『形式番号、FRX-00。実戦配備番号、FFR-41MR。戦術戦闘電子偵察機、メイヴ』
それが、彼女の身体の名前だった。
禍々しくも美しい、漆黒の機体。垂直尾翼が存在せず、主翼は特異な形の前進翼。主翼そのものが操縦舵面として稼動し、無人機並みの機動性を発揮できる。
高々度性能はフェアリィ空軍随一であり、高度3万メートルもの超高空であってもアクティブな戦闘機動を行える。
二発のスーパーフェニックスエンジン・マークXIの生み出す桁外れの大推力は全てを圧倒する。さらに通常のジェットエンジンからラムジェットエンジンへの切り替え『ラムエア・モード』を起動させた場合の速度はマッハ3を軽く超え、実用ジェット機の中でも群を抜いて速い。
偵察機らしく情報収集能力に長け、電子戦では負け知らず。敵のジャミングをぶち破るために強化されたレーダーの出力は遠く離れた生身の人間を料理できるほど莫大だ。
複数あるセンサーのうち、欠かすことのできないのが空間受動レーダー。空気のわずかな歪みを捉える特殊なセンサーで、対象がどれほどの光学迷彩能力・ステルス性能をもっていても、空気を押し退けて動いている限りこのレーダーで捕捉できる。
武装も充実しており、固定武装の20mmバルカン砲をはじめ、対空・対地ミサイル、燃料気化爆弾、クラスター爆弾などの多彩な武器を搭載できる。
フェアリィ空軍が100番目に製造した機種にふさわしい、妖精の女王『メイヴ』の名を冠した究極の戦闘機。
それがB-3、パーソナルネーム『雪風』
そんな天空の女王たる彼女が、今は平凡な輸送ヘリコプターの座席に大人しく座っていて───いや、正確にはシャマルの膝上に座っていて、子猫のように優しく頭を撫でられている。
「雪風ちゃん、なんてふわふわなのかしら! ああ! もう雪風ちゃん大好き!」シャマルはそう叫ぶと雪風を腕の中に優しく閉じこめ、彼女の真っ白な頬に自身の頬をすりよせる。
何とも不思議な光景だ、と零は静かに思った。──シャマルについてではない。自分たちが乗っている、このヘリコプターについて、だ。雪風はこんなヘリよりもずっと速く、高く、華麗に飛んでいたというのに。
ふとそう思ってしまう自分に気付き、零は静かに反省した。別にこのヘリコプターにケチをつけたかったわけではないのだが。確かに飛翔速度も限界高度も航続距離も雪風の方が圧倒的に優れてはいたが、このヘリコプター『JF704式』は輸送ヘリである。戦闘機とは、違う。
形式的には兵員輸送用ヘリに近いこのヘリコプターと戦闘機たる雪風とを比べるのは、長距離ランナーと短距離ランナーを比べるような、非常にナンセンスな行為だ。
戦闘機は戦ってこそその真価を発揮し、輸送ヘリコプターはいかに多くの物資や人を運べるかでその真価を問われる。性能を測る尺度そのものが違っているにもかかわらず異なる機械に同じ機能を要求する、というのは馬鹿馬鹿しい。それではその機械が───
「深井さん。話聞いてます?」
その声に零は反応し、そちらへと視線を向ける。
声の主は高町なのはだった。零に対してわずかに怒りのこもった眼差しを向け、あきれたようにたたずんでいた。彼女のそばにはフォワードの面々がいて、つい先ほどまでなのはの話を聞いていたようだった。たぶん、今日の任務内容を復習していたのだろう。
あのですね深井さん、と高町なのははため息をひとつついてから言った。
「たったいま、任務の内容をおさらいしていたところなんですよ? 深井さんは今回が初任務なんですから、仕事内容をきちんと把握しておかないと───」
「一度聞いた。ブリーフィングの内容くらい、一回で覚えられる。何度も言うな」
零の言葉に彼女はピクッと顔をひきつらせる。馬鹿にされたように感じたのだ、と零にはわかった。
「そうですか──じゃあ言ってください、今日の任務内容を。簡潔に、要点をまとめて」
怒りで顔をひきつらせながら、なのはが言う。零は彼女の言葉を『任務内容を復唱せよ』と解釈した。
「今回の作戦内容は『ホテル・アグスタで開催されるオークションの警護』だ。今回のオークションでは合法のロスト・ロギアも出品され、それに釣られてガジェットが出現する可能性がある。それの対処として六課が内外の警護にあたることになった」
零は言われた通り、簡潔に、要点をまとめて、言っていく。
