麻帆良学園の世界樹が大発光をした次の日、ネギは己の意志を伝えるために、師であるクウネル・サンダース。アルビレオ・イマの元に足を運んだ。
超の計画に賛同してからは来ていなかったためか、修行に使っていた地下の広場は何処か懐かしい。巨大な滝壺の傍、いつもクウネルと二人で座学やお茶会を行っていた一角。そこには依然と変わらぬ様子で一人お茶を楽しむクウネルの姿があった。
「師匠」
「お待ちしておりましたよネギ君……どうやら、お茶を飲みに来たというわけではない様子ですが」
「えぇ、この後直ぐにでも行かなければなりません」
「そうですか。であれば、私は止めませんよ。エヴァンジェリンの封印も解かれようとしている。地下に寝ていた鬼神の群れも起動を始めたようだしね」
クウネルは何もかも分かっているような口ぶりだった。いや、その程度当然だろう。ネギは驚くこともなく受け入れる。
彼がこの麻帆良に滞在してからこれまで、何もしなかったとは考えられない。おそらく、麻帆良で起きていることならば、クウネルの探知能力はネギや青山すらも上回るのではないか。
「止めないのですね」
だからこそネギにはそれが不思議だった。
今からネギが行おうとしていることは、善悪はどうあれ、世界に混乱を招く一石に他ならない。聡いクウネルが、今しがた口にした情報からそれを察せないということはないだろう。
既に気付いているはず。なのに、クウネルは決してネギの行動を咎めようとしなかった。
「修行を始める時、私は言ったはずですよ。あなたには善悪について教えると。だが、あなたに善行を行ってもらうと強制したつもりは一度だってない」
クウネルは淡い笑みを浮かべながら答えた。その微笑みとは裏腹に、彼の内心は複雑なものである。
「師匠……僕は、それでもやはりあなたの期待を裏切っているような気がするのです」
ネギも薄々とクウネルの内心に気付いていたのか。彼を気遣うような言葉を口にしながら、申し訳なさそうに表情を曇らせる。
「でももうどちらが善か悪かわからなくて、何もかもわからないけれど、それでも前に進むって決めたから」
ネギが続けて口走った言葉に、クウネルはやはり曖昧に微笑みを返すばかりだ。
「せめて決意だけは伝えたかった」
「なら、そのまま進めばいいでしょう。あなたの気持が赴くままに、あなたの道を、一歩ずつ」
クウネルはそう返しながら、やはり己は失敗したのだろうと悟り、心を曇らせていく。
最悪ではないが、それでもネギを導くことにクウネルは失敗したのだろう。ネギの言葉は、聞けば善悪の価値観に苛まれながら、しかし前に進もうとする崇高な意志を持っているように聞こえる。
しかし、クウネルはその言葉に込められた最悪を見抜いていた。
わからないと、ネギは言っている。
この少年は、善悪の基準がわからないと言っているのだ。
それは。
それはとても危ういことなのではないだろうか。
「僕がこれから行うことは悪なのでしょう。でも、僕にはこれから行うことが、本当に悪に基づく行いのかやはりわからないです」
客観的な情報として、ネギは己の行いが悪であるという仮定はしている。
しかし、彼本人の答えが、未完成という完結が、ネギ個人の考えを曖昧にさせていた。
善悪の基準が分からない。
正確には、客観的な善悪の基準を持ちながら、ネギは主観である未完成を基準にしているため、その客観性を是と出来ないのだ。
「……それでも、進むと決めたのでしょう?」
クウネルには、彼の迷いを僅かに照らす灯火を手渡すことしか叶わない。
斬撃と生に終わった青山。
未完成に終わったネギ。
辛うじて、ネギは人間に寄り添える可能性の終結に居るが、青山もネギも、善悪の基準を無視しているという点では、同類と言っても過言ではなかった。
「はい」
ネギは返事こそはっきりとしていたが、表情は曇ったままだった。クウネルはその表情をどうすることもできないから、せめて助言だけは伝えておく。
