オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/少年ジエット
ジエットは考える。
わざわざあのタイミングでヘジンマールが声を掛けてきたのは偶然ではないだろう。
偶然ではないなら……わざわざ自分を助けてくれたのだ。
そこに何のメリットがあるのかは分からない。
けれど、そのおかげでネメルと自分にちょっかいを出すものはいなくなった。
平民であり、貴族社会について詳しくないジエットには絶対そうだとは言い切れない。しかし、それでも結果を見れば、これ以上もなく自分は助けられたのだ。
「あの……ヘジンマール様。先日は、ありがとうございました」
「ん?……ああ、気にしないでくれ。当然の事をしたまでだよ」
その答えにジエットは自分の考えが的外れではなかったと確信する。
読んでいた本から顔を上げて、こちらを見たヘジンマールはジエットが恩を感じているか確かめるようだったのだ。
ヘジンマールは本当に何のことか分からなくて適当に返事をしただけなのだが……。
ジエットを自分の庇護下に入れて守るのは簡単だ。だが、そうせずにヘジンマールはランゴバルトを一度、貶めてから自分のチームに入れる事でジエットとネメルから引き離し、更にジエットとネメルの関係にくちばしを突っ込む者がどうなるかを知らしめ、貶めたランゴバルトにも救いの手を差し伸べている。
けれど、魔導国からの留学生であり、伝説の魔法使いフールーダの弟子であり、皇帝直々に出迎えられるような立場である己の地位――強さを存分に活かしたやり方だ。仮にヘジンマールから卒業後の進路を紹介されようでもしたら、それが国外に出ていくものであっても断れないだろう。
……困ったな。
ジエットは受けた恩の大きさに困惑していた。
/*/オスクの闘技練習場
「なんでお前はそんな強いんだ?」
「強い?」
きょとんとした表情をクレマンティーヌは返した。
「強いわっけないじゃーん」
からからと笑う姿がブレインにはどうしようもなく眩しく見えた。
自分と同じように圧倒的な力に叩き潰されて、鍛えられ、以前よりも確かに遥かに強くなっているのに、差が縮まらない人間としてのちっぽけな器に何故、彼女は絶望しないのか。どうして笑って戦えるのか。
「……私は希望なんて持ってない。絶望したまま、他人を絶望させて…自分よりも下がいたと安心しているだけ。地獄で生まれ育ったから、今が幸せなだけ……それだけよ」
奈落の底のような濁った瞳でクレマンティーヌは言った。
(そうか……俺は幸せだったのか)
ガゼフに負けて、力を求めて、全てを捨てたと思ったが、俺にとってはそれは希望で幸せだったのか。
強さへの渇望に不要だと何もかも捨てたと思っていたが、実は俺は満たされていたのか。
だから、それが打ち砕かれて、奪われて、俺は折れてしまったのか。
それでも暗闇の中、絶望の中、自分はもがいている。
何故?どうして?もがくのか。自分では届かない高みがあると知ってしまったのに?
