トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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10 事の顛末・炒飯・邂逅

 内臓が宙に浮くような浮遊感。そして、ぼすんと落下。僕はベッドの上に仰向けに落とされた。

 そうだ、風刃に粉微塵にされたのだった。飛ぶ斬撃に切り刻まれて、否応なく、緊急脱出に追い込まれたんだ。思い返すと、すこし悔しくて、拳をつくり自分の額を叩く。

「兄さん、お帰りなさい」

 黒い艶やかな髪が自分の上に降りてきた。凪がこちらを見下ろして、苦笑しながら手を伸ばしてくる。その手を握ると、ぐいと、釣りあげられた。戦闘体でない凪の姿を見ると、帰ってきたと実感できる。帰ってきた場所は、家具の少ない白い壁がよく見える部屋。まだ、できてから日が浅いため、八宮隊の隊室はほとんどデフォルトの状態だ。

「ただいま、凪。それと、お疲れ様」 凪の顔を見て言う。

 ヘッドセットからは、クーちゃんの機械音声が聞こえた。

「ご主人、お帰り。それと、お疲れ様。電極の電源は落としておいたからね」

「クーちゃん、ありがとね。お疲れ様。大活躍だったじゃん、すごいよ」

「兄さんより、よっぽど頼りになりましたね。助かりました」

「お褒めに与り、恐悦至極」

 さてと、一息つきたいところだけど、事後報告が残っている。時刻は日を跨いでいるが、本部基地はまだ明るく、人の息づかいが感じられる。報告書は後日書くとして、まずは鬼怒田室長に簡易的な報告に行く必要があるだろう。それと、5部隊の指揮を執った太刀川さんの方にも、伺った方がいい。僕とクーちゃんが室長室へ、凪が太刀川隊の隊室へと分担して済ませることにした。

「あ、ご主人、部屋出る前に窓を開けておいてね。ドローンに帰投指示を与えたから」

 凪が言うように、クーちゃんは本当に僕より頼りになる。

 

 

任務が失敗したにもかかわらず、鬼怒田室長の機嫌はそれほど悪くなかった。その理由は二つある。一つはクーちゃんをクッションに挟んだということにある。やっぱり、室長はクーちゃんの前だと、デレッデレッになるね。そして、もう一つの理由に僕は本当に驚かされた。

 なんと、迅さんが風刃を本部に渡すというのだ。迅さんは今日、1人でA級を含めた8人を風刃の錆にしたので、その強さは折り紙つきだ。城戸派からしたら、強さが証明された風刃を手に入れることは、願ってもない申し入れであったので、風迅と引き換えに玉狛の近界民を正式にボーダーへ迎え入れた。

 これが、秘匿案件であった、黒トリガー回収任務の事の顛末ということになる。個人的には、迅さんが一人だけ損をしているように見える。よっぽど、その黒トリガーを持つ近界民のことが大切なのだろう。

 

鬼怒田室長に報告を終えた僕は、太刀川隊の隊室へ向かう。ノックをして、入室の確認。

「八宮です。太刀川さん、いますか」

「おー入れ、入れ」

 少し低い声、この落ち着いたトーンは太刀川さんのものだ。

「失礼します」

 中に入ると、私服姿の太刀川さんと出水さん、それと凪が仲良くぼんち揚げを食べていた。太刀川さんは黒のチノパンに茶色のジャケットという出で立ち、シックな感じが大人っぽい雰囲気を出している。出水さんは言わずと知れた“千発百中”Tシャツだ。

「兄さん、鬼怒田室長への報告ご苦労様です。これ、さっき迅さんがくれたそうですよ」

 そう言って、凪はぼんち揚げをひらひらとさせ、こちらを見た。任務のせいで夕ご飯が食べられなかったので、僕はお腹が減っていたのだろうか。思わずゴクリと生唾を飲む。

 出水さんがそれを察してか、ぼんち揚げをぼりぼりと食べながら、口を開いた。

「八宮さんもこっち座って、食べなよ」

「じゃ、お言葉に甘えますね」

 ありがたい誘いに僕は顔を綻ばせてそう言い、椅子に腰をかけ、ぼんち揚げに手を伸ばす。

 何故か、その手が太刀川さんにつかまれた。一瞬の困惑。ああ、そういえば、手を洗ってなかったな。これは、失礼、失礼。空いている左手で、白衣のポケットからウエットティッシュを取りだそうとしたとき、太刀川さんは顔をにやつかせて言う。