「出来れば、彼にだけは近寄らないでほしい」
瞬間、ネギの瞳がぎょろりとクウネルを見上げた。
「あの人は、ここで落とします」
先程までの暗い表情が全て演技にすら思える程、ネギの瞳は冷たい輝きを帯びていた。
青山という男を、ネギはある境から嫌悪するようになっている。それはやはりネギもまた同類となり果てたからなのだろう。
「あんな人が、認められるわけがない」
そう憎々しげに語るネギ。
しかし彼は気付かない。会議の後の会合。一方的に青山を断罪したその言葉の全てが、今のネギにも当てはまるのだということを。
周りをわかろうとしていない、そうネギは言った。
だがそう断罪する本人こそ、何もわかっていないというのは、あまりにも皮肉が効きすぎている。
ネギ。
未完成に終わった英雄の息子。
楓が言っていた、超えてはならぬ壁を超えてしまった哀れな少年。
何故、彼がこうなってしまったのか。兆しは大橋での会合から既にあったのだ。振り返ればそこからだろうと、目の前の冷たい眼を見返しながらクウネルは推測する。
ネギは吸収してしまったのだ。夜を従える真租の吸血鬼を、封じられていた恐るべき鬼神を、造物主が作り上げた無敵の使徒を、悉くその刃で斬り伏せた青山という男。
その男が得た力の源泉を、ネギは取り込んでしまった。
天才だった故に、天才を極めた者に無意識ながら魅せられる。ネギはただ魅せられ、そしてその後を無意識で追い。
(……最後のひと押しをしたのは、私だったわけだ)
様々な人間の生きざまを教えることで、ネギはそれらも取り入れ、知りえる中で最大の個性であった青山をベースに、自らの答えを手に入れてしまった。
だがこれについてクウネルを責めるのは酷というものだろう。むしろ、クウネルがネギを師事しなかった場合、青山と同じか、あるいは同じような性質の回答を得た修羅に鳴り果てていたはずだ。
遅かれ早かれ。
結局、爆弾の導火線に火は点いていたのだから。
「マスター?」
ネギが冷たい眼差しを一転させて、笑みを消したクウネルを不安げに見上げてきた。
「いや……何でもありませんよ」
クウネルには最早そう返すしか出来なかった。
なまじ、ネギを守ることが出来る立場に居たからこそ、悔まれる。
大橋の時点で、いや、青山が麻帆良に来た時点でどうにかしていれば──というのも、不可能だろう。普段の青山はただの青年と代わりなく、大橋の時点では、彼は以上の一端しか見せなかったから。
だが。
しかし。
それでも。
もしかしたら。
あらゆる可能性に思考を張り巡らせて、だが現実は戻すことは出来ず、零れた水を再び盆に戻すことは不可能。
選択の果てに、今がある。ならば大切なのは、ここから何が出来るかなのではないだろうか。
「さぁ、もう行きなさい」
クウネルはネギの肩を優しく押した。
押されるがままに一歩後退したネギは、クウネルの様子に後ろ髪引かれる思いがあったのか、何度も振り返りながら地下を後にする。
その背中を見送ったクウネルは、ゆっくりと頭上を見上げた。地下だというのに太陽の光の如き暖かな輝きが地下を照らしているが、彼が見ているのは暖かな光ではない。
「……隠居するというわけにもいきませんか」
麻帆良全域に張り巡らされたクウネルの知覚は、今は大人しく佇んでいる青山の気配を察知する。
選択の結果の今。
だが、この男こそ無限の選択肢を一本に斬り捨てた張本人であることは間違いあるまい。
「タカミチ君と学園長がネギ君を抑えている間が勝負ですかね。旧友の戦いを邪魔するのは、些か心苦しいものがありますが」
クウネルは。
アルビレオ・イマは、人間が好きだ。
「認められない、ですか」
だがしかし。
だからこそしかし。
何もわかっていないネギだけど。
その言葉は、正しかった。
「確かに、あなたを認めるわけにはいかないのでしょう。青山君」
選択を行う。
