「お久しぶりです、ミュラー元帥。
まずはイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官ご着任について、お祝いを申し上げます」
「ヘル・キャゼルヌ、ご丁寧にありがとうございます」
「それでは、お互い本題に入りましょう。
私の次女の持ち物が、騒動の原因になったとお考えですか?
もしくは、ユリアンが大公殿下が公園に行きたがるように仕向けて、
我々がなんらかの工作を行ったと。
それも、この四年間の大改修や、直近に行う総点検を逃れるようなものを、
イゼルローンに用意できるとお考えでいらっしゃる?
あなたもお役目とはいえ、大変なことですな」
棘だらけの労りが非常に痛いミュラーであった。不敗の魔術師が最初から白旗を上げた相手に、自分が勝てるはずもない。
「いいえ、そうとは考えられません。
大公アレク殿下と随員が見たものが、立体映像だったとしたら、
警備部隊や監視員に目撃されなかったのは不自然です。
画像には音声がありませんでしたが、三人ともヤン元帥の声を聞いたそうです。
この立体写真キューブと結びつけて考えるには無理がある。
ですが、持ち主が分かる以上は、事情を伺うべきだと判断した次第です」
「あなたが理性的な方だったことに感謝すべきなんでしょうな。
私に話していただいてよかったですよ。
こんなことを血の気の多い連中が耳にしたら、お祭り騒ぎを起こすでしょう。
まあ、そちらの対応いかんによっては、私が口火を切ってもよろしいですが」
この五年間、自国の行政に、帝国との交渉に、辣腕を振るってきた怜悧な行政官の長が静かに激怒している。彼がその気になって、旧同盟の各星系自治体に働きかければ、帝国から派遣された行政長官は翌日を待たずに叩き出されてしまうだろう。
「ヘル・キャゼルヌ……」
「無論、冗談ですよ」
にこりともせずにキャゼルヌは続けた。
「皇太后陛下は、そんな対応などとらんでしょうからな。
七年前のことをお忘れになるような方ではありますまい」
永久凍土でできた極太の釘が、帝国軍人たちの心臓に打ち込まれた。
ミュラーは息を呑んで答えた。
「肝に命じます」
「なによりも、あいつが一番望まんことです」
「キャゼルヌ事務総長、そんなにミュラー元帥をいじめるものではありませんわ。
あの人も、私のところに来てくれればよかったんですのにね」
美しい声が、事務総長の背後から会話に割り込んできた。モニターの視界が切り替わり、新たな人物が通信に加わった。金褐色の髪と、ヘイゼルの瞳をした、声に劣らぬ容姿の女性である。
「これは、ヤン主席……あなたにまでご足労いただくとは……」
新銀河帝国の四十分の一の人口とはいえ、唯一の独立国家の
「いいえ、今の小官はヤン・ウェンリー提督の副官、グリーンヒル退役少佐です。
そして、もう一人の証人はキャゼルヌ事務総長のお嬢さんですわ」
歩み出て一礼したのは、ロイヤルミルクティの髪に、薄茶色の瞳をした少女だった。いかにも利発そうで生き生きとした表情が、可愛らしい顔を彩っている。
「初めまして。私はシャルロット・フィリス・キャゼルヌと申します。
リュシエンヌ・ノーラの姉です」
「下の娘は、いま中学校のサマーキャンプに参加をしておりましてな。
もっとも、あの写真を撮ったのは、あれが四、五歳の頃のことです。
はっきりとは覚えておらんでしょう」
「あの写真は、妹が五歳の時のものです」
シャルロット・フィリスははっきりと断言した。
「ユリアンおにいさまの初陣祝いの時だもの。
あの写真キューブは、その前のクリスマスプレゼントだったから、間違いありません」
「おい、よく覚えてるな」
「ヤンおじさまが花束を持ってきたのは、その一年前です。
私達がイゼルローンに着いてすぐのことよ。お父さん、覚えていない?」
「俺は、おまえさんが覚えていることのほうが驚きだよ」
父親の顔を見せたキャゼルヌは腕組みをした。
「たしか、宇宙暦797年1月22日のことね」
さすがはコンピューターの又従妹と評された、有能な元副官である。瞬時に脳内で上官のスケジュールを検索したらしい。
「日付ははっきり覚えていないけれど、多分そうです。
だから、あのキューブには花束を持ったおじさまは映っていないはずです。
