魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第二十話 予感

 

 ホテル・アグスタのオークション会場は騒然としていた。

 

 ほんの数分前まで、ここはオークション準備の穏やかな喧騒に包まれていたというのに。いつの間にか参加者達がざわつきだしたのだ。

 

──いったい何が──

 

 ゲストとして招かれていた無限書庫司書長、ユーノ・スクライアは、周りの人間達の会話を盗み聞いて、このざわつきの原因を突き止めようとしていた。ついでに、係員からも話を聞く。

 

 しかし、それらの情報は虚偽入り混じっていた。

 

 いわく、妖精が現れた。

 いわく、天使が現れた。

 いわく、女神が現れた。

 いわく、美女が現れた。

 いわく、令嬢が現れた、等々。

 

 妖精、天使、女神、美女、令嬢───確かにどれも現れたら注目の的だろう、とユーノは妙な納得をする。程度の差こそあれ、どれも綺麗で高貴なイメージだ。

 

──でも問題はそこじゃない──

 

 ユーノは、恐らくその原因があるであろう、喧騒の大きい方へ歩き始めた。ゆっくりと、もちろん周りの会話を聞くのも忘れない。

 

 いったい何が現れたというのであろう。どれほど美しいものが現れたというのであろう。溢れんばかりの知的好奇心がうずき、彼の脳をフル回転させる。

 歩きながら情報のピースを試行錯誤して組み合わせ、いくつかの仮説を立てていく。すばやく、的確に。それは、学者としての本能ともいうべき行動だった。 もし、自身の立てたその仮説が間違っていたとしても、仮説と事実を比較することでその事実を深く掘り下げることができるし、次の推察の参考にもなる。無駄にはならない、絶対に。

 

 ユーノはやがて、視界の端に人だかりを認めた。それほど密度の高い集まりではない、しかしかなりの人数。男女問わず、大勢の人間が何かをドーナツ状に取り巻いて、緩やかに集まっているようだ。

 この騒ぎの原因があれの中心にあるとみて、まず間違いではないだろう。ユーノはその人だかりへと近づく。

 

 はたして現れるのは、天使か、悪魔か。好奇心を胸に抱き、人垣をかき分け、その中心へ───

 

 

───!?───

 

 現れた存在を見て、まずユーノの脳裏に浮かび上がったのは、納得や落胆でもなく、ただの純粋な疑問だった。

 

 ユーノは自身の状況認識が正常でなく、目の前の光景に思考が追い付いていないことさえも意識できない。ユーノは一瞬、自身の存在さえも忘れた。

 

 白い光だった。

 

 

 あり得ないほど、まばゆい、白銀の光。

 

 神の放つような、聖なる色をした輝きが、ユーノの脳を焼いた。

 

 慌てて目をこらす。

 

 

──女の、子?──

 

 ユーノの状況認識がようやく現実に追い付き、頬を叩かれたような衝撃を感じる。遅れて目の前の光景に意識が指向する。

 

 

 それは幼い少女だった。

 

 

 

 今もなお目に焼き付く白銀の光は、現実のものではない。ただ、その少女の持つ印象が強すぎて、ありもしない光を感じてしまうのであった。

 そのぐらい、目の前に現れた少女は美しかった。いや、美しい、という言葉でさえふさわしくない、不足だ。そう思えるほど、神々しい美貌を持っている。

 妖精のように妖しく、天使のように美しく、女神のように神々しく、少女はそこにいた。

 

 この世のものとも思えない圧倒的な存在を前に、ユーノは身体を硬直させる。美しすぎる。人間とは思えない、なんだこの少女は。いっそのこと跪いて拝んでしまいたい。

 

 シルクのごとき光沢を放つ白銀の髪に、ハリのある雪色の肌。形の良い薔薇色の唇。大きく鮮やかな空色の瞳には、星が遷移したような光が映り込んでいて、そこへさまざまな不思議な彩りが入れ替わり立ち替わり浮かんでくる。

 本来ならば異様な、妖精のように尖った耳も、今や少女の印象にアクセントを加え、その存在を際立たせていた。そして幼いながらも、高貴で上品な顔立ち……

 

 ユーノは遠く隔たった絶対美の在り方に見惚れていた。ここまで次元が異なると、羨望や嫉妬など入り込む余地はない。

 

 容貌もさることながら、少女の衣装もまた、美しかった。

 

