オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
カルネ=ダーシュ村はリ・エスティーゼ王国、王都のロ・レンテ城を囲う外周約800mの城壁よりも、分厚く、高く、広い壁に囲われている。しかも、その周囲を幅30mの空堀でぐるりと囲う徹底ぶりだ。
王国の討伐軍は近くの丘の上からこの壁を発見した当時、相当な混乱をしていた。
ただの村にこんな大規模なものが作られるわけがなく、帝国の援助があったとしても1年やそこらで完成する規模でもなかったからだ。
その混乱は討伐軍とにらみ合うような形で、法国の部隊が展開してきた事で拍車が掛かる。
法国の部隊は正式に国旗を掲げ、討伐軍へ使者を送って寄越し、あろうことか「カルネ=ダーシュ村は『アインズ・ウール・ゴウン魔導国』の領土である。王国が魔導国の領土を侵すならば、法国は王国へ宣戦布告する」と強い調子で宣言したのだ。
バルブロ王子はそれに激怒したが、王子の一存で法国と事を構えるわけにもいかない。王都へ早馬を出して対応を求めるしかなかった。
そうして、三竦みになって数日。法国立会いの下で村の代表者と話をする機会が設けられた。
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法国の立会人の顔立ちは、人ごみに埋もれてしまうような平凡なものだった。その感情を感じさせない人工物のような瞳はガラス玉のような硬質な灰色。頬には傷があった。名をニグン・グリッド・ルーインと言う。
「……そこで何をしてる」
そうニグンが声を掛けた先には、カルネ=ダーシュ村長の護衛としてついてきた一人の少女の姿があった。
年のころは10代半ばだろうか。金髪のボブカットで肌は白い。顔立ちは整っており、ネコ科の動物を思わせる可愛らしさと、肉食獣のような危険な雰囲気がある少女だった。しなやかな肢体をビキニアーマーのような軽装で鎧っていた。
「神獣様の従ー者ー?もしくはー神さーまの練習用の的?かなー」
相手を小馬鹿にして嘲笑するような言葉遣いと間延びした喋り方だった。しかし、それは、ニグンの記憶にあるよりも年若い姿だった。神に仕えるようになったというならば、そんな事もあるだろうとニグンはその現象に納得した。
「……貴様も正道に立ち戻ったと言う事か」
「そーなのかなーかなー?」
「クレマンティーヌさん、お知り合いの方ですか?」
そう言ったのはカルネ=ダーシュ村の長だと言う少女だった。年の頃はクレマンティーヌと同じと思しき10代半ば。栗毛色の髪を胸元あたりまでの長さで三つ編みにしている。肌はクレマンティーヌと違い、農作業で健康的に日焼けしていた。長と言うにはかなり若いとニグンは思ったが、これも神の思し召しと疑問を飲み込んだ。
「うーん。昔の職場の同僚?上司になるのかなー?」
「部門が違う」
「あーニグンさん、冷たいなー」
にべもなく断るニグンにクレマンティーヌがじゃれつくように絡む。その様子にエンリはくすくすと笑った。
「お静かに。リ・エスティーゼ王国第1王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ殿下がお出ましになります」
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バルブロ王子は髭を綺麗に切り揃え、見事な体格をしていた。身分の高い者が集った代表者会議の場で、ただの村娘でしかないエンリはガチガチに緊張していた。そして、身分に相応しい恰好をしている者達の中、村娘でしか無いエンリの恰好は酷く浮いていた。
「……カルネ村は元々国王直轄領であるエ・ランテルの管理下にある。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の領地などではない。これは王国に対するカルネ村の反逆である」
申し開きがあるのかと傲慢に見下すように問いかけるバルブロの問いにエンリは震えながら、それでも叫ぶように答えた。
「難しい事は私たちにはわかりません。でも、戦争ばかりで生活していけない王国には戻りません。アインズ・ウール・ゴウン魔導国のカルネ=ダーシュ村として生きていきます」
第1王子であるバルブロからすれば村人など足元にも及ばない存在だ。それが真正面から自分には従わないと言う事にバルブロは切れた。
「反逆罪だ!こいつらを反逆罪と断定する!皆殺しにしろ!」
王子の叫びに息を呑む者もいれば、いち早く反応するものもいた。チエネイコ男爵だ。彼は自ら剣を抜くと腰巾着の同僚達と一緒に一斉にエンリへ襲い掛かった。
「クレマンティーヌさん!」
「はーい。使者に手を出しちゃいけないよー」
たかが村娘……と、斬りつけてきた男爵の一撃を、クレマンティーヌは玩具のような左手のスティレットで軽々と受け止め、抜く手も見せずに右手のスティレットで男爵のこめかみを貫く。そのまま男爵を蹴り飛ばして、続く腰巾着達を吹き飛ばした。
「スッと行ってドスッだよー」
あースッとするー……エンリちゃんの指示に従うと能力向上するんだよねー。何かスキルかタレントでも持ってるのかなー。世の中の村長って、みんなこーなのかなー?
