「こんにちは、
ブリュンヒルトからの
「私は、ユリアン・ミンツと申します。
イゼルローンとヤン提督のことについて、ご質問がおありだとか」
「こちらこそ、はじめまして、ヘル・ミンツ。ぼくのことはフェリックスと呼んでください」
フェリックスが挨拶をかえして、深々とお辞儀をしたので、アレクもお辞儀する。愛らしい様子に、画面のこちらとむこうで微笑がおこる。
「では、私のこともユリアンと呼んでください。
実は、お二人が赤ちゃんのころにお会いしてるんですよ。大きくなられました」
それは、
感慨が胸に迫ってくる。もう五年、あるいはたった五年。皇帝との三十日余りの日々は、ユリアンの中で終生薄れることはないだろう。師父との二千日あまりの日々とともに。
「ぼくたちは、おととい『イゼルローンのれきし』を読みました。
このお話はぜんぶ本当なんですか」
フェリックスの言葉に、ユリアンは苦笑を浮かべた。事前に送ってもらった『イゼルローンのれきし』は、事実を簡潔に、淡々と列挙してあった。前王朝からは考えられない内容で、書いた部下と許可した上司と、いずれも豪胆な人たちだとユリアンを感嘆させた。敗戦を率直に認めて検証する。この姿勢こそが、新帝国と旧自由惑星同盟の明暗を分けたのだ。
「たしかに、起こった出来事は本当です。
でも、それをどう思うのか、人の数だけ違う見方があるというのがヤン提督の意見でした。
そして、それぞれの見方が全部違っていても、それが全部正しいこともあります」
なぞなぞのようなユリアンの言葉に、アレクとフェリックスは顔を見合わせた。周囲を飛び交う疑問符が見えてきそうな表情である。ユリアンは小さく笑うと、なぞなぞのヒントを出した。
「例えば、アレク殿下もフェリックスくんも青い瞳をしていますね。
自分の目が相手より薄い色だと思うのか、相手が自分より濃い色だと思うのか、
事実は一つでも感じ方は違うでしょう。
アレク殿下とフェリックスくんが、どう感じるのかも一緒とは限りません。
でもどちらも正しい。そういうことです」
「ええと、帝国から見たのと、ユリアンさんから見たのとはちがうってことですか」
フェリックスの言葉に、ユリアンはにっこりと笑った。
「私は第七次イゼルローン攻略の時は、まだ中学生で留守番をしていました。
だから、この時はヤン提督のなさったことに、びっくりして大喜びしただけでした。
皆さんには失礼なことでしょうが、お許しください」
「ヘル・ミンツ、あなたの立場なら当然のことです。お気遣いをなさいますな」
ミュラーの言葉に、ユリアンは決まり悪げな顔をした。
「第八次攻略の時はイゼルローンにおりましたが、
ヤン提督が同盟政府に呼び出されていましたから、
私たちは一月近く司令官がいないのに戦わなくてはなりませんでした。
第九次の時は、私は軍務でフェザーンにおりまして、
第十次ではヤン提督の方がエル・ファシルにいらっしゃったんです。
こうして思い返してみると、イゼルローンの戦いで、
ヤン提督と私がずっと一緒だったのは回廊決戦くらいなんです。お役に立てるかどうか」
ユリアンはほんの一瞬ダークブラウンの瞳を伏せたが、すぐに笑顔を作った。
「たしかにこのお話を読むと、帝国軍のえらい方々が
ヤン艦隊にいいようにされてしまっているように感じられるでしょう。
でも、私たちの見方は違います。
アムリッツァの大敗の後では、帝国相手に戦えるのは
ヤン艦隊しかなかったということなのです。
同盟のなかでは、ヤン提督はイゼルローン要塞と駐留艦隊の司令官でしかなかったのですが」
「でも、ずっと勝っていたのはほんとうでしょう? ぼく、すごいとおもいます」
「ありがとうございます、アレク殿下。
しかし、私がそう言ったとしてもヤン提督はこう答えたと思いますよ。
『ユリアン、言葉は正確に使いなさい。勝ったのではなくて、負けずに済んだだけさ』と」
彼の師父は、温和な表情と口調で辛辣な言葉を口にする人だった。その人が心から感嘆し、賛辞を惜しまなかった相手は。
「ヤン提督は、戦争の準備が一番大事だと繰り返し教えてくれました。
相手より多くの戦艦や人を準備して、その食料や武器に船の燃料、
強い指揮官を沢山揃えて、兵士に充分な訓練をすること。
アレク殿下のお父様、皇帝ラインハルトの戦略そのものでした。
何度も戦争の天才、歴史が生んだ奇蹟だと繰り返し誉め讃えていたのです」