 少女は白亜のパーティードレスに身を包んでいた。胸元の開いたホワイトのドレスは、少女のつくりの小さい顔を、宝石のように輝かせている。

 肘までの白い手袋が、彼女の高貴さをいやになるぐらい演出し、下ろすと膝裏に届くほど長いであろう白銀の髪を結い上げ、瑠璃色の光沢を放つ髪止めで飾っている。

 さらに首にも、同じ瑠璃色の宝石が埋め込まれた首飾り。チョーカーのようなデザインのそれは、少女の細くすべらかなのどを控えめに覆っていた。

 白い雪のような、しかし温かみのある肌が、白銀の髪が、純白のドレスが、天井の照明の光を浴びて、その輪郭から光輝じみたものを立ちのぼらせている。

 

 

 それらの優雅な雰囲気をたたえて、白い少女は身動きせずに立っている。纏うオーラの質が人間とは違いすぎる。彼女の周りだけ空間が変容しているかのようだ。

 

──この子は、いったい何者なんだ──

 

 恐れにも似た疑問が頭をよぎる中、少女は突然、スッと身を翻し、そそくさと立ち去っていこうとする。身のこなしまでそよ風のように優雅で軽やかだ。

 少女を取り巻いていた人間たちは、彼女のために自然と道をあける。皆、少女の美しさに気圧されていた。

 

「あ、ちょっと、きみ!」

 

 遅れてユーノは少女の後を追った。おとぎ話の妖精みたいに、この子も見失ったら消えてしまう、そんな予感がした。

 

 

 

 

 

 

「雪ちゃん、どこ行ってたんや?」

 

 警備の最中にどこかへ行っていた雪風に対し、いたずらした子供をとがめるような口調で八神はやてが言う。そして、近寄ってきた雪風を優しく抱き上げようと──したのだが、雪風は彼女を無視し、隣に立っていた深井零のもとへ。

 

「雪風」零は自分の足にしがみついてくる雪風の頭を撫でた。優しく。

 

「雪ちゃーん、せめていっぺんくらい抱っこさせてぇなぁ」

 

 はやては切なそうに言うが、雪風は彼女を完全無視。黙って零に抱き上げられ、彼にそっと体重を預ける。

 

「無理だよ」

「無理だね」

「無理ね」

 

 なのは、フェイト、エディスの見事に揃った冷たい言葉に、はやては絶望の表情を浮かべる。一目でわかるほど、わざとらしく。

 

「なんやなんや! なのはちゃんもフェイトちゃんも、この雪ちゃんを抱きしめとうないんか!?」

 

 裏切り者~! と、はやてはパーティードレス姿で嘆く。

 

「そうじゃなくて、抱きしめようとする時、はやてちゃんの手の動きが怪しいんだもの。雪風ちゃんじゃなくても警戒するよ」

「怪しい、ってレベルじゃないよ」

「手の動きだけ見たら変質者よ」

 

 再びの三連射。はやては、ううう、と壁に寄りかかり、泣き崩れる。わざとらしく。

 

 

「ま、確かに雪風ちゃんは可愛いものね」と抱っこされている雪風を見ながら、なのは。はやてについては無視。

 

 なのは、フェイト、はやても艶やかなドレスに身を包んでいたが、雪風は別格だった。

 ウェディングドレスと見紛うばかりの純白のドレスに、瑠璃色の髪飾りと首飾り。普段でさえ圧倒的な魅力を放つ顔も、シャマルによる薄化粧で一段と輝いている。

 

「それにしても雪風ちゃんのこんな綺麗なドレス、どうやって手にいれたんですか? エディスさん」

「私は知らないの。シャマルさんが選んだのよ」とエディス。「『これ』と深井中尉のは私が選んだけどね」

 

 そう言って自分の衣装を示すエディス。彼女が着ていたのは深紅のチャイナドレスだった。胸元が大きく開き、足のスリットも深く入っている。エディスの白い太ももが際どいところまで見える。

 

「何でチャイナなんですか? エディスさんはアメリカ人じゃ……」

「フェアリィ基地の地下都市にはチャイナタウンがあってね。そこで見てから、一度着てみたいと思っていたのよ。──故郷のロサンゼルスにもあったしね。日本にも中華街はあるでしょ? ヨコハマとか」

 

 エディスは持っていた中華風の扇子を開き、パタパタとあおぎ始めた。

 この人の場合、自身の美脚を披露したくてチャイナドレスにしたのではなかろうか、なのははふと疑問に思う。

 

「地下都市? 基地の下にそんなのが?」とフェイト。「よく崩れませんでしたね」

「正確には地下居住区。対地ミサイルの直撃でもない限り崩れないわ。フェアリィ基地だけで二万人が暮らしていたの」

「すごいスケールですね」

「フェアリィ基地にはFAFの本部があったから、六大基地のなかでも一番規模が大きかったのよ」

「空中空母に加えて地下都市こみの巨大基地を六つ……フェアリィ空軍は化け物ですか」

「化け物かもね」

 

