トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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テクノロジーは宇宙共通の物理法則に従って構築されるから、地球外文明があるとすれば、多くの類似点を持つはずだ。車輪や歯車、増幅素子、論理回路などはたいていの地球外文明が独自に発明しているだろう。――――野尻抱介


15 修羅場・回り始めた歯車

 思いがけない形で兄妹は再会した。

 岬は目を丸くして驚く。

 一方、凪はトレンチコートの女性へ向けて、憎しみ(訝しみとか、当惑ではない) のこもった視線を向ける。

「凪!? 」岬は上ずった声を出す。「どうしてここに? 」

「兄さんを追ってきました」凪は即答した。「というか、そのトレンチコートは誰ですか? 私が大変な思いをしてここまで迎えに来たのに、()きずりの人とデートってどういうことですか、兄さん? さあ、帰りますよ兄さん! 」

 凪は吐き出すように言葉を並べた。勢いそのままにカフェテラスへ足を踏み入れる。走ってきたせいなのだろう、吐く息は荒く、頬も上気していた。

 エルフェールはそんな彼女に怪訝(けげん)な視線を向けた。

「王女に向かって、行きずりとは失礼ですね! あと、ミサキは帰りませんよ」エルフェールは手元の誓約書を凪に向けて突き出す。「ほら、これを見てください! 」

「はあ!? 誓約書? 」突きつけられた紙片に、凪はざっと視線を走らせた。「私ハチミヤミサキは婿になるって、はああ!? どういうことですか、兄さん! 」

「どうですか? わかりましたか? ミサキの妹さん? ミサキは私のお婿さんなんです! 」

 一言一言挑発的に声を出し、エルフェールは岬の肩に手を回して身を寄せた。修羅場に遭遇したカフェのホールバイトは青い顔を浮かべながら、ケーキセットをそっと置く。彼は石ころにでもなりたかったに違いなかった。

 凪はケーキセットからコーヒーを手に取って、半分ほど飲む。運動と興奮による心拍数増加を抑えるための行動であった。飲み終えて、一度、深呼吸。

「兄さん? 」凪は王女を無視して、兄を見上げた。「私は針千本飲んだ兄さんでも愛せますよ。さあ、飲んでください。こんなの反故(ほご)ですよ、反故(ほご)

 深呼吸をしても、凪の思考は動揺(どうよう)の限りで覆い尽くされており、あまり理性は残っていなかった。

「いや、千本も飲めないって、凪……」(なだ)めるような声で岬は言う。「あのさ、凪は怪我とか無い? 誰かに追われたりしてない? 身の安全は大丈夫? 」

「いえ、大丈夫ですよ兄さん。特に追われていませんし、スノリアの自警団のみなさんと一緒ですし」

「風邪とか病気してない? 」

「兄さんも心配性ですね。ほら、心身ともに健康体です」そう言ってから、凪はくるっと一回転。流しっぱなしの髪が楽しげに踊った後、再び兄と正面から向き合う。それから、思案顔で首をかしげた。「いや、やっぱりですね。心はあまり平静じゃないようですよ、兄さん」

「そんな、自分を客観的に……。でも、よかった。本当によかった、無事で」

 五体満足の妹から安否の確認ができた岬は、安堵しきった声を出した。彼にとっては一番の心配事が解決されたと言ってよく、隣で頬を膨らませるエルフェールなんて眼中にない。

 凪は兄の安心しきった表情を見て、胸を撫で下ろした。――自分の健康を気遣ってくれるということは、兄さんにとってあのトレンチコートはどうでもいいに違いない。

「私もよかったですよ。兄さんが無事そうで。……ただ、この紙は納得しかねますが」

 凪は胡散臭(うさんくさ)げに誓約書を見つめてから、ひらひらとその紙を揺らした。エルフェールは凪から誓約書を奪い返して、刻まれた文書を見せつけるように、テーブルの中央へ置く。そして、おもむろに銀のフォークを手に取り、上品な所作で――カチャリとも音を立てないで――ショートケーキを切り分けた。

