トゥルーエンド【鞘の刀】
某県にある人の手入れがあまり行き届いていない山の手前。巷では限界集落と言われるほど過疎化が進んだ村。そんな日本という先進国にあって辺鄙と呼ばれる場所に、巫女服を着た見目麗しい女性が居るのは珍妙な光景であった。
風にそよぐ長く意志の強い切れ長の瞳、
その女性、青山素子がここを訪れることを決意したのは、迷いに迷った末のことであった。いや、今もまだ果たして行くべきかどうか迷っている程である。
話は一週間程前のことだ。久方ぶりに里帰りをした素子は、若いながらも現在は隠居して久しい実の姉、青山鶴子の元を訪れて、姉が彼女達にとっての弟にして、神鳴流最大の禁忌である青山響が現在住んでいる場所を素子に教えたのが事の発端である。
かつては共に神鳴流を極めんとしていた同門の剣士にして、何よりも血を分けた弟である。
そして、神鳴流の名を地に落としかけた許されざる外道であった。
「……少し早く着いてしまったか」
約束の時間にはまだ暫く時間がある。取り出した懐中時計を見て、自分が思ったよりも気を急いていることに気付いた素子は、己を落ち着かせるために大きく息を一つついた。
愛憎混ざった複雑な感情を昇華するために素子はここに来たのだ。
逸る気持ちも仕方ない。だがざわつく心に惑わされて、相手を見誤ってはいけないと己を律する。
「響、いや……相手は、青山だ」
青山響と名付けられた唯一無二の弟。そして今は、畏怖を込めて青山と断じられた修羅外道。
あの男を最後に見たのは、姉である鶴子との死闘を制した日だった。
今ならば分からないが、かつては天上人の如き存在だった姉、青山鶴子。史上最強の使い手とさえ言われた伝説の剣客を、響は十を僅かに過ぎた頃に下してみせた。
間違いなく、あれこそが天才と言われる存在なのだろう。しかし、天才だからこその孤独が弟を修羅外道という道に引きずり込んでしまったのだ。
「……良くないな」
素子はずるずると悪い方向に流れる思考を、頭を振って断ち切った。
何故、弟が修羅外道と化したのか。その全てを見切るための決闘はもうすぐだ。だからそれまで素子は曇りなき眼で青山響を見届けるようにしなければならない。
それでも、余計な思考がふとした瞬間に脳髄をかき混ぜる。
己の修行不足を嘆き、姉を下した相手との決闘を前に辟易した。だがそんなところも含めて自分は自分なのだと、逃げるようにして訪れた今の居場所で手に入れた思いを胸に、再び深呼吸をして前を向いたその時であった。
「あ」
思わず声が漏れた。丁度、前の道の影から出てきた青年。まるで影そのものを引き連れたように地味で目立たない男の横顔に、素子は見覚えがあった。
「……?」
素子の素っ頓狂な声に男も反応する。そして首を傾げて数秒硬直すると、男も目を丸くして素子を見返した。
「姉、さん……?」
「ひ、響……か?」
青山響。
かつて弟と愛し、今や嫌悪すべき青山と化した修羅外道との再会は、互いに意図しない何とも微妙なものとなったのであった。
―
世の中、何が切っ掛けになるか分からないものである。
つい先日のこと、随分と長い間顔を合わせることもなかった俺の実家から届いた二通の手紙。
一通は長女である鶴子姉さんからの手紙で、簡単に内容を纏めると暇をしているなら仕事紹介するというもの。まぁ二十歳に届く程度の年齢で早々に隠居生活をしている俺である。別に断る理由もないので行こうかと思ったのだが、その前にやるべきことが次の二通目の手紙に記されていた。
次女である素子姉さんからの果たし状。忌むべき、嫌悪すべき、憎悪に値する青山である俺を、現在後継者である素子姉さんが直々に打ち倒すというもの。
まぁ、納得である。
何せ俺は青山だ。
そうあるべき、そうあって然るべき存在なのだから。
「……その、なんというか、な? げ、元気、だった、か?」
だが現在、戦意に満ち溢れていた果たし状の内容からはまるで考えられない、しおらしい態度の素子姉さんが向かい側の席に座っている。
場所を喫茶店に移した俺達は、こうして久方ぶりの出会いを、さながら中学生のカップルの初デートが如き気まずさの中で迎えていた。
こうなったのは、まず俺のせいであろう。
