――『十二月十五日』――
早朝。
真冬の薄暗い朝の森の中を、ディルムッドが歩を進めていた。
「ここか……」
その中の開けた場所で立ち止まる。そこには黒く変色した血の痕が残されていた。
ディルムッドの携帯に連絡が入ったのは二時間前。
クロノからリーゼロッテが『狂化状態の』ランスロットと遭遇し、交戦して負傷したという連絡が入ったのだ。
ある程度交戦した後に撤退し、すぐに治癒魔法を施したので大事には至らなかったそうだが、
腹部を刺し貫かれる重傷であったと聞かされている。
近接戦でリーゼロッテが敗れたという事実はアースラの面々には相当の驚きであったようで、
改めて元サーヴァント達の強さと、非殺傷設定を持たない者との戦いを改めて思い知らされる結果となった。
管理局で元サーヴァントとの戦闘経験があったのはディルムッドと戦ったクロノだけ。
それもあの戦いでのディルムッドは本気で殺すつもりのない、あくまでフェイト達の離脱時間を稼ぐ為の戦いだった。
理性を失って加減ができなかったとはいえ、元サーヴァントと本気の命のやり取りをしたのはリーゼロッテが初であろう。
「しかし……」
クロノからの連絡を受け、戦闘地点として送られてきた座標に付いたディルムッドは周囲の光景にある疑問を抱いていた。
―――――綺麗過ぎる
それがここに来たディルムッドが最初に抱いた感想だ。
狂化したランスロットと交戦したとはとても思えない。
自身が戦端を開いたアルトリアとの交戦の際、理性ある二人の純粋な剣撃の余波だけでも、相当の破壊を周囲に振り撒いたというのに。
仮に一方的な戦いであったとしても、もっと大きな破壊痕があってもいいはずだ。
だというのに、戦いの痕跡として残っているのはこの血痕だけ。本当に戦いがあったのかも疑わしい。
「いや……」
そこまで考え、ディルムッドは自らの考えを否定する。
リーゼロッテが負傷しているのは事実だ。
そして何よりも、この場に残されていた物がランスロットと戦った事の証明だろう。
―――――まるで墓標のように突き立てられている鉄パイプ
表面は血によって黒ずんだそれが、リーゼロッテに傷を負わせた物だ。打撃に使用されて傷を負わせたのならば理解できるが、彼女の傷は刺し傷。
ただの鉄パイプで―――それも障壁を突破した上で身体を貫通させるなど、普通はありえない。
しかし、ディルムッドは知っている……いや―――確信はなかったが、ランスロットの能力であればそれも可能であると気がついていたのだ。
ランスロットが掴んだ物が異常な程の耐久度を誇る事を。それが破魔の紅薔薇を受けるとその効力を失う事を。
あの時はイスカンダルの推測を信じきれていなかった所があった。しかし、彼の逸話を考えれば不思議なことではなかった。
「掴んだ物を宝具化する。それが奴の能力か……」
聖杯から与えられた時空を超えた知識によって、ランロットの逸話は記憶に在る。
彼の見せた力と逸話を照らし合わせ、ディルムッドはランスロットの能力を『正体の隠蔽』と『手にした物を宝具に変化させる』物だと推測した。
間違っているかも知れないが、正解を知っているのはランスロットだけである以上、正否を知ることはできないので、思考を切り上げる。
その瞬間、まるでタイミングを計っていたかのように携帯が鳴った。
「クロノか?」
『そうだが……さっきかけた電話番号は登録してないのか?』
「できる訳無いだろう。俺にできるのは、音が鳴ったら通話ボタンを押すことと、電話帳を開くことだけだ」
『老人かっ!』
「老けてはいないが、古い人間なものでな」
『…………そういえばそうだったな』
電話越しでクロノが頭を抱えている様子が浮かんだ。
こうしてディルムッドが彼の様子を想像できるのも、クロノがディルムッドを『英雄』だと意識しなくなったのも、あの半年前の出会いから積み上げてきた絆の賜物と言っていいだろう。
『それよりどうだった? 現場の様子は』
「綺麗過ぎる。争った形跡が見えない。彼女が不意を突かれて一瞬で倒れたというなら、この状況もおかしくは無いが……」
『ロッテは"ある程度"戦ったと言った。……本当はすぐに倒されたが見栄を張って抵抗したという可能性もあるが……』
「狂化状態のランスロットの不意打ちを受けて離脱できるとは思えん」
現場の様子を確認してほしいというのは、クロノが直接ディルムッドに依頼したことだった。
経験、実力、洞察力。戦いに関してであればアースラ内でディルムッドに勝るものはいない。流石に策を講じる事はできないが、クロノが彼に望んだのは、戦士として戦場となった場所を見た場合の判断だ。
