銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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伊達と酔狂、日々これ闘争

 文官の人手不足については、バーラト政府が新領土に限って官僚の出向制度を提言した。なにしろ、もともと百三十億人の国家を動かしていた官僚機構はそのままに、十三分の一に国家の規模は縮小している。その人件費は馬鹿にならないし、役職だって足りない。

 

『人手の足りない、新領土の惑星はありませんか。

 人件費を出してくだされば、腕利きがお手伝いにあがりましょう』

 

 新領土の主だった惑星は、一斉に手を挙げた。一番、声が大きかったのは、フェザーン商人の移転で、てんやわんやのエル・ファシルだった。人が増えて、お金も増えたが人手が足りない。

 

 ヤン元帥とロムスキー医師の死によって、バーラト政府の前身、イゼルローン共和政府と袂を分かったのに、図々しいのは百も承知だ。だが、住民の為に力を貸していただきたい。平身低頭して乞われた、主席のフレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンはにこやかに答えた。

 

「とんでもないことですわ。私たちが一番大変だったのは、不正規軍の時でした。

 真っ先に手を差し伸べてくださった、エル・ファシルには尽くせぬ恩があるのです。

 それに、エル・ファシルは私の亡き母の郷里で、あの人との出会いの場でした。

 できるだけの支援を行うことをお約束しましょう」

 

 そして、キャゼルヌとアッテンボローにはこう囁いた。

 

「格好の金蔓、帝国本土への橋頭保、イゼルローン回廊への入り口でしょう。

 頼まれたって、逃がしてあげるものですか」

 

「そう、そのとおり。

 ミュラー元帥がイゼルローン要塞司令官のうちに、密接な関係を築いておきたいですからな。

 選りすぐりの腕利きを送りましょう。たしか、ハンター女史の秘蔵っ子が四、五人いたはずだ」

 

 ヘイゼルと薄茶色が光を帯びて目配せを交わす。青灰色は、恐れを込めて先輩の奥方と先輩の先輩を見つめた。

 

「お見事です……」

 

 アッテンボローは状況判断に優れた男である。間違っても『あんたら似てきましたよね』などとは言わずに、沈黙を貫くのだった。執務室に戻ると、コーヒーカップに向かってぼやく。

 

「……あの可憐な副官嬢はどこに行ってしまったんでしょうね、ヤン先輩」

 

 いや、これが本質と見るのが正解か。ウチの姉貴どもだってそうじゃないか。彼女を可憐な女性にしていたのが、先輩の男としての格だったんだろう。

 

「お願いだから、戻ってきてくださいよ。

 職場が毎日恐怖の場と化しているんですよ……」

 

 秘書のラオはそんな慨嘆にはとりあわず、国防省の決裁書類を積み上げた。

 

「この決裁が終わらないと、次は修羅場になりますよ」

 

「俺に安住の地はないのか!」

 

「生きてる限り、日々これ闘争でしょう。今こそ伊達と酔狂の出番じゃありませんか」

 

「はいはい、ごもっともで。……なんだこりゃ」

 

 アッテンボローは、書類に混じったメモ書きに鉄灰色の眉を寄せた。シャープで無駄がなく読みやすい、事務屋の筆跡だ。彼にとっては、士官学校の一年の秋から見慣れた、八歳上の先輩のものだった。アッテンボローは、キャゼルヌの翌日の昼食の誘いに了承の返事を出した。場所は、政庁近くの三月兎亭の弟子の店の個室とのことだった。

 

 翌日キャゼルヌを迎えたアッテンボローは、注文もそこそこに先輩を問い詰めた。

 

「キャゼルヌ先輩、ちょっとこれはまずくないですかね。

 なんで俺にお声が掛かるんですか。今は一応政治家なんですよ」

 

「仕方がないんだろうよ。非公式のお願いというやつだな」

 

 銀河帝国軍イゼルローン要塞兼要塞駐留艦隊司令官、ナイトハルト・ミュラー元帥による依頼だった。エル・ファシル周辺宙域警護のため、以前提出していただいた、旗艦トリグラフのデータ解析に協力を願いたい。

 

