銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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第八章 夜半にや君がひとり越ゆらむ

 一冊の本と共に贈られた手紙に、群青色の瞳は涙を溢れさせた。最初の求婚から九年。少女は女性へと成長し、勇気を奮い起こして立太子式へと出席した。十一歳の頃、これを着て動けるのかと心配したドレスではなく、新領土のデザイナーが帝国伝統の素材で作り上げた、軽やかなアフタヌーンドレスで。

 

 そして、あの時よりも更に優美な挙措で、皇太子と皇太后に祝辞を述べた。一篇の詩を吟ずるように流麗な発音は変わらず、声が深みと美しさを増していた。

 

「皇太子アレクサンデル殿下、皇太后ヒルデガルド陛下。

 この佳き日に立太子式を迎えられ、皇太子となられましたことを、心よりお祝い申し上げます。

 わたくしは、十八年前に旧フェザーン自治領を併合し、

 旧自由惑星同盟に侵攻すべしと命を下した者。

 そして、前王朝を先帝陛下に譲り渡した者です。

 その責任を痛感し、ここに謝罪をするとともに、不祥なるわが身を、

 このめでたき席にお招きいただいたことに、伏してお礼を申し上げます。

 この場に、わたくしがいられることが、皇太后陛下の統治の見事さを証明するものであります。

 皇太子殿下におかれましては、その道を歩まれるようにお願いを申し上げます。

 わたくしの力の及ぶかぎり、ローエングラム王朝に忠誠を捧げ、

 微力を尽くす所存にございます」

 

 

 満座の観衆が、魂を抜かれたように注視する中、カザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツ=ゴールデンバウムは、同じ祝辞を旧同盟公用語で繰り返した。一流のアナウンサーにも遜色のない美しく正確な発音で。

 

 それは、すぐさま全宇宙に配信された。花の女神のように、美しく瑞々しい妙齢の女性。少女の名残を残した姿から、十八年の歳月を引けば、自由惑星同盟征服の勅令が、彼女の意志によるものでないことは明白だった。

 

 自らの来歴を公表することで、明らかになることもある。『郵便屋さん』の勧めだった。

 

「フロイライン・ペクニッツ。君はおれの知る限りでは、欠点の少ない部類の女性さ。

 でもな、自分のせいでもない罪を受け入れて、唯々諾々としてるっていうのは、

 よろしくない。そいつは、人間じゃなくって奴隷だって、うちの提督なら言うだろうね」

 

「ですが、あの旧同盟の大侵攻はわたくしの名において行われたのです」

 

「あのなあ、人間そこまで馬鹿じゃないぞ。

 いまの君は、どこから見ても美しい妙齢のレディだが、十八年前はそうじゃない。

 赤ん坊に戦争の勅令が書けるもんか。

 そして、ヤン提督やビュコックの爺さまをどうこうできるもんか。

 そんなに見くびってもらっちゃ困るなあ。痩せても枯れても、我らが元帥閣下だぜ。

 大泣きしている赤ん坊の君が目の前に現れて、

 あの人らがあやさなくちゃならんというならともかくとしてだ」

 

 白磁の頬を伝う涙は、溶かした氷砂糖のような甘さだろうなと、彼は思った。お姫様を皇子様のところに連れて行くのは、いつだってきらきら星の役割なのか。そろそろ、自分の許にも来て欲しいもんだ。彼は、明るい褐色の髪をかきながらそんなことを考えた。

 

「うーん、じゃあ、こうするのはどうだい。

 みんなの前で、私が悪うございましたって宣言するのさ。

 君の気も晴れるし、全宇宙が真実を知る。美は力なり、可愛いは正義ってね。

 美少女や美女には、十トン級のレーザー水爆に勝る威力があるんだぜ。

 帝国の中枢で爆発させてみなよ。ものすごいことになるぜ」

 

「そのようなことをして、よろしいのでしょうか」

 

「いいともさ。公式の場で、先々帝として謝罪するんだぜ。

 文句のつけようもないし、そいつだって立派な戦いの手段さ。

 犬は噛み付く、猫は引っ掻く。美人なら睫毛を上げ下げするだけでいい」

 

 カザリンは、園遊会の招待状と前後して届いた、アレクからの贈り物に視線を落とした。筒井筒の女は、どうやって男の心を引き戻したか。

 

