オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第49話:休日は闘技場で僕と握手!

/*/バハルス帝国皇帝執務室

 

 

「爺から手紙だと……今更なんだと言うのだ……」

皇帝執務室で、ジルクニフは魔導国から届いたフールーダ・パラダインからの手紙を開封すると、そのまま内容を確認する。

真剣な表情で手紙を読む皇帝。段々と難しい表情になっていく。

 

「へ、陛下……?」

 

「……爺は魔法の深淵を覗き込む充実した日々を送っているそうだ。それで用件だが、魔導国で功績をあげたものが、知識を学びたいと願い。そのものを帝国魔法学院に留学させたいので便宜を図って欲しいとの事だな」

 

魔法を学ぶなら魔導国の方が勝っている筈。何故にわざわざ帝国魔法学院に留学などしようとするのか?

考え込むと、直ぐに胃が痛く、重くなる。

机の引き出しを開けて、ポーションの瓶に〈一角獣の指輪(リング・オブ・ユニコーン)〉を近づけると毒物などの反応が無い事を確認し、一息に飲み干す。

じんわりと胃の痛み、重さが緩和されていくのを感じながら、周囲を見回す。

 

「どう思う?」

「……魔法ではなく我が国にしかないもの……例えば人の歴史などを学びたいと言う事でしょうか?」

「歴史か……歴史なども彼らの方が長く重いものを持っていそうだがな」

 

爺が推す人物だ。間違いはないだろうが、念を入れて部屋など用意しておいてやれ。

 

鮮血帝の命令に側近たちが返事を返す。

しかしだ。

魔導国は「もの」と言ったが「人間」とは言ってなかったと、彼らが知るのはもう少し先になる。

 

 

 

/*/帝国魔法学院正門

 

 

 

帝国魔法学院の正門に今日は大仰な……そこにいる人物が誰かを知れば、決して大仰でもない……警備が敷かれていた。

闘技場の一件で人気がうなぎ上りな鮮血帝と魔導国大使ジョン・カルバインである。

 

「我が友ジョンよ。留学生は直接くるのか?」

「ああ、自分で飛んでくるとの話だったから、そろそろの筈だ」

 

直接に跳んでくるとの話にジルクニフは、アインズのように〈転移門(ゲート)〉を使って移動してくるのを想像していた。

なるほど、それほど高位の魔法が扱えるなら、魔法ではなく歴史を学びに来たいと言うのも本当なのかもしれない。

しかし、そんな、フールーダも到達し得なかった魔法を扱えるものを帝都に入れて本当に良いのだろうか。どうにか安全を保障させる事は出来ないだろうか?

 

今日もジルクニフの優れた頭脳は回転しっぱなしだった。

 

「ああ、来たな」

 

ジョンがそう言って顔を向けたのは、方角的にエ・ランテルの方角だった。ジルクニフ達もそちらに顔を向けるが、街並みと青空が広がるばかりだ。

 

「……すまない。私には見えないようだ」

「ああ、もう少しすれば見えるようになる。あそこだ」

 

指差したのは空の一角。

しばらく見つめていると、黒い点のようなものが段々と大きくなってくる。

 

ああ、跳ぶでは無く。飛ぶだったのか。とジルクニフが思っている内に護衛の目の良いものから声があがる。

 

「陛下!(ドラゴン)です!(ドラゴン)がきます!」

「……」

 

ああ、(ドラゴン)か。

また力の差を見せつけるのか。

全てを悟った賢者のような面持ちで、ジルクニフは空を見つめ続ける。

 

「へ、陛下?」

「魔導国からの留学生殿だろう。皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)に通達。あがる必要はないと伝えよ」

「はっ!」

 

側近や護衛の者たちは、(ドラゴン)にも動じぬ自分たちの皇帝に頼もしさを感じるのだった。

やがて、翼をはためかせ、地響きを立てて(ドラゴン)が目の前に着陸してくる。

 

儀仗兵が剣を掲げ、留学生を歓迎するが、待っても(ドラゴン)からは誰も降りてこない。

 

「……?」

 

「よく来たな。お前がヘジンマールか?」

「はい。私がヘジンマールです。これからお世話になります、閣下。それに陛下」

 

ジョンの誰何に青白い鱗の(ドラゴン)が口を開き、人間の言葉を発すると軽く頭を下げた。

 

