銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

61 / 76
一番星に祈りを……

「俺はあれからずっと考え続けていた。

 確かにあの時に重傷を負ったが、決して治療不能な傷ではなかった。

 キルヒアイス大公や、ヤン元帥の傷とは違うんだ。

 手術をすれば延命どころか完治も可能だった。

 本当に徹底的に叛くつもりなら、まだ艦隊の損耗は低い。

 新領土の民衆に、自治権を与えると約束して協力させてもいい。

 だが、あっさりと兵を引いて、ゆっくりと死を迎えるに任せてしまった。

 トリューニヒトという害虫を退治までしてな。

 あれはロイエンタールから皇帝への抗議だったのかもな。

 『我が皇帝(マインカイザー)、あなたも無謬(むびゅう)ではない』と」

 

 専制政治の最大の欠点。君主の決定は全ての法を超越する。『綸言(りんげん)汗の如し』の言葉のとおり、一度出された決定を覆すことはできない。ロイエンタールが、リップシュタット戦役や、神々の黄昏(ラグナロック)作戦、そしてヤン・ウェンリーとの最終決戦や彼の死に際して、一度もラインハルトの決定に異論を持たなかったのか。あの理性に富んで、広い視野をもつ親友が、皇帝の決定を無謬と思い続けるはずもない。

 

 フェリックスは息を呑みこんだ。国務尚書による、建国帝への批判だ。誰かに聞かれ密告されたら、大逆罪での処罰もありうる。限りなく重い一言だった。

 

「なあ、フェリックス。さっき言った金星の話は続きがあるんだ。

 古代の地球では、宵の明星と明けの明星は、別々の星だと考えられていたんだ。

 左と右の横顔が、違って見えるあいつのようだろう。本質は同じものなのにな。

 太陽と月を除くと、地球の空で一番明るい。本当にあいつのようだ。

 誇り高く、輝かしい男だった。俺は、あいつを友と出来たことを誇りに思う。

 そして、無念でならない。あの時、なんとしても思い留まらせるべきだった。

 あいつが生きていれば、おまえという家族を持てたのに。

 そのおまえを、養子としてあいつから奪ってしまっていいのかと」

 

 父の膝の上で、拳が震えるほどに握り締められている。父が泣くのではないか。フェリックスは恐れた。自分はまだ、言うべき言葉を持たないのに。

 

 緊迫した空気を破ったのは、軽やかなノックの音。それは、二人のミッターマイヤーに顕著な効果をもたらした。親子そろって、はっと頭を起こし、水を掛けられた猫のように背筋を緊張させる。

 

「ウォルフ、フェリックス。今日のお話はそのへんまでになさいな。もうお夕飯の時間よ」

 

 ドアの外から、エヴァンゼリンの穏やかな声が聞こえてきた。我に返って窓の外を眺めれば、落日の残照もとうに消え、宵闇が訪れる寸前の深い菫色が空を染め上げていた。

 

「冷めないうちに、早くいらっしゃい。今日は新メニューに挑戦したのよ。

 そうそう、忘れずにカーテンを閉めて来てね」

 

「う、うん。すぐ行くから」

 

 気を取り直したのはフェリックスの方が早かった。咄嗟に母に返事をして、言われるがままに窓辺にカーテンを閉めに行く。フェザーンは衛星を持たない惑星だ。また、唯一の内惑星は、恒星フェザーンから非常に近い公転軌道を回っているため、地球でいう金星のような見え方はしない。

 

「父さん、今日はありがとう。色々なことを聞けてよかった。

 でもごめん。すぐにはなにも言えそうにないんだ」

 

 窓辺に立ち、カーテンに手を掛けてミッターマイヤーに向き直る。月がなく、一番星を持たないフェザーンの夜空。

 

「今日分かったのは、本当に僕が何も知らなかった、ってことだけだ。

 だから、もっと色々と教えて欲しい。父さんの知っていることを。

 何度も、何度でも。僕もよく考えてみるから」

 

 そう言うと少年は、安楽椅子に座った父の元に歩み寄り、その右手を握って引っ張った。小さい頃によくしたように、十歳を過ぎてからはひさびさに。

 

「だから早くご飯に行こうよ。母さんが待ってる」

 

 ミッターマイヤーの頑丈な手の中で、息子の手はまだまだ小さく細い。緊張に湿った手のひらから、子供らしい高い体温が伝わってくる。そういえば、ロイエンタールと握手をしたことはあっただろうか。

