたように思う。はやて、なのは、シャマル、シグナム、雪風、フォス大尉、スバル、その他の六課のメンバー。もう全員が零を振り回そうとしているように感じる。そもそもなんでこんなにも六課は女が多いのだ。

 ブッカー少佐なら『フムン。女難か。お前もせいぜい苦労することだな、零』などと冗談まじりに言いそうな状況だ。くそう。

 

 自分にとってまともな人物はフェイトとか、ティアナ、エリオぐらいだ。いや、エリオは男だからいいか。

 キャロとリインフォースは、おっとりしている程度だから良しとしよう、と零は思う。

 

 それにしてもフォス大尉はこんなにもイタズラ好き、あるいは他人をからかうような女だっただろうか。

 フェアリィにいたころは、むしろこの自分が彼女を振り回しているような気がしていたのだが。

 

 

 

「キュクル~」

「あ、フリード! そっちは──」

 

 コツン、と頭に何かぶつかる感触。あまり痛くは無い。パタパタと羽ばたく音が間近に聞こえる。

 零はおのれの頭にぶつかった何かを右手でつまむ。生き物だ。

 

「キュ~?」

 

 零の目の前で首をかしげる白い小さな竜。フリードリヒだった。キャロ・ル・ルシエの使役する竜だ。戦闘時にはキャロの魔法──『竜魂召喚』だったかそんな名前の魔法で真の姿、つまり全長10メートルはあろうかという巨大な竜の姿になれる。先ほどまでの模擬戦でもその巨体を生かした攻撃──というよりは風で零を一瞬とはいえ追い込んだ。なかなかの力をもっている。

 

「もう、そっちは深井さんがいるから避けて、って言おうとしたのに。フリードったら……。ごめんなさい、深井さん」

「……いや、いい」

 

 キャロが謝る。普通、フリードリヒの愛称として用いられるのは『フリッツ』のはずだが、キャロはなぜか『フリード』といつも呼んでいる。

 まあ、自分が言えたことではないか、と次の瞬間には零は考えるのを止めている。自分だってジェイムズ・ブッカーのことを『ジャック』と呼んでいるではないか。本来、ジェイムズに対しては『ジム』『ジミー』が愛称として一般的だ。それを自分は無視して『ジャック』と呼んでいる。それと、同じだ。

 

「キュ~」

 

 零の手にすり寄ってくるフリードリヒ。人懐っこいのだろうか。悪い気は、しない。人差し指でその小さな頭を撫でてやると、気持ちよさそうにフリードリヒは目を細めた。

 

「あら、中尉って動物好きだったかしら」それを見ていたフォス大尉。

「まあ、人間よりは、な」

 

 ほんの少しの自虐を込めて言う。零にとって、人間とコミュニケーションするよりは、動物と戯れていた方がマシだった。動物とのコミュニケーションのいいところは、こちらのペースがどう変化しても相手はまったく気にしないところだ。人が相手だと、そうはいかない。黙ると、なぜ黙るのか、と言われるし、考えようとすると、もう別の話題になっていて、絶対に待ってなんかくれない。だから、人となんか話したくない。子供のころからそう思っていたような気がする。

 

「私はちょっと……ドラゴンは苦手なのよね」とエディス。

「え、どうしてですか?」と意外そうにエリオ。

「う~ん。簡単に言うとね、私のいた国だとドラゴンは悪の化身みたいな扱いなのよね。いろんなお話でもドラゴンは悪者扱いだし。……だからかしら、この子は怖くないけど、その、ちょっと苦手なの」

「そうですか……」少し残念そうなキャロ。

「でも、深井中尉の国ではドラゴンは神様の使い、ってことになっていたはずよ」

「……まあな」

 

 キリスト教では竜、つまりドラゴンは悪魔の象徴だ。反対に東洋において竜は皇帝の象徴であったり、神の一種として信仰されている。竜、と聞いて良い顔をするのは東洋文化圏の影響なのだ。零の知っている限り、この世界には竜に対する苦手意識はあまり無いようだ。

 

 しばらく撫でていると、キュ、という小さな鳴き声とともに零の手を離れ、ぱたぱたと零の周りを飛び回るフリードリヒ。

 

「フリードは深井さんに懐いているみたいですよ?」とキャロの後ろにいたエリオ。

「……おれに?」

「零兄って動物に嫌われそうなのにね」さりげなくスバル。

「うるさい」

 

