トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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このss、ワートリワートリしてないですね。


16 奪われたもの・クーちゃんの苦悩

三雲と木虎と僕と凪は、雨取を含めた14名のC級隊員を守りながら、本部に通じる連絡通路へと向かっている。一団の先頭は三雲と木虎、殿を任されたのは僕と凪。最後尾を走りながら、凪と談笑をしているとクーちゃんから無線が入った。

「ご主人、本部が…、本部の通信室が…」

 機会音声ではあるが、クーちゃんの声は途切れ途切れで悲痛に満ちていた。本部という言葉に反応し基地の方に目をやったが、基地の上空を覆う分厚い鈍色の雲は今にも泣きだしそうだった。

 僕はクーちゃんの声に応えず、その続きを促す。

「通信室が人型近界民に襲われて…、それで、春雨さん…、春雨さんが……」

「春雨さんって、みんながカップラーメン食べるなかで、一人だけ春雨スープを食べる春雨さんだよね…」

「そうだよ、ご主人。近界民迎撃装置を作るのを手伝ってくれた、丁寧なプログラミングの春雨さんだよ。その春雨さんが近界民…、近界民に……」

 

 クーちゃんの沈痛で静かな叫びの意味を理解すると目の前が真っ暗になった。同時に、春雨さんのことが脳内にフラッシュバックされる。

 何で春雨スープなのかと聞くと、”もっと女房と一緒にいたいからに決まっているだろ”、と恥ずかしげもなく答えて、それから惚気てみせた春雨さん。

 丁寧なプログラミングありがとうございますと礼を言うと、”この迎撃装置がうちの女房と息子を守ることにつながるからね”、と眠たげな眼をこすりながら言う春雨さん。そこからさっきまでの睡魔を吹き飛ばして、中学生の息子がC級隊員になったと嬉しそうに語る春雨さん。

 “このデスマーチが終わって大規模侵攻が終わったら、久しぶりにわが家に帰れる”、とカレンダーを見てニヤニヤした春雨さん。

 “俺に似てかっこいいだろ”、と制服を着こなした息子さんの写真を見せびらかす春雨さん。そういえば、クーちゃんのドローンのカメラにも、その写真を押し当てていた。

 端末を叩きながら、奥さんとの馴れ初めを語って聞かせて、惚気てみせた春雨さん。告白は奥さんからだったらしい。薬指の指輪をはめてからもう15年になるそうだ。

 

開発課で働く春雨さんの様子が走馬灯のように次々と脳内に浮かび上がる。延々と続くかと思われた僕の回想を止めたのは、クーちゃんの悲しげな機会音声だった。

「春雨さんは、ラービットによるキューブ化の解析結果の記録とキューブ化解除に必要な機材を守ろうとして…、それを仲間に託して…」

「そう…。クーちゃん、春雨さんは最期になんて言ってた」

「春雨さんは身を挺して外部記憶装置と解除用の機材を庇って……。音声データを送るね、しっかり聴いてあげてご主人」

 クーちゃんが言い終わると、すぐにその音声データは再生された。

 

非常時を示す耳障りな警報機の音。火災警報器の音。無断侵入を示す警報機の音。通信断絶を知らせるアラート。各種警報器の合奏による不協和音。

 金属がこすれ合う音。生身の肉が裂ける音。金属が砕ける音。ガラスの破片が飛び散る音。LEDライトが破裂する音。ドサドサと蔵書が落ちる音。ガシャガシャとディスプレイが砕け散る音。ぶちっとコードが千切れる音。バチバチと火花があがる音。びちゃびちゃと血が飛散する音。ぐちゃぐちゃと何か重いものに肢体が潰される音。ゴシャゴシャと有象無象を押し潰しながら非常用シャッタが下りる音。あとは無数の悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴で埋め尽くされている。

 ばたばたと震える足を懸命に動かして走る音。

 ばちゃばちゃと血だまりを踏破する音。

 げほげほと血を吐く音。

 そして、聞きなれた声。

『これだけは…、これで息子を頼む。どうか息子と女房を守ってくれ』

 ゴシャンと非常用シャッタが降り切った音。

 無機質なその音に今生の別れを告げられた。

 

「以上だよ、ご主人」

 涙を流せないトリオン体が恨めしい。基地を覆う鈍黒い雲は今にも溢れてしまいそうに見えるけど、いまだに決壊してない。涙を溜めるだけ溜めこんだそれは、僕と似ている。

 いつの間にか、自分の手は固く握られていた。怒りと悲しみがそうさせたのだ。わなわなと震えるこの手をどこに遣ろうか。思いのままに拳を振うのは安易に過ぎる。

 打ち下ろすべきは拳でない。この想いを己が心に打ち据えろ。

 すうと息をすって、決意と怒りを胸にクーちゃんに言う。

「クーちゃん、守ろう」

「何を守るの、ご主人。三門市民?」

「春雨さんの奥さんと息子さん」

 そう言って空を見上げた僕を見て、凪が口を開く。凪は本当にできた人だ。僕の表情を見て察したのだろう、ここまで口を挟んでこなかった。

「春雨さんのことは、私よく知らないですけど、何が起こったのかは察しました。兄さん、手伝いますよ」

 

