そしてこの日。アッテンボローの新聞社の資料室に共同著作者は集合した。ユリアンは、ファイルの中身を一読し、二十五年前の大佐と少佐の推測と、自分のそれがほぼ一致していることを知った。旧銀河帝国と旧自由惑星同盟を繋ぐ、謀略の糸。彼らと自分の推測は同一の方向を示したが、それは事実なのか。
ゴールデンバウム王朝も自由惑星同盟も滅んだ今、アッシュビーの勇名はヤン少佐が調査していた時とは違う。もっと詳細な情報を得ることができるし、それを双方の陣営が検証することも可能だろう。ヤンの次の誕生日までに出すには、もったいない題材だと思うのだが。
しかも、そのタイトル案ときたら『エコニア・ファイル――ヤン少佐の事件簿――』である。
「そのタイトル案はなんとかなりませんか。ちょっとあまりにもあざといですよ」
アッテンボローが机上に置いた企画書を前にして、三十二歳のユリアンは、端正な顔に何ともいえない表情を浮かべた。
「何を言う。馬鹿正直に『ブルース・アッシュビー提督に関する考察
クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー原案 ヤン・ウェンリー編 追補 俺たち二名』
にして売れると思うのか、おまえさんは」
「そちらの方が有名人が沢山入っていて、いい題名じゃありませんか?」
ユリアンの指摘に、アッテンボローは一瞬考え込んだ。
「お、言われてみるとそうだな。ネームバリューは確かにあるか?
いやいや、そんなお堅い題名じゃ、手に取ろうって気にならないだろうが」
すっかりやる気の新聞社社長を前に、ユリアンは溜息を吐いた。
「タイトル詐欺って言われますよ」
「そうならないようにするのが、俺たちの腕の見せ所だろ。
エルファシルの英雄の、秘された次の任務ってやつだぞ」
エル・ファシルの英雄は、アスターテでも英雄で、イゼルローン無血攻略を果たした魔術師だ。アムリッツアの大敗でも
それにまつわる著作を、彼らが出そうというのだから、反響の大きさは予想がつく。
「これってインサイダー取引みたいなものですよね」
「それがどうした」
アッテンボローは、自称宇宙最強の台詞で応じた。
「当時概要を教えてもらってはいたが、本日を持って機密ではなくなったんだぜ。
覚えていた者の勝ちだな」
「それは建前はそうですけどね」
常識論を口にする十三歳下の友人に、アッテンボローは人の悪い笑顔を作った。
「滅びた国の記録だと思って、場当たり的に保管していた帝国が間抜けなのさ。
まあ、ケーフェンヒラー大佐の名前を前面に出したから、
当時はB級重要事項に指定されたんだ。
おかげで、先輩の名前を見逃しちまったんだろうよ。何が幸いするか分からんな」
ヤンに関わる記録は帝国に移管されて、より高レベルの機密事項に指定されている。『無駄飯食い』と呼ばれていた頃に、
「そういえば、僕がイゼルローンに行ったばかりのころに、
アッシュビー提督の祝日があったんです。
僕に教えてくれたのは、アッシュビー夫人のラブレターの話でしたよ。
こんなことは一言も口になさらなかった」
「その辺、先輩は徹底してたからな。愚痴は言うけど、なかなか本音を言わないんだ。
で、たまに口にする本心に、みんなやられちまうわけだよ。ここをな」
アッテンボローは複数形を使用して、親指で左胸を指した。
「それにしてもあの頃は、二十五年なんて遥か先の事だと思っていたんだがなあ。
きっと帝国との戦争が当たり前に続いていて、
俺も生き残っているかどうか、なんて考えていたわけだ。
まさか、ヤン先輩の言うとおり、自由惑星同盟と、
