今まさに心臓を貫こうとした氷刃が命に届く直前、伸ばした人差し指を刃に例えた響の抜き手がエヴァンジェリンの眼球を貫いた。
さらには深々と突き立った一本指ごとエヴァンジェリンの体を横にずらすことで、胸に入った刃はそのまま胸の筋肉を引き裂いて横に抜ける。
一瞬の間に行われた迎撃に驚愕を覚える暇はない。
響が再び刃を手にした。
右目から血の涙を流しながら、エヴァンジェリンは今一度息を吹き返した響を祝福する。
それだけでいい。
もう少しだけ続けられるというならば。
それで充分だと思う。
胸を裂いて飛び出した刃を戻したエヴァンジェリンは、未だ掴んだままの右手を引き寄せようとした。刃を突き立てるよりも首に牙を突き立てるほうが早い。そう思ってのエヴァンジェリンの動きだったが、眼球より指を引き抜いた響は命を貪られるより早く、眼球より引き抜いた指を首に食い込んだ親指に絡ませ、そのまま切断した。
まるで刃で斬ったかのような鋭利な親指の断面に見惚れている間に、エヴァンジェリンの拘束を逃れた響はその顔面を蹴り飛ばして距離を離した。
氷ついた地面を風に巻かれたゴミのように転がったのも束の間、重たい四肢に残された力を絞り尽くして響は立ち上がる。
もう、何もかも出し尽くした。
辛うじて生身だったエヴァンジェリンの体を斬ることは叶ったが、既に欠損した肉体を氷で代用している彼女の生身を斬ることは無駄だろう。そして、自分には彼女を構成する氷を斬ることが出来ないことは分かっている。
だが、斬る。
そうだ。斬らなければならない。
視界に映る何もかもが何重にも重なったように見える。立ち上がったことで四肢はもう力を失った。体内に残された気は塵にすら劣る。
でも、斬るのだ。
自分がここで斬らなければ、エヴァンジェリンは自分を殺して死ぬことになる。
それだけは許してはいけない。
殺されるのはいい。
でも、彼女が死ぬことを分かっていて殺されるのは嫌だった。
だから斬るのだ。
斬るという極みも殺されてしまったけど、響にはそれしかない。
これまでも、これからも。
響に出来ることは、いつだって一つのことだけ。
だがそんな渇望すらも食らい尽くそうと、両腕を氷刃に変えたエヴァンジェリンが一歩で距離を詰めてきた。
無駄にこの戦いを引き伸ばすつもりはもうエヴァンジェリンには残っていなかった。偶然にも数秒だけこの修羅場が続いたことは僥倖だったが、だからと言って最期と悟り交わした言葉は真実で、ならば言葉は最早無粋と言えるから。
故に殺すのだ。一片の慈悲も無く、一片の悔恨も無く。
只、貴様を愛しているから殺すのだとエヴァンジェリンの刃は告げる。
麻帆良一帯を知覚する響の超人的知覚領域は役に立たない。時間を切り飛ばしたように懐へ踏み込んだエヴァンジェリンを察した時には、二振りの刃は首を挟む形で振られた直後。気付いた時には絶命寸前。思考すら置き去りにして、放たれた鋭利の切っ先は遂に修羅の首を狩り――虚空を薙ぐ。
頭上をかすめる刃の圧力だけで苦悶しながら、気付けば屈んでいた響はそのことを不思議に思うよりも前に、攻撃後の、しかも避けられるとは思っていなかっただろうエヴァンジェリンの心臓目掛けて抜き手を放った。
辛うじて凍っていなかった小さな乳房の頂を斬り、肋を割り心臓を射抜く。確かな手応えと共に、響はエヴァンジェリンの中を蹂躙した抜き手を体内で強引に開き、貫いた心臓をそのまま鷲掴みした。
吸血鬼だからこその弱点。化け物対峙の不変の常識。心の臓を潰されて生きる怪物はこの世に存在しないのだと誇るように、後ろに跳びながら真っ赤に染まった腕を引き抜いた響の掌には真っ赤に濡れた化け物の心臓が握られていた。
だが、響は荒い呼吸を繰り返しながら見た。心臓を失った化け物は倒れることなく立っている。空いた胸の傷口がピキピキと凍り付き、失った命の証すら氷像が代用している。
斬れていない。未だ響とエヴァンジェリンの差は大人と子ども。乾坤一擲と残された全てを注いだ一撃すらも、彼女の命には永遠よりも遠い。
でも、斬るんだ。
幼児の駄々の如く、響は願った。
