「ここが会議室です。で、あっちにあるのが応接室。ここの通路をずっと行くと……」
零はなのはに連れられ、六課の隊舎内を案内してもらっていた。
隊舎内で迷子になってしまっては目も当てられない。今のうちに構造を把握しておく必要があった。
零はなのはの説明をしっかりと頭に刻みこむ。
巨大な地下都市を内包していたフェアリィ基地に比べれば手狭だが、思いのほか大きな建物だった。
──フムン──
零は歩きながら、先ほどまでのことを思い出す。
メディカルルームでの検査は簡単なもので、30分ほどで終了した。
無論、全てシャマルが検査したのだが、雪風をヒザの上に乗せたまま検査を始めた彼女に、零は不安を感じていた。
時折『雪風ちゃんフワフワ~』と言いながら、幸せそうな表情で雪風を抱きしめる動作が、何とも言えぬ不安を掻き立てる。逃げ出した方が良いのでは、と思ったほどだ。
しかしテキパキと検査機器を操作する彼女を見ているうちに、そんな不安もいつの間にか消えていた。検査機器を操作する慣れた手付きから、彼女の有能さがうかがえたのだ。
雪風をヒザの上に乗せたまま、というのが何ともシュールではあったが、彼女がまともな人間であることに零は安心した。
検査の結果、零の身体に大した異常は見受けられなかった。別段、身体に違和感があるわけでもなかったので特に聞かれることはなかった。
あれだけ苦しんでいたのに大して異常がない、というのでなのはは首を捻っていたが、零はあまり気にしていなかった。
──雪風がおれの身体に何かしたのは確実だが、それも何かの目的があってのことだろう──
『ジャムを倒す』という目的以外に関心がない彼女。ならば、自分にした何らかの操作も対ジャム戦のための措置と考えるのが妥当だ。
例えばユニゾンした際に互いの意思交換を容易にする神経回路を新たに構築したとか、外界の認識速度を向上させたとか、あるいはこちらの脳機能を少し活性化させて頭を良くした、とか。そんなことが予想できる。
ならば問題は無い。と彼は考えたのだ。
──雪風はこの世界では、おれしか頼れる存在がいないのだ。
命に関わるような重大な操作などしないはずだ雪風を信じよう。
たとえ、雪風に殺されることになったとしても、それは別に問題ではない──
『雪風になら、殺されても構わない』それが、深井零の意思だった。
──雪風以外のことはどうでも良い。知ったことか。おれには関係ない──
「深井さん、聞いてますか?」ふと前に意識を向けると、なのはが軽くこちらを睨んでいた。話を無視していると思われたらしい。
「……聞いていた」
「じゃあ、さっきの廊下奥の階段を登り、上がったところで左へ向いた時、手前から3つ目の左側にある部屋は何ですか?」
零は頭の中で言われた通りに道筋をたどる。
──確かその場所にあるのは──
「……トイレだ」
「正解です」と少し悔しそうになのはが言う。小さく舌打ちが聞こえたのは気のせいだろう。
なのはは案内を再開した。
──おれの身体のことは後で雪風に聞くとして──
零は案内を再開したなのはに付いていきながら、考える。
思考に集中してはいるが、なのはの説明を聞き流しているわけではない。聞いていないと、なのはがまた怒るだろうし建物の構造も把握できない。 一応、なのはの説明は頭の中に留めておく。
零はチラリと右斜め後ろを見た。
そこには小さな足でちょこちょこと歩き、自分についてくる、雪風。
まるで自身が母親であるのように雪風と手を繋ぎ、時折彼女に優しく話しかけている、シャマル。
二人が、零となのはについてきている。
端から見ると親子のような、微笑ましい光景を見ながら零は思う。
──この女医はいったい何なのだ、と。
零がなのはに隊舎案内してもらうことになったきっかけは、シャマルが作った。
『雪風ちゃん、六課の隊舎を案内してあげようか?』零の身体検査を終えたあと、シャマルは自身のヒザに座る雪風にそう言った。
気晴らしをしたかったのか、雪風と友好を深めたかったのか定かではないが、優しい口調で雪風を誘った。
