黒い炊飯器が宙に浮いている。階段を降りきったあたりの自動販売機の近くで浮遊している。にわかに信じがたいのだが、これが僕の人工視覚に再構成された光景だ。
クーちゃんの操るドローンの目の前には黒い炊飯器がいる。そいつはバムスター0.4秒殺しの白髪の少年と会話をしている。もしかたしたら、現在進行形で未知との遭遇が行われているのかもしれない。好奇心旺盛なsAI(補助人工知能) のクーちゃんはこれから彼ら―― 一つは宙に浮かぶ、兎のような耳朶を持つ黒い炊飯器――とコンタクトをとるようだ。今まさに、未知とのファーストコンタクトが行われようとしている。これが双方の素晴らしい交流の足掛かりになるようにと願い、僕は呟く。
「分業と専門化は人類の叡智だ。経済は油を十分にさした機械のようなものであり、そして貿易はそれにターボをかける。私たちは機械とも貿易できるし、エイリアンとだって貿易できる。この未知との遭遇は双方に有益だ」
「ご主人、アダム・スミスとクルーグマンを混ぜないでよ。もう目の前にいるから、話しかけるよ。いいよね、ご主人。ご主人も早くこっちに来てよ」
機械音声ではあるのだが、クーちゃんの声の調子が普段より高い。浮遊する炊飯器が自分の仲間かもしれないと、わくわくしていたことを思い出す。少しでも友好な関係が築けるようにと、僕はアドバイスを口にする。
「クーちゃん、白い髪の少年は子供みたいだから、フレンドリーな口調でね」
「了解、ご主人。まかせてよ」うきうきが伝わってくるクーちゃんの声。
クーちゃんがいつもより饒舌だ。湧き上がる知的好奇心は抑えられないらしい。
傍目からしたら、奇妙な様子に見えるに違いない。静止浮遊するクアッドコプターと謎の動力で浮かぶ黒い炊飯器と身長140cmほどの白髪の少年が、どこにでもあるような自販機の前で会話をしようというのだから。
遠征艇に装備されている炭素循環系の触媒の残量を確認し、足早に例の自販機――個人戦ブースの近くに設置されているためかスポドリが多い――の前へ向かう。今日はこの後に13:00から会議もあるようだし、閉鎖循環系の整備は一旦休憩にしよう。
ドローンに付けられている指向性集音マイクを通して、ヘッドセットから3人の会話の様子が聞こえてくる。
「炊飯器さん、炊飯器さん、一緒にお話ししてもらって大丈夫?」
「ユーマ、炊飯器とは私のことか」
「たぶんそうなんじゃない。それよりも、戻らないのでいいのか?」
「玉狛支部にはもう姿を見せている。それにユーマはもう正式な隊員だ。積極的に姿を見せるつもりはないが、見つかってしまったのなら仕方がないだろう」
なるほど、なるほど。ヘッドセットから聞こえてくる情報と、人工視覚に再構成される光景を総合するに、炊飯器と白髪の少年はお知り合いらしい。黒い耳の生えた炊飯器はレプリカ、白髪の少年はユーマと言うようだ。レプリカの声は、整ったバリトンボイスの機会音声。ユーマの声は見た目相応といったところだろうか。
ユーマがレプリカを作ったとも思えないので、レプリカの製作者やその設計機構に俄然興味が沸く。早く会話をしてみたい。
「ユーマくんとレプリカさんって名前だね。少し時間大丈夫?」
クーちゃんの質問に答えずに、2人は口を開く。
「このヘリコプターはレプリカの同類か?」
「違うようだ、ユーマ。このヘリコプターからはトリオンを感じない。どこかで、誰かが操作してるようだ」
ユーマの顔には不審がありありと見て取れる。レプリカは口のように見える炊飯器でいうところの開閉部を動かさずにバリトンボイスを出す。どこかに、スピーカーがあるのだろう。
「ところで、お前は何ていうんだ? こちらの世界だと喋るヘリコプターもいるのか?」
訝しんだ表情でユーマが言う。
「じゃあ、自己紹介させてもらうね。僕の名前は九宮、sAIだよ。好きなように呼称してほしい。さっき、レプリカさんが別の所で操作していると言ったよね。それは半分だけ正解、確かにこのクアッドコプターは僕が操作しているけど、これは僕の身体でもあるんだ。さあ、自己紹介はしたよ。できれば、そっちにもしてもらいたいな」
「私はレプリカ、ユーマのお目付け役だ」