掌に掴んだ心臓から滴る血が凝固して、真紅に濡れた腕もろとも小さなナイフを形成されたのを見て、まだ斬れると己を奮い立たせる。
しかし、腕を上げて構えることももう出来ず、今の一合で塵にも満たない気も完全に底をついた。
在るのは体が在るという事実だけ。呼吸しているだけで奇跡とも言える己と、完全なる氷の魔神と化し、際限なき殺意を体現できる体を万全と操れる化け物では保有する戦力が違う。
斬れない、だろう。
だろう、ではなく、斬れない。
他でもない、心の隅で燻っている斬撃という極みが分かりきった答えをずっと響に伝えていた。
だからさっさと殺されてしまえ。
もしかしたら先程のはもう少しだけ修羅場を楽しみたい彼女の冗談だっただけかもしれない。
だから諦めろ。
ほら、死神がありがたくも再び刃を振りぬいてくれた。
だからその身を差し出して殺されろ。
諦めて殺されてしまえ、
「でも」
一文字を描いた氷刃の線上に響は立っていなかった。
全身から力を抜いて、膝から地面に倒れることで、一秒しか残っていなかった命を一秒と数瞬に伸ばす。
まだ足掻いていた。
この身そのものである斬撃は殺されることを納得したのに。
誰よりも斬撃を肯定していた自分が、初めてその言い分を真っ向から否定した。
「だって、死なせたくない」
俺を殺して君が死ぬ。
ありきたりなバッドエンド。
単純明快な悲劇。
嫌だ。
「だから、斬るんだ」
気は残っていない。
肉体は死を受け入れた。
だから斬る。
だけど斬る。
俺は斬れる。
俺は、俺だから。
「君を……斬らないと」
数瞬しか伸びなかった命は、もう十秒を超えて存続している。
吹けば散りそうな身体が、音速など遥か後方に置き去りにした化け物の猛攻を凌いでいる。
「青山……!?」
エヴァンジェリンもようやく気付いた。
だからこそ、喜悦に満ちていた顔が悲哀に濡れる。その悲哀が表わす意味に響は気付かない。
疲弊しきり憔悴しつくした状態で、万全のエヴァンジェリンに追いすがり始めている異常に、気付かない。
「青山! 駄目だ、青山!」
エヴァンジェリンは、殺すまで口を開くまいとしていた口を開いて響に訴えかけていた。そして、表情とは裏腹に苛烈を極めた連撃は、再び足下に追いすがってきた響を引き離さんとさらなる加速を見せる。
「止めろ! 止めてくれ人間! 貴様はもうこれ以上は駄目なんだ! 私はいい! 私は化け物だから! 孤独だから寂しくても死ねるから!」
「エヴァ、君を……」
「でも貴様は人間なんだ! 人間じゃあないか青山!」
「君を、斬るんだ」
直後、互いの動きが止まった。
世界ごと殺し尽くす思いを乗せたエヴァンジェリンの一撃が血で象ったナイフで受け止められている。
違う。
勢いを斬られた。
威力を斬られた。
殺意を、斬られた。
全てが、斬られている。
「あ、あぁ……」
エヴァンジェリンの顔が悲哀を超えて絶望に染まった。
遂に、来た。
満身創痍すら生温い状態で、この男は来た。
だから愛しい。
だから悲しい。
私が愛した男なら来てくれると信じていた。だけど、愛しているからこそ、来てほしくないと願っていた。
だけど、やはり貴様は来た。
私が信じた通り、私が信じてしまった通りに。
「それでも私は!」
斬られた殺意を刀身に装填し直して、エヴァンジェリンはか細いナイフごと響の体を地面に押し込もうとする。
頭上からかかる圧力に響は抵抗する力は無い。だからこそ、あえて勢いに押されて体ごと地面に倒れながらナイフの表面をなぞらせるように氷刃を受け流した。
たった一度、だがようやく届いた斬撃に酔うことすらなく、響は腐心し続けた思いを結実することだけに全てを注ぐ。
氷刃ごと崩された姿勢をエヴァンジェリンが立て直す僅かな間に、伸び切った刃の付け根へと刺突を繰り出す。だが氷像に突き立つナイフは弾かれ、先端が無様に欠けるばかり。
斬れない。
気も乗っていない響の刃では、斬られることはおろか突き飛ばされることすらない。だが反撃を受けたことへの歓喜と絶望をない交ぜにさせて、エヴァンジェリンは無限と放った殺意の刃で響の命を狩りに行く。