意外なことに雪風は素直に頷いた。なのはが昼食に誘ったときは、雪風は無視を決め込んだのに、だ。
雪風のこの対応の違いを零は不思議に感じた。
シャマルの提案になのはが『じゃあ、深井さんも案内しましょうか?』と合いの手を入れ、それに零が同意。零と雪風は六課の中を案内してもらうことになった。
『なぜ雪風はシャマルに対して抵抗しないのか』
案内されている間も、零はそれが気になって仕方なかった。この案内は零にとって、雪風とシャマルの観察も兼ねている。
昼、なのはが自分と雪風を食堂へ連れていった時、雪風は彼女の手から逃れようと抵抗していた。
『対人関係がわずらわしい』『なのはに対する警戒心が残っていた』という2つの理由で雪風はそのような行動を取った、と自分は予想した。
──雪風には、このおれ、深井零中尉とのコミュニケーション経験しか無い。
赤の他人とのコミュニケーションは未知の領域。自然と身構え、警戒してしまうのだ。
あのような行動に出るのは当然のことだった、と言える──
しかし、今はどうだろうか。
雪風は今、シャマルに手を握られているのに嫌がるそぶりも見せない。
そしてシャマルが雪風に何か話しかけるとき。例えばシャマルが『雪風ちゃん、ここが会議室だよ』などと教えれば雪風は彼女の顔を見上げ、その瞳をじっと見つめるのだ。
幼い子供が母親の話を聞くときの姿に良く似ている。パッと見ると、親子のようにも見えなくはない。
話しかけられても無視し、手を握られれば必死に嫌がった高町なのはの時とは雲泥の差だった。
これはつまり、雪風はなのはに対して警戒心を持っているが、シャマルに対しては持っていないか、ほとんどない。ということだ。
奇妙だな、と零は比較していて思う。
なのはは別として、シャマルは雪風をいきなり抱きしめたのだから、警戒されてもいいはずだ。雪風にとって彼女のハグは謎の行動だったはず。
パニックを起こし、シャマルに対して警戒行動、もしくは敵対行動をとる可能性だってある。なのに、それをしない。むしろ、信頼している。
──なぜだ──
雪風が安定するに越したことはないが、その安定の理由がわからない。
零は困惑した。
──なのはへの対応とシャマルへの対応が違うということは、両者の間には何かしらの『差』があるということだろう。
それこそ、天と地のごとき差がしかし零には、大きな差は感じとれなかった。
二人とも雪風に対しては程度の差こそあれ友好的だし、口調も優しい。大して差は見受けられない。
だが雪風は彼女達の何かに反応して、その対応を変えているのだ。それは、確か。
例えば、顔とかスタイル、声、性格、行動、などなど。
あるいは、あの熱烈なハグ。二人の差は何でも考えられる。
──何が違うのだろう──
「お~い! なのは~!シャマル~!」なのはとシャマルを呼ぶ声。
声のした方へ視線を向けると、一人の少女がこちらに歩いてきていた。声の幼さからして、呼んだのは彼女らしい。年の頃は小学校低学年位。赤っぽく長い髪を2つの三編みにしている。
「ヴィータちゃん、どうしたの?」なのはが問う。名前はヴィータというらしい。
彼女は雪風と自分を見るなり、睨み付けてきた。彼女も六課の人間なのだろう、他のやつらと大差ない反応だ。本人はガンを飛ばしているつもりらしいが、恐くもなんともない。
「そいつらが『フカイ・レイ』と『ユキカゼ』か?」
「そうだが」と零。「何か用か?」
「はやてが呼んでる。民間協力者になるための手続きするから来い」
「フムン」
零は思い出した。
──そういえば、まだ正式には協力者になっていなかった──
様子を見て民間協力者にする、とはやてが言っていたのを、零は記憶の中から引っ張り出す。
しかし、ギャラリーの中に八神はやての姿は見当たらなかった。
となると、八神はやてはモニターか何かで自分と雪風の戦いぶりを見ていて、『戦力になる』と判断したのか。覗き見とは趣味の悪い。
──まあいい、ひとまずこれで衣食住と対ジャム戦は保証される──
零は内心、ニヤリと微笑んだ。
「場所は部隊長室か?」
