銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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ムライの名については、筆者の命名となります。


第一章 迷宮にアリアドネを探して

「アッテンボローさん、なんですか、それは?」

 

「歴史学者ヤン・ウェンリーの未完の考察さ。

 あと一年ちょっとで期限が来るが、それまでは秘密だ。

 俺も一応は旧同盟軍人なんで、筋は通さないとまずいんだよ。

 で、おまえさんに頼みたいのは、彼らにまつわる資料を集めるのと、

 そこから導き出される事象を、まとめてほしいんだ」

 

「ブルース・アッシュビーというと、リン・パオ、ユースフ・トパロウルと並ぶ英雄ですね。

 ジークマイスターとミヒャールゼンというのは、名前からして帝国軍人でしょう。

 一体、どういう関係なんですか」

 

「それを調べるのがおまえさんの役目だよ。

 ユリアン、先輩の回想録もいいが、ここらで気分転換を兼ねて一儲けしないか?」

 

 四十歳を越えてもいまだに若々しい元提督は、青灰色の目に企みの色をのせた。黒髪の先輩の薫陶(くんとう)よろしき、狡猾な作戦案を練っていた時と同じ表情である。それを胡散臭げに見やり、形のよい眉を寄せるユリアンだった。

 

「急に俗っぽいことをおっしゃいますね。何を企んでいるんですか」

 

「俺も事業主としては、社員を食わせなきゃならんからなあ。

 おまえさんだって、収入はあるに越したことはないだろ。

 ヤン先輩の希望を継いで、なおかつ帝国の連中を出し抜けるんだぞ。

 なあ、興味はないか? エル・ファシル脱出行の直後のヤン少佐の秘された任務ってやつに」

 

 ブルース・アッシュビーは、歴史学者にとって魅力的な題材である。おまけに師父の名を出されて、ユリアンは陥落した。ヤンの回想録をまとめる準備をしながら、行き詰まりを感じているのを、アッテンボローは察したのかもしれなかった。

 

 ユリアンは、今日三十歳になった。少年時代には見えていなかった師父の真価を折々に思い知らされる。いつかは追いついて、影なりとも踏める日が来るのかと思っていたあの頃。

 

 自分の遥か前を走っていた人はその歩みを止め、自分は今も歩き続けている。だが、彼と自分は同一平面上を歩んではいなかったのだ。その隔絶した高みまで、急斜面を四苦八苦して登っても、届くことなく生を終えるような気がする。

 

「ただな、あんまりがっちがちに固める必要はないぞ。

 あくまで、ヤン先輩の若き日の知られざるエピソードといった位置づけだからな。

 本腰入れて取り組んだら、そいつはそいつで底なし沼さ」

 

「答えは自分で調べろということですね」

 

「そういうことさ。

 まあ、俺は俺で、当時の関係者にインタビューをするんだが、まずいよなぁ」

 

 『伊達と酔狂』の体現者は、鉄灰色の髪をかきまわして渋面を作った。

 

「どうしたんです、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵でもいるんですか?」

 

「当らずしも遠からずだよ。ムライのおっさんがいるんだ」

 

 ダークブラウンの瞳が、驚きに見開かれる。

 

「ヤン提督は、その時にムライ参謀長と知り合ったんですね。初めて知りました」

 

「もう一人いたんだがな」

 

「誰ですか」

 

「パトリチェフのおっさんさ。

 ヤン・ウェンリーは、二十一歳の頃に将来の正副参謀長を見出していた!

 なんて、それだけでも売れそうだろ? 

 まあ、ぼちぼち進めてくれよ。重要事項の指定解除まで一年半あるが、

 そいつが公開されてからは時間がないぞ。

 先輩の四十七歳の誕生日に出版してやろうじゃないか。

 あの世でせいぜい悔しがらせてやりたいだろ?」

 

「本当にそうですね。きっと、僕らのことを羨ましく思われるでしょう。

 ところで、当時の関係者へのインタビューに、僕も参加させていただけないでしょうか」

 

 ユリアンの申し出に、アッテンボローは青灰色の瞳にしてやったりという色を浮かべた。『歩く規律』ことムライ参謀長にも、ユリアン・ミンツ中尉の受けはよかったのである。こうして、アッテンボローは緩衝材も巧みに入手したのだった。 

 

 アッテンボローは、手土産のブランデーをユリアンと自分のグラスに注ぐと、グラスを持ち上げた。

 

