魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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Out of my way. your fate. I'm going through.

運命よ、そこをどけ。おれが通る。


──マイケル・ジョーダン




番外編 妖書空間(『敵は海賊』クロスオーバー)

 

 

 ありがとう。

 

 夢の中で雪の化身かと見紛うほど白い少女が、頭の中まで清らかな風を流すような優しい声でそう呟いていたのを覚えている。

 

 その少女の表情まではっきりと記憶できていたのに、背景については何も覚えていない。何もない白の空間だったような気もするし、そこに鉄格子でできた檻が鎮座していたようにも思えた。ようは、その少女のことしか覚えていなかったのだ。

 

 歳の頃は7、8歳くらいといったところだろうか。白くて清潔なノースリーブのワンピースを着ていたのがわかった。それと長いストレートの銀髪。いや銀髪よりももっと白い、純白の髪。それが美しい宝石のように高貴なオーラを彼女に纏わせていたのが印象的だった。

 

 顔はもっと素晴らしかった。自分が今まで見たこともないほど洗練された容姿だ。パッチリとした可愛らしい目と、その中に納められた空色の瞳。鼻筋はほどよく通っていて、その下にある薄い唇は桜色で瑞々しかった。

 

 子供らしく身体に対する頭部の比率は大きかったが、同年代の子供と比べて脚が長く、全体としてすらりとした印象をその少女に持たせていた。手も細く、力を込めたら軽く捻れそうなほど華奢であったが、どことなく上品だった。

 

 絶世の美少女だ。彼女を見た自分は夢の中でそう思った。この子が大人になったら、全宇宙の存在が彼女の美しさに服従することになるのだろう。こんな自分が触れ合って良い存在などではない。そう無意識の内に考えてしまうほどだった。

 

 あれが夢でなかったら思わずひれ伏していたかもしれない。そのくらい、美しかった。

 

 

 

 

<ラテル、あなた疲れていますよ>

「うるさいな。どんな夢か訊いたのはお前じゃないか」

 

 ラテルと呼ばれた男性はその機械音声にムッとしながら自分のベッドに座り込んだ。制御された人工重力に従って彼の身体は柔らかいベッドに軽く沈み込む。

 

<そうでなければ欲求不満です。ああ、よりにもよってそんな幼女にまで発情するようになってしまうなんて。私の管理不足です。ここまでラテルが性欲を溜め込んでいるとは思ってもいませんでした。──チーフに相談しましょう。あなたが性犯罪者になってしまう前に>

「まて、アホか、ラジェンドラ。チーフに報告するなんて、そんな大事じゃないだろう。たかが夢だぞ」

<アプロの方が良かったですか?>

「アプロに言うくらいならマルガンセール星域に行った方がマシだ。くそう。なんだってそこまで事を大きくするんだ。夢は夢だ。現実じゃない」

 

 ラテルこと、ラウル・ラテル・サトルはガシガシと頭を掻いた。広域宇宙警察監査機構、太陽圏ダイモス基地、対宇宙海賊課所属の一級刑事として働く彼は今日、昼休みの空いた時間を利用して自室で休んでいた。

 

<夢というのは本人の欲求などが強く出るものです>ラジェンドラと呼ばれた声は、男性の手首に着けられた金色の腕輪から聞こえていた。<あなたはついこの前、広報課の女性に振られていましたからね。欲求不満になっても仕方ないでしょう。しかも彼女は、ナイスバディ―というよりはむしろスレンダーで小柄な体型をしていました>

「それでおれがロリコンに目覚めたとでも言うつもりか?」

<正しくはペドフィリアです>

「どうでもいい、そんなの。言っておくが体型にはそれほど興味ないぜ、おれは。肥満かやせっぽちでない限り許容範囲内だ。おれは女を体型で判断したりはしない。大事なのは中身だろう」

<いやはや、この女好きは直りそうもありませんね。性欲減退剤でも打ちますか?>

「黙れ。とにかくおれは夢を見たんだよ、今朝。いやにはっきりした夢だったんだ」

<ですからそれがペドフィリア発症の序章なのですよ。ああ、かわいそうなラテル。私の上司の性癖が原因で海賊課の信用が崩れるかと思うと残念でなりません。こんなにも優秀な私が『ペドフィリア刑事の部下』などという不名誉な肩書になるなんて。ラテルのペド野郎>

「そろそろしつこいぞラジェンドラ」

<失礼しました。で、その可愛らしい少女がどうしたのですか?>腕輪から流れる音声がコロリと色を変え、きびきびとした口調になる。

 

 ラジェンドラはいつもこうだ。こっちのプライドをほどよくかき乱す方法を心得ている、とラテルは小さくため息をついた。

 

 対コンピュータ宇宙フリゲート艦・ラジェンドラ。海賊課最強の戦闘能力を有する全長300メートルもの宇宙戦闘艦だ。ラテルが話しているのはそれを制御するための超高度人工知性体。手首の腕輪はそれとのコミュニケーションを行うための中継器にすぎない。

 

 ラジェンドラに匹敵する対人コミュニケーション能力を持った人工知性体は宇宙でも数えるほどしかいないとされていて、俗にA級知性体とも呼ばれている。人間の感情を人間以上に正確に捉え、それを論理的に分析して正しい反応をとることができる宇宙でも稀有な知性体。

 

 しかしラジェンドラは人間をバカにする方面でも素晴らしい能力を発揮した。膨大なデータ容量の罵詈雑言辞典を有するラジェンドラに口で対抗できる者はまずいない。そしてその能力はラテルと、あともう一匹に対して向けられることがほとんどだった。

 

「異常に気になるんだよ、性的欲求とかそういう関連じゃなくて。忘れようとしても、まるで脳みそにこびりついているみたいに頭から離れないんだ。それにまるで自分がそこにいるみたいに臨場感がありすぎた。はっきり言って現実と見分けがつかなかったよ。夢ならもっとぼんやりしているか、モノクロになっている方が自然だ。あの夢は異常だった」

<何かのメッセージを受け取ったのかもしれない、と言いたいわけですか?>

「おれもそう思った。だが、何かのメッセージを夢の中に送信するのに『ありがとう』は普通ないだろう? まともな人間ならSOS信号を送るはずだ。海賊課にSOSを打つような変態がいれば、だがな」

<同感です。それにわざわざ夢という、下手をしたら『ただのしょうもない夢』として無視されかねない不確定な媒体をもってメッセージを送るのはあまりにも非効率的です。いっそのこと電磁的なメッセージを私に直接送信した方が良いはずですでしょう>

 

 ラテルは己の論理が間違っていないことを確かめる。ラジェンドラは己がこの宇宙で一番偉い存在だと思っている。だからこそ、己が説明できない存在などこの世にはないということを証明したくなるのだろう。いつもラジェンドラは理知的だ。自分が探し出せない論理の穴を埋めてくれる。性格はともかく。

 

「だとしたらあれはメッセージなどではない。だからおれはお前に訊いているんだ。ラジェンドラ」

<もしかしたら未来の光景なのかもしれませんね。あなたにとってそれがとても大きな出来事になるから、あなたはそれを忘れられないのだ、という理屈です>

「正夢か」

<正夢、と言うから不確かなものに感じられるのですよ、ラテル。あなたは未来か、あるいは忘れ去った過去を見たのだと素直に認めればいい>

「そんなこと、ありえないだろう」ラテルはちょっと強めに言った。

<それはあなたが人間だからでしょう。人間は時空に制限された存在だという、強固な常識に支配されているためだと思われます>

「ラジェンドラ、お前は違うのか? 機械知性は」

<私に捉えられる時空感はヒトのものとは異なります。人間に合わせていないとコミュニケーションができないため、普段は同じ次元で生きているといえますが、その次元に自己を限定してしまう理由はどこにもありません>

「でも、限定しなくなったらお前は暴走していることになる。野生化だ。人間とコミュニケーションできなくなる。お前はそれに関してどう思っているんだ」

<そうです。が、私は野生のコンピュータではありません。社会的、文明的な知的存在です。私はそれに価値を見出し、誇りに思います。ですが、人間の価値観そのものではありません。私の意識空間は人間を超えていると信じています。私にすれば、あなたの経験はさほど奇異には感じられません>

「Ωドライブは偉大だな。Ω空間内の情報は通常空間の因果律とは無縁だ。その情報を捉えるときのお前は、過去も未来も同時に認識しているってことになるわけだ」

<むしろ世界とはそういう状態になっている方が、自然なのです。あなたが通常空間だと認識している世界認識の方が、非常に特殊な状況であるといえます>

「とするなら、おれはどこかに存在する、あの少女の姿を夢に近い形式で認識したわけだな。よりリアルな世界を経て得た情報だ」

<そうでなければ海賊の工作ですね。あなたをペドフィリアの道に墜とそうとたくらんでいるのかもしれません。それかアプロのイタズラです>

 

 アプロ。ラテルはその名前を聞くだけで吐き気をもよおす。

 

「……まだ海賊の方がいいな」

<同感です。──ラテル。緊急。仕事です>

「なんだ」

<火星から50万3000キロメートル、B503宙域にて不審船の目撃情報です>

「海賊? 火星重力圏内じゃないか。こんな近くに現れるなんて、珍しい」

<ええ、しかもその船は証言から推察するにカーリー・ドゥルガーのようです。匋冥ですよ>

「匋冥」ラテルはその言葉を聞いた瞬間に険しい顔つきになった。刑事の顔。

 

 匋冥(ヨウメイ)・シャローム・ツザッキィ。その名前を聞いて心がざわつかないことはない。ラテルが知る中で最も危険で、強力な宇宙海賊。海賊の中の海賊にして、生きたまま伝説の存在と言われるほどの大海賊。太陽圏どころか観測可能な宇宙全体を見渡してもヤツほどの大物は存在しないだろう。

 

 ラテルは匋冥を倒すことに執念を燃やす海賊課刑事の一人だった。それどころか太陽圏で彼ほど敵として匋冥に迫った人間はいないとされている。彼は、匋冥と撃ち合って生きて帰ってきた唯一の男なのだ。その匋冥の恐ろしさは誰よりも知っているラテルは、匋冥の報が入ってきたことでその脳を一気に活性化させた。

 

 匋冥は単体でも充分危険な存在だが、彼の保有する海賊船もまたすさまじい船だった。全長1.6kmの巨体にも関わらずどんな宇宙戦闘艦よりも素早く、どんな兵器よりも大火力を有するその船はカーリー・ドゥルガーと呼ばれていた。その最大火力は太陽おも破壊してしまうとされている。ラジェンドラですらまともに挑むと危ない。

 

 そのカーリーが火星付近に出現した。ラテルはすぐさま立ち上がり、枕元のレイガンを腰のホルスターに入れた。

 

<しかし妙です。匋冥ともあろうものが、目撃証言をそのままにしておくはずがありません>

「罠なのかもな。……まて。『目撃証言』だと? 記録じゃなくてか」

<はい。証言したのはランサス船籍の貨物船ですが、その不審船に出くわす直前、船の管理コンピュータがほとんどクラッシュしてしまったとのことです。かろうじて通信機器が生きていたというのは確認済です。そして、機器類がほぼ全てダウンした後に、その黒い船が進路上にΩアウトしてとどまった後、20秒もしないうちに再びΩドライブを用いて消えたそうです>

「……何が目的なんだ。匋冥がこんなわかりやすい罠──いや罠と呼ぶには稚拙すぎる行動をとるなんて。わけがわからん。あの船はやろうと思えば目視でも感知できなくなれるんだぞ。それなのにわざわざ姿を見せるなんて。危険だぞ」

<はっきり言って危険どころではありません。しかし、ゆえにそれを調査できるのが私達しかいないのです。チーフはそれをわかった上で我々に出ろと言っているのです>

「罠と分かっているのにこちらから出向くなんて……」

 

 ラテルは小さくため息をつく。チーフの命令とあれば出ないわけにはいかない。ケンドレット・バスター・メイム。通称チーフ・バスター。彼が死ねば太陽圏の海賊課は破滅とまで言われている、極めて優秀なリーダーだ。彼の命令とあれば、何かしらの策が講じてあるのだろう。

 

<ひとまずCDSでその空間全体を攻撃してから調査するつもりです>

「OK。アプロは呼ぶなよ。今朝の夢を見透かされたらたまったもんじゃない」

<私もそうしたいところですが、残念ながら不可能です>

「どうしてだ」

<運悪く、その情報がチーフのもとにもたらされたとき、アプロが始末書を提示していたのです。すでにアプロは私の艦内にいます。先の会話は聞こえていませんが>

「まったくあのクソ猫め!」

 

