「シャマルが監視係? どういうことだ」
シグナムは戸惑った。
──監視? 深井零以上に雪風を溺愛している、あのシャマルが? にわかには信じられないな──
ここのところ続いているシャマルの行動。それを目の当たりにしているシグナムには、そんなことなど信じられなかった。
初日など、シャマルは雪風と一緒にシャワーを浴びていたし、昨日、雪風を『お持ち帰り』しようとしていたのは記憶に新しい。あれのどこが監視なのだろうか。
たとえそうだとしても、監視ターゲットに対し『食べちゃいたいぐらい可愛い!』と口走りながら、公衆の面前でターゲットの耳を甘噛みするという行動の、どの辺りが監視なのだ。
納得いかない顔のシグナムに対し、フェイトが答えた。
「そうだね……、シグナムはシャマルが初対面の雪風をいきなり抱き締めたのは知ってる?」
「ああ、高町から聞いた」
あれは一部では有名な話だ。
「その前。つまり、深井さんがシミュレータでガジェット20機相手にしてた時には、もうシャマルははやてから『雪風と仲良くして欲しい』って言われてたんだよ」
「まさか……シャマルのアレは主の指示だと?」シグナムは驚いた。
「一応はそういうこと。雪風と仲良くして、いろいろ情報を聞き出そうってわけ」
「しかし……なぜシャマルなんだ?」
「『隊長室の話し合いのとき隊長室にいなく、なおかつ包容力があって優しそうで、人畜無害そうな大人の女性』。ってのがシャマルを選んだ基準らしいよ。一応、シャーリーにも声をかけたらしいけどね」
なるほど、とシグナムは納得した。
なんということだ、と彼女はフェイトの話を聞いて驚きを隠せなかった。自分は、シャマルのことを誤解していたのか、と。あれは全部演技だったのか。
さすがは主だ。わけの分からない雪風の思考を読んで、見事シャマルになつかせることに成功した。
「あとで、シャマルに謝らなくてはな……」
シャマルに対し、一瞬でも軽蔑の念を抱いた自分が恥ずかしい。あとで、謝っておかねば。
「いや……その必要はないと思うよ。うん」とフェイト。
「なぜだ?」
「たぶん……その……シャマルが初対面で雪風を抱き締めたアレなんだけどね……」急に口ごもるフェイト。
「はやてはシャマルに『雪風を必要以上に刺激しないように』って言ったはずなんだよ。しかも『可愛いからって抱き締めるなんてのはもっての他』って」
──!?──
「……ということは、まさか……シャマルの行動は、計画的なものではなく……」
「うん。たぶん、というか間違いなく、全部……シャマルの『素の行動』」
──なんということだ──
まあ結果オーライなんだけどね、というフェイトの呟きにも耳を貸さず、シグナムはガックリとうなだれた。
あまりにあきれて、あまりに馬鹿らしくて、シャマルを叱責してやろう、という気さえ起きなかった。
思った通り、雪風とシャマルは食堂にいた。
雪風はクロワッサンを、シャマルはパンとハンバーグとサラダを食べているようだ。
しかし驚いたことに、雪風のトレイの上にクロワッサンが山のように積み上がっている。高さにして30センチくらい。小さなクロワッサンの山だ。
あれを雪風は一人で食べるのか、と零は少し驚いた。ユニゾンデバイスは人間と同じように食事ができるようだが、これほど食べて大丈夫なのだろうか
──シュガーロックならぬクロワッサンロックか──
と、かつてフェアリィ星に存在した氷砂糖そっくりの岩山を思い浮かべながら、零はパスタとコーヒーをトレイに乗せ、雪風の隣に座る。
雪風は零の姿をチラリと見たあと、再びクロワッサンにかぶりつく。よほどクロワッサンが好きなようだ。
「あ、深井さん。もう大丈夫なんですか?」とシャマル。
「……」