「では、ユリアン・ミンツの健康と今後の健闘を祈って乾杯だ。

 それにしても、おまえさんは三十歳になることを嫌がっちゃいないんだな」

 

「子持ちの既婚者に、年齢も何もありませんよ」

 

「あ、おまえね、そういう言い方は可愛くないぞ」

 

「三十男が可愛い方が問題でしょう」

 

「ま、確かに言えてるか。じゃあ、改めて乾杯だ」

 

 澄んだ音を立てて触れ合うグラスの中、揺れる琥珀の波。彼らを結びつけた人が、特に好んだ銘柄だった。

 

 それから、大学の仕事の傍ら、ユリアンの調査が始まった。宇宙はほぼ統一されたが、ハイネセン共和自治政府国民にとって、銀河帝国は『外国』である。これこそが歴史的な快挙なのだ。旧帝国と旧同盟の百五十年戦争中は、互いを『銀河連邦の簒奪者』『叛徒』と罵り合い、国家として認めていなかった。

 

 それぞれを独立した主権ある国家と認め、両国の憲法に『外国』への移住と国籍の離脱、選択を認めた。両国間で国際法を制定し、法に基づいて外交を行う。これにより、国籍を変えることなく、旅券の所持と出入国時の審査のみで、国家間の行き来を可能にしたのである。

 

 

 法に(うた)ってしまえば、たったこれだけ。だがこの法がなかったからこそ、百五十年間にわたって無数の人命を奪い、それに数十倍する悲嘆と憎悪を生み出した。

 

 この国際法は、銀河連邦成立以前、星系政府ごとに『外国』という概念があった時代の法律が基礎になっている。およそ八百年以上は前のものだ。

 

 ラインハルトの死後まもなく、この構想を聞いた銀河帝国の首脳部――特に文官――は、大いに驚かされた。エル・ファシルの独立宣言から二年弱。イゼルローン共和政府に至っては、一年足らずの歴史しかない。これは、到底短期間で構想しうるものではない。

 

 やはりというべきか、黒衣(くろこ)は故ヤン・ウェンリー元帥である。彼は、第七次イゼルローン攻略で、同盟は帝国と講和を結ぶ条件が整うと考えていたようだ。もともとは、銀河帝国と講和を結ぶことができるならという仮定の下で、考察された案だったという。これを聞かされたとき、(かえ)らなかった和平の卵を思い、人々から惜しむ声が絶えなかった。

 

 アムリッツアの大敗で、二千万人が帰還しなかった旧同盟だけではなく、焦土作戦で飢え、その後に『神々の黄昏』作戦により、数多くの死者を出した帝国からも。

 

 ともあれ、旧同盟領と帝国領との往来は、大幅に平和的なものになった。それまでの百五十年、国家レベルでは軍事侵攻、個人レベルでは亡命が交流方法のすべてだった。なんとドラスティックに変革されたことか。フェザーンにはバーラト星系共和自治政府の駐留事務所が置かれて、ハイネセンではその逆である。

 

 帝国の情報の入手も、格段に向上した。特にゴールデンバウム朝の資料は、現王朝の清新さを

強調する意味もあって、飛躍的に公開が進んだ。前王朝が続いていたら、絶対に公開されることはなかったであろう、流血帝や痴愚帝の行状まで。

 

 しかし、アッテンボローから教えられたミヒャールゼン提督暗殺については、非常に資料が少なかった。ヤンが調査していた時代でさえ、すでに三十七年が経過していた事件である。それからさらに四半世紀を(けみ)して、生存している証言者候補の平均年齢は九十歳以上。

 

 彼らのほとんどは、人事異動発表のために、軍務省に居合わせた二十代の若手士官である。当然、階級も年齢相応であり、中佐が最高位だった。彼らにとっては、中将ミヒャールゼンは雲の上の存在である。

 

 だが、多数の軍人がいる中での犯行というのが、逆に計画性を示唆するものである。容疑者を水増しさせ、一方で目撃者はいない。犯行推定時刻に、人事発表のトラブルで、千人近い士官から怒号があがる騒ぎが起きていた。これは、軍務省上層部が関与した犯行、むしろ『処置』ではないのか。

 

 軍務省の中で、中将閣下が白昼堂々射殺され、犯人は不明。こんな事件が同盟軍で起きていたら、捜査に当った憲兵の上位者が、まとめて更迭(こうてつ)される失態である。だが、当時の軍務省の資料には、該当しそうな更迭人事が見当たらない。

 