正しいのか間違いなのか。その答えはわからないけれど。
選択しなければ、いつまでも立ち竦んだままなのだ。
─
「遅れました」
クウネルの元からネギが向かったのは、別の入り口から通じる超の地下秘密基地であった。
息を切らしているネギが到着したころには、既に実動員である聡美と茶々丸を除いた三人は既に集まっていたらしい。申しわけなさを感じて頭を下げるが、超は気にした様子を見せず「いや、皆さき来たばかりヨ」とデートの常套句で場を和ませた。
「明日菜さんは?」
「ハカセのとこに置いてきたネ。彼女のアーティファクトは魅力的だが、今回の主戦力が純粋な戦士が主軸となれば、あまり有効には扱えないヨ」
まるで使える状況ならば使ってみせたとでも言うべき超の言葉だが、それは彼女らしい冗談だ。だがあまりにも皮肉が効いているその冗談は、超にしてみれば意外な程ユーモアに乏しい。
超もそれがわかっているのか。咳払いを一つして発言を誤魔化した。計画の最初期段階とはいえ、一世一代の大勝負を前に彼女も緊張をしているのだろう。
改めて超は並び立つ三人を一人ひとり見た。各々、理由は違うとは言え集まったかけがえのない同胞達、彼らに対して自分が出来ることは、誓いを新たにすることだけだった。
「このままいけば、いずれは訪れることになる未来。緩やかに首を締めあげ、窒息するのが目に見えている世界に、新しい息吹は必要ネ。その結果、新たな空気に紛れたウイルスが世界を蝕んだとしても、なさねばならぬことがある」
魔法を知らしめる。
それにより生まれる歪み、混乱、そして流血。
計画の第一段階を超えて、第二段階に入ったとき、決して目を背けることのできない不幸が待ちかまえている。
「勿論、そうならぬように事前に最大の労力は行てる。しかし、だがしかし、便利すぎる力というものは、人の心を容易に歪めるだろう……そこから目を背けてはならない」
彼らは、混乱を招かぬように停滞させてきたことを、あえて動かそうとする革命者だ。だから見届けなければならない。導かなければならない。
その幼い心と体で、全てを受け止める義務がある。
「覚悟は、あるか?」
最後通達。超はここに居るネギ達に問いかける。
その真意を。
その覚悟を。
「私はお前の計画に賛同した。だが生憎と私には銃器の扱いしか特技はなくてね……だから、引き金をお前に預けるよ、超」
真名は言葉少なく、その眼に確固たる決意を乗せることで言葉以上に雄弁に覚悟を告げた。
ネギは彼女が歩んできた道のりの過酷さを知らない。どうすればここまでの鋼の意志を手に入れることが出来るのか。それを知るには、ネギは真名のことをあまりにも知らなくて。
しかし、覚悟は伝わってきた。真名は己で選択し、行動をしようとしている。教師だからではなく、一人の人間として、ネギはその意志を尊重した。
「くだらん」
そんな覚悟を嘲るのは、やはり全てを見下したような笑みを浮かべるエヴァンジェリンだ。
ここにいる者で、エヴァンジェリンだけは計画とは無縁の場所に居る。むしろ、計画の先を見据えるなら、今ここで排除しなければならないほどの化け物であろう。
真租の吸血鬼。不死の化け物。その本質に落ちてしまった化け物は、だからこそここにいる者と比肩、あるいは上回る覚悟をしている。
「貴様らのことなど実にどうでもいい……が、青山と遠慮なく戦える場所を提供してくれる、このことだけは感謝しよう」
唯一人、地獄を望む恐ろしき化け物は、間近に迫ってきた宿敵との戦いを思い浮かべて笑みをいっそう深くした。
未来も。
過去もない。
あるのは全てが冷たくなっていくこの修羅場のみ。
故にエヴァンジェリンは超の陣営のジョーカーだ。場をひっくり返すことが出来る強力な札だが、この札は彼ら自身を凍らせる諸刃の刃でもある。
だからこそ、切り札は存在する。超はエヴァンジェリンから視線を切って、土壇場で獲得することが出来た切り札、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見た。