「ああ……っておい! シャマル! 何でそんな奴と手ぇ繋いでんだよ!」ヴィータがシャマルに文句を言う。はやてに危害を加えた雪風が気に入らない、という意志が露骨に表れていた。
「だって、雪風ちゃんスゴク可愛いんだもの!」そう言って、雪風を抱き上げ、再び頬擦りするシャマル。
当の雪風はもう慣れてしまったようだ。彼女のスキンシップを無表情で受け入れている。
「だからって、そいつは……!」
「ああ、もう雪風ちゃん可愛い! お持ち帰りしたいぃぃ!」
かなり暴走気味のシャマルと、彼女に食って掛かるヴィータ。
「……」
その二人を尻目に、零は率直な疑問をなのはに念話で送る。
(いつもこうなのか?)と。
「…ニャハハ…」するとなのはは独特の苦笑いと共に、返信してくれた。
(た、たまにね……)と。
──悔しい!──
なのはは今、憤っていた。その怒りが顔に出る寸前まで、憤っていた。
今、なのはがいるのは部隊長室。民間協力者の手続きのため、零が書類に目を通していた。
彼は、はやてとリィンフォースの手を借りているがミッドチルダの文字を読むのに四苦八苦している。
普段から英語を早口で話している零だが、さすがにまだ時間がかかりそうだ。
──そんなことはどうでもいいの──
なのははわずかに怒気をはらんだ視線をその隣に向ける。
「雪風ちゃんスベスベ~」
「……」
零の隣では、シャマルが雪風と戯れていた。シャマルは雪風の背の高さに合わせてしゃがみ、彼女を抱きしめ、頬擦りしている。
シャマルが一方的に雪風を可愛がっているようだが、雪風は一切抵抗せずシャマルの腕の中でおとなしくしている。それを見て、なのははさらに苛立った。
──何で私がダメで、シャマルがOKなの? 雪風ちゃん!──
正直言って、悔しい。
『ナイフを突き付ける』
『話しかけても無視』
『手を握れば嫌がる』
あれほど自分との関わりを拒絶していた雪風。そんな彼女を、いとも簡単に手なずけたシャマルになのはは嫉妬していた。
自分の何が悪いのか、雪風に直接問いただしたい。
自分も雪風を抱きしめ、頬擦りしてみたい。
関係ないけど、零に今までの苛立ちを込めて砲撃をぶちこみたい。
なのはは苛立っていた。
──ねえ雪風ちゃん。私の何が嫌いなの?──
<マスター、落ち着いてください。きっとユキカゼの態度には何か理由があるのですよ>苛立ちを察したレイジングハートが小声で、なのはをたしなめる
(そんなこと分かってるよ!)なのははすかさず反論。
半ば八つ当たりに近い扱いを受け、レイジングハートは黙った。
なのはは拳を握りしめ、心の中で誓った。
──絶対!絶対!雪風ちゃんとお話するの!!──
レイジングハートは珍しい主の怒りようを見て、内心ため息をついた。
そして、ことの発端とも言える雪風に意識を向ける。
今はおとなしくシャマルの抱擁を受けている彼女。
彼女が自分達デバイスの立場から見ても、特殊な存在であることに、レイジングハートは気付いていた。
──彼女は、『ユキカゼ』は、何かが自分達とは異なっている──
レイジングハートは戸惑っていた。雪風が『デバイスではない未知のモノ』のように感じたのだ。
物質的、システム的な次元での話ではない。『デバイスとしてのあり方』が、自分達とは根本的に違うような感じがするのだ。
貴重なユニゾンデバイスということ、コミュニケーション能力の低さ、ジャムとかいう異星体に対する執着心を考慮しても、その異常性が際立つ。何かが違うのだ。
しかし、何がどう自分達と違うのか、全く見当がつかない。
感覚的には答えが出ているのに、言語に変換することができない
──今までマスターと一緒に闘い抜いてきた中で、こんな妙な感覚を感じたのは初めてだ。
いったい、彼女は何者なのか──
悩んだ末、レイジングハートは気付いた。『自分のこの戸惑いは、他のインテリジェントデバイスにも共通していることなのかもしれない』と。
──後で、話してみるか──
とりあえず、バルディッシュあたりからこの話を振ることにしよう。
レイジングハートはそう決め『その前にマスターの怒りをどうにかしなければ』と、再び思考に入った。