「ちょっとー武王、あんた何か言ってやってよー。同じ戦闘馬鹿でしょー?」
考え込むブレインの視界の隅で、クレマンティーヌが棍棒を素振りしていた武王を両手で引っ張っていた。
「俺がか……俺を一撃で倒す強者に何を言ったら良いのか……」
「大丈夫~大丈夫~こいつヘタレだからー」
人間には分かり難い困った表情を浮かべた武王だったが、何度か咳払いをして、言葉を探す。
助言など言う柄ではないが、強者に対する敬意、尊敬はあるのだ。
自分を上回る強者に助言が必要で、自分にそれが出来るなら、何か力になってやりたいと思う程度に武王は善良だった。
「……ブレイン殿。貴方に一撃で屠られる俺がこんな事を言うのは烏滸がましいが、聞いてくれ。貴方は……下を向いてしまっているだけなのだ。顔をあげ、空を見よ。天に星は輝き、挑むべき山が聳え立っている。それは俺たちの一生をかけても、乗り越えられるものではないが、それでも挑む喜びがあるではないか」
自分と同じように圧倒的な力に潰され、自分たちにも武王としての誇りを潰された武王。
だが、それでも毎日の鍛錬は欠かさず、その表情には喜びが、立ち向かう喜びが溢れている。
「……挑む喜び、か」
その言葉が胸にすとんとおさまった。
そうだった。
強くなる事が喜びだった。
昨日より今日。今日より明日。
少しずつ強くなる自分に喜びを感じていた。
高すぎる壁と己とを比べて嘆く事など、そこにはなかった。
ただ、少しでも良い。強くなりなりたいとの思いだけがそこにあった筈だった。
「ああ、今日は…陽の光が……こんなにも眩しかったのか」
冬の低い太陽の光が、ブレインには何よりも眩しく見えた。
/*/溶岩地帯
眩しいまでの光によって煌々と照らし出される灼熱の海。大きく息をすれば熱せられた空気が肺にダメージを与える超危険地帯。
この灼熱の海にジョンが来ているのは、釣りの為だった。
地下を流れる溶岩の海を支配するラーアングラー・ラヴァロード。
それはおおよそ体長50mを超える魚のような巨大なモンスター。もっとも似ているものと言えば提灯アンコウだろうか。ただし、その頭についている疑似餌は手の代わりをするもので、離れた敵を捕まえ、己の大きな顎に放り込む為にある。
外皮も頑丈で分厚い。オリハルコンを遥かに凌ぐ硬度を持つ鱗が魚のように生えている。
冒険者で使う難度で言えば140相当。戦闘になれば溶岩のフィールド効果もあって、先ず生きて帰れない。
幸運なのは地上での活動が苦手で溶岩から離れれば襲われたりしないと言う事だ。
ラーアングラー・ラヴァロードにとって不幸だったのは、
これには同行していたバジウッドもドワーフの総司令官も、ぽかーんと口を開けるしかない。
身長2mほどの人狼が体長50mを超えるモンスターを1本釣りなど、物語の中の話でしかない。
釣り上げたモンスターをジョンは〈転移門〉で手早くナザリックへ送ってしまう。
生かしたまま送ったのは、回復魔法を併用してなるべく多くの素材を剥ぎ取りたいのと、デミウルゴスの守護階層で番犬代わりに使えないか試してみる為だ。餌が大量に必要なら素材にしてしまう予定だが、餌の少ない場所で巨体を維持し続けられるなら、溶岩の熱量だけである程度は生存できるのではないかと考えたのだ。
「流石は魔導王陛下の盟友殿じゃ……ラーアングラー・ラヴァロードを1本釣りとは恐れ入るわい」
「陛下になんて報告すっかな……水路の時も思ったけど、人間にどうこう出来るレベルじゃねぇわ」
お互いの国の立場の違いが感想にも現れていた。
「総司令官!ラーアングラー・ラヴァロードありがたく頂いていくぜ」
溶岩地帯を難所している最大の原因だったラーアングラー・ラヴァロード。
クアゴア達の脅威が無くなった今となっては自分たちの通行の邪魔でしかなかったので、魔導国で引き取ってくれると言うのは渡りに船だったのだ。
自然の転移門で結ばれるラッパスレア山の三大支配者。
天空の覇者ポイニクス・ロード。
地上を支配するエイシャント・フレイム・ドラゴン。
そして、溶岩の海を支配するラーアングラー・ラヴァロード。
彼らに取って、今日は人生最大の厄日だ。
「よし!あとはポイニクス・ロードとエイシャント・フレイム・ドラゴンだな!」
