銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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新帝国暦10年~19年 大公と女帝のフーガ
プロローグ 我が友(マイン・フロイント)


 フェリックス・ミッターマイヤーの過去への旅は紆余曲折を経て、少年に心を決めさせた。血ではなく、思いを受け継ぐことを。その過程において、彼は『法』とは何かを考え続けた。フェリックスは、進路を決める。武官ではなく、養父のような政治家でもなく、法律への道を。

 

 実の母から全てを奪い、復讐に到らせたリヒテンラーデ一門への処罰。実の父に、誣告への抗弁をすることより、剣を以て立ち上がることを選ばせたもの。

 

 それは、すべての法を超越する皇帝という絶対の存在。だが、皇帝にも枷をはめる方法がある。今はハイネセン記念大学の准教授、ユリアン・ミンツが提唱した立憲君主制。五百年もの長きにわたり、帝政しか知らない銀河帝国にとっての難問。そして、もうすぐその座を襲う道しかない親友に、できることはないのかと。

 

「進学おめでとう、フェリックス。

 でも意外だったな。君が法学部に進むなんて思わなかったよ」

 

「ありがとうございます、大公(プリンツ)アレク殿下」

 

 深々と一礼するチョコレートブラウン。海色の瞳が、微笑みを浮かべてそれを見つめた。十五歳になった大公アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムである。彼もまた、フェリックスと同じく父の美貌を受け継いでいた。

 

 しかし、剄烈な表情と鋭気に包まれ、見る者を圧倒するような威を持っていた父ラインハルトとは違う。かぎりなく優しく、透き通るように繊細な伯母のアンネローゼとも異なる。美貌では、両者にまったく劣らないのに、それで人を萎縮させることがない。晩秋の午後の海のように、どことなく静かで穏やかな容貌だった。

 

 彼は、後世に『思考し、思索する秀才』あるいは『教師と周囲に恵まれた後継者』と評されるが、

それはむしろ、父の敵手だったヤン・ウェンリーの後継者、ユリアン・ミンツに似ていたかもしれない。万事なにごとも卒なく、かなり高い水準でこなすが、突出した部分はない。性格的にも尖った才気はないが、粘り強くて、前向きで皆に優しい。

 

「それでも、君の選んだ道は、僕にとってはありがたい。

 協力してくれないか、フェリックス」

 

「御意にございます。しかし、何にご協力を……」

 

「僕は父のような絶対的な存在にはなれない。

 母のように、父の後継をひたすらに努めるようなことも無理だと思う。

 僕は、父を知らないから、その思いにあれほどには共鳴できないよ。

 ならば、道は一つしかない。立憲君主制への移行だ。君に力になってほしい」

 

 藍青色が大きく見開かれた。

 

「僕が成人するまではあと五年だ。

 二、三年のうちに立太子式があり、成人と同時に即位するのだろう。

 それまでに、立憲君主制を学びたいんだ。

 僕の教師は選りすぐりだが、さすがにこんな内容の授業は不敬だと、

 教師の方に断られてしまう」

 

「ですが、私は……」

 

「フェリク、普通に話してくれないか?

 それとも先帝最後の勅令で、定められた友人なんて嫌いになったかい?」

 

「そんな、どうして……知っていたのかい、アレク……」

 

「こういうことは、そんなに隠しておけるものじゃないよ。

 でも、君が僕と友達でいてくれたのは、先帝の命令なんて関係ないのもわかるんだ」

 

 フェリックスは拳を握りしめると、藍色の眼差しを鋭くして、アレクに言った。

 

「君を嫌いになるはずなんてないじゃないか。

 いつも一緒に遊んで、イゼルローンでヤン元帥の幻を見て、

 同じ女の子に一目ぼれして、一緒にふられた仲なんだから」

 

 豪奢な金髪が力なく振られ、美少年の口から深い溜息が零れた。

 

「フェリク、最後のは現在進行形なんだ。またふられてしまった」

 

「まだ、文通をしてたんだね、アレク……」

 

 フェリックスの長い睫毛が、大気圏最上層の色を半ば隠した。

 

「アレク、ほどほどにした方がいいと思う。

 ついに、フロイライン・ペクニッツが超光速通信(FTL)に出なくなってしまっただろう。

 絶対にペクニッツ公が差し止めたんだよ!」

 

「やっぱり、君もそう思う? 