 フェイトの言葉にエディスは冗談じみた返答をした。

 

 もっとも、フェイトにとってそれは冗談でも何でもなく、率直な感想だった。無茶苦茶な規模の組織だ。自分たちの知っている地球──第97管理外世界とは雲泥の差だ。横浜の中華街があることから、文化面での差はなさそうだが、テクノロジーのレベルが違う。このミッドチルダほどではないにせよ、非常に高い技術力を持っている。

 

 だからこそ、雪風のような高度な機械知性を作り出せたのだろう、とフェイトは思う。自身も高度なAIであるバルディッシュが『恐ろしく高度』と認めるほどの。人間や普通の機械とは違う『何か』をその身に秘めるほどの。

 

──雪風──

 

 チラリ、とフェイトは零に抱かれたままの彼女を見やる。

 まだ雪風は零の腕の中でおとなしくしていた。タキシードを着た零の肩にそっと手を置き、彼と見つめ合っている。しかし無表情なのは相変わらず。

 

 雪風の視線に射抜かれた記憶が、フェイトの心をゾクリと震わせる。ヘリの中だったが、あの時は断崖絶壁に立たされているようなプレッシャーを味わった。あの圧力は、人間とは思えない。できればもう味わいたくない。フェイトは自然と後ずさる。

 

 

 しかし、とフェイトは思い、立ち止まる。このままでは雪風から逃げてしまうことにならないだろうか。確かに怖いが、逃げるのはよくない。いまこそ彼女と膝を交え、向かい合うべきではないだろうか。

 ずっと昔、なのはと自分は敵対していたが、紆余曲折を経て、わかり合えた。ヴォルケンリッターのみんなとも、わかり合えた。

 

 最初は拒否されても、諦めず真正面からぶつかっていけば、必ずわかり合える。なのはがそう教えてくれた。そして、それはきっと、正しい。たとえそれが機械であっても、だ。

 雪風は幽霊でも怪物でもない。コミュニケーション可能な知性体だ。雪風とわかり合うのは、人間より難しいだろう。だからこそ、対話が必要だ。言葉でも、言葉以外でも。話し合いだろうが殴り合いだろうが、コミュニケーション無しに理解しあうことなど、できない。

 

 フェイトは思いきって、雪風に話しかけてみることにした。雪風との対話は既に何度も高町なのはが試みていたが、すべて失敗している。ならば、今度は、自分が。

 

 エディスとの会話は高町なのはと復活した八神はやてにさりげなく任せ、雪風と零に歩み寄る。静かに、怪しまれないように。

 

 残り五歩、というところでフェイトは立ち止まった。何てことだ、何を会話の糸口にするか考えていなかった。

 

 何の用もないのにいきなり近づいてくるのは、人間ならまだしも、理屈の塊である雪風の目には不審な行動としか映らないだろう。余計に怪しまれ、警戒される。何でもいい、何かないか、会話の糸口。

 考えなければ、二人がこちらに気付く前に。フェイトは執務官ならではの素早い思考回路を、いつにも増して高速状態に。

 

 

 はやてがいつもやるように、対象の胸をいきなり揉むか? ──いや、無理だ。余計に警戒されるし、そもそも雪風には揉むべき胸がほとんどない。というか、その行動は女としてやっちゃいけない気がする。

 

 じゃあ、雪風の頭を撫でてやるか? ──答えはノー。なのはが言っていた。雪風は最近、気が立っていて、頭を撫でてやろうとすると怒るらしい。下手にやると嫌われる。

 

 これならどうだ。シャマルみたいに『雪風カワイイ~!』と声をあげながら彼女に抱きつく──しまった、いま雪風は零に抱き抱えられているから、これは物理的にきつい。

 

 ならば『カワイイね、雪風。そのドレス似合ってるよ』とでも声をかけるか? ──これだ。一番当たり障りのないのが、これだ。ついでにその後『私のドレス、どう?』と逆に聞いて会話に引きずりこむのだ。完璧だ。無視される可能性はあるが、雪風を一番刺激しなさそうなのは、これしかない。

 

 よし、と覚悟を決めるフェイト。まだこちらに気付いてない雪風にさらに近づき、一回、深呼吸。では、さっそく。

 

 

「……カ、カワイイね、雪風。そのドレス似合って──」

 

「見つけたぁ!」突然の声がフェイトの言葉をさえぎった。

 

 背後から響いたそれに驚き、フェイトは頭から冷水をかけられたように体をこわばらせた。緊張していたこともあり、驚きのあまりちょっぴり飛び上がってしまった。少しだけ、ほんの1センチくらい。

