シグナムは零の素早い機動に舌を巻いていた。
──あれが素人の動きか?
初見で、近接戦だけで、ガジェット2体をものの数秒の間に墜とし、残り18機を相手にして1発も被弾せずにかわし続けている人間のどこがド素人なものか
ありえない、とシグナムは困惑した。
彼がエースである可能性は、シグナムも気付いていた。戦士としての勘や瞬間的な判断力、空間把握能力が常人よりも高いレベルにあることも
──だが、それは戦闘機のパイロットとしての話だ。
いくらそれらが優れているとはいえ、わずか1日で戦闘を行えるようになるなど、ありえない。
いったい、奴は何者なのだ──
──ん?
零の空戦は独特だった。決してその場にとどまらない。常に猛スピードで飛び回っている。シグナムは飛び回る零の背中。そこから突き出た四枚の漆黒の羽を注視した。
おとぎ話の妖精のものとは違い、はばたいてはいないその羽。 だが、零が方向転換したり加減速をする際、その角度や向きが大きく変化していることにシグナムは気付いた。
上昇時には羽の前縁が上を向き、下降時には下を向く。横転すれば左右反対に。加速する時は水平のまま後方に閉じ、減速する時は横に広がる。
もしかしたら直進している時も微妙に動いているのかもしれないが、ここからでは判別できない。
──まるで、飛行機の翼だな。
シグナムは思った。
──地球にいたときテレビで、主翼全体が稼動する飛行機を見たことがある。『トムキャット』とかいう戦闘機だ。
高速時には主翼を後退させ、強すぎる揚力を減衰させる。低速時には広げ、揚力を確保する。詳しくは知らないが、そんな感じだった。
──それと同じように、あの羽も角度を変えることで飛行を制御しているのではないだろうか。
常に風を受け続ける彼の飛び方なら、純粋に魔力だけで制御するより風の力も併用した方が効率が良いだろう。無論、あの羽そのものが魔力で直接飛行を制御している可能性もある。
いずれにしても、翼を動かして機動を制御するというのは、元・戦闘機だった雪風なら考えそうなことだ。
この仮説が正しければ、飛行の制御はほとんど雪風が行っている可能性が高い。恐らく、零は軽くイメージするだけ。
──雪風は、そこまで深井零に尽くしているのだ
彼と飛ぶために。
シグナムには冷徹な雪風が、他人のために何かをする、ということが信じられなかった。
しばらくその黒羽を見ていると、突然、羽の中腹が円形に光った。シグナムは驚いてその光を注視する。
──魔法陣?──
シグナムがそう思うよりも早く、四枚の羽それぞれに現れた円から、白い光球が飛び出す。
光は不規則な機動とかなりの速度をもってガジェットへと飛来し、命中。回避機動もとれず、ガジェット四機は爆散した。
──今のは、魔力弾?──
「深井さん、射撃もできたの!?」フェイトが声を上げる。
──あの羽は飛行制御だけじゃなく、射撃も行えるのか?──
シグナムは驚愕した。いったい何なのだ、あの二人は、と。
──今のがAAMか──
零は羽から飛び出した白い光球が敵に突っ込み、正確に撃墜したのを見て、思った。
──確かにミサイルみたいな動きだった。AAMと言われれば、AAMだな──
妙な笑いが込み上げてくる。かつての雪風のAAMとほとんど同じ技。ただそれだけなのに、可笑しく感じた。
おれ自身ハイになっているのかもしれない。興奮しているのだ。この空に、この戦闘に、雪風に──
残り14機となったガジェット全てが、零に機首を向ける。雪風からの警告表示。ロックされた。
ミサイルを撃たれる前に、回避機動。
零は、ガジェット群の下をくぐるように緩降下。下から回り込む。ガジェットよりもこちらの移動速度の方が圧倒的に速い。やすやすと編隊の背後へと回り込めた。
