提督だと思った?残念、深海棲艦でした(仮)   作:台座の上の菱餅

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遅くなりました


第8話

 冷たい風が頬を撫で、痛みに似た寒さを肌全体に感じさせる。

 海の近くは他の場所よりも気温が下がるのは必然的で、港に居る者の体温を少しずつ冷やしていくのだった。

 

 未だ不気味な笑みを作りながら彼女らを見詰める彼、乃黒は、緊迫した状況下の中で最も相反的な者と言えるだろう。

 煙草を咥えている様子はまさしく人間だが、雰囲気はそれを否定する。

 艤装をしまい、完全に戦闘状態を解いた彼は、まるで一人の人間のようだった。

 

 いや、それは強ち間違っていないのだろう。しかし、そんなことを信じれるほど、この状況はあまりいいものではなかった。

 

「そんな睨むなよ」

 

 まるでその場にいる者達を敵とすら見做していないような、そんな口振りで笑う。

 しかし、口以外の顔のパーツは一つも笑っていない。まるで鉄仮面のような、そんな印象。

 恐怖すら思い浮かぶことのないその笑顔にはただただ不気味さのみが残っていた。

 

 彼の言葉に苛立ちを覚えたのか、駆逐艦の不知火は向ける砲口を光らせる。

 鋭い目付きからは、大きな敵意と若干の疑念、そしてそれらとは違う何かが入り交じっていた。

 その様子に乃黒はまたもや笑顔を浮かべ、心底面白そうな顔で呟く。

 

「コワーイ」

「……」

 

 無視かよ。

 そう呟くと、彼は曖昧な笑顔を浮かべたまま煙を吐いた。

 

 この状況の打開策は、今のところ乃黒には無い。燃料は底を尽いて海の上を行くのすら厳しい。幸い弾薬は残っているが、撤退ができない以上浪費するのは絶対に避けたい。

 そもそも、敵を敵地まで運んだのだから少しは称賛の声があってもいいのではないか?と、少しだけ皮肉気味に笑う。

 

 さて、どうするか。

 ここで全員"沈めれば"問題はないが、極力敵意を持っていると広められるのは避けたいのが本心であり、全てのストッパーだ。

 人間として終わるか、深海棲艦として終わるか、彼女らの命を奪うか奪わないかによってそれらは全て決まる。

 だからこそ、心に深く根付くストッパーは殺意の念を不完全に封じ込めた。

 

「あのさ、そろそろ武器納めようよ。俺もう納めたんだし」

「だからどうしたと言うの?貴方のような者に気を許すわけにはいかないのよ」

 

 今度は正規空母の加賀が、そう呟いた。あの時、大破させた奴か?と疑問符を浮かべる乃黒だが、まあいいとその疑問符を取り去った。

 

「人ってさ、感情をコントーロール出来ないようになってる訳で。でもそれは人間に限ることでしょ? つまり深海棲艦はそれができちゃったりする」

「何を訳分からない事を……」

 

 訳分からない事を。それは確かにそうかも知らない。自分でさえ何を言っているのか曖昧なのだから。

 溜め息吐くと同時に、彼の目にも若干の"敵意"が現れ始めた。

 

 赤い怒気ではなく、青い殺意のような。深海棲艦へ近づいて行く心地よさにも似たそれは、周りが実感するには小さすぎた。

 

 黒い光と青白い霧のようなものが彼の体を包み込み始める。それは、彼女らの死を宣告するかのようにゆっくりと纏っていく。

 それらが全てを飲み込み──

 

 

「ちょっと待って!!」

 

 

 凛と響く少女の声。腹部に感じる温もりが、彼の"殺意"の矛を納めさせた。若干動揺しつつも、乃黒は取り敢えず笑顔を浮かべた。

 

「どうしたんだよ」

「何か、悪い雰囲気だったからね。壊さないといけないだろう」

「いや、意味分からん」

 

 困ったように笑う乃黒は、腹部に抱き付く響を引き剥がす。

 むすっ、と頬を膨らませた響は、真剣な面持ちで口を開いた。

 

「ねぇ、どうしてこの人をそこまで敵視するんだい?恩人にそんな態度取られたら、私だって少しは怒るよ」

 

 その幼い声には、しっかりと怒気が含まれていた。少し驚く乃黒だったが、すぐに嬉しそうな笑顔に変わる。

 まるで妹の成長を見守るような。出会ってからの期間は至極短いが、そんな視線で、彼は響の事を見つめた。

 

 細い音が聞こえそうな程の静寂が訪れる。驚く者、怒る者、絶句する者。

 各々が様々な反応を取り、異色な雰囲気をそこら中に撒き散らしていた。

 

「なんだ、そりゃあ?」

 

 そんな中、一人戸惑う乃黒。

 正直、割と笑えない状況なのだが、不安を取り除く為に爽やかな笑みを浮かべていた彼には(それが相手にとって好印象かどうかは置いとくとして)なにも言えなかった。

 

