魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第十二話 二人の夜

 

 

 

──寝れん──

 

 

 零は目を開ける。

 

 暗い。

 

 だが真っ暗ではない。視界の端にわずかな光が見えた。

 

 正面にあるのは、暗くてもその白さがわかる無機質な天井。

 

 先ほど視界の隅に見えたのは、月明かり。

 

 部屋の空気は冷たく、ひんやりとしている。

 

 

 

 静かだった。

 

 静かで、心臓の音がやたら大きく聞こえる。

 

 ドクン、ドクンと脈打つ血管もうるさい。

 

 普段は意識しない呼吸も、今はやかましい。

 

 

 人間のエネルギー輸送というのは非効率なシステムだな、機械は電気を流しても静かなのに、と零は思った。

 

 

 

 零がいるのは、自身に割り当てられた部屋。

 

 現在夜の11時。零は寝るべく、ベッドに潜り込んでいた。

 

 今日1日だけで本当に、いろいろなことがあった。頭も身体も疲れている。明日に備えて十分な睡眠をとるべきだった。

 

 

 

──しかし寝れない──

 

 身体は眠りを欲しているが、疲れているにもかかわらず脳がそれを阻害している。

 

 フェアリィにいた頃は、仕事が終わったらシャワーを浴びて、飯を食って、ビールを飲んで、ベッドに横たわればすぐ眠りにつけた。

 

 こちらに来てからビールを飲んでいないが、飲まなかったから眠れない、というわけではないだろう。

 

 

 眠りにつけない理由は別にあると痛いほどわかっていた。

 

『異世界という新しい環境に対する不安』

 

『人の姿になった雪風に対する動揺』

 

『魔法を使えるようになった自身への戸惑い』

 

 いまだ消えないそれらが、自分の意識を覚醒状態に留めているのだ。

 

 子供じゃあるまいし、と零は自分自身にあきれた。

 

 しかしそれがわかっても、安眠には繋がらない。こういう時は無理に寝ようとすると逆効果だ。

 

 

 何か別のことを考えよう、と零はおもむろに首を右へ向ける。

 

 

 彼の右傍らには、雪風が寝ていた。

 

 二人は同じベッドに身を寄せ合っていたのだ。

 

 雪風は身体の左側を下にして、胎児のように丸まり、静かに寝息を立てていた。

 

 寝息も、夜の静寂へ溶けていくほど微かだ。

 

 カーテンの隙間から漏れる月光に照らされて、深い闇夜の中に彼女の端正な顔が陰影をもって浮かび上がる。

 

 膝まで届く白銀の髪がキラキラと月光を反射し、同じように白い頬が朱を指しながらも照らされている。

 

 わずかに開いた桜色の唇は、不意に目に入った白い髪と肌に強調され、バラのように赤く感じた。

 

 

 少女のようなあどけない表情と、それらの凛とした顔立ちからにじみ出る高貴さが調和し、雪風は彼岸から来たもののごとき妖艶なオーラを醸し出していた。

 

 雪風は寝ていても、これほど美しいのか、と零はその妖艶さに一瞬心を奪われる。どこまでも美しい妖精だ。

 

 

 

「……雪風」かすかに呟き、零は静かに雪風の頭へと手を伸ばし、撫でた。

 

 雪風の反応は全くない。

 

 光沢のある白銀の髪が零の手の中でフワリ、フワリと柔らかに揺れる。

 

 

 雪風は起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 雪風の頭を撫でながら、零はベッドに入る前のことを思い出す。

 

 今から数時間前、民間協力者の手続きが終わった後、零と雪風は八神はやてによって六課の面々に紹介された。場所は会議室。

 

 会議室に入った隊員達、スタッフ達は、零と雪風を確認したとたんに警戒の色を浮かべ、視線を鋭くした。

 

 だが、同時に困惑の表情を浮かべる者もいた。雪風が大人しくシャマルと手を繋いでいることに驚いたのだ。

 

