オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第62話:ここは異世界なのですよ

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九層 モモンガの執務室 /*/

 

 

モモンガ、デミウルゴス、アルべドにジョンとルプスレギナが応接セットについていた。

豪華絢爛な執務室。モモンガ番のメイドが淹れた紅茶の香りが漂う。5名による聖王国侵攻の報告会である。

 

「うっかり、ネー(ネイア)ちゃん死なせちゃいました(*⌒∇⌒*)テヘ♪」

「なん……だと……?」

 

初っ端からルプスレギナが爆弾を投下する。

ジョンから「(死なないように)注意して見ててね」と直々に言われたにも拘らずの失敗。

 

デミウルゴスとアルベドが思わずガタッとソファから立ち上がる。

 

「「ルプスレギナ!!」」

 

一方ジョンは、以前であれば、ちゃんと(死ぬまで)見てました!と報告してくるであろうルプスレギナが、こちらの意図を読み、任務失敗を悟って失敗のフォローを自ら行った事に驚き、感動に打ち震えていた。

 

「偉いぞ、ルプー!」傍らに座るルプスレギナを抱き寄せると、わっしわっしと頭を撫でる。「ちゃんと失敗をフォローして、報告できるなんて、立派に成長したなぁッ!」

「本当ですか! ジョン様! ありがとうございます!」

 

髪が乱れ、帽子が落ちるのも構わず、気持ちよさそうに撫でられる〈駄犬(ルプスレギナ)〉。モモンガは黙ってスタッフを握りしめると〈火球(ファイヤーボール)〉をぶち込みたい衝動に耐える。( ´ー`)フゥー...あ、沈静化した。

 

「……褒めて伸ばすにも程度ってもんがあるぞ」

 

落ちた帽子を拾うルプスレギナを見ながら、モモンガは大きく溜息をつき(それで、デミウルゴス。計画の修正は可能か?)と聞こうとした。しかし、それよりも早く。

 

「……なるほど、そういう事ですか」

 

眼鏡をくいっと上げるいつものデミウルゴスがいた。

 

(もうヤダ)

 

今度はどんな存在しない策を読み取ったのだろう。ここにはちびっこ’sがいないので「説明する事を許す」が使えない。なので、モモンガは無視して話を進める事にした。

 

「……それで、ルプスレギナ。追加で人員を派遣してほしいとの事だったな」

「はい。ジョン様を慕うあの人間。死なせるのは惜しく思います。できれば、昨日のMVPだったシズを褒賞も兼ねて派遣していただきたく」

 

自分のうっかりミスで死なせながら、死なせるのは惜しいとか心臓に毛が生えてるんじゃないかとモモンガは思う。

それでも昨日のMVP――ナザリック内で行われたモモンガの戦闘演習で、モモンガに最後まで見つからず狙撃で詠唱妨害を続けていたシズの指名。ナザリックから出る機会の無い妹に活躍の場を与えたいと言う姉妹愛。褒賞も兼ねてと言われれば、モモンガとしても否は無い。

 

「モモンガ様。シズ・デルタはナザリックのギミック解除法を全て知る存在。それを外部に出すのは……」

「その心配なら不要だ。アルベド。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉でシズの記憶を操作し、ギミックを知る情報そのものをトラップに変えてから、外出させる」

「流石はモモンガ様」

 

 

「それで白金鎧――リク・アガネイアについてだが……」

 

 

モモンガが促すとデミウルゴスが答える。

「ハンゾウたちによる追跡チームからの報告では、アベリオン丘陵を目指し移動中とのこと。恐らくはカルバイン様の飛ばされた神殿を捜索しているかと」

「あとは俺を見つけて、どうするつもりなのか……だな」

紅茶を一口啜り、ジョンはモモンガへ視線を向ける。

 

「……抹殺か。救出か。それとも監視だけなのか」

 

腕組みし、考え込むモモンガ。恐らくはこちらから接触しても会話にならないだろう。話す気の無い相手から情報を引き出すのは手間がかかる。

 

「あの鎧、遠隔操作だからねぇ。小都市での戦いに乱入してきたら、憤怒の魔将に〈魂と引き換えの奇跡〉でマーカー埋め込んでもらおうと思ってたんだけど……」

 

