魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第二十四話 神と妖精と人

 風の妖精、シルフが飛ぶ。白い肌、白銀の長い髪をなびかせ、透明な翼をきらめかせて。金色の光粉をふりまいて飛ぶ。空色の眼、妖しい笑みを刻む紅い唇。やわらかな曲線の胸、ひきしまった腰。すらりと伸びた脚。

 

 シルフ、風の精霊。自在に大空を舞い、そよ風を立て、暴風をまきおこす。

 

 シルフが両膝を直角に曲げる。折られた下腿はすっと厚みを失い、鋭いナイフのように垂直に立つ。シルフは腕を後ろにし、翼をつかむ。翼が後退して、不透明に変わる。シルフの頭部が伸びる。

 

 大出力エンジン点火。シルフィード。スーパーシルフ。双垂直尾翼、先端で下に折れ曲がった主翼。機首にパーソナルネーム。漢字で、雪風。

 

 超音速で雪風が飛ぶ。フェアリィの森が超音速衝撃波でなぎたおされる。

 

 ふと機首を上げたかと思うと、今度は天をめざして急上昇。あっという間に雲をつき破る。

 

 分厚く暗い雲をつき破ると、再び姿が変わる。垂直尾翼がなくなり、大きな主翼が前を向く。漆黒に。

 

 メイヴ、妖精の女王。風を従え、雲をつき破り、空を統べる。

 

 雪風だ。零は雪風が飛ぶのを見る。あのコクピットには自分が乗っている。では、それを見ているこの自分は、だれだ? 雪風が旋回して接近してくる。零はコクピットを見る。

 

 だれも乗っていない。

 

 超音速で雪風が遠ざかり、虚空に消えてしまう。雪風、雪風、どこへ行くんだ……このおれを置き去りにして?

 

 

「雪風」

「目が覚めました?」

 

 零は目を開く。薄暗い天井がぼんやりと見えた。近くから女の声が聞こえる。

 

「……だれだ」

「私です。おはようございます、深井さん」

 

 暖かく穏やかな声だった。零は起き上がって視界をはっきりさせるために数回瞬きした後、声の方を見やる。

 シャマルがベッドの縁に座って、寝ている雪風の頭をゆっくりと撫でていた。起こさないように、優しく。雪風を見つめるその眼差しは聖母のそれのようだ。怒りや悲しみといった負の感情など微塵も感じない。どこまでも、優しい、母のような。

 

 彼女はどうやら自分達を起こしに来たようだ。

 どうやって部屋の扉のロックを解除したのかは気にしない。いつものことだ。

 

 もうそんな時間なのか、と零は時間を確認する。だが壁に掛けられた時計は起床時間よりも前の時間を示している。まだ15分ほど寝ていられる時間だった。

 零は覗き込むように雪風の顔を見る。雪風は零とは反対方向、つまりシャマルの方を向いて寝ていた。夏空を連想させるような鮮やかな青の瞳はいまだ閉じている。こころなし開いた唇かかすかな寝息を立て、シルクのように長く艶のある髪は彼女の可愛らしい顔にまとわりついている。

 シャマルと雪風、二人の色白の肌をカーテンの隙間から漏れた光が撫でる。木漏れ日のようなそれは雪風のやわらかな頬を照らし出し、この薄暗い部屋の中でその白磁のような白さを際立たせている。

 

「……なんで、あんたがここに?」

「起こしに来たつもりなんですけどね」シャマルは雪風を起こさないように小声で言う。「雪風ちゃんの寝顔があんまり可愛くて、つい」

 

 そう言って雪風の頬をツンツン、と指先でつつく。指を離すたびに張りのある雪風の頬が元の形に戻り、その反動でほんのわずかに揺れる。感触が気持ちいいのか、シャマルは何度もそれを繰り返した。

 なるほど、と零は起き抜けの鈍い頭で納得する。彼女は自分達を起こしにきたのだが、雪風の可憐な寝顔を見て起こすに起こせられなくなってしまったようだ。たしかにこの無垢な寝顔を見たら起こせないだろう。

 

 零は雪風を起こさないようにベッドから抜け出す。寝巻きとして使っているジャージがシーツとすれる音が聞こえる。ベッドから足を下ろす。カーテンが朝日をさえぎっているため薄暗いが、歩くのに何の問題もない。

