英雄と修羅の戦いはあまりにも呆気ない結末を迎えた。
だがまだ戦いは終わっていない。
英雄は敗北し、修羅は勝利を手にした。
それでも。
それでも、人間はまだ、抗えるから――。
「ぐ、はっ……はっ、はっ、ははっ……!」
そして、ネギ・スプリングフィールドは己の狙い通りの敗北に哄笑した。
「ネギ、君?」
「ぼ、くの……負けです」
ネギは心臓を抉った響の腕を掴んで無理矢理引き抜くと、傷口を魔力で補填してぎりぎりの延命処置をする。
だがその延命も一分も続かない程度。最早、ネギに待ち受けるのは絶対的な死だけだ。
だというのにネギは嗤っていた。
茫然自失とする響の顔を見て、会心の笑みを浮かべてみせた。
「そして、貴方は、終わりだ」
「な、に……?」
「僕達を、斬った。貴方は、未だ、成長の余地を残した、僕達を、斬ったんです」
瀕死のネギが告げた言葉が、自壊寸前の響の心をさらに貫く。
まだ、ネギと明日菜は強くなれた。
もしかしたらと、あの輝きを超えた一撃を。
「ば、馬鹿な……だって、君達は、君達の極みは……!」
極まっていた。響は確信を持って断言できる。ネギと明日菜は確かに英雄としての領域に突入していた。間違いなく、青山だったかつての自分とならば互角の戦いを演じられた実力を備えていた。
それはつまり人の極み。極みを超えた響だからこそ言える。ネギと明日菜が魅せた輝きは、英雄と言う人の心の極みだった。
「何を、言って、い、るのですか?」
だからこそネギは嗤う。
これを待っていた。
京都で僅かばかり会合した響の在り方を、体を回復させる数日の間ひたすら考えた。
そしてネギは気付いた。
故に明日菜を残そうとしたけれど、明日菜は全てを聞いたうえで、一緒に死んでやると言ってくれたから。
だから今こそ、真の切り札を放つ。
人の純粋さを超越した修羅へ叩き込む、珠玉の弾丸。
「僕らは、まだ、子どもですよ?」
――お前は、焦りすぎたのだ。
ネギと明日菜。もしかしたら成長の果てに自分を終わらせることが出来る最後の希望を、くだらない焦燥感で斬り捨てたのだと。
「もしかしたら、貴方を倒せたかもしれないのに」
ネギは続ける。半ば放心した響をさらに追い詰めるために。
「で、でも、俺は、俺は……!」
「え、ぇ。貴方は強い。ですが貴方は、そのせいで、全てがもう自分には追いつかないと、勝手に、決めつけた……」
どうしてここまで響のことが分かるのか。きっとそれは、かつて色を失って修羅の道へと半分身を浸したからなのか。
あるいはネギが響に匹敵する天才だったからか。
どちらにせよネギは響の内心を見透かしたように言葉を放つ。
目は霞み、手足は鉛のように重い。
それでも。
それでもこの修羅をネギは――。
「そう、貴方は――」
笑った。
「強く、なりすぎた」
強くなりすぎたための悲観。その代償に、響は己を殺せるかもしれない相手を誤って斬ってしまったのだと、
滲んでしまった視界。もう一瞬だって立っていられない中、偽りの弾丸で貫かれた響が浮かべる表情を見て、ネギは残された唯一の勝利を得られた事実に、満足した。
「……やりましたよ。明日菜さん」
残された全ての力を使って、半身に分かたれた明日菜の元に辿り着いたネギは、寄り添うように隣に横たわった。
「僕らは……」
――勝った。
フィルターのかかった鼓膜を震わす響の慟哭が勝利の鐘代わり。
残された一分。
告げた言葉は、響の希望を砕き、そして新たに偽りの希望を芽吹かせるだろう。
もしかしたら、現れるかもしれない。
絶望のまま全てを斬ってしまってはいつか芽吹く希望すら斬り捨てることになるかもしれない。
だから待っていれば、誰かがいつか、ネギや明日菜のように成長し、成長しきった後に目の前に立ってくれるかもしれない。
――慟哭の後、貴方はそう思うことだろう。例え、その希望が偽りだとしても、未完成の僕らを斬った貴方は、そう思わなければ絶望してしまうから。
ネギは全てを予想していた。
足りない力を補うのはいつだって人の知恵。
浅知恵と笑うか?
あり得ないとなじるか?
だが響は慟哭している。
だがネギは響の絶望を予想している。
そして、ネギが叩きこんだ弾丸によって、孤独の修羅は偽りの希望を芽吹かせようとしていた。
それが現実。
ネギと明日菜がもぎ取った、真実の偽り。
「は、はは」
誰かが響に追いつくかもしれない?
