銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

7 / 76
手の記憶

 フェザーンに滞在していた、イゼルローンの面々もワーレン元帥の出動を聞き、キャゼルヌ事務監の顔を脳裏に描いた。しかし、皆沈黙を保った。ワーレンは尊敬すべき将帥だし、これからは銀河帝国とは外交関係を築いていく。

 

 だが、この世で一番尊ぶべきは、来し方行く末(こしかたゆくすえ)とこしえに頭が上がらぬ、財布の紐を握っている人だ。

 

 ワーレンは、ユリアン・ミンツにキャゼルヌ中将について尋ねた。青年は、形の良いダークブラウンの瞳を一瞬宙に泳がせたが、てきぱきと親しみを込めて返答をした。

 

 自分の保護者だったヤン・ウェンリーとは六つ、いや七つ違い。ヤンが士官学校の三年生のとき、24歳の若さで士官学校の事務局次官として就任してきた。若い頃からその俊英ぶりを買われ、将来の後方本部長と目されてきた。

 

「小官が、ヤン提督の被保護者になったのも、キャゼルヌ中将の計らいなんです。

 当時は、色々と常識外れの奴だから、飼いならしてやってくれとおっしゃいました。

 ヤン提督が27歳で大佐の時のことです。確かにびっくりしました。

 エル・ファシルの英雄はどんな人だろうと思ってお宅を訪ねたら、

 パジャマに歯ブラシをくわえて出てきたんですよ」

 

 そして、おさまりの悪い黒髪はひどい寝癖でぼさぼさだった。ようやくヤンの思い出を口にできるようになったが、それが温かいものであるほど、心の柔らかな部分に痛みが走る。

 

 それでも知って欲しい。ヤン・ウェンリーという不世出の戦争の芸術家の、一人の人間としての側面を。ユリアンにフレデリカ、キャゼルヌとアッテンボロー、大勢の部下達と沢山の人々が愛したのは、日常の頼りなく優しい平凡な顔だったことを。

 

 ユリアンの思い出話に、ワーレンは驚いた顔になった。ユリアン・ミンツはヤン・ウェンリーの養子だということだったが、赤の他人とは思っていなかった。

 

「卿はヤン元帥の縁者だったわけではないのか」

 

「はい閣下。トラバース法、正式には軍事子女福祉戦時特例法というものが同盟はありました。

 戦争孤児を軍人が引き取って養育すると、

 15歳までは養育費の補助があり、税金も控除されます。

 そのまま子どもが軍人になれば、養育費の返還は不要というものでした。

 つまり、それだけ孤児用の福祉施設が満杯だったのです。

 養育費は出せても、施設を作ったり、職員を配置するには予算が足りませんでした。

 熟練者不足で、インフラ施設の不調がしょっちゅうあったのに、

 それでも戦争が続いていました」

 

 ワーレンはユリアンの言葉に、虚を突かれる思いがした。帝国にとっても対岸の火事ではない問題だった。帝国軍でも戦死者は膨大な数にのぼるが、下級兵士の補償は遺族にわずかな年金が支払われるのみだ。

孤児の養育についても、身分階級や居住地による格差は大きい。

 

 ラインハルトは身分階級の是正にも着手したが、五百年近く続く慣例である。わずか二年の在位の多くを、白き美姫(ブリュンヒルト)を玉座として過ごした彼に、完遂できる改革ではなかった。

 

「卿に訊きたいが、なぜ15歳までが対象となるのだろうか」

 

「同盟の義務教育が15歳までだからです。

 中学校を卒業後、士官学校や軍専科学校に進学したり、従軍する選択がありました。

 もちろん、養育費を返還するなら違う道も選べました。

 とはいえ、通常保護者となるのは、子どものいる夫婦です。

 それなりの大金になりますから、一括返還は実質的に不可能だったのです。

 ヤン提督は、養育費なら返還するから、

 嫌なら軍人になんてならなくていいと言って下さいました。

 むしろ、小官が軍人となることに反対をされました。

 軍人なんて碌なもんじゃないとおっしゃって」

 