 そしてクローゼットから服を出そうとして、その手を止める。

 

「……着替えるから外に出てくれないか」

「私には構わないでください。雪風ちゃんしか見てませんから」

 

 シャマルは零の言葉を軽く受け流すと、さっきまで零が寝ていたベッドのスペースに自らの身体を滑り込ませた。雪風を起こさないよう、静かに。

 

「ん~。フワフワ~」

 

 母親が幼い娘を愛でるように、シャマルは彼女の身体をそっと抱きしめる。雪風はそれにも起きる様子はなく、小さな身体をもぞもぞと動かしただけだった。

 シャマルのこういった行動に対してもはや零も慣れたもので、軽くため息をついてからクローゼットの中に手を伸ばし、フェアリィでよく着ていたものと似たスカジャンを取り出す。少し前にエディスがどこかで買ってきてくれたものだ。多少デザインは違うが、遠目には同じに見えるほど似ている。質感もそれに近かったので、零にとってはありがたかった。同じものを5着も買ってきたのは余計だと思うが。

 それとTシャツとズボン、下着を持つ。さすがの零でも恋人以外の女性がいる状態で着替えるのは気が引けたので、しかたなく男性用の更衣室で着替えることにした。

 

「雪風ちゃんは私が見てますから、朝ご飯食べてきてもいいですよ」

「……わかった」

 

 シャマルの言葉に対して振り返りもせず零は部屋を出る。

 

 なんだか子持ちの夫婦みたいだな、という心のつぶやきはすぐに頭の中から消した。

 

 

 

 

 

 ホテル・アグスタの任務は、一応、成功した。

 襲撃してきたガジェットは六課の活躍により全て破壊。ホテル側も六課もほとんど人的被害はなかった。

 ただし零と雪風のCDS攻撃を受けて爆発したガジェットによる二次的な被害──爆発衝撃波によるガラス破損・地面の陥没・樹木の炎上など──と、地面によって反射したCDSによる被害──ネットワークケーブルの破壊・ライフラインに内蔵されたコンピュータの全損・外部照明の消失──があったことで、百機を超えるガジェットを撃墜したにも関わらず、零は八神はやてに説教を食らうことになった。

 もう少し考えて撃て、と言われたのだが──無論、零にとってそんな説教など馬の耳に念仏だった。

 戦えば周囲に被害が出るのは当然のことだろう。それがどうした、おれには関係ない、と堂々と言われてしまっては、さすがのはやてもあきれるより他なかった。

 

 はやてにとっての誤算は、零がFAFという『軍事機構』に属している意識のまま、管理局という『警察機構』の仕事を行っていることにあった。

 警察の役割は治安を守り、市民を悪人から守ることにある。だから周囲への被害は最小限にとどめるよう努力をし、自らの命に代えても市民を守るのだ。もちろん、軍隊の場合もそれに近いものがある。内外の脅威から国を守り、国民を守り、国土を守るのだ。時空管理局はそれらの要素を併せ持った組織であると言える。

 

 だがそれがFAFの場合は話が違ってくる。FAFも通常の軍隊と同じように地球をジャムという敵から守ることを目的としているが、他の軍隊とは全く違う点がある。

 地球の軍隊も相手にしなくてはならない、という点だ。

 フェアリィ空軍は地球最強の空軍と言っても過言ではない。地球の先進国が開発した最新鋭戦闘機ですら歯が立たないジャムの戦闘機を、いとも簡単に、息をするかのごとく撃墜することができるのだから。

 それは地球側にとって面白くないことだった。地球の国々にしてみればFAFが地球に反旗を翻した場合、どの国も太刀打ちできずに負けてしまうか甚大な被害をこうむることになるのだ。

 実際のFAFはジャムの相手をすることで手一杯であり、地球の相手をするほどの余裕はなかった。しかし地球の人間たちはそんなこととはつゆ知らず、FAFに食糧自給の禁止という強力な首輪を付けた。常に地球から食料の供給を受けなくては存続できないように、強大な軍事力が独り歩きしないように。

 こうした境遇にあったFAFにとっての敵とは自らの存在を脅かすものであり、それはジャムであろうと地球人であろうと関係なかった。己の生き残りのためならば、民間人さえも犠牲にする。周囲の被害など考えない。

