クーちゃんのメンテナンスの様子を確認しながら、僕は呟いた。
「知識のすばらしい一面は、それがまぎれもなく無尽蔵であることだ。アイデアや発見、発明が枯渇することなど理論的にもありえない。情報には物質よりはるかに膨大だという際立った特徴がある」
クーちゃんの評価関数の推移を確認する時、つとに思う。クーちゃんは他人に触れ合うたびに、評価関数を修正して時には新しいカテゴリを作る。情報に終わりはない。
「ゆえに、イノベーションは終わらない」
メガネを軽く持ち上げて、僕の目の前のディプレイを覗きこんで、宇佐美さんが言った。
「八宮君、お久しぶり。リドレーの『繁栄』だったかな」
趣味の欄に”読書”と書き込むだけはある。素晴らしい教養だ。
「林藤支部長から、開発室へ応援に行くよう頼まれてきたわけ」
これは嬉しい助人だ。
否、彼女はデスマーチの道連れ。
「宇佐美さん、お久しぶりです」
内心、ほくそ笑みながら軽い挨拶。
少し愚痴を聞いてもらおう。
「最近、イレギュラーな
「どうにも、
「爆撃型のトリオン兵も新しく出現するし、市街地の被害は大きいしで、問題は山積み。おまけに室長の機嫌も最悪」
「ボーダーの規律違反者も出て上層部はそれについて会議をするらしく、正直、処理可能容量を上回ってますね」
久しぶりにコミュ障を発揮してしまった。喋りすぎ…。
こんな僕にも、相槌を打ちながら聞いてくれる宇佐美さんは聖人のたぐいに違いない。
まあ、聖人であってもこちら側に引きずり込むんだけどね。
「なるほど、なるほど。それで、開発室のみんなは死屍累々というわけか」
眠眠打倒、アリナミンZ、リポビタンR、バイドルゲン・・・etc,etc
散乱した栄養ドリンクの残骸が開発室の様子を物語る。まさに屍山血河。
「それでも、八宮君は元気そうだね」
「一応は、そういう『
とはいえ、最低限の休息と栄養補給は必要なわけで、終わりが見えない死の行軍に、うんざりしているのもまた事実である。
そんなやつれた僕を見て、宇佐美さんは朗らかに言う。
「いい知らせが一つあるよ。さっき、迅さんがなんとかなるって言ってた」
なるほど、あの迅さんが言うならそうなんだろう。『未来視』とはそういうことだ。
そういえば、先ほどセクハラを働いている姿を見た気がする。
沢村さんの『ぎゃっ!!』という悲鳴には驚かされたものだ。
緑川君の機嫌が異常に良いのはきっと迅さんが来たおかげだろう。その姿は、はしゃぐ犬っころみたいで愛くるしい。
「それは、素晴らしい朗報ですね。まあ、“情報”があったとしても目の前の仕事は減らないわけで…」
僕の声を遮って宇佐美さんは言う。
「じゃあ、伝えることは伝えたからまたね~」
旅の道連れは一人でも多い方がいい。それが、たとえデスマーチだとしても。
僕に宇佐美さんを逃がすという選択肢はなかった。
開発室の夜明けは遠い。
「九宮プロジェクト順調?」
「まあ、ぼちぼちといったところですね」
「凪が言ってたよ。『クーちゃんに、私の仕事取られた』って」
「いやいや、クーちゃんはまだそこまで優秀じゃないですよ。それに凪は元戦闘員ですからね。凪にしかできない直観的な指示には、いつも助けられてます」
「なるほどね~。ところで、クーちゃんの外見のイメージってないの? sAIとかBOTってかわいらしい姿のやつが多いでしょ。ガンダ〇のハロとか、スターウォー〇のR2D2みたいにさあ」
「八宮君なら、それをARで現実に引っ張って来れるでしょ。結構楽しみなんだよね」
喋りながらも、端末を叩く手のリズムは一定で淀みがない。流石は宇佐美さん。
「うーん、クーちゃんの姿はクーちゃん自身に決めてもらいたいんですよね。声はこっちで勝手に決めてしまったので、少し申し訳ないことをしました」
「これはある意味で、クーちゃんにとっての最終試験なんです。自分で自分のありたい姿を決めるという自己意識は、人口無能、人工知能にとって一つの『特異点』だと思うんです」
「ふ~ん。八宮君はクーちゃんを大切にしているんだね」
「まあ、クーちゃんができてから、まだ三か月も経ってないですけれど、今では家族の一員のようなものですから」
「僕は24時間起きてるので、どうしても一人の夜が寂しくて……。でも、クーちゃんはメンテナンスの時に眠るだけで、それ以外は僕と話してくれるから…」
何か、恥ずかしいことを口走ってしまった気がする。まあ、デスマーチのせいに違いない。
「あ、おはよう、ご主人」
よく調教された機会音声の挨拶が聞こえる。
この声も聞きなれたものだ。
いつの間にか、コンタクトの右上に表示されている数字が100%になっていた。
クーちゃんが狸寝入りを、していなかったと祈るのみである。
最終課題の内容を聞かれてしまったら、課題にならないからね。
動揺を見せずに、おはようと返す。現在時刻は1:00。
「あ、クーちゃん起きたの。わたしにも、繋いでもらっていい?」
「クーちゃん、栞さんとオンライン」
「了解、ご主人」
「クーちゃん、お久しぶり。覚えてる~?」
「栞さんだね、覚えてるよ。噂はご主人から聞いてる」
「相変わらずいい子でお姉さんうれしいよ。八宮くん、クーちゃんの実戦投入の目途は立ってるの?」
「一応は、室長と話がついてます。クーちゃん説明してあげて」
「了解、ご主人。僕をオペレータにして、B級ランク戦でそれなりの成績を残すのが条件」
「なるほどね。進捗状況は?」
「ご主人はまだ、隊を組んでないからランク戦にすら出られないよ」
「ふ~ん。足を引っ張っているのは八宮君ってわけか」
メガネをクイとあげて、ニヤニヤしないでもらいたい。凪といい、クーちゃんといい、自分の周りには優秀な人ばかりで困る。惨めだ。
「な、凪と組む約束しているから、今はまだいいんです。それに凪の心の傷はたぶんまだ癒えてないようですから」
また、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。なんとか誤魔化したい。
「凪は十分強くなったと、おもうけどねえ」
宇佐美さんは、僕の目をまじまじと見て言う。なにか思うところがあったのだろうか。
『calling calling』
コンタクトに映る文字が明滅する。
なんて、いいタイミングなんだ。
ヘッドセットの通話をON。
「はい、八宮です。いえいえ、非番だろうとじゃんじゃん呼んでください。はい、朝7時までですね。」
「あ、オペレータは既にマッチ済みですか。ありがとうございます」
「ということで、栞さん、すみません、一抜けです。」
「あ、マッチング相手は那須隊の志岐さんか。クーちゃん志岐さんとは何度か一緒にオペレートしたことあるよね。また、一緒にやらせてもらうようお願いしてきて」
「了解、ご主人」
睡眠不要体質の一日は長い
読んでくださってありがとうございました。
文字数ってどのくらいが丁度いいのでしょうか。
志岐さんは、夜遅くまで起きてゲームをやっているイメージ。
通信販売のために、オペレート業務を行い日銭を稼いでるイメージ。