そこに立つ時、人間は人であることを認めなければならない。
己が二本足のみで立ち、望み、そして孤高を頂く。
戻ることもせず、進むこともせず、ただそう在れかしと認めた時、人は人の立つべき最後の場所へと至るのだ。
己はそれであり。
己とはそれである。
故に、そこに立つ者は全てを捨てなければならない。
培った全てを、己だけではなく、己を取り巻く全てすら捨て去って。
振り払い、無垢となり、歩み続け、至る域。
人はそれを指して、修羅と呼ぶ。
なんて様だと、吐き捨てるのだ。
―
俺が感じる絶望をどう言い表せばいいのだろう。
虚ろな眼差しで安堵の表情を見せるネギ君と、そんなネギ君を見向きもせずに彼を守ろうとする神楽坂さん。
どちらも互いを見ようとしない空虚な在り方こそが、俺が彼に関わってきた結果の全てであった。
彼ならきっとこちらに来てくれると俺は信じていた。
信じて、大切に見守り、成長を望んだはずだった。
だが所詮、青山という俺の体が天才であったとしても、俺自身がどうしようもない凡夫だったせいか、ネギ君は結局こちらに至ることも出来なかった。それどころか、互いに互いを見ない哀れな共依存の関係を作り上げ、そこに依存するだけの唾棄すべき者となってしまっていた。
これならばそこらの草でも斬ったほうがマシだと、既に朦朧としている思考で苦笑する。
結局は俺の独りよがりだ。勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じている。
きっとネギ君にとってはこんな俺の期待など迷惑でしかなかったことだろう。
だがそれでも、そう思ってしまう自分が頭の片隅に存在する。
「……明日菜、さん」
「大丈夫、私が、私が今度こそ……」
証を突きつけたまま動かない俺を前に、傍目から見れば美しくも見えるやり取りを二人がしている。
だがこの二人は互いの名を呼びながらも互いを見てすらいない。
俺が言うのも馬鹿げた話だが、彼らは狂っているとしか思えない。
いい加減目を覚ませ。
そこに居るのは誰でもない。
君がかつて見送った誰かでも。
君がかつて助けてくれた誰かでも。
どちらもここには居ない。居るはずがない。
――何よりも。
「……俺だ」
「え?」
神楽坂さんが俺の声に反応して顔を上げる。現実を見ない彼女の目に俺はどう映ったのだろうか? 半分になった視界で彼女の瞳を見返して、俺はやはりこちらを見てすらいない視線に苛立ちを覚えた。
あぁそうだ。何よりも許せないことが一つだけ。
「君達の前に居るのは……俺だ」
俺は青山だ。
そう呼ばれ、そう蔑まれ、そう在れかしと呪われた修羅外道を見ろ。
互いを見向きもせず、他人すら見ようともせず、そして俺すらも無視する君達を俺は許せない。
「あぁ本当に……君達は……お前達は腹立たしいな」
本来なら見向きもせずに置いて行くはずだった。
斬る価値すらない虚ろな物などよりも、俺は残された最後の時間を使って最期の責務を果たすはずだった。
だがもう我慢できない。勝手だと言われてもいい。俺は、俺の期待に応えもせずに、あろうことか空想に浸って現実に目を背けるだけのこいつらを許せないから。
「故に――」
斬る。
その幻想を斬り捨てて、俺は結果を見ることなくその場を後にした。
―
失った右腕が熱い。
そんなことを思うネギの前で鮮血がほとばしる。
明日菜の背を見ていたネギの視界を一面の真紅が染め上げた。
神楽坂明日菜の体を袈裟に斬った青山の斬撃が躍っていた。
「え?」
一瞬の出来事に意識が追いつかず、ネギは呆けた眼差しで崩れ落ちた明日菜を見下ろした。
今まさに自分を斬り捨てようとした修羅外道、青山から庇ってくれた少女が血の海に沈んでいる。右腕が熱い。その姿に自分の骸が重なるのはきっと、本来なら自分こそがこの結末になるべきだったからだろう。
だがネギは結果として生きのび、明日菜が代わりに狂気の刃に屈した。
「明日菜、さん?」
呼びかけ、その背を摩っても明日菜は応えない。だがネギはその事実が信じられずに何度もその背を揺すった。
それでも彼女はもう動かない。
もう二度と、呼びかけに応えてくれることはない。
真紅は命の証。
溢れ出ればそれで最期。
彼女は死んだ、その真実を。
聡明なネギの頭脳はそこでようやく『逃避していた現実』から舞い戻り――絶叫した。
「――――――ッッッッッ!!!???」
しかし腹の奥底から溢れ出てきたのは声にもならない咆哮だった。
何をしていた。
自分は一体これまで何をしていた?