 そしてフェアリィ星には民間人という人種は存在しない。全ての人間は軍属として取り扱われる。だから『市民を守る』などという目的も概念もはなから存在していないのだ。

 零もそうだった。だから周囲への被害を考慮しない戦い方をしていた。シグナムとの模擬戦でも、目くらましのためにGUN攻撃でビルを丸ごと粉砕するという、通常任務では考えられない暴挙に出ていた。そのときは無人であることが分かりきっていたから、皆も彼を非難することはなかった。

 

 零は『どんな手段を使ってでも敵を殲滅し、己の安全を確保する』という考えだった。

 はやて達は『戦闘に市民を巻き込むことは絶対避けるべきであり、周囲への被害は最小限に抑えなくてはならない』という考えだった。

 はやて達は零のそういった思考を知らなかったし、零もはやて達の考えを知らなかった。それが、互いのすれ違いを生んでいた。

 

 

 ──さて、何を食べようか──

 

 そんなことなど一向に気にしていない零は、着替えて洗顔、歯磨き、などをしてから食堂に向かっていた。

 着替えた際に脱いだジャージを部屋に戻しに行ったら、シャマルは雪風を抱きしめながら一緒に熟睡していた。ミイラ取りがなんとやら、というやつだ。あまりに心地よさそうに寝ていたので零は2人をそっとしておいた。

 歩きながら、ヒゲを剃った時に少しばかり痛めてしまった顎の下を軽くさする。以前に愛用していた髭剃りはもちろんこちらには無いので支給された安物を使っているが、あまり零の肌に合わなかった。ヒリヒリする。そろそろ市街のデパートかどこかで新しい髭剃りを買った方がいいかな、と少し思う。ついでに服やその他の日用品も新調したい。

 

「おはよう、中尉」突然、背後から声をかけられた。零は振り向かない。声でフォス大尉だとわかる。「珍しいわね、一人でいるなんて。雪風は?」

「まだ寝てる」零は率直に答える。

「そう。まあ、今日は特に何もないしね。ゆっくり寝かせておけばいいわ。……中尉、なんか疲れてるみたいだけど、何かあったの?」気だるそうな零の様子を見てエディスが尋ねる。傍からから見るとそんなに疲れて見えるのだろうか。

 零はどう答えるべきか迷って、一言だけ告げた「シャマル」と。

 エディスはその単語の意味をしばらく考えたのち、何かを悟ったような表情になる。

 

「なるほど。朝から『お楽しみ』ってわけね」

「どういう意味だ、それは」

 

 彼女の突拍子もない言葉に、珍しく零は動揺した。思わず足を止める。ちょっと待て、どういう思考回路を巡ればそんな答えが出てくるんだ。

 

「違うの? てっきり朝からシャマル先生とイイコトしたのかと──」

「違う」ここで誤解されてはかなわないので、強めに、零。「彼女は起こしに来ただけだ。おれと彼女はそういう関係じゃない。第一、雪風がいるのにそんなことできるわけないだろう」

「へえ」と薄い笑いを浮かべるエディス。「でも、朝起きたら美女が同じベッドの上にいるなんてシチュエーション、意外と嬉しかったりするんじゃないの?」

 

 その不敵な表情から見るに、どうやら彼女はこちらをからかいたいだけのようだ。まじめなカウンセリングだったらこんな朝から男女の話題を出すわけがない。それに、質問攻めにするならこんな廊下よりもどこか落ち着いた部屋で行うことだろう。食堂に着いてからだっていいはずだ。

 

「彼女はタイプじゃない」カウンセリングでないのをいいことに零は言ってやる。「確かに美人ではあるが、ああいう女は苦手なんだ」

「じゃあどんなタイプがお好み? 面倒見のよさそうな人? 気の強いシグナムさんみたいな人? なのはさん? ……もしかしてクーリィ准将みたいな──」

「ノーコメント」

「いいじゃない、少しぐらい。私はあなたの主治医よ」

「主治医だからといってプライベートな部分まで詮索しないでくれ。きみには関係の無いことだろう」

「じゃあ上官命令」すねたようにエディス。

「職権乱用だな」フフン、と零は鼻で笑う。

 