――そんなこと、あり得ない。
ネギは響を前にした瞬間全てを理解した。例えこの先、きっと世界が終焉を迎える日まで、青山響に匹敵するものは現れないと。
そういった確信を持たせる程に、響は強くなりすぎた。
だからこそ、未完成のネギと明日菜を斬ってしまった響は、もしかしたらというあり得ない可能性に期待してしまう。
あり得ない。
だが、あり得てほしい。
それはきっと、人の夢。
あまりにも儚い、甘い毒。
「……これで、大丈、夫」
もう響は自分から何かを斬りに行こうとはしないだろう。きっと、目についた
そして、一人孤独に寿命を迎えて死ぬのだ。
永遠に現れない希望を望み続けながら、希望と言う呪いに身を浸して、溺死するのだ。
そう。
いつだって、劇的な何かはつまらないことだという現実を突きつけるように。
世界すらも斬り捨てることが出来る恐るべき修羅は、人としての孤独に付け込む人間の嘘によって、自身も分からぬままに屈することになった。
「やった、明日菜、さん」
決して誇れる勝利ではない。そもそも、勝利とも言えない。さらには、例え目論見通りいっても、響が誰かと出会い斬る可能性は十二分にあり、ネギが植え付けた希望の水を枯渇させ、絶望の末に世界を斬るかもしれない。
だがそれでもネギと明日菜は出来ることをした。力で及ばず、ゴミのように蹴散らされながら、それでもと抗い続けたから得た結果を。
「僕は、やり、まし、た」
その勝利を。
ネギは、隣の明日菜に誇った。
「だか、ら、明日菜、さ、ん」
――よくやったって、言って……。
「明日、菜、さん?」
返事はなかった。そこでようやくネギは、響によって両断された明日菜の瞳に光が無くなっていたことに気付いた。
既に明日菜は死んでいた。
策とも言えないネギの案に乗って、迷うことなく全てを乗せた一撃を放ち、当然のように蹴散らされた明日菜は、ネギよりも先に遠い場所へと行っていた。
もう、隣で歩んでくれた少女は居ない。
死にかけの身体に引きずられるように弱くなった心が、その事実に折れそうになる。
明日菜さんはもう喜んでくれない。
明日菜さんはもう怒ってくれない。
明日菜さんはもう泣いてくれない。
明日菜さんはもう――。
「あっ」
その時、ネギは見た。
一秒もせずに暗黒に閉じるだろう最期で、ネギは辛うじて見ることが出来た。
「何だ、明日菜さん」
最期に見たのは、いつだって自分を信じて、きっとやり遂げてくれたと確信した――。
「笑って、いるんですね」
まるで自分を褒めてくれているような、相棒の口許に浮かんだ小さな笑みを見届けると――。
ネギ・スプリングフィールドも、彼女と同じ微笑みを浮かべ、その閃光のように短い生涯の幕を降ろすのであった。
―
随分と冷え込んできた。
零れた吐息の白さを見て、雪広あやかはいつの間にか過ぎ去った日々を思い苦笑した。
「……あれからもう、半年以上になるのでしょうか」
空に溶けていく息を目で追えば、まるで世界中の人々の心を映したかのような灰色の雲が広がっている。
誰もが、心にかかった暗雲を払えずに、こうして冷たくなり続ける日々を怯えながら過ごしているのだろうか。そんなことを思って、あやかは不意に溢れそうになる涙を自覚して目を閉じて堪えた。
京都復興の日。その日、世界は一つの転換期を迎えた。
魔法と呼ばれる、まるでアニメの世界そのものの常識が人々に認知されたその日は、人々が幻想に憧れるのではなく、幻想の襲来に怯えるという結果となる。
突如として世界中で起きた集団恐慌。世界中の殆どの赤子、幼児、少年、少女、そして一部の大人や青年達が隣人を刃物で襲い始めるという異常事態に対して、世界中のありとあらゆる政府が、魔法による現代社会の攻撃として公表した。
そしてその主犯として挙げられたのが、クラスメートである超鈴音と、京都行きの新幹線に乗り合わせた男、青山響だと言うのだから人生とは分からないものである。
少数の人間による世界規模のテロ行為。当然ながら魔法などという存在を知らなかった人々は、魔法という存在すら信じられないというのに、どうして個人による世界を混沌させたテロ行為を信じられるだろうか。
だがその後、青山響が起こした斬撃の呪いとでも言うべき音色に侵された魔法使いが各地で暴走し始めたことで、少なくとも魔法の存在については信じざるをえなくなる。
だが、悲劇はそれだけでは終わらない。
魔法使いの暴走とその鎮圧もままならないというのに、さらには独裁国家の独裁者が斬撃に犯されたことにより戦争が勃発。その戦争および、暴走した魔法使いは隣国が投入した敵ではないかと疑心暗鬼に陥った国家の不満は数か月もしない内に頂点に達し、第三次世界大戦は始まった。
