魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第八話 新しい姿

 

 零は自身を包み込んだ光に、思わず目を閉じていた。

 

 そして自身の中に、今まで経験したことのない感覚が広がっていくのを感じ取った。

 

 自分の中に何かが侵入し、同化していくのも感じられる。

 

 未知の感覚だというのに、心には恐怖も困惑もわき起こらなかった。

 

 

 むしろ、安心───雪風のコックピットに座っているような、安らぐ気持ちが心を満たしていく。彼にはそちらの方が奇妙に思えた。

 

 心地よい光が消え、零は目を開けた。

 

 

「……!」

 

 零は視界の変化に驚き、息を飲む。

 

 

 異常なまでに、クリアなのだ。

 

 周りの景色も、建物も、輪郭の部分が自発光しているようにくっきりと見える。

 

 シミュレータの中でも遠くに置かれたビルが、目の前にある模型のように見えた。

 

 視覚を霞ませる空気や、その中のチリや水蒸気までもが完全に消え失せたように思える。

 

 

──これは、人間の視覚ではない。

 

 彼は直感的に思った。

 

 

──雪風がやったのか? そういえば彼女は目の前にいたはず──

 

 

 そう零が意識し『どこへ行った』と首を巡らせるよりも早く、彼の視界にさらなる変化が起きる。

 

 まるで、彼が雪風の存在を意識するのを待っていたように。

 

 

 視界の真ん中、何も無い空間に文字列が表示されたのだ。

 

 自分の前に透明なディスプレイがある、というわけでもなさそうだ。距離感が無い。自身の目に直接映している、そんな感じ。

 

 零はその文字列を読んで、一瞬思考を凍らせた。

 

 それはかつて彼が幾度も読んできた、慣れ親しんできた『彼女』のメッセージだった。

 

 

<DE YUKIKAZE UNISON CMPL/Lt.FUKAI>

 

 

──こちら雪風。ユニゾン完了した。深井中尉──

 

 

 

 

 

 先ほどまで、零と雪風の熱い口づけを想像し、過熱状態だった高町なのはの心は、冷水を浴びせられたように静まりかえっていた。

 

 零と雪風を包み込んだ強い閃光が、彼女の精神をクールダウンさせていた。

 

 

──雪風ちゃんの言葉からして、ユニゾンしたみたい。

 

 なのはは混乱しながらも考える。

 

 光がおさまり、なのははゆっくりと目を開けた。

 

 恐る恐る開けた彼女の目に飛び込んできたのは、黒い服に身を包んだ深井零と、その背中に生えた真っ黒な翼。

 

 なのはは、あさっての方向を向いて呆然としている零を注視した。

 

 

 彼が身に纏うのは、黒いパイロットスーツ。

 

 彼が最初に着ていた白っぽいものを、白黒反転したような色合いだった。というかそのまま黒に染め直したような感じだ。

 

 ひときわ目立つ翼は四枚。絵本に出てくる妖精の羽のような形だ。

 

 だが妖精とは違い、透明ではなく、固そうで、ナイフのように鋭い。

 

 片方だけで1メートルほどの長さを持つそれが、肩胛骨のすぐ下から左右に二枚ずつ突き出ている。

 

 付け根には、何やら機械的な機構が見受けられた。

 

 あの翼は、蝶々のように開いたり閉じたりできるのかもしれない、となのはは思う。

 

 

 そして彼の背中、翼の間に筆のようなもので書かれた白い『雪風』の漢字。

 

 雪風が自身の存在を示しているようだ。翼の付け根と付け根の狭い面に目一杯書かれ、背後から見るとそれなりに目立つ。

 

 一文字の大きさは10センチも無かったが、どこの書道家が書いたのか、となのはが思うほど優雅で美しい字だった。

 

 両腰には黒い二本の剣。日本刀。これがメインの得物らしい。柄と鍔の部分がなぜか機械的で、まるで拳銃のグリップ。

 

 下を見ると、両足首にも小さな三角の黒羽が一つずつ。背中の二枚に比べればずっと小さい。ノートと同じ位の大きさだ。これも、付け根が稼動するらしい。

 

 

 ひたすら全身黒ずくめ。黒くないところは顔と背中の文字ぐらいだった。

 

 