 エル・ファシルはイゼルローン回廊の新領土側出口に近く、この地理的特性から第二のフェザーンになりうる可能性を秘めている。ただ、ここは回廊のボトルネックにもあたり、宇宙船事故の多い宙域でもあった。元ヤン艦隊で、イゼルローン革命軍の実質的な艦隊司令官、ダスティー・アッテンボローの知識が重要視されたのである。彼にとっては、何度となく哨戒した庭同然の場所だ。しかし、それにしても……。

 

「フェザーンにはムライのおっさんもスーン・スールもいるでしょう。

 それに、帝国軍務省がデータ解析すればいい話でしょうが。

 よりによって、俺に訊いてきますか?」

 

「あんな変態的な艦隊運動、真似なんぞできんそうだ。

 せめて、わかるように解説してくれとさ」

 

「そんなこと言ったんですか? あのミュラー元帥が?」

 

「俺なりに要約するとな」

 

 アッテンボローは、迷訳者を横目で睨んだ。

 

「800年と翌年の残骸、着任して二年強で片付け切ったじゃないですか。

 そんな必要もなさそうですがねえ」

 

 ヤン・ウェンリーは、ガイエスブルク要塞の来襲後、その残骸を雷神の槌(トゥールハンマー)で撃つという荒業を行った。これが、後の攻防戦の要となる精密な射程図の素となったのだが、当然要塞周辺にしか届かない。イゼルローン回廊の全長は数光年に及び、それぞれの末端部分に行くためには跳躍航行が必要だ。宇宙の規模からすれば、砂粒に等しい残骸の位置を把握し、的確にそこに到達するのは極めて難しい。ミュラー艦隊の高い航行技術がうかがえる。

 

「さすがは、バーミリオンに一番に駆けつけた良将だよ。

 おかげでエル・ファシルが商都化しつつあるんだ。足を向けては寝られんだろうな。

 だがな、帝国軍は、皇帝ラインハルトのお陰で、いつも正攻法に持ち込めた。

 ああいう、狭っ苦しい宙域は得意の戦場じゃないんだろう」

 

「海賊が待ち伏せするにも、格好の場所でしょうね。

 今はまだいいが、そのうちにはびこりだすでしょう。

 イゼルローン回廊はフェザーンよりも細くて長い。

 大軍を突っ込めないし、小規模を出してもイタチゴッコになる。

 俺たちが散々にやった手ですがね」

 

「要はそいつのことだな。

 フェザーンの二人は参謀であって、艦隊指揮官ではないだろう。

 そのあたりに齟齬(そご)があるらしいんだ。

 主たる考案者のヤンは二刀流の変わり種。おまえさんにお鉢が回ってきたわけさ」

 

 この発言に、そばかすの国防長官は憮然とした表情になった。

 

「キャゼルヌ先輩、結局ヤン先輩のことを変態扱いしてますけど」

 

「ああ、そうなるのか。でも、そうなんだろうさ。

 鉄壁ミュラーとその優秀な参謀長らがお手上げって言うんだからな。

 フィッシャー中将は、そいつを理解して艦隊を運用してたわけだ。

 凄かったんだなあ、まったく。彼が亡くなって、あいつが講和に応じたわけだ」  

 

「本当にそうですよ。そうだ、フィッシャーのおっさんの弟子のマリノは……駄目か」

 

 いい筈がない。バーラト星系警備軍の現総司令官である。たった千隻でも軍は軍。公式だろうが非公式だろうが、『ご相談には応じられません』である。

 

「要するに、ユリアン経由で、おまえさんにオブザーバーになってもらえないかと

 まあこういうことさ。ユリアンも参謀型だからな。

 それに、規模縮小後のイゼルローン軍の指揮しかしていない。

 ミュラー艦隊一万五千隻の参考にはできんさ」

 

「はいはい、わかりましたよ。だが、それは来年まで待ってもらいましょう。

 俺は来期は出馬しないつもりです。下野してから、清々とオブザーバーをやりますよ。

 きちんとギャラをもらってね」

 

「ほう、ついにジャーナリストに進むわけか」

 

 キャゼルヌの言に、アッテンボローは頷いた。

 