 あの頃もそれは綺麗な子だと思ったけれど、今や春の女神もかくやという美しさ、

 という情報を聞いたんだが、会わせてもらえなくなってしまって。

 文通だけしかしていないんだ」

 

「でも文通は応じてくれてるのか……頭が下がるなあ」

 

「さすがに僕らの初恋の君だよね」

 

「殿下の場合は過去形になっていないんでしょう!

 しかし、その情報は誰から聞いたんですか、アレク殿下」

 

 機嫌が斜めになると、アレクに対して敬語を使うのが親友の癖だ。

 

「僕にも伝手があるんだよ。きらきら星の人に」

 

「な、なんで……」

 

 フェリックスの顔が硬直したので、アレクは言い足した。

 

「ペクニッツ公爵夫人の薬を届けたのは、宇宙最速の運送会社、

 トウィンクル・スター運送なんだよ」

 

 この世で一番強いのは、経済と流通と情報に携わる者なのかもしれない。

 

「そして、財務省顧問のヘル・コモリ。

 ペクニッツ公爵夫人は、大変に美的感覚の優れた方だから、

 テイラー・コモリ社の商品開発の助言役になったそうなんだ。

 カザリンにも時々意見を聞く機会があるそうだよ。

 母子ともども、とても洗練された趣味の持ち主で助かっているそうだ」

 

「公爵夫人が働いていらっしゃるんですか……」

 

「ペクニッツ公も、貴族のところで召使をしていた人を雇って、

 家政婦派遣会社を経営しているよ。

 フェザーンの会社だけれど、出資者はペクニッツ公と友人の貴族だ。

 新帝都に来ている役人や軍人のご両親の世話で、僕たちも間接的に恩恵を受けているんだ」

 

「いったい、いつの間に!?」

 

「公爵夫人の病気はよくなったけれど、もう子どもができないお体だから、

 側室を迎えられたんだ。その直後からだよ。もう五、六年ぐらい前になる。

 今はオーディーンの名士で、名ばかりの公爵じゃないんだ」

 

「それはいいことだと思いますが」

 

 更にアレクの眉が寄り、がっくりと肩が落ちる。

 

「確かにいいことだよ。オーディーンの貴族がまとまって、経済も上向いた。

 だが、皇帝の求婚に応じよと言ったところで、

 簡単に通るような状況じゃなくなったということでもあるんだ。

 一つ目には、外戚として権勢を振るわないかということ。

 二つ目は、フェザーンやバーラトとも、ペクニッツ公は交流してるんだ。

 下手をすると、一家そろって逃げられてしまう」

 

「逃げるって、どこに逃げる所があるというんです」

 

 フェリックスの眉も寄る。

 

「バーラト自治領。あの国のほうが、カザリン・ケートヘン一世には同情的だ。

 子どもに先祖の罪を着せるなんて、というお国柄だし、

 エルウィン・ヨーゼフ二世を受け入れた過去もあるんだから。

 しかも、玉座に据えられた乳児が、輝くばかりの美少女になって、

 その息子の求愛から逃れてきたなんてことになったら……」

 

 受け入れずにはいられないだろう。外交筋から苦言を呈しながら。現在の外務長官は、フレデリカ・(グリーンヒル)・ヤン。

 

 主席に就任した最初の演説で、自らの父の起こした軍事クーデターについて謝罪した。不当に拘束されたヤン・ウェンリーを救出するために、夫を殺害しようとしていた者を殺したことを告白し、さらには、旧同盟自由惑星同盟を戦火に巻きこんだことをも語った。

 