銀河帝国ゴールデンバウム朝が共に滅亡するなんてな」
コーヒーの水面を彼はじっと見つめた。
「その時にな、このケーフェンヒラー老人の考察には不足しているものがあると言っていたのさ」
「なんですか」
「もっと多くの情報だよ。
ケーフェンヒラー老人は捕虜収容所に四十三年間もいたんだ。
俺の年齢とそんなに変わらない間だぜ。それはそれで想像を絶するよな。
ま、そんな中で彼が入手できた資料は、質、量ともに不十分だ。
同盟のものだってそうなんだから、帝国の情報は推して知るべしだろ?」
「ええ、そうですね。」
「情報の入手については格段に向上したよな。それでヤン先輩はこうも言っていた。
自分よりも、もっと才能のある人間が現れて、この考察を解明してくれるかもしれないってな」
「それはそれは」
ユリアンは思わず天を仰いだ。
「あんまり重圧をかけないでくださいよ、アッテンボロー社長」
「まあ、俺もそこまで綿密な考察本にする気はないよ。
最初に言っただろ、底なし沼になっちまうって。
タイトルどおりの軽いものでいいじゃないか」
「どうしてですか」
「このケーフェンヒラー老人は『魔術師』の師匠だと思うんだよ」
怪訝そうな色を浮かべるユリアンに、アッテンボローは真面目な顔で言った。
「断片的な情報から、事実を見つけることさ。
同盟と帝国の諜報網だけの話じゃないぞ。
この爺さま、もっと大したことをやってるじゃないか。
一介の捕虜が収容所所長の横領を見抜いたのに、
収容所の監査や軍の査閲部は何してたんだよ、ってことになる」
「おっしゃるとおりです」
謀略論に気をとられていたが、当時の同盟軍にとっては捕虜の叛乱とその背後に潜んだ横領事件の方が大きなウェイトを占めていたに違いない。
横領された三六〇万ディナールを、所長の平均在任期間三年で割れば、 一日約3,288ディナールである。ちなみに、十五歳当時のユリアン・ミンツ兵長待遇軍属の月給は、1,440ディナール。兵士約二人分の月給というのは少なくないが、捕虜55,400人の生活費を一人一日0.05~6ディナールずつ削減すると、ちょうどその額に近似する。四十三年間も収容所にいた老人に、わずかな差異を見抜かれたのだろう。
「で、ヤン先輩を犠牲の英雄にして、パトリチェフのおっさんを犯人に偽装して
口を拭って退役する気だったんだろ。
彼が見抜いてくれなけりゃ、ムライのおっさんは死者二名の捜査をしただろうよ。
俺たちにとっちゃ、足を向けて寝られんほどの恩人さ。
何の
忍びないじゃないか」
「この本がきっかけになって、ケーフェンヒラー大佐の血縁者が見つかると思いますか?」
「そうなったらおとぎ話なみのハッピーエンドだが、期待はできないな。
帝国本土で、ベストセラーになるとは思えんからなあ」
「そうですね。どちらかといったら発禁図書でしょうねぇ」
「が、帝国の軍務省やら内務省はどう出ると思う?」
「…………なるほど」
ユリアンが浮かべた表情は、年長の悪友の影響を色濃く受けたものだった。ヤンが見れば『誰に教わったんだ』とショックを受けるのではないだろうか。
実は、アッテンボローはユリアンにこの話を持ちかけるにあたって、ケーフェンヒラー男爵家について、帝国内務省に質問状を送ってあった。
ヤンの報告書には、ケーフェンヒラー老人の経歴がかなり詳細に記載してあった。ケーフェンヒラーは男爵だった。おそらく長男として父の後を相続したのだろう。結婚して間もなく、妻が他の男のもとに出奔し、その男との子を出産したこと。彼は妻との離婚に応じないまま捕虜となったので、子どもはいない。