「ヘジンマール……(ドラゴン)だったのか」

「ジル?」

「いや、すまない。てっきり人間かそれに類する種族だと思っていたのでね。我が国では(ドラゴン)を迎えた経験がないので、その、どう遇すれば良いかなと思ってね」

 

ジルクニフに納得したようにジョンは頷くと、ヘジンマールへ〈人化〉するように命じる。

(ドラゴン)は〈人化〉する事も出来るのかとジルクニフが驚いていると、ヘジンマールが申し訳なさそうにジョンに答えていた。

 

「申し訳ございません、閣下。私はそのような魔法を取得してないのです」

「それじゃ図書館にも入れないぞ?仕方ない。留学前に特訓だな!」

 

今日はひとまず大使館の庭で過ごせ、とジョンはヘジンマールの背中に飛び乗る。

 

「ジルクニフ、留学まで少し時間を貰うぞ。今日はすまなかったな」

 

そう言い残すとヘジンマールはジョンを乗せて大使館の方へ飛び立っていった。

 

 

「へ、陛下……」

(ドラゴン)の留学生か。これは帝国魔法学院の箔付けになるのだろうか?……どう思う?」

 

 

ジルクニフの問いに気の利いた答えを返す事が出来たものは、その場にいなかった。

 

 

 

/*/闘技場

 

 

最近、入りびたりのような気もする闘技場にまた来てしまった。

ジョンは周囲をぐるりと見回す。今日は闘技が行われない日で客席には興行人(マッチメイカー)や訓練にきている剣闘士の監督役(トレーナー)が少数いるだけだ。

 

その彼らが上空を見上げて、あんぐりと口を開く。

 

フロスト・ドラゴンは(ドラゴン)種の中では決して大きな種では無いが、それでも間近で見上げるヘジンマールの威容は人々の心を打つものがあった。地響きを立てて、ヘジンマールが着地する。

 

「お待たせしました、閣下」

「うん。しかし、昨日も思ったが、お前は着地下手だな」

「普段、あまり長距離を飛ぶことがないので……朝から翼を動かす筋肉が痛いです」

 

筋肉痛になったと告白するヘジンマールに、ジョンは鍛え甲斐があると笑って返す。「ルプー、ヘジンマールに《高速自然治癒》を」その声に応じて、ヘジンマールに魔法が掛かる。

 

「さて、そうなると強さだけじゃなくて、翼も含めて全体的なビルドアップが必要だな。戦うのも苦手と言うし、自分より大きなものに挑む心。恐怖に打ち勝つ克己心も鍛えようじゃないか」

「私より大きな相手……ですか?」

 

ここにはいないようですが?不思議そうに首を傾げるヘジンマールに「ここにいるさ。目の前にな」とジョンは狼形態になると世界級(ワールド)アイテム〈大地を揺るがすもの(フローズヴィトニル)〉の効果でヘジンマールより一回り巨大な狼となった。

 

「ウォォォォン!!」

 

「う、うわッ!?」

自分よりも大きい狼の出現に驚いたヘジンマールはとっさに飛び上がって逃げようとする。

 

「遅い!」

 

飛び上がった巨狼(ジョン)(ヘジンマール)に組みつくと、そのまま大地に(ヘジンマール)を叩き付けた。

轟音が響き、もうもうと土埃が舞い上がった。

他の剣闘士たちは練習にならず、突如始まった怪獣大決戦に悲鳴をあげて逃げまどうばかりだった。

 

 

 

/*/

 

 

 

オスクは目の前で繰り広げられる一大スペクタクル(怪獣大決戦)に瞳をきらきらさせて魅入っていた。

巨狼(ジョン)vs(ヘジンマール)

なんと!なんと素晴らしい!!これほど素晴らしい戦いが闘技場で繰り広げられたことがあるだろうか。

 

否!ない!