 噂に聞いていた『八神はやてを傷つけようとした輩』というイメージと違うことに驚いたのかもしれない。

 

 何人かはそれで雪風と零に対する警戒を弱めた。しかし露骨に二人を警戒している者もいて、会議室は険悪な空気が漂った。

 

『零が次元漂流者で元パイロットであること』『雪風は元戦闘機であること』『二人は元の世界ではジャムというエイリアンと戦っていたこと』等をはやてが話している間も、その空気は変わらなかった。

 

 その雰囲気を一変させたのも、シャマルである。

 

 

 彼女は雪風を抱き上げ『雪風ちゃん、みんなに挨拶しよう』と優しく諭したのだ。目一杯の優しさを込めた、シャマルの行動。

 

 残念ながら雪風はそっぽを向いて一言たりとも口を開かなかったが、その光景を見て六課の人間の態度は明らかに変わった。

 

 

『ユキカゼちゃん可愛い~!』

 

『「ユキカゼ」って名前、どんな意味なんですか? 深井さん』

 

『シャマル先生、ユキカゼちゃんとどういう関係なんですか?』

 

『先生、隠し子いたんですか!?』

 

 といった具合に皆、雪風と零に対して好意的な態度をとったのだ。その豹変ぶりに零は驚きを通り越してあきれたものだ。

 

 皆が零と雪風を認めてくれた。

 

 

 

 だが、本当に雪風はシャマルぐらいにしか心を開いていないようだった。

 

 皆が声をかけても全て無視するのだ。皆、好意的になったというのに。

 

 

 唯一反応したのは、シグナムに『私はお前を認めたわけではない』と言われた時だ。

 

 鋭い目付きでそう言った彼女に、雪風は『それは私も同じ』と冷たく言い返したのだ。

 

 再び険悪な空気が漂いかけたところを、フェイトが『雪風、シグナム、そんなこと言っちゃダメだよ』と注意したことでその場はおさまった。雪風もシグナムも、お互い謝ろうとはしなかったが。

 

 

 

 

──雪風は何を考えているんだろうか──

 

 零は雪風の寝顔を見ながら、考える。

 

 いったい彼女は何を感じ、何を考えてあのような行動をとったのだろうか。零はそれを考えることで、気を紛らわせようとした。

 

 

──シャマルが雪風を可愛がる理由はどうでも良い。

 

 雪風の美しさに惚れ込んだのかもしれないし、あるいは子供好きなのかもしれない。理由はいくらでも考えられる。

 

 他人の好みなどわかるものか──

 

 と、零はシャマルの行動に関して考えることを止めた。

 

 だが、雪風がシャマルを信用している理由については、ベッドに入る前からずっと考えていた。

 

 

──雪風がシャマルを信用しているのは、シャマルが医者として有能だからか?

 

 確かに、おれや雪風自身がケガをした場合でも医者が友人としていれば安心だろう──

 

 雪風らしい合理的な判断だ。別にそれだけでも納得はできる。

 

 

 しかし、零の頭の中にはもう一つの可能性が思い浮かんでいた。というか、そちらの方が重要だった。

 

 『ヴォルケンリッター』である。

 

 

 シャマル、シグナム、ヴィータの三人と、ザフィーラという喋る青い狼。彼ら四人は、ヴォルケンリッターと総称される魔法プログラムだというのだ。

 

 はやてからそのことを聞かされたのは、会議室での紹介の時だった。

 

 

 プログラムが人の形をとっていて、人間と同じように暮らしている。聞かされた時、零は大して驚きもしなかった。

 

 今日1日だけで『核爆発』『異世界に転移』『謎のロボット兵器による襲撃』『魔法を目撃』『人の姿になった雪風との再会』『小人を目撃』『魔法使いになる』『小さいドラゴンを目撃』『雪風にやたらスキンシップする女医に出会う』といった数々の異常体験をした零である。

 

 