俺の知覚に反応した気を興味本位で見に行ったら、まさか相手が素子姉さんだとは思わなかった。いや、幾ら久しぶりだからとはいえ、実の姉の気を忘れるとか流石に酷いと思わなくもないのだが、こうしてばったり遭遇してしまった以上仕方ないだろう。
しかも、見に行くだけのつもりだったために手元には刀は無い。これでは斬るにも斬れないので、恥じ入るばかりである。
「……響?」
何より、こんな俺をまだかつての弟として扱ってくれる素子姉さんの優しさが嬉しくて、同時に何とも恥ずかしくて言葉に詰まる。
「い、え……すみ、ません。人と、話す、の、は……久しぶり、ですので」
「あ、あぁ、そうか。そういえば、暫く軟禁生活をしていたんだな……それで、その後は……」
「は、い。神鳴流を、破門、後……こうして、生き恥を、晒し、ながら……こそこそと、生きて、います」
「響……」
「違います。俺は、青山です。もう、姉さんの、弟だった、青山、響では――」
そこまで言って苦笑。口では弟ではないと言いながら、今まさに姉さんと呼んでいるのは矛盾だ。そんな俺の内心を汲んだように、素子姉さんも微笑んでいる。久しぶりに見る。もしかしたらずっと見たことなかった姉さんの優しい笑顔に、少し見惚れるのは、まぁご愛嬌。
「……恥ずべき、ばかりです」
「ははっ、ともあれ、元気そうでよかった。そう言えば、お前はあれから――」
そう続けて、素子姉さんと俺は暫くどうでもいい話を続けた。大体は鶴子姉さんを斬ってからの話。俺の話は殆ど血生臭い話ばかりなので、大抵は素子姉さんのことだったけれど、久しぶりの姉弟の会話は、自分で思っていた以上にとても有意義に感じた。
「なぁ……」
そうして気付けば決闘の時刻すら忘れて語り合っていると、不意に素子姉さんが寂しそうに目尻を下げてみせた。
「斬るのだな」
「はい」
「そうか。その様で、斬れるのか」
「はい、この様だから、斬れる、のです」
「そっか……」
窓の外に視線を移した素子姉さんの心は見抜けない。だが、哀愁漂う横顔に、僅かな安堵が感じられたのは間違いではないはず。
「腐ったような眼で、綺麗に人を見つめることが出来る。そういった存在に成って、いつかは果てるのか」
「そう、です。いや、もう、俺は、果てています。だって、俺は、これだ。これが、俺で、これ以上、俺は、無い」
斬るのだ。
この様だから斬り、この様だから斬れる。そう在れと何よりも祈った自分が、そうであると進んだ先で辿り着いた境地がこの場所。これ以上先など存在しない極地。斬るという在り方の、一つの完成。
だから、俺はこれでいい。
これだから俺なのだと、そこだけは卑下すべき己の生で誇れる唯一の結晶。
「安心した」
素子姉さんは、俺の意志を聞き届けて、肩の力を抜いた。
「安心、ですか?」
「もしも、私が今日、お前とこうして語らうことなく決闘に赴いていたなら……私はお前のその恐ろしい部分に囚われてしまったかもしれない。あるいは、恐ろしい部分を汲み取ったうえで、私もまた――いや、止そう。仮定の話に何の意味があるか」
「……」
「だが今日お前と会って、こうして語らって、刀ではないお前が放つ刀を扱う人間のお前の言葉で、良く分かった」
「……」
「青山……いや、響」
「姉さん……」
「お前はきっと、どうしようもないくらい我儘だ。でも、お前の我儘は誰かが関わらなければ、自分だけで満足できる我儘だと思う。……そこに、安心した」
何故、安心するのだろうか。言葉の意味が分からない俺の様子に感づいた素子姉さんは困ったように頬を掻いた。
「何と言えばいいのか……。そうだな。だってお前は斬るけれど、別にもう、斬る必要はないのだろう?」
「……え?」
「お前は、軟禁生活の間も、破門された後も……斬っていない」
「そ、れは……」
「分かってる。斬れるんだ。そういうことだろ?」
そう。
俺は斬れる。
斬れるから、それでいい。
確かに俺は斬るだけしか出来ないような男である。悪鬼羅刹、そして修羅外道となじられて当然の災厄だ。
しかし、強さを欲したのはかつての話。今や俺の手には斬撃が在る。
だからそれ以上、進むことも無ければ。
別に、それ以上、進むつもりも無いのだ。