唸る冷気が肌を焼く。頭上と股座を挟み込む意志に呼応し、響は足を一歩引いて半身になることで躱し、触れずとも肌を凍らされた。
着物ごと肌が凍り付く。温度を、命の熱を根こそぎ奪った殺意の軌跡は、地平線を跨いで全てを停止させる威力。
当たらなくとも殺される。
だが、響は生きている。
まだ斬っていないから、生きていられる。
「もう少し……」
凍っていく肉体など気にもならなかった。踊るエヴァンジェリンのステップに合わせて足が舞い、刃は揺らぐ。今の自分に相応しいちっぽけなナイフだけを頼りに、斬れるわけのない相手を斬るために動く。
そんな響の抵抗に、エヴァンジェリンは渦巻く歓喜と悲しみに心が押し潰されそうになりながら、振るう刃だけは変わらぬ煌めきで響を追い詰め続けていた。
両腕の氷刃は一撃で地平線を貫く。肉体は響の斬撃すら受け付けず、今も際限なく命を食らって肥大する体は響の成長を大きく上回っている。
だが、殺しきれない。
これで終わりと願った一撃を掻い潜って、響は幾度と突き立てることの出来ない刃をこの身に当てている。
そしていつしか傾いていた天秤は徐々に平行に戻りつつあった。疲弊し続ける響が、増大し続けるエヴァンジェリンとの拮抗を得ようとしている。
分かっている。
理由なんて、分かっているから。
「貴様を行かせてたまるか! 私が貴様を殺してでも!」
「斬るんだ……君を、斬るんだ……」
この声ももう届いていない。うわ言のように斬るんだと繰り返す響の両目は、あらゆる全てを内包したような蒼一色。
己の中に懐いていた外道を完全に斬り、今度こそ響は超え続けてきた頂のさらに先へと、エヴァンジェリンが世界に存在するほとんどの命を貪ってようやく届いた境地に、至る。
「俺が、斬る」
斬るのは、
蒼天に告げる絶対。
つまりは世界そのものへ捧げる祈りの証。
斬撃を超えて、今こそこの身は斬撃を為す。
瞬間、刃を躱し続けていただけの響の掌に在る小さな刃が、エヴァンジェリンの氷刃と真っ向から激突した。
当然のように響き合う波紋の歌声。誰にも邪魔はさせない超越の物語は、今宵何度と超え続けた極みを再び超えて拮抗を果たす。
「ッ……青山ぁ!」
鋭く伸びた歯を剥き出しにして、獣の如く吼えたエヴァンジェリンが飛びかかる。牙の代わりに研磨した殺意の結晶は、主の願いを叶えるべく、これまでの最速を遥か置き去りにした速度で響を襲撃した。
対して腕も上げられない響の眼は、左右から半円を描いて命を取りにくる殺意を見抜き、その速度に見劣らぬ閃光を二つ放ち、喉元に触れた殺意を斬り捨てた。
同時に響の心が悲鳴をあげた。殺意を斬ったが、刃を殺された。繰り返した共食いの再現に、喜ぶべきか泣くべきか。
分からない。
でも、君は分かっている。
だから、俺は――。
無音を波及し、吸血鬼と修羅の剣舞は際限を忘我してさらに高みへ昇っていく。神速を超え、速度と言う概念を踏み躙り、破壊という結果を踏破し、尚、行く。
結果として周囲を破壊しつくしていた両者の剣戟は、気付けば周囲に影響を与えることもなくなってきていた。
まるで広がっていた破壊の全てを余すことなく収束しているかのよう。余波すらも惜しいと、ただ集まり続ける意志の応酬は、ここまでの破滅的な被害が嘘のように、ただ剣戟を合わせるだけにしか見えなくなっていた。
だがもし見ている者が居たのなら、その者はきっとこの状況を見届けるだけで眼球が圧搾されて魂を砕かれていたことだろう。あまりにも凝縮された力の密度は、見ただけで命を壊す破壊と同義。
広がった二人は、互いを斬り、あるいは殺すために一つになろうとしている。絡み合う心と身体。触れ合わせる唇の代わりに刃を、響かせる愛の代わりに鈴の音色を。
心には歓喜と悲哀を押し込めて、無限に届いた愛の営みは、激情に彩られた修羅場の舞台で回る。
回り続けて。
延々と。
奏でろ、鼓動。
「……ぁあ!」
響の体が大きく揺らいだのを見て、エヴァンジェリンが最後の賭けに出た。
氷刃が無数と枝分かれして響の視界を埋め尽くす。咄嗟にそのことごとくを斬り捨てた直後、開かれた視界にエヴァンジェリンが居ないことに響は気付き、第六感に触れた感覚を頼りに見上げた空で、吸血鬼は透明な翼を広げていた。