「すでにシグナムとヴィータは前日から警護に従事している。──警護の配置についてはフォワードの4人とシャマルはシグナム達と共に外の警護。八神はやて、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、深井零、エディス・フォス、雪風、は内部の警護を担当する」
なのはは、零が内容を素早く言っていくのを、唖然とした様子で見ていた。
「なお、会場ではドレスコードの規定により、内部警護の者はスーツ及びドレスを着用とする。管理局の制服の着用はできないためこれに留意されたし───これで良いか?」
「え? あ、はい」
なのはが少し驚きながら了解の言葉を言うのを、零はそちらへ顔を向けずに聞く。わかったなら黙ってくれ、というように。
「さすがは特殊戦のエースね」と零の隣のエディス。「復唱なんて簡単すぎてアクビが出ちゃうでしょ?」
「頭が悪くては雪風を操れない。性能の悪いやつはお払い箱だ」
「厳しいわね。──ところで、さっきの長い長い復唱はFAF語で言った方が楽だったんじゃない? あなたの場合」
「それでは彼女が聞き取れない」と、再びフォワードの四人に説明し始めたなのはをちらりと見ながら零。「英語とはいえ、高速言語のFAF英語を簡単に聞き取れるとは思えない。ここではいちいち通常言語に直さなくてはいけないからな。普通の会話すら疲れる」
FAFで使われているのは世界標準語たる英語だが、実際にはその英語を高速かつ簡潔にしたFAF英語でコミュニケーションをとっている。不規則な活用は廃止され、助動詞が最大限活用される。FAFだけで通じる独特の省略語もかなりあり、一般人が聞き取るにはかなりのコツが要る。
今、六課の中でFAF語がわかるのはエディスと零、そして雪風の三人のみである。その三人の中で会話する時はFAF語。他の人間と話す時は通常言語。というような不文律がいつの間にかできていた。エディスと零も、今はFAF語で話している。その方が、楽だった。
しかし、二人の会話を聞いている者からすると、彼らの会話はかなり異様な光景だった。
──何を話しているんだろう──
フェイト・T・ハラオウンもその会話をいぶかしむ一人だった。
ホテル・アグスタへ向かうヘリの中、あの二人の周りだけ空気が違う。……シャマルと雪風の周りの空気も別の意味で違うのだが、それにはもう慣れた。
あの二人が話している内容はなかなか掴めない。『特殊戦』とか『フェアリィ』とか、そういった所々は聞き取れるが、わからないところは唇の動きを見ても何を話しているのかわからない。ただ、二人の喋り方がとても速い、というのはかろうじてわかった。
──あれがフェアリィの言葉なのかな──
だとしたら信じられない、とフェイトは思う。あれが日常会話だというのか、暗号通信か何かをそのまま使っているのではないだろうか。速すぎる、まるで機械だ。機械的な高速言語。
機械、という言葉を考えたところで、フェイトは思い付く。そうだ、こちらにも機械的な存在がいるではないか。
(ねえ、バルディッシュ)
<何ですか、サー>
(あの二人が何を話しているか、わかる?)
目には目を、歯には歯を、機械には機械を、だ。フェイトは自分のインテリジェントデバイス、バルディッシュに二人の会話を解析させることにした。
しばらく二人の会話を解析した後、バルディッシュが返答する。
<サー、彼らは『FAF語』について話しているようです>
(FAF語? やっぱり、あれフェアリィの言葉?)
<そのようです。『FAF語は彼女らには通じない』『FAF語の方が楽だ』などと言っています>
(ありがとう、それがわかればいいよ。……人の話を盗み聞きするのはあまりいいことじゃないからね)
<了解です、サー。──しかし、あれは人間の話す言語とは思えません>
フェイトは、え? とバルディッシュの発言に戸惑う。人間の話す言語じゃない?
<英語を基にはしていますが、形容詞が極端に少なく、省けるものは省いています。非常に高速で合理的ですが非人間的です。彼らの言うFAF語は私達インテリジェントデバイスよりも機械的な言葉と言えます>
機械より機械的な言葉とはどういうことか。フェイトは身震いする。
おそらく、とバルディッシュは続けた。
<私達の知る地球にも無人航空機の技術はありますから、彼らはその技術を極限まで発展させ、ユキカゼのような機械知性を生み出した、と思われます>
(それで?)
<高度に発展した機械知性が空軍を占めるとなると、極端な話、人間が脇役となり、機械の方が中心になります。人間が、機械をサポートするのです>
(機械が、フェアリィ空軍を支配した?)