「むむっ、疑っているようですね。いいでしょう、ミサキが私のお婿さんだということを見せてあげます! さあ、ミサキ! ここは定番のアーンの出番ですよ!! 」

「やりました」凪はポツリと言った。

 エルフェールは目を点にした。

「はて、やったというのは? 」

「だから、兄さんと私はやりました」

「やったって、アーンをですか? 兄妹で? 」エルフェールは首をきょとんとかしげる。

「はい。兄さんと私はオムライスで経験済みです」

 凪は端的に言った後、エルフェールの顔をチラッと見てから、ヘンと鼻息を鳴らした。

 岬は手の平で顔を覆った。思わずため息が漏れる。わざわざ小火(ぼや)を山火事にする必要はないのに、という胸中であった。ここで否定をしようとしないのが、岬が岬たるゆえんなのかもしれない。

 岬のファーストを取られたことに少なくない動揺を受けていたエルフェール。だが、なんとか気を持ち直し、震える手を懸命に抑えながら、フォークでショートケーキを口に運んだ。

「じゃあ、ちょっと早いですけど、間接キスにしましょう! ねっミサキ!! 」

「やりました」ぽつりと凪は言った。ふんと鼻息が漏れた。

 エルフェールの目が再び点となって、白黒と明滅。

 が、すぐに気を振るい直し、こぼれ落ちそうになったフォークを強く握る。

「兄妹はノーカンです!! 」栗色の髪を騒がせて彼女は声をあげた。

 目にもとまらぬフォーク捌きでケーキをのせ、それを岬に向ける。エルフェールの眼光はフォークの銀色と同じくらい、ギラリと鋭い。

 岬は刺さる刺さると声を慌てさせながら、横方向に手を振った。

 あーんを巡った2人の攻防は傍目にはカップルのいちゃいちゃに見えるのかもしれない。少なくとも凪にはそのように見えたのだろう。彼女は爪が食い込むほど拳を固く握り、わなわなと小刻みに振るわせる。

 振るえる腕を理性でコントロールし、凪は卓上の誓約書を(つま)上げた。千切ってしまおうとその指に力を込める。

 それを察知したエルフェールは、千切られる前に奪い返す。凪は小さくない舌打ちをする。そんな凪は見たくなかった、と肩を落とす岬。2人が取っ組み合いを始める前に逃げた方がいいよ、ご主人、とsAIは思考していた。凪のとなりのサシャも大きな動揺を受けていたが、お前の母ちゃんでべそとか言い出さないうちに場を落ち着けた方がいい、と考えていた。

「兄さん、その誓約書は本当に兄さんの本意ですか? 国家権力に脅されたんじゃないんですか、兄さん」

「いえ、ミサキは自発的にサインしましたよ。そうですよねミサキ? 」

 凪とエルフェールはぐいと岬に詰め寄った。2人の長い髪が揺れて、栗色と黒と混ざる。カフェテラス中の視線が岬に集まった。否、往来の多くがこのカフェに注意を向けているだろう。昼ドラが明白に語るように、はたから見る修羅場というのは最高のショーの一つなのだ。

 青い顔をした岬は一度深呼吸。そして、思考の整理。

 エルフェールが王女だとばれたら拙い(まず)いだろう。というか、もうばれているんじゃないか? 身辺警護を命じられた身でそれをやったら、拙い。この後、国王と交渉をするつもりなのだから、なおさらだ。しかもエルフェールなら凪に向けて、不敬罪です!! とか言いかねない。つまり、一もなく二もなく、逃げた方がいい。

「凪、宿はどこ? 」端的に岬は言った。

「居住区のホテルアカギってところです、兄さん」答えてから(かぶり)を振った凪はキッと兄を見つめあげる。「というか兄さん、今は宿なんて関係ありません」

 凪の声を無視して、岬は隣のサシャを見据えた。

「じゃあ、サシャ」岬は握手のつもりで手を伸ばした。「凪のことをよろしくね」

「よ、よよ、よろしくというのはどういうこと? つ、つつつまり、そういうこと? 」サシャはガチガチの声で言った。油の入ってない機械のような動作で岬の握手に応じる。1秒握ってすぐに離れた。

