魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第十八話 疑惑の心

 

 

「おい、深井」

 

 

 会議終了後、シグナムは廊下で零を呼び止めた。

 

 自室へと戻ろうとしていた零は足を止め、振り返った。相変わらず無表情で冷徹な瞳がシグナムの姿を捉える。そんな零に対し、シグナムは辛辣な口調で訊ねた。

 

「どういうつもりだ? お前」

 

「……それは警告か? それとも疑問文か?」

 

「両方だ!」シグナムは零の返答に苛立ったのか、怒鳴り付けるように言い放つ。「お前、さっきの会議で言ったことは覚えているな?」

 

「……」

 

「あれは、本気なのか?」

 

 零は何も言わず、ただ黙って、シグナムがきつい口調で語りかけるのを聞いていた。

 

「お前の、雪風を愛する気持ちはわかるぞ? ……ずっと一緒に戦ってきた、大事な相棒なんだろう?」

 

「……」

 

「大切な相棒を守りたい、という考えは誰にだってある。高町もテスタロッサも、主も。私だってそうだ。だからお前のその気持ちは皆、理解できる」

 

 だがな、とシグナムは零に詰めより、その目をまっすぐに見つめた。

 

 

「お前は味方を切り捨ててまで、雪風を守り通すつもりか?」

 

 

 

 問いをぶつけられてもなお、零は黙っていた。何を言おうか考えているのか、それとも質問に答える気がないのか。

 

 シグナムはそれを苛立ちのこもった目で見ながら、会議の時に零が言った言葉を頭の中で反芻する。

 

『おれは、ジャムだろうと時空管理局だろうとフェアリィ空軍であろうと、雪風を傷つけようとするなら味方だって殺してやる』

 

 馬鹿な、とシグナムはあの時、怒りにも似た驚きを感じた。深井零にとっては、味方全てよりも雪風の方が大事だというのであろうか、と。

 

──『雪風を傷つけるものは、全て排除する。たとえそれが味方であっても』……味方を殺してでも守るだと? 雪風以外のことはどうでもいいと、他人などどうでもいいと言っているようなものではないか。こいつは異星体ジャムから地球を守る、正義の軍人ではなかったのか? 他人なんてどうでもいいと、そんな馬鹿なことを口にするようなやつだったのか?──

 

 できればシグナムもそんなことは疑いたくなかった。これほどまで優れた戦士が、そのような愚かな考えを持っているなど。

 

 彼は、ジャムの作った超空間通路を地球を守るために命をかけて破壊した、いわば英雄だ。とびきりの。そして彼と共にそれを実行した雪風もまた、そうだ。自らと引き換えにFAFと地球を救った。

 

 雪風が『他人なんかどうでもいい』と言うのであればわかる。彼女はもともと人間ではない。

 

 しかし、深井零は、彼は、人間らしくあってほしい。そんな愚かで、自分勝手な考えは持ってほしくない。同じ、戦士として。

 

 

「どうなんだ。答えろ、深井零!」

 

 シグナムの怒声まじりの問いかけにも、零は眉ひとつ動かさない。彼女を、ほとんど無関心に近い冷静な目で見つめていた。

 

 

「……そうだ」しばらくの静寂。そして唐突に、零はシグナムの瞳に向いていた視線をゆっくりとそらしながら、答えた。「おれは雪風以外、何も信じない」

 

「……!」やはりそうなのか、とシグナムは腹の底から激しい怒りと共にわずかな悲しみが込み上げてくるのを感じた。裏切られた、と。

 

 

 ぐっと息を呑むような短い沈黙のあと、零は淡々とした口調でこう言った。

 

「地球という星も日本という国も、フェアリィ空軍も、どうでもいい。あっても無くても同じだ。おれはただ、生き残るためにジャムと戦う。それだけだ。……他に何もない」

 

「地球はどうでもいい、だと? なら、地球が滅んでも、人類が滅亡してもいいというのか?」

 

「ああ」

 

「貴様!」零の言葉で、シグナムの頭に血がのぼった。

 

 

──ふざけるな! お前、何を言っているのか、本当にわかっているのか!?──

 

 シグナムはそう考えるより、口にするより早く、怒りにまかせて零に殴りかかっていた。右の拳が彼の顔面に炸裂しようとする。

 

 だが、その拳は彼の手によって止められた。片手で。

 

「くっ……!」

 

「おれは、おれ自身と雪風以外を守ろうとは思わない」

 

 再びゆっくりと向けられた褐色の視線が自分のものと重なり、何故だか全身が総毛立つ。怒りも悲しみも、喜びも、何ひとつとして存在しない、感情の抜け落ちた瞳。機械のような。

 

 ふとその瞳を見て、シグナムは彼の名前を思い出す。

 

──『零』──

 

 零。つまりは、ゼロ。虚無。『無い』ということを表す言葉。

 

 まるでこの瞳のようだ、と動揺しながらもシグナムは思った。いや、こいつそのものだ。何も無い。まさしく、ゼロ。

 