誤解である。
沈黙がその場を支配した。
ゴクリと誰かが喉を鳴らし……血塗れのエンリ……本当だったか、と呟いた。
それも誤解である。
エンリは守ってほしくてクレマンティーヌを呼んだに過ぎない。ただクレマンティーヌの守り方が、一寸ばかり過激だっただけである。
「……使者に無体を働くなら、我々もそのつもりで行動させて貰う」
ニグンが灰色の瞳を硬質に煌かせ、重々しくその沈黙を破った。
「何が使者だ!所詮は村娘ではないかっ!!」
「それは我が国と事を構える――と、言う事で宜しいか」
――答えは、無かった。
「村長。村の入り口まで我々が送りましょう」
ニグンに申し出にエンリはこくこくと頷いた。
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「何が我が国と事を構えるだ!ふざけるなっ!」
バルブロ王子は拳を簡易な机に叩きつけ、噛み締めた歯から漏れ出す憤怒を隠そうともしない。
「何故だ!この地は王家直轄領、俺に従う義務がある筈だ!なのに何故、村人共も法国も、アインズ・ウール・ゴウン魔導国などわけのわからんものに従うと言うのだっ!!」
その場の誰からも追従の言葉もなければ、おべっかもない。その事がバルブロの苛立ちを更に煽りたてた。周囲の騎士たちを味方ではなく、憎い敵を前にしたように睨む。
決壊は早かった。
「火矢を放て!焼き払え!誰一人として生かして帰すな!」
「お待ちを!殿下!それをしてはっ!」
「それをしてはなんだというのだ!王族の命令を聞かぬ民など生かしておいた方が害悪ではないか!」
第1王子が命じているのに、従わない理由がわからない。この騎士は自領において同じ事があっても情けを掛けると言うのか。それとも、この侯爵から貸し出された騎士は自分を軽んじているのか!?
法国が何だと言うのか!
カルネ村は反逆した。法国が何か言ってるから手出し出来ないと思って増長しているのだ。
フィリップ・モチャラス男爵はゴクリと喉を鳴らした。
法国の部隊だって50名(陽光聖典です)にも満たない。包囲して磨り潰してしまえば、死人に口なしではないだろうか。
神官は死者も蘇らせる。故に神官に隠し事をしても無駄だと言うが、死体も見つからなければ……そう、法国の部隊は最初からここに来ていなかったのだ。
ここで1番槍をつければ、法国から王子は庇って……いや、むしろ、良くやったと誉めてくれるのではないだろうか。当然、働きに見合った地位に引き上げてくれる筈だ。
「殿下の命令に従えぬとは侯爵様の配下とも思えませんな。殿下、私であればいつでも殿下の為に働く用意が出来ております」
そのフィリップ・モチャラス男爵の言葉にバルブロは頷いた。
そして、こんな愚かな男の方が役に立つとはと素直に感心した。こんな男でも貴族であり、自分の領内で意に背く村があれば、こういった手段を取るであろうから、バルブロの気持ちが良く分かるに違いない。
「……そうか。では男爵に命じる。村に火を放て!奴らを皆殺しにするのだ!」
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「えー、もう実家はどうでも良いよー」
帰りたくなーい。護衛対象であるエンリの前を歩きながら、クレマンティーヌはそう続けた。
頭の後で手を組んで歩く子供のようなクレマンティーヌへ、ニグンはやれやれと溜息混じりに告げる。
「クアイエッセ殿は最後までお前を心配していたぞ」
「クッソ兄貴が?自分にお優しいだけだよー。それより水の神殿でメコォッ!とか音を立てて吹き飛んでたのは爆笑ものだったなー」
「あの場にいたのか?」
「うん?後から神獣様に見せて貰っただけだよー。たいちょーとあんちくしょうが吹っ飛ぶのも、涙が出るほど笑ったー!」