ジョンの言うように小都市での戦闘に乱入してくれば、マーカーを打ち込みニグレドの探知で拠点などを探る事も出来ただろう。実際は監視止まりだった為、こちらも監視に留めている。それでも相手に恐らく気づかれずに監視できているのはアドバンテージだろう。

モモンガは王国での戦闘を思い起こしながら言葉を紡ぐ。

 

「王国で多少会話になったが、王国侵攻での虐殺はやり過ぎだと語っていた。もっとやり方があるだろう、とも。そこから考えるに今回のジョンさんの戦い方――都市を庇うなどの行動――に思うところがあって、真意を質す為に接触しようとしている……とかがありそうだな」

 

何か自分に課した使命。正義感で動いているような印象であったし、こちらの生命を奪う事に罪悪感も感じているようであった。

 

「正義感が強くて、自分が強いと思ってる奴……まぁまぁつけ入る隙はあるわな」

 

ユグドラシル時代のPvPを思い出しながら、その正義感に異形種は含まれなかったなとか、正義感が強すぎて被害者側にも説教に来る奴にげんなりしたなとか、色々思い出すジョンだった。

うんうんと頷くジョンへ、デミウルゴスが申し訳なさそうに言う。

 

「そうしましたら、リク・アガネイアが神殿近くまで接近した段階で、カルバイン様にはご足労をおかけいたしますが……」

 

「ああ、そうしてくれ。――あれ、そうすると俺、ナザリックから出れない……?」

本来はアベリオン丘陵の悪魔神殿に封印されている筈なのだから、外出できるわけもない。

 

「大人しくしてて下さいね」

モモンガの非情な一言にジョンはがっくりと項垂れる。

「村でキノコのオイル煮でも作ろうと思ってたのに!?ルプーもいないのに!?」

 

ルプスレギナはウルフ竜騎兵団の志願兵を指揮し、アベリオン丘陵の悪魔神殿へ向かう役があるので、この後は聖王国へ戻るのだ。

 

「ダメです。第九層で映画でも見ててください」

 

続くモモンガのエーリッヒ擦弦楽団と演奏でもしてれば良いじゃないですか、との言葉には「音楽性が違う」と答えるジョンであった。

 

 

/*/ ローブル聖王国 小都市

 

 

小都市は悲嘆に包まれていた。

隕石を皆で支え、砕いた直後の〈希望(ジョン)〉が封印されるという絶望に打ちひしがれる人々は自身が〈希望(ジョン)〉を曇らせたと自責の念にかられ、めそめそと泣いていたのだ。

 

その人々の間を、見る者を釘付けにする美貌の持ち主が歩いていた。褐色の肌をもち、赤い長髪を三つ編みにし、メイド服とシスター服を足して2で割ったような服を着ている――言わずと知れたルプスレギナの姿である。

 

神話の再現と思い込む程に希望が高まったところでの〈希望(ジョン)〉の封印である。それも自分たちが原因。それはもう希望を持たせた上で叩き落とし、絶望する所を見たいというルプスレギナの趣味にドストライクであった。その姿を見る為ならば、人々を慰撫して歩くなど苦にもならない。

 

(あははは!最高!大好き!)

 

高らかに笑い出したい気持ちを胸にしまい。子供の涙を拭い、優しい言葉をかけ、傷ついた民兵を慰め、時に治癒魔法を掛けてやり、老人や女性を励ます。その姿はまさに聖女だった。如何に内心で、積み上がった組木が完成直前で崩された人々の悲嘆にくれる表情を、最前線かぶりつきで楽しんでいたとしても。

 

 

ルプスレギナの供回りをするネイアは、自身もジョンを失って悲しいのに民を鼓舞して歩くルプスレギナの姿に感動し、魔導国の素晴らしさを再認識する。

 

 

そこにはウルフ竜騎兵団の事務所テントにネイアが到着するのに合わせて、泣いている演技をしてみせたルプスレギナの策謀もある。彼女は自分の演技に騙され、しんみりしているネイアを楽しんでいたのだが、ネイアはそんな事は露も知らない。

 

分かっているのは、会議は政治と権力のドロドロとした臭いが漂うものになってしまった事だけだ。

 