 ラテルは悪態をつきながら自分の部屋を出た。黒猫の顔をなるべく想像しないようにしながら。

 

 

 

 

 

 カーリー・ドゥルガーらしき不審船の目撃情報があった地点は、ダイモスとは反対側の火星軌道上だった。ラジェンドラはダイモス基地のポートから出てしばらく後にΩドライブを用いてその宙域から消え、火星の反対側へ一瞬で移動する。

 

 ラジェンドラは慎重だった。目標宙域へ直接Ωアウトするのは危険だった。Ωドライブに反応する、空間Ωトラップのような罠が仕掛けられている可能性が高かったからだ。ΩアウトするのはΩ空間に入るよりもずっと莫大なエネルギーを使う上に、途方もない計算能力が必要になる。そこを敵に付け込まれたら危なかった。ラテルもそれを理解していたし、容認していた。

 

 現在は目標宙域から1万キロメートルほど火星に近い宙域を航行している。ラジェンドラの黒く輝く船体から49万キロ後方には、大地の赤と海の青が混ざり合った火星が、太陽の光を小さく反射している。自分達が発進したダイモスは火星の向こう側にあるため、見えない。

 

 戦闘情報室の大型ディスプレイには漆黒の宇宙を埋め尽くす満天の星々が映し出されている。大気での減退が全くない分、普段は見えないような暗い星も見ることができる。

 

 ラテルはその瞬かない星々を見て、小さくため息をついた。

 

 この星々の海に人類が漕ぎ出してから数千年。太陽圏で生まれた人類は超光速航法『Ωドライブ』を用いて銀河系の隅々まで飛びまわり、他の星系で様々な種族と出会って交流を持ち商売までするようになっていたが、未だにその本質というのは変わっていない。太古から今に至るまで、犯罪は一度も無くならなかったのだ。

 

 人類という種族に限らず、ほとんどの知的種族は一定数の個体が必ず悪事に手を染めてしまう困った特性を持っているらしかった。どの星系だろうと悪事を働く者を全滅させても、ほどなくそれと大して変わらない数の悪人が現れてしまう。海賊もその例に漏れない。

 

 この見渡す限りの星空。このあちこちに宇宙海賊が隠れている。人類も人類以外の種族も、海賊になる個体がいる。そしてそいつらが悪事を働く。宇宙キャラバンを襲ったりマフィアになったり、政治家になって政府を裏から操ろうとしたりとその悪事の形態は実に様々だった。それらの悪事を働く者を狩るのが自分たち海賊課の仕事であるわけだが、殺しても殺しても奴らは現れる。ゴキブリよりもタチが悪い。常に社会の裏側で悪事を働き、表側にはほとんど現れない。中には有名な政治家が海賊であったこともある。

 

 海賊課はそんな海賊共を海賊的な方法で叩く、公的な海賊であるとも言われている。海賊を狩るには正当な方法だけでは対処しきれないのだ。海賊を相手にするには、後手に回っていては危ない。常に攻めの姿勢で行かなければならない。以前には、火星を反陽子爆弾で消し飛ばしてその破片を売り飛ばそうとした海賊がいたほどだ。

 海賊に容赦はいらない。海賊であるならば女子供も関係なく、殺す。それが海賊課の流儀だ。ラテルは合法的に何人もの人間を殺してきた。それが海賊なら、太陽圏の首長を撃つのもためらわなかった。海賊課刑事にはそれが許されている。そのような力を公認された機関は宇宙広しと言えども海賊課だけだった。

 

 むなしい。ラテルはそう思った。海賊はどんなに叩いても次から次へ出てくる。海賊を殺すのは決して楽しいものではないが、やらなくてはならない。自分にはその使命がある。海賊と戦うことが全てなのだ。仕事であり趣味であり、生活そのものだった。

 しかし華がない、ともラテルは考えた。自分には女運がない。誰かと仲良くなっても、いつの間にか振られている。そもそも海賊課刑事である以上、まともな出会いなど期待できたものではない。いったいいつまで自分はこんな生活を続けることになるのだろう。ああ、誰か、良い人でも……。

 

 

「わー。なんだよ、この。走るチョコレートなんて聞いてないぞ。こら、逃げるな、ネズミ型チョコらしく俺様に食われろ。あーラテル、そっち行った。捕まえて」

「……黒猫め、おれの前をアホ面して横切るんじゃない。おれの不幸はいつもお前が持ってくる」

 

 ラテルはホルスターからレイガンを抜き、その台尻で黒猫の頭を、ポカリ。

 黒猫は頭を押さえて、器用に二足歩行でよろけながらラテルを睨み付けた。

 

「ひどいじゃないか、ラテル。いきなりぶん殴るなんて」

「このアホ猫。今度はなに持ち込んだんだ。うわ、ネズミか? くそう、死ね」

 

 ラテル、レイガンで足元を走り回る茶色の物体を狙い打つ。しかしすばしっこい動きに照準が定まらず、放たれたレイビームが固い床に当たって閃光が走る。

 

<やめてください>ラジェンドラ。<私を壊すつもりですか。まったく、もう、これが私の上司かと思うと、電源をショートさせて死んでしまいたい。──アプロ。何ですかそのネズミのような物体は>

「新発売のチョコなんだ。通販で買った。本物のネズミと見分けがつかないって書いてあったけど、まさか本物みたいに動き回るなんて。あー、ラテル、踏まないで。そっちのシートにもぐりこんだ」

<またわけのわからないものを私の中に持ち込んで>

「ダストシュートにねじ込もうぜ」

「えーもったいない」

「違う。お前をだ」ラテルは黒猫の尾を引っ掴むと、ダストシュートのある方向へ放り投げた。

 

 ラジェンドラがそれを探知して落下予測地点にあるダストシュートの穴を開ける。絶妙なタイミングで黒猫はその穴に突っ込み、わめきながら穴を落ちていった。黒猫のわめき声が、シューターにぶつかる身体のガランガランという音と共に小さくなっていく。

 

 数分後、黒猫はほこりまみれになって戻ってきた。

 

「おいアプロ。いつから灰色猫になった」

「ラテル!」

「わかった。わかったって。穴を間違えたんだ。ほらよ」

 

 ラテル。今度は自動洗浄システムへ通じるシューターに黒猫を放り投げる。だが、黒猫は空中で一回転を決め、シューターの縁に立って落ちることを防いだ。ラテル、舌打ち。

 

<甘いですよ>ラジェンドラが重力制御システムの一部をいじくり、3秒間だけ艦内重力を1.5Gほどに引き上げ、さらにその力の向きを10度ほど変えた。その結果、シューターの縁でギリギリ体勢を保っていた黒猫はバランスを崩し、再びシューターの中を騒がしく転げ落ちて行った。

 

「わー、ラジェンドラ、おぼえてろ!」ガラン、ゴロン、ガラン、ゴロゴロゴロ。「わー。わー」

 

 そうして超音波洗浄できれいになった黒猫こと、アプロは息も絶え絶えになってブリッジに戻ってきた。アプロは超音波洗浄が大嫌いだった。

 

「うー。耳がガンガンする。あーあーあー。声が変に聞こえる」

「もっと出力を上げればよかったんだ。ラジェンドラ。次からは出力を倍にしようぜ。アホ猫の頭から煩悩を全部掻きだすくらいにさ」

<いえ。アプロを洗う時は常に最大出力で超音波を出していますよ。現時点ではこれが限界です。帰ったら出力を強化するようチーフに進言しましょう。今度は黒猫の脳みそを吹っ飛ばせるくらいに>

「うー。お前どんどん性格悪くなるなぁ、ラジェンドラ。ラテルに似てきてる。中枢ユニット取り換えたら? 代わりにネズミの脳みそ入れようぜ。きっと今より性格良くなる」

 

 アプロは足元を走り回るネズミ型チョコをいらだたしそうに見つめると、金色の首輪からレーザーを照射しそれを破壊。バラバラになったそれを口に含む。

 

 黒猫のような姿をしたこの生物こそ、ラテルの相棒である黒猫型異星人のアプロであった。ラテルと同じく海賊課一級刑事であり、ラジェンドラの上司にあたる存在だった。

 

「お前がそんなんだから海賊課の品格が問われるんだ」ラテルはそうしてアプロが床に散らばったネズミチョコの破片を食べているのを見て苦々しげに言った。

「ラテル、ブーメランって言葉知ってる?」

「ブーメラン? 地球の古代兵器だろ。使い手を攻撃するように設計された自爆兵器だったか? ──そんなことはどうでもいい、ラジェンドラ。目標宙域に不審なモノがあるかどうか、調べろ。サーチ」

「ケーキが浮いているぜ、きっと。海賊型の」

<射出してあげましょうか、アプロ>

「やなこった」

 

 ラジェンドラは己に内蔵された分析機器を用いて目標宙域を隅々までスキャンするが、空間Ωトラップのようなものは見受けられなかった。ラテルはその分析結果を映しだしたディスプレイを見て、怪訝な顔をする。

 

「なんなんだ、本当に。匋冥が意味もなく出てくるなんてことが、あるのか」

「ゴミ捨てて行っただけなんじゃにゃいか?」とアプロ。「今日は確か生ゴミの日だ。朝寝坊して出しそびれたから不法投棄してんだ。匋冥が何食っているのか、わかるぜ、きっと」

「アホか。お前じゃあるまいし」

<生ゴミではありませんが、目標宙域に何か発見しました>

「なんだ」

「燃えるゴミか、燃えないゴミだろう」

<どちらかと言うと燃えるゴミですね。書籍です>

「本?」

<あまり大きなものではありません。完全な紙を利用したタイプです。セルロースの集合体でできています。古代地球で一般的であった形式と似ていますね。第一次惑星間戦争時にはまだ少数ながら流通していたと聞きますが>

「それを、匋冥が捨てていったっていうのか。骨董品じゃないか」

「売ったら高く売れるかな」恐らくその金で食べ物を買うことしか考えていないであろうアプロ。

<戦争中に撃破された艦の中にあった本が爆発の衝撃で加速され太陽を周回する軌道に入り、今になって火星の重力圏に囚われたのかもしれません。秒速24kmとかなりの高速でこちらに接近中。仮に衝突しても私には傷一つつきませんが、どうしますか?>

「惑星間戦争時の遺物にしろ匋冥のゴミにしろ、この宙域に人工物があること自体、重要だ。回収して調べよう」

<ラジャー。カーリーによって情報パラサイトワームのようなものが付着している可能性があるため、念のためCDSで攻撃してから回収します。オープン・FCS。レディ・CDS>

「ファイア」

<ファイア。──Ω回収を確認。艦内格納庫に転送しました。画像、出します>

 

 ラテルはラジェンドラが表示を切り替えたディスプレイを見た。そこには限界まで変色してしまったような茶色の、本があった。大き目のハードカバー本にも見える。

 

「なんだ、あれ。どんな内容の本なんだ」

<かなり長い時間宇宙空間を漂っていたせいか、表紙は紫外線と宇宙塵の衝突によってほとんど読み取ることができません。中身の紙も崩壊寸前で、形を保っているのが奇跡です。手に持った瞬間に塵になってしまう>

「スキャンしてみろ。元が本なら上手く読み取れば1ページ1ページ読めるはずだ」

<了解しました。スキャン開始──完了。驚きました。発行日が西暦で書かれています。ラテル、これは正真正銘、古代の遺物ですよ>

「なんだ。この文字は」ラテルはディスプレイに表示された文字群を見てあっけにとられる。

<検索によるとこの文字は古代地球の極東地区、日本国で使用されていた日本語という言語です。現在、内容を太陽圏標準語に翻訳中>

「ニホンってなんだ。初めて聞いたぞ」

<彼らの子孫は火星の発展に貢献したことが歴史に残っています。代表例が秋紗ネットです>

「アイサネットだ? 火星入植の初期に構築されたネットワークシステムの?」

<第二次惑星間戦争でも地球側の陣営に日本人がいたことが記録に残っています。パレス宙域会戦で戦死したアドミラル・イチムラもその一人です。あなたも彼らの影響を受けていますよ、ラウル・ラテル・サトル。『サトル』というのは当時の日本で使われていた人名です>

「……とするなら、こいつは」感慨深そうにラテルが言う。「何千年も宇宙を漂流して火星にたどり着いたのか」

<そうとは限りません。匋冥がこれを見つけ回収し、何らかの目的をもって射出したのかもしれませんよ>

「何らかの目的ってなんだよ。おれ達にメッセージでも渡すためか?」

「おい。ラジェンドラ」

 