<はい。私達の地球の軍隊や現在の管理局のように人間が主体ならば何の問題もありませんが、機械が主体となると、通常の『機械が人間に合わせる』ということとは逆の現象が起きる可能性があります。……非常に恐ろしい現象が>
(……人間が機械に合わせる……)
<フェアリィ空軍においては人間らしさよりも、機械的になることの方が重要視されていたのではないでしょうか>
(だから、言葉まで機械的になった? 自分の意識も機械的に? そんなこと──)
<これはあくまで推測です。サー>
バルディッシュがそう言うのを、フェイトは苦い顔で聞いた。自分自身を機械的にするなんて、人間なのに。
優しいエディス・フォスは別として、確かに、深井零という人間は機械みたいだ、とは以前から思っていた。
感情の起伏はほとんどないし、必要なことしか言わない。同じ人間だというのに、コミュニケーションがうまくとれない。深井零は人間を仲間だとは思っていない、と感じさせる。向かい合って話していても、こちらは無視されているように感じるのだ。
今まで、それは深井零という人間の個性だ、とフェイトは思っていた。そして同情していた、彼に。
しかし、その機械的気質が深井零ひとりのものではなく、フェアリィ空軍全体のものかもしれない、との指摘をバルディッシュから受けた今、その同情は畏れへと変わっていた。
自らの意識を機械化させていくフェアリィ空軍と、そうでもしなければ対抗できないであろう敵『ジャム』に対して。
(私は、そんなふうにはなりたくない……)フェイトはいまだ話し込んでいる零を見ながら、言う。私は、人間だ。機械には、なりたくない。
<それが正しいことです。サー>バルディッシュがそんなフェイトを諭すように語りかける。
<あなたは機械ではない。機械になってはいけない。たとえ、ジャムが現れたとしても、人間であるべきです。──あなたは、人間だ>
(バルディッシュ……)フェイトはバルディッシュがそう言ってくれたことが、嬉しかった。
しかし同時に奇妙な感覚も覚えた。機械であるインテリジェントデバイスが、人間が機械になることを否定するなんて。
いや、これはバルディッシュに失礼か、とフェイトはその考えを即座に否定する。バルディッシュは大切な相棒だ。
<サー。それと、もうひとつ、付け加えることがあります。──ユキカゼについてです>
(雪風?)フェイトは零に向けていた意識を、雪風に向ける。
雪風はシャマルに頬擦りされている最中だった。雪風はくすぐったそうにはしているが、嫌がるそぶりは見られない。実に微笑ましい。
<レイジングハートは言っていました。『ユキカゼは何かが違う。ハードにおける差異ではなく、ソフトの──つまり内面における「何か」が違う』と>
(何か?)
<外見も構造も通常のユニゾンデバイスとなんら変わりはありませんが、ユキカゼは恐ろしく高度な知性体です。人間ともデバイスとも違う、異質な知性を彼女は持っています。──気をつけてください、サー。ユキカゼの考えていることは人間にも私達インテリジェントデバイスにもわからない。敵ではありませんが、味方とも言えない。警戒すべき存在です>
(……!)
思わずフェイトは雪風を凝視する。あの雪風を警戒する? 確かに、雪風は最初こそこちらを警戒していたが、今はおとなしくしているではないか。現に今、シャマルの腕の中で────!────
フェイトの背筋が凍りつく。
雪風と、目が合った。
全てを見透かすような空色の瞳が、フェイトを射抜く。
フェイトは動けなかった。雪風の瞳にこもった高圧電流のごときものが、彼女の全身を痺れさせる。雪風には、何か巨大なものが宿っていた。
雪風と目が合っていたのはほんの数瞬間だったが、フェイトにはそれが永遠にも感じられた。なんだこれは。人間とは違う、何かが、この少女にはある。フェイトはそれを肌で実感した。
雪風がシャマルに抱き直され、体勢を変えたことでその時間は終わった。雪風の視線がそらされる。
フェイトは、ふう、と胸を撫で下ろす。
『雪風は警戒すべき存在』バルディッシュが言っていたことが、なんとなくわかったような気がした。
雪風は、私達とは、違う。
<<おまけ>>
「なあ、フォス大尉」零は、ふと、エディスに尋ねた。「おれと君と雪風も、正装するのか?」
「当然じゃない。さっきの復唱をもう忘れたの?」
「いや、正装と言われても、スーツがない」
「ご安心を。あなたのスーツは、ちゃんと私とシャマルさんで選んでおいたわ。雪風のドレスも一緒にね」
「君とシャマルのコーディネートか? ……不安だな」最後の方は小声で言った。
「雪風のはものすごく綺麗なパーティードレスよ。あなたのはタキシード。──ネクタイは何色がいい? 七色そろえて用意してあるわ」
「……憂鬱になってきた」
「ブルーね」
ホテル・アグスタへ向かうヘリの中は、表面上はなごやかだった。