やがて、ルプスレギナの巡回も一段落して事務所テントへ戻るとウルフ竜騎兵団各隊の隊長が集まっていた。長を代表して、黒い毛並みのワーウルフが前に出る。

「奥様。各隊から志願者を募り、救出隊結成しました」

「ご苦労様。救出隊の指揮は私が取ります。残存部隊の指揮はルー・ガルー、貴方が取りなさい」

「はッ」

 

ルプスレギナの言葉にネイアは衝撃を受ける。人跡未到のアベリオン丘陵だ。そこに奥方まで向かわせて良いのだろうか。

 

「奥様、それは!」

 

咄嗟にネイアは制止の声を上げていた。その声にルプスレギナは優しく微笑んで答えるのだ。

「私とジョン様の間には魔法的な繋がりがあるのよ。それを辿ればヤルダバオトの言う神殿に辿り着ける筈……ジョン様を探す一番の手掛かりは私なのよ」

「……奥様」

「それと泣き虫なネーちゃんの為に特別ゲストを用意しました!」

一転して、いつもの太陽のような笑顔になるとルプスレギナは、じゃじゃーんとテントの方へ手を伸ばす。それに合わせて小柄な人影が天幕から出てくる。

 

「………ぶい」

 

見た事のない赤 金(ストロベリー・ブロンド)の髪の少女だった。ネイアよりも小柄で華奢だ。面立ちから推測するにネイアより年下だろうか。

濃緑や黄土色が複雑に重なり合った独特な柄の襟巻をしており、変わったメイド服を着ている。

その容姿は非常に整っており、片方の目を隠していても何一つとして美貌は揺るがない。その少女は無表情だったが得意げにVサインをしている。

 

「妹のシズちゃんです! 私の代わりに置いて行くから、ネーちゃんは仲良くしてるっすよ?」

 

「え?あ、はい……え?」

それじゃ行ってくるっす~ネイアが目を白黒させている内にルプスレギナは救出隊のメンバーを引き連れ、さっさと出発してしまう。救出隊のメンバーが手を振りながら、旅立っていく。

誰もいなくなったがらんとした空間を眺めるネイア。

 

 

「――ふぅ」

 

 

真横から突然、耳に息を吹きかけられ――

「ひぅ!!」

肩がビクンと跳ね上がり、耳を押さえながら距離を取ろうと動いた。

 

「………良い感じに驚いた」

 

涙目で見れば、シズと呼ばれたルプスレギナの妹の姿があった。慌てたネイアを無表情に眺めている。

「びっくりしますよ!何するんですか!」

「………距離を縮めるには適度な悪戯が良い、と姉が言っていた」

「奥様!……もう」

 

「………それじゃ、こっち」

 

シズはスタスタと歩き出す。天幕の前布を捲ると事務所テントの中へ入っていく。ついていくとそのまま応接室に通される。

「………座って」向かい側の席を指で指され、ネイアはそちらに座る。「………飲み物」

すっと茶色の液体が入った瓶を出された。ジョンやルプスレギナと同じ様な取り出し方だ。

 

驚いている間に蓋を外され、そこにストローを差し込まれる。柔らかいような硬いような、奇妙な材質で出来ていた。

ドロドロした液体だが、こうして差し出してくるのだから毒ではないのだろう。多分。

 

ジョンが毒物を美味しそうに食べていたのを思い出して不安になるが、ルプスレギナの妹と思うと断る事も出来ず、覚悟を決めて口を付ける。

口に含み、舌に転がす。

それは想像を絶するような苦みもなければ、突き刺さるような刺激もなく――

 

(甘い!?なにこれ!)

 

ネイアは一口、もう一口と口に含む。甘味など滅多に口に出来ないネイアにシズのドリンクは刺激的すぎた。吸い上げるのに一寸力がいるほどの粘液質なのだが、非常に冷たくて美味しい。

 

「……チョコ味。ちょっとカロリーが高い……二千くらい。けど気にしない。美味しい物を食べて太るのは女の本望って偉大な御方のお一人が言っていた」

 

少し口調が変わったので様子を窺うが、表情は何も動いていない。

偉大な御方という言葉にジョンを思い出すが、別人の事を言っている感じだ。

 

「………もう1本飲む?」

 

「頂いてもよろしいでしょうか?」

一気に飲み干してしまい、少し残念そうにしていたのがシズにも分かったのだろう。もう1本差し出してくれた。

恥ずかしさと嬉しさで思わず敬語になってしまう。果物やハチミツとは違った甘味を、今度は味わって飲む。

 

