世界樹の下。最早不要となりつつある防衛線にネギが静かに現れ、その姿を見た超は己の直感が外れていなかったことを確信した。
「随分と苦戦したようだネ」
衣服がぼろぼろになっているネギに労いの言葉を送る超。だがネギは複雑そうな表情で超と、その隣に立つ真名を見て口を開いた。
「青山さんがここに来ます。お二人は逃げてください」
有無を言わさぬ言葉だった。夜よりも尚黒い左目で射竦められた二人は、返事を詰まらせた。
ネギもまた返事は期待していなかったのか、二人に背を向けると、先程まで赤薔薇が咲き誇っていた方向に視線を向けた。奇しくも、戦いの影響でここから郊外までの道は一直線に開けている。未だ燻ぶる氷の残滓と、瓦礫になり果てた麻帆良の光景を見据える。
放っておけばそのまま真っ直ぐに進んでしまいそうな、そんなネギの背中に超と真名は呆れた風に声をかけた。
「……悪いが先生。私は今更逃げようとは思てないヨ」
「同じく。それにこの戦いは最早ネギ先生一人の問題ではない」
「二人とも……」
振り返ったネギに二人は笑い返す。束の間の談笑はここまでだ。既に戦いは新たな局面に突入している。
誰かはわからないが、エヴァンジェリンとの戦いを終えた青山と交戦している二つの影。最早、問答の時間はない。
「行きましょう……これで、終わらせます」
遥か遠く。凛と奏でる破滅の輝きへ。
─
青山とエヴァンジェリンの戦いが終結したのを、遥か上空から二つの影が見届けていた。一つはローブを纏った、青年とも老人ともとれるような不思議な雰囲気をもつ男。その隣には老齢の男が一人。
「これが彼ですよ」
ローブの男、アルビレオは隣でその最後を見届けた老人、近右衛門に静かに語りかけた。
返事はない。だが絶句する他ない光景に目を見開いて唖然とする近右衛門を見れば、答えなど効く必要もない。
斬撃という解答に立つ青山と、殺戮という解答に立つエヴァンジェリンの戦いは、余人が介入する隙など何処にもなかった。古き友人であるエヴァンジェリンを助けようと言う思いがアルビレオにはあったが、最早あの二人に割りこめる余地などなかったのを悟り、口調は平然としているが、内心は複雑である。
彼女の変貌をただ見るしか出来なかった己が、何を思うというのか。それがアルビレオの思いだが、しかしやはり納得出来ないものはある。
エヴァンジェリンは死んだ。
青山との戦いの果て、互いに曝け出した命のチップを奪い取られて、立っているのは青山が──修羅が一人。
なんという様だろうか。
負の感情では言い表せぬ様。
修羅という一つの形。
この世には存在してはいけない異形の冴えは、アルビレオと近右衛門に、これまで己が何と共に麻帆良にいたのかをまざまざと叩きつけた。
特に近右衛門の衝撃は大きいだろう。
変わっていると思っていた。
変えられると思っていた。
そしていつか自分達と共に人々のために力を尽くしてくれると信じていた。
「儂は……」
だが最早、それらの願いは全て夢幻と消えている。
あの様を見て、どうしてそのようなことを思えるのだろうか。青山は終わっている。取り返しのつかない領域に立つあの男は、既に善悪両方にとって脅威そのものと化していた。
だからそう、今では全てが合致する。
京都の地獄。
麻帆良で起きた惨劇。
証拠など必要ない。青山が青山というだけで、全ての因果が彼にあるというのを、問答無用で理解した。
「……儂は、何をみていたのじゃ」
己の目は曇っていた。決定的なミスに気づいたときにはもう遅い。惨劇は起こり、青山は刀を手にして斬ろうとしている。そのことで自分を責める近右衛門だが、どうして彼ばかりを責めることが出来るだろうか。
正義であっても理解は出来ぬ。
悪であっても理解は出来ぬ。
善悪を超えた別次元。住んでいる場所が彼岸よりも彼方の男を理解出来るのは、同じ修羅外道か化け物しか存在しないのだから。
「……ですが、今ならばもしかしたら間に合うかもしれません」
アルビレオはそう言って、眼下、刀を空に掲げて視線をこちらに向けている青山を見返した。
あの男は居てはならない存在だ。斬るから斬るという帰結のみに立つ男には、更生の余地などありはしない。アルビレオが言っていることを近右衛門もわかっているのか、自責の念を今だけは遠くに投げ捨てて、アルビレオと同じく青山を見下ろした。
左腕と左足と左目、そして体には幾つもの裂傷を刻み込まれた青山は満身創痍。機はここしかないのだ。
「そうじゃの……これは、儂の責任じゃ」
修羅を解き放った責務がある。ならばこれから先、彼によって幾度も引き起こされるだろう惨劇を回避するためには。
「……えぇ、彼を殺す他、ありません」
これから先の世界を守るため、今ここで在りえてはならぬ存在を完全に消滅させる。
人に仇なす修羅外道。
これを殺すことこそ、正義の在り方に他ならないのだから。
「では、始めましょう」
「そうじゃの」
青山に対しての罪悪感がないわけではない。彼もまた、ただ行きついた解答をありのままに表現しているだけなのだから。
だがそれでも生きてはいけない命はある。
世界中を探しても唯一無二。例外など他に存在しえない修羅に向けて、研鑽を積み重ねた老兵二人が、若い者達の未来のために覚悟を決めた瞬間。
ぎょろりと、青山の瞳が二人の存在を飲みこんだ。
「……!」
咄嗟の判断だった。
エヴァンジェリンと青山の戦いを見ている二人は、詠唱を行うでもなく無詠唱の魔法を同時に叩きこんだ。超重力の塊と、無数の属性に彩られた魔法の射手。話し合うという選択肢すら青山の瞳は許さなかった。いや、許す許さないではなく、斬るという意志しかそこにはない。