 純白の雪風のことだから全身白になる、と予想していた彼女には少し意外に思えた。

 

 

──それにしても、髪の色とかは変わらないのかな──

 

 なのはは首をかしげる。

 

 

 大抵、ユニゾンすると髪の色などが変化する。デバイス側に影響されるためだ。

 

 それが、ない。

 

 後ろから見た限り彼の髪に変化は見られない。

 

 

──耳が雪風ちゃんのように尖っているわけでもない。

 

──肌が雪のように白くなったわけでもない。

 

──女顔になったわけでもない。

 

 

 なのはは間違い探しでもするかのように、零の全身を観察した。

 

 

 すると、我に帰った零がこちらを向いた。彼と目が合う。

 

 

──あった

 

 

 なのはは一ヵ所だけ見つけた。元の彼とは違うところを。

 

 それに気付き、彼女の全身は粟立った。

 

 それは、目。

 

 深井零の瞳は褐色だったはず。

 

 しかし、今、その瞳は呑み込まれそうな空色。

 

 それがナイフよりも鋭い眼光を放ち、なのはを見据えている。

 

 雪風がナイフを突き付けた時に見せた、巨大な何かを宿した双眸だ。

 

 

 視界に収めた全てのものを貫くような、冷たく凍った視線。

 

 人を人として見ていない、死の香り漂う眼差しを再び自分は向けられている。

 

 

 なのはは、あの時の雪風を脳裏に浮かべ、思わず身震いした。

 

 

 

 

 

 

「視界に直接メッセージですか……?」

 

「ああ。普通は起きないことなのか?」零はいぶかしむように聞く。

 

「普通ならそんなことはないですね。聞いたこともないですよ……」答える彼女の声には、いつものメリハリがない。

 

 なのは自身、情けないと思っているが、恐くて彼の瞳を直視できないのだ。零の質問に、なのははできるだけ彼と目を合わせないようにして答えている。

 

 

 最初、零も自身の変化に戸惑ってはたがしばらくしたら慣れたらしい。

 

 

 時折、その感覚を確かめるように背中の羽を広げたり閉じたりしている。

 

 開く、閉じる以外にも、あの羽は彼の意思で自由に動くようだ。妖精の羽という表現がふさわしい。

 

 

 

 なのはは彼から視線をずらすようにうつむき、考え込む。無論、零の視覚についてだ。

 

 零の前にはディスプレイなど見当たらない。その状態で『零にだけ』文字が見えているというなら、彼の視覚に何らかの変化が起きているということだろう。

 

 

──視力の強化は良いかもしれない。雪風ちゃんなら、戦いを有利に進めるためにそのくらいやりそう──

 

 なのはは思う。

 

 

 視覚は戦いに重要だ。特に空中戦は視力が命。パイロットだった零にとっては、嬉しいことだろう。

 

 だが『視界にメッセージを表示する』という機能。それは、なのはもよくわからない。

 

 

 ユニゾンしている間は、デバイスと使用者は一体化している。念話を使わずとも、直接頭の中に語りかけることが可能だ。わざわざ視界に表示するなど、読むのが面倒なだけ。

 

 そして、そんな機能を使う代わりに雪風の声は一切聞こえないらしい。

 

 零が雪風に話しかけると、雪風はやはり視界にメッセージを表示するだけだという。

 

 

 どう考えても直接話した方が早くて、コミュニケーションのタイムラグが少なくてすむはず。戦闘も有利にできる。

 

 なのに、雪風は使おうとしない。

 

 そういえば、雪風は念話も使おうとはしなかった。

 

 

──どうしてだろう

 

 

 なのはは顎に手を当てて、深く考え込む。

 

 

 あまり意識したくないが、雪風は元・戦闘機。殺戮兵器だ。戦闘に関する思考は、下手すれば自分たち以上。

 

 戦いを有利にするために視力を強化した彼女が、あえて不利になる要素を作り出すわけがない。少なくともなのははそう思う。

 

 とするなら、はやてから念話を教えてもらった時、練習すらしなかったことや、今こうして零とのコミュニケーションを文字に限定しているのには、何か理由があるはずだ。彼女なりの理由が。

 

 だが、出会ってから一日と経っていないこの状態では、その理由は皆目わからない。

 

 