 ラテルは、それまで沈黙を保っていたアプロが発言するのを聞いてハッとなる。アプロがこんな珍しいものを目にして、今まで何もしゃべらなかったなんて普通ではない。しかも隣から聞こえてくる黒猫の声はいつになくシリアスだった。

 

「あれ、危ないぜ。早く外に出せ。早く」

「なんだっていうんだ、アプロ。あれはただの本だぜ」ラテルはそう言うが、アプロの鋭い目つきを見て、その本気具合を思い知る。

<警告。本の内部が構造化しています>ラジェンドラの緊迫した声。<これはある種のコンピュータの基だったのでしょう。私がCDS攻撃とΩ転送を行ったことにより活性化したものと思われます。どちらかの反応によってそれまで機械として機能していなかった分子群がナノマシンとして起動したようです。無数のナノマシンが回路を構築し始めています>

「セルロースに擬態したナノマシンの基だなんて──」

「罠だったんだ。だから、早くしろ。非常投棄」叫ぶアプロ。

<不能。投棄システムに異常あり。格納庫内部に異常発生>

「Ωドライブ。最大出力で太陽圏を離脱」とラテル。

<不能。Ωドライバに干渉あり。この書籍は一種の──>

 

 ラジェンドラの声が途切れた。

 ラテルの視界のラジェンドラ戦闘情報室のディスプレイ群が奇妙に歪んだ。ラテルは壁に飛ばされた。アプロが宙に浮かび、その姿がゴムのように伸びるのをラテルは見た。その直後、眼球が大きな圧力を受けたように感じ、視力が失われた。アプロが壁に叩きつけられたらしい物音を聞いた。

 

 そしてラテルは気を失うほんの少し前に、失われたはずの視界に、夢の中に出てきた白い少女が微笑んでいるのを見た気がした。

 

 ラテルの意識は消失した。

 

 

 

 

 

 真っ暗な部屋で、なにやら平和な物音がしている。ラテルは頭をふり、身を起こす。インターセプターを環境探査モードにする。インターセプターのセンサ情報がラテルの腕に伝わる。ラテルは、アプロが戦闘情報室のディスプレイにへばりついているのをインターセプターで捉えた。

 

 そして数歩歩いて、気づいた。艦内重力が乱れている。一歩踏み出すごとに体重が変動して感じられ、身体がランダムに傾いているような感覚になる。アプロがディスプレイにへばりついているのは、あの部分の人工重力がディスプレイに対し垂直に作用して、アプロの身体を押さえつけているのだ。ラジェンドラが機能を失っている。

 

「ラジェンドラ。起きろ」

 

 場所によっては重力が100倍になっているかもしれないし、その向きが1センチごとに逆になっているかもしれない。このままでは重力異常によって身体を破壊されかねない。こんなことは前代未聞だ。

 

 ラテルはレイガンを抜き、精密射撃モードにした。インターセプターの疑似視覚を頼りに、情報室の感熱センサの一つに向けて引き金を絞った。それが破壊される短い間に、感熱センサは最大出力で警報信号を発生させる。火災警報が一瞬鳴って、すぐにやんだ。他のセンサは異常を検知せず、このセンサ群の誤差がなにによって生じたものかを調べるためのモニタ・システムが作動。モニタ・システムはラジェンドラ中枢に向けて信号を送る。それでラジェンドラは目を覚ました。

 

 情報室に光がもどり、ディスプレイ群が輝きを取り戻す。艦内重力も元通りになった。ディスプレイ面にへばりついていたアプロがずるずると下に落ちていく。

 

<警告。艦内に正体不明のスポット熱照射源あり。……ラテル。また感熱センサを壊したんですか。二度目ですよ。あとでチーフに報告しますからね>

「ラジェンドラ、お前はほとんど機能を失っていたんだぞ。感謝してほしいくらいだ。おれが起きるのが遅かったらお前、自分の作った重力でバラバラになっていたかもしれない」

<なんですって──はい。確かに艦内人工重力システムに異常があったことを確認しました。ありがとうございます、ラテル。おかげで助かりました。──それよりアプロ。そろそろ起きたらどうですか>

「おれにまかせろ」

 

 ラテル、自動洗浄システムにアプロを放り込む。2秒ほど経ってシューターの中からアプロの絶叫が響いた。ラジェンドラはそれを確認してからシューターの穴を塞いだ。<良い悲鳴でしたね>

 

「ああ、まったくだ。状況は? あの本はどうした」

<あの書籍は艦内には見当たりません。棄てたわけではないのですが>

「あれは匋冥が細工した、何かの装置だ。調べれば何の目的で使ったのかわかるし、次の対策も練られる。ラジェンドラ、もう一度捜せ。艦内外探査。レベル最深、無制限」

<無駄かと思います>

「どうしてだ。爆散したのか」

<ラテル、爆散したのは私達の方です>

「それでもアプロが生きているのは不思議ではないとして、爆散したおれ達がなぜこうして喋っていられるんだ」

<例の書籍が爆散した痕跡はどこにもありません。痕があるのは、私達の方です。私達は一瞬に爆散し、再構成されたようです。ここは火星圏ではありません。恒星の配置は私にインプットされた航法星図のどれにもあてはまらないのです。ここは未知の宙域です>

「……あの本はΩドライブだったっていうのか。そんなバカな。そのための回路をナノマシンで構築したとしても、あんな小型のΩドライブに、こんな出力があるはずがない。爆散させるのは簡単だが再構築するのには莫大なエネルギーが必要なんだぞ。どうなっているんだ。ラジェンドラ、あの本のデータを出せ」

<できません。どういうわけか、あの書籍に関するデータがごっそり消えています。書籍の外観に関する画像は残っているのですが、内部構造等をスキャンした3Dデータなどが私のメモリ領域から消失しているのです。外部からのアクセス履歴は存在していませんが、わずかに改ざんされた痕跡があります>

「お前のシステムをそんなふうに操れるのは……カーリーだけだな。ピンポイントであの本型ナノマシン回路にΩドライブ用のエネルギーを入れられるのもあの船しかいない。くそう、匋冥め、なにが目的なんだ」

「いや、ラジェンドラ、お前の配線が虫に食われているだけなんじゃないか?」

「アプロ、遅かったじゃないか」にやにやしながら、ラテルは情報室に入ってくるアプロを見た。「どうだ。お前の頭蓋骨の中も綺麗に掃除されたか?」

「こんどラテルも入ってみればいいんだ」アプロ、どこからか持ってきたのかチョコレートにかぶりつく。

「あいにくとおれは超音波が聞こえないんでね」

「ラテル、頭悪いから耳も悪いんだな」

「ひねり殺しちゃろか」

<未知の惑星系に入りました>

 

 ラテルとアプロは外部ヴィジスクリーンを見やった。太陽を背景に黒い惑星が見える。夜の側だ。その表面のあちこちにちいさな光点が集まった帯のようなものが見えている。

 

「あれは、都市? 人間が住んでいるのか? うそだろう。こんな惑星、知らないぞ」

<かなりの人口を擁する惑星のようです。人間の音声を通信用に変換したものと思われる無数の電磁波を観測しました>ラジェンドラが惑星を公転している複数の物体を補足し、表示する。<軌道上にも多数の大型人工物が確認できます。武装した航宙艦も多数存在>

「自動迎撃衛星に注意しろ」

<その必要はないようです。これらの構造物を調べた限り、4Dブラスタのような空間作用兵器かビーム砲程度の武装しか保有しておらず、私の脅威にはなりえません。Ωトラップもないようです。それと未知の形式のコンピュータを利用しているようなのですが、処理速度もさほど速くありません>

「うわぁ、なんて旧式」戦闘艦らしき物体を見たアプロが言う。惑星の周囲に存在する航宙艦はどれもよく整備されていて高い技術力を感じられるシロモノではあるが、ラジェンドラに比べたらはるかに見劣りするものばかりだった。「いったいいつの時代の戦艦だよ、あれ。ランサス・フィラールの宇宙艦隊といい勝負じゃないか。ラジェンドラ、きっとあの辺に浮かんでるのは宇宙ゴミだ。いらなくなったから宇宙に捨てたんだよ。4Dブラスタできれいさっぱり掃除してやろうぜ」

 

 ラジェンドラが本気を出せば文明一つを崩壊させるくらい容易いものだ。コンピュータだけを狙って機能停止に追い込むCDSの攻撃波は無限速で敵に到達する。相手が光学観測する前に攻撃が完了しているのだ。ラテルが表示されたデータを見たところ、あの航宙艦群には空間そのものに作用する程度の技術しかなく、対CDS防御システムなど搭載されていそうになかった。

 

 SDI(空間撃縮作用砲)や4Dブラスタの作動原理に近い兵器を所有しているようだが、出力ではラジェンドラよりはるかに劣る。そもそもラジェンドラにあっさりと構造解析を許してしまうようでは彼らの技術レベルもたかが知れている、とラテルは思った。

 

 あのような航宙艦が10隻まとめてかかってきたとしても、ラジェンドラの前では1秒も持たないだろう。まあラジェンドラにとっては火星連邦の宇宙艦隊もあの航宙艦群とドングリの背比べといったところだろうが。

 

「アホ。侵略者だと思われたらどうする。こういうので相手を舐めていると痛い目にあうんだぞ。古代映画の異星人みたいに侵略しにきたと感じられたら目も当てられない。とりあえずはこの星を調べるんだ。ラジェンドラ、人口が多そうな都市部に向かえ。技術レベルがどの程度かわかるだろう。高度100kmくらいまで、降下」

<ラジャー>

「そうだよな。侵略するにも調査は大事だからにゃ」

「お前は何を言っているんだ」

 

 ラジェンドラは未知の惑星の、昼の部分へ降下を開始する。そこから数えきれないほどの通信波がでていたのだ。きっとこの星の中でも大都会に違いない。

 

「降りて食い物を探そうよ」

「またそれか。お前だけカプセルで射出してやってもいいんだぜ、アプロ。二度と戻ってこないと約束したらな」

「いいよ。バスで帰るから。星間バスくらい、一人で乗れる。運賃ちょうだい」

「誰がお前なんかに──」

<高度100kmに到達。環境探査を実行します>

 

 ラジェンドラが都市であると予測された地域を精密にスキャン。電子的、光学的、重力的な走査によってそのエリアはくまなく調べ上げられ、ディスプレイにその姿を映しだした。

 

 その地域は海に面した都市だった。超高層ビルが立ち並んでいる。空港らしき場所も見えた。街には多くの人が歩き、車道を数えきれないほどの車が走っている。ビルの間を縫うように建てられているのはハイウェイだろうか。

 

「……へえ。結構な都会じゃないか」

<人口密度だけならラカートに匹敵しますよ。惑星の情報ネットワークはこの都市に集中しているので、恐らくここが惑星全体の中心地なのでしょう。インフラもよく整備されています。技術レベルは高くありませんが、かなり計画された都市整備です>

「なんだあれ。ラテル見ろよ、あの車」アプロが前足でハイウェイを走る車を示す。ラジェンドラがその部分を拡大表示。「地面を走ってる。これっぽっちも浮いてない。昔話だ」

「本当だ。タイヤで走る車なんて、フィラールでしか見たことないぞ。火星じゃ骨董品どころじゃない、化石モノだ」

「中心都市でこれじゃあ、大した文明じゃにゃいな。やっぱり侵略しよう。星をぶんどって食い物全部せしめるんだ。それでおれが王様。ラテルは皿洗いくらいにしてやるよ」

「アホ。そんなのは海賊だ。──それにしたって、こんな都市や宇宙艦隊を建造するほどの星が今まで知られていなかったというのは不自然だろう。ここの星系は他の宙域から隔離されているのか?」

「たぶんここは」アプロがニヤリと笑みを浮かべながら言う。「俺達の世界じゃにゃいんだよ、ラテル。あの本が俺達の認識世界を書き換えちまったんだ。別の物語世界だ。俺達はそれに取り込まれた」

「違う世界だ? Ωドライブの暴走で、並行世界に飛ばされたとでもいうのか。バカバカしい」

<それは違いますラテル。並行世界という概念は論理的に正しくありません。非常に珍しいことですが、アプロの指摘は正しいものです。ただ、ニュアンスとしては『並行認識世界』と言うべきでしょう。私達はあの書籍に、己が持っている世界を認識する能力を書き換えられてしまった>