「本当に、分からないものですわ」
それからさらに数か月の現在。呪いに犯されなかった魔法使い達の手によって、核戦争という最悪の事態は免れたものの、今やこの平和な日本ですら隣人への疑心が払拭されないような殺伐な世界へと成り果てた。
それでも、少なくとも自分はまだ幸運なほうであるとあやかは思う。
あの事件の後、あやかを含んだ麻帆良学園の学生達は、混沌とする世界を憂いながらも、近右衛門以下、麻帆良学園の魔法先生達の尽力によって現在でも狂気に晒されることなく、互いに互いを支えながらもなんとか日々を過ごせていた。
だからとはいえ、幸福であるかと言えば、きっと嘘だ。
「入りますわよ」
あやかは目の前の扉をノックすることなく、一言だけ告げると扉を開いた。
かつてはネギと明日菜と木乃香の三人が居た部屋は、賑やかさを失って久しい。こうして定期的に清掃をしには来ているが、その度にあやかは虚しさに心が潰されそうになっていた。
だが、それでもあやかはこうして訪れるたびに挨拶を欠かさない。
もしかしたらいつか
いつか、きっとかつてのように。
「……明日菜さん、木乃香さん、ネギ先生」
五月蠅いくらいに賑やかだったあの日々が、戻ってくるのではないか。
そんな淡い夢を抱くのは、いけないことなのだろうか?
しかし呼びかけに返ってくるのは痛いばかりの沈黙ばかり。
もう、ここには誰も居ない。
誰も、居ないのだ。
「私は、馬鹿です」
誰も居ないリビングを満たす重い空気に押し潰されるように両膝をついたあやかは、懺悔するように両手で胸を握った。
思い出すのはあの日のこと。迷いを振り切って真っ直ぐに歩き出した明日菜とネギの背中。
どうしてあの時、自分は彼らを止めなかったのだろうか。
勿論、事情を知らないというのにあやかがネギと明日菜を止められるわけがないのだが、あの時、唯一二人と会話した自分を責めずにはいられない。
きっと、ネギと明日菜は青山響という男と共に居た木乃香を助けるために、たった二人で前に進んだのだ。
超鈴音が犯人ではないと信じているあやかからすれば、あの青山という男が世界を壊した犯人だと決まっている。ならば、あの二人は世界を壊せる怪物から、木乃香を救い出すために抗ったのだろう。
「私は……!」
せめて理由を聞かなければ通さないと立ちはだかればよかった。
せめて子どものように泣きじゃくってでも縋りつけばよかった。
せめて。
せめてと。
悔恨の言葉は心の洞から際限なく噴き出す。しかし、今更後悔したところで何になろうか。
雪広あやかはあの日、二人を止める言葉を知らなかった。
ネギと明日菜はあの日、あやかに告げる言葉を必要としなかった。
そして、三人は、否、三人を含めた幾人ものクラスメートはここには居ない。
あやかは全てを知らないし、知らされる立場には居ない。
だから全ては憶測で、何もかも想像するしか出来ないから。
故に。
せめてもの懺悔と、あやかは己を責め。
せめてもの希望と、あやかは彼らを待ち続ける。
「……いけない。弱気になってはいけませんわ」
大丈夫だ。
誰もが絶望的だと言っているが、少なくともタカミチの言葉が正しければ、木乃香だけは何処か別の場所で療養していると聞いている。
ならば、ネギと明日菜も生きている。木乃香を心配した刹那も、すっかり雰囲気が変わったエヴァンジェリンも、きっと何かの誤解で世界中に指名手配された超鈴音も。
きっと何処かで生きている。生きていると、信じている。
「皆様が帰ってきた時、ビシっと叱りつけないといけませんから。しっかりしないと」
帰ってきたらきついお仕置きをするのだ。
どうせネギも明日菜も、木乃香を救い出した後にこの混乱を抑えるために世界中を駆け巡っているに違いない。
だから彼らが帰ったら沢山怒って、沢山泣いて、沢山笑って、ずっと抱き締めてあげよう。
「えぇ。だからせめて、帰ってくる場所を私が守らないと」
疲れてヘトヘトになって帰ったのに、家が汚かったりしたら悲しいだろうから。
いつかまたここで、笑顔でお帰りなさいと言えるように。
いつかまたここで、笑顔で語らえるように。
あやかは今日も思い出の詰まった部屋を清掃する。
きっと明日も。
そして明後日も。
ネギ達が帰ってくることを信じながら、ずっと、ずっと。
暗雲の空の向こう側。少女が流さなかった涙の代わりに一筋の流星が流れ、そして消えた。
次回、Bルート後日談。