 

そう思えばこそ、彼は危険も顧みず闘技場に駆け出していた。

 

「閣下!閣下!!閣下!!!」

 

「……ん?オスク、危ないぞ」

ヘジンマールを何度か地面に叩き付け、前足で押さえこんだ巨狼(ジョン)が返事をした。

返事をしながら、子供のように輝く表情のオスクに何かあったかなと首を傾げる。

 

「閣下!これは客を取れます!」

「……訓練だぞ?」

「それでもです!取れます!客を入れましょう!私たちだけでこれを見るなど罪です!大罪です!」

 

罪とまで言うか。

確かに巨大生物のぶつかり合いは胸を熱くするものがある。怪獣映画を見るようなドキドキワクワクを大勢に届けられるなら、それも悪くないだろう。

 

「……俺にも取り分寄越せよ」

「勿論でございます!」

 

 

 

/*/パンとサーカス

 

 

 

結果から言うと巨狼(ジョン)vs(ヘジンマール)の対戦は大成功だった。

魔獣vs冒険者の戦いに目の肥えた帝都の民も、巨大生物の迫力ある三次元バトルは初めてであり、ぶつかり合い飛び散った(ヘジンマール)の鱗が高値で取引されるほどの人気を博した。

 

自分の鱗が高値で取引されているのを知ったヘジンマールは、「人間恐ッ」と(ドラゴン)を隅から隅まで利用しようとする人間種に恐れを抱いたと言う。

 

ブックメイカーに書かせたシナリオ通りに展開させる試合は、剣闘よりもプロレスに近いものだ。

 

が、そうしないと客席にブレスが叩き込まれる事態になるのだから了承して貰いたい。

多少の流れがあった方が、試合をやりながら訓練にもなるのでジョンも都合が良かった。

 

後々、勘違いしたワーカーなどに試合を申し込まれ、対処に困る事にもなるのだが、それはまた別の機会に。

 

一躍、闘技場の人気者となったヘジンマールは莫大なファイトマネーを得て、魔導国の外貨獲得に貢献した。また、闘技場でのアルバイトでも人間の貨幣を稼ぐのだった。

 

その勤勉さを認められて、ヘジンマールはジョンより〈自己変身の指輪〉を下賜され、望み通りに帝国魔法学院に留学する事が出来るようになった。

 

その際、ジルクニフより人の常識を知らないヘジンマールに常識を教える者を付けて欲しい、と願われたジョンは、ヘジンマールにエルヤーから解放した森妖精(エルフ)奴隷3名を身の回りの世話をするメイドとして付けた。

 

結果、〈自己変身の指輪〉により、銀髪の少し惚けた感じのする眼鏡を掛けた森妖精(エルフ)の青年となったヘジンマールは、帝国魔法学院で魔導国から来た(ドラゴン)を駆る森妖精(エルフ)の魔法使いで、美人な森妖精(エルフ)を3人も(血涙)侍らせていると噂されるようになる。

 

 

 

/*/ヘジンマールのアルバイト

 

 

 

休日の闘技場。

正確には闘技が休日の闘技場。

 

ジョンの発案で、オスクが休日の闘技場を借り上げて開いた祭りには大勢の市民が訪れていた。

 

普段は入れない闘技場の中に入れるとあって、闘技のファンである市民も大勢訪れていたが、出店などを見てみると子供づれの親子の姿もかなり多い。

 

闘技場の中央ではこれもまたジョンの発案で、武王を初めとした剣闘士の握手会。トークショーが開かれていた。

武王の鎧を製作した工房の宣伝を兼ねた出店や、人気剣闘士の装備を扱っている工房の出店なども大人気だ。

 

接触感染呪術的な迷信の発想で、子供との握手の列が途切れない武王。大人も憧れの武王や剣闘士に触れられて感激の涙を流しているものもいる。

 

ワーカーや冒険者と思しき者たちは、武王や人気剣闘士御用達の工房の出店を覗いて掘り出し物がないか、自分たちの装備を頼めないか物色している。戦士たちは剣闘士たちの鍛錬方法に参考になるものが無いか興味津々だった。

 

 

その中でも特に人の多い場所がヘジンマールのブースだった。

 

 

看板には『休日は闘技場でフロストドラゴンの僕と握手!』と大きく書かれている。

それが読めるわけではないだろうが、ヘジンマールは特に多くの子供たちにたかられて、目を白黒させていた。

 

「なんで、この子たちは恐がらないんですか?」

 

ヘジンマールの疑問ももっともだった。最強種族の一角であるドラゴンに物怖じしないでよじ登ってる子供たちはなんなのか。(ドラゴン)である自分の自信が少し揺らぎそうだ。

 