「そういうことですね。バーラト政府創立からもう二期です。

 そろそろイゼルローン政府の色を薄めていく頃合いでしょう。

 前線を張っていた俺より、いい人がいる。

 クブルスリー氏を口説き落とせたんですよ」

 

「ほお、おまえさんもやるもんだな。たしかに、あの人ならうってつけだ。

 気力を取り戻してくれたか」

 

「俺よりも、ヤン主席の功ですよ。

 クブルスリー退役大将は、シトレ長官の後継者になれる人でしたからね。

 当選できたら、国防長官はうってつけでしょう。運輸長官だってできるでしょうし」

 

 彼もまた、アンドリュー・フォークによる奇禍に遭った人物だった。同盟軍のクーデターの直前、重傷を負い、一命を取り留めたもののクーデターが発生。国民からの同盟軍への信頼は地に墜ちた。ヤン・ウェンリーがクーデターを収拾し、残務処理を行い出したころ、ようやくベッドを離れることができたのだが、その後なかなか体調が回復せず、精神的にも精彩を欠いて退役したのである。

 

 クブルスリーが、『オーベルシュタインの草刈り』を免れたのは、郷里のアルーシャで療養していたからだ。そして、皇帝ラインハルトの崩御の直前にハイネセンに戻っていた。バーラト星系を民主共和制の自治領として認めるという、講和の条件を聞いたからだ。

 

 最初の選挙の最大の争点となったのは、バーラト星系共和自治領国民の資格をどう定めるかであった。旧同盟領に生まれバーラト星系に在住するものと国民とみなし、異議ある者は国籍を離脱する案。逆に、現在バーラト星系に居住するものは、すべて帝国国民とみなして、バーラト国籍を希望するものが国籍取得を行うべきだと主張する案。

 

 前者がフレデリカ率いるバーラト共和党、後者はアッテンボロー率いるハイネセン自由党である。これは双方の言い分に利点と欠点と理念があった。有権者を考え込ませ、ヤン・ウェンリーの未亡人という肩書きに安易に飛びつかせぬものが。比例代表制選挙だったこともあり、自由党は随分と善戦した。何人かの入閣ができるほどには。

 

 いずれにせよ、バーラト国民とはハイネセンやテルヌーゼンに居住することが条件だった。バーラト国民として生きていくのは困難が予想されたが、それでも移住してきた者は、他惑星に転出した者の数を上回った。

 

 アーレ・ハイネセンが最初に掲げ、アレクサンドル・ビュコックが、ヤン・ウェンリーが、彼らが率いた数百万人が命を賭して守ろうとした、『自由・平等・自律・自尊』の精神の灯火。二百年の間に溜まり、輝きを妨げていた煤を、膨大な人血と涙が洗い流した。

 

 再び眩く燃え上がる炎を掲げるのは、英雄の精神を継ぐ者。彼が愛し、彼を愛した女性だった。豊穣の秋を、髪と瞳に具現化させたような美しい女性だ。彼女は、アンドリュー・フォークによって最愛の夫を失った。フレデリカ・G・ヤンの足跡は、クブルスリーにとってアリアドネの糸となった。

 

 クブルスリーは、シドニー・シトレ元帥の後継者と目されていた。しかしアムリッツァの大敗と軍事クーデターの負傷、退役後に同盟軍は敗北し、バーラトの和約が結ばれた。そのインクも乾かぬうちに、ヤン。ウェンリーの謀殺未遂に端を発した皇帝ラインハルトの大親征が行われた。マル・アデッタの会戦で、アレクサンドル・ビュコック元帥が戦死し、自由惑星同盟は滅亡した。翌年、回廊決戦で帝国軍に講和を申し込ませるまで戦い抜いた、ヤン・ウェンリーがテロにより死亡。

 

 しかし、クブルスリーには何もできなかった。それが彼を大いに苛んだ。帝国逆進攻の際には、彼の指揮する第一艦隊はハイネセン守備のために残っていた。三千万人を動員し、その三分の二が還らぬ、未曾有(みぞう)の大敗。引責辞任したシトレの後を継ぎ、なんとか同盟軍の再建を果たそうとしていた矢先の軍事クーデター。無傷だった第11艦隊は救国軍事会議に与し、ヤン艦隊に牙をむいた。あのアムリッツァの会戦で、殿軍を務めてなお、麾下の七割を生還させたヤン・ウェンリーに。ドーリア星域の会戦は、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とはかくのごとしと言えるようなものだったが、誰にも喜べるものではなかった。

