提督だと思った?残念、深海棲艦でした(仮)   作:台座の上の菱餅

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バルス


第10話

 

 

 「もう平気か?」

 

 「はい……」

 

 青白い肌を部分的に目の周りのみ赤く腫らし、鼻を啜る駆逐棲姫。

 急造した簡易的な椅子に腰をかけるその姿は見た目相応の少女だ。肌が白いことと──

 

 ──足が無い事を除けば。

 

 「もう泣くなよ、頼むから」

 

 「ご、ごめんなさい」

 

 飛んで抱き着き、匂いを少し嗅いだ途端声を上げて鳴き始めたのには流石の乃黒も驚きを隠せなかった。

 それもその筈。いくら彼女が乃黒の事を知っていようとも、彼は知らないのだ。文字通り何も。

 記憶は無い、何も分からない。そんな状況下で、驚かずには居られなかった。必然的とも言っていいだろう。

 

 「知らない奴がいきなり飛び付いてくるなんざ人生上そうないよ、本当にさ」

 

 今思うと、あの時硬直し唖然としてしまったのはあまりにも危険だった。

 仮に敵意のある深海棲艦や艦娘だったとしたら、水底に沈められていたかもしれない。

 同じ深海棲艦だからと安心していたのか。まだ深海棲艦とは断定できない乃黒にとって、それはあまりにも安易な判断だ。

 

 少し警戒心を強めなくては、と自身の甘さに呆れていると、ふと焦ったような、悲しんでいるような、明らかに狼狽えている駆逐棲姫の姿が目に写った。

 

 「し、知らないって……ほ、本当ですか?」

 

 「仮にそんな嘘つくと思うかよ」

 

 

 

 

 「え、ああ、え……ふぇぇええん!」

 

 

 

 

 「えぇ……」

 

 一瞬大きく狼狽えた後、盛大に泣き声を上げる駆逐棲姫。最早呆れすら感じる乃黒は、困った様に頬を掻く。

 

 何が彼女の中で起こったのか。知らない、ただその一言がそこまで重いものなのか。

 

 いや、何処かで彼女と会っていて、単純に自身が彼女のことを忘れているだけなのかもしれない。そうとなれば、非があり泣かせたのは乃黒自身と言える。

 しかし、記憶の内を探っても彼女の様な深海棲艦に会った記憶は見当たらない。

 

 何が原因だ? と最も古い記憶から探り……やがて最も新しい記憶が、彼の頭に強い衝撃を与えた。

 

 それは、駆逐棲姫が飛び付いてきたとき。

 

 『司令官!』

 

 彼女は確かにこう言った。聞き間違いではない筈。つまり、彼女は自身の事を"司令官"と呼んだのだ。

 

 頭の中で幾つかの言葉が乱立し、やがて一つの結果を生み出す。

 ──生前は提督だった。そして、その下に艦娘として、目の前の駆逐棲姫は戦っていた。

 仮説に過ぎないが、最早確信してもいい程の材料は揃っている。

 先の、脳裏にフラッシュバックした光景も、それの記憶なのだろう。

 

 「……あー、っと」

 

 自身でも驚くほどに冷静だった。気づく前も、気づいた後も。

 思わぬ所で生前の自身について知ってしまったのが要因か。しかし、そんなことはどうでもいい。

 

 彼女は、深海棲艦だ。そして、艦娘だった。

 そして、乃黒はその司令官、つまり提督だった。何故彼女が深海棲艦になったのかは知らない。しかし、出会った反応から自分が沈めた訳では無さそう。

 人違いの線も最早薄く消え去った。

 

 ──ああ、何て言えばいいのか。

 

 困った様に頭を掻くと、駆逐棲姫の頭に手をのせてゆっくりと口を開いた。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 死んだ者を、無様にも記憶を無くした者を、未だ司令官と呼んでくれることに、ありがとう。とりあえず、それだけは言いたかった。

 泣き止み、疑問符を浮かべ、訳が分からない、とまた泣き出してしまう駆逐棲姫は、何処か懐かしい匂いがした。

 

 

 ***

 

 

 「成る程、そう言うことですか」

 

 何とか泣き止ませた後、様々な事情を説明。

駆逐棲姫は神妙な面持ちで──目を赤く腫らしながら──そう呟いた。

 見た目は幼くとも、大雑把な説明で全てを理解している彼女に感心を抱きながら、乃黒は口を開く。

 

 「理解が早くて助かる。お前みたいに覚えている訳じゃないんだ。思い出すことも無理」

 

 まあ、前兆はあったけど、と乃黒は内心呟く。

 

 「そもそもわたしがいる時点で、乃黒さんが深海棲艦かどうかすらわかりませんから。彼女と同様に考えるのは意味がないのでは?」

 

 先程駆逐棲姫と話している最中は艤装の点検をしていたため居なかったが、それらが終わったのかひょっこりとモモが現れそう告げる。

 確かに、と静かに頷く乃黒とは相対的に、駆逐棲姫は明らかな同様と驚きを表に晒しだしていた。

 

 「よ、妖精さん!? なんで!?」

 

 「さあな」

 

 煙草を一本取り出すと、艤装を展開して火をつける。

 倉庫の中ではないため別段問題があるわけではないが、妖精のことについて釈然としないまま眉間にシワを寄せる駆逐棲姫。嫌煙しているのか、乃黒はその反応のみで容易に理解できた。

 

 「……煙草は体に悪いですよ司令官。百害あって一利なし、です」

 