「……僕には、超さんや龍宮さんみたいな意志や、エヴァンジェリンさんのように戦いだけに没頭する精神もありません」
わからないのです。
ここに至るまで、ここに至るからこそ、惑い、悩む。苦悩することを永遠に決定づけられた哀れな少年は、それでも前に進むことだけは止めない。
「僕らの行いは、やはり人々から見たら悪なのでしょう。ですが、やはり世界を思う正義の心でもある……ならば、僕は前に進んで確かめたいのです。停滞したままでは光なんて見えはしない。進んで、暗闇を照らしていくことを選択し続けるしかない」
永遠に完成しない。
だが完成を求めて突き進む。
わからないとネギは言う。その答えは子どもらしくもあり、求道者の崇高な苦行でもあり。
やはり、矛盾を孕んだ終わりの回答でしかなかった。
超達はネギの答えをどう受け取ったのか。神妙な面持ちの彼女達、唯一、隠しきれぬ笑みを噛み殺そうとしているエヴァンジェリンだけが、その本質を捉えているのか。
「僕はあなたの計画こそ、前に進み、いずれ再び起きる災厄を防ぐ手だと思いました。その心だけは嘘ではないから、僕は、僕のためにも計画を遂行します」
初心に従い、矛盾を抱きながら進む。
今は前に、ひたすら前に。
その行いは、やはり初心。
かつてのように。
あの時のように。
大きな背中を追っている瞳。
「行きましょう、みなさん」
ネギがそう言って踵を返すと、それぞれが意志を胸に秘めて歩き出す。
この世に悪があるとすれば、おそらく今のネギ達は悪の部類に入るのだろう。
世界を混乱に陥れる。
まさに魔王の如き所業。
だと言うのなら。
もしかしたら、ネギは無意識の内に願っているのかもしれない。
悪を滅ぼす正義の味方。英雄の姿を。
ならばやはり、ネギの言葉は嘘なのかもしれない。
ピンチになったら現れる。
何処からともなくやってくる。
──どうかお願いたします。
急いで。
早く。
ここに来て。
かつてと変わらず、少年の瞳は終わった今でさえ父親を求めているのかもしれなかった。
─
太陽も地平線に落ちる間際、辺りに漂う静けさは、まさに嵐の前の静寂だった。
学生の殆どが京都に行ったことにより、ほぼゴーストタウンとなった麻帆良学園都市。しかしその日は、さらに輪をかけて人がいなかった。
いや、最早人一人すら存在していない。
残っていた数少ない一般人も、超によって身元が割れているため、一人ひとり人払いの魔法を行使することで麻帆良の外へと追いだしたのだ。
舞台は整った。完全なるゴーストタウンと化した麻帆良学園都市に残ったのは、京都と麻帆良で人員が半分以下にまで減った魔法使いのみ。
「作戦、開始ネ」
超が地下から一言言葉を響かせると同時、麻帆良郊外に待機していた茶々丸と聡美が、麻帆良学園の結界内部へとハッキングを開始する。
まずは第一段階。
結界および麻帆良全域の通信網を掌握。しかる後にエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの本来の姿を解放する。
そして嵐は唐突に来る。まずは現実ならぬ電子の世界から、超鈴音が長年にわたり練り上げてきた、世界を脅かす計画が始動した。
茶々丸によるハッキングは、学園に残る魔法使いではどうすることも出来ない。混乱し続ける管制室は、茶々丸の能力を最大限に使用されたことにより、抵抗空しく学園内の情報網および結界等、麻帆良を管理維持する全てのシステムを奪われることとなった。
『こっちは完了だよ。いつでもどうぞ』
通信越しに聡美が超に掌握成功の知らせを送る。ここまでは何の障害もなく終わった。もう少しすれば、エヴァンジェリンの封印を解除することも出来るだろう。
順調な滑り出し、しかし本当の戦いはここからであることは超でなくても分かりきっていた。