「そりゃ子供だからな。お前が無暗に人を襲わないと分かったら遊びたくなるだろうよ。弟、妹にもそういうのいなかったか?」

 

地面に伏せたヘジンマールに返事をするのは、事の発端であるジョンだ。

ジョンも同じことをしようとしたのだが、親たちが巨狼(ジョン)の方には子供たちを「食べられるから」と行かせなかったので、人狼形態に戻って、ヘジンマールの相手をしていた。

 

「ああ、確かにやたらと絡んでくる弟妹はいました。……そうか。あれは遊んで欲しかったのか」

「弟妹は大事にしろよ。……おっと、お嬢ちゃん、滑り台するなら尻尾の方が良いぞ」

 

ヘジンマールの首を滑り台にして落っこちてきた幼女を抱えると、そっと地面に降ろしてやるジョン。

子供たちは、尻尾を滑り台にしたり、誰が最初に背中の一番上に登れるか競争したり、やりたい放題だ。

 

「でも、閣下のおかげでダイエット成功しました。ありがとうございます」

 

ちょっと、いや、かなりキツイ特訓でしたけど……と、ヘジンマールは続けた。

ジョンは肩をすくめて「陛下には、せっかくのレアが……」って残念がられたけどなと答える。

 

当初、少しばかり?ぽっちゃり体型だったヘジンマールはモモンガにレアものと見られてコレクションに数えられていたのだ。

それなのにジョンの特訓でヘジンマールの能力は向上し、体型が普通のフロスト・ドラゴンに戻ってしまったと、モモンガは残念がっていた。

 

「でも、人間って不思議ですね。こんな小さくて柔らかい子供たちが、100年もしない内にあんな風になるんですから」

「100年……ああ、竜狩り(ドラゴンハント)緑葉(グリーンリーフ)のパルパトラおじいちゃんか」

 

ワーカーチームの幾つかが(ドラゴン)を間近で観察できる機会と、ヘジンマールのブースにも来ていたのだ。

緑葉(グリーンリーフ)のパルパトラは、かつて竜狩り(ドラゴンハント)を成功させ、緑色の竜鱗鎧を身に纏っているのが二つ名の由来だ。

 

「あのおじいちゃんでも、100年も生きてないけどな」

 

それよりもとジョンは続ける。「(ドラゴン)的には竜鱗鎧とか、どうなの?不快感とかないの?」

もっともな質問にヘジンマールは考え込む。それは言葉を探していると言うよりも、言われて初めて気が付いたと言う風だった。

人間であれば、人間の革鎧や人間の皮で装丁された本など目にして良い気分な者は一握りだろう。

 

緑竜(グリーンドラゴン)の革鎧の所為かもしれませんけど、気になりませんでした。……ああ、高価な品なんでしょうけど、(ドラゴン)的には珍しく、欲しいとは思いませんでしたね」

 

「やっぱ、強い種族ほど個体として強いから、種族への帰属意識が薄いのかね」

「まぁ、(ドラゴン)の敵は(ドラゴン)と言うくらいですから」

 

 

 

/*/帝国魔法学院魔法科教室

 

 

 

静まりかえった教室内に、教師が黙々と黒板に文字を書き込む音が響く。

張りつめた空気を支配しているのは緊張感。

授業に集中しているようであって、してはいない。なぜならば全員の注意はたった一人の生徒に向けられている。目を向ける者はいないが、それ以上に針のごとく研ぎ澄まされた意識が向けられている。

そこにいるのは新たな学友と素直に認めることが難しい一人の男。銀髪の少し惚けた顔の眼鏡を掛けた森妖精(エルフ)だ。

 

ヘジンマールと紹介された彼は魔導国でフールーダに魔法を習い留学してきたと言う。

 

フールーダの偉業を知らないものはこの学院にいない。

帝国史を紐解けば幾たびも出る名前であり、魔法史を書いた物であれば最初のページに必ず賛辞と共に名前が載っている人物だ。入学して一週間以内に読むのは確実であり、このクラスの誰もがそうであった。

そんな人物から直接に教えを受けた人物を迎え、緊張しない人間などいるはずがない。

 

「……ということになります。何か問題はあるでしょうか?ヘジンマール様」

 

一通り文字を黒板に書いた教師はくるりと振り返ると、ヘジンマールを正面から見つめる。

興味津々と教科書と黒板、教師を見ていたヘジンマールは

 

