per aspera
苦難を超えて、星の海へ
――セネカ、『狂えるヘラクレス』
01 静止軌道のランデブー
船内に警告アラームが鳴ると、岬は反射的に航法室へ跳び込んだ。計器に目を走らせながら、インカムのスイッチを入れる。背後から貧民が逃げたぞ、取り立てましょう! と聞こえたが、一切耳に入れなかった。
航法席に座り、コンソールでアラートを止める。異常はどこにあるんだ?
「クーちゃん、これ何の警告?」
「ご主人、いつまでもトランプやってちゃ駄目じゃない」
ヘッドセット越しにsAI(補助人工知能) が言う。生まれたては従順な人口無能であったが、今では作り主に小言を言うほど自由になっていた。
「ほらほら、しっかりイベントタイマー見てよ。もうTマイナス20秒だからね。バーニアで船首を180度変えておいたから」
「そうか、もう3分の2が終わったか」
「大貧民はちょっとお預けね。今日中に≪ガロプラ≫の遠征艇とランデブーするんでしょ」
「助かったよ。なかなか貧困から抜け出せなくてね」
「税の逆進性はここにもあったんだね」
「政治ってのは上に都合よくできてるってわけ」
岬はインカムのスイッチをスライドさせて、船内スピーカに切り替えた。
「これより、減速航程に入る。前向きの慣性に注意。9―8―7――パルス炉出力安定――4―3―2―1、点火」
スロットルを押し込んだ。
ごうと振動が伝わり、船内が前方に突っ張るように感じた。
実際は揺れてなどいないが、ジェットコースターが急停止した際に感じる前向きの加速度と原理は似ている。
「……貧民の反乱」
「ミサキ! 安全運転でお願いします! 」
「兄さん、初心者の運転は安全第一ですよ」
「勝手に徴収しといたからな、八宮の旦那」
居住室の方から暢気な声が聞こえてきた。慣性に襲われながらも、カードを手から離さなかったに違いない。
はたして、どこにこんな余裕があるのだろうか。
≪ガロプラ≫の遠征メンバとの初顔合わせを前にして、不安は
星々が廻る暗黒の海。
そこに白い瞬きが一つ、流星のように尾を引いていた。
その瞬きは黒いプレハブ小屋、もといキオン遠征艇の船尾から吹き出ている。
船尾の向かう先には玄界があった。85%の出力で、パルス型の炉がプラズマを噴きだしている。その粒子のいくつかは玄界に当たり、透過するだろう。
べつに、Uターンしようというわけではない。減速航程のための逆噴射だ。
玄界の静止軌道にのせるため、第一宇宙速度まで減速する必要があった。
さまなくば、玄界を通り過ぎてしまうか、衝突するか、航路修正のために燃料を浪費してしまう。古典物理学に従えば無重量空間の場合、船を止めるには加速と同じだけのエネルギィを要する。特殊なテクニックを使わない限り、加速をやめた時点で燃料が半分残っていなければならい。これが宇宙の掟というものだった。
最速の航海を目指すなら道中の半分を加速にあて、もう半分を減速に当てるのだが、――燃料カツカツのキオン遠征艇にそこまでの羽振は望めなかった。航法コンピュータが時間と燃料を秤にかけ導き出したのは、最初の三分の一を加速、中継ぎの三分の一を慣性航行、最後の三分の一を減速航程にあてるという節制運転だった。
台所事情を考えられる優秀なコンピュータに従って、航法席の岬はヴァーニアを吹かした。
姿勢制御だった。
船尾の左で光が瞬き、船が2度右へ向く。
再び瞬いた。今度は逆の右だ。
1度左へ傾いた。
次は47秒右へ。そして、32秒左。
過剰制御はよろよろと千鳥足みたいだった。
数センチのズレで、数キロメートルずれる世界にいるのだ。岬は神経質なほど微修正を繰り返していた。
「ご主人、こんな運転じゃ向こうに舐められるんじゃない」
「それは言わないでよ。何事も経験ってことで許し」
その時――
突き上げるような衝撃が岬を襲った。
背中が痛い。許されなかったのだ。
衝撃に目を閉じた一瞬の内に、真下になった天井に落下していた。
その後は、上も下も無く、天地が入れ替わり続けた。
「ミサキッ! 安全運転ですよおおおぉぉ! 」
「兄さん! 初心者なんですから! ってきゃああっ!!」
驚天動地だった。居住室から悲鳴が響く。
目を開くと、姿勢制御指示器がスロットマシンのように回転していた。
「クッ、クーちゃん! これ何――」
「ご主人! ヴァーニア止めて! 制御弁が機能してない。全開で吹き出てる」
船内はきりもみ回転だった。ディズニーワールドでも味わえそうにない。