 ――いとよう化粧じて、うちながめて、「風吹けば沖つ白波 たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ」とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。――

 

 カザリンは長い睫毛を上げた。露草が雫を落としながら、繊細な花びらを開く。

 

「アレク殿下のお言葉を信じて、わたくしも勇気を出してみます。

 生きながらえ、父母を助けていただき、弟妹にも恵まれました。

 これ以上の望みが、許されるようになるのなら……。

 郵便屋さん、ひとは欲張りになるものなのですね」

 

「それじゃなきゃ、人間生きてる甲斐がないってもんだ。

 安心しなよ。もし、いじめられたら、おにいさんが宇宙の果てまで連れて逃げてやるさ。

 自由と公平の国、魔術師に守られた星にな」

 

 見事なウインクを決める緑の瞳に、群青色が微笑みを返した。またひとしずく、甘露を零しながら。

 

「宇宙最速の方のお言葉は心強い限りです。もしもの時は、よろしくお願いいたしますね」

 

「残念ながら、そんなことにはなりそうにないけどなあ」

 

  

 カザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツ=ゴールデンバウム。旧王朝の最後の皇帝にして最初の女帝。ローエングラム公ラインハルトの傀儡だった赤ん坊。宇宙の多くの人間は忘れかけ、戦死者の遺族のみが憎しみを抱く存在だった。曖昧模糊(あいまいもこ)とした顔のない亡霊。

 

 だが、彼女は姿を現し、高らかに声を上げた。私は生きている。課せられた過去の罪と共に生き続ける。ローエングラム王朝への警鐘として。統治により平和が続くなら、薔薇の生垣として獅子を守る。

 

 だが、宇宙統一は、膨大な戦死者と引き替えに生まれた。そのことを決して忘れてはならない。ラインハルト・フォン・ローエングラムの覇業は、子ども部屋の皇帝と、揺り籠の女帝の勅令だったことも。戦争は常に弱者を犠牲にする。

 

 それは宥和政策から立憲君主制への移行に対して不満を抱きつつあった、軍の一部に対する牽制の棘となった。ラインハルト・フォン・ローエングラムの第一次神々の黄昏作戦は、カザリン・ケートヘン一世の命ということになっていた。

 

 当時の皇帝が、ローエングラム王朝の正統性を改めて認め、後継者らの統治を、悪の象徴とされたゴールデンバウムの名において賞賛したのだ。自らの存在が、叛乱の旗印に使われることがないよう、先手を打った形になった。

 

 宇宙のすべての人々が彼女を見た。カザリンのドレスは、クリーム色の胴部から徐々に色を変え、袖とスカートの裾は淡いピンク。象牙の髪は結い上げて、翡翠と金の髪飾りがあしらわれた。母から譲られた真珠で、耳と首筋を飾り、白絹に包んだ手には父愛蔵の象牙の扇。エレオノーラの意見を参考に、テイラー・コモリ社が技術の粋を凝らして作り上げたものだ。

 

 全体のモチーフは最初の平和の薔薇。異物を包みこんで生まれる真珠、前王朝の玉座の色合いが、

二番目の平和の薔薇色を飾る。三つの国家の統一による、宇宙の融和と平和を強く主張する装い。これもまた、絹と宝石の戦いの作法。言葉には出さずとも、意志を伝える帝国貴族の文化だった。

 

 新領土の複数のメディアが報道することを念頭に置いて、カザリンは自らの武器を抜いた。黒と銀の華麗な軍服とは逆の、しかしラインハルト・フォン・ローエングラムにも負けぬ美という力。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムは、自らの美貌を武器にしなかったという評伝を、ドレスの製作者は鼻で笑い飛ばした。

 

「皇帝ラインハルト本人の意志など関係ありませんよ。

 見るものがどう取るかが問題なんです。

 あなたの装いも同じで、遠慮はいりません。

 戦うとお決めになったのなら、持てる全てを尽くして戦うべきです。

 私の恩人の子のように。――ヤン・タイロンは私の最初の雇い主だったんですよ」

 

 群青色の瞳を見開き、上品に口許を押さえる顧客の母娘に、宇宙屈指の服飾メーカーの社長はにやりと笑った。

 