 

「そうだな。せっかくの料理が冷めたら、エヴァに叱られるな」

 

 二人は連れ立ってドアを開けると、階下へと降りて行った。漂ってくる嗅ぎなれない芳香に、顔を見合せながら。

 

 

 そして、少年と中年のミッターマイヤーは、目の前の深皿から湯気を上げる、見慣れない料理に揃って首を傾げた。

 

「母さん、これ何て料理? フリカッセとは違うよね」

 

「この白いのは米というやつか?」

 

 湯気を立てる白く艶やかな米の上に、フリカッセに似た色と違う香りの濃茶褐色のものがかかっている。隣の皿には、チシャの上に短冊に切られたポークカツレツとくし型のゆで卵が整頓し、傍らにはこんもりと盛られた色とりどりの粒を含んだ、クリーム色のペースト。寄り添う真っ赤なミニトマトとの対比も鮮やかな一皿だ。

 

「ええ、フラウ・ムライに教えていただいたのよ。

 イースタンの中でも、ニホンという国がルーツの人にとって、

 魂の家庭料理(ソウルフード)なんですって。嫌いな人がいないと断言できるそうよ。

 さあ、食べてごらんなさいな。熱いから気を付けるのよ」

 

 うながされるまま食前の挨拶をして、父子は一匙すくって口に入れた。途端、スパイスの辛さと香り、肉や野菜の甘みとコク、ほどよい塩味が一体となって、二人の舌を祝福する。

 

「おいしい!」

 

「本当に旨いな、これは」

 

「そうでしょう、カレーライスというの。

 フリカッセに似ているから、作りやすいでしょう、とおっしゃってね。

 あと、この白いのはポテトサラダよ。舌を休めるためにどうぞ、ですって。

 やっぱり、本職の方は教えるのもお上手ね」

 

 色とりどりのものは、細かく切られた野菜とハム。茹でたジャガイモのペーストと一緒にマヨネーズという調味料で合えたものなのだという。こちらはひんやりと冷たく、ほんのりとした甘みと酸味が舌に優しい。

 

「ハイネセンの料理というのはなかなか大したものだなぁ」

 

 ミッターマイヤーは思わず唸った。フェリックスのほうは感嘆する時間も惜しんで、せっせと匙を口に運んでいる。

 

「ええ、本当に色々なレシピをいただいたのよ。

 こんなお料理をずっと知らずにいたなんて、本当に宇宙的な損失ね。

 おかわりは沢山あるから、どんどん食べて。

 でも、デザートの分の余裕はちゃんと空けておくのよ」

 

「それもハイネセンのお菓子なの?」

 

「『ホテル・ユーフォニア』特製ティラミスよ。

 母さん用に簡単なものにしたレシピになるけれどね」

 

 ミッターマイヤーの眉間に皺が寄った。灰色の目が宙を泳ぎ、ややあってから口を開く。

 

「なあ、エヴァ。聞いたことのある名前なんだが」

 

 新領土総督府に接収された高級ホテルではなかっただろうか。ひょっとしてもしかしたら。金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の友も食べていたかも知れない。なんとも言えない表情になった夫に、妻は小さく菫色の片方をつぶって見せた。

 

「ハイネセンでも屈指の高級ホテルで、帝国でもバーラト政府の行事に参加する時に、

 よくお使いになるところでしょう。このカレーもそこのレシピよ」

 

 ちなみに、値段はカレーとサラダ、食後のデザートとコーヒーで一食三十ディナール(税、サービス料別)と決して安くはないが、帝国の文官武官双方に人気のメニューである。

 

「母さんも料理上手だけど、確かに美味しいはずだよね。

 ところで、ティラミスって変わった名前だね。同盟公用語とも違わないかな」

 

「もうあまり使わない言葉だけれど、『私を元気にして』という意味があるのよ。

 さっき味見をしたけれど、本当に美味しいの。

 これを私が作ったのかと思うと、ちょっと感動してしまったわ。

 元気になってくる味よ。楽しみにしていてちょうだいね」

 

 エヴァンゼリンはにこやかに言った。美味しいものを食べれば、いつまでも眉間に皺を寄せてはいられない。

 

 彼女は、夫ほどには息子との関係を心配はしていない。人間の三大欲求の最上位。胃袋を掴んだお袋の味ほど強力なものはないのだから。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。