勢いは凄まじく、遠心力(外向きの加速度) で壁や床や天井のあらゆる面が床になった。
「クーちゃん、燃料供給を止めて!」
「だから、その弁がぶっ壊れたんだって」
「配管の系統の変更は!?」
「複式は全部捨てたよ、一系統しかない!」
「じゃあ、爆破ボルトでヴァーニアスラスタ切り離し! 」
「そんな冗長系とっくに船外遺棄した!!」
「逆向きの噴射で相殺しよう」
「それだ!」
2人(正確には一人と一機) は混乱していた。
実行すると、揺れは収まったが、すぐにヴァーニア用の補助燃料は底をついた。
からっけつになると、当然のように船体は安定した。
故障の原因など知るすべもなかったが、それは1000分の1ミリ単位のズレによるものだった。ボルトの僅かな歪みに応力が集中して、そこから決壊した。ナノ単位の不備はおよそどのような機械にも起こる事故であり、だからこそ宇宙船のような高価な機械は正副二系統用意する等して、冗長性を持たせるのが慣例である。
生憎この船は、複式や複々式のモジュールを投げ捨てた冗長性皆無の機会の塊だった。
メインスクリーンには、警告がスーパーの広告のようにひしめいている。
ウーウー、ビービーと複数の警報機がうるさい。
暗黒の海を渡る遠征艇は潜水艦や飛行機と異なり、静かで摩擦の少ない場所を航海するように設計されているのだ。もとより、設計思想に軽量化がある。衝撃にはからきしだった。
岬は呆然と立ち尽くし、ため息をついた。
船長失格だ。
みんなを危険な目にあわすなんて、合わす顔がない。
何がたどり着くためにはモジュールを捨てるしかないだ。
こんな失敗をしたら、エルが自分のせいだと自らを責めてしまう。
失意と悔しさの中、キンコーンとミスマッチな電子音が鳴った。
「素晴らしい運転だったな。ミスター」
老練な兵士を思わせるしぶい声だった。
太い眉。額のやや右に
そんな
岬はその全員を≪キオン≫諜報部から貰ったデータファイルから知っていた。一度惑星間通信をしているので、向こうも岬のことだけは知っている。
先ほどの電子音は通信要請を知らせるものだった。周波数を調べると、ガロプラの遠征艇だとすぐに分かった。
無様な姿をさらした直後だったが、出ないわけにはいかない。
岬は苦笑いで応じた。
「恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
通信による会話のブランクは1秒弱だった。2つの遠征艇の距離は10万キロほどだろう。岬は電波の速度から計算した。これは地球と月の距離の4分の1に相当する。接触まで、あと僅かしかない。それまでに、ベクトルや速度、姿勢を整える必要がある。
1秒弱程度のラグは会話の支障とならないらしく、額に傷の男――ガトリンはゆっくりと頷いた。
「なあに、構わん。それよりも定刻通りランデブー出来そうか」
「危なくないっスか? 隊長」
金髪の若い男――レギンデッツが口を斜めにする。
「あんな暴走運転した奴を近づけるなんて」
「そんな言い方ないだろ、レギー」
もさもさした赤髪と大人びて見えるあごひげが特徴の男――コスケロが
「向こうも貴重な戦力なんだから」
「それが――」
岬は重々しく口を開いた。心苦しくも、この惨状を報告しないわけにはいかない。
「どうにも姿勢制御ヴァーニアの燃料を全部失ってしまって」
1秒弱遅れて、向こう側の全てが絶句した。スクリーンに映るその遅れが絶妙に間抜けですらあった。
船にとって、心臓が動いていても手足をもがれたレベルの致命傷だ。
どことなく風間蒼也風味の男――ラタリコフの顎が外れるそうになるのも無理はない。
絶句から立ち直ったレギンデッツは、使えねえ奴らだなあ、とこぼす。コスケロも驚きのあまり、窘めることが出来ずにいた。
岬には向こうの様子が全部見えていたいたし、聞こえている。自分への信頼が音を立てて崩れていくのが分かった。
「あ、でも――」
岬は思いついたように言った。脳内の三次元グリッドに低次曲線を2つ乗せ、ベクトルの合成を10数回試行し、交点を探る。
概算だけど、なんとかなりそうだった。
「船尾の推進機構は4つあるから、それをかわりがわりに使えば姿勢制御できそう。たぶん、静止軌道に乗せてランデブーはできます」
「たぶんじゃ危険だろうが」レギンデッツが怒鳴った。
「ご主人、このPDF向こうに送って」
「今、航法計画書送ります。定刻、定時に相対的に停止できます」
すぐにエンターキィを押しこむ。