「そして、戦うからには、勝つか負けないようにしなくてはね。

 これに関しては、フロイラン・ペクニッツは非常に分のいい戦力をお持ちです。

 美は力なり、可愛いは正義とはよくいったものですよ。

 先帝陛下は大層な美貌だったが、残念ながら可愛いとは申せませんで。

 フェザーン人こそ、よく覚えておりますし、忘れることもありません。

 あなたには、味方が二十億人はいるのです。宇宙で最も裕福な部類のね」

 

 カザリンはその言葉に力づけられると共に痛感した。ローエングラム王朝の統治は、薄氷の下で、濁流が渦巻いているようなものだ。それは、ゴールデンバウム王朝に端を発している問題でもある。先々帝として、公爵家令嬢として、血の枷と同時に恩恵も受けている身だ。

 

 そんな自分にも、なにかできることはあるのだろうか。なにができるのだろうか。群青の瞳が、春霞の空の彼方を見上げた。帝国本土の最奥ではなく、宇宙の中心でならば、星の海を越え、真空を貫いて伝わるのだろうか。この願いが、平和を希求する想いが。そして、心と一緒にドレスの色も決まった。平和の名を持つ、二つの薔薇。少女の頃からの宝物がヒントをくれた。

 

 『郵便屋さん』は、あまりの威力に明るい褐色の頭を、がりがりとかいた。 

 

「そりゃ、美は力だとはおれも言ったけどさ、あそこまでやるとはなあ。

 戦力は集中せよ、やるからには徹底的にって、あのご夫人はヤン提督も真っ青な戦術家だ。

 ありゃ、強敵だわな」

 

 そして静かに状況を見ながら、布石を打っていた稀代の戦略家だ。その弟子は師に劣らぬ戦士で、

五月の青空さえ味方につけて、輝くばかりに咲き誇る。

 

「おまけにコモリのおっさんもやりすぎだ。帝国財務省の顧問のくせに、上司への裏切りだぜ。

 無料で全世界に宣伝できるし、モデルは最高に麗しいし、気持ちはわかるけどよ。

 こりゃ、商売うはうはだな。ま、それもいいさ」

 

 風吹けば桶屋が儲かり、ドレスが売れれば材料を運ぶ自分の会社も潤う。世の中は持ちつ持たれつだ。そろそろ新跳躍機能のある、新しい船が欲しいところだ。海色の瞳を真ん丸にしている、金髪の美少年に緑の瞳でウィンクを一つ。もっとも見えてはいないだろう。目の前の佳人に目が釘付けになっている。

 

「頑張れよ、皇子様。そのお姫様は女王様でもあったんだぜ。

 つまりは魔女の眷属さ。もっとも、女ってのはおしなべて魔物だがね」

 

 皇太子となったアレクは、ひさびさに直面した初恋の相手を呆然と見つめた。黄昏に沈んでいた瞳が、黎明の輝きを持って、海の色に微笑みかける。あの時とは違う位置。アレクの背は、カザリンをとうに追い越していた。だが、まだまだだった。もっと、色々なところに追いつき、追い越していかないと、この女性は『はい』とは言ってくれそうにない。

 

 父ラインハルトは宇宙を手に入れ、息子アレクはそれを引き継いだ。アレクが欲するならば、手に入らない物はないだろう。それが戦艦であれ、宝石であれ。しかし、人の心を手にすることの難しさよ。力では決して手に入らない。それは人に残された最後の聖域だからだ。ヤン・ウェンリーもこだわり続けた思想の自由。

 

「本当に、難しいなあ……」

 

 アレクは苦笑しながら呟いた。だが、ひとりの心も手に入れられずに、国を治めるのは不可能ではないだろうか。どんな強大な国も、そこに暮らす人がいなくては国とは呼べない。結局は人の心に帰結するのだ。父の覇業も、母の統治も、それを支えてくれた数多(あまた)の人たちも。また一人の手が、その列に加わったのだ。かつての女帝にして、藩屏の長となるべき公爵家の令嬢が。長い戦争の一つの終わりの形だった。 

 

 立太子式に出席したカザリンは、オーディーンに帰ることはなかった。帝都フェザーンにある名門のオヒギンズ商科大学の大学院に編入したからだ。彼女は同校の通信教育を受講し、非常に優秀な成績で大学の修了試験に合格していた。そして、大学院の入学試験にも合格していたのだ。父の事業を当主として引き継げるよう、彼女もまた学び続けていたのだった。

 