 15歳までの義務教育。それはさらにワーレンを考え込ませるものだった。帝国では教育も階級による差別がある。貴族階級は幼年学校に入学し、大学や士官学校に進学する。平民は国民学校に入学するが、それも収入に左右される。その後の進路も言わずもがな。

 

 門閥貴族が酷使していた農奴階級にいたっては、最低限の読み書きしか教えられなくともまだましであった。文字が読めず、簡単な計算もできず、不当な証文に縛られて搾取される。そんな領民も大勢いたのだ。いや、まだ過去形とはなっていない。彼らの教育もほとんど進んでいないからだ。

 

 ワーレンの沈黙に、ユリアンは顔を赤らめた。これでは質問の答えになっていない。

 

「ワーレン閣下、申し訳ありません。話が逸れてしまいました」

 

 慌てて謝罪すると、ワーレンは軽く手を振った。

 

「いや、謝罪する必要はない、ミンツ中尉。非常に興味深い話を聞かせてもらい、感謝する」

 

 ワーレンの言葉に込められた心情に、ユリアンは亜麻色の頭を傾げた。しかし、本来の回答をすべきだろう。

 

 キャゼルヌは、ヤンにとっては頭の上がらぬ先輩であり、補給とデスクワークの達人であること。ヤン艦隊成立後まもなく赴任し、二百万人の軍人を含めた五百万人のイゼルローンの住人らの住民行政も担っていたこと。

 

 第八次イゼルローン攻略戦では、査問会に召喚されたヤン・ウェンリー不在の状態で、後方勤務一筋だった彼が、シェーンコップ少将やメルカッツ提督と協力して、ケンプ提督らの猛攻を凌いだ。

 

 第九次イゼルローン攻略戦では、戦艦まで動員して三百万人の民間人の避難輸送を成功させている。ヤンがハイネセンから脱出する際、後方本部長代理の座を捨てて同行し、今日に至るまで、ヤンとヤンの弟子を支え続けてくれた。金策から始まって、物資の補給と輸送にしても完璧である。

 

 個人としては、子煩悩な愛妻家で二女の父である。上の子は十二歳で、下の子は九歳。利発で活発でリーダー的性格のシャルロット・フィリスと、思慮深く料理名人の片鱗を見せつつあるリュシエンヌ・ノーラ。

今頃は、賢夫人のオルタンスと一足先にハイネセンに到着したことだろう。

 

「イゼルローンに赴任した将兵が、妻子を連れて行ったというのか?」

 

「はい、そうです。小官もヤン提督の後からイゼルローンに行きました」

 

 ワーレンの驚きぶりにダークブラウンが怪訝な色を浮かべる。亡き妻との間に、六歳になる長男を設けたワーレンだが、息子はオーディーンの自分の父母に預けている。皇帝ラインハルトは、フェザーンに遷都を敢行し、皇宮や大本営は既存のホテルなどを接収した仮住まいだ。帝国の中枢がそうなのに、子どもの学校どころではない。それに、オーディーンからフェザーンまで、一か月以上は必要だった。とても息子を呼べる状態ではない。

 

「その時には既に従軍を?」

 

「いえ、まだ14歳でしたから、中学校三年生の途中です」

 

「たしか、ハイネセンとイゼルローンは三週間以上かかると聞いたが、

 では、学校はどうしていたのか。キャゼルヌ中将の令嬢たちもだが」

 

 思わぬ質問に、今度はユリアンが目を瞬いた。

 

「え、通信教育がありますので。それがどうかなさいましたか?」

 

 難しい顔になったワーレンは、腕組みをした。

 

「通信教育か……。ではミンツ中尉、それも学歴として認められるのだろうか」

 

「はい。同盟の教育は共通のカリキュラムがあります。

 地理や自然科学などについては、居住惑星独自の項目がありますが。

 中学校卒業相当の学力を認定試験で認められれば、大学の受験も可能です」

 

 実際には、そこまでの学力を身につけるのは容易ではない。通信教育の学習成果は、本人のやる気と能力に左右される。先生がいて、級友や先輩後輩のいる本物の学校にはやはり敵わない。高レベルの大学に合格できるような者は、あまり多くはない。ユリアンはそう続けた。