「あんな無茶、もうダメですよ?」
六課の人間には、模擬戦の時『雪風にコントロールを渡したこと』は伝えていない。結果として、あの無茶な機動は零本人がやったのだ、と認識されている。とんだ誤解だが、訂正するのも面倒だ。
零はシャマルの言葉を無視して、パスタを口に運ぶ。ミートソースの味が口に広がる。美味い。
コーヒーは知性と熱さが多少不足しているが、苦さは十分。どちらかといえば、これが零の好み。
特殊戦で飲んだコーヒーより、美味かった。
ふと、零は食堂にいる他の人間に注意を向ける。
見回すと、食堂の真ん中辺りであの新人四人が昼食をとっていた。
青い髪のボーイッシュな少女が、スバル・ナカジマ。階級はニ等陸士。15歳。名前を聞いたとき日本人なのかと思ったが、どうも違うらしい。
彼女は雪風を気に入ったのか、仲良くしようとしている。
当の雪風もスバルの存在はそれなりに認識しているようだ。会話すらしようとしないが。
オレンジ頭のツインテールが、ティアナ・ランスター。階級はスバルと同じ。年は16歳。強気でプライドが高いのが端から見てもわかる。
彼女はスバルと違い、雪風を若干警戒しているようだ。
赤い髪の少年が、エリオ・モンディアル。階級は三等陸士。10歳。真面目な性格で、フォワード四人の中で唯一の男だ。
雪風を紹介された時に顔を少し赤らめていたことから、雪風に対し好意的であると推測できる。この年頃の少年としては当然の反応だろう。
ピンクのショートヘアーの少女が、キャロ・ル・ルシエ。階級も年齢もエリオと同じ。
あの白くて小さな竜『フリードリヒ』の主だそうだ。特殊戦二番機カーミラのフライトオフィサ、フリードリヒ・ポルガーと同じ名前だが、偶然だろう。
キャロは多少天然なようで、雪風を紹介した時に『先生、隠し子いたんですか!?』とシャマルに大まじめに訊いていたのは確か彼女だ。
四人とも若すぎる。地球なら少年兵に分類される年齢だ。
そもそも高町なのはですら、19歳という異常な若さで一等空尉の地位にいるのだ。八神はやてなど二等陸佐だ。FAFの階級に直せば中佐だ。ブッカー少佐より上ではないか。
まあFAFでは階級など記号でしかなく、ブッカー少佐も特殊戦の出撃管理官という、大佐クラスの仕事をやっていたわけではあるが。
それはともかく、子供までも戦わせるのがこの世界の傾向なのだろうか。
エリオとキャロはまだ10歳だ。一度実戦には参加したようだが、戦士としては幼すぎる。
二人の保護責任者はフェイトだとのこと。それを聞いて、零は二人の身の上を想像できた。
──親が死んだか、それとも親に捨てられたか──
そのどちらかだろう。『かわいそうに』という単語が思い浮かぶが、そんな言葉は無意味だ。
馬鹿馬鹿しい。孤児なんてこの世には山ほどいるのだ。いちいち感傷に浸ってなどいられない──
零は再び意識をこちらに戻し、コーヒーをすする。隣に座る雪風の頭をそっと撫でてから、パスタを口に運ぶ。
彼の瞳には何の感情もなかった。なのは達や管理局に対する怒りも、エリオとキャロに対する憐れみも、何も。
まさしくゼロだった、彼の名前の通り。
「深井さ~ん」
雪風のクロワッサンの山が元の半分くらいの高さになったころ、零は誰かに呼ばれた。
──この声は……シャリオ・フィニーノか──
零は静かにそちらへ顔を向ける。眼鏡の女、シャリオが零に歩み寄ってきていた。
シャリオ・フィニーノ。六課のデバイスマイスター。ようはメカニックだ。やたらとフレンドリーで、零は会って早々、愛称の『シャーリー』で呼んでと言われたくらいだ。呼ぶ気にはならなかったが。
特殊戦にも似たようなやつがいたな、と零はシャリオを見て思った。