「退きなさい響。それとも、命令を無視する気なのかしら?」

 

 冷たく何の感情も籠っていない声で、不知火が言い放つ。

 ムッ、と眉間に寄せる響だが、これでは埒が明かないと乃黒が一歩前に出る。

 

「諸君! 落ちちゅけ! ……ふぅ」

 

 盛大に噛みつつも、若干羞恥で顔を赤くしながら両手を軽く広げる。

 そんな乃黒を怪訝そうな目で見詰める艦娘達だが、段々と真面目な雰囲気へと変わって行く彼の姿に緊張感を覚える。

 

 ──突然クルリ、と回り、海の方へ振り返る乃黒。その手には、何故か燃料の満載された"洋上補給"が握られていた。

 まさか、と、この場にいる全員が思ったがもう遅く、艤装を展開し尾の蛇の口に放り込んだ彼は、豪快に海へと飛び込んだ。

 

「どーん。良くやったモモ!!」

「さーいえっさー!!」

 

 そう、あの緊迫した状況下で彼は、モモに洋上補給を取りに行かせたのである。

 本来、洋上補給は一定の艦娘しか装備できないが、陸上ではそれに限らない。

 

 そう、彼はこの場に居る全員が自分へ視線を浴びせるように、と演技をしていたのだ。

 モモがこっそり洋上補給を取りに行くのを気付かれないように。

 

 口を開き、唖然とする艦娘達に海水を思い切り掛け、笑い声を上げながら逃げる乃黒。

 漸く状況を理解した彼女等は、慌ただしく迎撃準備を始めた。

 

「よいさ」

「なっ……!?」

 

 響く爆音。

 弓と砲口を構え、彼は乱射を始める。

 そこには一切の容赦がなく、全員沈めてやろう、という勢いだった。

 

「まて!!」

 

 それでも尚被弾するのを恐れず、砲弾の如く不知火は突っ込む。

 一瞬、乃黒はその無謀な行為に驚くが、再度笑みを浮かべると弓を引く。

 

 駆逐艦と、各性能が全ての艦種に劣らない規格外の深海棲艦。

 ここでぶつかり合えば、結果は一目瞭然である。

 不知火はそれを直感的に理解していた。

 しかし、それでも引けない理由があるのだ。

 

「──司令官!!」

 

 その名が口から出たのは、ごく自然な事だった。

 後ろの港に居るであろう女提督に対して放った言葉ではなく、目の前にいる乃黒に放った確固たる言葉。

 

 目に写る彼は……確信して言える。それだけの理由がある。

 

 ──そう、私の提督だ。

 

 突然襲撃された鎮守府で、艦娘達を逃がすために自分を犠牲にした提督。

 優しく、暖かく、何時も笑っていて、煙草臭い自身の提督。

 

 何故、彼が此処に居るのかは分からない。

 しかし、彼の姿はまさしく死んだ筈の司令官なのだ。

 

「待ってください司令官!!」

 

 深海へ戻って行く彼に、悲痛にも似た声を上げる不知火。

 しかし、悲しくもその声は届かず、海に広がる波紋だけが残った。

 

 

───────────────────────────

 

 

「あー、これからどーしよ」

「どーしましょうね」

 

 幸い、あの後潜水艦が追ってくる事もなく、無事逃げ切ることが出来た乃黒は、煙草を咥えながら星空を見つめていた。

 

 響を届ける前から十分に理解していたが、やはり深海棲艦は拒絶される運命なのだろう。

 薄れていく感情と、冷たくなってゆく身体は非情にも止まることはなく。

 それを止めてくれるかもしれない彼女達にも拒絶された。

 

 分かっていた。

 乃黒は、そうなることを何となく理解していたが、それでも一抹の希望に縋ったのだ。

 しかし、それは意図も簡単に一蹴され……。

 

「あーあ、俺ってホントに深海棲艦なんだ」

 

 別に、悲しくはない。

 でも、嬉しくもない。

 

 深海棲艦とは人間や艦娘の敵で、しかし自身は深海棲艦としては不完全。

 もし、ヲ級や他の深海棲艦に拒絶されたならば、完全に居場所を失うだろう。

 

 少しずつ進んで行く深海棲艦化は、もうこの体で感じられる程まで進んでいる。

 

「誰も、殺したくないんだよなぁー」

 

 何時か、艦娘を殺す日が来るだろうか。

 もしかして、記憶の外で殺しているかも。

 

 誰も殺したくない。

 それが、至極自分勝手なのは分かっている。

 が、それでも、深海棲艦になったとしても、人間側についたとしても、敵として相手を殺す事が、嫌だった。

 

 

 ゆらゆらと揺れる煙草の煙を見て、彼は一つ小さく舌打ちした。

 

 

 

 


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