 「少なくとも一利はあるさ。そうでもなきゃこの世界に煙草なんて物は無い」

 

 百害あって一利なし。そんなものは虚言である。一利無ければ誰も作らず、誰も吸わない。百害あったとして、一利はあるに違いない。

 それに、今や彼は深海棲艦と殆ど同様の体だ。煙草程度の害によって機能が落ちるほど柔ではない。

 

 煙草の煙をなるべく駆逐棲姫に向かわぬよう少し上に吐くと、灰を落とした。

 

 「そんなのただの屁理屈ですよ」

 

 「屁でも理屈だよ」

 

 下らない事を言っている自覚はあるが、煙草を止めるつもりは毛頭なかった。何故かは分からないが、自身が好んでいることは明確に理解していた。

 

 「煙草のことなんざどうでもいい」

 

 煙草を口の端で咥えると、腕を組ながら駆逐棲姫を見つめた。

 

 「俺の記憶の件は諦めてくれ、思い出すことは無理そうだ。

 

 

 それを踏まえた上で聞くけど、お前は俺の敵か? それとも味方か?」

 

 自分はもうお前の知っている者ではない。つまり、自分はもうお前の司令官ではない。

 無神経にも、彼女の気持ちに無関心にも、乃黒はあえてその条件を踏まえた上で駆逐棲姫に尋ねる。敵か、味方か。

 少し行き過ぎた遠回しな言い方に一瞬疑問符を浮かべる駆逐棲姫だが、すぐにその意味を理解したのか真剣な面持ちへと変化した。

 

 「司令官は司令官ですよ。それは何も変わりません」

 

 「そんなこと聞いてないから。敵か味方か、凄く簡単な事なのに。答えろよ」

 

 別段警戒しているわけではない。出会った時から、この今に至るまで駆逐棲姫は敵意の片鱗すらも見せていない。

 だからこそ、遠回しに。

 

 深海棲艦とは、様々な解釈のあるなか意思の強く記憶を保留した者に強い力が宿るという解釈が最も有力だ。それは、怨念しかり復讐心しかり、憎悪の念が記憶に定着していることから起こることだと乃黒は思っている。

 故に、人間に対する憎悪の念をそのまま向けられるよう本来の……艦娘の記憶、姿に酷似したまま深海棲艦となり、"偶然"力の強い者が生まれたのではないかと。

 

 だからこそ、目の前に居る駆逐棲姫に対する一抹の疑惑があった。

 明らかに向けられていない憎悪の念。異常に自身に懐いている事を認識できるからこそ、首を傾げる。

 

 コイツ何なんだ? と。

 

 素朴な疑惑だ。人間に対する憎悪を持っている筈の、本来の記憶と姿を持った深海棲艦から何も感じない。あるのは信頼、そして好感。

 乃黒は深海棲艦とは言い切れない。ある意味人間とも言えよう。信頼と好感がいずれ相対した感情にならない確率の方が低いだろう。

 

 乃黒の勝手な解釈により生まれた疑惑。

 駆逐棲姫は人差し指を口に当てると、少しだけ微笑んだ。

 

 「だから言ってるじゃないですか。

 私の司令官は司令官だけ。貴方だけなんですよ。敵か味方かなんて……愚問ですね。

 

 ──司令官、私は貴方の味方です」

 

 確固たる決意の込められた瞳に、少し気圧される乃黒。

 何処か狂気的な口ぶりに、そこまでの信頼を寄せられる様な人間だった頃の自身が、一体全体どんな人物だったのか、今まであまり気にならなかったにも関わらず、この時初めて気になったのだった。

 

 味方。何故か、端から端まで信じられる言葉だった。

 

 「……了解。ごめんね、変なことを聞いた」

 

 「大丈夫ですよ」

 

 何処か幼くて、何処か賢しい。そんな彼女の姿は、やはり懐かしい匂いがした。

 

 

 ***

 

 

 とある時代のとある場所に、とある一人の提督もとい司令官が居た。

 極端に偏屈な性格、それに比例した様に与えられている采配の天賦の才。その腕前とは裏腹に、性格から来る扱いづらさから辺境の鎮守府に配属されていた。

 

 そんな提督に配属される艦娘もまた偏屈。

 建造の際に何らかの支障が起こり人格破綻した艦娘。同様の理由により偏った性能になってしまった艦娘。半深海棲艦となった艦娘。

 他の鎮守府では扱いきれない艦娘が、各地から集められその提督に押し付けられたのだ。

 

 腫れ物扱いされるのは確実。しかし、それとは裏腹にその鎮守府の叩き出す戦果は目を見張るものだった。

 海域を瞬く間に解放し、難関と呼ばれる海域に取り残された艦娘を救出。

 

 腫れ物扱いされた者達はいつか、畏怖されるようになっていた。

 

 それもこれも、偏屈な提督の采配によるものだった。異常な奇策、全くの別視点から見ることのできる観察眼。

 腫れ物扱いされた提督の下に集まった同様の艦娘達は、いつしか彼に大きな信頼を置くようになっていた。

 

 ──重く深く、狂気的な信頼を。

 

 崩れ兼ねない均衡。それは彼、提督という存在が居るからこそ保たれていた。 

 だからこそ、"あの日"の襲撃は皮肉としか言い様が無いだろう。

 

 あの日、彼が、提督が、司令官が死んだあの日。

 

 

 今は乃黒と呼ばれる少し偏屈な彼が、深海棲艦になる前のお話。

 

 

 

 

 


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