 ユリアンは資料を前に考え込んだ。

 

 そして、ジークマイスター提督の亡命。彼の家庭環境と、ミヒャールゼンとの関係。亡命したジークマイスターは、同盟軍に中将待遇で迎え入れられていた。では、何の職務を行っていたのか。

 

 同時期のブルース・アッシュビーと730年マフィアの戦果。時に戦理に背馳(はいち)した作戦でありながら、結果的には大勝利した第二次ティアマト会戦。彼は、戦局を読むことに長け、勝利の女神よりも時の女神の寵愛を受けていたと僚友に評された。

 

 やがて、ユリアンはこの三題噺の底流にあるものを推測した。それは――――。

 

 一年半が過ぎた。その間、アッテンボローからの課題の調査だけに止まらず、彼と一緒に当時の関係者に話を聞いて、若き日の師父の横顔を垣間見ることになったり、ユリアンにとっては思いがけず楽しいものだったのである。

 

 インタビューの相手は錚々(そうそう)たるメンバーだった。

バーラト星系共和自治政府事務総長、アレックス・キャゼルヌ

同、フェザーン駐留事務所長 ムライ・マサノリ

同、教育省長官 シドニー・シトレ

ほか多数。

 

 当時のエコニア捕虜収容所のナンバー3として、ヤン少佐は赴任した。本来ならば、上官二名にもインタビューがしたかったのだが、当時の所長は、公金横領と背任罪などで起訴され、懲役中に病死していた。副所長は、アムリッツア会戦で還らぬ人になっている。

 

 故アルフレッド・ローザス退役元帥の孫娘だった、ミリアム・ローザスには、ヤンの遺品の住所録の宛先に手紙を送ったが、所在不明で返送されてきた。

 

「ヤン提督が、同盟軍の人事記録を更新し続けたとは聞いていたけど、

 これ相当なものよ。人事部は何考えてたのかしら」

 

 薄く淹れた紅茶色の髪をしたユリアンの妻は、資料整理を手伝いながら、呆れたような口調で夫に言った。

 

「なにこれ、エコニア捕虜収容所在任、宇宙暦788年11月9日から11月23日って。

 たったの二週間よ。往復の移動時間の方が長いじゃないの」

 

「あ、本当にそうだね」

 

「収容所での捕虜叛乱発生が11月9日!? 着任したその晩ってどういうことなのよ」

 

「これは、ムライ事務長に伺ったことだけど、エル・ファシルの英雄が、

 辺境の捕虜収容所にやってきたから、汚職に手を染めていた所長が

 疑心暗鬼にかられたそうだよ」

 

 淡々と経緯を語って、最後に『困ったものだ』と付け加えた元参謀長を思い起こし、ユリアンはくすりと笑った。

 

「それこそ、パトリチェフ副参謀長が、ムライ事務長に言った与太話みたいにね。

 ヤン少佐が、統合本部からの特命で派遣された秘密監査員に違いないって」

 

「ちょっと、冗談でしょ」

 

「カリン、僕たちはヤン提督を知っているから、冗談にしか聞こえないよ。

 でも、当時の報道だと、ヤン少佐は大変なエリート扱いをされたそうだよ。

 エル・ファシルの脱出行で、三百万人の民間人を救い、一日で二階級を昇進したんだ。

 それが、辺境の捕虜収容所の参事官に赴任するんだからね」

 

「たしかに、普通はそんな人事はしないわよね。

 統合作戦本部とか、宇宙艦隊司令部とかそういう花形部署に異動するならわかるけど」

 

 ヤン・ウェンリーは、その敵手だった皇帝(カイザー)のような美貌の持ち主ではないが、年齢よりも若く見えて、温和そうな表情の、そこそこのハンサムだった。中肉中背で黒髪に黒目と、平凡なだけに反感や嫉視を受けにくい、得な容貌とも言える。何よりもその大功と、ずば抜けた若さから絶大な人気を寄せられたものである。

 

「多分、コステア所長には嫉妬もあったんだろうね。

 兵卒からの叩き上げで、もうすぐ六十歳の大佐と、

 士官学校を出て、たった一年で大功を()てて英雄と呼ばれ、

 中尉から少佐に二階級昇進した相手ではね」

 

 エル・ファシルの脱出行当時、ユリアン・ミンツは六歳、カーテローゼ・V・C・ミンツは四歳。当時、ヤン・ウェンリーの顔は散々報道されたが、五歳前後の子どもにとって大人は大人。おじさんでなければ、おじいさんである。微妙な年齢差など分かるものではない。年齢を重ねていくにつれて、理解することも多いのだ。