それだけならディルムッド以外に適任はいないだろう。
「彼女を傷を負わせた得物は確認したし、血痕もある。ランスロットと遭遇したのは事実だろう。しかし……」
『現場の様子とロッテの証言に矛盾がある……と』
「あくまで俺が見た限り。というだけだ。師を疑われて不快かもしれんが……」
『気にしないでくれ。頼んだのは僕だからな』
ディルムッドがこのように現場に来ていることはリーゼロッテどころか、リンディも伝えられていないクロノ単独の判断である。
「何か気になることがあるのか?」
『……いや。今は何とも言えない。今は少し考えさせてもらってもいいだろうか』
「承知した。上官がそう言うならば俺は何も聞かぬさ」
リーゼロッテにクロノが何らかの疑いを持っているのは明らかだ。
こうして現場の様子を見て、ディルムッドも彼女の証言に疑いを持つようになっている。
しかし、現在は上官であるクロノが一応の主である。彼が考えたいというならば、己はそれに従うだけだと引き下がった。
『ところで、なのは達と合流しないのか?』
「つかの間の休息を邪魔するのは野暮というものだろう?」
二人に電話番号を聞きに行った時、二人に自分の番号を伝えなかったのはわざとである。
せっかくの休暇なのだから、こちらを気にせずゆっくりと休んでもらいたいというディルムッドなりの配慮だった。
警備の方もディルムッドが周辺の散策に当たっている。それに加えてアースラが常に周辺を警戒し、武装局員数名が捜索兼護衛を行っている。
少々プライバシー面に問題がある気もするが、安全は確保されていると言っていい。
そういう訳で動きがあるまではあれ以上の接触を行うつもりは無かったのだが―――
「なんだこの電子音は?」
通話を行っていた携帯から甲高い電子音が鳴り出したのだ。
『バッテリー切れだ! なのはかフェイトのとこへ行って充電しろ! 君のデバイスももうす―――』
クロノが何かを言い切る前に、携帯の電源が消えた。
こうなってしまってはただの箱である。充電方法はわからない上に、それに必要な道具がない。
合流する予定は無かったが、二人の元へと向かわざるを得ない状況になってしまったのであった。
―――――――――――――――
「そういう訳でな。すまないが携帯の充電をさせてもらいたい」
「気を使うところを間違えてると思うの!」
帰宅途中の二人と合流し、事の顛末を伝えるとなのはが吼えた。
フェイトには伝えてあるようなのでなのはもすでに知っていると思うが、現在、周囲に護衛を行っている武装隊がいる事と、同時に守護騎士と闇の書の主の探索を行っていることを伝える。
余計な不安を与えないように、リーゼロッテの負傷とクロノの疑惑は伏せておいたが。
「だが残念ながら、探索の成果は上がらないだろう」
「? どうして?」
確かに他の世界にも派遣しなければならないので、全員で一箇所の探索に当たることはできない。
とはいえ、世界中を探すならばともかく海鳴市だけに絞れば、数日もあれば目標がいるかいないかはわかるだろう。
「ハサンだ」
しかしそれは何の妨害も無い場合である。実際には複数のハサンの妨害によって探索が満足に行えないのだ。
勿論、武装隊の中には一部のハサンと渡り合える者もいるが、相手は暗殺者である。任務達成を最上とする彼らは奇襲、だまし討ち、複数体同時の攻撃といった手段を選ばない戦法を使ってくる。
幸い、必殺の宝具を有していないので障壁やバリアジャケット超えてダメージを与えるとこはできないが、常にそれらを展開している訳には行かないだろう。
その上、こちらから仕掛けたくとも『気配遮断』スキルによって隠れたハサンを捉えることは不可能である。
理由は不明だが、海鳴に現れる黒衣のハサンは
なので実際に捜索を行えるのは、全てのハサンが束になっても敵わないディルムッドだけ。という事になってしまっている。
返り討ちになるとわかっているのか、ハサンは一体もディルムッドの前に姿を現さない。
「そういう訳で周辺の探索は俺が行っている。奴らの気配は捉える事ができるのだが……転移魔法は厄介だな」
気配を察知して彼の強みである敏捷を駆使して駆けつけても、さすがに転移魔法を使用する守護騎士には間に合わないのだ。
「本当に私達こうしていていいのかな……」
「そうは言ってもフェイトは本調子ではないだろう? 子供は遊ぶ事も仕事だと言うぞ?」
「ディルムッド、おじさんみたいだよ」