──やっぱり、雪風ちゃんとはお話が必要──

 

 

「……どうした?」

 

 その声に、なのはは我に帰る。

 

 彼女の思考を中断したのは、零の怪訝そうな声だった。

 

 かなり深く悩んでいるように見えたらしい。

 

「いえ、何でもないです」なのはは平静を装った。

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、何か魔法使ってみます?」話題を反らすように、なのはは零を促す。

 

 雪風が勝手にユニゾンしてしまったので、当初の『魔法を使った戦いを見る』というのを抜かして、早速練習に入ることにした。その方が手っ取り早い、となのはは判断したのだ。

 

 

「フムン」

 

 

 彼は頷くと、おもむろに左腰の刀に手を伸ばし、抜いた。

 

 片手ですんなりと引き抜くことができたことから、あの拳銃のグリップにも似た柄と鍔は鯉口を切らずともスムーズに抜けるような特殊な構造になっているのかもしれない。

 

 黒い鞘から鏡のような刀身が姿を現す。均整のとれた反りを持つそれは、今まさに研がれたかのように、太陽の光を浴びて光り輝いている。

 

 なのはも思わず、ほう、と息をもらすほど、美しい。

 

 緩やかな刃文が刃縁を彩り、切っ先の鋭さが鮮やかな切れ味を物語る。

 

 柄の部分が近代的でなければ、美術館か博物館に保存されているような代物だ。

 

 そういえば、雪風が自分に突き付けたナイフ。あの時は鑑賞する余裕などなかったが、あれもかなり美しい光沢を放っていた。

 

 

──なんで、雪風ちゃんのものは何から何まで綺麗なんだろう──

 

 なのははそっと思う。

 

 我ながら大人げないとは思うが、雪風の美しさが羨ましい。と

 

 顔もさることながら、手足、身体、声、髪、服、武器、その全てが最高レベルの美を保っている雪風。

 

──自分が勝っているのはスタイルぐらいのものではないか──そう思うほどに、雪風は美しい。

 

 少しだけ嫉妬した自分を、なのはは嫌悪した。

 

 

 

「!」

 

 なのはがそんな負の感情を忘れようと、自分の中に向いていた意識を外に向けたとき『それ』は起きた。

 

「ぐっ、がぁ!」

 

 零が突然、苦しみ出したのだ。

 

 刀を手放し、頭を抱えて悶え始める零。刀がカシャン、と音を立てて地面に落ちる。

 

「深井さん!?」

 

 慌てて彼に駆け寄る。

 

「どうしたんですか!? 深井さん! 深井さん!」

 

「ぐ…くぉおお!」

 

 なのはの問いにも答えず零は苦悶の表情を浮かべ、崩れるように膝まずく。

 

「ぐ…ぐぅう…!」

 

 絞り出すような低い唸り声。触れると、彼の身体が細かく震えているのがわかる。呼吸も荒い。かなりの苦痛のようだ。

 

 なのはは混乱した。一体、彼の身に何が起きているというのか。

 

 

 

 

 

 零を襲ったのは、想像を絶する頭痛だった。クレーターの底に叩きつけられた時の痛みを遥かに超える激痛。

 

 膨大な情報を脳に直接ぶちこまれているような感覚と、神経回路を直にいじくられているような激痛。

 

 やめろ、と絶叫したいが、声が出ない。苦しい。息ができない。

 

 何かに自分の身体を無理矢理いじくられているような感じだ。

 

 

──何に対して『やめろ』なのだ?

 

 激痛の続く頭でそう思った。

 

 

 ものの十秒もなかったかもしれない。

 

 不意に、痛みが止んだ。頭も胸も。

 

 

 痛みの余韻もない。先ほどまでの激痛が嘘のようだ。

 

 

 落ち着いて、自分の身体を見る。黒いパイロットスーツの上からは異常は見当たらない。

 

 意識を外へと向ける。視界は相変わらずクリアなまま。隣でなのはが心配そうに見つめている。

 

 

──なんだ、なんだったのだ。今のは──

 

 

 零の疑問に答えるように、再び雪風からのメッセージが表示された。

 

 

 

 

 

 

<EVERYTHING RDY-OK/ACTION Lt...>

 

──用意はできた。行動せよ、中尉──

 

 


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