 目の前に王女がいらっしゃるのだから彼の緊張も無理はなかった。だが、それ以上に――凪をよろしくというのは、つまり、きっと、そういうことなのかな。そうだと嬉しいな。うん、きっとそうだ。ということは、岬が未来の義兄さんになるかもしれない。わあ、義兄さんの手を握ってしまった――都合の良い解釈が彼の頭を埋め尽くしていたのだ。

 (ほう)けた表情を見せるサシャを不審に思ったが、それに突っ込む時間は岬に残されていない。

「じゃあ、凪。あとで必ず連絡するから、躰だけには気をつけてね」

 岬は凪の頭をゆっくりと撫でた。凪は一瞬恍惚そうな表情を見せたが、後でじゃなく今兄を連れ戻すべきだと、表情を引き結ぶ。

 だがそれよりも早く、岬がエルフェールの手を取った。

「ほら、エル。人がたくさん集まったから帰った方がいい。身分がバレたら大変だし、今狙われたら周りに迷惑がかかる。それよりも、守るときに注意すべき場所が多いからきっと大変。またカフェには来れるから、ね」

 早口でまくしたて、エルフェールの手を強く引く。

 が、――それ以上の強さで引っ張り返された。女性だからと力を緩めたのもあるだろう、それでも、ムキになった彼女の握力はなかなかだった。

 お転婆な行動がエルを鍛えたのかもしれない、と岬は思案顔を作る。だが、そんなことを考える余裕はない。どうすれば穏便にしかも素早く立ち去れるかを考えるべく、スイッチを切り替えた。

 見れば、エルフェールはこちらを不満げに見つめているではないか。

 もう手段は選んでいられなかった。

 握った手を一度離し、再度ゆっくりと握る。

 指と指を絡めるように、一つ一つ折りたたむみたいに、しっかりと。心を殺して、妹の悲壮な表情は見ないことにした。

 一方エルフェールは、うっとりと満面の笑みを浮かべ、岬の顔とつないだ手に見とれている。

 現金なお姫様であった。

 そこからのエルフェールは、速かった。

 握られた手を強く握り返し、颯爽と席を立つ。

「ミサキ! ずらかりますよ」

「凪、また今度ね。絶対に迎えにいくから」

「ミサキ、私というものがありながら! 」大きな声で咎め、続いてくるりと表情を一変させ、凪の方に向き直る。まるで勝ち誇ったかのように、恋人つなぎされた手を見せびらかした。

「いいですか、ミサキの妹さん。私とあなたとでは身分が違うんです。あなたはミサキの妹、そして私は――」

 バサリ、と勢いのよい音。脱ぎ捨てられたトレンチコートが宙を舞う。栗色の髪が豊かに跳ね、お姫様のトレードマークとも言える黄色のドレスが眩しく輝いた。蛍光灯の下ですら、その生まれのおかげだろうか、威風と気品がある。

「――キオン第三王女なのですッ! これ以上ミサキに纏わりつくなら不敬罪を食らわしてやりますよ! 」

「エルッ! いいから行くよ」

「国家権力を傘に着て私の兄さんをっ! 」

「凪! 絶対迎えにいくから、大丈夫だから」

 振り返りながら声をだし、逃げるようにして岬は走り去った。エルフェールは去り際に凪へとアカンベーを繰り出す。その挑発にこれみよがしな舌打ちで応じる凪。唾を床に吐き捨てなかったのは、彼女の理性のおかげだ。サシャは、そうか岬が義兄さんになるのか、と繰り返していた。

「マスター! ツケといてください! 」

 壮絶な修羅場の後、エルフェールの声だけが残された。

 

 ヒロシゲに乗って、岬とエルフェールは無事に城へと帰った。岬はエルフェールを彼女の部屋にエスコートしてから、一時間の(いとま)をもらった。国王に話があると岬が言うと、エルフェールはしぶしぶ了承してくれたのだ。離れる間際、彼女の頬が膨らんでいたのには、心当たりがありすぎる岬であった。