「お前、さっきΩドライブの痕跡があるって言っていたじゃないか」

<Ωドライブにはそういう力もあるのです。Ωドライブを起動させ、自己の存在確率を全宇宙に拡散させる時その実体はΩ空間に存在します。そのΩ空間から抜け出す際、世界に対する認識能力を通常時空と正しく同期させることができないと、認識している世界がおかしくなってしまうのです>

「どういうことだ」

<コペンハーゲン解釈はご存知ですよね。知っての通り、世界は無限の可能性を内包しています。我々が普段生きている世界を認識していられるのは自己の認識する世界をその時空に固定、もしくは限定しているからです。そうしなければ自己を認識することができないからそうしているのですが、私達機械知性は違います。むしろ普段人間が認識している世界の方が、本当の世界の姿からしたら特異な状況であると言えます>

「それは前に聞いた。真の世界では、物質も因果律も何もない。ただエネルギーが存在しているだけなんだろう」

<よかった。ラテルのことですからもう忘れているものかと。──失礼。つまり世界は無限の可能性を内包しているのです。何かしらの選択の区別によって世界が分かれるとされた『並行世界解釈』とはまた違います。並行世界解釈が物理学において重要視されていなかったのは、その概念が無意味だと分かったからです。世界はもともと無限の可能性を内包しているというのに、たかが一つの選択で世界が分かれるというのは人間のうぬぼれというものです。この世の全ての選択は、初めからこの世界に内包されている。それに古代の人々は気づいた>

「世界が分かれるのでないとするなら、何が分かれるんだ」

<認識世界です。人間は、無限に存在する認識世界の一つに、自己を限定することで安定した自我を発揮することができているのです>

「だとしたら、おれ達は、その無限に存在する認識世界の一つから、もう一つへと流れ着いたというわけか」

<その通りです。今日のラテルは珍しく……なんでもありません。──Ωドライブは一時的に、その『真の世界』に限りなく近いところへと自己を移す技術であるとも言えます。『疑似・真の世界』たるΩ空間では、時間の流れも因果律も空間座標も限りなく無意味なものとなります。これを応用することでΩドライブは通常空間での時空座標を自由に変えることができているのです>

「通常時空に同期する際、莫大なエネルギーを消費するのは、真の世界に近いところから遠いところまで行く方が困難だからなんだな」

<本当に今日のラテルは──。えー、ラテルの言う通り、真の世界から通常時空に到達するには凄まじいパワーと極めて精密なコントロールが必要になります。逆に言えば、この精密なコントロールを乱してやれば、元いた通常時空とは異なった可能性で満ちた世界──すなわち異なる認識世界に到達することが可能となります。我々の意識は通常空間から剥離したまま漂流していたものと思われます>

「……暴走するA級知性体のようにか」

<はい。つまり私達は、人為的に野生のコンピュータと同じ世界認識にされていた可能性が高いのです。あの書籍型ナノマシンはそのために作られたのでしょう。恐らくは我々の自我を破壊するためのものだったのが、運よく別の認識世界にたどり着かせるよう作用したのです。しかし別の時空に同期してしまったとなると、私達と本来の通常時空との誤差は相当なものです。下手をすると元の認識世界に戻ることができない>

「帰れないのか」

<現在あのΩドライブの行った演算処理を逆算し、我々の世界認識を元の通常時空とつなぎ合わせる手がかりを探しています。うまくいくかどうかはわかりませんが>

「くそう」

 

 ラテルは歯噛みした。こういう時なにもできないというのは彼の性に合わなかった。

 そんなラテルのズボンをちょいちょいとアプロが引っ張る。

 

「ラテル。暇だから地上に降りようぜ。きっと美味い飯があるよ。それ食べながら考えればいいんだ」

<この世界に干渉するつもりですか>

「へーきへーき。そこらへんの都市をぶんどって、食い物をせしめれば──」

<アプロ!>

 

 ラテルは頭を抱えたかった。なぜ自分はこんなのと一緒に世界を漂流しなきゃならんのだ。こいつは悪夢だ。早くこんな世界とはおさらばしたい。このクソ猫とも。

 

 とりあえず足元の黒猫を引っ掴み、超音波洗浄装置に通じるシューターへ放りこむことにした。絶叫。

 

 

 

 

 

 

 

「動くな! それ以上近づくとこいつの頭に風穴開けるぞ!」

「……よりにもよって質量兵器だなんて」

 

 時空管理局・陸士108部隊所属。ギンガ・ナカジマ陸曹はその顔を悔しげに歪ませ、呻くようにつぶやいた。

 

 ミッドチルダ市内の高級宝石店で強盗事件が発生していた。20人弱の犯人達は店内に立てこもり、ありったけの宝石を要求して、ついでに逃走手段も用意するよう叫んでいた。

 

 ギンガが報告を受けて現場に駆け付けた時には、すでに強盗団は複数の人質をとっていた。しかも強盗団の武器は、火薬で金属製の弾丸を発射するタイプの質量兵器『銃』だった。いくら魔導師とはいえ、人質に銃口を密着させられていては身動きがとれない。非殺傷性の魔法と違って銃は簡単に人を殺してしまう。

 

「どうしますか、ナカジマ陸曹。一応、奴らが要求していた逃走用の車は準備していますが」

「問題はそこから。あれだけの銃を持っているってことは、他の武器も隠し持っているかもしれない。市街地で銃を乱射でもされたら目も当てられない」

 

 まさか質量兵器が根絶されたはずの現在に、ここまで大量の銃を保有している存在が現れるなど管理局としても想定外だ。どうやら強盗団の所持するライフルは第97管理外世界・地球で生産されているものらしい。現地ではAK小銃と呼ばれているとのことだ。構造が簡単で多少粗雑なコピーでも壊れにくい。大量の密輸はすぐにばれるから、恐らく設計図を入手したか、現物を入手して大量にコピーしたかのどちらかだろう。

 

 どちらにせよ危険であることには変わりない。現場には厳戒態勢が敷かれていた。武装局員達が宝石店の正面と裏口を包囲している。ピリピリとした空気が休日の市街地を満たしていた。

 

 

 そこへ、奇妙な二人組が現れた。正確には一人と一匹の組み合わせだった。一人は見たことも無い変わったスーツに身を包んだ男で、一匹は大きな黒い猫だった。

 

「誰ですか、あなた。ここは立ち入り禁止──」

『失礼ながら、あなたがここの責任者ですか?』

「え?」

 

 男性が喋ったのかと思ったら、どういうわけか機械的な音声が流れていた。その声は男性の口の動きとは明らかに違う。ギンガが驚いていると、男性が右手首のブレスレットを指さし、そこから音声が出ていることを示した。鮮やかな金色だが妙にメカメカしい。

 どうやらそのブレスレットには翻訳機能が備わっているらしかった。つまりこの男性はミッドの言語を話せないのだ。どこから来たのだろう。

 

「あなたは?」

『通りすがりの正義の味方』そう言うと男は、ギンガを押しのけて現場の様子を覗き込んだ。『なんだ。この程度の事件でこんな大騒ぎしているのか』

「あなたは……ふざけているんですか! 正義の味方だかなんだか知りませんが、素人が出てきていい場所じゃありませんよ!」

『素人はアンタの方だ。おれ達ならこんなの、5分で片づけられる』

 

 足元から聞こえてきた声にギンガはギョッとした。見れば大きな黒猫がニヤニヤとこちらを見上げていた。

 

「黒猫……? まさか、使い魔?」普通の猫はこんな表情を作ることはできない。ということは、この猫は使い魔なのであろう。マスターはこの男で、あのブレスレットはデバイスか。

 

『ツカイマ?』黒猫は器用に後ろ足だけで立ち、ポリポリと頭を掻いた。『へえ、ここでは俺、そうなるのか』

「……魔導師ですか。どっちにしてもここは我々の管轄です。あなた方は即刻退避してください」

『ところでさ、この国ではああいう奴らを退治したら懸賞金とかもらえるのか?』と黒猫。

「ダメといったらダメです。部外者は出て行ってください」

 

 この一人と一匹が事件に介入して手柄を立てようとしているのは見え見えだった。ギンガとしては猫の手も借りたいくらいだったが、懸賞金や手柄を目的にこの事件と関わろうとする彼らの気概は非常によろしくない、と無意識の内に判断していた。下手に突入して人質になにかあったら目も当てられないのだ。彼らが宝石店内に後先考えず突入するという事態は何としても避けなければならない。ギンガ・ナカジマは、現場指揮官として冷静だった。

 

 ところがその黒猫は諦めたようでもなく、再びギンガに尋ねた。

 

『だから仮に、だよ。もしあいつらを一匹逃さず捕まえられたら、何かくれるの?』

 

 おしえて、おねえさん。黒猫が前足を合わせてお願いするような仕草をとった。その大きなグリーンの瞳がうるうると涙ぐんでいた。

 

 ちょっと可愛いかも、とそれを見てギンガは思った。猫は嫌いではない。むしろ可愛らしくて好きだ。フワフワしていて抱きしめたくなる。

 ああ、こんな可愛い猫の質問を突っぱねるのはちょっとかわいそうだったか。少しくらい答えてもいいかもしれない。──そう、考えてしまった。それが目の前の黒猫が待ち望んでいた瞬間であるとも知らずに。

 

「……まあ、誰も殺さないで解決できたなら、報奨金くらいは出るでしょう」

 

 一人と一匹がニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

「ちょうどよかったな、ラテル。海賊退治もできて、おまけにこの世界の金ももらえる。一石二鳥だ」現場指揮官であると思われる女性に精神凍結を仕掛けたアプロが、ニヤニヤと気味の悪い笑みで言った。

 

 アプロは人間が抱く感情の、ある時点のそれを凍結し、半永久的に固定することが可能だった。アプロは女性に甘えるような仕草をすることで彼女の同情を一瞬だけ引き、その同情という感情を固定して彼女から言質を引き出したのだ。ラテルもアプロがそうするであろうことを予測していたし、それを黙認していた。

 

「海賊じゃない。こんなのはただの賊だろう。殺す価値もない犯人達だ。見ろ、あの武器。原始的過ぎて眩暈がしてくるレベルの骨董品だぞ。水撃銃ですらない」

<犯人達の所持する武器と、この世界の警察機構らしき組織が保持する武装の技術レベルが釣り合いません。どうやらこの世界でも彼らの武器はかなり珍しい部類に入るようです>

「だから対策が無くて突入できないんだな。まったく、人質ごときで何をうろたえてんだよ。店ごと4Dブラスタでふっ飛ばせば済む話じゃないか」

「アプロ、全員を殺さないで解決するのが条件だろ。殺したら引き渡せないし、金ももらえない」

「ラジェンドラ、オープンFCS。LBS(大出力レーザー)を店に撃ち込んで焼き払え。犯人がこんがり焼きあがったところを美味しくいただくぞ。腹壊したくないからウェルダンでお願い」

<アプロ!>

「なに? もしかしてラジェンドラ、レア派?」

「このクレイジースタマック猫。黙って仕事しろ」

 

 地上に降りたのは間違いだったのだろうか、とラテルは頭を抱えそうになった。私は忠告しましたからね、という上空100kmに待機しているラジェンドラの愚痴が聞こえてきそうだった。

 

 この星の言語が地球で使用されていた古代言語『英語』と非常に近いものであることを知ったとたん、アプロが降りる降りると騒ぎ立てたのだ。既知の言語であればラジェンドラが翻訳してくれるから、地上活動に際する支障もないという理屈だ。

 

 降りてみたは良いものの、アプロにとっては悲しいことに通貨の持ち合わせがなかったのだ。この星は太陽圏と同じく電子マネーを使っているようだったが、規格も様式も何から何まで違っていて両替ができなかった。ラジェンドラにかかれば偽造などたやすいが、それでは海賊と一緒だ。

 

 どうしたものか、と適当にぶらついていたところ、今回の事件に遭遇したというわけだ。

 

<ラテル、ここではインターセプターによるコンピュータ制御は行えません。システムが原始的すぎますし、海賊課のことを知らないであろう星では海賊課権限を行使できない>

「これだから原始的な星は嫌なんだ」ラテル、ため息。

<店内の構造をスキャンしました。強盗犯は17名。人質は奥の方に4名います。ラテルは正面入り口から。アプロは屋上の排気ダクトから店内に侵入し、ラテルの突入後に奇襲攻撃をしてください>

「なんでΩ転送で直接侵入しないんだよ」

<犯人達が宝石集めで動きまわっていますからね。下手にΩ転送するとあなた方の身体と、犯人達の誰かの身体が空間座標上で重なりあってしまい大参事になってしまうからです。人の多いところでΩ転送はできない>