 フォス大尉は確かに階級上は零の上官にあたるが、零はブッカー少佐直属の部下であり、フォス大尉も少佐の指揮下にある。お互いに命令し合える立場ではないことは明白だった。いかなる理由があろうとも、2人に命令できるのはブッカー少佐とクーリィ准将だけだ。

 そしてそれ以前に、医務官はどれだけ階級が高くても指揮をとることはできない。軍隊の鉄則だ。零はそれを意識する。彼女もそれは承知の上なのだろう。これは遊びだ。

 

 食堂に着いた零は、いつものようにトーストとハムエッグ、サラダ、オニオンスープのセットと熱いコーヒーを選んで適当なところに座り食べ始める。

 エディスもそれを追うように彼の隣へ座る。どうやらまだ話を続けるようだった。もはやストーカーじみている。零はうんざりしたようなため息をついた。

 

「なあに、その態度。そんなに私が嫌いなの?」とエディス。

「確かに」と零。「きみのそういう性格は嫌いだ」

 

 零は少し乱暴にトーストをかじる。焼き立ての香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。うまい。

 エディスはインドのパン、ナンでカレーをすくって、食事を始める。

 

「ずいぶんとはっきり言うのね。日本人は物事をYES・NOで断言することを避けるって聞いたのだけれど」

「誰から聞いた」

「ブッカー少佐」思っていたよりもカレーが辛かったのか、グラスの水を半分まで飲み干すエディス。「彼が言うには、あなたにもまだ日本的な考えが残っているらしいわ。日本人独特の考え方、というか、言動というか。……とりあえずアメリカ人の私には理解できない日本的部分をあなたは持っている」

「それが、おれの精神分析になにか関わりあるのか」

 

 その質問を待っていた、というようにエディスの口角がわずかに上がるのを横目で見た。上手い誘導の仕方だと零は思う。フォス大尉は心理分析官としての知識経験を抜きにしても、こういうやり取りには慣れている。

 人間はウソをつくときに特有の行動をするという。彼女もそれを熟知しているはずだ。だから、だれがどの時点でウソをついたか、おおよその見当がついてしまう。それだけで心理戦には有利となる。逆に、相手を簡単にだますことも可能だろう。

 文字通り特殊な精神を持っている特殊戦の人間ならば彼女のトリックに踊らされる可能性は少ないだろうが、お人好しの多いこの機動六課において心理戦で彼女に敵う者はいないだろう。あくまで憶測だが。

 

「おおありよ。カウンセリングにしても心理分析にしても、その人の精神の根底にある『何か』を理解しないことには始まらないわ。コンピュータのプログラミングをする人間がそのコンピュータのOSを理解しなければいけないのと同じようにね」

「自分が日本的だと意識したことはないが」

「少なくとも精神の基盤構成がその民族社会に大きく影響されるのは確かよ」

「そうなのか?」

「特殊戦はどうだった? 出身国によって全く性格が違ったでしょう。それが証明よ」

「国民性というやつか。悪いがおれはそれを実感したことはない」

「どうして」

「ブッカー少佐以外とは、ほとんど話したことがないんだ」

 

 あらま、とエディスは肩をすくめた。それじゃあしょうがないわね、と小さく呟いたのが聞こえた。

 

「日本は世界的に見ても恐ろしく特殊な地域よ。大規模な異民族の侵入を受けた経験がない上に、欧米列強の植民地支配を受けたこともない。それ以上に、2000年近く一つの王朝が途絶えたことが無いだなんて、特殊どころか異常よ。普通は二百年くらいで王朝が交代するか革命が起きて共和制になるものなのに、日本ではそれが起きていない。少佐から聞いているわ、『日本人が普通だと思っていることはだいたい普通じゃない』って」

「詳しいんだな。全部少佐の入れ知恵か」

「それもそうだけど、私のいたロサンゼルスは日系人が多かったから」

「フムン」

 

 小さくうなずきながらフォークでサラダのレタスとトマトをまとめて零は突き刺し、口に運ぶ。ドレッシングのほどよい酸味が舌を刺激する。

 日本人の普通は普通ではない、か。皮肉やジョークの好きな少佐の言いそうなことだ。

 