「出水、そういや八宮はまだあれを食ってないよな」

「そーいや、そうすね」

「先日開発された加古スペシャルを温めてやれ」

「あいさー」

 出水さんはぼりぼりとぼんち揚げを咀嚼しながら席を立って、冷蔵庫の方へ向かう。

 加古スペシャル? 一体なんだろうか。温めるということは、食べ物なのだろう。加古って、あの加古さんだよな。金髪ロングの美人さんの手料理を食べられるなら、こんなに嬉しいことはない。

 凪を見ると、手を口元に当てていた。なかなか上品な食べ方をするじゃないか。笑いをこらえているように、見えなくもないけど。

「太刀川さん、いいんですか。僕が加古さんの手料理を食べて」

「どうぞ、どうぞ。エンジニアの方にはお世話になっているからな。できれば、遠征艇をもう少し大きくしてくれると嬉しい」

 にやにや、にやにやと白い歯を見せてそう言ってくる。凪はまだ、手を口元に当てている。よく噛むのはいいことだと思うけど、どうにも咀嚼しているようには見えない。

「うーん、工業部門の方に伝えておきますね」

 そう答えるのと同時にチーンとレンジが鳴り、解凍の終了が告げられた。出水さんは、無言で僕の前にスプーンと、チャーハンのようなものを置く。

 チャーハンのようなものとは、そういうことだ。何故かぬらぬらと米が光っていて、角切りにされたメロンがその中に埋まっている。そのチャーハンのような代物はハニートーストに近い甘いにおい漂わせ、僕の鼻孔をくすぐってくる。香りだけなら、チャーハンと思わなければ、悪くないかもしれない。

「がぶっといってどうぞ、八宮さん」

 わざわざ、僕のために目の前の代物を温めてくれた出水が言う。僕は敵に敬称を使わないのだ。

「太刀川さん、これ美味しそうですけど誰か食べましたか。僕一人で食べたら申し訳ないです」

「堤が感激に涙してたぞ」と太刀川が答える。

 なるほど、なるほど。そりゃ、美人さんの手料理はうれしいよな…。

 僕は顔を引きつらせながら、ヘッドセットの電源を入れる。

「クーちゃん、味覚遮断」

「ご主人、それっぽく言ってもそれは無理だよ」

 クーちゃんにも見捨てられた。もう逃げ道は残されていないのかもしれない。

「心配するな、みんな一度は通る道だ。つらいのはお前だけじゃない」

 そう言葉にしながら、太刀川はポンと僕の肩に手を置いた。その手はとても暖かった。その声のトーンからは何か歴史を感じる。真っ直ぐな瞳からは切実なものが伝わってくる。太刀川さんも出水さんも敵じゃない、同士だ。

 仲間がいる。もう怖くない。

 スプーンを手に持ち、蜂蜜やらメイプルシロップやらでぬらぬらと、ぬめり輝くチャーハンをすくう。

 一気に口へ。

 一口目を味わった瞬間、脳裏に火花が散った。

 指数関数的に膨らんだマズさが鈍色(にびいろ)交響曲(シンフォニー)を奏で、偏頭痛の痛みのリズムにも似た正体不明の動悸が心臓を掻き回す。そして、――僕はただ静かに涙した。

 これだったらギャグ漫画みたいに、暗黒物質(ダークマター)とか、ボコボコと沸騰し続ける液体とか作ってくれた方がよっぽど被害が少ない。

 加古チャーハンは位相を超越したマズさではなく、切実に、沁みるように、ひらすら現実的(リアル)な不味さを持っている。

「そう言えば、堤が隠し味の牛脂(ラード)がヤバイって言って――」

 太刀川さんの科白を最後まで聞かずに、僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

「……、 ――人、ご主人」

「ご主人、大丈夫? ほら、僕の手を握って」

「ク、クク、クーちゃん?」

「そうだよ、僕だよ。ほら、ご主人、安心して、僕がそばにいるからね」

「ありがとう、クーちゃん……」

「ご主人、もう少し休んでていいよ」

「ありがとうね、クーちゃん」

「へへ、出社時間になったら起こすからね」

 

 

 

 

 

「…きて、ご主人」

久方ぶりに夢を見た気がする。しかし、それほど鮮明に覚えていない。中性的な子が僕の手を握ってくれていたような、そんな夢だった気がする、ような気がする。最後に夢を見たのは、僕が園児くらいの頃ではなかっただろうか、覚えていられないのも無理はない。『副作用(サイドエフェクト)』である『睡眠不要体質』の業は深いのだ。

「ほら、ご主人、起きて、出社だよ」

 ヘッドセットから、クーちゃんの声。

 他人に起こされるなんて本当に久しぶりだ。これまでの23年間の中で、誰かに起こされたことなんて片手で数えきれる。しかし、誰かに起こしてもらうっていうのは、想像以上に素晴らしい。幼馴染のヒロインが主人公を毎朝起こしに来るけど、あれは男の願望で作られているのだろう。