 

 さらにヤンは、アルテミスの首飾りを一ダースの氷の船で打ち砕き、同時にクーデターの首謀者らの精神を粉砕した。ドワイト・グリーンヒルの自死(・・)により、クーデターは幕を下ろした。ハイネセンへ帰還したヤンは、苦手な残務処理を副官の手助けを借りて完遂させた。クブルスリーの病床を見舞った際は、入院患者の彼に劣るとも勝らぬような顔色だったものだ。

 

 そんなヤンは、数々の激戦を戦い抜いた。バーラトの和約の調印の際、立体テレビが放映した姿は、豪奢な金髪に蒼氷色の瞳の絶世の美青年の傍らにあって、貧相と言えるほどだった。

 

 クブルスリーは知っていた。あの礼服はイゼルローン攻略戦の勝利直後、中将への昇進で作られたものだった。曲がりなりにも艦隊司令官の式礼服だ。きちんと採寸されて、体型にぴたりと合うように仕立てられる。当時も軍人というには線が細すぎて、少しでも恰幅よく見せるように工夫をしたのだと聞いた。それがまったく合わなくなるほど、身を削っての抗戦だった。

 

 クブルスリーが統合作戦本部長として、支えなければいけない人々だった。ヤン・ウェンリーも、アレクサンドル・ビュコックも、チュン・ウー・チェンも。彼らは最後まで国や思想に寄り添い、死を迎えてしまった。途中退場した自分は、のうのうと生きている。クブルスリーは、一時自殺も考えるほどに落ち込んだ。

 

 退役軍人の健康保険に加入していたことが、彼を救った。何度となく送った健診通知に、まったく反応がないことに業を煮やした担当者が、クブルスリー宅を訪問したのだった。黒髪にブロンズの肌の担当者は、夫の様子を心配していた夫人から事情を聞くと、即刻精神科に入院させた。

 

 かなり重症のうつ病だったのである。投薬と行動療法、カウンセリングを組みあわせた治療が必要な段階だった。自殺への警戒と、年齢的に認知症を併発する恐れもある。在宅では危険だという判断だった。入院は二年を越え、その後も通院は続いた。ハイネセンポリスの復興と足並みをそろえるように、少しずつ、だが確実にクブルスリーは回復に向かい、三年越しのアッテンボローのスカウトに、ようやく頷いてくれた。

 

「そういうことで、あと半年ほどミュラー元帥には待ってもらいましょう。

 それにしても、あの真面目くんも、要領のいいやり方を覚えたってわけだ。

 教育した甲斐がありましたね、キャゼルヌ先輩」

 

「ハンター女史のおかげだぞ。とにかく仕事のできるお人でな。

 あの人が管理職に入った部署は、残業が劇的に減るという伝説の持ち主だ。

 リソースの再利用や、無駄な業務の洗い出しがうまいんだな。

 俺も教えてもらった口さ。国防委員会にもいたことがあったからな」

 

「ははあ、なるほどね。人脈を生かすことも教えてもらったというわけですね」

 

「帝国軍の主な将帥は、皇帝ラインハルトに選ばれし者だが、

 互いが円満に協調しているかっていうと、また別問題だったからなあ。

 皇太后が各省庁に皇帝の権限を下ろし、省庁間の均衡を取ったのはうまかったな。

 特に、憲兵隊を警察省として、軍部から切り離したのは大きい。

 この八年間、一番手柄はケスラー警察総監だよ」

 

「同感ですね。そして一番おっかない相手でもあった。

 彼こそが、簒奪(さんだつ)への最短距離にいましたからね。 

 皇太后の侍女を結婚相手として紹介し、姻戚の網で押さえ込むってのは、

 帝国ならではの手法なんでしょうがねえ。ありゃ、妙手でしたよ。

 どの貴婦人か、いいブレーンですね」

 

「おや、おまえさんも閨閥政治がわかってきたようじゃないか」


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