彼が生きていたら九十六歳、もしも弟妹がいたとしても、相当な高齢である。その子や孫には、捕虜になった彼の存在が知らされているのか。だが、それはケーフェンヒラー家が存続しているのが大前提である。
それを聞かされたユリアンは、浮かない表情で言った。
「リップシュタット戦役でどうなったか、でしょうね」
「ああ、内務省に送った質問状は未だに梨のつぶてだ。
この一年半、一月おきに催促してこれだぞ。
単に黙殺されているのか、あちらさんにも記録がないのかも分からん」
門閥貴族を武力で排除したものの、貴族階級は旧帝国の知識階級でもあった。文官不足は今なお深刻である。
新領土の統治は、旧同盟の星系自治体組織の上に、帝国の行政官を配置する方法で行われている。たとえデータがあっても、地元民の知識とマンパワーには絶対に敵わないからだ。故ロイエンタール元帥に匹敵する統治能力の持ち主が現れない限り、再び新領土総督府を置くことは不可能だろう。
だが、帝国本土にこそ重大な問題があった。帝国本土の貴族領の多くを皇帝直轄領としたため、そちらにも行政官を配置しなくてはならないが、地方自治が整備されていた新領土よりも、貴族領ごとの民生格差はひどいものだった。特に、大貴族ほど民生を軽視しており、農奴階級は戸籍の整備もされていないことがざらだった。
これをこの十数年で挽回してきたわけだ。やはり、後回しにされるものが出てくる。
「激動の時代でしたから、新しい記録の方が整っていないんですよね」
ため息混じりの若き歴史学者に、中年ジャーナリストも相槌をうった。
「同盟の記録を接収したのとは訳が違うからなあ。新帝国に余裕がないのは分かるさ。
ただな、こいつは危険なことだぜ。皇帝ラインハルトの功績は巨大なものさ。
あいつが、軍事政治の天才で金髪の美形だったことは否定は出来ん。
だが、賞賛と崇拝だけで祭りあげられれば、ルドルフよりも毒だね」
「神格化される、そうですね」
「同じことがヤン先輩にも言えるのさ。いや、もうなりつつあるな。
表面的に見れば、皇帝が勝てなかった相手で、
奴と違って一人の民間人も犠牲にしちゃいない。
同盟が存続している間、民主主義と法に則って行動してる。身辺も清潔この上ない。
おまけに、報道される限りでは、温和で理性的で公正な紳士だった。
どうだ、俺は嘘は言っちゃいないぞ」
「言わないことも多々ありますけどね」
ダークブラウンの瞳に、懐かしい光景がよぎる。初めてヤン家を訪れた時、パジャマに歯ブラシをくわえて玄関に出てきた寝癖だらけの青年。積まれた本と、かびとほこりが同居の友だった。
公的に残された発言は理性的なものが多かったが、不条理には決然と抗った。時に温和な毒舌で、時に鋭い舌鋒で。公的に残せなかったものには、より激しく。
旧同盟政治家のホアン・ルイが、バーラト星系共和自治政府の政治家に転身した時に、例の査問会の内容を語ってくれたものだ。ヤンの皮肉や毒舌は、羽根布団の下の豆粒のようなもので、相手に相応の感受性を要求する。それがダイヤモンドの針と化して、身形のよい下賤の輩に突き刺ささり、惰眠から叩き起こす様子を、ユリアンはまざまざと脳裏に思い描いた。
「そのことを言ういい機会だろ。
あの人が綺麗事を言うええかっこしいだった、って批評されるのはいいんだよ。
先輩は、その綺麗事を本心から尊重して、自分の力の及ぶ限りに実行した。
だから、みんながついていったし、民主共和制の象徴になりえたんだ。
綺麗事も言えない、いい格好もできない指導者になんの価値がある?