「………話は聞いてるの?」

「話ですか?……いえ、何も聞いていません」

 

何の話だろう。ネイアは訝し気に首を傾げる。

 

「………ネイアは静かに行動できる?」

「ある程度は訓練したので、前よりは上手く出来るようになったと思います。ですが、絶対の自信があるかと言われると難しいです」

「………〈透明化(インヴィジビリティ)〉などの魔法や魔法の道具は持っていない?」

 

ネイアは頭を振った。

 

「………なるほど。ここでこれの出番」

シズはてってらーと指輪を取り出すとネイアに押し付けてきた。

「………〈透明化の指輪(リング・オブ・インヴィジビリティ)〉」

 

「あの……これは……」

困惑したネイアはシズに尋ねる。

「………カルバイン様から預かってきた。こういう時に渡すようにと言い遣っている」

カルバインという言葉にピクリと来る。これは最優先で言っておくべき重要な事だ。

 

「大使閣下もしくは団長様」

 

シズの無表情に言葉が足りなかったと思い至り、補足して言う。

「大使閣下、です。カルバイン様と言う呼び方は少し馴れ馴れしいんじゃないですか?」

今度はシズの表情がピクリと動いた。いや、一見すると無表情ではある。しかしながらネイアはその表情は動いたと確信を持てた。

 

「馴れ馴れしくなんかない」

「いや、馴れ馴れしいわ。普通は名前ではなく、讃えるべき地位で呼ぶものでしょ……何?その顔?」

 

無表情の顔にうっすらと勝ち誇る色を浮かべてシズは言う。

 

「私はジョン・カルバイン様――カルバイン様とお呼びするように、と言われている」

「え?」

「だから、私はカルバイン様と呼べる。わ、た、し、は呼べる」

 

貴方には無理と言外に言われ、ネイアはぐらりと揺れる。

 

「貴方はまだ呼べない。でも、カルバイン様の為に働けば、いずれは貴方もカルバイン様と呼べるようになる。精進すべき」

「――シズ様」

「………ネイア。後続の者を導くのは先達としての役目」

 

奥方――ルプスレギナの妹と言うだけあって、幼げなところもあるが仲良くやっていけそうな気がする。少なくともジョンを慕い敬う気持ちは同じだと分かった。

 

「ありがとうございます。シズ先輩」

 

「………む、先輩――うん、先輩と呼ぶ事を許す。カルバイン様が偉大な御方だと知る者には慈悲を与えるべき」

「はい!シズ先輩。大使閣下が偉大な御方だと言う事は十分に知っています!」

 

ネイアが答えると、二人はしばらく見つめ合う。

 

最初に動いたのはシズだった。すっと右手を出してきた。ネイアは迷いもなく、その手を取る。

まるで何か歯車がかみ合ったように、同じ神を崇拝する者同士として分かり合えた確信があった。

 

「………それにしても話が合う。ネイアは人間としては見所がある」

「大使閣下が素晴らしい御方であるのは疑いようもありません。……ところでシズ先輩もワーウルフなんでしょうか?」

 

「………私はワーウルフじゃない」

 

ネイアはそうなんですね。と頷いて、それじゃルプスレギナとは義理の姉妹なのかな?と考えつつ、ふむふむという態度で頷いているシズを見ていた。

 

「………本当はネイアがどうなろうと知った事ではないと思っていたけど、無事にこの国へ戻す。約束する」

「ありがとう」

 

素直に感謝する。シズの実力は分からないけれど、そう言ってくれる気持ちが嬉しかったのだ。

 

「………よし」先程からずっと平坦な口調で喋っていたシズが少し声の調子を変える。力を入れた感じだ。

「………可愛くはないけど、特別にあげる」

 

何かを取り出しつつ、ネイアの隣まで来る。そして、ネイアの額にペタリと何かを貼り付けた。

「え!?何これ!何なのこれ!」

得体のしれない行動に慌てて剥がそうとするが、貼り付いた何かは剥がれない。ぴったりくっついて剥がれない。非常に怖い。そして、恐怖耐性の装備も無いのだ。

 

「何なの!え!ちょっと!怖い!」

「………大丈夫。痛いものや怖いものではない。これ」

 