あれは、一年後の写真だもの。服はおんなじだけど。
それに、もっと言わせていただけるのなら、あのキューブは第九次攻略の避難の時には、
もう見当たらなかったわ。でも、私も妹もあの公園には行ったことがありません」
「すごいわ、シャルロット。あの人の服装まで、よく覚えていたわね」
宇宙暦797年当時、キャゼルヌ家の長女は七歳である。その詳細な記憶にフレデリカは脱帽した。
「あの服は、おじさまのお気に入りだったんだと思います。
ユリアンおにいさまが見立てただけあって、よく似合ってて、大学生みたいで可愛かったし。
母へのお土産なのは残念だったけど、初恋の相手からの花束よ。
たった九年前のことだもの、忘れるはずがないでしょう。
ねえ、
「そうねえ、シャルロット。今、思い出したのだけれど、
確かあなた、私が新婚の頃はフレデリカおねえちゃまって呼んでいたわよね?」
「ええ、お夕飯のシチューを焦がして駄目にしているうちは、
ヤンおじさまの嫁とは認められなかったんだもの」
ヘイゼルが緑の炎を発し、薄茶色には金の稲光が閃いた。銀河帝国の元帥も大将も、女の戦いの前にはまことに無力なものであった。フレデリカは頭をふった。キャゼルヌ家の長女は、瞳の色だけではなく、舌先も父親似だ。この分野の不利を覆すべく、時間という利点で切り返す。
「シャルロット・フィリス、あなたが恋敵でなくてよかったわ。
でも、あの人に目を付けたのは私の方が先ですからね」
驚愕したのは、彼女らの想い人の先輩だった。
「おいおい、シャルロット、あいつに俺をお義父さんと呼ばせる気だったのか!?」
「お父さんったら、よくある幼い初恋の話じゃない。
ヤンおばさまが副官として現れるまで、私は本気だったけどね」
「その、まあそういうこともありますよ」
女同士の会話に少なからぬ衝撃を受けた父親に、弁解じみた相槌を打つミュラーである。立ち会っていた帝国軍の幕僚たちは、この人事を行った三高官の先見の明に心から感謝した。
これが、会話を
周囲の大人たちの思惑をよそに、シャルロットは続けた。
「殿下たちがご覧になったおじさまが、『独身の間はお兄さんと呼んでほしい』
と言ったのなら、幽霊ではないと思います。
私がそう呼ぶと、同じことをおっしゃいましたから」
「では、フロイライン、あなたは何だとお考えですか」
モニターの向こうの遠慮のない遣り取りに、先ほどとは違う意味での緊張を強いられていたミュラーは、ようやく現れた話の接ぎ穂に飛びついた。
「私は正解はないと思います。ユリアンおにいさまの話がきっかけになって、
イゼルローンという場所が見せた幻なのかもしれないし、
父が言うような凄腕の工作員が、絶対にいないとは断言できないでしょう」
キューブ自体は紛失してしまって、思わぬ形で発見されたが、画像データそのものはキャゼルヌ家とヤン家のコンピュータに保存されていたのだ。第九次イゼルローン攻略時、そしての帝国への返還の際にデータの消去は行っているが、復元できる技術者は皆無ではないだろう。
「そういう奴がこちらにいるなら、我々はこんなに苦労をしておりませんがね。
かといって、帝国の人間がやるメリットは全くない。不敬罪で処罰されるだけでしょうよ」
「ええ、なかなか深刻ですよ。アレク殿下はすっかり怖がってしまわれまして。
フェリックスくんは慰めるほうに回ってくれていますが、怖いことに変わりはないでしょう」
「では、こういうお話ならいかがかしら」
それまで聞き手に回っていたグリーンヒル退役少佐が、いたずらっぽい微笑を浮かべて言った。
「私はヤン提督の副官をしておりましたけれど、ひとつタネの分からない魔術がありましたの。
ひょっとしたら、これがヒントなのかもしれませんわ」
そう前置きして、フレデリカが語ったのはそれほど長い話でなかったが、ミュラーは得たりと頷いた。
「大変いいお話です。ヤン主席、ご多忙な中でお願いするのは誠に恐縮ですが、
アレク殿下たちに、もう一度そのお話をお聞かせ願えませんか?」
「キャゼルヌ事務総長、まだ時間は大丈夫かしら?」
「銀河帝国との友好以上に、重大な用件などありません。
益体もない利権屋の陳情なんぞ、待たせておいてもかまわんでしょう」
「では、事務総長のお墨付きをいただきましたので、喜んでお話しますわ」