 

「小官も、授業内容がつまらないのでさぼって読書をしたことがあります。

 ヤン提督も、帝国語会話が苦手なのはそのせいだと言い訳をしていました。

 読み書き聞き取りはいいけれど、話す機会がなかったそうです。

 あの、ワーレン閣下、何度も話が逸れて本当に申し訳ありません」

 

「いや、本当に重要な内容の話だ。卿に感謝しなくてはならない。

 先帝陛下は、様々な改革に着手されたが、その翼の強さに我々も足元を失念していた」

 

 オーディーンとフェザーンとの隔たり。空間と時間が生み出す暴虐。それが教育にも及んでいる。

 

「私にも六歳の息子がいるが、なかなかフェザーンに呼び寄せることができないでいる。

 卿には不思議に思われるだろうが、教育施設はオーディーンが一番優れているのだ。

 ここにはまだ、教育関係施設ができていない。

 そして、統一カリキュラムによる通信教育など、夢のまた夢だ。

 これからイゼルローンに赴くとして、こちらの問題も皇太后陛下に上申をさせてもらおう」

 

 ワーレンの言葉にユリアンは敬礼した。そして、思いついたことを問うてみた。

 

「失礼ですが、一つ教えてください。今、オーディーンはどうなっているのですか。

 遷都をされて、皇太后陛下と大公殿下もこちらにおいでですが、

 まだ地球教徒の残党がいるかもしれません。テロに警戒をなさってください」

 

 ワーレンの顔に緊張が走った。ラインハルトの不予、そして死病の発覚と、急坂を転がり落ちるかのように悪化する病状に、主だった将帥はフェザーンに集結した。隠遁していたグリューネワルト大公妃アンネローゼも、弟の最期を看取るべく、星の海を越えて来た。

 

 今のオーディーンは権力の空白地帯だ。ケスラー配下の憲兵が警戒に努めてはいるが、惑星の規模と人口に比べればあまりに少ない。皇帝(カイザー)ラインハルトの死によって、オーディーンに揺り戻しが起こり得る。大幅に力を削がれたとはいえ、ラインハルトに与した貴族はまだ残っている。

 

 ほとんどがマリーンドルフ伯の縁者だが、それだけに彼と娘と孫に嫉妬し、反目する恐れがあった。つまり、国務尚書と皇太后、そして大公アレクに。

 

 旗印となりうる者までいる。ゴールデンバウム朝最初の女帝。そして最後の皇帝。いまは退位したカザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツ公爵令嬢だ。

 

 距離が生み出した悲劇から、まだ一年と経っていない。ハイネセンの方がずっと近かったのに、小人の暗躍と、それに便乗した地球教徒の跋扈(ばっこ)で、政戦両面に優れた僚友を彼の親友が討つということになってしまった。

 

 そして、ユリアンらが協力して制圧した地球教最後のテロ。そして、更に不可欠な人材を失った。地球教本部を攻撃し壊滅させて、安心していた己の失態でもあるだろう。この青年が敬愛のすべてを捧げていた、かの魔術師の死にも責任がないとは言えないのだ。

 

 もしも、残存勢力がオーディーンの貴族らと手を結んだらどうなる。第二のリップシュタットだ。今度はオーディーンが戦火に包まれて、あれとは比べ物にならない犠牲が出る。皇帝を(うしな)ったローエングラム王朝は、薄氷の上に立っている。こちらにも手を打たねばなるまい。

 

「重ねて礼を言わなくてはならんな、ミンツ中尉。卿はたしかに、魔術師ヤンの後継者だ」

 

「恐縮ですが、ありがとうございます、ワーレン閣下」

 

 差し出された右手を、ユリアンは握った。硬く大きいしっかりとした手だった。自分と同じく、人差し指に銃爪を引くための胼胝(たこ)がある。師父の手の柔らかな感触を思い出し、ユリアンは瞑目した。

 

 そして、ワーレン少年が早く父と同居できるようにと願った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。