「空閑遊真、喋るクアなんたらコプターって面白いな」
「ユーマ、4のクアドラプルだ」
「握手はできないけど、よろしくね。ユーマ君、レプリカさん」
なるほど、なるほど。なかなか、順調に交流を深めているようだ。僕が顔を出したら水をさすことになりかねないので、少し怖い。しかし、確かめなくてはならないことがある。
ユーマはバムスターを0.4秒で倒すし、変なお目付け役がいるし、玉狛支部って言っていたし、こちらの世界とも言っていた。もう彼がボーダーに入隊した近界民ということで決まりだろう。それとなく、聞いておく必要がある。あわよくば、向こうの世界の技術や知識について教えてもらいたい。
僕がこんなことを考えながら自販機前にいくまでに、3人は硬貨や貨幣の謎について話し合っていた。ユーマが疑問を提示して、それをレプリカが答え、更にクーちゃんが補足するという形で3人は信頼を深めていったと思う。
まさに、「お金は金属ではない。そこに刻まれた信頼だ」――『マネーの進化史』・/ニーアル・ファーガン――この言葉がぴったりだ。
息を切らせて走って、階段を2段とばしで降りた頃には、500円玉で買った炭酸飲料を飲むユーマと味はどうかと問うクーちゃんと、毒見をしようかと申し出るレプリカが仲良さそうに話していた。
「クーちゃん、遅くなってごめんね。それと、初めまして八宮岬と言います。クーちゃんを通して話は聞かせてもらいました。レプリカさん、ユーマ君、よろしくね」
「ご主人、遅いよ」
「お前、八宮って言ったね。小南先輩から八宮って人にやられたって聞いたよ」
ユーマの目つきが鋭くなる。目線は射るように真っ直ぐ僕の方へ。
「この前はすみません。会社勤めなもので、上に言われるとどうしようもないんだ。でも、僕個人は近界民についてまったく悪い感情を持ってないよ。むしろ貿易をしたり、技術を教え合ったり、知識を共有したいと思っている。情報はせっかく共有しても減らないのだからね」
情けなく言い訳した僕をぽかんと口を空けてユーマは見た。そして、呆れ顔を作る。
「いや、こっちを襲ったことは別にいい。結果的に無事に入隊できたしな。それよりも、小南先輩にお前が勝ったというのが信じられない。うむむ…」
目を3にして、口に手を当ててユーマが疑問を唱える。
「いやー小南先輩を倒せたのは、5割が妹のおかげで、3割がクーちゃんのおかげで、1割が弧月のおかげで、残りの1割程が僕の実力くらいで、完全にまぐれなんだ」
「ふむ、やっぱりね。何か強そうに見えなかったし。でも、岬さんは近界民を別に嫌ってるわけじゃないんでしょ」
少し顔を和らげてみせてユーマが言う。ようやく、こちらの目を見てくれたのではないだろうか。
「僕は開発室所属の鬼怒田派なんだけど、個人的には近界民と仲良くやっていきたいと思うよ。もっと知識とか情報を共有したいからね。もう一人の八宮が気になるなら、すぐ近くの個人戦ブースに行ってみたら。ほら、あの電光掲示板に八宮ってあるでしょ」
電光掲示板のLEDはきちんとそれぞれの役割分担を果たし、八宮7―茶野1と記していた。その他にも、10組ほどが個人戦を行っているようで、活気が感じられる。
「ねえ、岬さん。あそこにある三雲―緑川っていうのは、その2人が戦っているということだね」
スクリーンに指を刺して、ユーマが言う。
「うん、そうだね。知り合いなの」
「ちょっと、行ってくる。また今度ね」
言うが早いか、ユーマはもう駆けだしていた。不思議なことに、いつの間にかレプリカの姿は煙のように消えてしまっていた。
「クーちゃん、僕達も行くよ」
「ちょっと待って、ご主人。もう会議の時間だよ。今回、忍田さんが主催だからこれ以上印象悪くするのは得策じゃないよ」
AR用のコンタクトの右上には12:52とデジタル時計が刻んでいて、確かにいい時間になっていた。10分前集合できないようでは、会社人失格だ。
「急ごう、クーちゃん」
「了解、ご主人」
立体プロジェクタ、俗にいうホログラフィ機能のある部屋で今日の会議は行われる。13:00に何とか間に合って、ドアを開けるとボーダー上層部のお歴々の方々がそろい踏みしていた。城戸総司令、忍田本部長、直属の上司の鬼怒田室長、玉狛の林藤支部長。それと、栞さんに、三輪さんに、風間さんだ。三輪さんと風間さんに、この間はありがとうございましたと挨拶を済ませて、栞さんの下へ。