「私の生まれたアメリカ合衆国は、建国してから三百年もたっていない若い国よ。そして──あまり言いたくはないけど、白人による先住民族への侵略で誕生した国でもあるわ。日本人からしてみたら想像できないかもしれないけど、世界的には異民族の侵入を受けた国の方が多いのよ。侵略によって生まれた国だって少なくない」

「日本もモンゴルの侵攻を受けて撃退したがな。国の成り立ちがその国の民族心理に大きな影響を与えるのは理解できるが……。ジャックと会話していて日本人とイギリス人の違いを意識したことはなかったぞ」

 

 少佐、ではなく、ジャックと言ってしまった零にエディスは目を細める。

 

「少佐は長年FAFにいるから、他の民族への接し方を心得ているはずよ。それに、日本オタクだから日本人の考え方をよく理解しているのよ。日本人のあなたが違和感を感じないほどに」

「そんなに違うものなのか。民族間の違いってやつは」

「まあね。極端な例を挙げるなら、東洋と西洋ね。考え方が180度違うわ」

「自然は全て神が人間に与えたもの、とかいうバカげた思想が西洋だろう?」

「バカげた、とはまたスゴイ言い方ね。そう思うこと自体が東洋的よ」

「人間が所有できるのは自分の心だけだとおれは思っている」

「東洋と西洋の思想が相互理解不可能なほど隔絶している、とまでは言わないけれど、両者の間には大きな差が──キリスト教による思想の変化で生まれた差があるのよ。一神教徒と多神教徒の考えが根本から違うようにね。日本て多神教なんでしょ?」

「神道のことか。別におれは信じていない」

 

 吐き捨てるように零は言う。自分は、神など信じない。信じられるのは己と、雪風だけだ。

 

「シントウだか何だか知らないけど、それは多神教なんでしょう?」

「ああ。だが多神教が珍しいわけでもないだろう。ヒンドゥー教だって多神教の一つだ。仏教だって多神教的な側面がある」

「確かに」エディスは紅茶を味わいながら、言う。「多神教は世界的にありふれた存在よ。でも、日本の神道はまた独特なのよ。アニミズムという思想を孕んだ一種の原始宗教が、先進国、それも一億もの人間に普遍的に定着しているというのは普通では考えられないものよ」

「神道が原始的、というのか。キリスト教から見たらそうかもしれないな」

「そこまでは言っていない。キリスト教もイスラム教も仏教も、全て価値のある人類の財産よ。先進的だとか原始的だとか、宗教に優劣なんて存在しないわ。家にまで勧誘に来るようなカルト宗教は滅べばいいとは思ったことがあるけれど」

「で? その神道がどうなんだって」

 

 話が脱線しそうになるのを察した零は質問する。気だるそうに。

「以前、雪風のプロファクテイングをブッカー少佐に命令されたとき、私は『たかが戦闘機相手に精神分析?』と思っていたわ。戦闘機がそんな高度な知性──独立した意思を持つだなんて、夢にも思わなかったの。でも少佐は大真面目に『雪風は独自の意思を持っている』って言っていた。雪風は『戦闘知性体』だって」

「それが?」

「キリスト教において、人間以外の存在が心を持つという考えはあまりないの。だから、コンピュータに心が宿るだなんて考えないし、もしそうなったらコンピュータが人間に反乱を起こすのではないかと不安になるのよ」

 

 ハリウッド映画等で、ロボットが人間に反乱を引き起こす作品が多いのはそのせいよ、とエディスは付け加える。ハリウッドは彼女の故郷、カリフォルニアにある。

 

「でも日本人はそうじゃない。ブッカー少佐によれば、神道は『この世の全てのモノに魂が宿る』『全てに神が宿る』って思想らしいじゃない。800万も神様がいるというし」

「八百万(やおよろず)というのは数えきれないほどの神がいることを表す比喩だ。実際はもっといるかもしれない」

「この世の全てに魂が宿る、すなわちアニミズムという思想は『コンピュータにも魂が宿る』という認識につながっているのだと私は思うの。日本人にしてみたらそれは当たり前の認識で、彼らにとってのコンピュータやロボットは、欧米人が想像するような『人間の脅威』ではなく、『友達』や『隣人』になっているんだわ。だからアニメや映画でもロボットが主人公になるし、人間と友達にもなる。人間を助けてくれることもある」

 

 

 そこまで聞いた零は、いつの間にか2人とも食事の手を止めていたことに気づく。だがエディスは話すのを止めようとしない。

 