「全軍起動ネ。これより、世界樹周辺のエリアを確保する」
号令一つと共に、地下でその出番を待ち続けてきた機械歩兵と戦車。そして機械制御された鬼神が起動する。入水、麻帆良の大橋から広がる川と図書館島周囲の湖から、彼らはついにその姿を現した。
戦力を二つ、いや、エヴァンジェリンを含めて三つに分けて麻帆良中心部の世界樹を制圧する。物量差があるからこそ作戦自体はシンプルに。
「では、踏み出すとしようカ」
世界を変える一歩目を。
─
タカミチ達、麻帆良に留まった魔法使いがその異変に気付いたときには、既に何もかも出遅れた状態となっていた。
正反対の場所から同時に現れた膨大な数のサイボーグと戦車、そして大戦でも滅多にお目にかからぬ巨大な体躯の鬼神の混成部隊。
決して油断があったわけではない。タカミチと青山は類まれな嗅覚で戦いの気配を感じていたのだが、タカミチは突如居場所がわからなくなったネギに対して嫌な予感を察知し、単身その身柄を捜索したことで出遅れ、青山に関しては、それ以上に強大な気配を前に、迫りくる機械の軍勢に構う余裕すらなく、改めて作りだしたモップでは力不足と察知、急ぎ愛刀の証を取りに言えに戻っているため、対応出来ずにいた。
一時的とはいえ最大戦力の二つを欠いた状態。長である学園長がやすやすと動けぬ現状では、実質麻帆良の魔法使い側の戦力はその九割以上を損なった状態と言っても過言ではなかった。
「くぅ。なんなんだこれ……!」
図書館島方面。何とか異変を察知して急行した瀬流彦達魔法使いは、市街に入り込んだサイボーグ、戦車、そして異様な迫力で一歩一歩確実に距離を詰めてくる鬼神を見ながら罵声を吐きだしていた。
ここにいる魔法使いは僅か十人にも届かない。これでは侵攻を防ぐことはおろか、歩みを遅延させることが精々でしかなかった。
瀬流彦が展開した防御結界に、戦車から放たれるビームと、量産型のサイボーグ、T-ANK-α3の力任せの一撃が次々に突き刺さり、結界が軋みを上げる。
完全に劣勢に追い込まれていた。最早後数分堪え切れるかどうかという状況。それでも苦悶を浮かべながらも共に必死に侵攻を食い止めている同僚のことを思い、瀬流彦は隣を見て。
彼の目の前で、同僚の魔法使いの一人が謎の黒い球体に飲み込まれ、最初から存在していなかったかのように、その場から消失した。
「え……」
当惑。
混乱。
直感。
反射的にその場から離脱した瀬流彦に遅れて瞬き、先程まで彼が立っていた場所に、先程と同じ黒い結界が広がった。
「なんだ……これは……!」
見えない場所から魔法を放たれている。瀬流彦は瞬時に判断すると物影に隠れるようにして後退を始めた。
そんな彼を逃さぬと謎の魔法は次々に着弾する。身体能力を強化しながら全力で後退している今の瀬流彦は、野生の猛獣の反射神経すら超えるはずだが、恐るべきことに謎の魔法はそんな彼を正確に追い詰めるどころか、徐々に誤差を修正していた。
このままでは捉えられる。だがどうしようもない状況で、後ろに飛び続ける瀬流彦に影が射した。
「しまっ……!」
飛びかかってくる三体のサイボーグ。謎の狙撃は、瀬流彦を確実に捉えるためにその逃走経路を限定させてサイボーグの待つ袋小路へと追いやったのであった。
気付いたときには行動は遅すぎる。サイボーグの超人的な能力で瀬流彦の体が拘束される。その間は僅か。しかし、それだけの時間があれば、得体のしれぬ魔法の使い手──否、狙撃銃を構える美しい狙撃手、龍宮真名には充分以上だった。
「悪いね」
心にもない謝罪を一言。同時に引き金は絞られて、着弾した対象を時間跳躍させて未来へと飛ばすという恐るべき魔弾。超鈴音がこの計画のために作りあげた切り札の一つ。強制時間跳躍弾─B・C・T・L─が、超音速の速さをもって、サイボーグもろとも瀬流彦を未来の麻帆良へと吹き飛ばした。