 シグナムの拳を左手で止めながら、零は言った。機械のように。

 

 

「他人のことなど知ったことか、おれには関係ない」

 

 

 

 

 

 

「ブッカー少佐?」

 

 

「そう、ジェイムズ・ブッカー少佐。特殊戦総監で、私の上司」エディスはソファーに腰を下ろし、隣に座る高町なのはの質問に答えた。

 

「その人が、そんなに重要な存在なんですか? 深井さんの精神にとって」

 

「ええ多分、雪風の次に重要ね。何せ彼は……」

 

 エディスは手に持ったココアを一口含んでから、言った。

 

 

「深井中尉の、たった一人の友人なんだもの」

 

 

 

 なのはがエディスの自室にやってきたのは、会議終了後しばらくたってからだった。なんでも、雪風に関する悩み事を相談しにきたようだった。

 

 それはそうだろう、とエディスは思った。あれだけ傲岸不遜な雪風のことだ。少なからず六課の人間に迷惑をかけているに違いない、と。

 

 だがエディスの予想とは裏腹に、なのはは『雪風ちゃんのために何かできることはないですか?』と言った。

 

 エディスはその発言に驚いた。そして、どうしてそんなことを相談するのか、と逆に質問した。

 

 するとさらに意外な答えが返ってきた。『雪風ちゃんの意思を尊重してあげたい。エディスさんなら、雪風ちゃんが何を考えているのか想像できると思う』と。

 

 雪風に迷惑をかけられているというのに、その雪風の心を気遣う。エディスは高町なのはの言葉から、彼女の深い優しさを感じとった。ああ、高町なのはという人間はこんなにも優しいのか、と。

 

 

 同時に、六課と特殊戦の差違もまた、痛いほど感じとれた。

 

 フェアリィ空軍、戦術戦闘航空軍団。その第五飛行隊がいわゆる『特殊戦』だ。

 

 FAF主力戦闘機『シルフィード』。風の聖霊の名を冠したそれを偵察機として、機動性よりも速度性を重視したものへと作り替え、高度な電子頭脳を搭載した最強の電子偵察機『スーパーシルフ』。特殊戦はそれを十三機保有していた。そして雪風もまた、そのうちの一機だった。スーパーシルフ雪風。

 

 偵察機ということは、それを配備している特殊戦の仕事もまた、偵察がほとんどとなる。味方とジャムの戦闘を記録するのが主な仕事だ。偵察機ではあるが、スーパーシルフは弱いわけではない。むしろFAF最強と言っても過言ではない。その圧倒的大出力のエンジンパワーはジャム機などものともしないのだ。

 

 それなのに戦闘には関わらない。情報を持ち帰ることが最優先であり、至上命令だからだ。時として味方を見殺しにすることもある。特殊戦隊員──通称ブーメラン戦士には、徹底した非情さが求められた。

 

『たとえ味方が全滅しようとも、援護などするな。武器は自分と、自分の持つ情報を守るためだけに使い、どんな手段を使ってでも必ず帰還せよ』

 

 そんな非情な至上命令を顔色ひとつ変えずに実行できる人間の集まり。それが、特殊戦だ。

 

 エディスが特殊戦に配属された時は、戸惑ったものだ。隊員同士の交流は極端に少なく、皆、他人に関心を持たない。エディスの親戚であるクーリィ准将と、紳士的なブッカー少佐を除けば、日常会話すらしようとしない人間がほとんどだった。

 

 しかし、今はまったく逆のことで戸惑っている。

 

 機動六課は皆、心優しく、他人を気遣い、仲間を守ろうとする気質に溢れている。特殊戦とはまるで真逆の部隊だ。あまりにも暖かくて、優しい。特殊戦とのギャップがありすぎた。しかし心地よいギャップだ。

 

 高町なのはもまた、そういった優しい人間だった。優しすぎるくらい。

 

 そして雪風と多く関わっていたであろう自分に、雪風のことを相談するのは実に理にかなっている。彼女は優しいだけでなく、賢い。でなければ誰かの入れ知恵だ。

 

 彼女の雪風への優しさを、エディスは尊重した。

 

 確かにそうね、と。あなたは優しいのね、と。エディスは褒めた。なのはは少し照れた様子だった。純情だ。

 

 そういった優しさは、特殊戦では無いような潤いだった。だから自分は心地よいと思ったのだろう、と、ついでにエディスは自分の心理も分析する。

 

 

 なのはは照れながらも真剣な口調で言った。雪風がジャムの情報を欲しているであろうこと。しかしそんな情報は皆目無いこと。その上で、雪風の意思を尊重してあげるにはどうしたらいいのか、と。

 

 それはエディスも悩んでいる事柄だった。彼女も雪風を安定させるにはどうしたらいいのか考えていたところであった。

 