今日中に仕留めてやるぜ!とのジョンの声に総司令官の掠れた声が「ラッパスレア山の三大支配者ってなんじゃったんだろうな」と続いた。
そしたら、明日はさくっと地上の領有を決めて食料産業長とコーヒーノキについて話を詰めるぜ!とジョンのテンションは高い。
そう、この
/*/ラッパスレア山
「お前がラッパスレア山の主エイシャント・フレイム・ドラゴンだな!」
「そうだ。我こそが……」
「って、答えるのお前で3頭目だよ!」
岩が砕け、土砂が舞い上がり、轟音が響く。
頑丈な
故に生存!である。
そうして、ジョンは
これこそモンスター
アウラなら「流石は至高の御方!」と眼をキラキラさせて誉めてくれる筈である。
服従させた
あっちで変な気を起こした
ラッパスレア山を隅から隅まで探索し、
ちなみに天空の覇者ポイニクス・ロードは、地上でどったんばったんやってるのに好奇心を刺激されて、近付いてきたところを撃墜された。良いところなしである。
/*/犬にも猫にもコーヒーはダメ
ジョンの大きな手の中で不釣り合いに小さな手挽きミルが回されている。
ガリゴリとリズミカルな音と共に珈琲の香りが優しく広がる。豆が熱を持たないようにゆっくりと挽いた後はドリッパーに挽いた豆をセットし、焚火で沸かしたお湯を注ぐ。
粉全体にお湯が滲み込むよう中央から外側に向かって、渦を描く容量で丁寧に注ぐ。20秒ほど蒸らしたら、中央に小さな円を描くように繰り返し注ぎ、ドリッパー内の湯量が上がって表面が平らになったら注ぐのを止める。
3回目はタイミングが大切だ。泡の中央がくぼみ、表面の泡の層が崩れない内に同様に注いでいく。
出来上がりの量になったらドリッパーを取り外し、コーヒーの濃度を整えるように攪拌して、予め温めて置いたカップに注ぐ。
杯数に関わらず、お湯を注ぎ始めてから出来上がりまで3分ほどで入れると良いコーヒーに仕上がると言う。
「紅茶は飲んだ事がありますが、珈琲と言うのは初めてですな」
差し出された黒い液体にちょっと引きながら、バジウッドはカップを受け取る。隣では総司令官と食料産業長が同じようにカップを受け取っていた。
挽きたての香ばしく甘い匂いが鼻をくすぐる。
湯気をあげる黒い液体をふーとふいて冷ましながら、鼻を近づけると炒ったナッツのような香ばしさと、チョコレートのような甘いニュアンスが微かに感じられた。
熱さに慎重になりながら、口元に運び、一口すする。
柔らかく親しみやすい、程よいコク。
僅かに感じられるクリアな酸味が、すっきりとした味わいと甘味を引き立てる。
ナッツやココアの風味を感じ、次の一口が欲しくなる。
もう一口すすり、ほうと満足の溜息をついた。
「気に入ってもらえて良かったよ。俺はこっちの方が好みなんだが、
ジョンの言う気候とは山岳地帯など昼夜で寒暖差が大きい気候で、雨が多く冬が温暖な肥沃な火山性土壌の高地。
幸か不幸かラッパスレア山付近が条件にあっていたらしい。
「この作物を我々が……」
「うん。食料産業長、作って貰えないだろうか?勿論、対価は払うし、うち以外に帝国なんかにも売って貰っても構わない」
「そうですな……扱った事のない作物なので、最初の数年は試験栽培と言う形になるかと思いますが……」
それでよろしければ、と言う食料産業長の手を取ると「ありがとう!」ぶんぶんと振り回して、ジョンは礼を言った。
「バジウッド殿、帝国でも栽培しないかな?苗は提供するよ。産地が違えば味も変わるからな。産地が多いと俺は嬉しい」
「あー俺はあくまで護衛の騎士なんで返事できませんが、陛下にはお伝えしておきます」
「ああ、それで良いよ。今度、ジルにもコーヒーを御馳走しにいこう」
ありがとうございます。そう礼を言いながら、バジウッドは帝国の山にもドラゴンとか居たら、この人はまた出張って全滅させるのかなぁと遠い目をして思った。
/*/バハルス帝国魔導国大使館
落ち着いた色味で統一された重厚な装飾のジョンの執務室にジョンとデミウルゴスの姿があった。
「申し訳ございません!」
デミウルゴスは深々とジョンに頭を下げた。
慈悲深き至高の御方は「何のことだ?」と素知らぬ振りをして下さるが、それに甘える事など出来る筈もなかった。