 そして、親の罪に子が連座されない社会であり、あの行動が司令官を守る副官の職分だと認めてもらえたからこそ、この場にいるのだと、国民に強いメッセージを投げかけた女性だ。彼女は出馬の時から、自らの経歴を公表していたが、そのうえで国民に選ばれたのである。

 

「亡命じゃなく、普通に国籍の選択という形で受け入れる、かな……」

 

「そうなるだろうね。それもいいか、とも思わなくもないんだけれど。

 バーラト国民になってしまえば、彼女をゴールデンバウムの末裔扱いはできないし、

 そうなれば、先々帝だから無理とも言われなくなるんじゃないかと」

 

 フェリックスは呆れかえった。

 

「アレク殿下、前々から思っておりましたが、前向きにも限度というものがあるんです」

 

 この言葉に、アレクは形のよい眉を上げて肩を竦めた。

 

「開き直らないとやっていけないよ。

 獅子帝ラインハルトが父、賢君の摂政皇太后ヒルダが母。

 僕はその土壌で育った温室育ちで、環境のお陰で身についた知識や才能しかない。

 両親の作った国を大事に治める以外の道は、僕にはない。

 二人して好きにやって、新銀河帝国と僕を作ったのに、不公平な話だよね」

 

 困惑しきったフェリックスに、アレクは小さな笑いを漏らした。このぼやきに同意しても、否定をしても、不敬にあたるのだった。

 

「ああ、ごめんごめん、君を困らせるつもりはなかったんだ。

 でも僕は、彼女以外の人は考えられない。

 だから、皇帝にも守るべき法を定め、あんなことを繰り返さない国に

 していかなくてはならないと考えているんだ。

 憲法は、こういう国にするという、国民への約束なんだって。

 重ねて言うよ。協力してほしいんだ、フェリックス・ミッターマイヤー。

 大公アレクではなく、アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムに。

 天才には決してなれぬ、この僕ですまないけれど」

 

 フェリックスは首を振った。

 

「君が天才である必要なんてない。君は素晴らしいものを持っているんだ。

 僕も君の力になりたい。だって、友達だろう、アレク」

 

「ありがとう、わが友(マイン・フロイント)。では、学び考えることにしようよ。

 とにかく、この国の皇帝が絶対的な存在のうちは、

 フロイライン・ペクニッツは決して『はい(ヤー)』と言ってくれない。

 彼女の血脈を父は罪と断じた。母がそれを赦した。

 だが、許されたから許してくれるなんて、僕には思えない。

 フェリックス、ごめんね。君だって同じことだろうに」

 

 静かな初秋の午後の海が、大気圏最上層の色に向けられた。

 

「殿下」

 

 フェリックスはそう言うのがやっとだった。深い青の瞳は遥かに彼方を見ていた。

 

「僕の名は、自由惑星同盟のアレクサンドル・ビュコック元帥から

 いただいたのかもしれないと、最近思うんだ。

 彼の最後の言葉は、民主主義とは対等な友人を作る制度だというものだったそうだ。

 いまの帝国では到底望めぬものだが、それに近づくことはできないのだろうか。

 僕は考えてみたいと思うんだ。孤独なのは母上までで終わらせたい。

 僕はそんなに強くはなれないから」

 

 新銀河帝国二代皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム。

 

 皇帝ラインハルトや皇太后ヒルダに勝る、二代皇帝アレクサンデルの美点は、繊細な感受性と人を思いやる想像力だと後世に評される。それが彼の思考を支え続け、穏やかな人格が周囲の人間の人望を集めた。

 

 勝る点はもう一つあった。それは、人を見守り、成果を待つことができる気の長さだ。

 

 敵を破り滅ぼすことで、父が建てた王朝を、宥和で安定させた母の路線を引き継いで。しかし、さらなる自由と協調を目指して、立憲君主制を完成させる道を選んだ。

 

 これは彼の人格の形成に大きく寄与したとされる、『皇帝アレクサンデルの往復書簡集』の一部である。


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