 零が無造作に右腕を出すと、フリードリヒはその腕にふわりと降り立ち、安心したような態度で零を見つめてきた。空を飛べるだけあって、軽い。大きさが小型のタカほどもあるせいか、零はフリードリヒが竜ではなく普通の鳥であるような錯覚を覚えた。そもそも鳥類は爬虫類から進化したのだから、あながち間違いではないのかもしれない。竜はどう見ても爬虫類の系統だ。

 

「ほらフリード、深井さんに迷惑かけちゃダメだよ?」キャロがそう言って手を差し出すと、フリードリヒは零の腕からジャンプし、キャロの手のひらに飛び移る。

 

「キュ~」フリードリヒはキャロの手の上にのったまま、零の眼を見つめる。態度は人間に飼い慣らされた獣そのものだが、その瞳の中にはわずかながら『野生』という力が見え隠れしているようだ。紅い宝石のような眼を見て零は思った。

 

「フリードリヒ、か」

「特殊戦にもいたわね、確か」

「へ?」とスバル。

 

 フリードリヒと同じ名前の人間を、零とエディスは知っていた。特殊戦二番機カーミラのフライトオフィサ、フリードリヒ・ポルガー中尉だ。特殊戦地下ハンガーの中でカーミラと雪風は隣同士だったから良く覚えている。確かドイツ人だったはずだ。地上管制官としての経験があり、優秀なやつだったらしい。

 

「フリードリヒって名前の人が特殊戦にもいたのよ。フリードリヒ・ポルガー。歳も階級も深井中尉と同じだったはずよ」エディスが説明すると、三人は目を輝かせた。

 

 そのあと十分ほど、なし崩し的に零とエディスは三人に質問攻めにあった。同じ名前の人間がいたというだけでも、彼らの好奇心を刺激するには充分であった。フェアリィ空軍のこと、特殊戦のこと、ブーメラン戦士のこと、使われていた戦闘機のスペック・値段のこと、戦闘機だったころの雪風のこと。

 エディスはそれらを三人にわかりやすく説明した。

 

 フェアリィ空軍と特殊戦の『真実の姿』をうまく隠したまま。

 

 

 

 

 

 

──負けた──

 

 ティアナは皆より一足早く自室に戻り、一人うなだれていた。模擬戦で零に対し全く歯が立たなかったことが彼女を激しく落ち込ませていた。

 

 綿密に組み上げた作戦。模擬戦の前にあらかじめシグナム副隊長やその他の人から深井零の戦法を探り出し、クロスミラージュに彼の飛び方を解析させ、その飛行制御に空力も利用していることまで突き止めた。

 雪風の情報収集能力の高さも理解していた。彼の背後から襲いかかろうとしても無駄だ。それを逆に利用してうまく誘導させることも考えついていた。

 

 周囲を敵に囲まれていることをわざと知覚させ、おとりとなるスバルを目の前に配置し、上空からフリードリヒで強襲を仕掛ける。そこで突風で彼の機動を乱し、混乱しているところでとどめを刺す。確実に成功するはずの布陣だった。

 

 しかし深井零の状況判断能力は自分の想像を超えていた。一瞬のうちに突破口を見出し、すかさず反撃に転じた。あの布陣ではスバルの背後に回られると誰も彼を攻撃できなくなってしまう。それを、見破られた。火力や機動性で負けたのではない。彼の戦況を読む力が、自分の戦術を打ち破ったのだ。

しかも、だ。

 

──私の幻術を簡単に見破るなんて──

 

 戦いにおいて『絶対』というのはありえない。何事も奥の手を隠し持っておくことが重要だ。あの布陣が破られた時のために、と用意しておいた最後の手段、それさえも彼は見破った。

 

 弾幕で彼の視界を遮ったあと幻術魔法で一体の幻影を作り出し、彼の注意をそちらにそらすことで背後に回り込み、ケリを付ける。少々卑怯なやり方ではあったが、彼に正面からぶつかって勝てる保証はない。戦術的には正しい判断だと思っている。

 

 融合中に雪風がレーダーや赤外線で周囲の状況を見ていることは承知している。だが自分の作り出す幻影は攻撃を受けない限り見破られることはない。原始的なレーダーシステムや赤外線センサー程度なら完全に騙し通すことなどわけない。ほぼ確実に裏をかけるはずだった。

 