「ブッカー少佐は大の日本通で、しかもキリストの説くような絶対唯一の神を信じていないの。そのヤオヨロズの神々とかいう考え方を彼なりに理解していても不思議じゃないわ」

「……だから、雪風が独自の意識を持っていることに気が付けた、と?」

「おおまかに言えばそういうこと」

 

「フムン」

 

 よくできた理論だ、と零は素直に感心する。そんなことなど考えたこともなかった。確かに、ブッカー少佐は日本人である自分よりも日本通で、なおかつ無神論者だ。

 以前、少佐に『お前は神を信ずるか?』などと訊かれ、そのまま無視したら思い切り殴られたのは良い思い出だ。少なくともその頃から宗教や哲学のことを考えている風だった。神を信じていなくても、様々な宗教の概念や理論は理解していたようだ。

 その中に神道や仏教も含まれていたのだろう。何しろ日本の諺から四字熟語までを完璧に理解しているオタクっぷりだ。フォス大尉の言う通り、彼なりに『八百万の神々』という考え方を理解していた可能性はある。もしかしたら自分よりも深く理解していたのかもしれない。

 

 キリスト教という縛りから解き放たれた彼の自由な思考だからこそ、雪風の秘めた能力に気づくことができたのだ。彼が熱心なカトリックやプロテスタントであったら、また違った結果になったはずだ──フォス大尉はそう言っているのだ。

 

 そんなことは考えたことも無かった。どうして、少佐が雪風の意識を信じるようになったのかなどとは。零にとって、雪風などの高度なコンピュータに意識がやどる、という感覚は至極当然のものであり、疑問など抱かないレベルの概念なのだ。

 恐らくこれはキリスト教徒であり、なおかつイギリス留学という異文化との触れ合いを経験した彼女だからこその発想なのだろう。彼女から見たら深井零という人間は異教徒であり、異文化圏の人間なのだ。宗教も文化も考え方も違う、異質な存在。

 そしてその異質な人間によって育て上げられた雪風も、だ。

 フフン、と零は思わず鼻で笑う。バカにしたわけではない。ただ反射的に笑いがこみ上がってきた。相手を見下すことのない、純粋な笑いだ。

 

「なによ」

「いや」零は再びサラダを食べ始める。「そうだな、その通りだ。きみは優秀な軍医だよ、フォス大尉。そんなことは思ってもみなかったが、なるほどな、そういう見方も確かにできる。雑談はしてみるものだな」

「……あなたの中では雑談なのかもしれないけれど、私にとっては真剣な話よ、中尉」

「これは失礼、大尉どの。だがおかげで新しい考え方が身につきましたよ」

「あら、そう」

 

 なら良いわ、とエディスはそっぽを向いた。まるで拗ねた子供のようだ、と零は思う。

 大尉のこの行動は異文化のものではない。ネコように気まぐれな行動をとる女はよくいるものだ。昔、そういう女と付き合った経験があるから良く分かる。

 

 肌の色は違えど同じ人間だ、という言葉は確かに正しい。だが同じ人間だからといって同じ思考、精神を持っているとは限らないものだ。

 男と女でさえ考え方は全く違ってくる。男女の思考形態の違いは脳というハードウェアの構造が異なっていることに由来する。確か女の方が、左右の脳の連絡通路となる脳梁が大きいのだ。だから女は一度にたくさんのことを考えられる。その他にもいろいろと差異がある。それを働かせるソフトウェア──心とか精神、あるいは魂──そのものが脳から発生するのだから、男女の考え方の違いはより顕著になる。

 それらは微妙な違いであり、ハードに関して言えばMRIなどで脳を見ないかぎりは判別できない。しかしハードウェアもソフトウェア、両者ともに違っているのだから、男女の思考が違ってくるのも当然と言えば当然である。女心が分からない男、男心が分からない女、が世の中にごまんといるのはそのためだ。もちろん男として、女として育てられるからそうなるのであり、例外も山ほどあるだろう。

 男女間の場合はハードウェアの段階から違ってくるのだが、それに対して民族間のケースでは、元となるハードウェアは共通していてもソフトウェアが構成される環境──その人間が暮らす社会──が違うため、完成されたソフトウェアもまた違ってくるのだ、というのがフォス大尉の考えである。