法国の最大戦力である神人二人が為す術もなく倒れていく場面は、法国の特に事情を知る聖典メンバーならば、深い絶望を刻まれるものだが、それを思い出し、腹を抱えて笑うクインティアの娘。その姿にニグンは、老婆心から状況の変わった今なら遣り直せると口を挟んでしまったのだ。
「クインティア家で何があったかは知らないが……」
「何があったか知らないなら、口を出すな」
一瞬で素に戻り、切って落とすクレマンティーヌ。
もっとも、なんの事情があろうとも、漆黒聖典を裏切り、闇の巫女姫を殺害し、叡者の額冠を奪って逃走したのは許される事ではない。
それはクレマンティーヌもわかっている。
「すまない」
「……ニグンさーん?変わったね?」
クレマンティーヌはネコ科の動物を思わせる愛嬌のある顔で、瞳をぱちくりとさせた。
それに気が付いたのか気が付かぬのか。ニグンは聖印を握り、軽く灰色の瞳を閉じた。
「今の私は神の御業で再誕したのだ。変らぬ筈がない」
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「護衛していただいて、ありがとうございました」
カルネ=ダーシュ村を囲う空堀に掛かる跳ね橋の上でエンリはニグンへ、ぺこりを頭を下げた。
クレマンティーヌが隣で「ニグンさんに頭なんて下げなくて良いんだよー」といつもの調子で言っていたが、ニグンが庇ってくれなければ、いくらクレマンティーヌが強いと言っても女二人であの場から戻ってくるのは出来なかっただろうとエンリは思っていた。
「礼には及ばない。我々はすべき事を為しているだけだ」
そう言ったニグンへ、もう一度の礼を言おうとした時――何かが幾つも割れる音がした。続けてひゅんひゅんと空気を切り裂き、赤い光を後に引きながら、矢の雨がエンリたちへ――そして、壁や物見やぐらに向かって降り注いだ。カツカツと矢が木に突き立つ乾いた音が多数聞こえる。
そこからの彼らの行動は早かった。
「エーンちゃん!私の後ろに!」
「
エンリの前に立ち降りかかる矢の雨を切り払おうとするクレマンティーヌ。対してニグンは素早く天使を召喚すると天使に防御させつつ、黒いマントを脱いでエンリに被せた。
「村長、これを!魔化されたマントです。矢くらいは防げる!」
「ニグンさん、いいねそれ!」
「さぁ急いで村へ戻って下さい。連中は我々が食い止めます」
この夏から何度も修羅場を乗り越えてきた成果だろうか。ニグンの言葉に少しだけ足を止めて、それでも直ぐにエンリは門から飛び出してきたジュゲムたちの元へ駆け出した。
「ニグンさん!あ、あの、ありがとうございます!」
ニグンは、ぺこりと頭を下げて跳ね橋の上を門へ向かって駆けていくエンリの後姿を一瞥して呟いた。
「ありがとう……か。一度は殺そうとしたのだがな」
人工物のような硬質な灰色の瞳に、一瞬だけ感情が揺らいで消えた。
「隊長!」
44名の部下達が宿営地から荷物を捨てて駆けつけてくる。その思い切りの良さに満足げに頷きながら、ニグンは声を静かに部下たちへ命じた。
「ゆくぞ。汝らの信仰を神に捧げよ」
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エンリが門を潜る前に物見やぐらから炎が噴き上がった。
藁で出来た天井などが一気に燃え上がり、見る見るうちに巨大な炎を上げて、天井が崩れ落ちる。
悲痛な悲鳴があちらこちらから上がっている。
特に悲痛な悲鳴を上げているのは村に移住してきた者たちだ。
エンリは思い出す。彼らの村が焼き払われた事を。
彼らはその顔に憎悪と同じくらいの絶望を浮かべていた。あの炎に彼らは平和な日常を、家族を失ったのだ。
敵だ!あれは敵だ!
何が王国よ!私たちを助けもしなかった屑ども!ここもまた焼き払うって言うの!
殺すなら殺せ! 奴ら一人でも多く道連れにしてやる!