 なのに深井零は気づいた。それどころか背後に回り込み、オプティックハイドをかけて透明化していた自分の位置を正確に把握してきた。この幻術も、レーダーや赤外線に対しては完全に自分の、あるいは他人の姿をステルス化できるシロモノだ。もちろん肉眼での観測は不可能ときている。

 観測できるとしたら足音くらいのものだが、自分はほとんど足音らしい音を立てていなかった。雪風がそれほど高度な集音機能を備えているというのは聞いていない。聞いたのは複数のレーダーシステムを利用しているということだけだ。レーダーで音を拾えるわけがない。音を拾うのはマイクやソナーだ。

 

 まるっきり勘でこちらを撃ったわけではないのは明白だった。彼はこちらを撃つ瞬間、ほんのわずかに微笑んでいた。『そんな程度で隠れたつもりか?』と嘲笑っているかのような顔だった。

 自信に満ち、相手を小馬鹿にしたような目つき。不敵な笑みを浮かべる口元。それらがティアナの脳内に焼き付き、彼女のプライドを痛めつけた、格の違いを見せつけていた。

 

「……」

 

 ギリ、とくやしさから唇を噛むティアナ。あんな男に。それまで魔法のことなど何一つ知らなかった男に、自分は負けたのだ。訓練校で懸命に勉強してきた自分が。いとも簡単に。

 しかも剣の使用とCDSの使用を禁じ、なおかつ低高度での戦闘に限定、という大きなハンデがあったというのに、だ。雪風という優秀なユニゾンデバイスがパートナーとはいえ、そのハンデを背負ったまま四対一で勝つというのはもはやエースの域である。突破口を見定め、幻術を見破る彼の戦術眼はとてつもないものだ。

 

 あの人は、何者?

 

 そんな疑問が頭の中を渦巻く。隊長たちは彼を次元漂流者で戦闘機のパイロット、と紹介していたが、戦闘機のパイロットであるというだけであれほどの戦闘勘を養えるものなのだろうか。

 

 

『すごいよね、特殊戦って。帰還率100%だよ』

 

 突然、キャロの声が聞こえた。廊下からだ。特殊戦?

 

『ブーメラン戦隊っていうだけのことはある、かな?』

『よっぽどのエースじゃなきゃ無理だよね、そんなの』

 

 エリオとキャロの話声だ。二人で何か話している。足音もかすかに聞こえるから、歩きながら話しているのだろう。何の話だ? 帰還率100%? ブーメラン戦隊? エース?

 

 特殊戦、というのは聞いた覚えがある。深井零が所属していたフェアリィ空軍の特殊部隊のことだ。以前、零と雪風を紹介するときに八神隊長が使った言葉でもある。

 

「ブーメラン……」

 

 その時はどういったことが特殊なのかの説明は受けなかったが、もしかして、とティアナはエリオとキャロの会話から類推する。

 

 映画くらいでしか知らないが、戦闘機での戦いは苛烈だ。殺し合いなのだから当然だが、敵を叩けば絶対にその反撃を受ける。映画でも味方の機はやられることが多い。部隊の損害がゼロというのはまずありえないだろう。

 だが、特殊戦のパイロットたちは全員帰還してくる。それはつまり──

 

 

──特殊戦は、トップエースだけを集めた、フェアリィ空軍の超精鋭部隊?──

 

 絶対に帰ってくる、それだけでも充分エースとしての条件を満たしているだろう。だからこそのブーメランというあだ名なのかもしれない。ブーメランは、必ず手元に戻ってくるものだ。

 

 帰還率100%の超精鋭部隊、特殊戦。深井零は、そんな部隊に所属していたのだ。

 

「……凡人が、勝てるわけない、か」

 

 それでは自分みたいな凡人が勝てるわけない、ティアナは諦めにも似た黒い感情を胸の中から全身に噴出させる。身体が震えた。そんな天才に、勝てるわけがない。深井零は生粋の戦士だ。それにユニゾンデバイスの強力な力が加われば、もう無敵だろう。魔法による戦闘経験の少なさを、天性の才能で補っているのだ。

 

「……どうしてよ」

 

 どうして自分の周りには、そんな才能のある人間ばかり集まってくるのだ。ティアナは両手に力を込める。隊長陣も、フォワードの皆も、才能の塊だ。それなのに、自分ときたら、ただの凡人でしかない。そこへどうして、さらに才能のある人間がやってくるのだ。どうして私をみじめな気持ちにさせるのだ。