 ただ一ヵ所違うとすれば、なのははジャムの情報がないから雪風は不安定になってしまった、と分析していること。エディスは彼女のそれとはまったく別の考えを持っていた。

 

 雪風が不安定なのは、その半身たる深井中尉の精神が不安定だから。エディスはそう分析し、なおかつその根幹にあるのはブッカー少佐の存在であろうと思い、そのままなのはに告げた。

 

 深井中尉の心の不安が雪風に大きく影響を及ぼすということには、なのはも同意した。感覚でわかるのだろう。

 

 

「その、ブッカー少佐ってどんな人ですか?」

 

 なのはがエディスの手渡したもうひとつのココアをすすりながら、訊いた。──コーヒーがあいにくと無いので、ココアだ。確か少佐もココアが好きだった。

 

「金髪でダンディーなイギリス人よ。とても優しくて、紳士的な人。趣味は料理とブーメラン作り。日本人以上の日本通」

 

「……ブーメランを飛ばすんじゃなくて、作るんですか?」

 

「飛ばすのも作るのも上手いわよ。よく中尉と一緒にブーメランを飛ばしていたわ」

 

「仲がいいんですね」

 

「ええ。──あと、雪風の名付け親なの」

 

「雪風ちゃんの?」

 

「そう。雪風のシステムをまとめたのも、彼」

 

 へえ、となのはは少し驚いた。雪風のシステムを構築したというなら、きっと有能な人だったのだろう。

 

「あ、そうそう、雪風と中尉がユニゾンしたとき、中尉のパイロットスーツに『雪風』って書いてあったでしょ?」

 

 いきなり話が変わったが、なのはは頷いた。そういえば、あのマークは誰が書いたものなのだろう。すごく綺麗な字だったけど。ココアを飲みながら思う。

 

「あれを書いたのも、少佐よ」

 

 ぶふっ、となのははココアを吹き出しかけた。

 

「そ、それホントですか?」

 

「ええ、……誰が書いたと思ってたの?」

 

「いや、てっきりプロの書道家が書いたのかと……。というか、雪風ちゃんが戦闘機の頃にもあのマーク書いてあったんですか?」

 

「正真正銘ブッカー少佐の手書きよ。雪風の機首に、耐熱塗装で書いたの」

 

「どんな達筆ですか、それ……」

 

「さあ、私アメリカ人だから漢字の美しさはわからないわ」

 

「にゃはは……」イギリス人で、あれほどの達筆とは。よほどの日本好きなのかもしれない、となのはは思った。

 

 

 

 エディスは一呼吸して、話題を本筋へと戻した。

 

「あなたがもし、親友と離ればなれになって、二度と会えなくなったとしたら、どうする?」

 

「……」

 

「そういうことなのよ。いま深井中尉が味わっている状況は」エディスはため息をひとつつき、ココアを飲み干す。「唯一無二の親友と二度と会えなくなったのよ。傷つかない方がおかしいわ。それに、いきなり別の世界に放りこまれて、魔法を使えるようになって……あげくの果てには愛機が可憐な少女になって、……普通だったら気が狂うわ」

 

 なのはは何も言わなかった。言えないのかもしれない、とエディスは思う。

 

 かなり経ってから、なのはが唐突に口を開いた。「エディスさんの親友って、どんな人ですか?」

 

 そう来たか、とエディスは優しげに目を細める。

 

「エレイン。エレイン・ベイリー。私と同じで、心理学をやってる」

 

「エディスさんは、その、エレインさんと離ればなれになって悲しくないんですか?」

 

「……彼女はFAFに所属してはいない。10年近い付き合いだけど、もう二人とも大人だし、別々の人生を歩んでるわ。1年以上会ってないの」だから、あんまり変わらないのよ、とエディスははにかむようにして笑った。「でも昔からの親友がいるのは悪くないわ。ことわざにもあるし」

 

「ことわざ?」

 

「『友人とワインは古い方が良い』。イギリスのことわざよ」

 

 そこで初めて、なのははクスクスと笑った。

 

 いい笑顔だった。そういえば深井中尉がブッカー少佐と話しているときも、二人ともこんな優しい笑みを浮かべていたような気がする、とエディスは思った。

 

 

 その後しばらく、エディスとなのはの談話は続いた。雪風は深井中尉の影響を受けているであろうこと、そして中尉の精神は不安定であること、それらを話し合った。

 

 やはり高町なのはは頭のいい人間だった。だいたいの推測がエディスと似通っていた。

 

 やがて、新人達の訓練をする時間になったのか、なのはは『ありがとうございました』と一礼して去っていった。

 

 やはりいい子だ、とエディスは思った。──自分があのくらいの年頃には、エレインと共に恋やファッションに奔走していたものだが。

 

 

 

 彼女が去った後、エディスはひとり、天井を見上げ、考えにふけった。

 

──深井中尉と雪風を安定させるには、どうしたらいいのか──

 

 

「私じゃなくて、あなたが来れば良かったのよ。ジャック」

 

 

 

 


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