──プログラムが人の形をとった? それがどうした。こちらには少女に変身した戦闘機がいるんだぞ。といった具合だった。

 

 しかし、今になってその事実が重要さをもって、零の頭を揺さぶる。

 

 

『雪風がシャマルを信頼しているのは、シャマルがプログラムだからではないか?』

 

 

 雪風は機械知性体だ。彼女自身はプログラムによって構成されている。

 

 だから、同じくプログラムで構成されたシャマルに対し、親近感を抱いたのではないだろうか。これは可能性が極めて高い仮説だ。雪風なら、あり得る。

 

 

 しかし一方で、異なる見解も生まれる。シャマルと同じ存在のシグナムには、他の人間よりも冷たい態度をとっているのだ。

 

 ヴィータやザフィーラに対しても、睨み付けるといった警戒行動をとっていた。ヴォルケンリッターの四人の中で、雪風がなついているのはシャマルただ一人である。

 

 それに、似た存在というのであればリィンフォースⅡがいる。彼女はユニゾンデバイスだ。今の雪風と同じ存在である。そちらの方が仲良くなれそうではないか。

 

 しかし、彼女に対しても雪風はそっけない。多少の会話には応じているようだが、それも『それが?』『で?』などと冷たくあしらう程度だ。あまりの冷たさにリィンフォースが涙目になるほどだ。というわけで、この仮説は成り立たない。

 

 

 

──こんな時、フォス大尉がいてくれれば良いのだが──

 

 零は思う。

 

──まさかとは思うが、シャマルがフォス大尉に見えるというのでは……

 

 たしかにシャマルもフォス大尉も金髪ショートで女医だ。しかし共通点はそれだけ。似ているとは言えない。まずあり得ないな、と零は否定する。

 

 

 エディス・フォス大尉。特殊戦軍医にして対ジャム心理分析官。カウンセラーでもあり、零のメンタル管理もしてくれていた。彼女は雪風の精神分析もしたことがある。

 

 いてくれれば、雪風のこうした謎の行動の理由がわかるだろう。

 

 

 

──だが、今はいない──

 

 零は思い出したくなかったそれを意識してしまったことに、後悔した。

 

 

 ブッカー少佐も、クーリィ准将も、フォス大尉も、特殊戦隊員も、みな地球に帰還したはずだ。

 

 管理局が自分のいた地球の次元を特定しない限り、自分達は帰れない。通常の次元世界ならともかく、平行世界となると見つけるのは難しい。

 

 

『必ず帰ってくるんだ!』ブッカー少佐の言葉が耳の奥に蘇る。

 

 

──ジャック──

 

 

 零は寂しげに雪風の頬を撫でる。

 

 

『雪風』

 

 彼女にその名を授けたのは、ブッカー少佐だ。

 

 なんでも太平洋戦争において『奇跡の駆逐艦』と呼ばれた船の名前らしい。

 

 イギリス人でありながら、超がつくほど日本通な彼は、彼女の機首に直筆でその名を刻んだ。

 

 雪風とユニゾンした時にも、背中にブッカー少佐の書いた字と同じものが書かれていたな、と零は思い出す。

 

──雪風も、気に入っているのかもしれない──

 

 よく考えれば、あの書道家が書いたような字は『耐熱塗装』を『ハケ』で書いたのだ。しかも一発書き。

 

 ペンキや墨ではなく、耐熱塗装。筆ではなく、ハケだ。書きにくかっただろうに。それであの達筆ぶりだ。

 

 少佐なら、軍を辞めても書道家として生きていけるかもしれない、と零は冗談混じりに思う。

 

 

 

 冷たい気質の特殊戦の中で、太陽のように明るかったブッカー少佐。

 

 ただ一人の友。

 

 だが、もう彼に会えないかもしれない。その非情な可能性が零の心に突き刺さる。

 

 

 

 孤独だった自分と親友になってくれた。

 

 雪風に名を与えてくれた。

 