 そして、呆気に取られる帝国首脳部を尻目に、新領土の女性と同じ服装で大学院に通い始めた。ペクニッツ公爵の事業を通じて、あるいはホアナ夫人との縁で、カザリンにはフェザーンに多くの知人がいたのだ。カザリンの留学に際しては、財務省顧問のコモリ・ケンゾウが様々な手配をしていた。

 

 ペクニッツ公爵の令嬢が行くならと、貴族の子女も留学先を帝都に定めた者が増え、その中から、新帝国の役人や軍人と結ばれる者も出てきた。ローエングラム王朝を守るために、公爵夫人が編んだ人脈のレースが、花嫁たちを飾っていた。男性に傾いていたフェザーンの人口比が、均等となる契機となったのである。

 

 アレクとカザリンの文通は、一月おきではなくなった。学校の授業で多忙なうえ、王宮への伺候に遠慮がちなカザリンと、立太子し、勉学や公務が一気に増加したアレク。なかなか対面する機会が持てないので、文通は逆に頻繁になっていった。

 

 アイゼナッハが取り組んでいた長距離跳躍航行は、ついに一回で四百光年を跳躍するまでになり、アレクは即位を控えて、銀河帝国領やバーラト自治領への行啓を積極的に行った。皇太子親衛の大任を担ったのは、ビッテンフェルト元帥である。

 

 純白の美姫を、漆黒の槍騎兵が警護して、平和の星の海を行く。皇帝ラインハルトと似た、だが違う隊列であった。ブリュンヒルトが建造されて二十年。本来なら耐用年数のうちだが、新跳躍システム搭載には耐えられないことが判明し、皇太子アレクサンデルの御座艦が建造されたのであった。常に戦いの先陣にあった、ブリュンヒルトに抵抗を覚える者もまだ多い。

 

 新たな純白の美姫はアレクによって命名された。ブリュンヒルトより一回り小さな、優美な艦は

『ステラー・マリス』。 帝国公用語ではない、古い言語。その意味は海の星、聖母マリアの別称である。平和の統治者だった皇太后ヒルダを讃え、血に穢れることなく、星の海を往けとの意を込めて。

 

 結局、大公の時には一度も行くことができなかった、皇太子領オーディーン。想い人の両親と対面して、一生分の緊張を味わったりしたが、時の育んだ美しさに驚嘆したものだ。『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』の薔薇は、ことさらに見事なもので、伯母の伴侶であったフリードリヒ四世が丹精していたのだという。今はミッターマイヤー国務尚書の父が顧問となった、庭師組合が手入れをしているそうだ。ここが父母の、周囲の大人たちのふるさと。黄金の有翼獅子を育んだ止まり木でもあったのだ。

 

 彼にミドルネームをくれた、ジークフリード・キルヒアイス大公の墓所にも詣でることもできた。墓碑銘に刻まれた『わが友(マイン・フロイント)』の文字。彼が命を賭けて父を助けてくれたから、アレクは今ここにいる。半面、彼が亡くなっていなかったら、宇宙は統一されていなかったかもしれないし、アレクも生まれていないかもしれない。

 

 歴史のもしもは、様々に心に細波を立てる。過去から現在、未来はつながっていると、ダスティ・アッテンボローの著作にあったように。今からどうしていけばいいのだろう。この宇宙はあまりに広く、アレクの手には大きすぎる。改めて実感する。父の巨大さを。

 

 そして、機能的な美しさを持つ、バーラト自治領のハイネセン。アレクはそこで、共和民主制による議会の傍聴や、政府組織の仕組みを学んだ。驚かされるのが、議場や政府に行きかう女性の多さである。男女同権を掲げていた旧同盟の頃からの伝統だが、戦死者が多かった同盟末期の影響もまた大きい。外務長官のフレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンが、悪戯っぽい笑みで教えてくれた。

 

「私もその一員なのですけれどね。

 弟妹ではなく、ミンツ教授とあの人の差の年代の人員が入ってきています。

 あと十年もすると、戦争を知らない世代が中心になっていくでしょう。

 あの人に言わせると、恒久的な平和など人類史上に存在しなかったのですって。

 しかし、何十年かの平和で豊かな時代は存在したし、

 それを繋いでいくように努力するのは、次の世代の義務になる。

 平和を望む子どもを育てるのは、大人の役割だと言っていたみたいですわ」

 

「優しいけれど、厳しい言葉ですね」

 