クーちゃんならこの程度の多変量演算は朝飯前だ。計画書を確認する必要も無い。岬はsAIを心底信じ切っていた。
高利得アンテナを経て、指向性を得たバイナリデータは1秒も経ずして向こうの船に届けられた。
先ほどよりもさらに距離は近づいている。
スクリーンに映る向こうの様子でそれが分かった。
≪ガロプラ≫の6人は遠征艇のドライブからダウンロードした航法計画書に目を走らせていた。次第に、目が見開かれていく。
驚愕の表れだった。
「おい、ヨミならできるか?」
レギンデッツが言う。
「こんな計算をあんな短時間に」
「並列処理って言ってもぼくはべつにコンピュータってわけじゃないから。いずれにしても、向こうはいい演算装置持ってそうだね」
「ケッ、アフトといい、キオンといい、資源のある国はずりーぜ」
「レギーそれは違う」ヨミは脳波アシストのバイザーをあげた。「あれはレギーが小国とこき下ろした玄界の技術。それに、≪キオン≫の電子工学は一世代くらい遅れているし」
「……ケッ」
「ほら、お前ら、もう通信を切るぞ」ガトリンが
よろしくお願いしますと岬は返事をしたが、すでにチャンネルは閉じていた。
航法席に着き、周りに人がいないのを確認してから一つ息を吐く。
向こうの隊長はしっかりしていたなあ。
威厳と仲間からの信頼があった。
それに比べて……。
岬はぶんぶんと頭を振った。これ以上自己嫌悪に陥るのはよくない。人間工学によれば、上を向くだけで気分は幾分晴れるらしい。確か、βエンドルフィンやドーパミン等の脳内化学物質が分泌されるのだとか。
首を持ち上げると、再びため息が漏れた。
航法室はシェイカーの中のような惨状で、惨めにさせるには十分だった。
「ご主人、しっかり舵取って。まずはAノズル70%とCノズル50%。11秒後にDノズル80%だから」
暗い気持ちは、息をつく暇もない操縦制御が忘れさせてくれた。お葬式にちょっと似ている。
ガロプラ遠征艇は玄界の静止軌道上を秒速7.7キロで周回軌道していた。
操縦桿を握る岬の手は汗に濡れている。
バーニアスラスタの代わりにパルス炉のAノズルを0.1秒だけ吹かし、キオン遠征艇にベクトルを合わせた。次に4基全て使ってV軸(速度ベクトル) を揃える。
ふと窓を見れば、ガロプラ遠征艇がぴたりと静止していた。
銃弾の10倍の以上の速度で運動しているにもかかわらず、速度の一切を感じられない。
相対的停止状態。――つまり、ランデブーが完了したのだ。
向こうの遠征艇の翼端がちろりと閃いた。
バーニア噴射だ。水平姿勢を維持したまま、こちら側に寄せてくる。見えないレールに乗っているような、滑らかな動きだった。
瞬く間にキオン遠征艇のエアロックにボーディングチューブが繋がれる。シームレスな無線のやり取りで、10分後会談が行われることになった。
「みんな、向こうに失礼のないように。身だしなみとか」
修学旅行の引率さながらだった。
どのような恰好が相応しいか話し合ったが、荷物が少ないためろくな服がなく、トリオン体が一番フォーマルだという結論が出た。
「おい、さっさと来いよ」
若い声、おそらくレギンデッツのイライラがエアロックから響いた。
「こっちは丸一日お前らを待ってたんだ」
「態度の大きい奴ですね! 私が王――」
「エルッ、それは知られないほうがいい」
「むむむ、確かにそうですね。私が誘拐されちゃうかもしれません」
「指輪はつけてる?」
「それはもちろん。あ、でも、薬指はミサキのために空けていますからねっ! 」
「おいっ! 早くしろよ」
キオン遠征艇の7人は顔を見合わせた。どうやら歓迎ムードではないらしい。
エアロックで気密を閉じてから、つかつかと歩みを進める。前を行く金髪はぶつぶつとこぼしていた。
向こうの船――ガロプラの遠征艇――は、レトロな作りだった。レトロ趣味というわけでなく、費用の問題でレトロなのだろう。壁の継ぎ目は古かったり新しかったりで、パッチワークみたいだった。テセウスの船が連想される。
壁や天井に、配管や絶縁ケーブルが縦横に張り付けられていた。前を行くレギンデッツは配管をコツコツと叩き、耳を寄せる。たっぷり一秒後、うんうんと頷いた。メンテナンスなのかもしれない。特に振り返ることもせず、彼は足を速めた。
後を追いながらも岬はきょろきょろと辺りを見回す。初めて見るものばかりだった。けれど不思議なことに、どことなく懐かしい雰囲気があふれている。壁に埋め込まれたメータや指示器はデジタル表示でなく、時計のようなアナログ式。配管のメッキは僅かに剥がれており、錆の香りがした。