「不思議だな。お前ほどに人間らしい人間は居ないのに、お前は誰よりも人間とはかけ離れた男で……まるで、振るわれなければ意味の無い刀のような男だよ」
「刀、ですか」
「あぁ。例えるなら、振るった者も、振るわれた者も、両方共に斬って捨てる妖刀の類かな。意志ある鋼なんて、どれもこれも妖刀に違いあるまい」
確かに、姉さんの言っていることは御尤もだ。
そういうことなら、俺は只の刀になったのか。
斬るためだけに存在しながら、自らは斬ることもなく、誰かが振るってくれるのを待つだけの鋼。
それはある意味で、青山という言葉以上に、ストンと俺の洞に嵌まるように思えた。
「ですが、それでも、俺は俺、です。刀のよう、な、人間であっても、俺は、人間のような、刀ではない。その証拠に、俺は、姉さんを、斬りたいと、思っている」
久方ぶりに回した舌の根を潤すために、机に置きっぱなしになっていたコーヒーに一口。ホットのはずだったが、時間が経ちすぎたせいでもうだいぶ温くなっている。
そこまで語らえたのはこの人だからか。この様になってから初めて、恐るべき青山ではなく、たった一人の弟を、青山ということを分かったうえで受け入れてくれたからなのだろう。
だから、僅かとはいえ斬りたいと思える奇跡に感謝した。手元に刀が在ればすぐにでも斬りかかったくらいに、今、俺は姉さんを斬りたいと思っている。
「分かっている。そして、お前がこれから姉上の掌に乗れば、きっと必ず、青山という妖刀は世界に刃を突き立てるだろう……だから、決めた」
「決めた、とは?」
「私がお前の、鞘になる」
「さ、や?」
「そうだ。まっ、色々と未練が無いと言えば嘘になるが……多分、今日、戦うことなくお前とここで出会えたのは、そういう運命だったということだろう。きっと、この世界でお前の異常性に気付いているのは私だけだ。だから、私がお前を護ろう。お前が斬りたいと思える相手に出会わないよう、お前が斬るという在り方のままで居られるよう……」
そして、いつか尽き果てるその時まで。
「共に居よう。私も、青山だから」
何故だか一人で納得している素子姉さんだが、当の本人である俺としては訳が分からない状態である。
だが、鞘か。
俺を刀と言った姉さんが、自分を鞘と名乗ってみせた。
俺なんかよりもよっぽど鋭い刀剣の如き人が、俺のような刀を封じる鞘となってくれる。
うん。
うん、うん。
「つまり、プロポー――」
「違うわ!」
「ずぴょっ……!?」
弾丸が炸裂したかのような音が俺の頭で奏でられて、思わず奇声。迷いなく放たれた見事な手刀。俺でも見逃しちゃうくらい一瞬で額を突かれたことに目を白黒させて、赤くなった額を摩る。
「あー……お見事」
「お前から一本取れたとはいえ……複雑な気分だ」
先程と打って変わって重たいものを背負ったように肩を落として嘆く素子姉さん。
かつての記憶にあった凛としたたたずまいの姉さんと違って、今こうして百面相を浮かべる姿は、きっと先程語ってくれたひなた荘という場所で培った陽だまりの暖かさなのか。
変わったな。
あるいは、俺が変わったのか。
「ったく、ぷろ、プロポーズなどと、女性である私から、いや、そう言えばあの時は自分から言ってたしむしろ私は自分から積極的な――」
「……刀と、鞘、か」
「……響?」
「いや……何でも、ないです」
人は、変わる。
貴女が変わったように、世界が流転していくように、あるいは俺も。
そう思うことくらいは、許してほしいと、心が囁く。
故に、俺は斬るのだ。
「分かってる。お前はそれでいいよ」
素子姉さんは笑ってくれる。
斬ることに在る俺を、それでもいいと言ってくれる人が、まだ居ることが、少しだけ嬉しくて。
それはきっと、貴女もまた同じ、刀となるべき人だから。
「……ありがとう、素子姉さん」
いずれ斬るその時まで。
【鞘の刀】終
この後、オリ主は素子と共に人知れずどこかでひっそりと暮らし、そのまま何も関わることなく生涯を終えるというお話でした。どのルートでも破滅しか待っていないのですが、唯一このルートだけ平平凡凡に終わるというちょっとびっくりなアレですけど、実はこのお話が本当の意味で『青山』のお話だったりします。
それも含めたキャラ設定語りに続きますよー。