突如、エヴァンジェリンの背中で咲いていた赤薔薇の花びらが響へと降り注いだ。一つひとつが千の魂を束ねた生命の結晶の絨毯爆撃に響は罅割れた小さな刃だけを頼って凌ぐ。
重い。一つ斬るごとに体が勢いにもっていかれそうになるけれど。
響は必死の形相で弾幕を張るエヴァンジェリンを見上げた。自分と同じく、彼女にももう余力は残されていない。
疑問はあったが、考えることは余分と放棄した。
響を中心に落ち続ける流星群は苛烈を極めていく。少しでも気を抜けば屈してしまいそうな弾幕に、歯を食いしばって耐える中、響は確かに見た。
「これが、私の……!」
赤薔薇を散らしながら、エヴァンジェリンは左右に分けていた氷刃を左手の一点に収束させていた。
ただでさえ凌ぐので手一杯だった殺意の塊をさらに濃縮させるという切り札。響のためだけに、響への思いがあったから作り出される極限は、その心を体現したように、あの大橋で響が最後に抜いた小太刀を模していた。
心の根っこの根っこ。彼女が初めて化け物として呼吸をした瞬間の光景。月を背中にかざされた鋼鉄の輝きこそエヴァンジェリンの原初。
始まり故の、極限。
原点こそが頂で、零だからまた歩めるのだと。
その思いを汲み取れるのは、世界中でただ一人。
「来い、吸血鬼」
弾幕が止む。
涙のような、雨が止む。
エヴァンジェリンは防御も何も考えず、愚直な思いだけを頼りに、両腕を広げた響の懐へと飛び込んだ。
そして、凛と歌は響き渡る。
心臓の血液で象られた刃が氷刃の刀身を斬った刃が泣きじゃくるように鳴ると、魔神の刃は虚空に流れた。
くるくると回る真紅の刃を横目に、響は届かなかった悔恨に涙するエヴァンジェリンに笑いかける。
大丈夫。
安心してくれ。
君を死なせはしない。
だって、俺は君のためなら――。
「斬れるさ、絶対」
この身一心に刃ならば。
我が献身こそ、一筋の閃光なり。
思考が加速する。雷速を超え光速を背後にした響の世界で、空を踊っていた真紅の刃が停止した。
斬り取られた涅槃寂静。悠久に引き伸ばされた『ここ』。
動いているのは愛しい君と、愛された自分。
「俺は、俺だから」
ならば、是非も無し。
音が響くはずもないのに、響はエヴァンジェリンの宣言を聞き届けた。
それが、最期。
誰も知覚できない。知覚すらされない今で、君と俺の最期を彩ろう。
エヴァンジェリンは、斬られた左手を遮二無二突き出した。停止した世界でも辛うじて認知出来る程度の神速に対して、生身の掌が横合いから優しく添えられる。
触れ合った冷たさに酔う。
冷たい殺意。
冷たすぎて熱い、化け物の思い。
その思いが己を殺した先の絶望を知らしめたのならば、その絶望を斬ることこそ、この命の在り方。
軸を逸らされた切っ先は、肩を浅く裂いて抜けた。
その間を詰めるように交差された響の一閃が走る。
斬撃を超え続け、超え続けた先に殺された己が初めて芽吹かせた感情で、朽ちかけの身体を突き動かす。
破壊を斬った。
生命を斬った。
正道を斬った。
外道を斬った。
そして今――。
俺は、
「エヴァ……!」
世界が時を取り戻す。
響かせた思いがエヴァンジェリンの耳を揺らす時、もう体を構成していた氷像は跡形もなく斬り捨てられ。
「君を、斬れた……!」
落ちていくエヴァンジェリンの首を、響の両腕は宝物を抱くように抱きしめた。
―
涙混じりに告げた言葉は、彼女が死なないですんだことへの感謝であった。
良かった。
君が死ぬことなく、俺が君を斬れて良かった……!
本当に……。
俺は、君を斬ることが出来たんだ……!
「青、山……」
首だけになったエヴァが残された魔力を媒介にして俺の名を呼ぶ。咄嗟に胸元から顔の前に掲げたエヴァの表情は、俺に斬られたことの満足感と、そして隠しようがない悲哀の織り交ざったものだった。
「何で、そんなに悲しそうなんだよ……」
俺を殺す直前からそうだった。
いや、思い返せば、戦い始めた頃から時折エヴァは悲しげな表情を見せていなかっただろうか?