「ご主人、話を聞いてくれてありがとね。ちょっと楽になったよ。それで、本題を言うね。本部の通信室が人型近界民に荒らされちゃって、もしかしたら連絡用の通路が開かないかもしれない」

 クーちゃんは淡々と告げた。もしかしたら、一番つらいのはクーちゃんかもしれない。九宮のプロジェクトの計画主任も技術主任も僕だったけど、開発課の仲間はみんなクーちゃんの育ての親だ。クーちゃんが二語発話しかできなくて、それを出力するのに10分もかかっていていた頃、クーちゃんが言葉を発するたびにみんなで一喜一憂したこともあった。最後に選んだのはクーちゃんだけど、クーちゃんの一人称を決める時はもめるにもめた。開発課の仲間とクーちゃんの愉快なエピソードは山ほどあるのだ。そんな育ての親が人型近界民に襲われて命を落としてしまったのだ。クーちゃんもつらいに決まっている。

「あ、まだ、伝えることがあったよご主人。気が動転してるのかも。本部に侵入した人型近界民には忍田本部長が対処に向かったからたぶん大丈夫だよ。もし、連絡通路が使えなかったら直接本部まで来て」

「了解、三雲にもそれを伝えてあげて」

「了解、ご主人」

 

本部へ通じる連絡通路までの距離が900というところで、クーちゃんから無線が入った。

「ご主人。以前に、我々は異星人とも交易できる。それは双方に有益だって言ってくれたよね」

「うん、クルーグマンだね。レプリカとクーちゃんが初めて会うときに言ったね」

 僕が応えると、クーちゃんはすぐに続けた。

「”火星人がいたとして、彼らが人間の血を吸ってしか生存しないとするよ。その場合には、彼らの知能にかかわらず、火星人は我々の致命的な敵であり、人権を有するとは考えられない。火星人が致命的な敵であるのは、彼らの本性と欲求と必要とが我々のそれと不可避的に衝突するからである”、だよねご主人」

「ロスバードですね、クーちゃん」凪がすぐに答えた。

 こんなに長く諳んじるクーちゃんもすごいけど、すぐに反応した凪も凪だ。

 クーちゃんは低いトーンで、とつとつと話し続ける。

「僕はもうよく分からない。ユーマ君とレプリカはいい近界民なのかもしれないよ。だけどね、近界民は春雨さんや開発室のみんなを傷つけた。僕は監視カメラから盗み見ることしかできなくて、何もできなくて、それが悔しくて…」

 声のトーンを上げてクーちゃんは続ける。

「少し前に、ラッド掃討任務があったよね。当時の僕はオペレートが不慣れで、失敗することもあったんだよ。でも、その時に僕をかばってくれたC級隊員の女の子がいたの。それで、少し仲良くなったんだ。その後の自己会議も彼女のことを話してたんだ。でも、でもね、その子も新型に捕まっちゃった。僕は指示を与えることしかできなくて、空中のドローンから見ていることしかできなかった…。彼女の悲鳴のログはずっと残るんだよ、ご主人」

 さらに声量を上げてクーちゃんは言う。

「ご主人は友達になりたいとか、交流したいとか言うけど、僕は分かんないよ。むしろ、三輪さんの気持ちがよく分かった。あいつらは大事なものを奪った敵だよ、ご主人」

 クーちゃんの長い悲痛な叫びがようやく終わった。調教された機会音声からは憤りや悲しみといった感情が伝わってくる。そういえば、クーちゃんの声を調整してくれたのも、voiceroidが趣味のプロジェクトメンバーだった。彼は無事だろうか。

 少し考えれば思い至ることができた。クーちゃんは生まれてから1年も経ってない。人間の精神年齢と同列に語っていいかわからないけど、クーちゃんはまだ幼いんだ。そんなクーちゃんに対して、この大規模侵攻が奪ったものはあまりに大きすぎたのだ。

「クーちゃん…」慈しむように目を細めて凪が言った。

 なんの慰めにもならないけど、僕もつぶやく。

「”人は、自分に戦争をしかけてくる者については、オオカミやライオンを殺してよいのと同じ理由によって、これを滅ぼしてよい”――僕もそう思うことにした」

「ジョン・ロックだね、ご主人。うん、その通りだよ。僕は奴らがやったことを忘れない。精一杯オペレートして、C級隊員を守ってみせる」

 力強い声だった。そして、僕の人工視覚に映る景色がぐるんと一回転する。

 上空のドローンが急旋回したのだ。

「えへへ、湿っぽいのは終わりだよ。2人とも話を聞いてくれてありがとね。それとね、ご主人、春雨さんの家族を守るのはもちろんだけど、一番大切にしてほしいのはご主人と凪だからね。そこを間違えないように」