「教科書通りの説明で非常に分かり易かったです。ですが、その変換方式には無駄があるので、第四位階より上位の魔法を使用するのであれば、もっと別の式を組み込んだ方が良いと私は教わりました」

「も!も、も、申し訳ありません!わ、私の無知をお許し下さい!」

 

ガクガクと青白い顔で教師がペコペコとヘジンマールに謝る。

その姿はあまりにも哀れみを誘った。

悪い教師では全然無い。それどころか非常に親切で詳しい説明を行ってくれる教師だ。大体第四位階など普通の魔法使いには到達不可能な領域。その領域での話を基本でされてはどうしようもない。

 

「あ、いや。私もまだ勉強不足で第三位階までしか使えないんだ。だからそんなにならず、いつも通りに授業を行って貰えると嬉しい」

 

出来るわけないだろ!

 

教室内の全員が同じ思いを抱いた。帝国における伝説の魔法使いに直接教えを受けた――ある意味、選ばれし30人よりも選ばれた人物に、簡単な質問を投げかけられるだろうか?教科書を読ませることが出来るだろうか?ましてや授業に集中しなさいと叱咤することが出来るだろうか?

 

そもそも、魔法学科の教師は第二位階もしくは第三位階魔法まで使えるものたちだ。

 

帝国魔法学院を卒業したエリート中のエリートが、一握りの天才が努力の果てにたどり着ける到達点が第三位階魔法なのだ。

それを「勉強不足で第三位階までしか使えないんだ」などと言える人物に何を教えろと言うのか?

 

そのまま授業は進み、鐘の音色が響いたあたりで教師は精根尽き果てた様子で額の汗を拭う。その顔に浮かぶのは、やり遂げた漢の表情だ。誰もが見惚れる爽やかな笑顔で教師が感謝の礼をする。もちろん生徒たちに向けたものではなく、ヘジンマールと言うフールーダの内弟子に向けてだ。

 

 

 

/*/

 

 

 

休み時間にもなれば、他のクラスから友達に会いに来る者もいるだろう。しかし誰一人として扉を開けて入ってくる者はいない。これはこの時間だけではない。今までの時間――ヘジンマールという人物が級友になってからだ。

流石に周囲からの喧噪は聞こえてくる。周囲の教室からの声は微かに聞こえるし、廊下を歩く気配もする。しかし、この教室の前に来ると猛獣の檻の前に来たかのように誰もが口をつぐんでしまうのだ。

 

静かに椅子を動かす音が聞こえる。

その瞬間、緊張感が一気に高まる。誰もが動くことを望んでいたとはいえ、本当に行動を開始されると唾を飲み込んでしまう。

 

立ち上がったヘジンマールは隣の学友に話しかける。

 

「さて、君」

「は、はい!なんでしょうか!ヘジンマール様!」

 

彼はばっと立ち上がり、手を後ろに回して微動だにしないポーズをとった。

 

「今の俺はただの森妖精(エルフ)なんだ。そんなに恐がらなくても大丈夫だよ」

「いえ!そんな事はありません!この格好でお願いします!」

 

その級友――ジエット・テスタニアの姿に、ちゃんと〈自己変身の指輪〉で森妖精(エルフ)になってるよな?と自分の姿を見回すヘジンマール。

 

「昇格試験というものがあると聞いたのだけど?」

 

昇格試験と聞いて昇級試験の事かと即座に理解する。しかし、訂正して良いものなのだろうか?思わず周囲で静かにしているクラスメイト達に視線で助けを求める。

 

しかし、誰も視線を合わせてはくれなかった。

 

全員静かに席に座り、瞑想にふけるかのように微動たりともしてなかった。普段であればふざけた行動で笑いを取る男も、服装や化粧などで騒がしくしている女も、誰も何も言わない。

 

助けはない。

 

全員耳を大きくしているはずなのに、誰一人として何か発言しようとかする者はいない。頭を抱えてしゃがみ込んでいれば、天災がどこかに行くと信じている子供のようだった。

 

ジエットは一人で立ち向かう必要がある。

 

ブルリとジエットは震える。

それはこれから行うことがどのような結果になるのか未知であったためだ。

 