──今度はガン攻撃をためそう──
零は再び、武装選択。『GUN』選択。
視界から四角いロックオンサイトが消え、丸いガンサイトが表示される。ガンサイトは自動で移動していき、一体のガジェットの後ろ姿と重なる。目標との距離50m、射程内。
「レディ、ガン」雪風に伝える。
<RDY-GUN/FIRE>表示とともに、無数の小さな光弾が羽から高速で打ち出された。
一発一発がひどく小さい。2㎝位だ。先ほどのAAMはサッカーボール程度はあったのに。しかし、信じられない数が打ち出されていく。連射速度が速すぎて繋がって見える。まるでレーザー。改造バイクのエンジン音のような唸りが、羽から発せられる。
4羽それぞれから放たれた光の直線は、一体のガジェットに殺到。一秒足らずで目標を粉砕した。
意外な威力の高さに驚きながらも、破片にぶつからないよう、軽く横転して回避。2機目をガンサイトに重ねる。レディ、ガン。
約0.5秒の射撃。ガジェットが一瞬で鉄屑に変わる。連射は一秒もいらないらしい。これも、雪風のバルカン砲と同じだ。
気付けば、視界の端には『電子戦モード』とある。
その下には『ECM/ON』。強力なジャミングで敵の能力を下げていることを示す表示。電子戦は雪風の十八番なのだ。
──変わらない。かつての雪風と──
やはり、この少女は雪風だ。
自分の直感は正しかった──
その満足感を味わう暇もなく、再び左右に分かれたガジェットがミサイルを放ってくる。バレルロールで回避。
ロールの途中で零は身体を捻り、急降下。重力加速を使う。それでもう、ガジェットは追随できない。
はるか下のビル群があっという間に近づく。猛烈なスピード。
ビルに激突する寸前で速度を殺さず180度の垂直旋回。インメルマンターン。
さらに加速し、遅れて急降下の体勢に入ったガジェット群に突っ込む。向かってくるミサイルは上下左右のジグザグ機動で回避。1機の脇を駆け抜けながら、零は抜き打ちに刀でガジェットを両断する。
爆散したそれには目もくれず、そのまま青空へ垂直上昇。
ここだ、というところで切り返す。インメルマンターン。太陽を背にして急降下。追いかけてきたガジェット群めがけて、散々にGUNとAAMを叩き込む。
「すごい! すごい!」
「何よ……あれ……」
「かっこいい……」
「速すぎる……」
順に、スバル、ティアナ、エリオ、キャロ。フォワード4人が零の戦いを見て、率直な感想を言っていく。
確かに速い。となのはは思う。射撃を使うようになってからさらに速くなっている。機動も複雑になり、目で追うのも難しい。
「なのは、あいつ本当に素人なのか?」
ふと呼ばれ、振り向いた。ヴィータだった。狼形態のザフィーラも一緒。周りを見れば、ギャラリーが増えている。
「今日、魔法を知ったらしいが」 とザフィーラ。
「それであの動きはありえねぇだろ」 とヴィータ。
「……」なのはは何も言えなかった。
深井零と雪風。あの二人のことを、自分は何も知らない。ヴィータ達の言葉で、なのははそのことを意識した。
──これ終わったら、今度こそお話しよう。『じっくり』と──
なのはが静かに決意を固めているのを、零は知るよしもなかった。
零は空を駆け抜ける。
さらに素早く、さらに鋭く、敵を狩る。両手の刀が陽光に煌めく。目標数も残りあとわずか。
──もうクライマックスへの舞踏だ。
軽やかなステップ、俊敏なターン、まさにダンス。
体を包んでは通り過ぎる風も、耳元を通り過ぎる風の唸りも、その全てが零の奥底に眠る何かを呼び覚ます。
零の中に、自分が風の精であるかのような、空と、そして雪風と1つになる感覚が広がっていく。
──なんという、快感.