シズが見せてくれた物には数字の1に何か奇怪な文様が1つ描かれている。恐ろしく光沢のある紙で、額のそれもツルツルしている。符術と言うものを聞いた事があるが、ひょっとしてそういった魔術触媒だろうか。いずれにしても何でもない物をこんな風に渡してくる筈がないので、マジックアイテムだろう。だからこそネイアはぞっとする。これ一生剥がれないんじゃないだろうか。

 

「なんで額に張るのぉ!!もっと別のところでもいいじゃないぃ!!」

「………む、妹っぽい」

「え?」他にも姉妹がいるのか。いや、それ以上に今は重要な事がある。「そんな事より剥がしてよ。せめて服とか別のところに貼り付けて!」

 

「………仕方ない」

 

シズが何か小瓶を取り出し、それを額に垂らしてくれた。すると先程までの密着ぶりが嘘のようにペロリと剥がれる。取って確認すれば、確かに先程シズが見せてくれたのと同じ物だ。

 

「………シール。目立つところに貼る事」

 

貼る事は確定らしい。シズの気持ちを無下には出来ないが、目立つところ……額は、ヤダなぁ。

 

「はい……頑張ります」

「………ん、がんばれ。後輩」

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層

 

 

久しぶりに戻った第九層の自室。その主寝室のベッドの上でジョンは暇を持て余してゴロゴロしていた。

(うーん、久しぶりだけど広過ぎて持て余す)

カルバイン番のメイドも部屋の外に出して、一人の時間を過ごそうとしていたが3分で飽きた。もう夜時間だが暇すぎて眼が冴えて眠れそうにない。

 

《モモンガさーーん。ひまー。眠れないっすよー》

 

暇に耐え切れず〈伝言(メッセージ)〉をモモンガに飛ばす。

 

《本でも読んでりゃいいでしょう》

《昼間読んでましたー》

《じゃあ寝ろ》

 

寝ろと冷たいモモンガに枕が無くて眠れないと訴える。

 

《枕なんてその辺にあるでしょう》

《分かってないなぁ。〈抱き枕(ルプスレギナ)〉がいないって言ってるんだよぉ》

 

接続が切れてる感じがして、もう一度〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 

《腕枕してお腹に手をまわして、お互いの体温を感じながら……って、聞いてます?》

《俺はまだ仕事してるんで》

《ブラック過ぎんだろ。……よし、食堂に集合な。酒飲もう!》

 

素の耐久力が高くてアルコール程度では酔わないのだが、味を楽しむ事は出来る。

 

《仕方ないですね。まあ、偶には良いでしょう》

《リアルでは望んでも喰えない美味いもの用意して待ってるぜ!》

《ほう。なんでしょう?楽しみにしてますよ》

 

伝言(メッセージ)〉が切れると良しっと立ち上がって、寝室の扉を開ける。

声の届くところに立っていたカルバイン番のメイド――シクススに一声掛けて食堂へ向かう。

 

 

豪華絢爛な第九層をシクススを引き連れて食堂へ歩く。

 

 

人間の時の感性のままであったら、ルプスレギナの留守中に一般メイドなどに手を出していたかもなーと容姿端麗で巨乳なシクススを見ながら思う。猿も狼も群れを作るが、狼の場合はボスと交配するのは序列1位の雌であり、それがいなくなった時に他の雌に手を出すらしい。その為だろうか。ルプスレギナと結ばれてから他の女性に欲情しなくなった気がする。

 

精神が身体に引っ張られるって本当だなーと何度目かの確認をしていると、メイドたちの食堂に到着する。

 

会社や学校の食堂をイメージして作られており、レストランという感じではない。

完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を使って潜入したりしていたが、こっそりにしては食べ過ぎだとアルベドに怒られてからは、きちんと姿を見せて利用している。

 

夕食にはもう時間が遅いが、シフト制で働いているので一般メイドたちの姿もあり、にぎやかだ。

 

それでも、ジョンが食堂に入った瞬間、先程まであった和やかな雰囲気が一片した。楽し気な声が消え、食事をする時の生活感のある音が消え、足音すらも消えて、食堂とは思えないほど空気が張り詰める。

 

「――大丈夫だ。そのまま食事もおしゃべりも再開してくれ」

 