「ああ、クーちゃん、おはよう。ありがとね」

「おはよう、ご主人」

「ああ、そうか、昨日…。クーちゃん、僕が気絶した後、どうなったの」

「太刀川さんと出水さんがご主人をこの隊室に運んでくれたよ。凪は学校があるから帰った。あと、ご主人の残したチャーハンは堤さんが食べたよ」

 なるほど、堤さんは刺激的フレーバーチャーハンを二度も食べたのか…。堤大地は2度死ぬ。これは、申し訳ないことをした。堤さんを無限に死なすわけにはいかないので、加古炒飯緊急対策会議を開くよう、太刀川さんへ可及的速やかに提言したほうがいいかも。

「ご主人、急いで。8:30出社でしょ」

 コンタクトレンズの右上部分に表示されるデジタル時計は8:10を刻んでいる。職場が隊室と同じ施設にあるとはいえ、時間がない。

「うん、わかった、もう行く。クーちゃんはそのドローン好きなように使っていいよ。今スピーカーつけるからね。これを使って自由に会話をして、自由に移動して、たくさんの人と触れ合って来てね」

「ありがとう、ご主人。すごくうれしいよ。自分の体ができたみたい。あと残すは、触覚だね。でも、味覚は当分のあいだいいや」

 クーちゃんは、ドローンをアクロバット飛行させて喜びを表している。人工視覚がオンラインになっていたら、目を回していただろう。

「あ、クーちゃん。でも、危ないから基地の外に出ちゃだめだからね」

「了解、ご主人」

 

 

 

 

僕が遠征艇の座標系制御機構のプログラミングをデバッグしている時に、クーちゃんから無線が入った。

「ご主人。今日はC級隊員が入隊日なんだってね。ちょっと見てくるね」

「クーちゃん、遊んでばっかりいちゃだめだよ」

「大丈夫だよ、ご主人。僕は今5人いて、2人はランク戦の映像見ながら勉強していて、もう2人は防衛任務の支援オペレータをやっているから。あとね、自分の体でいろんな経験を積むことが一番勉強になると思うんだ」

「なるほど、よく考えてるね、クーちゃん。バッテリーの残量には気を付けてね」

「了解、ご主人」

 

デバッガのプログラミングが不味いのか、デバッグが進まずいらいらし始めたところで、また無線が入った。

「ご主人、すごいよ。髪が白い、背の低い子がバムスターを0.6秒で倒したよ」

「0.6秒!? それは、嘘でしょ。クーちゃん、人工視覚に視覚共有」

「了解、ご主人」

 0.6秒って、頭おかしい。ちなみに、僕の初の戦闘訓練の記録は31秒。

「クーちゃん、黒い服で白い髪の少年がその、0.6秒?」

「そうだよ、ご主人。あ、もう一回やるみたい」

 結果はコンマ4秒。まさに、あっという間だった。彼は体を捻らせて飛び、そのまま腰をまわして、腕をまわして、スコーピオンを振わせて、バムスターの弱点である目を容易く両断した。その、太刀筋の鋭さは小南さんにも優るとも劣らずに見える。

「すごいC級がいるんだね、ご主人。ご主人が今やったら何秒くらい」

「うーん、2秒くらいかな」

 たぶん、嘘じゃない。バムスター一匹くらいフルアタックで一瞬だ。

「ご主人、僕がご主人の2本目の電極使ったら、0.3秒で倒せるよ。もっと、精進を」

 

 

 

0.4秒の衝撃を受けた次の日。僕は遠征艇の閉鎖循環系の整備をしていた。これが上手く機能しないと遠征艇は悪臭に包まれることになる。最悪死ぬ。その中の炭素循環系を整備していたとき、クーちゃんから無線が入った。オンラインにすると、ヘッドセットから、クーちゃんの声。

「ご主人、黒い炊飯器が浮いてるよ」

 意味がわからない。

「え、どういうこと、クーちゃん。もう少し、詳しく」

「黒い炊飯器が自動販売機の前で、昨日の白い髪の子と話してる」

「炊飯器が話しているの?」

「そうだよ、ご主人。僕の仲間かも知れないから、ちょっと話してくるね」

「クーちゃん、ドローンのカメラを人工視覚に視覚共有して、僕もいくから」

「了解、ご主人。早く来てね」

 

 

僕の脳内で再構成された光景の中で、確かに黒い炊飯器が白い髪の少年と話していた。




ようやく、レプリカと遭遇。

――追記――
作者は客観視できません。どうか、批判をお願いします。

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