「古い人間だからな」
似たようなやり取りを今朝方クロノとした事を思い出し、ふと笑みが漏れる。
少年の物とは思えない大人びた笑みは、彼を見ていた通行人の心をドキリとさせた。
「ところでディルムッド君って今はどこに住んでるの?」
なのはの家が見えてきた時、ふと気になった事をなのはが尋ねた。
あれからすずかの家には行っていないようだし、代理本部であったフェイトの住んでいる部屋にも訪れていない。
「まさか……」
ふと、フェイトはある事を思い出した。半年前、自分達と出会う前にどのように過ごしていたか尋ねた時のディルムッドの答えを。
「森の中だ。やはり自然の中は落ち着くな」
その時と全く同じ答えにフェイトが嘆息した。
実はフェイトは連絡の取れないディルムッドの事が気になり、昨夜クロノと連絡を取った。
そしてその際に、転送前にそれなりのお金を渡して、ホテルにでも泊まるようにと伝えたので大丈夫だと、言われてたのだが、結果はご覧の通りである。
「……なんで森の中なの?」
「ホテルは合わん」
なのはの疑問にそれだけを答える。ホテルに泊まりたいという気にならないのだ。
その原因はケイネス、ソラウと共に宿にしていた冬木ハイアットホテルが丸ごと爆破された事にある。常ならばともかく、明確な敵対意思を持つ守護騎士や元サーヴァント三騎がいる状態では憚られた。
そんな事を話していると、彼女の前に到着する。
「フェイト。家の鍵を借りておいていいか? 先に戻って充電というのをしておきたい」
歩きながらフェイトが今夜は高町家で夕食をとるという話を聞いていたので、先に戻る為に鍵を借りようと手を差し出す。
フェイトの家となっている元臨時本部には入ったこともあり、家で待っているアルフから操作の仕方を教わることもできるだろうと判断した。
「せっかくだからディルムッド君の一緒にご飯食べない?」
「いや……俺は」
自身の忌まわしい呪いを考え、それを断ろうとした。なのはの家族とはいえ一般人だ。
その影響を受けたせいで家族に亀裂が走ってしまったらディルムッドは生涯後悔する事になるだろう。
「大丈夫だよ」
ディルムッドの考えを察したなのはが自身満々にそう言って彼を手を取る。いったいその根拠はどこから来るのだろうか。
「だって私の家族だもん!」
どれ程の強敵よりもディルムッドが恐れる呪いを、なのはが大丈夫と断じた理由は、とても曖昧で……しかし強い。強固な家族の絆を信じる心だった。
そして、扉を開いてディルムッドを引き入れた。
「お帰りなさいなのは。あら?」
娘の帰宅に母、桃子が出迎えると、彼女にその手を引かれているディルムッドと眼が合った。
「お初にお目にかかる。俺の名はディルムッド・オディナ。フェイトの従兄妹で、先日この地に参った」
「なのはの母、高町桃子です。よろしくねディルムッド君」
挨拶したが、桃子の心が揺れた様子が全くない。
魔法によって抑えているとはいえ、呪いは常に存在している。魔力を持たない桃子に全く影響が出ない事は、嬉しい誤算とはいえ、ディルムッドとしては意外だった。
「君は……」
そんな事を思っていると桃子の後ろから青年が姿を現す。初めてなのはと出会った日に見た彼女の兄である。
「ディルムッド・オディナだ。以前は挨拶もせずに去って申し訳ない」
「高町恭也。なのはの兄だ」
挨拶を返されるが、士郎の目には警戒する色が見て取れた。
おそらくはディルムッドの筋肉の付き方や、纏う雰囲気でただの子供ではないと気が付いたのだろう。
「よろしく願う。恭也殿」
だがその様子にあえて気づかぬ振りをし、武人ではなく少年として応じる。
向こうは勝手に警戒しているようだが、こちらにその気はない。むしろなのはとフェイトの安全を守る為にいるのだから無駄な事である。
「ディルムッド君。少し話をしないか」
とはいえこちらがそう思っていても、相手もそう考えるとは限らない。
年不相応の強さと気配を持つ人物が大切な家族とその友人と行動している。恭也にとっては警戒する理由はそれで十分である。
「承知した。二人は待っていてくれ」
なのは達にそう告げると、ディルムッドは恭也の後を付いて行く。心配そうに見送る二人に念話で『妹が男を連れてきて心配しているだけだ』と告げると、その雰囲気が和らいだ。
勿論そんな易しいものではなく、完全に危険人物を見る目であったのだが、その本質を見抜く力がない二人を納得させるには十分な理由だった。
「君は何者だ。その強さ、とても子供の物とは思えない」
庭に着くと恭也が振り返り、問いかける。