「は、はい。知っております。昇級試験は近日行われる予定です!」

「昇級試験か……。その試験は何人かで組むものだと聞いたけれど、君は既に組んでいるのかな?」

「は、はい!あの、一人だけおります!」

 

ごめん、とジエットは心の中で謝る。巻き込んでしまった人物に対して。

 

「そうか……それはすまなかったね」

 

何がでしょう?などと聞く事は出来ない。そして次にヘジンマールが何を言うのかと固唾を呑んでいると、教室のドアがノックされる。

授業中でもない教室のドアがノックされることはない。しかし、なぜ、ノックをしたのかというのは誰にだってわかる。

このクラスにいる人物に敬意を示してだと。

ドアが開く。それの向こうにいた一人の女性が、頭を下げた。

 

「失礼します、ヘジンマール様」

 

ジエットの位置からその女性の後ろにいた生徒も頭を下げているのが見えた。

「私、当学院、生徒会長をさせていただいております、フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドと申します」

顔を上げたその女性の面持ちには微笑みがあった。媚を売るのとは違う、心から浮かべた好意的な笑顔だ。

 

「これはご丁寧に、ありがとう。お嬢さん」

 

軽く頭を下げたヘジンマールにフリアーネは誰もが魅力的に思える笑顔を向けた。

 

「よろしければお昼をご一緒したいと思っております、どうでしょう。ヘジンマール様?」

「……できれば学友と一緒に食事をしたかったが……まぁ構わないか。では今日はご一緒させてもらうかな、お嬢さん」

 

アイク、セルデーナ、クアイア行こうか、と一緒に転入してきた見目麗しい森妖精(エルフ)3人に声を掛けると、女性を引き連れて歩くのが当然と言うような態度でヘジンマールは歩き出した。

 

 

 

/*/学生食堂

 

 

 

学院では学生食堂による食事を勧めている。そのため、様々な面で生徒の負担にならないようにされていた。

まずは貧しい家庭の生徒を考え、一般的なランチならば無料で飲食できるようになっていた。金銭がかかるのはより豪華な料理を注文した場合だ。

次に魔法による毒感知などを行っているため、外から持ち込む弁当などよりは安全であることを保証していた。

 

それらの理由あって、ほぼ100%に近い生徒たちが学食を使用していた。

 

問題はたった一つ。非常にごった返すということだ。

学年を隔てた関係を作り上げてほしいという学院の狙いがあって、学食はたった一つしかない。敷地自体は広いため、全生徒が押し寄せても席がないということはないが、流石に人気の食事は売れ切れてしまう。

 

ゆっくり学食にやってきたヘジンマール達は一般的な無料のランチを頼むと列に並んだ。

 

生徒会長や供をする森妖精(エルフ)3人はヘジンマールに席で待っているように伝えたが、彼は自分も並んでみると言うのだった。

ランチを受け取ると、途中で合流した学長も交えて空いている席につく。

 

「ヘジンマール様であれば、昇級試験はパスということでも構いませんが?」

 

学長にヘジンマールは苦笑いで答えた。

 

「俺、いや、私は生徒としてこの学院に入ったのです。授業も昇級試験も普通のものを受けてみたい」

「ヘジンマール様ほどの方であれば、多くの方がチームに入って欲しいとお望みになると思いますよ」

「そうかな?あまり教室で話しかけられてはいないのだが……」

 

少し困ったようにヘジンマールは笑ってみせる。

 

「……この時期になりますと、メンバーが決まっていない方が珍しいくらいですからね」

「私には、アイク、セルデーナ、クアイアがいるからね。あと一人いればチームは出来上がるのだが……一人の人物は少ないか」

 

「今の時期に一人きりの人物は何かしら問題を抱えていると思われますが……」

 

「そうなのか。まぁ取り敢えず、色々なものに声をかけてみるよ」

「かのパラダイン様の高弟であるヘジンマール様から声を掛けられるとは……その者はきっと喜ぶと思われますよ」

「そう思ってもらえると私も嬉しいな」

 

 

 

/*/皇帝執務室

 

 

 

「……このような手があるとはな」

 

フールーダ・パラダインの弟子。それも(ドラゴン)の魔法学院入学。

最初に聞いたときは耳を疑った。しかし、それがどういう意味を持っているかを理解すれば、怒号も上げたくなる。それがたとえ新たに作り出された皇帝の執務室であったとしても。