対象の跳躍を確認して、真名は次の標的に照準を合わせる。サイボーグの物量に押される形になっている魔法使い達は、動きを抑えつけられて、格好の的でしかない。
「……確実に、飛んでもらう」
次の標的に狙いをつけて、殺意を宿さぬ鋼鉄の意志が正義の使者を食いちぎる。図書館島戦は、最高戦力の欠如ということもあり、勝敗が決しようとしていた。
─
一方で大橋側の戦いは、図書館島とは違って侵攻がある一点で抑えつけられていた。
市街に入り込んだサイボーグの残骸が幾つも道に散らばっている。いや、そこは街道というにはあまりにも崩壊していた。
巨大な重機で念入りに削ったように、道が抉られていた。真っ直ぐに伸びた破壊の痕は、しかしある一点から後ろは崩壊はおろか、サイボーグの残骸すら散らばっていなかった。
破壊と日常の境界線上。そこに立つのは麻帆良学園が最高戦力が一人。魔法使いであれば名前を知らぬ者など殆どいないとされる実力者、タカミチだ。
ポケットに両手を仕舞うという隙だらけの姿ながら、その体が纏うエネルギーは、人間が一人で扱うには望外なものである。
それこそ究極の技法。魔力と気を合成することで、内と外に力を纏い膨大な出力を得る高難易度技術。
名を、咸卦法。
ネギが使う咸卦法よりも遥かに洗練された力を持って、タカミチはただ一人で百を遥かに超える機械軍団と拮抗をしていた。
「僕が行くまで持ちこたえてくれよ?」
タカミチは図書館島に向かわせたこちらを防衛していた魔法使い達が、無事であることを祈った。
直後、そんな祈りをへし折らんと、死などおそれぬ機械歩兵と戦車がタカミチへと殺到する。ポケットに両手を突っ込んだ無防備なタカミチに迫る明確な脅威。ロケットパンチが、ビームが、世界樹への道を遮るタカミチを排除するために放たれた。
並の魔法使いの結界など容易く食い破る物量。しかし、迫りくるそれらを見据えるタカミチには焦った様子はなく。
直後、ポケットに仕舞われていた腕がぶれた。
ポケットを銃口に、拳を弾丸と為す。射出のためのエネルギーは、咸卦法の圧倒的な出力をもって。
ここに、ミサイルの破壊力を収束させたかのような一撃が解放された。
豪殺居合い拳。
咸卦法の力を、余すことなく拳に乗せて放つこの業こそ、タカミチが当たり前のように使う技にして、これ以上ない必殺技であった。
巨大なエネルギーの塊としか言えぬ何かが、タカミチを排除せんとした攻撃群を悉く飲み込むのはおろか、勢いを衰えさせることなくサイボーグと戦車を幾つも飲み込み、鬼神にすら着弾してその歩みを押しとどめた。
「……ちっ」
タカミチにしては珍しく、焦りから舌打ちが漏れた。先兵のサイボーグと戦車はともかくとして、後ろに控える鬼神がネックだった。
居合い拳ですら威力をある程度減衰された一撃では侵攻を押しとどめることしか出来ない。
そんな鬼神がまだ数体。しかもサイボーグと戦車が居る現状、この場をタカミチが動く訳にはいかなかった。
このままでは時間を稼がれて図書館島を突破されてしまう。
「青山君……」
タカミチは危険を感じ取って郊外の住居に急ぎ戻った青山が戻ってくれればと願うばかりだ。だが虚空瞬動を行って駆けた青山が戻らないところを見ると、どうやらあちらの状況も悪いことになっているかもしれないとタカミチは思った。
このままでは──
焦燥感と焦りがタカミチから冷静さを奪っていく。何より彼を焦らせたのは、未だに消息がつかめないネギの……
その時、タカミチの視界で鬼神に動きがあった。まるで道を譲るように左右に分かれた鬼神達。それは戦車とサイボーグも同じだった。
何かが来る。警戒心をいっそう強くして左右に開かれた軍勢の間をタカミチは見据え。
「なっ……」
言葉もなく、絶句してしまった。
「やっぱり、タカミチだったんだね」
『まるで瞬間移動でもしたかのように』、唐突に分かたれた軍勢の間に現れたその小さな影は、何処か寂しげに、だが嬉しそうに声を上げた。