「ただの一介の子供です。
だから自身を見ている二人に対してそう答えを返した。
そうすると茂みに隠れていたもう一人の人物……高町士郎が姿を現した。
「……よく気が付いたね」
「偶然ですよ。三度目になりますが、ディルムッド・オディナと申します」
気配を消していた士郎の存在にあっさりと気が付いたディルムッドを二人はただの子供とは考えていない。
これほどの強者が『普通の子供』である自分達の家族に接触してくる理由を問わなければならないと思っていた。
「ずいぶん余裕だな」
常人なら浴びるだけで震え上がらせる恭也と士郎の殺気を浴びながら、平然としているディルムッドに、庭に置いてあった木刀の切っ先を向ける。
子供相手と二人は思っていない。目の前にいるのは異質な存在であると、最大限の警戒心を持っている。
「余裕も何も……脅威でもない者を恐れる必要があるか?」
先ほどまでの表面上の敬意を捨て、恭也の言葉にそう返した。
下手な問答を繰り返していても拉致が明かない。穏便に済ませたかったが、いくら言葉を並び立ててもこの状況は変わらないだろう。
「訳は話せんが……二人の日常に影響を及ぼさん程度に護衛もしている。実力が見たいのならば……全力で来い」
全て応えるのが一番の解決策に繋がると思うが、魔法の事や自身の存在などは話せない。
それに相手を丸め込むような話術も使える訳でもなく、状況を覆す知恵をひねり出す頭脳がある訳でもない。
力を示す。武人であるディルムッドにとって一番得意な方法はそれに限る。ディルムッドがそう嗾けると、恭也が一気に間合いを詰め、目にも止まらぬ速さで木刀を振るった。
勿論、恭也に本気で当てるつもりはない。いくら力があるとしても相手は子供であるのだから傷付けるつもりなど毛頭ない。
だから直前で止めるつもりではあるが本気の斬撃を放つ。確かにディルムッドは子供になった事で筋力が失われ、リーチも劣った。強みである俊敏性もこの至近距離で打ち込まれては生かせないし、宝具も展開していない。
「なっ?!」
「何を驚いている? 殺す気で来ていないそんな斬撃が通る訳無いだろう」
だがそれだけだ。ただ強いだけの人間に負ける理由にはならない。ディルムッドはその場から動かず、左指ので木刀を掴み、受け止めた。
二人が強いのは知っているが、最初から命を奪う気もない上に、得物が殺傷能力の低い木刀では警戒する必要は全くない。『脅威ではない』と言ったのはそういうことだ。
そのまま即座に反撃するのではなく、驚く恭也の思考が反射的に防御を行えるコンマ0.1秒待ってから、わき腹に向けて抉る様な蹴りを放つ。
「っぐ?!」
おかげでわき腹を守ることができたが、ガードの上からでも十分な衝撃を与えた。
「……五時間後に家の前にいるとフェイトに伝えてほしい。そちらはあまり談笑する気分ではないだろう」
吹き飛んだ恭也が体制を立て直すのを確認した後、ディルムッドは二人に背を向ける。
二人が人としてはかなりの強さを持っていたのを見抜いていた。流石にそれを制限がかかったままでは受け止められないと思っていたので、封印を解除して全力で迎え撃ったのだ。
封印が解かれた愛の黒子では流石に高町家に影響を与えないとは言い切れない。
なので夜の帳が下りた暗闇に紛れ、ディルムッドは二人の前から姿を消したのだった。
この後、ディルムッドに何をしたのかなのはに言及され、二人が怒られたのは当然の結果だろう。
そしてディルムッドの方は、フェイトの部屋にアルフがいる事を思い出し、彼女に扉を開けてもらって中で携帯を充電し、フェイトが戻る頃には再び姿を消したのであった。
恭也こんなんじゃないって思われたら申し訳ない。
SS書き始めたら自分が既存キャラのセリフを書くのが苦手と知りました。
このSSは時系列表を見ながら書いてます。
作中の日付を見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、それが書いてるサイトでは13日から22日まで空白なのです。
つまり今書いているのは本編で空白の期間……つまり元のベースとなる話がないです。今までオリジナル回とかやってねーなと思ってここにそういうのを作ろうとした結果がこれです。
そのせいで書く速度が格段に落ちてますが、「こっちのSS」は完結まで頑張るんでどうか生暖かい目で見ていてください。
ちなみにこの後二人から見えないところで「素手は無茶だったか……」と痺れた手を振ってるディルムッドがいたとかなんとか。