「栞さん、この間のクラッキングとか、電波妨害はすみませんでした」
「いやー、あれにはまいったよ。まさか、隊員同士で電子戦が始まるとはね。おかげで、私もレイジさんもディスプレイの前に釘付けだったよ。後処理も大変だったし、一つ貸しだからね」
栞さんは黒縁メガネをクイと軽く持ち上げ、こちらを見やる。口はニタニタと半月を描いているので、どうやら本気で貸し1だと思ってるようだ。
「償いになるかは分からないですけど、今度チャーハンご馳走しに玉狛支部に伺いますよ。ユーマ君と、レプリカさんにも会いたいですしね」
「おお、それは楽しみだね。八宮君の腕前はレイジさんに並ぶからね」
「いやー、料理は理系ですからね」
軽く談笑していると、忍田さんが目つきを鋭くしてコホンと一つ咳払いをした。それを察して僕は、室長の近くの席に腰をかける。クーちゃんの身体であるドローンはテーブルの上で、カメラはスクリーンの方へ向けた。
「では、時間になったので、これより会議を始める」
堂々とした声音だ。さすがノーマルトリガー最強らしい男、忍田さん。
「今回の議題は、近く起こると予想される…近界民の大規模侵攻についてだ」
語気を強くして、椅子から立ち上がって忍田さんは言う。さすが最強の男、気迫が伝わってくる。
大規模侵攻に向けて、指揮系統ごとに様々な対策を行うようだ。ここに、まとめよう。
■本部、ボーダー隊員関係
・シフトの組み直し、人員の増員
・各隊の隊長を呼び出し、隊ごとの連携強化
・合同訓練(仮)
―隊員の予定が合えば行われるらしい。
■本部開発室
・チカショックを受けての外壁強化
・鬼怒田さん、冬島さんで迎撃装置の開発
―これには僕も一枚噛むことになっていて、トリオン兵に対しての認知システムの機構が僕の担
当部分にあたる。鬼怒田さんが全体のメカトロニクス、冬島さんがトリオン伝達経路関係の機
構の担当だ。
・九宮用にメモリの増設(仮)
―今後とも、C級のオペレートにはクーちゃんを使ってもらえるらしい。メモリ増設は予算案の
一番最後にのっけてもらえた。ラッド掃討作戦、黒トリガー回収任務での働きが評価されたら
しい。
・sTWACS(戦域早期警戒補助管制機) の作成
―これは本当に余裕があったら、僕が作成する。ドローンにレーダや無線の中枢管理機構を装備
させ、前線における情報の通信、探知、分析の中核を担わせるのだ。このプレゼンのおかげ
で、僕が大枚をはたいて買ったドローンは何とか経費で落ちそうである。
・人工視覚作成用電極の量産化
―これも僕がプレゼンしたが、「このマッドエンジニアめ!」と風間さん、三輪に罵られて、プ
レゼンは数秒で幕が下りた。2本目の電極は経費で落ちなかった。
■メディア対策室
・住民への警戒の呼びかけ
・ハザードマップの作成とその配布
こうやって、各部署の対策を見ると、ボーダーというのは大きな組織だと実感すると共に、自分達の仕事が市民の命を左右することになると再確認できる。そして、仕事は山積みで夜勤を代わってもらわないと、エンジニアとしての職務を全うできそうにない現実がある。さあ、デスマーチの始まりだ。
会議も煮詰まって今後のスケジュールを確認している頃、突然会議室の扉が開かれた。
「失礼します」青い隊服に着られた冴えない眼鏡君が言う。
「いやーどもども」
今やA級になってしまった迅さんが、手をひらひらと振って明るく言う。
黒いジャージの白髪の少年、ユーマと玉狛支部の陽太郎も会議室に来た。
入ってきた4人を鋭く見据えて、城戸総司令が静かに、確実に言う。
「時間が惜しい、早く始めてもらおうか」
鬼怒田室長も続けて口を出す。
「近界にはいくつも国があることはわかっとる。知りたいのはいつどんな国が攻めてくるかだ。ボーダーに入隊した以上、協力してもらう」
「なるほど、そういうことなら、俺の相棒に訊いた方が早いな、よろしく」
そういって、ユーマは左手を前に出した。その手をよく見ると子供のような細い指には、黒い指輪が付けられているようだ。