タカミチはその声に返す言葉がない。
それどころではなかった。
頭が混乱している。何故、どうして、何で君が。脳内でぐるぐると回る思考は無意味に堂々巡りを繰り返す。
いや、タカミチはわかっていたはずだ。
彼ならば気付けたはずの回答。
生徒をボランティアに出すべきと提案したのは誰か。
会議でも積極的だったのは誰か。
そして、この状況下で行方不明になったのは誰か。
「ネギ、君……」
タカミチは目の前に現れた、自分と同じ咸卦の輝きを纏ったネギを信じられないといった眼差しで見つめた。
信じられなかった。
理由はどうあれ、ネギが今居る場所は、麻帆良の魔法使いに反逆する逆徒の居る場所に他ならず。
理由はどうあれ、ネギはタカミチの敵としてここにいる。
「本当は、こんな風に戦いたくはなかった」
それでも。
ネギは強く右手を握りこむと、背中に担いだ父親の杖を引き抜いて構えた。
「タカミチを倒して、僕は前に進むよ」
術式兵装『風精影装』。
明確な敵意を込めて敵を睨むネギは、未だ動揺を隠しきれないタカミチにその掌を向けた。
「解放」
この戦いを前に、体内に溜めるだけ溜めた遅延魔法。合わせて二十七。その内の一つ、天を切り裂く雷の嵐の圧縮された球体がネギの掌の内側に展開された。
魔力と別に込めた意志は押しとおるという単純な覚悟。幼少時、もしかしたら幼馴染であるアーニャを除けば、初めて友達になってくれた大切な人に、迷いなく放つ破滅の呪文。
「雷の暴風」
天地を分かつ極大の乱気流がタカミチ目がけて放たれる。鼓膜を引き裂くような轟音と、それに見合った破壊をまき散らして突き進むネギ渾身の魔法の只中へ、タカミチはやはり混乱のままに飲み込まれていく。
直後、これ以上ないと思われた破壊の嵐を霧散させて天高く突き抜けるエネルギーの塊が現れた。
「……理由を聞いたところで、意味はないのだろう。問答の時はどうやら過ぎてるようだね」
雷の暴風が巻き起こした土煙の中からネギに向けて、未だ混乱した、しかし覚悟を決めた男の声が響く。
瞬間、立ち込めていた煙が吹き飛び、見えない何かが幾つもネギの体に突き刺さった。
「……ッ!?」
咄嗟に距離を取ったネギは、その見えぬ弾丸によってデコイが一体はがされたことに驚く暇もなく、埃まみれになりながらも無傷で立つタカミチを見た。
迷いはない。完全に敵として己を見るその瞳に、タカミチの中にあった最後の迷いが掻き消える。
何があった、とは問うまい。京都の一件からこれまで、どう接すればいいのかわからずに、距離を置いていたのは自分なのだから。その結果がこの対峙ならば、タカミチはネギにかける言葉がない。
かけられるわけが、なかった。
「……いつか、君とは戦ってみたいと思っていた」
左手に魔力を。
右手に気を。
咸卦法は既に行っているが、タカミチはあえて見せつけるように咸卦法の所作を言葉を紡ぎながら行う。
「だが、こんな対峙を望んでいたわけではなかったんだ」
合成。アルビレオとの修行で洗練されたネギの咸卦法だが、タカミチのそれは長年磨きがかけられたものであり、精度、出力、コントロール、全てにおいてネギの上を行っている。
改めて咸卦の力を身にまとったタカミチは、その間閉じていた瞼を静かに開き、ネギを見た。
「う……ッ」
思わず、ネギは呻き声を出してしまうのを止められなかった。
アルビレオとの修行は確かに実戦的だったが、ここまで明確な戦意を向けられるのは、ネギには数えられる程度の経験しかなかった。
そしてその数えられる経験のどれもが、トラウマのように脳裏にこびりついている。
だがタカミチの放つ戦意は、これまでのどれとも違っていた。
歴戦の戦士。正義の使者としての覚悟。
修羅を見た。
化け物を見た。
だが、その気迫はまさに、正道を行く者のみが放つ、清浄なる闘志。
「理由は聞かない。そんなものは、後でゆっくりと聞かせてもらうよ」