見た目にこだわりはないようだ。プラグマティックな国民性かもしれない。
足元のぼんやりとした非常灯をいくつか過ぎると、レギンデッツは鉄はしごを降りて行った。
コンッ、コンッ、と高い音。
下に人がいなければ、レディファーストなのだろうが、どうにも梯子の底には人がいるらしい。
自分が先に降りて人払いをするべきだろうか。いや、向こうにもそれなりのデリカシーはあるだろう。でも、王女様に粗相があってはいけない。
岬は逡巡していたが、その甲斐なく、我先にとエルフェールは降りて行った。好奇心の赴くまま、ドレスの下など全く気にならないようだった。
それに凪がついていき、最後にドギマギしていた男性陣5人がカツカツと梯子を降りた。
「若いな……」
降りるなり、声がかけられた。
生で声を聞くのは初めてなので、誰が発したのかはよく分からない。
「なあ、そうだろ、ラタ」
レギンデッツが唇を尖らせた。意味ありげに、ジロッとこちらに目を向ける。
「操縦は上手くできないし、実力はなさそうだし、隊長はシャキッとしねえし、お前らと一緒にことを運ぶとなると不安になるぜ」
「おい、ふざけんなよ! 少なくとも八宮の旦那の方がてめえより100倍はつええぞ」
クラウダが吠えた。仲間が馬鹿にされると噛みつかずにはいられない性分だった。勢いそのままに、右手に大剣を
「玄界の奴らより先に斬ってやろうか」
「上等じゃねえか」レギンデッツは睨み返す。「新型トリガーの錆にしてやる」
「敗戦国がなにを吠えているんだかな」
「ハイエナのキオンが何を言ってやがる」
「そのトリガーも大昔の新型なんじゃねえのか」
「てめっ、言わせておけば!」
一触即発だった。
売り言葉が買いたたかれ、買い言葉が半額で売れていく。
テンションが張り詰めたとき、宥めるのはいつもコスケロだった。
「おい、レギー、なに喧嘩しようとしてんだ。≪キオン≫は今は味方なんだ。昔を引きずるのはお前の悪いくせだぞ」
コスケロの顔をよくよく見れば、めんどくさいことをいつも避けて、それでいて年中面倒ごとに巻き込まれていそうな顔をしている。要するに、面倒見がよさそうな奴だ。
コスケロに続いて、ガトリンが咳ばらいを打った。
≪ガロプラ≫の隊長なら当然この騒ぎを沈めてくれるだろう。当然のことのように岬は考えていた。
「確かに、レギーの言うことにも一理ある――」
油が注がれた。
岬の期待に反して、ガトリンはとうとうと言葉を続ける。
「一緒に任務をするってことは命を預けることでもある。お互いの実力を知っておくのも悪くない。ただし、訓練装置を使えよ。向こうの船のように荒れたらかなわん。――お前らが親睦を深めている間、俺と八宮で計画を煮詰める。コスケロはついてこい。八宮、そちらも一人出せ」
「じゃあ――」
岬はチラッと視線を泳がせたが、凪もエルフェールも牙をむき出しにしてレギンデッツにくってかかっていた。スノリアのみんなもどうやらやる気らしい。それに触発されたようで、ラタリコフもガロプラの紅一点――ウェン・ソーも腰をあげていた。
狭い船内生活に刺激は欠かせないのだ。
「ええと、sAI(補助人工知能) 連れていきます。あと、仮想戦闘装置にこの3Dマップを使ってください。ボーダー基地周辺を再現したものです」
「よろしく、ガトリンさん。僕のことは九宮と読んでほしい」ピンマイクからsAIが言った。
「やはり、この分野では玄界には敵わんな。よろしく頼むぞ」
ガトリンは片眉を上げて、岬の手から大規模記憶装置を受け取った。
それから固い握手。
岬は握り返す。ごつい感触だった。
「こちらこそよろしくお願い」
「玄界のよろしくって何をよろしくなんだ?」
「そっちが先によろしくって言ったけど?」
「こっちのよろしくは、協力して任務を成し遂げよう、そのためにお互いの親睦は欠かせない、という意味だ」
「こっちもだいだいそれと同じ」
ガトリンが相好を崩したのを見て、岬もクスッと笑った。
厳しそうな顔をしているけど、ジョークも分かる人じゃないか。
ファーストコンタクトはまあ及第点。
先を行くガトリンの大きな背中を見ながら、岬は楽観視した。
お久しぶりです。
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野尻抱介節を目指してるんですけど難しいですね。野尻先生の既刊分は全て読みました。(BBFを読んでどうぞ)