 

 アグスタの一件で、六課における深井零と雪風の株は大きく上がった。彼らのCDSが大量のガジェットを撃墜し、こちらの損害を最小限にとどめたからだ。

 

 だがあれは、自分たちが手をこまねいているところへ、深井零がさっそうとやってきて手柄を自分のものにした、とも解釈できる行動だった。

 

 それがティアナには許せなかった。助けてくれたことは感謝している。しかしあの時の彼の行動は、まるで自分たちが役に立たない存在である、と言っているように感じられたのだ。

 おれ一人で充分だ。お前たちはひっこんでいろ、邪魔だ、と。

 

 ティアナの脳裏に、深井零の自信に満ちた微笑みが浮かぶ。みじめな自分を蔑むような、あの表情。

 

『お前みたいな凡人が、おれに勝てると思っているのか?』

 

 あの男にそう言われるのを想像して、ティアナの心は怒りと悔しさではちきれそうになった。あんな、男に、私の今まで積み上げてきた努力を、価値のないものにされてたまるものか。

 

 

「今度は、負けない」

 

 

 ティアナの静かな宣言に応えるものは、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

「ブーメラン戦士、ってなんだかカッコイイ名前だよね、エリオくん」

「そう、かな」

 

 ブーメラン戦士について嬉しそうに語るキャロを見ながら、エリオは少しおどけたような顔を見せた。ブーメラン、という響きは悪くはない。だがカッコイイ響きかどうかと訊かれると微妙なところだ。

 

「僕は……雪風さんがものすごい戦闘機だったことの方が興味あったし、驚いたかな?」

「雪ちゃん?」

「うん、だって、あんなに、その……可愛いのに、戦闘機だったころはマッハ3で空を飛んでいたなんて」少し顔を赤らめ、たどたどしく言うエリオ。

 

 微妙な年頃のエリオにとって、雪風はかなり興味を惹く存在だった。異性で、見た目の年齢がそれほど違わないしなによりあの美しさだ。無視しろという方が無理な話だった。どうしても魅力的な異性として意識してしまう。

 

「そう? わたしはそんなに気にならなかったけど」あまり気にしていないようなキャロ。戦闘機ということに大きく反応してしまうのはやはり男の性なのだろうか、漠然と思うエリオ。

 

「エリオくんは、戦闘機とか好き?」

「え? う~ん、どうだろう。好きかどうかはわからないけど、かっこいいとは思うよ」

「ふ~ん。男の子って皆そうなのかな?」

「さあ。僕がそう思っているだけかもしれないよ」

「わたしは、今の可愛い雪ちゃんの方が好きかな」ふわり、と微笑むキャロ。「真っ白で、ふわふわで、ぷにぷにしてて、とっても可愛いんだもの」

「う、うん、そうだね」エリオは自分の顔が少しだけ熱くなったのを意識した。これは雪風のことを考えたからなのか、それとも目の前にいるキャロのせいなのか、わからない。

 

「でもさ、深井さんがあんなに優しい人だったなんて、びっくりしちゃった」

 

 だがキャロの口から出てきたその単語が耳に入ったとたん、急激に顔の熱が冷めていくのをエリオは嫌というほど感じ取った。

 

「ああ、深井さん?」なるべく平静を装うエリオ。「確かに最初はすごく怖そうな人だと思ったね」

 

 確か、あの雪風は彼と同じ部屋で、同じベッドで寝ているのだ。それを考えるとほんの少し、黒い感情が胸の中に生まれる。これが嫉妬、という感情なのだろうか、エリオはそっと思う。深井零は長身で、顔も良いし、頭も良い。やはり同じ男として微妙に対抗心がある。

 

「エリオくんもそうだった? わたしもね、初めて会った時はすごい怖そうで、冷たくて機械みたいな人だなって思ったの」

「でも、話してみたら違ったよ」

「うん、フリードのことも可愛がってくれたしね」

 

 ね、フリード、とキャロは自分の頭上で羽ばたくフリードリヒに微笑む。フリードリヒはキュ、と嬉しそうに声をあげた。フリードリヒも彼のことが気に入ったらしい。

 

 六課にも男はいるが、前線の、しかも戦闘まっただ中の最前線に出るメンバーに男はエリオ一人しかいない。だから深井零の存在はエリオにしてみると男仲間ということでそれなりに親近感が持てた。もちろん雪風のことで嫉妬はするが、それとは別である。