 エルフェールの部屋の前で岬はひそひそと話し出す。

「クーちゃん、データリンクはできた? 」

「OK。ばっちりだよ、ご主人」

「クーちゃんは辛かったりしない? 」心配げに岬が言う。

「何が? データリンクのこと」不思議そうにsAIが答えた。

「そうだよ。だって、記憶が増えたら、人格(パーソナリティ)に影響がありそうだから」

「ううん、そんな今更だよ。それに、ご主人の考え方は人間中心主義だと思うね。僕としては単純に情報が増えるだけだから、つらいとかはないかな」

「そう、それならよかった」

「あ、でもね、ご主人。データリンクする直前に自己会議を行ったんだよ。そしたら凪の方にいた僕がさ、どうしてご主人を守れなかったんだよって怒ってきたの。おかしいよね、同じ僕なのにね」sAIはくすっと笑った。

 それにつられて、岬の顔も綻んだ。

「あ、あとね、ご主人」sAIの声はふわふわと楽しげ。「リオンにドローンを踏まれたとき、ご主人が本気で怒ってくれたでしょ。向こうのみんなは生でそのシーンにいたかって、口惜(くや)しがってたよ。本当に笑っちゃうよね、どうせ記憶共有されるんだから変わらないのにね」

 うんうんと岬は頷いた。ゆっくりと優しい時間が流れている気がした。

「ねえ、クーちゃん。凪は本当に大丈夫そうだった。何か異変はなかった? 」

「大丈夫だったと思うよ。途中の宿では、凪は一人部屋だったし、スノリアの自警団もそれなりに強いし、よほどのことがなければ大丈夫じゃないかな。向こうの僕がドローンを飛ばして、定期的に情報を交換することになっているしね」

「それなら、安心そうだね」岬は頷いた。そして、ゆっくりと話し出す。「でさ、クーちゃん。P*C-(1-P)*Gはどうなると思う。Pは違法行為が失敗する確率、Cは違法行為失敗時に払う代償、Gは違法行為で得る利得ね」

「なんか唐突だね、ご主人。ノージックの抑止刑論の分析がどうしたの? 」

「これさあ、Gが無限大だと、抑止にならないよね」

「Cが死刑とかだと、そっちも無限に等しいじゃないの」

「人の選好は勝手に他人が決められません」少しだけ得意げに岬は言った。「よって、クーちゃんのそれは却下」

「ご主人、回りくどいよ。つまり、何が言いたいの」

「答えは、これから僕が国王陛下に言うから、それを楽しみにしててね」

「あまりいい予感がしないんだけど、ご主人……」

 

 白シャツの襟を正し、黒のネクタイをきっちりと締めなおす。折り目正しい格好で、岬は国王の自室の前にいた。

 一度、深呼吸。ノックを3回。(かしこ)まった口調で自身の名前を述べる。

「おお、岬君か。待っておったぞ、さあ入ってくれ! 」

 予想外の歓迎に岬は首を傾げた。だが、歓迎されて悪い気はしなかったので、特に警戒せず部屋へと入る。そのままソファーに通された。一度(ことわ)りを入れてから、岬は腰かける。ゆったりとした感触。ソファーは対になっており、対面で向かい合う2人。相対距離は1mくらい。