 おれにブーメランの飛ばし方を教えてくれた。

 

 何か良いことがあった時にはシャンパン片手に祝ってくれた。

 

 悪いことがあった時にもウイスキーを一緒に飲み、慰め合った。

 

 こちらが作戦行動中に行方不明になった時など特殊戦全機を飛ばしてでも探そうとしてくれた。

 

 おれが重傷を負って植物状態になった時も、見捨てなかった。

 

 どんな絶望的な作戦でも『必ず帰ってこい』と命令してくれた。

 

 どんなときでも、おれを思ってくれていた。

 

 

 そんな友に、もう会えない。

 

 その可能性を考えると、つらかった。

 

 

 零は、その突然生まれた寂しさを紛らわせようと、そっと雪風に触れる。

 

 彼女の柔らかな頬を、零の手がなぞる。

 

 

 

 

「……ん……」雪風の小さな身体がピクリと揺れ、身じろぎした。

 

──しまった

 

 零は慌て手を離す。だが遅かった。

 

 雪風のまぶたが徐々に上がり、その奥に隠されていた、大粒の宝石のような瞳が現れる。

 

 彼女はその瞳を零に向けた。幼い中に妙な厳しさをたたえた空色の瞳だ。

 

 起こしてしまった、という後悔よりも、その美しい瞳に見つめられたことに、零は息を飲む。

 

 

「……何か、あった?」起きたばかりだというのに、妙にはっきりとした口調で雪風が問いかける。「深井、中尉?」

 

「いや……何でもない……。寝てていいんだぞ、雪風」

 

「あなたも、寝ないとダメ。明日体力が持たない」

 

 零には意外だった。彼女がこちらの心配をしてくるなど、めったに無い。

 

「…おれは、大丈夫だ……」

 

「……?」雪風は不思議そうな顔をした。

 

 しばらく考えこむような表情をしていた雪風だが、ややあって、何か思いついたように身体を動かす。

 

 

──何だ?──

 

 

 雪風は静かに、そっと零の首に腕を回し、彼に抱きついた。

 

 身体を近づける

 

 顔を寄せる

 

 触れるように

 

 感じるように

 

 

 ふと気付けば、雪風の顔が間近にあった。

 

 唇と唇が触れ合う寸前の距離だ。

 

 彼女は小さく微笑み、零を抱き締める。

 

 

 零も、軽く抱き締め返した。

 

 軽く、だ。

 

 腕の中にすっぽりと収まってしまう雪風の身体は、少し力を込めただけで壊れてしまいそうだ。

 

 雪風の体温が、寝衣越しにも伝わってくる。

 

 暖かい。

 

 

 重い鉛のように零の心を覆っていた辛さも、そのぬくもりに消えていく。

 

 彼女の、トクン、トクンとややゆっくりとした心音も、直接胸に響きわたる。

 

 それに導かれるように、零の心臓もペースを下げていく。

 

 うるさかった動悸も鳴りを潜める。

 

 

 身体の全てが緊張を解き、安らぎを取り戻すのが自分でも感じられた。

 

 

「…これで、眠れる?」雪風の鈴のように澄んだ声。

 

「……ああ」と零。「良く眠れそうだ」

 

 

──彼女は、こちらの不安などお見通しなのだ。

 

 

 雪風は、零を抱き締めたまま目を閉じ、再び眠りにつく。

 

 零も静かに目を閉じた。うっとりするほど心地よい感覚だった。

 

 そう、雪風のコックピットで寝た時のような

 

 

 

 

 

 徐々に眠気が満ちてくる。

 

 身体が楽だ。心も。

 

 これほど気持ち良く眠りにつけるのは初めてだった。

 

 

──これも雪風の力の一つなのか──

 

 

 もし帰れたら少佐に報告しよう、と、零は眠りに落ちる寸前に、思った。

 

 

 

 

 

 

──必ず帰るよ、ジャック──

 

 

──雪風と一緒に──

 

 


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