 

「結局スバルさん、深井さんから離れようとしなかったよね」

「うん」

 

 あの行動についてはエリオも理解できなかった。恐らくまだあの二人はもめていることだろう。夕食の時までに解決してくれれば良いのだが。

 

「スバルさんを子ども扱いしてたけど、深井さんて歳いくつだっけ」とキャロ。

「えっと……確か29か30だったと思うよ」

「そんなに?」

「エディス先生がそう言ってたからたぶんそうだよ」

「29だとすると……14歳も違うんだね」

「だね」スバルとそれだけ歳が離れているのだから子ども扱いも納得だ。自分たちなど彼の人生の半分程度しか生きていないのだ。

 

「……深井さんてさ、なんだか雪ちゃんのお父さんみたいだよね」

「お、お父さん?」突然の話題の変更にエリオはとまどった。「あの、深井さんが?」

「うん、だっていつも仲良いし、雪ちゃんも深井さんのこと好きみたいだし」

「まあ、30歳いっているなら雪風さんぐらいの歳の子どもはいそうだけど……。じゃあ、シャマル先生が、お母さん?」

 とっさに出てきた名前がそれだった。

 

 違うの? と、きょとんとした表情でエリオに問うキャロ。彼女の中ではそれが当然のことになっているのだろうか。

 そういえば、確かキャロは雪風に会って間もない頃、雪風のことをシャマルの隠し子だと思っていたのだ。そのことを思い出して頭を抱えそうになるエリオ。

 

「い、いや、別に違うとは言ってないけど……」ううむ、とエリオは悩む。確かにそういう見方もあるかもしれない。でもあの二人が夫婦、というのはあまり想像できない。性格が真逆すぎる。「じゃあ、エディス先生は? 深井さんといつも一緒だよ」

 

 あまり仲良くないけど、というのは付け加えない。

 

「え~と、じゃあ愛人、ってことかな?」

「うわぁ」

 

 子持ちの夫婦と、その夫と浮気する愛人。いったいどこの愛憎劇だそれは、と内心つっこみを入れるエリオ。しかも相当ドロドロしたものになる予感しかしない。あまりそういうものを見ない自分でもわかる。

 

「でも、雪風さんのお父さんっていうのは分かる、かな」愛人というのは置いておき、雪風の父親ということを話題に出す。「二人とも何か似ているんだ。態度っていうか、性格っていうか・・・オーラとでもいうのかな、それが似ているような気がするね」

「でしょ? だから、雪ちゃんのお父さんは深井さんで決まりだよ」

「ははは……」

 

 オーラが似ている、というのはあいまいな表現だが間違ってはいない、とエリオは思う。あの二人の見た目は全然違うのに『何か』が似ている。性格でもないし態度でもない『何か』が良く似ているのだ。その観点からするとキャロの言っていることも的を射ているといえるだろう。確かにあれは親子と表現するのがぴったりかもしれない。

 

 以前に彼は『雪風を傷つけるものは味方であろうと殺す』と宣言したことがある。あの時はエリオも驚いたが、彼が雪風のことを娘のように感じているのならばあのセリフも理解できるものになる。

 つまりあのセリフを変換すると『娘を傷つけるものは殺す』というものになるわけだ。なるほどこれならば自分にも理解できる発言だ。このくらいのことを言う父親はざらにいるだろう。むしろ一般的かもしれない。

 

 あれは、娘を守る父親としてのセリフだったのだろうか。そうだとしたら彼は相当に雪風のことが大切なのだ。

 

 雪風は、どう思っているのだろう。彼のことを。父親のように感じているのだろうか。

 

 

──訊いても、何も答えないだろう。『彼女』はそういう存在なんだ──

 

「え?」突然そんな考えが頭をよぎり、しばしエリオは立ち尽くす。

 

「どうしたの?」急に立ち止まったエリオを不思議に思ったのか、キャロが訊く。

「……ううん。なんでもない」エリオはさっきの考えをすぐに消去し、別のことを考えることにした。「それよりも、キャロは何食べる? 夕飯」

「え? えっとね、クロワッサンかな」

「雪風さんと同じだね」キャロに微笑むエリオ。クロワッサンは雪風が良く食べているものの一つだ。

「クロワッサン美味しいよ? エリオくんもいっしょに食べよう」

「うん、わかった」

 

 

 さっき頭をよぎった思考は、もう忘れていた。

 

 


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