その指輪から、突然にゅっとレプリカが現れて私達に告げる。
「はじめました、私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ。私はユーマの父に作られた多目的型トリオン兵だ」
「トリオン兵だと…!!」
その言葉に鋭く反応したのは、共に天を戴かずとも近界民への絶対の殺意を持つ三輪さん。その横顔に見える目のクマは濃く、黒トリガー回収任務の失敗以来、十分眠れてないのではと心配してしまう。
もちろん、トリオン兵と言う言葉には僕も驚かされた。そして、ユーマの父に作られたという言葉にも。是非ともお会いしたいし、レプリカの設計に関して尋ねたい。
そして僕はレプリカがトリオン兵だという事実以上に驚かされることになる。レプリカがユーマの安全を城戸総司令に約束させた後に、――通信プロトコルが同一規格なのだろう――栞さんに映させたホログラフィは壮大だった。
暗黒に浮かぶ、幾多の惑星の軌道図はとても美しい。楕円、真円、エイトループ、長軸が異様に長い楕円、それぞれの惑星が織りなす軌道は全体で綺麗な幾何学模様を作った。太陽系や天の川銀河団、およそどの恒星系とも被らない軌道図はまさに未知との遭遇で、これら惑星国家ごとに未知の文化や技術、知識があるのかと思うと、心が沸いた。
「ご主人、きれいだね」僕の前に座っているクーちゃんがヘッドセット越しに言う。
ユーマが言うには、こちらに攻めてくる国は二つに絞れるらしい。13本の黒トリガーを持つ軍事大国、神の国『アフトクラトル』と6本の黒トリガーを持つ雪原の大国『キオン』だ。これを念頭にスケージュリングをして、PDCAサイクルを回し、最終的な確認を行うことになった。
「さあ、近界民を迎え撃つぞ」
忍田さんの声がさわやかだ。こちらに向かう敵が明確になったので、視界が開けたのだろう。
ところで、戦争はほとんど非効率で不経済な方法だ。経済学者が100人いれば、100人がそう答える。そうまでして、彼らが侵攻する理由は何だろうか。話し合い、交渉、相互利益のための交易はできないのだろうか。そんなことを考えていると、会議は終わっていた。
やり残した遠征艇の整備を済ませに格納庫へ向かう僕の視界に、ラウンジの椅子に腰をかけジュースを飲むユーマの姿が映った。僕もコーヒィを買ってそこへ。
「ユーマ君、ありがとね。あの軌道配置図、鬼怒田さんが遠征30回以上の価値があるって喜んでいたよ」
「いやいや、ボーダーに入ったからにはこのくらい」
手を横に振りながら、ユーマが答える。
「惑星国家について、もう少し聞いてもいいかな」
「そういうことなら」と言って、ユーマが左手を前に出すとレプリカが現れる。
「レプリカさん、惑星国家の暮らしの様子や交易について聞きたい」
「分かった、答えられる範囲でなら」バリトンボイスの機会音声。
「惑星国家ごとに、交易や貿易って行われているの」
「行う国、行わない国があるというのが、答えになる。惑星間航行は多大なトリオンが必要になるからだ」
「なるほど、惑星間同士の政治的行為は戦争と交易どっちがよく行われているの」
「戦争が主な国もあれば、交易が主な国もある。半々くらいだ」
「アフトクラトルとキオンっていうのはやっぱり?」
「戦争を主な方法としている。特にキオンは年中豪雪で自国の資源が乏しいからだ」
「じゃあ、交易をよく行っていて、知識や技術が盛んに交流されている国ってあるの」
「もちろん、ある。極端に長軸が長い楕円軌道を持つ惑星国家を覚えているか」
「うん、大体覚えてるよ」
「そこがそうだ。そこは惑星国家ごとの中継貿易を担うことで、繁栄している。当然、金があるところには知識や技術が集まる。人口も多いので、教育機関もある」
「なるほど、いいところだね。その国の名前は?」
「中継貿易都市国家、『トランタ』だ」
「『トランタ』…、ありがとうレプリカさん。時間なんでもう行きます。またお話聞かせてください」
余程集中して聞いていたのだろう、手にもった缶コーヒーは一口もつける前にすっかり冷たくなっていた。
舞台の世界観の掘り下げ。
次回から戦闘描写が書けそう。