共にあると思っていた。神楽坂明日菜は自分の大切なパートナーで、彼女もネギ・スプリングフィールドを大切なパートナーだと思っていたはずだ。
だが現実を見て、これまでを振り返ればどうだろう。
右腕が熱い。
自分は一体彼女に何を見ていて、彼女は一体自分に何を見ていた?
どちらも虚構で偶像で右腕が熱い、互いに誰かを投影しているだけに過ぎず、その末路がこれだ。
明日菜は守れなかった誰かの代わりにネギを守り。
ネギはかつて自分を助けた誰かの代わりに明日菜に守られた。
愚か過ぎて反吐が出る。強くなったと思い込んでいた自分の度し難さに憤怒すらする。
そんな自分に託した父は、一体どんな表情でどんな思いを抱いて消えたのだろうか。
だから、だからこそ――こんな自分は、青山にすら見限られたのだ。
「――ッ――ッッ――――ッ!!」
引き絞る奇声は獣の鳴き声にも似つかない激情の塊だ。
喉を引き裂き、眼球を沸騰させ、脳髄をかき混ぜる程の激情。普通なら喚き散らし、叫び荒れるはずだろう。
だが人は、己の許容を超えた何かを迎えた瞬間、吐き出すという行為すら出来なくなるのだ。
少しでも漏れ出たら己が己ではなくなる。このまま溜めこめば風船のように弾け飛ぶのは分かっていても、しかし限界を超えたからこそ人は感情を爆発させることすら出来ない。
それが人間だ。もうどうしようもない後悔に悶え、苦しみ、ただ沈むことしか出来ないのが人で、そうであることが、酷い言い方だが健全な在り方なのだ。
愚かな少年は、真正面から向き合うべきだった少女をすれ違ったままに失った。
もうネギの手には何も残っていない。
右腕が熱い。
あの時、もしも迷いを抱かずに立ち向かえたら、自分は勝利を手にしてこんな結末を迎えなかったはずだった。
「ごめ……な、さい……」
父さん、明日菜さん。
こんな自分に託して、守ってくれた二人に呟き、ネギはそこで知覚した現実を遮断した。
そして少年は全てを手放した。
砕け散った己を拾い集める術はなく、ここには彼を救い導く大人も存在しない。
あるのはもう己一人。
幻想に行き、幻想を斬り捨てられ、放り捨てられた赤子が一人。
――それが、もう一つの最悪を呼び出す。
ここにネギ・スプリングフィールドは全てを手放した。
培った絆を、積み上げた己自身も。
あらゆる全てをゴミ箱に捨てるように。
アレと同じく、手放して――。
妙に、右腕が熱かった。
もう何もかもがどうでもよくなっていた右腕が熱い。
許容できない己への負の感情と至らなさに右腕が熱い何も考えずここで燻っていたかった。
どうせもう自分が何を右腕が熱いしても意味は無い。
例え瀕死になっていたとしても、青山という修羅外道はネギの想像をはるかに超越した異次元の強者だ。ここで立ち上がっても右腕が熱い勝ち目なんてもう存在しない。そもそも雷轟を束ねた全力すらも斬られた時点で勝敗は右腕が熱い。
あぁ、さっきからずっと右腕が熱い。
内に引きこもった思考が一点に集中する。目まぐるしく駆け巡る言い訳の数々を押しのけてただただ右腕が熱いと失った腕が熱く熱くとても熱く今もそこに在るかのように熱くて熱くて仕方ない。
「……熱い」
熱いのだ。
それだけしかない。
もう全てがどうでもいいけれど右腕が熱いことだけは無視できない。
だって右腕が熱いのだ。斬り捨てられた腕が存在を主張して思考を遮ってまでも熱いことを訴えている。
だからもうそこでいい。
自分の右腕は熱くて、他のことはどうでもいい。
熱くて、痛い。何もかも――それ以外必要ないと。
「熱いなぁ……」
不意に空を見上げた。
もう夜は近い。空には美しい月が輝き、きっと破滅的な世界はすぐそこに。
理由は分からないがそうなると思った。あの人ならきっとそうしてくれると今だからよくわかった。
だからもう、どうでもいい。
これ以外、どうでもいい。
「……邪魔だな」
ネギはまず、唯一光を宿していた右目を躊躇なくくり抜いた。
そして半分になった視界で転がる明日菜にそれを放り捨てる。その様を呆と見届けて、再びネギの視線は空を映した。
「もう全部どうでもいい」
漆黒に沈んだ左目で見る景色に全て意味があるとは思えなかった。
しかしもうネギはそれでよかった。