だから、本能が体を動かして魔法を放っていた。
結果、熟練の域にある魔法使い二人が放った渾身の魔法は、エヴァンジェリンの弾幕と比しても遜色のない怒涛の雨となって降り注ぐ。対して青山は臆することも、ましてや昂ることなく刃を振りかざして答えた。
「シッ」
学園長に突然攻撃されることへの困惑は確かにあった。だが同時にそれも仕方ないことだろうなぁという納得もある。
おそらく。
いや、間違いない。
何か間違ったのかもしれない。それは、自分を排除しなければならないほど取り返しがつかないことなのかもしれなくて。
「俺は……」
また、取り返しのつかぬ過ちを繰り返したのか。残念だ。俺はとても悲しい。
斬る。
「ッ!?」
直後、その圧力にアルビレオと近右衛門の両者共々が驚愕する。遠目から見ていたときすら戦慄したその眼光に射竦められる。例え歴戦の猛者であろうとも、いや、歴戦の猛者だからこそ青山の目には当惑せざるをえなかった。
なんという。
なんという様なのか。
その有り様は、言葉で形容出来る範疇を既に超えていた。恐怖ではない。素晴らしさでもない。いや、もしかしたらどちらかであるかもしれないし、両方であるかもしれない。
ただ、なんて様だというしかなかった。
「これが、青山……」
近右衛門は改めて理解した。
神鳴流が畏怖し、その名前を恐れた修羅の姿を理解した。
誰もこんな人間を理解出来ないということを、理解した。
同じ人間でありながら、人間はこうも『自己中心的』になれるのだろうか。善も悪もなく、ただただ斬るという答えのみを求道し続けたなれの果て。
この様を、どうして自分は、立派な人間に出来ると盲信していた?
「そうです……俺が、青山だ」
そんな近右衛門の内心を見透かしたように、青山が迫る魔法を斬り裂きながら呟く。
そうこうしている間に。あらゆる属性の魔法の射手は一刀で霧散した。
質量などあってないような重力の塊すら、容易く両断されていく。
二人は再び驚くが、青山にとっては拍子抜けと言ってもいい状況だった。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
不死身の吸血鬼が命を削って繰り出した無限の軍勢に比べれば、アルビレオと近右衛門の繰り出す魔法の何たる児戯か。
「……どうして?」
攻撃されていることに対する疑問は沸く。
だがそれに興味は然程感じない。
当たり前のように斬ることは変わらないが。
お前らは、斬りたいと思えるような魅力が何処にもないのだ。
「……斬る」
斬るという答えに飲み込まれた証を持つ今の青山は、己の解答を余すことなく発揮している。
そも、先程エヴァンジェリンによって魂を冷凍絶命させられたのだから、斬る以外に意味はないのだ。
だから青山が二人を見る視線には、これまで辛うじてあった敬意や友情といった感情は存在しない。
それがアルビレオと近右衛門には恐ろしかった。斬るだけなのだ。ひたすらに斬って、ただ斬って。
理由は斬る。
だから斬る。
斬るから斬るため。
人は斬るのだ。
「ぬぉ……!?」
「くっ!?」
いつの間に眼前まで現れた青山から、二人は苦悶の声をあげて転移を使い距離を取った。
その姿を冷えた瞳で眺める青山。その姿は片足片腕、視界も半分が奪われ、さらに体には幾つもの凍傷があるという、今にも倒れてもおかしくない状態だ。
だがそれでもなお。
両者の戦力は、圧倒的な開きがあった。
「……これほどですか」
アルビレオはいつも浮かべていた笑みを消して、冷や汗を拭いながら青山を油断なく見た。
今の交差。後一瞬判断が遅かったらそのまま斬られていただろう。彼らにとって運が良かったことに、青山はエヴァンジェリン戦の余韻があるために、積極的に二人を相手にしようという気持ちが沸いていなかった。
もしもエヴァンジェリンとの戦いと同じテンションであったならば、先の一合で勝敗は決していただろう。
「青山君……君は」
近右衛門もそれはわかっているのだろう。いや、それ以上に近右衛門がショックだったのは、青山が僅かな逡巡もなく自分達を斬ろうとしているという事実だった。
勿論、こちらから攻撃を仕掛けたというせいもあるだろう。しかし、あの時もしも先手を仕掛けていなかったならば、なす術なくこの体は両断されていたという予感があったからだ。
分かったはずであった。
余人の介入する隙のなかったエヴァンジェリンと青山の死闘。それを一部始終見たからこそ、近右衛門は彼が変わりようがないということを分かったはずだった。
だが悔しいのだ。
あの若さでそこに至るという狂気。
修羅の域。
そこに至らせてしまった自分達と、そこに気付かなかった己のふがいなさに、悔しさがこみ上げてくる。
「この様ですよ」
だから青山は告げるのだ。
「この様だから、斬れるのです」
それは、常に誰かに告げていた言葉だった。
斬れるのだ。
人は、斬れる。
この様だから。
「最早、言葉は通じぬのかね?」
近右衛門の問いかけに青山は首を傾げた。
「通じぬも何も……俺は勿論話しをしましょう。いえ、むしろ話してほしい。どうして突然俺を攻撃したのかを、話してください学園長。不義があったのなら謝罪します。失敗をしたのなら次回にいかします。どうして俺たちが敵対しなくてはいけないのか……そんなことをする必要はないのです。だって俺達は、まだ分かりあえるのではないでしょうか?」
青山は饒舌に語った。その言葉の何処まで薄っぺらなことか。アルビレオは当たり前のように和解を求めながら、決して変わることのない斬撃の予感に吐き気すら覚えていた。
分かりあえる?