 

「や、……やっと、見つけた……」

 

 若い男性の声色だった。時折、ハア、ハア、と肩で息をする音が混じる。

 

──あれ? この声、どこかで──

 

 フェイトは恐る恐る振り向いた。

 目に入ったのは、薄茶色の長い髪を後ろで束ねた、中性的な容貌の眼鏡の青年。今まで走っていたのか、汗だくで息があがっている。

 

 間違いない。この人物は──

 

「……ユーノ?」

 

「……あれ? フェイト。なんで、ここに?」

 

 自分の幼馴染み、無限書庫司書長、ユーノ・スクライアその人だった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、ぼくが追いかけていたこの子が、なのはの言っていた『雪風』?」

「うん、そうだよ」と、なのは。「可愛いでしょ?」

「『真っ白』で『ふわふわ』していて『妖精みたいに可愛い』とは聞いていたけど、これほどとは……」ユーノは雪風をじっと見つめる。「容姿といい、身のこなしといい、本当に妖精みたいじゃないか」

「おまけに『フェアリィ空軍』やしな」はやてが横から口をはさむ。「妖精空軍や。『妖精みたい』やない、雪ちゃんはホンマもんの妖精さんやで」

 

 そう言って雪風の頭を撫でようとするが、雪風はサッと身をかわし、零の足にしがみつく。はやては、う~、と残念そうに唸った。

 それを見てユーノが笑う。

 

「はやて、嫌われてるね」

「はやてだけじゃなくて、誰に対してもこうなんだよ」と、さらに横からフェイト。「雪風は警戒心が強いから、めったに自分の身体を触らせないんだ」

「ナデナデできるんは、雪ちゃんを溺愛しとるシャマルと──」

「この二人。深井零さんとエディス・フォスさん。二人ともフェアリィ空軍の軍人で、今は六課に協力してくれてるの」

 

 なのはは零とエディスを軽く紹介する。エディスはそれを受けて、よろしく、とユーノに会釈したが、零は黙っていた。

 

「お二人とは初めてでしたね。ぼくは無限書庫司書長のユーノ・スクライアです。あなた方のことは、なのはから聞いていますよ」

「あら、その若さで司書長?」とエディス。「偉いわね。何か学位でも?」

「一応、考古学者です。こう見えても」

「私は航空精神医学。いいものね、知的な男性っていうのも。目の輝きが違うわ。あなた彼女いる? なんなら今度食事にでも──」

「エディスさん!」と少し顔を赤らめて、なのは。

 

「冗談よ」肩をすくめながらエディスが言う。「食事は別の機会として、今度あなたの仕事場にお邪魔してもいい? 無限書庫には前から興味があったのよ。本がたくさんあるっていうだけでもワクワクするわ。心理学の本もあるかしら」

「ありますよ、何でも。民族心理学から動物心理学まで」

「犯罪心理学も?」

「もちろん」

「発達心理学なんかは?」

「ありますよ」

「……対ジャム心理学は?」

 

 いえ、それは、とユーノはそこで初めて言葉に詰まった。

 

「それに関する情報は無いんです、今のところ。なのはに言われて調べてみたけど、異星体ジャムに関するデータは皆無なんですよ。管理局はそんな怪物に遭遇したことなんてありませんから。ジャムらしきモノの記述すら・・・」

「無理に、とは言わないわ。無いものは無いんだから」

「いえ、でも、ぼくはジャムに興味があります。だから自分なりに調べてみるつもりですよ。何かわかったら直接あなたに伝えます。もしくは、なのは経由で」

 

「え、私?」と、なのは。

 

「期待しているわ。ね、深井中尉?」

「……」

 

 零は無表情に腕をあげて手のひらをユーノ・スクライアに向けた。それから差し出されたユーノの手を握る。

 

「へえ」とエディス。「深井中尉が人間と握手するなんて初めて見たわ。ミスター・ユーノ、中尉は雪風としか握手したことのない人よ。高性能な機械しか信じていない」

「『ユーノ』でいいですよ。『ミスター』なんていらない。──じゃあ、ぼくも高性能だと認められたのかな?」

「たぶんね」

「光栄です。深井零中尉」

「……ああ」

 

 零の声からは何の感情も感じられなかった。親しみも、嘲りも、何もない、淡々とした言葉。無感動な口調だが、嘘ではない。

 無表情な零に、ユーノは苦笑いした。ああ、こういう人なんだな、という僅かな同情を胸の内にしまいながら。

 

 

 彼らのもとへシャマルからの緊急通信が入ったのは、それから間もなくのことだった。

 

 


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