いや、それでいいのだと理解した。
もう全部に意味など無い。中途半端に燻った己をかけがえのない半身ともいえるパートナーと共に失った今だからそう思える。
そう、所詮自分は
育んだ全てを失った自分などこの程度。それを半ば強制的に理解させられたから。
「だって僕はもう勝ったんだ」
己が勝利者なのだと、理解したのだ。
そしてネギはゆっくりと立ち上がった。そこには先程までの弱弱しさも、明日菜を失ったことによる激情に悶えていた面影は一切ない。
気負いなく立ち上がり、ありのままに歩を進める。
「でも、決着はつけないといけないよね」
そうして数歩踏み出した先で、あの日からずっと使い続けてきたナギの杖に足が引っかかり。
「邪魔」
躊躇なく踏み砕いたネギは薄らと微笑んだ。
今、自分はかつての自分が縋った偶像を粉砕した。
つまり僕の勝ちだ。
それでいいし、それ以外にどうでもいい。
「僕の勝ちだ」
失ったから気付く。
全てが無いから、唯一無二の己自身に立ち戻り、至るのだ。
―
「だから青山さん、貴方が敗者だ」
故に、その直後に瞬動を用いて現れたネギ君を俺は微笑みで迎え入れた。
「……あぁ、君はそういうモノだったんだね」
「はい、僕は勝つ、そして貴方が負ける。分かりきった全てですが、決着をつけないのは気持ち悪いですから」
薄らと笑うネギ君は奈落の如き眼で俺を見据えている。
そう、俺は今、彼の姿がはっきりと見えていた。
もう視界すら意味をなさなかったはずが、気付けば俺の肉体には気力が充実していた。それはもしかしたら今一歩のところでネギ君が割り込んだために発動した世界樹の魔力のおかげか、あるいは俺自身の底力のおかげか。
どちらでもいい。
もう、そんな些事などどうでもよくなるくらい、俺は降って沸いた幸運に歓喜していた。
「は、ははっ……!」
見ろ。
アレを見ろ。
アレこそが俺が望んだ究極だ。青山という肉体に匹敵、あるいは凌駕する力を秘めた天才が至った極地の末路だ。
全身にみなぎる魔力と気は精錬ながらも醜悪。英雄の気風を纏いながら唾棄すべき狂気に浸ったソレの名を俺は知っている。
だってアレは俺だ。俺が惚れ、俺が育んだ俺自身と全く同じ。青山という血肉と同等の人間だから。
「あはっ、うん、僕も今だから分かります。僕は貴方に勝ちますが、だけど、それでも……それ故に、貴方は僕を斬るんですね?」
「あぁそうだ。例え俺が敗者であっても――斬られるのは君だ、ネギ・スプリングフィールド」
ここに俺達の認識は共通し、同時に別離する。
だからここから語るのは互いの牙。
俺が証に斬るという確信を乗せれば、ネギ君は雷を纏った左腕に勝利の確信を携えた。
何ということだ。
あの一瞬、神楽坂明日菜を苛立ちのままに斬り捨てた後に何が起きたかは分からないが、どうやれ俺のあの気まぐれこそが正解だったのだ。
その開花を阻害する邪魔な枷が分からなかっただけで、種は実を成し、花を咲かせる直前だった。
そして今、枷を失った極点が俺の前に居る。
本当に、俺をこの世界に転生させた神とやらが居るのなら感謝を捧げたかった。
もう成せないと思った俺と同じ極みに至りながら、俺とは別の極みに至った修羅。人の極点へ到達した彼こそが俺の人生の意味に違いない。
あぁ、エヴァンジェリン。
ごめんよ、エヴァンジェリン。
お前の全ては素晴らしく、今も尚、俺の中で色褪せずに冷たく汚らわしい輝きを放っているけれど。
多分、もう君では物足りない。
きっともう、君では彼に届かないから。
「さようなら、修羅外道」
顕現した勝利が唸りを上げる。収束された一撃は、間違いなく俺の敗北を告げると本能が理解した。
だから俺はここで負ける。
俺自身が生み出した最強の手によって敗北すると分かっているけれど。
「……故に、斬る」
おはよう、修羅王道。
内心で彼の目覚めを祝福して、俺は本能すら凌駕する斬撃を以て、決して抗えぬ勝利の化身へと踏み込んだ。
ラストの部分で斬り捨てずに放置せず、苛立ちのまま明日菜を斬り捨てた場合のルートでした。多分、というか間違いなくこの戦いを望んだ読者は多かったはず。
次回はDルート・隔離特異点.飽和斬撃結界【■■■】(FGOクロス)です(大嘘)