 僕と凪は目を見合わせて頷き、了解と返した。

 

 

 

警戒区域内の無機質な街並みからはまるで生気が感じられず、鈍重な雲が作る薄暗さも相俟って、無計画に乱立されたビルは大きな墓標のようにも見える。

 トリオン体に慣れきってないのだろう、C級隊員の足は遅い。それがもどかしくて、いらぬ不安が掻き立てられた。辺りに気を配りながら走ること数分、本部へと続く絡通路の入り口についた。その入り口は3m四方ほどの真っ白い立方体で、三門市の陰鬱な雰囲気とは絶妙にミスマッチだった。

 三雲が自身のトリガーを何度も押し付けるが、エラーを起こす以前に、認証システムそのものが作動しないらしい。白い立方体は頑としてその扉を空けなかった。

 三雲がダメかと肩を落とし、木虎が直接本部に向かいましょうと言った直後に、無線が入った。木崎さんからだ。

『八宮。すまん、そっちに磁力使いの方が行った。C級隊員を全力で守れ。方法は任せる』

 風切音や発砲音を伴った無線通信で指示が下された。どうやら向こうも忙しいらしい。

『八宮隊、了解。そっちの状況はどうなっていますか』

『爺さんの方は俺が押さえている。小南にはトリオン兵を狩りに行かせた。一番足のある烏丸を雨取の護衛に向かわせる』

『了解、尽力します』

 木崎さん1人で大丈夫なのかと思うところがあったが、向こう側の戦闘が過酷なようなので、早々に無線を切った。

「ということだ、磁力使いの足止めは僕と凪に任せて、木虎と三雲はC級隊員を連れて本部に向かってほしい」

 どういうことなのよ、と眉を吊り上げて木虎が突っ込んできたが、それは雨取の声にかき消された。雨取ははっとした表情で後方の空を見て言う。

「来る……! すごい速さで」

 それはほどなくしてドローンのカメラで確認できた。遠目からは黒い鳥のようにしか見えない。近づくにつれ、それがはっきりと目視できるようになった。例の美青年は黒い金属片を翼状に組み替え、マントをはためかせ、空中を滑るように移動している。おそらく、磁気浮上式のリニアモータの要領で飛んでいるのだろう。

「木虎、三雲、早く行って」

 磁力使いの近界民が飛ぶ方向へ向き直り、後方の2人に向けて言い放つ。凪もここは任せてください、と僕の横に並び立ち振り返らずに言った。

 後方からは必死に足を動かして逃げるC級隊員の焦り声が聞こえてくる。木虎はこれに何とか指示を与えているようだ。

「クーちゃんも木虎を手伝ってあげて、それとESP(空間磁界可視化システム) で視覚補正」

「了解、ご主人」

 

磁力を動力にして人型近界民は音もなく舞い降りた。自由落下ではなく、磁力に導かれたその運動に違和感を覚えずにはいられない。奴の姿を注視すると、左腕は上腕部から先がなくなっており、右足は足首から下がなかった。美青年だった顔も手塚治虫のブラックジャックのように、顔面左半分に大きな亀裂が入っていた。木崎さんと烏丸は相当な手傷を負わせたらしい。

 奴は見つけたとだけ呟き、鋭い双眸を僕の後方へと向けた。視線の先にはおそらく、雨取がいる。

 磁力使いを取り巻く磁界のベクトルが細くなり一瞬弱まった。すると、金属片で作られた黒い翼は3本の鋭い金属触手に形を変える。さらに、そのうちの2本が電磁誘導を動力源とする電磁加速砲を形作った。例の如く、細長い砲身の磁界ベクトルの軌跡は真反対の螺旋を描いている。

 

 エスクード と心の中で発し、人型近界民の眼前に3枚の防壁を展開。

 鋭い金属音が空気を震わせた。砲身から射出された金属片は防壁との衝突に耐えきれずに砕けて消える。

 人型近界民は舌打ちをして、アスファルトから反り出た壁の横に姿を現した。3本の金属触手はそれぞれが意思を持つかのように、不気味に宙を這い回っている。

 

「兄さん、私言ってみたい科白があります」凪が唐突に言う。

「何となく、分かる気がする」

「僕も2人が言いたい科白を把握できたよ」

 一拍のため。隣からは凪の息づかいが感じられる。

 

「「「八宮隊、これより状況を開始する」」」

 




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