ネギを倒した上で。
無言の圧力で自身の勝利を歌ったタカミチが、再度ポケットに両手を仕舞う。こちらを舐めているのではない。アルビレオとの修行でも見たガトーと呼ばれる熟達した戦士と同じ構え。
つまり、そこから放たれるのは最速にして、反応すら許さぬ拳なり。
「魔法の射手──」
「遅い」
先手を取って魔法の射手を放とうとしたネギの顔面に、幾つもの見えない弾丸が突き刺さった。
いつの間にか距離を詰められている。瞬動、タカミチレベルなら当たり前のように収めている高難易度の歩法。一瞬で無音拳までの距離を詰めて、詠唱を潰すためにネギの顔面を打ちすえたのだ。
だがタカミチの判断は通常の魔法使いなら正しいだろうが、相手は真租の吸血鬼が編み出した闇の魔法を収めた恐るべき魔法使い。その程度で止まれるのならば、初手で決着はついていた。
「雷の十二矢!」
風精影装によって体内に装填された二百に及ぶ風の精霊のデコイ。先程で一体、そして今のでさらに一体削られたとして、未だ百九十八のデコイを超えぬ限り、タカミチの攻撃はネギの体にはまるで響かないのだ。
そのアドバンテージを存分に生かしたネギは、全く怯まない自分に違和感を覚えて僅かに動きが止まったタカミチへ、紫電を纏った魔法の射手を叩きこむ。同時に瞬動で距離を放してさらに詠唱を開始。
タカミチは迫る十二の雷光を、散弾の如き無音拳の弾幕で全てかき消した。
しかし動きは僅かに止まった。その好機、遠距離を専門として己の技量を磨きあげたネギには充分な時間。
「白き雷!」
無詠唱で放たれる最高威力の魔法が一直線に敵手の胸元目がけて飛んだ。白く輝く雷光を、タカミチは避けるでもなく迎え撃った。
光が当たるよる直前、ポケットに仕舞われていた拳が腕ごとぶれる。その時、雷の暴風すら霧散させた破壊の鉄槌が大気を砕きながら振るわれた。
その威力は先程の一合で確認済みだ。唯一の救いは無音拳と違って、豪殺居合い拳と呼ばれるそれは、腕の動きやエネルギー自体の速度は視認できる程度の速度だということか。
ネギは瞬動で空に飛んで居合い拳から逃れた。余波で巻き上げられた突風に煽られながら、一瞬だって視線を放せぬタカミチに杖を向けて応戦する。
「風の戦乙女・十二柱! いけぇ!」
再び無詠唱で使用された魔法は、ネギの姿を模した十二体の風の中位精霊の群れだ。それぞれ右手に長大なランスを持ち、ネギの号令に従ってタカミチへと四方から突撃を行う。
咸卦法の出力を上乗せした精霊は、通常よりも遥かに堅牢だ。その耐久力で、どの程度なら無音拳に耐えられるかの試金石とする。牽制と観察を兼ねた一手に対して、タカミチは正道を行く者らしく真っ向から激突、無音拳が何重にも重なって大気を破裂させると、ほぼ同時に襲いかかった精霊が全て跡形もなく消し飛んだ。
現状で使える無詠唱魔法ではタカミチに届かない。だが詠唱を行えば、その間に距離を詰められて確実に潰される。進退窮まった状態で打開の一手は、体内に蓄積された遅延呪文、残り二十六。これらをもってネギはタカミチを倒さなければならないのだ。
いや、後二つだけ千日手になりかけている状況を変える手段はあるのだが。
(使うタイミングは……もう少し後だ)
まだその時ではない。服の下に着込んでいる切り札の内の一つを確認するように胸元を撫でる。背中で解放のときを今かと待っている切り札を切るタイミングはここではない。
使うのならば確実に一撃を与えられる時。侵入するサイボーグを防ぐことなく、ネギだけを敵として捉えたタカミチに、果たして決定的な隙が訪れるかはわからないが。
「解放!」
ないのならば、作りあげるまでだ。
瞬間、麻帆良の郊外だというのに、市街であるここまで立ち込める冷気と、空一面を埋め尽くす赤き氷の檻が発生するのを切っ掛けとして、ネギは掲げた掌に次の魔法を展開し、タカミチは必殺の間合いへネギを入れるために、空高く飛び出した。