「岬君、その、あれだ、最高だったぞ! 」鼻息を荒くして国王は言う。「やはり、玄界文化は素晴らしい! 実用的なのがなおさら素晴らしい!! 」

 なるほど、と岬は首を縦に振った。Not同性愛者証明のために国王に提出した資料を、彼は大変お気に召したらしい。やはり、国王も男である。

「あの、国王陛下」(うやうや)しく岬は言う。「私は玄界のテレビゲームという代物(しろもの)を持っています。それを献上することも可能です」

「何!? 岬君、それは本当か!? あと、わしのことはお義父さんと呼んでくれても構わん! 」

 国王は定型句のようにお義父さんの(くだり)を口にするが、それは形式上の意味しかない。少なくとも岬にとっては。

「はい、本当です。こちらに持ってきた玄界文化のほとんどを提供できる用意があります。つきましては、お願いがあるのですが……」

 岬は声を渋った。これは国王に興味を持ってもらうための演技であった。凪の無事を確認した今が、交渉の最大のチャンスだと岬は考えていた。

 国王は口ひげをゆっくりと撫でてから、厳粛な口調で申してみよと言った。岬はゆっくりと首を縦に振る。

「≪惑星国家 トランタ≫までの旅のサポートと資金の提供をお願いしたく思っております」

「いや、いくら玄界の文化ためとはいえ、道楽で国庫を着服するわけにもいくまい……」

 国王の返事はすげないものであった。だが、岬はまだ肩を落とさなかった。切るべきカードならまだある。

「国王陛下」声のトーンを一段落とす。「エルフェール殿下から『マザートリガー』の話を聞きました」

「そうか……」国王は肩を落として、目を細めた。人間は何かを見ようとするときに目を細めたりはしない。ゆっくりと目を開く国王。「それで、どう思った」

「色々と納得がいきました。エルが元気に振る舞うのも、国王陛下が親バカなのも、国王陛下が2週間で式を挙げるなんて言ったのも、エルがあんな部屋に閉じ込められたのも……」

「そうか……。国家機密なんだがなあ。かわいいエルエルを地下牢に入れる分けにいくまい。それにあと10ヶ月も残されていない……」

 吹けば飛んでしまう抜け殻のような声が国王から漏れ出した。普段の威厳は欠片も残っていない。

 娘を持ったことのない岬は国王の心中を察することはできないが、クーちゃんや凪の命があと半年と宣告されたら、彼みたいに憔悴(しょうすい)しきった表情をするに違いなかった。それだけに岬は、国王の気持ちを少しは分かっているつもりであった。

「国王陛下、心して聞いてください」岬はごくりと固唾(かたず)を飲む。国王も飲んだ。岬のは演技だったが、国王のそれは本物であった。「エルフェール殿下以上のトリオン保有量を持つ人物の居所(いどころ)を知っています」

 再び、国王はゴクリと固唾を飲み込んだ。それは喉から手が出るほど欲しい情報であったに違いない。その証拠に、国王は叫ぶように口を開いた。

「それは本当か!? 」ソファから立ち上がり、岬の肩をきつく掴む。

 顔色一つ変えずに、答える岬。

「本当です。エルは助かります」

「それは誰だ!? その場所は!? 遠いのか!? 近いのか!? 早く! 早く教えてくれ!! 」かぶりつくように国王は聞く。

「ねえ、ご主人」抑えきれず、sAIは声を出した。「それって、千佳ちゃん……」

「そうだよ。察しがいいね、クーちゃん」

 国王の面前(めんぜん)にもかかわらず、岬はsAIの問いかけに答えた。ただ、説得すべき相手は間違いなくこちらだった。エルフェールの『マザートリガー』化が防げるのであれば、国王が首を縦に振らないわけがない。

 岬は親バカ国王の親バカ具合を心底信頼していた。

「クーちゃんはそんなことが寄与(きよ)した躰じゃいや? 」

「嫌じゃないけど……」

「じゃあ、だめ? 」試すような声で岬は訊く。「これからの旅で、僕と凪に危険があるのは嫌なんだけどなあ」

「だめじゃないよ……。まあ、確かに、≪キオン≫のバックアップを受けられれば、これからの旅は楽になるだろうけど……」

「じゃあ、言うことはないね。そうだよね、クーちゃん」

「ううん、僕が心配なのはご主人だよ。ご主人の心は大丈夫なの? 」

「平気じゃないよ。良心は痛む。だけど、加重総計をとれば、比べるまでもない」岬は自嘲気味に肩をすくめて見せる。「僕の心はあの地下牢の一件で壊れているのかもね、クーちゃん」

「そんなことないよ。ご主人の頑張り屋さんなところは変わってないし、目的のために努力するご主人が僕は大好きだから。…………まあ、結論としてはロボット工学三原則なんて時代遅れってことになるのかな」

 岬とsAIの話に決着がついた。

 その間、国王は岬の独り言を聞く羽目になっていたが、大事な娘を助けられる可能性があれば、そんなことは辛抱でも何でもなかった。

「国王、この娘です」岬は個人端末にボーダーの隊員表を映した。それを国王の目の前5cmに突きつける。「この、雨取千佳という娘がそうです」

 国王は目を皿のようにして個人端末を見つめ、目の焦点を黒髪ぱっつんの娘に合わせた。

 