「先日の闘技場での一件。私の演出が、カルバイン様のお怒りを買いました事シモベとして許される事ではございません。私の生命を以ってお詫び致します!」
「……え?」
バッと自害しようしたデミウルゴスに机を蹴り飛ばして、ジョンは飛びつくと腕を押さえる。
100Lv同士とは言え、物理火力役のジョンと特殊能力に秀でたデミウルゴスでは腕力に歴然とした差があった。
「すとーっぷ!すとーっぷ!OK、OK、いいか落ち着け、俺はお前たちの全てを許すって言ってるんだ。気分を害した程度で一々死ぬな。な?お前の代わりは何処にもいないんだぞ?いいな?デミウルゴス」
至近で見つめ合う人狼と悪魔。
自分の代わりは何処にもいない。その言葉にデミウルゴスは胸が詰まる。
もし、もしも至高の四十一人に優劣をつけるとするならば、デミウルゴスにとってその頂点にいるのは他でもない自分を創造したウルベルト・アレイン・オードルその御方になる。
そこの思いに変わりはないし、ウルベルト・アレイン・オードルに代わる御方など何処にもいない。
だが、目の前の御方は自らが創造した特別を持たずに、獣王メコン川が創造されたルプスレギナを己の妻の座に付けた。その上でそれでもシモベ一人一人を代わりはいないと言って下さり、実際にシモベたちと食事を取るなどしている。
崇拝する至高の四十一人の中で、自身の創造主よりも一段低く、まとめ役であるモモンガよりも一段低く、無意識であっても見ていたと言うのに、隠れる事無くナザリック地下大墳墓に残り、シモベ達に殺される事すら本望だと言って下さる御方の気分を害して許されようと言うのは余りにも浅ましいのではないか。
そう切々と語るデミウルゴスにジョン・カルバインどん引きである。
えーいつ何処で俺がそんなに気分を害したかが分からないんですが……どうすれば良いだろう。
モモンガさんばりに愛が深いのはアルベドだと思っていたのに、ここにも拗らせが……厨二病って奴かな?
逃避しても解決する問題でもない。
「俺はデミウルゴスの行動に気分を害した事なんてないぞ?」
「はい、いいえ。あの時、カルバイン様は『〈
(あれはデミウルゴスの仕込みだったのか)
やっちまったな。とジョンは思ったが、既に後の祭りである。
そんな事は無いと言い訳しても、頭の良いデミウルゴスは勝手に裏を読んで気を使われたと思うだろう。
どうする?
どうする?
しばし考え、なら、これしかないと決断する。
「そうか……だがな、デミウルゴス!死んで良いと誰が命じた!?」
静かな声から一転しての一喝にデミウルゴスの背がびくりと震えた。
「お前は、俺の…俺たちの宝だ。それが生きる事を諦めるなど許さない。自分で自分を罰する事など許さないぞ」
デミウルゴスの腕から力が抜けたのを確認して、両腕を放すと、左手でデミウルゴスの額を指差す。
「罰が欲しければくれてやろう!……歯ぁ食いしばれぇぇッ!!」
左足で踏み込み、右腕を引く。デミウルゴスがぐっと歯を食いしばって打撃に耐える体勢を取ったのを確認しつつ、引いた右腕を下から上へ抉るように、デミウルゴスの鳩尾へ叩き込んだ。
あるかないか分からないデミウルゴスの横隔膜が強打され、肺の空気が一気に押し出される。
すとん、とデミウルゴスの両ひざが崩れ、そのまま身体を丸めるように床に倒れ込む。
横隔膜が痙攣し、呼吸が出来ない。
口からは涎が垂れ、空気を求めて喘ぐが身体が空気を受け付けない。
激痛の中で初めて呼吸が出来ない事に気が付き、ぱくぱくと陸にあがった魚のように口を動かす事しか出来ない。
呼吸が出来ずに視界の端が黒く染まり、身体が動かせない。意識が朦朧とする。
倒れたデミウルゴスを見下ろすジョンは黙って、その様子を眺めていた。
1分ほど経った頃、ジョンは手元の小さなベルを鳴らし、ルプスレギナを呼ぶとデミウルゴスを回復させ言うのだった。
「デミウルゴス。お前の全てを許そう」
綺麗にたたまれたチーフで口元を拭い。デミウルゴスはジョンの足元に跪くのだった。
「はッ、しかと…しかと承りました…!」
こんな形ばかりの罰で、自分の不敬全てを許し、今後も仕える事を許すと言うジョン・カルバインの寛大さ、慈悲深さに、デミウルゴスの宝石の瞳には涙が浮かぶ。