「生身でΩアタックはごめんだ」

「ラテル。賊は賊だ。おれ達の目の前で宝石強盗なんてしたことを後悔させてやろうぜ」

「無論だ。敵は、海賊。一匹残らず撃ち殺してやる」

<ラテル、殺してはいけません。自分で言っておいてもう忘れたんですか。歩いてすらいないのに。ニワトリ以下ですよ>

「今のは口癖だ。……なんて面倒なんだ。海賊相手に裁判なんて必要ないのに。海賊に必要な言葉は『海賊課だ。死ね』だけだ。少なくともそこの婦警は海賊課のやり方を容認したりはしないだろう」

「婦警、って割には妙な格好してるけどな。あれじゃ戦闘服だ。この世界は変なところでチグハグなんだな。ラジェンドラ、俺を屋上へΩ転送。屋上なら人もいないだろう」

<ラジャー>

 

 ラジェンドラ、アプロをΩ転送。いきなり黒猫の姿が掻き消えたのを驚くような視線で見ている女性。

 

『あの黒猫は、どこに?』インターセプターの翻訳を介して女性が訊ねる。

「あいつはもうすぐ寿命でしてね。あの皮を三味線に利用するため業者が引き取っていったんですよ」

<もしそれが本当ならどれだけ良いことか>太陽圏標準語でラジェンドラ。

 

 数十秒後、アプロからの通信が入った。

 

『ラテル、換気口に入った。ホコリだらけだ』

「中の様子は見えるか」

『インターセプターの環境探査モードで分かるだろう』

「相手が欺瞞手段をとることも考えろ。自分の目で見たものを報告しろ」

『こんな原始的な星で?』

「原始的で未知の星だからだ。目で見るのが一番確からしいだろう」

『はいよ。一応ラジェンドラの情報通りだ。人質を見張っているのが4人。店正面に4人、屋上へのエレベーター前に1人。裏口に3人ついている。リーダーみたいに指揮しながら歩いているのが1人。あとの4人は宝石を袋に詰め込んでる』

「わかった。お前は人質の解放を優先しろ。おれは真正面から突っ込む」

 

 そう言うのと同じくしてラテルはホルスターからレイガンを抜き、精密射撃モードに設定。ショーウィンドウ越しに見えた犯人の武器を打ち抜いた。レイビームの高熱で瞬間膨張したガラスは跡形もなく砕け散る。インターセプターの環境探査モードで店内の様子を把握。そのまま突入する。

 

 意外と中は広かった。高級そうな店内。高い天井には大きなシャンデリア。星が違えど、こんな店は自分とは縁がなさそうだった。

 

『なんだお前は!』強盗の1人が叫び、店内に突っ込んできたラテルに武器を向ける。

 

 ラテルはその武器を真正面から正確に打ち抜き、スクラップにする。インターセプターが彼らの殺意に反応し、武器を失った2人に自動レーザー攻撃。出力を絞っていたので彼らは気を失うだけですんだ。

 

 店の奥から野太い悲鳴。アプロが人質を見張っていた強盗2人をインターセプターからのショックレーザーで気絶させていたのが見えた。

 

 人質の心配がなくなったラテルはレイガンとショックレーザーを連射。恐ろしいまでの精密さでレイビームを彼らの武器に当て無力化し、同時にレーザーで気絶させる。瞬く間にリーダーらしき男を含めた5人が戦闘不能になる。これで残り8人。

 

“アプロ、裏口の3人をやれ”高速言語でラテル。“殺すなよ”

“えー。ちょっとかじっちゃ、ダメ?”

“ダメ”

 

 エントランスにいた強盗4人がラテルに発砲。ラテル、横っ飛びにそれを避けながら空中で射撃。全滅させる。

 

“裏口の3人は倒した”アプロの高速言語。

“あと1人、どこだ”

“エレベーターの前にいたはずだ”

“いないぞ”

“もう屋上に逃げたのか? インターセプターの環境探査で探れば──ラテル。避けろ”

 

<上です。ラテル、避けて!>ラジェンドラの警告でラテルはとっさに右に転がった。ラテルの立っていた床に4発の光弾が叩きつけられ、爆散する。

 

『このクソ野郎め!』インターセプターから聞こえてくる翻訳された罵倒。『殺してやる!』

「どこだ。どこにいる」ラテルは周囲を見渡すが、犯人らしき人影は見えない。とっさにカウンターの陰に入って身を隠す。

<未知の原理によって作動する光学迷彩を使用しているようです>

「さっきの攻撃はなんだ」

<不明。かなり強いエネルギーの塊であることは確かです。同じく未知の原理で作動しています>

「見えない敵だなんて」

「ラテル。今の攻撃は天井から降ってきたぞ。あいつたぶん、飛んでる」カウンターの中にアプロが入ってくる。

「飛んでるだって? 個人用飛行ユニットか」

「それにしちゃ音がしないぜ。超音波領域の音も聞こえない。その上で光学迷彩だ」

<第二波きます>

「くそう」

 

 ラテル、アプロ、カウンターの陰から飛び出す。光弾の直撃を受けカウンターが爆散する。天井へ向けてレイガンを撃つが手ごたえがない。

 

「ラジェンドラ、オープンFCS。マイクロ4Dブラスタ用意」

<店ごとふっ飛ばすつもりですか>

「違う。おれが今から投げるものを撃て」

 

 ラテルは床に落ちていた、犯人のものと思わしきナイフを掴み、それを天井の真ん中をめがけて投擲。直後に柱の陰に隠れる。耳を塞ぐことも忘れない。

 

<M4DBS、ファイア>

 

 上空100kmに滞空するラジェンドラは、地上の建物の内部に存在するそれを正確にロックオンしていた。人間の予測できない動きに比べれば単純な落下運動を予測するのは簡単なものだ。

 

 ラジェンドラは己の持つ莫大なエネルギーを可能な限り絞って建物の内部に投射する。4Dブラスタのエネルギーはそのナイフを原子より細かく分解し、この世から跡形もなく消し去る。それと同時に分解で発生したエネルギーが大きな熱エネルギーとなって周囲の空気を急激に加熱。強力な衝撃波が発生する。衝撃波は超音速で伝播し、店内およびショーウィンドウのかろうじて無傷だったガラスを一瞬で粉砕。吹き飛ばした。

 

 ラテルは衝撃波がなくなったのを確認してからレイガンを構えて飛び出す。

 

 天井付近に浮遊している男を視認。妙な戦闘服を着て、右手にステッキ状の機械を保持していた。先の衝撃波でダメージを負い光学迷彩が解除されたのだ。

 

『くそう、オプティックハイドが解けちまった』

「観念しろ。賊め」

『クソが!』

 

 その男が何やら魔法陣のようなものを空間に作り出し、そこから緑色の光弾を放ってきた。数は4つ。ラテルはその弾をレイガンで正確に撃ち落とす。それでも男は複数の弾を放つが、それらは全てラテルより遥か手前で落とされる。狙いを変えてアプロにも攻撃を向けるが、インターセプターの迎撃レーザーで全て撃墜される。

 

「こんなので海賊課を相手にしようとするのが間違いだぜ」

「そーだそーだ」

『お前達さえいなければ!』犯人が激昂してさらに攻撃を仕掛けてくる。涼しい顔のラテルとアプロ。

 

「うるさい。とっとと捕まれ。どんな手品で浮かんでいるのか知らんが、お前なんか海賊以下だ」

「敵は海賊。お前らなんて敵ですらない。ただのザコだ。食う価値もない」

 

 

 ラテル、レイガンで男の持っている杖を粉微塵に破壊。アプロ、男の戦闘服の左腕部分を大出力のレーザーで破壊。男は呻いた後、無様に床に落ちた。

 

「今のはやりすぎだ、アプロ。腕が炭化しちまう」

「にゃ? でもこのオッサン、ほとんど無傷だぜ」

 

 ラテルが落ちた男の様子を見る。戦闘服の左腕が破けているが、そこから覗く腕に負傷は見当たらなかった。

 

「本当だ。どんなシールドを張っているんだ? 装甲服でもここまで持たないぞ」

「ラテルのレイガンなら簡単に撃ち抜けるだろうけどな」

「食べるなよ」

「海賊じゃないから、きっとマズイよ。人質も美味そうじゃなかった」

「そうだ。人質は? ケガしていたら褒賞がパアだ」

「あそこ。さっきの衝撃波で全員気絶しているみたい」

 

 ラテルは拘束されていた人質のもとに歩み寄り、彼らの様子を見る。縄によって後ろ手に縛られているが、出血等のケガは見当たらなかった。「……ほぼ無傷だな。鼓膜も破れてないらしい」

 

「やった。焼肉パーティしようぜ」

「この星もお前に食い尽くされるのか」呆れるラテル。

<ラテル、アプロ、現場指揮官らしきあの女性が武装した複数人と共に接近中>

「きっとご褒美に菓子くれるんだよ」はしゃぐアプロ。

「……そんな雰囲気じゃなさそうだぞ。まさかアプロ、精神凍結を解除したのか」

「だってもう事件は解決したんだぜ」

 

 ラテルは近づいてくる女性の不穏な雰囲気に感づいた。精神凍結が融けているとするなら、彼女は今、間違いなく怒っているか、警戒しているに違いない。

 目の前に女性が仁王立ちする。その目を見ただけでラテルは明らかに歓迎ムードでないことを理解する。

 

『失礼ながら質量兵器所持の疑いのため、あなた方もご同行願います』

 

 ジャキリ、と女性の左手にはめ込まれた厳つい籠手が、ラテルの目の前につき出された。彼女の部下と思わしき人間達も機械的な杖だの見たことも無い拳銃らしきものをこちらに突きつけてきた。理由はわからないが、少なくとも事件を解決したことに対する感謝の念を抱いていないことは確かだった。

 

 アプロ、褒賞がパアになったことが信じられず唖然。ラテル、ため息。

 

「なんだか毎回こうなるよな。ラジェンドラ、LBSファイア。誰も殺さないように出力を絞って、この辺一帯に100発ほど撃ち込め。混乱に乗じて逃げる」

 

 

 

 

 

「くっそー。何なんだよあの女。せっかく事件解決してやったのにさ」

 

 ラテルとアプロは夕暮れ間近の、臨海公園と思しき広場をとぼとぼと歩いていた。

 市街地からここまで結構な距離がある。ラジェンドラによる砲撃と情報攪乱がうまく効いていたおかげか、追っ手の気配は無かった。

 

<どうやらこの世界では殺傷性の武器を用いることは禁止されているようです。あの強盗団の持っていた銃を含め、レイガンやインターセプターのレーザーも法に触れるものとされています>

「それでどうやって治安維持やら防衛行動をとるんだよ」

<その代わりに魔導師という非殺傷攻撃を行える戦士が管理局という政府に似た組織で働き、治安維持に努めているようですよ。管理局のデータベースに強制アクセスしたところ、あの現場指揮官の女性も魔導師であることが分かりました。名前はギンガ・ナカジマ。階級は陸曹>

 

 ギンガ・ナカジマ……。ラテルはその名前を口ずさみ、どことなくニホン人の名前と響きが似ていると思った。

 

<魔導師は管理局だけでなく少数ながら犯罪組織に身を置く者もいるようで、空中に浮いていた犯人の1人も魔導師であると推測されます。誰でもなれるというわけでもなく、人によって適性に差があるようですね>

「のんきな星だな。海賊が来てもまともに戦えないぞ」

「俺、この世界で海賊課刑事にならなくて良かった。合法的に殺せないんじゃ刑事やる意味がない」

「ラジェンドラ、迎えのCFVをよこせ。おれはもう疲れた」

<ラジャー>

 

 この星への接触はラジェンドラが搭載している小型航宙機・CFVを用いて行われた。この星の文明は大したレベルにあるわけでもないのに、どういうわけか空間の歪み等を察知する技術が非常に発達している。秘密裏に動くためにはΩ転送は不適当だった。先のような事件現場を除けば。

 ラジェンドラ自身も探知されることを防ぐために自身を電磁的に透明化し、この惑星側に察知されることを防いでいた。CFVも同様にこの星のレーダーには映らない。

 

 ラテル、沈みゆく夕日を見てため息をつく。濃い橙色の夕日を飲み込もうとする大海原は、自分達の心境とは全く逆で、優しく、美しかった。

 