一体、どの様でそんな言葉を口にすることが出来るというのか。
「青山君。儂は……儂らはまだ、分かりあえるのかのぅ?」
だが近右衛門はアルビレオと違い、それでも惑わずにはいられなかった。
もしかしたらまだ大丈夫なのではないか?
この様でも。
言葉を交わす意志があるのなら、大丈夫なのではないか?
その思考は愚者のそれでは決してない。
この様を見て、尚言葉を交わせると信じられるその姿はまさに正義の使者の鏡と言えよう。
例え一度、無意識の防衛反応とはいえ青山に攻撃を行った後とはいえ、それでも近右衛門の在り方は、尊敬されるべき正義であり。
だからこそ、この瞬間まで青山という修羅の本質に気付くことが出来なかったのである。
「学園長……当然ですよ。そのために言葉があるはずです」
青山は、己と向き合い語ろうとする近右衛門の姿に感銘を受けた。
悪いのはおそらく自分だ。
何がどうあれ、決して変わりようのない修羅外道である己にある。
だというのに、そんな自分と未だ分かりあえると、修羅の言葉を信じてくれると言う姿に、感動しないわけがない。
力なく下がる切っ先。胡乱な瞳で近右衛門を見る瞳は、暗黒でありながら、まるで救いを求める罪人のようだと近右衛門は感じて。
「そうじゃの……そうじゃ、戦うだけが全てではないはずじゃ。だから、のぉ?」
近右衛門はそっと手を差し伸べる。まだ間に合うのだ。この手を握り合えば、それだけで充分だと。
「ありがとうございます。その言葉だけで俺は救われます……あぁ、やはり、ここに来たことは間違いではなかった……」
青山は光に誘われる虫のように、ふらりと証を握った手を伸ばす。救いはあるのだ。この手の先に、分かりあえるという確かな希望が。繋ぎあうことで、一人ではないという確信が得られるのだと。
そうしてただ感謝の意を抱いたまま、青山は感情の赴くままにポツリと呟いた。
「斬るのです」
別離は一瞬。最大限の警戒を行っていたアルビレオが反応するよりも速く、青山は虚空を蹴り飛ばして近右衛門の懐に入り込んだ。
反応させる隙すら与えない。突然、目の前に現れた青山に対して、近右衛門は半ば口を開いて呆けたまま、ただ為すことも行えず。
絆を断ち斬るように、近右衛門の腕が半ばから斬り裂かれた。
「あ……?」
「しまっ──」
アルビレオが反応するが既に遅い。近右衛門の腕の斬り口から出血が始まるよりも速く、青山の二の太刀は容赦なくその首筋に吸い込まれていった。
決して。
侮ることなかれ。
斬るという答えはここにしかない。
言葉を交わすこともなく。
互いの主義主張をぶつけ合うこともなく。
「んー」
近右衛門は、無邪気な青山のひとり言を聞いた瞬間、微かな浮遊感と共に視界がぐるぐると回転するのを感じた。
何が起きたのかと疑問を浮かべると同時、回転する視界が見つけたのは、力なく大地へと落ちていく誰かの体。
──そうか。儂は……
全てを悟る。
何も出来ぬまま。
何もなせぬまま。
「斬りやすいなー」
無邪気に笑う修羅の刃が、近右衛門の全てを一切合財斬って捨てた。
鈴の音は、何度でも鳴り響く。
模範とすべき正義の味方であり、修羅すら受け入れる優しい人だった学園長。
だからこそ、呆気なく死ね。
そんなお話でした。
次回、ネギ到着。