未だかつて、零はこれほどの快楽を味わったことはない。
身体にかかるGすら、その快感を後押しする。
零は感じた。
───おれは、空を飛ぶのが、好きだ───
───雪風と飛ぶのが───
彼はどんな風よりも自由に、雪風と舞った。
軽やかに、そして、嬉しそうに。
「うふふ、雪風ちゃん可愛い~」そう言いながら雪風を抱きしめ、その顔に頬擦りしている、若い金髪の女医。
いきなり抱きしめられ、何が何なのか解らず固まっている、雪風。
それを見て呆然としている、高町なのは。
こいつも『雪風ちゃん』と呼ぶのか、とあきれている、深井零。
六課のメディカルルームは、かなり特殊な状態にあった。
戦闘終了後、零はなのはにメディカルルームへと連れてこられた。無論、ユニゾン直後の頭痛の件でだ。
戦闘終了と同時にフォワード四人、シグナム、フェイトがユニゾンアウトした零と雪風のもとへ駆け寄ろうとした。
しかしそれよりも早く、なのはは零のところへ移動。彼の首根っこを片手で掴み、引きずるようにしてメディカルルームへと連れていった。笑顔で。戦闘で疲れ切っていた零は抵抗もできなかった。
雪風も一瞬で手首を掴まれた。信じられない早業だった。
連れて行く際、雪風が『私の身体に触れていいのは中尉だけ』と言って、なのはを止めようとした。
もちろん、そんなことでやめる彼女ではなかったが、雪風の言葉に、なのはは顔を真っ赤にしていた。ゆでダコのように。
恐らく、雪風の『身体に触れる』という言葉を聞いてなのはの脳内には赤裸々な光景が展開されているのだろう──と、零は引きずられながらも気付いた。
──何を想像しているのだ──と、零は内心あきれた。
メディカルルームに到着。そこで、ようやく解放してもらえた。もはや慣れたもので、逃げる気も起きない。
入ると、金髪の女医らしき人物が待っていた。実に穏和そうな女性だった。『優しい』とか『母性愛』とか、そんな言葉がしっくりくる若い女性だった。
しかし、入って数秒後、女性の顔つきが一変した。とっさにその視線をたどると、先には雪風。
──やはり、警戒しているのか──
再び女医に視線を戻すと、今度は肩をぷるぷると震わせ始めていた。そこまで恐いか、と零は内心笑いそうになった。まあ、隊長室の一件を知ってしまったのなら、無理もない。
雪風は彼女の視線に不安になったのか、零のジャージの袖に、ぎゅっとしがみついた。
次の瞬間だった。
「可愛いぃぃぃ!!」
その叫びとともに、女医は瞬きするほどの一刹那で雪風の眼前へと移動し、雪風を抱きしめた。
「!?」
あまりの速さに雪風は身構えることもできず、女性の細腕に閉じ込められた。
「可愛い~! 妖精さんみたい~」
そのまま、すりすりと雪風の頬に自分の頬を擦る女性。
雪風は目をパチクリさせていた。突然のことに半ばパニックを起こしているようだ。
素直に言えば、零自身、混乱していた。ちらりと横を見れば、なのはも呆然としていた。
──今まで会った六課の人間は皆、おれと雪風を警戒していた。
何だ、この女医は、まさか隊長室の一件を知らないのか? それとも頭のネジが少し緩いのか──
「私はシャマル。あなたは?」
零の疑問をよそに女性は雪風を一旦離し、その瞳を真っ直ぐ見つめ、聞いた。
雪風は戸惑いながらも答える。
「……我が名は、雪風」
「『雪風』…綺麗な名前ね。よろしくね、雪風ちゃん」そう言って再び抱きしめた。
──そして、冒頭へと戻る──
さっきから雪風に頬擦りしている女性──シャマル。彼女に、雪風はされるがままだった。多少くすぐったそうにしてはいるが、抵抗らしい抵抗もしていない。
シャマルの力が異常に強い、というわけでもなさそうだった。まるで母親が我が子を愛でるように、優しく抱きしめている。
──雪風なら、全力で抵抗しそうなものだが──
零の予想とは裏腹に、その後も雪風はシャマルに対して抵抗しなかった。
5分後、あろうことかシャマルは雪風を膝の上に乗せたまま、なのはに言われた通り零の精密検査を始めた。
大丈夫なのかこの女医は、と検査の間、零は不安だった。