その結果、宇宙統一に無駄な流血を増やしたと言われても、
民主共和制を残せたんだ、アムリッツァとどっちがましだと反論できる。
だが、民主主義擁護の英雄にして不敗の名将、
非の打ちどころのない聖人君子なんて言われたら」
きっと、鏡に向かって『どちらのヤン・ウェンリーだろうね。おまえさんとは同姓同名だが大した違いさ』と顰め面をしたのではないだろうか。
「否定はできないんですが、納得もできませんね。
連戦して不敗というのも、もう後のない状態で戦い続けるしかなかっただけです」
「そう、政府が悪い! だが、それは国民一人一人の罪なのさ。
民主主義ってのは衆知を集めてやっていく体制だ。
そいつが衆愚になっちまって、国民によって浄化もできなかった。
ちゃんとチャンスはあったのにな。
だから、先輩はおまえを、いや子どもたちを戦場に出さなくていいようにしたかったんだろう」
アーレ・ハイネセンの精神を尊敬し、戦争を嫌い抜いた黒髪の青年。民主主義というものを、ユリアンに繰り返し説いてくれた、懐かしい優しい声。いつも分かりやすく、時に厳しく、自由と責任、個人の権利の尊重を教えてくれた。
「参政権ですね。子どもにはなかったから」
「ご明察」
アッテンボローは冷めたコーヒーのカップを目の高さに掲げて、ユリアンに敬意を表した。
「ヤン提督は、運命とか宿命とか、そんな言葉を嫌っていました。
たとえ、少ない選択肢でも自分が選んだことなんだからと。
でも、子どもには政権を選ぶ力がない。だからなんですね」
「俺はそう思っている。だったら大人がなんとかすべきだと先輩なら考えたよ。
きっと、おまえさんのおかげでな。
あの人は欠点も多い人だが、おまえにはいい父親だったろ?
きっと、十六歳の自分にいて欲しかった存在として振舞ったんだよ。
本心から、でも無意識にな」
ヤンが師父ならば、この人は兄のようなものだ。もう二十年来の付き合いになる。まったく、年月は早く過ぎるものだ。
「どうして、そこまでしてくれたんでしょう」
ユリアンの質問に、アッテンボローは片眉を上げた。
「そりゃあユリアン、身内の縁の薄さといったら、ヤン先輩よりおまえの方が上だぞ。
士官学校にいた頃な、俺は進学問題で親父と揉めてたんだ。
その事を愚痴ったら、自分は墓石に文句を言うしかないって、ぽろっとこぼしたよ。
だが、おまえが文句を言う墓石には、『ミンツ』の名が刻まれているか?」
優しい声だった。
「おまえさんを責めてるわけじゃないよ。
覚えていない相手や気の合わない相手に、愚痴の言いようもないからな。
それでも、おまえの家族は、紅茶や家事の達人ぶりのなかでちゃんと生きてる。
先輩の親父さんも、あの人の言動の中に生きていて、俺たちはそれを覚えてる。
だが、このケーフェンヒラー大佐はどうだ? 」
彼の最後の日々を共に過ごし、最期を看取った人たちはあの日天上へ去ってしまった。同盟軍の機密事項となっていたため、その存在を今まで公にすることもできず、独り惑星マスジッドで眠っている。
「子どもはいないし、親類縁者も所在不明。内務省からも回答なし。
だが、軍務省と内務省が動けば、状況は変わるんじゃないか?」
「そんなにうまくいくでしょうか?」
「勝算はある。もし見つからなくても、本がベストセラーになれば、
印税でケーフェンヒラー基金を作ろう」
ユリアンは懐疑的な目を向けた。
「それこそ何とかの皮算用ですよ。で、基金でなにをするんです」
「毎週の花束と、月命日には帝国のビール。これでどうだ?」
「乗りました。あんまり印税がなくても、お墓参りには行きましょう」
「ああ、そうだな。そうと決まれば、キリキリと書いてもらうぞ。
締め切りは二か月後だ。いいな」
本業を抱えた大学准教授は悲鳴を上げた。
「短いですよ! せめて三か月!」
「それじゃ間に合わん」
新聞社社長は、腕組みをしてにべもなく言い捨てた。
「では、二か月と二十五日でお願いします」
「おまえね、そういうとこはヤン先輩を見習わなくてもいいんだぜ。
あんなに素直で可愛かったのに、汚れた大人になっちまって。二か月と五日!」
「何をおっしゃいますか。周囲みな教師だったんですからね。二か月と十五日で」
「じゃあ、二か月と十日、締め切りは11月10日だ」
「一日少ないじゃありませんか」
冷然と見やる元中尉の瞳を、平然と見返した元中将は舌打ちをした。
「気付かれたか。まあ、切りもいいところで11月11日にするか。
それでは『エコニア・ファイル』プロジェクト、始動だ」
「そのタイトル、絶対に再検討していただきますからね!」