「……嬉しい、のに、悲しい、よ」
だから、何でなんだ。
何が君を絶望させる? 何故、俺が絶望する?
「安心してくれ。俺は、絶対に斬り続ける。いつまでも、斬り続けるって誓うよ」
もしかして俺もまた彼女と同じく死ぬ選択肢を選ぶと思ったのか。
だとしたら安心してほしいと告げた誓いを、彼女は否定するように瞼を綴じてみせた。
「青山、私の、大事な、一番大事な……」
「なんでだよ。エヴァンジェリン。君は、俺が……!」
分からない。
俺には分からないんだ。
お前が俺に何を見たのか。
俺には――。
「貴様は、どこに向かう?」
唐突に、消えかけの命を燃やしてエヴァは問いかけてくる。
愚問だ。答えは決まっている。
「俺は、斬る。斬るんだ。斬れない君を斬ったように、斬ったことすらも斬るように」
君を斬った。
斬撃も斬った。
だから俺は斬れる。
「だって俺は……」
俺、は……。
「え……?」
そこで、俺は気付いた。
気付いて、しまった。
「……そうだよ、青山」
エヴァが残念だと表情を曇らせた。
だけど、すぐに慈しむように柔和に微笑むと、「ごめんね」と申し訳なさそうに彼女は続ける。
違う。
そんな、君が謝ることなんて何もないのに……。
「私は届かなかった。貴様のために、似合うように……でも、私じゃ、駄目だった」
命を積み重ね、命を凝縮し。
あらゆる個を己の個の下に敷き詰めたエヴァの覚悟。
それがどういうことなのかようやく分かった。
あらゆる命を束ねて俺を超えたということはつまり。
彼女一人では、俺にはまるで届かなかったのだ。
「私は、貴様を殺せなかった」
そこまでした彼女の覚悟。
愛したから、傍に居たかったから、君はなりふり構わず全てを出し尽くし、世界すらも使い尽くしてくれたのに。
俺は。
俺は、それも、斬って……。
それはつまり。
「ならばどうする? 何億の命を束ね、その全てを一つに集めた私ですら届かなかった貴様は……どうなるんだ? 人間なのに、人間を超えてしまった貴様は……」
斬ることだけで良いと思っていた。
だがどうだ。斬れないものを探して、斬れるものを斬り、でも斬ることも斬った俺は、何だ。
俺は、何を斬った?
「俺、俺は……」
「すまない。青山」
全てを悟った俺を見るエヴァンジェリンの瞳から一、筋の雫が流れ頬を伝って俺の掌を流れた。
人間を殺すために殺す化け物が、人間の俺のために流す涙の意味。
この戦いで幾度と流された君の涙の理由を知らず、俺は無邪気に今を楽しみ続けて。
「化け物の私ならよかった。人間を自分とは違うと切り離して、貴様を思いながら朽ちるならよかった。でも、貴様は人間だ。孤独な化け物ではなく、無数の同胞が居る貴様は、きっと思い続けて、そして絶望してしまう」
脳裏を過ったのは、ネギ君のことだった。
英雄として歩を進めた彼が秘めた可能性。その可能性は俺の探す輝きなのだと願っている。
願っているのだ。
つまりは、願望。
その意味することは――。
「貴様は、孤独だ。化け物でもなく、人間のまま、孤高ではなく孤独な貴様の先を思えば……どうして、涙せずにいられよう」
「エヴァ……!」
零れ続けるエヴァの命が消えようとしている。俺は咄嗟に彼女の名前を呼んでしまった。斬れたというのに、呼んでしまったのだ。
いや。
分かっている。
俺が彼女を引き留めようとしているのは、俺を置いて逝ってほしくないから。
「かわいそうな、あおやま」
そんな俺の願いに応えようにも答えられないエヴァは、最期に残された命を全て使い、慈しむように。
「そう、貴様は――」
あるいは、憐れむように。
「強く、なりすぎた」
そう言って、彼女は瞼をゆっくり綴じた。
「エ、ヴァ……?」
なぁ、エヴァ?
聞いてくれ、エヴァ。
エヴァ、俺は。
エヴァ……頼む。
エヴァ…………俺。
エヴァ…………?
「あ……」
風が、流れた。
無意識に、辺りを見渡した。
掌の冷たさは、失われていた。
もう誰も、傍に居なかった。
そういうことだと、俺は知った。
何もかも斬った。
何もかも斬れた。
求めたのは斬れないものだった。
だが、全てを斬れる強さがあった。
次回【しゅらばらばらばら】
それでもと求めた。
それでもと信じた。
だからこそ、君は居る。
俺の前に、君は居る。