本の発売から九か月後。ニューイヤーの飾り付けで華やかさを増したマスジッド宙港に、著作者達が降り立った。そのまま、地上車で高台の墓地に向かう。
『魔術師の兄弟弟子』は、師匠の師匠の墓前に花とビールを手向けた。和平後、ずっと入手が容易くなった帝国本土産のものだ。そして、二人の直筆による献辞の書かれた本も。
「まだ、新年には少し早いが、まあ勘弁してくれよ。そして、ありがとう」
「あなたのおかげで、僕は提督に会えたのかもしれません。
これから、あなたの考察に、よりしっかりとした骨格が与えられるでしょう。
本当にありがとうございました。長い間、寂しい思いをさせてすみませんでした」
二人は旧同盟軍の敬礼を、もう一人は深々とお辞儀をした。彼等が手向けた以外の花束が、様々な銘柄のビールが並ぶ墓標に向かって。
ユリアンには、どちらの国のビールでも酔えなくはないものだと、帝国語の墓標から笑い混じりの呟きが聞こえてくるような気がした。師父の報告書にあった、ケーフェンヒラー的な笑い声が。
――ユリアン・ミンツ
これよりさらに四半世紀後、大幅に言論や著作の自由が緩和された皇帝アレクサンデルの治世になって、帝国本土にて『ヤン少佐の事件簿』は翻訳版が公式に発売される。訳者はカーテローゼ・V・C・ミンツ及びベルンハルト・フォン・メルカッツ。旧同盟公用語から帝国語への、名訳中の名訳との評価も高い。
――そして、ダスティ・アッテンボローは、この本を皮切りに数々のヒット作を生みだしていった。彼の著作の最大の特徴は、
例えば、『伊達と酔狂の革命論』の表紙をめくってみれば、トラバース法の導入から回廊決戦に至るまで、政治の腐敗と民主共和政治が衆愚に堕していく様子と、戦争が社会インフラの凋落に及ぼす影響が、ヤン艦隊の戦術論を挟みながら展開していくという案配である。この本もまた、各方面の絶賛を浴びたが、あの題名はなんとかならんのかという論者も多かったのである。
そして、彼らの本の著作権関係を手掛けたのは、小柄でほっそりとした黒髪黒目のエージェントだった。彼女の姓は途中から