 それからの話は怖いくらいのとんとん拍子で進み、一つの契約が結ばれた。『雨取千佳を≪キオン≫に引き渡せば、≪キオン≫は全面的に八宮岬一行(いっこう)旅程(りょてい)を支援する』と書かれた誓約書ができあがる。岬は「八宮岬」としっかりサインを行い、親指の血判で念押しをした。

 そうと決まれば、国王の行動は迅速であった。諜報部、惑星間航行部、遠征戦略部、造船局、惑星軌道観測局がたちどころに招集され、すぐさま会議が発足(ほっそく)した。前方にスクリーン、中央にU字型のテーブルがある会議室に、部長や局長のお歴々が勢ぞろい。高度な官僚的能力が発揮され、あれよあれよと話が(まと)まっていく。

「玄界に最接近しているのは≪ガロプラ≫、≪ロドクルーン≫だ。2つとも、≪アフトクラトル≫の属国だな」眼鏡をかけた惑星軌道観測局の男が言った。

「その2国の諜報員と惑星間通信を行うわ。1時間ほど時間を頂戴」諜報部の女はそう残して部屋をでた。ハンドヘルドPCを(せわ)しく操作しながら、交信室へと駆け足で向かう。

「玄界まで3ラジアンあるが、たどり着けるのか」遠征戦略部の男が会議室に吊るされたスクリーンを不安げに見上げた。1ラジアンは≪キオン≫のエイトループ軌道の半径である。1天文単位のような扱われ方をする単位である。

「惑星を八艘跳(はっそうと)びすれば、首の皮一枚でいざ鎌倉が可能でござるな」頭をちょんまげにした惑星間航行部の青年が、赤いポインタでスクリーンを照らす。その赤い線は3回折れ曲がり、≪ロドクルーン≫をたどってから玄界にたどり着いた。男はこれにて一件落着と呟き、一礼をする。彼は国王のシンパに違いなかった。

「他の星ならともかく、うちの船ならいけそうじゃわい」

 白いひげをたくわえた造船局の翁が言った。階級が上層であるにも関わらず、生涯現役を心に掲げ、造船ドックでレンチを振るう翁である。≪キオン≫の略奪経済を支えている重鎮といってもよい。

「して、戦力は? 」豊かな白ひげを引っ張って、翁は遠征戦略部の男を見やる。

「現在、主力部隊のほとんどが遠征中だ。だが、国の守りを疎か(おろそ)かにするわけにもいくまい。≪アフトクラトル≫は気が立っているようだからな。だが、有力七諸侯にまかせて角が立つのも避けたい」

 遠征戦略部の男は手を組んで、むむむと首を(ひね)った。

 しばし沈黙。

 誰も、妙案は浮かばず、岬も眉間にしわを寄せていた。

 その時だった。まどろんだ空気を吹き飛ばすように、ドアが勢いよく開く。

「今、通信が終わったわ! 」諜報部の女が声をあげた。「諜報員によれば、≪ガロプラ≫、≪ロドクルーン≫は玄界に攻勢をかけるそうよ。目標は玄界の『界境防衛機関』にある遠征艇。それで本決まりに近いらしいわ」

「便乗しよう」遠征戦略部の男は即断した。

「ボーダーについての情報の全てを売る」始めて岬が口を挟んだ。

 かつていた機関を売るのに抵抗がないわけではなかったが、それよりも大きな利得が目の前にある。外患誘致罪を科さられるほどの罪であるのだが、葛藤はほとんど無かった。もとより、ボーダーに捕まれば記憶凍結が施されるのだから、これ以上罰が重くなりえない。どちらを味方につけるかで言えば、≪キオン≫と判断していたのだ。

 岬はこれが手始めと言わんばかりに、ボーダー本部の見取り図をスクリーンに出力した。玄界マニアの青年から赤いポインタを受け取り、西棟四階に位置する三雲隊の作戦室を赤く照らした。