 

 パソコンというハードが同じでも、OSというソフトウェアが違っていると対応しなくなるのに似ている。同じ機種のパソコンであっても、入れるOSによって違いが大きい──例えばあるOSはゲームで遊ぶのに適しているが、別のOSではゲームに適していないがインターネットは楽だ、とか。

 なるほど精神科の医者らしいドライな考え方である。いや、かつてシステム軍団に在籍し、特殊戦で雪風たち機械知性体の洗礼を受けた彼女だから、なのか。普通の精神科の医者ならばここまで極端なことは言わないだろう。特殊戦らしい考え方、ということか。

 

 零はフォス大尉への静かな怒りが、彼女への称賛に変わっていくのを感じた。彼女の能力は以前と全く同じで、変わっていない。彼女の研究者魂は自分が想像しているものよりはるかに強く、大きなモノだ。異世界に飛ばされ、FAFとも連絡がとれず、本来の故郷に帰れなくとも、彼女の探究心は燃えるように活動し続けているのだ。

 

 この自分の、雪風への思いが変わらないように。

 

 零はこういった信念を貫き通す、有能な人物を素直に評価した。性能の低い存在は機械だろうと人間だろうと嫌うが、逆に高性能な存在は機械も人間も好ましく思うのだ。

 

 

「……」

 

 無言のまま小さくうなずくと、零は手元のコーヒーをすする。

 さすがは特殊戦の女王、リディア・クーリィの血統をくむ女だ。最初の頃は准将とのコネを利用してFAFに来たとは言っていたが、やはり有能だ。零はそう認識する。

 特殊戦には性能の低い存在など一つもない。特殊戦は女王に認められた、最高水準の力を持つモノたちの集団なのだ。ブッカー少佐も、フォス大尉も、自分も、コンピュータ群も。そして雪風も。

 未知の状況──異世界だろうと異空間だろうと、いかなる状況でもスタンドプレーを続行できる人間、それが特殊戦隊員たる資格だ。それはこのミッドチルダであっても変わりない。下手に動揺せず、冷静に状況を見極め、冷酷に判断を下す、それだけだ。

 零は改めてクーリィ准将の力量を思い知る。こんな隊員達を集めたのは彼女だ。機械達も、戦闘機達も、すべてが彼女によって選ばれた。彼女こそが絶対の基準なのだ。どれだけ優秀だろうと、女王に認められなければ選ばれることはない。

 

 この私の以外に信じるものはなくていい。この私がお前達にとっての神なのだ、私がお前達を祝福してやる。──准将は、そんな思いで特殊戦を作りあげてきた。必ず生きて帰還せよ、などと頼んだりはしない、彼女自身が神だからだ。女傑などという言葉では言い表せない、確固たる存在感がそこにある。まさしく、彼女が一種の神だったのだ。

 零はそれをこの異世界ミッドチルダでひしひしと感じ取り、そして恐ろしく思った。世界を隔てても感じ取れる、その絶大な力に。

 零はチラリとエディスを見やる。己が特殊戦の影響を強く受けているなどとは、恐らく彼女は意識していない。ただ自分が感じたことを口に出しただけなのだろう。だが、彼女とのわずかな会話からでも、あの女王の意思が見え隠れする。クーリィ准将の影響を受けているのは、フォス大尉だけではないだろう、全ての隊員に言えることなのかもしれない。

 

 零は実感する。その意思をくみ取れるということは、自分は機動六課の人間ではなく、まだ特殊戦のブーメラン戦士なのだ、と。 それは自分が退役するか、戦死するまで変わらない事実だ。どんな状況下におかれようとも、自分が特殊戦隊員であることは絶対に変わらない。ブーメラン戦士として生きるために戦い続ける必要があるのだ。

 そしてブッカー少佐の命令『必ず帰ってこい』を何としてでも実現させなければならない。どんな手段を使ってでも。そのことを心に刻み込む。

 まるで准将に活を入れられたような気分だ、と零は思う。まさにその通りだ、准将はフォス大尉を通じて間接的に警告しているのだ。

 

 

『深井中尉、特殊戦を絶対に忘れるな』フォス大尉の姿を借りたリディアの幻影が、そう語りかけてきているような気がした。

 

 


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