 

「まさに奴は化け物だな」

 

ゆっくりとジルクニフが立ち上がる。

 

「これが怖いのだ。奴の最も恐ろしいところはその魔法でも部下たちでも、居城でもない。叡智溢れる、切れすぎる頭だ」

 

ジルクニフの顔が憎々しげに歪む。

 

「今まではこちらの手を見破り、軽く脅し……もしかしたらあれは脅しではなく忠告や、見破っているぞという世間話程度だったかもしれないが、ついに攻勢をかけてきたな」

「はい。確実にフールーダど……いえ、フールーダを利用した勢力拡大でしょう」

 

苦虫をかみつぶし、ジルクニフは椅子から立ち上がる。

智謀に優れた強敵を待ち望んでいたのは事実ではあったが、ここまでとなると乾いた笑いが浮かんでしまう。

 

「策謀にセンスというものがあるとするのであれば、たった一つの手で複数の影響を与える奴のセンスはどれほどの高みにあるのか」

 

訝しげな表情を浮かべた部下が幾人かいることにジルクニフは苛立ちを覚える。なぜ、そこまで見抜くことができないのかと。あと一歩踏み込むだけだろう。

そこでジルクニフは頭を振る。気が付いている部下もいることに喜びを覚えるべきだ。

 

「……アインズの手の者の影響を受けた者を、帝国の主要機関に取り込んで問題ないのか?」

 

ようやくその意味を悟った者から掠れたような声が上がった。

そうだ。

ヘジンマールという人物によって優秀な者がアインズの手の中に引っ張られる。そこまでは許容の範囲内だ。逆にそこを使用して攻勢をかける可能性だってある。しかし、問題になるのは声をかけられつつもそこに残ること。埋伏した毒の危険性だ。

 

「陛下、ヘジンマールを退学という扱いにしては」

「馬鹿か、貴様!」

 

ジルクニフは進言した部下に対して怒鳴り声を上げる。抑え込んできていた蓋が外れてしまったような急沸騰ぶりであった。

 

「帝国皇帝がたった一人の生徒に対して権力を行使して、退学にしろというのか!」

 

確かに出来る。ジルクニフの権力であれば容易だ。しかし何の理由もなく、魔導国の手の者を退学にするというのは正面から喧嘩を売ったと思われるのは間違いないし、魔導国に対してどれほどジルクニフが警戒しているかを明確に宣伝することとなる。

確実に貴族たちへの権威は薄れるだろうし、強大な親魔導国派閥を作らせる理由ともなりかねない。

 

つまりはジルクニフが警戒している、または対抗できていないという事実はジルクニフ派閥を弱め、親魔導国派閥を強大化させるという二つの面を同時に持つ。

 

それらの事実がジルクニフに齎した反応は劇的なものだった。

 

鮮血帝と言われ、冷やかな微笑で多くの貴族に血を流させた男が、その顔をまだらに染めたのだ。

心に吹きあがった激しい熱を、怒鳴り声という形でジルクニフは吐き出す。

 

「これがアインズという策謀家の恐ろしいところだ!教師として入り込んだのであれば、幾らでも追い出すことはできた。教育が不適切である、偏った思考を植え付ける恐れありとしてな。そうであれば他の貴族たちも自分の子供を入れている関係上、素直に理解しただろう。しかし、生徒一人に、なぜ皇帝が動く。それがたとえフールーダの弟子であろうとも、な!大体放校させる理由はなんだ。不適切?バカか、そんなのが通じるわけがない。後ろにいるアインズに怯えたと誰もが思うだろう!だからこそ、あいつはヘジンマールを生徒として送り込んできたのだ!」

 

ジルクニフは憎々しげに顔を歪める。

 

「このタイミングで仕掛けてくるとは。まさに機を見ていたな、奴め!アインズ・ウール・ゴウン……智謀の化け物!……王国を馬鹿にしてきたが……同じ状況下になってみると……。やはりあの男の前に餌を与えて……。いやまずはそれよりも先にすべきことがある!……おい!」

 

声をかけられた部下の一人が頭を下げる。ジルクニフは矢継ぎ早に命令を下す。

 

「学院の諜報員に命令を伝達させろ!ヘジンマールの動きを、そして狙いを監視させるんだ!次に──」

 

 

 


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