広い食堂に音が戻ってくる。それでも、食事の音は戻ってきたが、おしゃべりの声はだいぶ少ない。何度も出入りし、一緒に食事をして、一般メイドたちとの距離も近くなってきたとは思っているが、やはりまだまだ空気になるのは無理なようだ。

 

席を決める前に厨房へ向かう。

 

その前に厨房から出てくる者がいる。

巨大な肉切り包丁を腰に下げ、巨大な中華鍋を背負っており、締まりのない上半身は裸だ。そこは大きく「新鮮な肉!!」と入れ墨が彫り込まれている。金で出来たチェーンが首にかかっており、手には以前ジョンが贈った包丁が握られていた。

顔立ちはオークに似ているが、より野獣的な近親種のオークスだ。

 

頭には純白のシェフ帽。腰には純白のエプロン。

 

彼こそが食堂の領域守護者にして料理長――シホウツ・トキツだ。

 

シホウツ・トキツは機敏な動きでジョンの下まで駆け寄ると片膝をついた。

「カルバイン様!ようこそこちらにおいで下さいました!」

「うん。シホ立って良いぞ。……今日はモモンガさんと食堂で少し飲もうと思ってな」

「はッ!お任せ下さい!」

シホウツが獣面にニッと男くさい笑みを浮かべる。その笑みはモモンガであれば種族差で良く分からなかっただろうが、ワーウルフであるジョンには良く分かった。笑みは良く分かったが、それ以外も分かってるぞとジョンは身構える。

 

「この私が――至高の御方々に相応しい御料理をご用意いたします!」

 

バッと勢いを付けてシホウツ・トキツは立ち上がると、厨房に向けて声を張り上げた。

「これより我等は死地に入る!至高の御方々に相応しい料理!一週間かけても終わる事のない食の宴を始めるぞ!」

おお!とこちらの様子を窺っているメイドたちから感嘆の声が上がる。

 

「おい、待て」

「ははぁ!」

 

シホウツ・トキツが再びジョンへ振り返ると片膝をついた。

俺はやるぜ!俺はやるぜ!という気迫が炎となって立ち上がっている幻影が見えるようだ。

 

「少し……そうだな。1~2時間くらい飲むだけだ。お前に頼みたい料理も決まっている」

「ははぁ!畏まりました。して、何の料理でしょうか?」

 

その言葉にジョンは狼顔にニッと笑みを浮かべる。

 

「リアルでは食べる事すら許されなかったメニュー。鳥刺しを日本酒で貰いたい……出来るか?」

「鳥刺しでございますか……勿論、お出しできますが……」

 

リアルでは適した食材が用意できない事も勿論だが、カンピロバクター食中毒の危険が高く鶏肉を生食するのは危険とされていた。

 

カンピロバクター食中毒は感染してから数週間後に、後遺症としてギラン・バレー症候群を発症する事があり、これが危険度が高かった。ギラン・バレー症候群は、軽度の手足の痺れからはじまり、徐々に上方に麻痺が見られ歩行困難となる。その他、顔面神経麻痺、複視、えん下障害や、重度なものでは呼吸困難がみられ、安全性の観点から独自の取り扱い基準のある一部の地域を除いて食べられなかったのだ。

 

しかし、ここは異世界!

 

そして高レベルの身体があれば、たとえカンピロバクターなどの菌があっても加熱処理で死滅する程度のレベル。

レベル差で負ける筈もない――つまり食しても安全!安心! 一般メイドとはレベルが違うのだよ。

 

ジョンの説明を聞き、シホウツ・トキツの炎が再び燃え上がる。

 

「では、先日カルバイン様が仕留められましたラッパスレア山の三大支配者の1つ、ポイニクス・ロードは如何でしょうか?」

「うん。よろしく頼むよ」

「ははぁ!では、さっそく!」

 

背中を見せて去っていくシホウツ・トキツを見送り、ジョンは食堂にいる全員に声が届くように少しだけ大きな声を出した。

 

「皆、騒がしくして済まなかったな。さっきも言ったが、1~2時間くらい普段のお前たちを眺めながらモモンガさんと飲みたいと思う。普段通りにおしゃべりをしながら食事をしてくれると嬉しい」

 

自分とモモンガの会話を一般メイドたちは聞きたいだろうと、あえて食堂中央付近に席を決め、ジョンはシクススが持ってきてくれた珈琲を飲みながら、モモンガの到着を待つのだった。

 

 


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