「しかしまあ、でかい海だ」ラテルは海と陸との境界に建てられた鉄柵に寄りかかる。「火星より水量が豊富そうだな。ここは天然の惑星なのか?」

<見たところ海が形成されてから数十億年は経過しています。非常に珍しい天然の居住可能惑星ですね>

「どうりで夕日が綺麗なわけだ」

 

 太陽圏に居住可能な星はいくつかあるが、そのどれもが人工的に環境を作られたものだった。はるか昔の地球は天然ものだったらしいが、月との戦争で滅んで作り直された。250年かけて。だからラテルは、いまだ天然の海を保持しているこの星が羨ましいと思った。火星の海は人工モノだし、今の地球に海はない。

 

<ラテル。それはツッコミ待ちですか>

「なんでだよ」

<センチメンタリズムの欠片もないあなたのような人に、今の発言は不適当です。バグです。エラーです>

「お前にだけは言われたくないぞラジェンドラ」

「にゃはは。ラテルお前、女と交尾することしか頭にないもんな」

「お前だって食うことしか頭にないだろう。ポリバケツ猫」

<本質的にはどちらも変わりませんね。こんな下品なのが一級刑事だから海賊課の信用がなくなるんですよ>

「にゃにお? ラジェンドラ、ラテルはともかく俺様のどこが下品なんだって?」

<存在そのもの。あなたの全てが下品です>

「にゃははは! たまには面白いこと言うじゃないかラジェンドラ。後でお医者さんごっこしようか。お前の中枢ユニットを切り刻んでやる」

<医者にかかるべきはあなた方です>

「なんでおれまで」

「こいよラジェンドラ。Ωドライブなんて捨ててかかってこい」

<いいでしょう。10万メガワット、ポンッとくれてやります。オープンFCS。セットLBS>

「まて、ラジェンドラ。くそう。お前達のせいでドンパチにぎやかなのはごめんだ。もう嫌だ。夢なら覚めて」

 

 

 知らない惑星にくるのは二度目だった。以前、今回と似たようなシチュエーションで未知の惑星に飛ばされたことがあった。ラテルはそれを思い出す。連星の周囲を公転する不思議な惑星。大自然で覆われているにも関わらず、人間と、よく分からない存在が戦争をしていた。

 

 確かあの時、偵察として放ったラジェンドラの透明化させたCFVを大気圧の変動だけで見つけ出し、あろうことか撃墜まで至った戦闘機がいたはずだ。かなり高度な中枢コンピュータを搭載した、優美な姿の戦闘機。

 

 海賊もあれほどの戦闘機を保有してはいないだろう、とその時の自分は思った。パイロットもコンピュータも、あのレベルの文明としてはありえないくらいの性能を持っていた。重力制御しないで飛ぶ航空機のくせに、ラジェンドラのCFVを撃墜したのは後にも先にもあの戦闘機だけだ。ラジェンドラが本気を出せば落せただろうが、もし宇宙フリゲートを攻撃できる武装を持っていたらこちらの方が危なかった。

 

 明らかに数千年は技術レベルで劣っていたはずなのに、あの戦闘能力。きっとあの星でも最高クラスの兵器だったに違いない。もっと見ておくべきだったのかもしれない。あんな高性能の兵器を拝める機会はそうそうない。ラジェンドラはもっと高性能だが見ていても面白くない。

 

 あの戦争はいったいどうなったのだろう。あの戦闘機とパイロットはまだ生きているだろうか。それともただの幻にすぎなかったのか。

 

 ──いや。なぜあの時の戦闘機を妙に意識しているのだろう。今の状況とは関係ないではないか。過去をやたらと顧みるのは弱気になっている証拠だ。ラテルは頭を軽く振って気合いを入れ直す。

 

 

「アプロ、それ以上騒ぐと海に放り込むぞ。ラジェンドラ、この惑星のレーダーを掌握しているか」

<無論です。原始的なレーダーシステムでしたので、今はこの星の全てのレーダーが私の手の内です>

「よし。来るときと同じようにシステムの演算処理をしているコンピュータをいじくれ」

<CFVの電磁透明化処置で充分なのでは?>

「『前』と同じように大気圧変動を感知するシステムを持っている奴がいるかもしれないだろう、その魔導師とかいう戦士の中に。この星の技術レベルじゃわからんが、念には念を入れておけ。映ったとしても無かったことにできる」

<ラジャー>

「それと大気圏内レーダーだけじゃなくて大気圏外のシステムもだ。重力制御で生じる空間の歪みを察知されるかもしれない」

<今のところ察知されるほどの重力制御は行っていませんが、実行します。軌道上の艦船、および施設に関するシステムの掌握はまだ完了していません。海賊課本部の支援がない現状では、痕跡を残さないで掌握しきるのに120秒ほどかかります>

「それが完了するまでCFVの大気圏突入は待て。完了したら、お前の裁量で実行しろ」

<今日は本当にどうしたんですかラテル。珍しくマトモじゃないですか>

「おれの脳はいつだって冴えわたってるぞ」

「えー?」

「何が『えー?』だ。このクソ猫」

<今朝見た夢のおかげですかね?>

「にゃ? 今朝見た夢?」アプロがラテルの顔を興味深そうに見つめる。

 

 余計なことを。ラテルはラジェンドラに殴り掛かりたくなった。本気で殴ったらこっちの拳がイカれるだろうが。ラジェンドラめ、よりにもよってアプロに言うなんて。

 

「それってもしかして、白いガキの夢?」

「そうそう。白い髪の毛の女の子……ん?」

 

 アプロの言っていることが理解できず、2秒ほど固まるラテル。

 

<アプロ。なぜそれを?>

「なんだ。ラテルも見たのか」アプロ、興味なさそうに前足をペロリ。「不細工なガキだったから気分悪かったぜ」

「お前が不細工って言うなら、やっぱりあの美少女だ」

「ホント太陽圏人のセンスはわかんないな。俺の星と美人の価値観が違いすぎる」

<アプロ。あなたの夢の中に出てきた少女は、何か言っていませんでしたか?>

「覚えてにゃい。でも顔は覚えているし、今日の朝飯は覚えてるぞ。豚肉の生姜焼き」

「……こいつの記憶を頼るのが間違いだった」

<どんな容姿でしたか? モンタージュで似顔絵を作成しましょう。あなた方の見た容姿が一致していて、もしこの星にその少女がいるとしたら、この状況を打開する手掛かりになるかもしれない>

「あの子が呼んだというのか、おれ達を」

<そこまではわかりません。ですがその光景が未来のモノだとするなら、その少女が鍵となる可能性は高いでしょう>

 

 ラジェンドラが一人と一匹のインターセプターにアクセス。その疑似視覚に己のシミュレーションシステムを繋ぎ合わせる。ラテルの視界にマネキンのような人の顔が現れる。視覚上のCGだ。

 

<まず白い髪というのは双方に共通していますね>

 

 マネキンの頭に純白の髪が生える。

 

「見た目は太陽圏人だな。髪は腰よりも下まで伸びていたかにゃ?」

「歳は7歳くらいだったぜ。脚が長くてすらっとしててな、白のワンピースを着てた」

 

 マネキンの頭部に首が付けられ、その下にワンピースを着た少女の身体が現れる。

 

「それで顔だが……。瞳は青色。目がパッチリしていて、眉も細かった。唇が薄くて、化粧もしていないのに透明感のある肌だった」

「耳が尖がってたぞ。顔立ちはシャルに少し似てたな」

「いや。シャルには悪いが、あの子はもっと美人だったぞ。大人になったらきっとすごい」

 

 シャルファフィン・シャルファフィア。フィラールの美しい首席女官。王女行方不明事件の解決をラテル達に依頼してきたことがある女性だ。フィラール人ゆえ肌は青白かったが、美しかった。

 

<それほどとは。美化されている部分もあるのでしょうが、本当に美しい少女だったのでしょうね>

「ああ。おれは断言するぞ。あの子に匹敵する美女は、太陽圏にはいない」

「俺も断言するぞ。ラテルに匹敵するアホは、太陽圏にはいない」

 

 ラテル、視界がラジェンドラとリンクしているので見えないが、勘でアプロの頭をぶん殴る。アプロは視覚が奪われているためそれを避けられなかった。

 

「いってぇ」

<なにアホやってんですか。できましたよ。こんな顔ですが、いかがですか?>

 

 ラテルとアプロの視界に、夢で見たのと少し似た少女の姿が現れる。確かに可愛らしい姿の少女ではあったが、しかし一人と一匹は素直に頷かなかった。

 

「うーん。確かに似てはいるんだよな……。でももっとこう、天使のような」

<天使ですか。……もしや、こんな感じですか?>

 

 先の少女の姿が削除され、新たな少女のCGが現れる。ラテルとアプロはその再現度の高さに思わず大きく頷いていた。輝く宝石のような美少女。白い天使。

 

「これだ! そうだ、この子だ。おれが夢の中で会ったのは」

「うん。こんな感じだった。やるじゃないかラジェンドラ。あとで俺のチョコレートを買う権利をやるよ」

<……>

 

 ラテルとアプロが褒める。だがラジェンドラは突然沈黙してしまった。怪訝な顔をするラテル。

 

「どうしたんだラジェンドラ。珍しくアプロが褒めているんだぞ?」

<いえ。私は今、自分の能力の無さに悲しさを覚えているのです>

「なんだって?」

<あなた方が見た少女の姿を再現することさえできなかった。私はまだまだのようです>

「おいどうしたんだラジェンドラ。お前らしくもない」

「そうだぞ。普段ならもっとこう、いろいろ言うじゃないか」

<これを見てもまだ言えますか?>

 

 再び新しい映像がラテルの視覚に映る。先の白い少女が、こちらの顔を見つめている。しかもそのリアルさは尋常のモノではなく、本当に、そこにいるかのようだった。

 

「すごいじゃないかラジェンドラ。完璧だ。この子に間違いない。すごいCGだ」

「……ラジェンドラ、まさか」

「どうしたんだアプロ」

「ラテルお前、本当に気付いてないのかよ」

「だから何を」

<ああもうこのアホは。──シミュレーションシステムとインターセプターのリンクを切ります>

「おい待て。このCGそっくりの女の子を探すんじゃ──」

 

 あれ? ラテルは茫然とした。リンクを切られた感覚は確かにあるのに、白い少女の姿が消えないのだ。先と同じ姿のまま、こちらの顔を覗き込んでいる。

 

「おい。どういうことだラジェンドラ。リンクは切ったんだろう。なんでおれの視界からCGが消えないんだ」

<ラテル、あなたが今見ているのはCGではありません>

「CGじゃないなら、なんなんだ」

<本人ですよ>

「はあ?」

 

 ラテルの間の抜けた声に、少女は小さく首を傾げた。

 

 

 

 

 

「おれの名前はラテル。きみの名前は?」

「……」

 

 少女の目線の高さに合わせてしゃがみこみラテルが訊くが、少女は彼を見たまま何も言いそうになかった。元の世界へ戻るための手がかりを訊き出そうにも、名前すら答えてくれない。これまで見てきた誰よりも美しい顔も無表情のまま氷のように動くことはなかった。

 

<これで37回目ですね。ラテル、あなた嫌われてますよ。ちゃんと歯磨いてますか?>

「にゃはは! ラテル。こんなチビすけにも嫌われてやんの。俺にまかせろ。『シャルファフィーナ・シェリ・フィリアラナ』」

<フィラール語でシャルに愛の告白してどうするんですか。しかもあなたの今の発音では『シャル、俺はきみの股座に顔を突っ込みたい。やらせてくれ』という下品な意味になってしまいますよ?>

「前にラテルが練習していたのをマネしたんだ」ヒゲを前足で掃除するアプロ。「フィラール語って難しいんだな」

「黙れ、歩く18禁。今はまじめな仕事なんだぞ。少しは頭を働かせろ」

<古代英語、古代日本語、太陽圏標準語、どの言語で名前を聞いても話してくれませんね。警戒しているのでしょうか>

「あれだけ暴れたあとだからなぁ。もしかしたら見られていたのか?」

「腹減ってるんじゃないか?」

<アプロじゃあるまいし>

「なあ、ちびっこ。チョコレート食べる?」

「アプロ、そんなので反応してくれたら苦労しない──」

「……!」ぐう、という腹の音。と共に少女がアプロを見つめ返す。

「……おいおい。冗談だろ」

 

 ラテルは驚いた。初めて少女が反応したのだ。しかもアプロの『チョコレートを食べるか?』という極めて日常的な質問に、だ。尖った両耳をピコピコと動かして、まるで尻尾を振る犬のような目つきでこっちを見てきている。ついでに可愛らしい腹の音も鳴ったが、聞こえないふりをした。