「ここに目標がいる」岬は静かに言った。「ボーダーの主力、その全員の映像記録もある。もちろん、黒トリガーも」

 岬の覚悟に、部屋の中の空気が張り詰めた。

「それなら、少数精鋭だ。我らの目的は破壊ではない」遠征戦略部の男は目をギラリと光らせた。「隠密性が重要だな。5から8人くらい、2部隊ほどが望ましい」

「ペイロード(最大積載量) 的に6名までじゃ」造船局の翁が口を挟んだ。「その6名の中に、工船技術士、惑星間観測手が必要じゃわい。距離が距離じゃからな、安全係数を考えればこうなるわい」

 現場肌の実践的な質問を前にして、遠征戦略部の男は両手で顔を覆った。

「それでは実働部隊が4人になってしまうではないか……」

 彼の気づきが会議室中をどんよりと重苦しい空気に包ませた。

 対象を拉致(らち)するだけのミッションとはいえ、3人ではいかにも厳しい。≪アフトクラトル≫でさえ、精鋭6人を引き連れていったにも関わらず、金の雛鳥を奪取できなかったのだ。ましてや、≪ロドクルーン≫と≪ガロプラ≫が『界境防衛機関』に攻勢をかける真最中に侵攻しようと言うのだ。≪アフトクラトル≫の侵攻がきっかけとなり、玄界側は金の雛鳥のガード固めているかもしれない。≪アフトクラトル≫侵攻時よりも多くの戦力が迎撃態勢を敷いているだろと考える理由は十分にあるのだ。

 曇天のように湿った沈黙が、梅雨のように長く会議室を覆った。一人は頭をかきむしり、一人はウンウンと唸り、一人は(さじ)を投げる。順調に進んだかに見えた計画は、先の見えない霧の中に包まれた。

 雲間に差し込む光となったのは岬だった。

「僕がやる」

 岬は造船局の翁を真直ぐに見据えた。

「工船技術士と惑星間観測手をこなす」

 決意と覚悟。迷いのない声であった。

 が、一般にして、岬の提案は無茶そのものだ。技術が進歩しているからこそ、分業が起こり各分野で専門化、最適化されていく。だからこそ、≪キオン≫でも造船局と惑星間観測局が分かれているわけで、それらの技術は一朝一夕で身につくものではない。ましてや、船を運ぶということは多くの人の命を運ぶということだ。間違いは許されない。

 この業界に勤めて云十年の翁も、岬の提案がどれだけ突拍子のないものかは分かっていた。

「お主はずいぶんと若く見えるが、経験はどうじゃ」

「惑星間航行船の整備には1年近いキャリアがある」岬は即答した。「大規模問題を始めとする惑星間起動のシミュレートは玄界の電子工学の得意分野だ。工船技術士としての技量はこれから寝ないで身に着ける」

「寝ずにと言ったな、それに二言はないかの」

「そうだよ、寝るつもりなんてさらさらない。時間の全てをこれにかけたっていい」

「岬と言ったな、澄んだ目をしておる。若いころの陛下にそっくりじゃわい」造船局の翁は目を細め、白いひげをゆっくりと撫でた。「28:00から7:00までの間、一番ドックに来い。毎日みっちり叩きこんで、一端(いっぱし)の工船技術士にしてくれるわい」

「――お願いいたします」

 お辞儀をした岬は、しばらく頭を上げなかった。

 そのやり取りを横目で見ていた遠征戦略部の男の瞳には、可能性の灯火(ともしび)が浮かぶ。

 ≪アフトクラトル≫の≪キオン≫侵攻を人的被害0で撃退できたのも、彼の副作用(サイドエフェクト)――工学的認識能力――があればこそであった。燃え上がる火を髣髴(ほうふつ)させる勢いで脳内検討が進み、その計画が現実味を帯びていく。男はコホンと咳払いをつき、皆の注目を集めた。

「計画及びその工程管理が組み上がった。

 実働部隊には八宮を使う。これなら実質5名編成で急襲が可能だ。

 他のメンバは大会の成績優秀者を使う。 

 諜報部は今すぐ、≪ガロプラ≫、≪ロドクルーン≫とコンタクトをとれ。できるなら協調しろ。中枢国家協定八条に訴えてもいい。ただし、金の雛鳥の情報は渡すな。あとは諜報部と外交部がうまくやれ。