「ふふ、アレク殿下にはおわかりになるのね。

 人は人、自分は自分。自分の責任は自分がとる。

 それ以上のことは、当たり前の人間にはできるものじゃない。

 そういう考えね。他人の責任を負うならば、自分の子どもまで。

 とはいえ、罪を肩代わりするというものではないのよ。

 賠償責任とか、監督責任とかそういうことです。

 少年法により、十歳未満の子は刑法の対象にはなりませんしね。

 十五歳未満も罰するのではなく、正しい生き方を教育するのですわ」

 

 アレクは眉宇を曇らせた。それを言われるとエルウィン・ヨーゼフ二世の保護者はローエングラム公ラインハルトだし、カザリン・ケートヘン一世の保護者はペクニッツ公ユルゲン・オファーだ。後者と比べて前者はどうか。

 

「では、親の罪を子が背負うというものはないんですね」

 

「原則としてはそうなりますけれど、遺産相続はその限りではありませんの。

 マイナスの遺産、借金は妻子が返済しなくてはならないのですわ。

 遺産の額を査定して、負債があまりに大きければ、相続放棄も認められるけれど、

 そうすると財産も受け継げない。難しいものですわね」

 

 ヘイゼルの瞳は、限りなく優しかった。似た立場のアレクに対する労わりに満ち、しかし誇り高い輝きがあった。

 

「私がその道を選ばなかったのは、私の自由ですわ。

 自分の責任と法の範囲内で、好き勝手ができるから、

 あの人は民主主義にこだわったのだと思います。

 そんな勝手な人間が、折り合いをつけるための仕組みですもの。

 一人がすべての責任を負うのではなく、国民皆が等しく責任を負うのです。

 それを忘れてしまったから、自由惑星同盟は滅びました。

 ヨブ・トリューニヒトだけのせいではないし、ヤン・ウェンリーだけのせいでもない。

 あの人と私を含めたみんなのせい。

 私は国民に選んでもらえる間は、それを伝えていきたいと思うの。

 この平和が、一日でも長く続くように」

 

 イゼルローン軍の人々が眠る丘には、一面のPEACEⅡが咲き乱れていた。地上車の中から、遠目に見ることしかできなかったが、それゆえわかった。広大な墓地の、ほとんどすべてに戦死者が眠っていること。それさえ、百五十年分のごく一部だった。そして、ユリアンから説明を聞いてアレクは呆然とした。ここに眠る死者のほとんどは、遺体がないのだと。

 

「私の実の父の遺体もないのです。ヤン提督と義父はここで眠っているのですが。

 ビュコック提督やメルカッツ提督も墓標だけしかありません。

 でも、きっとみんなの魂はここにあるでしょう」

 

 壮年を迎えたユリアンは、そっと胸元を押さえた。

 

「そして、アレク殿下の中に皇帝ラインハルトはいらっしゃる」

 

「僕は、全く父を覚えていないのです」

 

 亜麻色の髪がゆるく振られた。

 

「殿下を取り巻く方々の背に、皇帝ラインハルトの輝きは息づいていますよ。

 それを見ていらした殿下にはおわかりになっているはずです」

 

「でも、僕はヘル・ミンツが羨ましい。父は心を語れる人を失ってしまいました。

 母の話を聞きましたが、政策やなにかの話ばかりをしていました」

 

 ユリアンは苦笑した。

 

「皇帝ラインハルトも、皇太后陛下には照れていらしたんでしょう。

 仕事の話しかできないというのは、そういうことだと思いますね」

 

 少年は海色の眼を見開いた。

 

「えっ……」

 

「幼年学校から軍隊に入られた方ですし、私も中学の頃は同級生の女子とどう接したものか、

 見当もつきませんでしたよ」

 

 暗に思春期の少年レベルと言われたようなものだが、アレクは大いに納得した。

 

「父上も普通のところ……いや駄目なところもあったのかな……」

 

 そして、天才ではない自分は、普通のところと駄目なところだらけだ。子どもに偉人の真似をしろとは、善良な人間に異常者になれと言うに等しいといった、ヤン・ウェンリーの言葉の意味がよくわかる。でも、あなたが言うなという感想はまだ変わらない。

 

 そんなアレクが、自分の子どものためにどうすべきか。まとまりのない考えは、カザリンとの文通の中で、徐々に形を成していった。それは、憲法制定の前夜、アレクの思惟もいまだ闇の中だった。

 

 


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