──そうだ、整備班班長のエーコ中尉だ──
シルヴィオ・エーコ。整備の腕は超一流だったが、イタリア男らしくおしゃべりで明るく、特殊戦では浮いていた。彼とはあいにくと仕事以外で会話したことはない。
彼と同じように、シャリオも優しい性格で、なおかつ腕が良いらしい。一流のメカニックは皆そうなのだろうか、と零はふと疑問に思う。
チラリと見ると、隣の雪風がシャリオを軽く睨み付けていた。
シャリオは雪風の持つナイフ型のデバイス『フェニックス』──かつての雪風のエンジン名がついたそれを調べようとしたら、雪風に手酷く断られたらしい。今、雪風はたぶん『またコイツか』といった気分で睨み付けているのだろう。シャリオは雪風に対して友好的だというのに
「何の用だ?」零は素っ気なくシャリオに訊く。こういう人種は苦手だった。
「深井さんに会いたい、って女の人がいるんですけど……」
「おれに?」
こちらに来てからほとんど外出していないのに、なぜおれのことを? と零は思う。
「深井さんもスミに置けませんね、けっこうな美人さんでしたよ。名前は……」
「エディス・フォスよ」
──!?──
食堂の入り口から聞こえてきた女の声。
零は息を飲む。
右手に持ったフォークが、カシャンと音を立てて床に落ちる。食堂の皆がその音に注目するが、そんな場合ではない。
身体が固まる。ゾクリ、と背筋が凍る。心臓の鼓動が早くなる。
まさか、あり得ない。彼女は地球にいるはずで、こっちにいるなんて、絶対にあり得ない──
閃いた直感を、理性が押し返す。しかし胸騒ぎを鎮めることはできない。
零は、ゆっくりと、そちらを向く。
ショートの金髪。
整った顔つき。
スラリとしたスレンダーな身体。
全てを見透かすような青い瞳。
嘘だ。こんなことがあるものか。
しかし、そこにいるのは間違いなく彼女だ。
見間違えるはずもない、自分の主治医──
「……フォス、大尉……?」
「思ったより早く会えたわね、深井中尉」
そう言って、彼女は微笑んだ。以前よりも優しく。
多くの機材がところ狭しと置かれている部屋。
その部屋では大きなモニターを見つめる男女がいた。
「ふむ、どうやら上手くいったようだね」そう言って不気味に笑うのは白衣を着た、いかにも研究者といったいでたちの男性。
「いろいろとイレギュラーはありましたがね」と背後に立つ女。「ここまで手こずるとは思いませんでした」
彼女は研究者らしき男と同じように白衣を着ていたが、研究者というよりも看護婦といった出で立ちだ。
「なるほど、さすがは『戦闘知性体』といったところか・・・。あんな高度な知性体は管理局にもないよ。ますます興味深い」
「ユキカゼをなめてはいかん。あれは最強の『シルバーブレット』だ」
背後から聞こえたその野太い声に二人は振り向く。見ると、体格の良い東洋系の男がこちらに歩いてきていた。
「『銀の弾丸』・・・彼らはそれほどの存在なのかい?」
「それがわからないからこうして彼らを調べているのだ」と東洋系の男。「理解できないなら調べる。科学者の基本だろう?」
「とすると、君たちは彼らのことを理解できていないのかい?」少し小馬鹿にしたように研究者。
「『君たち』という言い方はおかしい。確かに我々もユキカゼは理解できないが、本当に彼らを理解したがっているのは『我々』ではない」
「なるほど、すまなかったね。ならば、感謝の念も君たちに送るべきではないのだね? ヤザワ少佐、マーニィくん」
その言葉にヤザワと呼ばれた男は、肩をすくめた。
「まあ、そういうことだ。私達は使い捨てのメッセンジャーにすぎない」
「なるほど、ならば言い方を変えよう」
ヤザワとマーニィに向き直り、男は静かに笑う。
「ありがとう、ジャム」