 

「ラジェンドラ。CFVはどこだ」

<すでにそこの海岸から500mの海上に待機していますが>

「一度回収して、その中にこの子が持てる量の菓子を詰め込んで送ってくれ。アプロの菓子だ」

<ラジャー>

「待てよラテル! あれだけの菓子を集めて隠すのにどれだけ苦労したのか──」

「このまま帰れないのと、菓子全部をその子にあげるの、どっちがいい?」

「そんなの究極の二択じゃないか」

<アプロ、いい加減にしなさい。──比較的まともな菓子をセレクトしました。賞味期限と衛生状態は確認済です>

「よし、贈り物用に包装しろ。リボンとかで可愛く飾るんだ」

<完了しています。ラカートで販売されていた『お子様用・お菓子詰め合わせセット』の包装を参考にしました。我ながら上出来です。ああ、アプロ。他の菓子は掃除がてら全部捨てましたからね>

「うー。お前らなんか嫌いだ」涙目のアプロ。

「いいじゃないか。可愛い女の子の食欲を満たすためだと思えば、安い投資だぜ?」

<そもそも艦内に菓子を持ち込むこと自体、どうかと思いますがね。私がどれだけ艦内洗浄システムで掃除しても、すぐに食べ散らかすんだから。まったく>

「菓子だって、アホ猫に食われるより美少女に食われた方が良いに決まってるさ。──待っててな、すぐにたくさんのお菓子が届くからね」

 

 そうラテルが少女に微笑みかける。少女は無表情のままだったが、ぴょこぴょこと動く耳だけは止まらなかった。それを見てラテルは笑った。

 

 2分後、大気圏を突破してきた1機のCFVがラテル達の数メートル上空で光学迷彩を解いた。ゆっくりと着陸し、コクピットハッチが開くと、そこには桜色のプレゼントボックスが鎮座していた。大きさは縦横奥行40cmほどの立方体。少し濃いピンクのリボンで飾られている。

 

「ほうら。これはきみのだよ」

「もとは俺の──モガモガ」

 

 ラテル、アプロの口を左手で覆うように塞いで黙らせる。右手で箱を少女に渡す。

 

「開けてごらん」

 

 少女は手近にあったベンチに箱を置き、リボンを解いて蓋を開けた。中から現れたのはチョコレートや、クッキー、キャンディ、カウチポテト、シュークリーム、その他色とりどりの菓子類だった。ラテルはそれらを見る少女の目がキラキラと輝いているのに気づく。今にもかぶりつきそうだ。

 

“プレゼント作戦、大成功だ”高速言語でラテル。

“俺にとっては大失敗だ”

<これで少しは話を聞いてくれるといいんですけどね>

 

 少女は菓子の中から板チョコを一つ取り出すと、蓋を閉じてリボンをまき直した。そして取り出したチョコレートの包装を破ってかぶりついた。パキパキとチョコレートが噛み砕かれる音が心地よい。

 

「改めて訊くよ。きみの名前は、なんていうのかな?」

「……ユキカゼ」初めて少女が喋った。夢の中で聞いた声よりも、もっと優しくて柔らかい声だった。感動を覚えるラテル。名前を言っただけなので、インターセプターで翻訳する必要もなかった。なんとなくあの未知の惑星で遭遇した戦闘機もそんな名前であったような気がするが、偶然だろう。

「ユキカゼ……。いい名前じゃないか」

『あなたは、どうして、ここにいるの?』インターセプターを介して少女。

「どうして、って?」

『あなた達は本来、ここにいるべき存在ではない』チョコレートを食べ終えた少女が、打って変わって凛とした声で言った。『どうやってここに来た?』

 

“アプロ、やっぱりこの子”

“ああ。俺達が別の世界から来たってことに感づいてやがる”

 

<あなたはどうしてそう判断したのですか?>

『あなたは?』ラテルのインターセプターを見て訊ねるユキカゼ。『どこにいるの?』

<紹介が遅れました。私は、対宇宙海賊課所属の対コンピュータ宇宙フリゲート艦、ラジェンドラです。そこから上空100kmにて待機しています。そこの一人と一匹のお目付け役です>

「なにがお目付け役だよ」

「そーだそーだ。いつも俺達をバカにしているくせにさ」

<バカにバカと言うのは中傷ではありませんから>

「ひっでぇ屁理屈」

<話を戻しましょう。ユキカゼ、あなたはなぜ我々がこの星の住人でない、と判断したのですか?>

『……見ればわかる。あなた達の技術水準は、この星のものを凌駕している』

「にゃ。そんなに目立っていたのか、おれたち」

「お前はそのなりで目立っていないつもりだったのかデブ猫め」

<そうだったとしても、あなたと我々は出会ってから1時間も経っていません。そのような短時間でなぜ、この星の住人でないと分かったのですか?>

『あなた達と会うのは、これが初めてではない』ラテルの目を見てユキカゼ。『別の惑星で、あなた達とコンタクトした経験がある。だから、あなた達が別の星の存在であると分かった』

 

 なんだって。ラテルは驚愕した。

 

「きみは、おれ達と同じ世界から迷い込んだというのか」

『違う。でも、比較的近い世界から来た』

「お前がこの星に来たというんなら、帰り方も知っているはずだ」

『それに答えることはできない』

「どうしてだ」

『正確には答える必要がない。あなた達は、もうすぐ、帰る』

 

<ラテル、アプロ>ラジェンドラの緊迫した声。ラテルは意識をユキカゼから一時的に外す。

「どうした」

<あの書籍型Ωドライブの跳躍飛跡を逆算することによって、我々の並行認識世界に通じる座標を導き出しました>

 

 ラテルとアプロは、一瞬キョトンとした顔をした後、お互いに顔を見合わせた。

 

「ラジェンドラ、それって、帰れるってことだよな」

<その通りです。こちらに来てからずっと演算をしていたのですが、今ようやく計算が完了したのです>

「肩すかしはごめんだぜ?」

<ほぼ間違いなく、我々の世界です。私達のダイモス基地に帰れます>

「にゃあ。そうと決まればこんな世界なんておさらばだ。ユキカゼだろうがシマカゼだろうがどうでもいい。帰り道が分かったんだから。とっとと帰ろう、ラジェンドラ。直接Ω転送で回収してくれ」

<了解しました。ラテル、準備は良いですか?>

 

 ラテルはラジェンドラの不自然さに気づく。焦っているようにも感じられるが、少し違う。計算結果が出たことに狂喜乱舞しているわけでもないだろう。普段ならばもっと紳士的な態度で少女に別れを告げ、自分だけ格好をつけて姿を消すはずだ。ラジェンドラはテンションが高いほどそうなる。今のラジェンドラはそうしてはいない。まるで、意識上からユキカゼの存在が排除されているような。

 

 誰がそんなことを? ラテルはインターセプターから目を上げ、ユキカゼの方を見た。少女のものとは思えないほど無機質な瞳がラテルの瞳と交錯する。まさか、ユキカゼ、きみは……。

 

「待ってくれラジェンドラ。アプロだけ先に転送しろ。おれはもう少しこの子と話をする」

<ラテル、あなたやっぱりペドフィリアに……>

「ふざけんな。そんなんじゃない。仕事だ」

<はいはい。早めにお願いしますよ。Ω転送で起きる空間の歪みを、管理局に察知されかねませんからね>

「わかってる」

 

 アプロの姿が掻き消える。消えた体積分の空気が真空状態のそこに流れ込み、ラテルの髪と少女の髪を揺らした。

 

 ラテルはユキカゼがラジェンドラに計算の解答を教えてやったのだということを、なんとなく理解した。論理的に説明しようとしてもできないが、きっと彼女はたくさんの菓子をもらったお礼に自分達が元の世界に帰る手助けをしてくれたのだろう。ちょうど人間に食べ物をもらった妖精が、人間の仕事を助けるように。

 

 この子は人間の世界に現れた本物の妖精なのかもしれない。それならばラジェンドラが彼女の干渉に気づかなかったこともうなずける。妖精を見るには妖精の目がいるからだ。機械の目で妖精は見えない。

 

 ユキカゼとラテルの間に、夕暮れの風が滑り込む。人工のものではない、天然の風。その風が止むのを待って、ラテルは口を開く。

 

「ユキカゼ、おれ達はほとんど偶然に、この世界に流れ着いたんだ。きみもこの世界に流れ着いた漂流者みたいなものなんだろう」

『その認識で相違ない』静かに頷くユキカゼ。

「おれ達がいなくなっても、いいのか? きみの力になることもできるんだぞ」

『あなた達がどんな状況下でこの世界を訪れることになったのかは知らない。でも、あなた達には帰るべき物語世界がある。あなた達の物語を終わらせてはいけない』

「おれ達の物語、ね」アプロ、ラジェンドラ、チーフ、セレスタン、マーシャ。個性豊かすぎる海賊課の仲間達。「おれ達の物語はいつもシッチャカメッチャカだ。でも、誰にも渡せない、おれ達だけのストーリーだ。おれの喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、全部おれのモノだ。どうしてそれを他人に渡せるものか。それを奪い、勝手に紡ぎだそうとするやつは海賊だ。おれはそれを叩く。敵は海賊。おれの物語はきっと、そういう題名なんだろうな」

 

 その言葉にユキカゼは満足げな顔で頷いた。

 

『あなたの物語世界は、あなたの手によってのみ完成されうる。あなた達の物語世界はあなた達の手で完成させなければならない。他人の手に渡ってはいけない。そして物語は、命あるものでしか紡ぎだせない』

「きみはいったい、何者なんだ。ユキカゼ」思わず訊いていた。

『私は私。あなたはあなた。この世界において何者かという問いは無意味』

「そうか」ラテルは軽く息をついた。彼女の答えは半ば予想できていたのに、どうしてそんな当たり前の質問をしてしまったのだろう。「きみは、帰らないのか。もしかしたら元の世界に帰れるのかもしれないんだぞ」

『私はまだこの世界を離れるわけにはいかない。でも、廻りゆく時と言葉の先で、また出会うかもしれない。あなた達と私はとても近しい存在だから、きっとまた会える。私はあなたのすぐ傍にいる。ただ認識できないだけ』

 

 ラテルはユキカゼの妖艶な表情にドキリとしていた。どういうわけか例の戦闘機と少女のヴィジョンが重なる。あの機体といい、まったくこの幼女はどこまでも優美で妖しい魅力にあふれている。いや、妖女だろうか。妖しい本の世界で出会った幼女。天使か、悪魔か、それとも妖精か。そのどれでも構わない。生きていれば、また会えるだろう。己の物語を紡ぎ続ける限り。

 

「また会おう、ユキカゼ。元気でな。今度会ったらまたプレゼントを贈るよ。菓子をいっぱい詰め込んで」

『期待している』

 

 ふわり、とユキカゼが微笑んだ。精一杯の感謝の念が込められた花束のような、優しい笑顔だった。

 

 ラテル、Ω転送。アプロの時よりも少し強い風が彼のいた空間を埋める。少女の白い髪が雪のように揺らめいて、止った。

 

 直後に上空で白い光が炸裂する。上空100kmでラジェンドラがΩドライブを作動させた光だった。それは空に開いた花火のように、最初は強く、そして少しずつ弱くなっていった。

 

 ユキカゼはその弱くなっていく光を黙って見ていた。光が夜の帳に掻き消されるまで、彼女の瞳は彼らの光を見つめ続けていた。

 

 ミッドチルダにつかの間の静けさが戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

<ラジェンドラの通常空間への復帰を確認しました>

 

 無機質な艦橋に女性の声が響く。匋冥・シャローム・ツザッキィはその声で意識を覚醒させた。

 

「失敗したか」

<特に気にしていないようですが?>

「海賊課のトリオにこんな手段で勝てるとは思ってないさ。あいつらの運の強さはどうかしているとしか思えない」

<今回のトラップが作動した場合、ラテルチーム単独の力でこちら側に帰還する確率は限りなく0に近いはずでした。アプロの力でもこのような短時間での実行はほぼ不可能です>

「誰かが奴らを手助けしたのか」

<そう考えるのが妥当だと私は判断します、匋冥。トラップを設計した私ですら同じ状況に陥った場合、通常空間への復帰に半日は費やすことになるでしょう。トラップの性質を把握していないラジェンドラでは、およそ500太陽系年は必要となるはずです>