火矢が放たれた事で、狂気にも近い憎悪が場を支配していた。
「……エンリの姐さん。決を採るべきですよ」
鋼の戦士の面持ちのジュゲムが冷徹に告げる。
少し冷静になってから……そう言いかけたエンリは来た道を振り返って口を噤んだ。
道の向こう。
空堀の向こうでは、あの日に戦士長を殺そうとしていた天使たちが、法国の兵士たちが、村を守ろうと数十倍に達する討伐軍を相手に奮闘していた。彼らが討伐軍を押さえてくれていなければ、ここにはもう討伐軍が押し寄せていてもおかしくなかった。
エンリは覚悟を決めると大きく息を吸い込む。ネムを見ていてくれたンフィーレアがそっとエンリに寄り添い頑張れと言うように小さく頷いてくれた。
それはエンリに最後の勇気を与えてくれた。
「みなさん!!この場にいる皆で村の総意を決します!もし決定したならば、どうかそれに従って下さい!」
威勢の良い同意の声が返った。
「村として王国に戻ろうと言う方はいますか!」
誰も、誰一人として手を上げない。
鼓動が激しく打つ中、エンリは叫ぶ。
「ならば! 命を懸けてでも戦う! 王国と戦うと言う方は挙手して下さい!」
うぉぉぉ、と言う咆哮と共に数多の腕が乱立した。その場の誰一人として普通に手など上げていなかった。挙げられたのは、固く握りしめられた拳だ。覚悟を決めた者たちの顔だった。
確かに恐怖はある。確実に死ぬ選択肢を選んだのだから、当たり前だ。しかし、それ以上に皆を突き動かすものがあった。
これほどの恩義を受けながら、仇で返すような人間になりたくないと言う思いだ。
そして、希望もある。
ジョンは水路に水を通す為にトンネルを掘りにいっている。この場にはいないが、自分たちを守る為に働いてくれているのだ。彼らは必ず来てくれる……何千人もの軍隊を相手に彼らが勝てるのか?村人たちは分からなかったが、それでも村人たちはジョンたちを信じていた。
「では――戦いましょう!私たちは戦います!恩義を返します!ジュゲムさん!作戦をお願いします!」
ずいっとジュゲムが前に出て、エンリの横に並ぶ。
「……あんたらの覚悟を俺たちは目にした。あんたたちはここで死ぬ。構わないんだな?」
百戦錬磨の戦士の言葉に肯定しか返らない。
「青い顔で良く吠える。あんたらは立派だよ。しかし、なぁ」一度言葉を区切り「折角の決意に水をぶっかけるようで悪いんだが、若い奴らは逃がすべきじゃないか?死ぬのは俺たちやおっさんたちだけで良くないか?」
年寄りが口を開いた。
「そいつは確かにその通りだが――無理だろう。全部の門の前に奴らがいる。壁を乗り越えても絶対に奴らに見つかるぞ?」
ジュゲムが答えるよりも早く、いつの間にかその場に交ざっていたルプスレギナが口を挟んだ。
「教会で匿ってやるっすよ。あんな奴らに壊せる教会じゃないっす。ジョン様がお戻りになるまで絶対安心安全アインズ・ウール・ゴウン教会っすよ」
その教会がどれほど奇跡の産物なのか目の前で見た村人も見ていない村人も、ルプスレギナの言葉に安堵の息をついた。村人たちは死ぬ覚悟はしていたが、それでも流石に子供たちは死なせたくない。守りたい。救いたいと言う思いがあった。安堵から村人の戦意が緩んだのをジュゲムは悟った。しかし……
「ははは!なんだ!いや、ほっとしたよ」
笑い声が幾つか聞こえた。やけになったわけでもない。この場に相応しくない清々しい笑い声だ。
「妻や子供たちを助けられるなら憂いはないよ。子供を救ってくれたアインズ・ウール・ゴウン様への恩義、ジョンさんたちへの恩義を返させてもらうぞ」
「ああ、まったくだ!恥ずかしい父親では終わらんぞ!」
エンリちゃんよ。頼んだよ。
俺の子供を頼むよ。
エンリに全ての後を託すその言葉に、エンリは間髪入れずに答えた。
「ダメです!私も皆さんといきます。教会へはいけません」
「姐さんッ!」
「エンリ、ダメだ!」
「エーンちゃん、いいんすか?死んじゃうっすよ」
自分は村の長として最後まで皆と一緒に行動する義務がある。それが村人たちを死地へ向かわせる決断をした長としての役目だ。エンリはジュゲムの制止の声も、ンフィーレアの制止も、ルプスレギナの疑問も、振りほどいてエンリは大きく胸を張った。胸を張って自分もいくと宣言した。
「……エーンちゃんがそう決断したら、渡すようにジョン様から預かったものがあるっす」
そう言ってルプスレギナが取り出したのは、人の背丈ほどもある大きな旗だった。撮影隊に良く映えるようにと、カメラ目線と表情を作りながらルプスレギナは言葉を続ける。
「これは至高の四十一人が御方の御旗。ただの一度も地に着いた事のない御方々の旗。これをエンリ・エモットに預ける、と。
決して地に着ける事のないよう掲げなさい。ジョン様は必ず来ます」
神に仕える敬虔な
「あと堀には落ちちゃだめっす。ジョン様のトンネル工事がそろそろ終わりそうだから、今に水路に水が流れてくるっすよ」
満面の笑顔でルプスレギナは語った。それはその場の空気が温かくなる華やかな太陽のような輝く笑顔だった。
ニグンさん生存!ニグンさん生存!あれから5年……やっと出番が来ました。