 造船局は一番いい船に増槽を装着しろ。ロストック社、タナバタ社と連携して、開発中の脱出用トリガーの同調もすませておけ。

 惑星間航行部と惑星軌道観測局は往路と復路の確認を徹底しろ。長旅になる、曲率は少数点以下9桁までだ。

 俺と岬は『雛鳥奪取計画』を詰める。

 それと、金の雛鳥については緘口(かんこう)令をしく。特Aだ。漏らせば首が飛ぶぞ。

 以上、質問はないな」

 男はぐるっと会議室を見渡した。集まった部長、局長は大仕事を前にして、目に火を宿らせている。皆、腕に覚えのある一流の技術者や官僚であり、望んでこの仕事に就くプロフェッショナルだ。≪アフトクラトル≫の大規模侵攻以来の大仕事に、腕まくりをする。

 遠征戦略部の男は力強く席を立った。「各自、最適の仕事を! では、解散」

 

 歯車が噛み合い、

 国家単位プロジェクトのトリガが引かれた。

 




長い文章でした。ここまで読んでくださってありがとうございます。
どうして岬君はボーダーと対立してしまうのか……。
感想やお気に入り、ありがとうございます。嬉しいです。
雰囲気をSFっぽく。
早く原作キャラクタ出したいですね。

※以下はチラシの裏、読まなくてもまったく問題はありません。
 凪、宿、一人部屋にて。

「なんですか、あの女は!? ありえなくないですか、そうですよねえクーちゃん。私の兄さんを勝手に婿入りさせるだなんて、あいつ頭が沸いてます」

「いや、凪の気持ちはわかるけどね。それでも、言葉遣いが荒れすぎじゃない」

「そりゃ荒れますよ。大体ですねえ、兄さんも兄さんです。私が苦労して王都までやってきたっていうのに、兄さんは優雅に玉の輿のヒモ生活ですよ。そりゃ、温厚な私も荒れるってもんです」

「あ、それなんだけどさあ、凪。次にご主人とあったら謝ったほうがいいよ。ちょっとこれ見て」

「なんだかいつもより声がとがってますね、クーちゃん……。じゃあ、ちょっと見せてもらいますよ。――――――って、なんですかこの蚯蚓腫れだらけで血だらけの痛々しい背中は。ちょっとグロ画像はダメですよ、クーちゃん」

「これ、ご主人の背中」

「はあ!? これが兄さんの背中って。そんな、冗談ですよねクーちゃん」

「いや、本当だよ、凪」

「あ、首筋のほくろ……。確かに兄さんみたいですね。でも、おかしくないですか? 何で、見初められたはずの兄さんが……」

「実はそこはまだよく分かっていないんだ」

「もしやあの王女ですか? 人の兄を取った挙句、過激なプレイをするなんて本当に許せません。兄さんはマゾじゃありません。マゾじゃありませんよね? 」

「たぶん、そうだと思うよ。ごめん、言葉が足りなかったね。ご主人は地下牢で拷問されちゃってたの」

「えっ――――そんなの、なおさらおかしいじゃないですか。兄さんは見初められたんですよね」

「うん、そうなんだ。ちょっとおかしい。誰の差し金かもよく分かっていない。たぶん、王宮で目立っていたご主人が邪魔だったのかもしれないね」

「そ、そそ、そんな理由で兄さんはあんな酷いことをされたんですか。……それでも、あの王女はへらへらと笑っていたんですか? おかしくないですか? そいつさえいなければ、兄さんが傷つく必要はなかったんですよ。あいつに兄さんの隣にいる資格はありません」

「まあ、そういえばそうかも。エルフェールさえいなければ、ご主人が傷つくことはなかったかもね。あんな婚約届紛いにサインすることもなかったと思う」

「私決めましたよ。あの王女をズタボロにしてやります。そういえば、大会のエキシビションマッチに王族が出るんでしたよね。もしも、のこのこやってきたらギッタンギッタンにしてやります」

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