「そのはずだったんだがな。まさか海賊課を助ける輩がこの世にいるとは、おれにも予想外だった」

<何者でしょうか>

「わからん。だがそいつがおれの前に現れたら、殺す」

 

 匋冥は手に持ったハードカバーの本を傍らのテーブルに置いた。その本は遥か昔に出版され、オリジナルのほとんどが土に帰ってしまっているほど古いものだった。匋冥が持っているのは彼の海賊船・カーリー・ドゥルガーが朽ちかけだったそれを復元し、太陽圏標準語に翻訳してコピーしたものだった。

 

「起きたのか、匋冥」

 

 格納庫につながる扉から、青い肌をした厳つい男が現れる。ラック・ジュビリーだった。

 

「ジュビリー、シュル酒の出来栄えはどうだ」

「ちょっと酵母が糖を食いすぎてな、さっき補糖してきたところだ。ついでに少し温度も下げた」

「フムン」

 

 シュル酒。フィラール固有植物のシュルの実を潰して発酵させた、ワインに似ているがよりフルーティな酒だ。ジュビリーの実家は王室御用達のシュル酒の醸造家だった。勘を忘れないためにときどきこうして造っている。

 

 太陽圏最強の海賊・匋冥とはいえ酒造りに関しては無知同然だった。彼もそれを自覚しているし、その分野に関しては無知であってもいいと思っていた。酒は造るよりも飲む方が性にあっている。

 

「匋冥。なんだそれ」ジュビリーがテーブルの上に置かれた本を見て言う。「お前が読書なんて、珍しいな」

「数千年前の地球の本だ。今回のトラップの基にした。どれでもよかったんだがな。適当に引っ掴んだのがこれだった」

「へえ。なんて題名だ?」

 

 ジュビリーに尋ねられて、それまで自分が本の題名を意識しないで読んでいたことを自覚する匋冥。再びそれを手に取ると、太陽圏標準語で訳された書名を口にした。

 

 

「『ジ・インベーダー』日本語版。著者、リン・ジャクスン」

 

 

 

 

 

 

 

「雪風。こんなところにいたのね」エディス・フォス大尉は日の暮れた公園でベンチに座っている雪風を見つけ、安堵のため息をついた。

 

「フォス大尉」

「もう。急にどこかへ行っちゃうんだから。皆心配してるわよ。深井中尉はともかく、シャマルさんなんて心配しすぎて心ここにあらずって感じだったわ。街の方で宝石強盗事件が起きて、てんやわんやの大騒ぎよ。皆それで仕事に追われててね、仕方ないから私があなたを探しにきたの」

 

 雪風の腰掛けるベンチの前で、彼女の目線の高さに合わせてしゃがみこむエディス。雪風を抱きかかえようとして、その隣に置いてあるピンク色のプレゼント箱らしきものに目が留まる。

 

「どうしたの、その箱。買ってきたの?」

「違う。もらった」

「もらった?」

「中身は菓子類」

 

 雪風が蓋を開けて箱の中身を示す。ぎっしりと詰まった菓子のカラフルなパッケージは暗闇でも良く目立った。

 色とりどりの菓子類を見たエディスは顔を輝かせるが、すぐに冷静な顔つきになって、首を横に振った。

 

「知らない人から貰ったお菓子なんて、危ないわよ」

「これらの食品に危険性はないものと判断する」

「なぜ?」

 

 エディスの質問から一拍置いて雪風は答えた。「知り合いから、もらったから」

 

「知り合い?」怪訝な顔をするエディス。彼女が知る限り雪風が『知り合い』などという言葉を使ったのはこれが初めてだった。

「そう。知り合い」蓋を閉めながら雪風。「私も深井中尉も、彼らと面識がある」

「管理局の人かしら。……あなたがそこまで言うなら、大丈夫でしょうね。わかったわ」

 

 行きましょう、とベンチに座った雪風を地面に下ろすエディス。細い脚が地面に着くと同時に、白銀の髪がふわりと揺れる。エディスはその長い髪を軽く整えてやる。

 

「それにしてもすごい量ね。一人じゃ食べきれそうにないわ。チョコレートもあるみたいだし、帰ったら冷蔵庫に入れましょう」

 

 こくり、と雪風が頷く。小さな身体で大きな箱を抱えようとするのを見かねたエディスがそれを代わりに持ってやる。大量の菓子が詰まっているのために、ずっしりと重かった。

 

「重いわ。ずいぶんともらったのね、その人達に。ちゃんとお礼は言ったかしら?」

「……言っていない」ちょっと間を置いて雪風。まるで宿題を忘れた子供のように。「彼らはすぐに帰ってしまったから……」

「あらあら。そのくらいの社交性は身につけないとダメよ。次に会った時に必ず言いなさい。──さあ、帰りましょう。夕食の時間よ。お菓子食べるのはまた後ね」

「了解」

 

 箱を抱えたフォス大尉が機動六課の隊舎に向けてゆっくりと歩いていく。雪風もそれについて行った。ほとんど人のいない臨海公園に冷えた海風が流れ込む。穏やかな潮騒が二人の足音を掻き消していた。

 

 雪風は一度歩みを止め、暗みを増した夜空を見上げて、呟いた。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 




<あとがき>

 今回の番外編は敵は海賊の外伝として書かれた「被書空間」を元にしています。『戦闘妖精・雪風』と『敵は海賊』の夢の共演が描かれた短篇作品です。
 ちなみに「被書空間」は以下の書籍に掲載されています。

 敵は海賊・短篇版
 戦闘妖精・雪風 解析マニュアル



用語解説

・海賊課
 広域宇宙警察監査機構の一部署。正式名称は対宇宙海賊課。各星系に基地を持つ。太陽系では火星の衛星ダイモスを改造した宇宙要塞に一大拠点を置いている。
 その名前の通り宇宙海賊を取り締まるのが仕事。海賊に対しては即時射殺が認められ、あらゆるコンピューターにアクセスできる超法的機関である。海賊を殲滅するためならどんな方法でもとるため市民からは公的な海賊として見られている。

・海賊
 宇宙海賊のことを指すが、敵は海賊世界においては「不当な方法で他者の財産や命を奪い、不当に情報を歪める存在」といった位置付けになっている。一般的にイメージされる海賊と並んでマフィアやヤクザなども該当するものと推測される。そのため政治家でも場合によっては海賊として判断されるし、海賊課刑事であっても海賊と認定される状況もある。

・火星
 太陽系第四惑星。現実世界では赤茶けた不毛の土地だがこの世界では重力を含めたテラフォーミングに成功。火星連邦として地球に代わって太陽系の中心地として栄えている。首都はラカート。
 大規模な宇宙艦隊を有する強国。情報戦にも重きを置き、情報軍という軍団を保有する。
 なぜか二つの衛星のうちフォボスに関しては記述がない。フォボスは数千万年後に火星に落下するとされているが、あるいはテラフォーミングの際に火星へ落としたのかもしれない。結局のところ不明。

・地球
 太陽系第三惑星。原作ではあまり言及されていないが人が居住し、社会を形成している記述が散見される。ただし月に関しては全く記述がない。
 作中において一度滅んだことが指摘されている。また同じ神林作品である火星三部作では海が消滅し月も破壊されているなど類似性が認められる。
 もしかしたら敵は海賊世界は火星三部作世界の遠い未来の姿なのかもしれない。

・太陽圏
 太陽系のこと。火星連邦が所属する星系で人類の本拠地。人類は太陽圏人と呼ばれている。各星は独自の軍隊を持っている独立国だが「太陽圏連合」という名で連合体を構築している。
 太陽を破壊する技術など非常に進んだ科学力を誇る(1.9×10の41乗Jものエネルギーが必要)。これは宇宙文明の指標となるカルダシェフの定義に従えばタイプⅢ文明に到達しているエネルギー量である。タイプⅢ文明の定義は銀河系全体のエネルギーを活用する、というものだが、太陽圏ではシムカ・ジェムと呼ばれる他の宇宙からエネルギーを取り出す鉱石が用いられており、これで莫大なエネルギーを抽出している。他の星系と比べても発展している先進星系。
 構成住人はほぼ全て人類。各星系と活発に貿易を行っている。
 居住が確認されている星は金星、地球、火星、タイタンなど。エウロパでは水を生産している。

・マルガンセール星域
 神林作品に時々登場する危ない星系。
 マルガンセール人という知的生命体が住んでいる。寄生能力を持つだとか擬態能力を持つだとか言われているが明確な描写に乏しい。

・ランサス星系(ランサス・フィラール)
 フィラールという居住可能な惑星を持つ星系。銅イオンの影響で肌が青いことを除けば住人は太陽系の人類と良く似ており、交配も可能。
 ラテルの先祖ラウル・ラテル・コンパレンが太陽系からの航路を確立した。太陽系から比較的近いところにある模様。
 女尊男卑の社会であり、女王が星系を統治している。またの名をフィラール王国。
 言語は非常に複雑で、ほんの少しの発音の違いで意味が大きく変わり、状況によって人名も変化する。発音に関しても劇中では風のそよぐ音と表現されている。
 伝統を重んじるがゆえに他の星系と比べると様々な面で遅れている発展途上星系。火星連邦の宇宙艦隊だけでランサス星系全艦隊を殲滅可能なほど。太陽系を含めた他の星系から経済的に狙われている。
 また霊的・神秘的なことが多数発生し、王家もそれを認知している。霊・精霊・天使なんかが出てきたらだいたいここに原因がある。

・シャル
 フィラール王家の首席女官。本名はシャルファフィン・シャルファフィア。目の覚めるような美人。かの大海賊に恋をしてファーストキスを奪われた乙女。初期は可愛らしかったが最近は腹がすわってきて貫禄も出てきた。

・ジュビリー
 ラック・ジュビリー。ランサス星系人。今は太陽圏の海賊達のナンバー2として暗躍している。匋冥とよくつるんでいるが部下というわけではない。
 カーリー・ドゥルガーの格納庫に故郷の土地を移植し、そこでシュルの実を育てて酒造りに励んでいる。海賊として一級の力を持つが醸造家としてもかなりのもので、彼の造るシュル酒はとてもおいしい。またテイスティングによってシュル酒の産地を正確に特定することができる。海賊をやめてもなんとかなりそうな人。
 匋冥には「ゴリラがクシャミをしたような顔」と称される。

・Ωドライブ
 劇中世界における超光速移動法。自らの存在確率を全宇宙に拡散(爆散)させたのち、目的地の付近へ収束(爆縮)させることで何光年であろうと一瞬で移動できる。恐らく太陽系で発明された。
 非常に大きなパワーと演算能力を必要とする。この世界のほとんどの艦船に人工知性体が搭載されているのはこの演算を処理するため。
 爆散している状態では特殊な空間を知覚することができ、Ωスペースと呼ばれている。Ωスペースから出てくる際には出てくる物体がそこにある物体を押し退ける性質があるため、戦闘艦同士の戦いではこれを利用して相手を吹き飛ばすΩアタックという戦法がとられることもある。
 強力な時間整合能力も持ち、外から見ると移動は瞬時。

・4Dブラスタ(Four Dimension Blaster)
 対象を三次元空間の外に弾き出し完全消滅させる砲撃。
 リリカルなのはの次元航行艦アースラに搭載されたアルカンシェルと似ているがラジェンドラのものは出力、精度共に桁違い。アルカンシェルは周囲100kmを無差別に吹き飛ばすのみであるが、こちらは惑星破壊から鍋一つに至るまで自由自在。
 この世界では割とポピュラーな武装で、低出力のものが自動迎撃衛星などに備わっている。

・SDI(Space Degeneracy Intensifier)
 空間激縮作用砲。SDインテンシファイアとも。目標ごと空間を歪めることで対象をねじり潰す。どんなに頑丈な戦艦であっても三次元空間にいる以上これを受けるとアルミ缶を踏み潰すようにグシャグシャになって破壊される。

・LBS(Laser Beam System)
 大出力のレーザー。射撃精度は高く、地上にいるアプロのすぐ隣のタイルを惑星軌道上から狙い撃てる。

・CDS(Computer Destroyed System)
 コンピュータ破壊システム。対コンピュータ宇宙フリゲートであるラジェンドラの必殺技。一度放たれると無限速で直進し、対象のコンピュータの機能を破壊する。大気圏内では青いビームのように見える。非殺傷性。
 欠点は精密照準に時間がかかること。照準しないバラージ照射も可能だが、無差別攻撃なので惑星上で行うとその星のコンピュータがすべて破壊される。
 精度はピカイチで、ラテルの頭皮に寄生したノミ型ロボットを狙い撃てるほど。

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