 

 こうして改めてヤン少佐の写真を見れば、年齢より二、三歳若く見えるというのも良し悪しである。率直に言って、まだ十代にしか見えない。これでは、エル・ファシルの住民達にさぞ突き上げを食ったことだろう。そして、ただ一人の味方だった十四歳の少女は、より義侠心に駆られたに違いない。

 

 士官学校の先輩と後輩の証言によると、ヤン士官候補生十八歳のみぎりには、すでにそうであったらしい。二十代後半に入れば得でしょうけど、十代なら成長の遅れですよ、とはキャゼルヌ夫人の弁である。結婚前に、ヤンとアッテンボローに手料理を振舞ったことがあるが、先輩と後輩は年齢が逆転して見えたそうだ。

 

 ヤン士官候補生の実技教科の低空飛行も、このハンデが多少影響したようだ。宇宙船育ちの本の虫という生育歴と、努力しても無理なものは無理と割り切る、本人の性格を上回るものではないだろうが。

 

「捕虜の人質になった副所長の身代わりになりに行け、って言うんだものね。

 こんな若い少佐を、叛乱している捕虜の中に放り込んだら、どんな目に遭わされることか……」

 

 カリンは溜息をついた。

 

「そんな命令、突っぱねればよかったのに」

 

「本当にそうだね。でも、上役に味方がいないからそうもいかなかったんだろう」

 

「でも、ユリアン」

 

 カリンは、デスクの後ろに回ると、椅子に座った夫の肩を抱いて、耳元で囁いた。

 

「三六〇万ディナールとヤン少佐の命が引き替えにならなくて、

 本当によかったわ。もし、そんなことになっていたら、

 きっと、私たちが出会うことも、家族になることもなかった」

 

「歴史に『もしも』はないっていうのが、ヤン提督の持論だったけどね」

 

「ユリアン・ミンツ、あんたは賢いのに時々馬鹿ねぇ」

 

 少女の頃そのままの、勝気な笑みを浮かべて、彼女は夫の頬にキスをした。

 

「『もしも』はなくても、考えてはいけないなんてことはないのよ。

 あのヤン提督のことだから、よりよい未来のために現在をどうするか、

 歴史の『もしも』から色々考えたはずじゃないの」

 

「賢者は歴史に学ぶ、か。確かに君は賢者だな。

 でも、着任した日の晩の叛乱だよ。ヤン提督がどうこうするような時間はなかった。

 どうしたのか予想はつくけどね」

 

「あら、どんな予想?」

 

 ユリアンはエコニア収容所の関係者のリストを指でなぞった。

 

「ヤン提督は、人の手を借りるのが上手だったんだ。

 自分が苦手なことは、それが得意な人にお願いしたんだよ。

 きっと、これに載っている、今はいない人にね」

 

 フョードル・パトリチェフ大尉、二十六歳。最終階級は少将。ヤン艦隊発足以来、副参謀長を務めた。司令部の緩衝材などと言われた陽気な巨漢で、司令官とは三次元チェスの好敵手だった。彼が、響きのよい声でヤンの作戦に賛意を示すと、なんとも言えない安心感が漂ったものだ。

 

 一見すると参謀向きには見えないのだが、彼は複雑な事象を、過不足なく単純化して説明することができた。実は貴重な才能である。ヤンが考案し、ムライが細部を詰めて修正した作戦案を、戦艦レベルで実行できるものにする。それを艦隊運用の名手だったフィッシャー中将が統率して、宇宙最強のヤン艦隊となったのだ。

 

 宇宙暦800年6月1日深夜、恐らくは最後まで司令官の楯となったのであろう。多数の銃創は、どれが致命傷となったのか不明である。三十八歳だった。

 

 そしてもう一人。

 

 捕虜収容所の捕虜たちのまとめ役だった、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵。階級は、銀河帝国軍大佐。二十五歳で少佐として軍隊に入り、捕虜になったのは二十八歳。男爵号を持っているということを考慮に入れても、かなり早い昇進である。順当に行けば、ヤンやアッテンボローと同じく、二十代で閣下と呼ばれていただろう。第二次ティアマト会戦で捕虜となり、エコニアでの生活は四十三年間に及ぶ。

 

 宇宙暦789年1月1日、惑星マスジッド宙港にて、急性心筋梗塞により死去。七十一歳だった。


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