父を誉められた大公殿下は、照れて頬を赤くした。父ラインハルトの功績は、みんなから聞いているけれど、アレクは顔も覚えていないのである。宇宙統一の業績と華麗な容姿を、難しい美辞麗句で教えられても、おとぎ話を聞いているようで実感が薄い。
父の最大最高の敵手の、元被保護者の言葉は、今までにないほど分かりやすく父のことを誉めていたのだ。ユリアンの配慮もあったが、語学力の問題でもある。しかし、これはこの際プラスに作用した。
「そして、皇帝ラインハルトの下に集まった方たちのこともです。
ヤン提督は『なるべく楽に戦い、負ける戦いはしない』と言って、苦心していましたから」
「ユリアンさん、それは七回めも、八回めも、
ヤンげんすいは勝てると思っていたってことなんですか」
フェリックスの疑問に、ミュラーは溜息を吐いた。第八次攻略戦で惨敗し、バーミリオン会戦では四回も乗艦を替えることになった身には苦いものである。もっと言うなら、バーミリオン会戦でも、回廊決戦でもヤン・ウェンリーに勝算はあったということなのだ。実際にそのとおりであったのは間違いない。
「まあ、手玉に取られた者としては、返す言葉もありませんが」
「ミュラー元帥、お気を悪くされたなら申し訳ありません。
ヤン提督にとって楽というのは、一人でも部下の戦死が少ない方法のことです。
軍部のクーデターの時には『ろくでもない戦いだから勝たなければ意味がない』と
兵士に向けてスピーチしたんです。
パーティの時は二秒で済ます人だったのに、あれがヤン提督の本音でしょうね。
そして、『勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ』と続きました」
ブリュンヒルトの艦橋で、ユリアンと通話をしていた大人達は唖然とした。司令官として、帝国軍では考えられない発言だからだ。
「その計算の難しさを、誰かに見せる人ではありませんでした。
ところでアレク殿下、フェリックスくん、
ヤン提督は同盟では『魔術師』とも呼ばれていたのは知っていますか」
「はいっ」
元気な返事の二重唱に、再び二つの陣営から微笑が起こる。
「そう、『
君たちは手品を見たことはありますか?」
「えらんだトランプをあてたり、ハトをおぼうしから出したりするのだよね」
「ええアレク殿下、同盟では大変上手な手品師のことを『魔術師』とも言ったんですよ。
つまり、ヤン提督の『魔術』には種も仕掛けもありました。
見ている相手からはそれが分からないけれど、私たちは舞台の裏方です。
種も仕掛けも少しは分かっているつもりです。でも、驚かされることの方が多かったですよ」
「ヤン提督の一番弟子の卿にもですか」
帝国の将兵で、ヤン・ウェンリーに直接対面した者は数少ない。その数少ない人間の中で、現在最高位なのはミュラーだろう。
二度も苦杯を舐めさせられた相手だったが、バーミリオン会戦停戦後、単身ブリュンヒルトを訪れた黒髪の敵将に好感と尊敬の念を抱いたものである。線の細い学者にしか見えない、一見おとなしそうな青年は、下手な冗談さえ交えて、ミュラーを賞賛したのだった。
「その、何て言ったらいいのでしょう。例えば、こういう状況になったら、
艦隊をこのように配置するという訓練や準備をしたとしましょう」
「ええ」
ミュラーは同意した。艦隊司令官であるなら当然の準備だからだ。
「それで、実際に戦いの中で、そのような状況になって、指示のとおりに動いたら勝てました。
では、どうしてヤン提督はそんな状況になることを考えついたんでしょう」
「なるほど、種や仕掛けを知っていても、
その発想はヤン元帥にしか分からないということですか」
「いえ、奇策の鮮やかさで誤解されてしまうことが多いのですが、
ヤン提督は勘や思い込みで作戦を考えるというのを嫌いました。
なるべく正しい情報を沢山集めて、自分の思い込みや好き嫌いをしないで、
いろいろな方向から物事を考えるんだよ、と私に教えてくれたものです。
何か先のことを考えても、相手がどう出るかはわかりません。
相手の出方もコントロールすることや、いろいろなことを考えて、
負けないような方法を考え付くまで戦いをするべきではないと、常々おっしゃっていました。
戦い始めたら、敵か味方かあるいは両方の、
沢山の人々が亡くなるまで終わらせることはできないのだからと」
ショーはやり遂げなければならない。ヤンの死後に何度となくユリアンを襲った、魔術師の孤独。紅茶のブランデーの量が増えていった理由を、ようやく思い知って、ユリアンは深く自嘲したものだ。僕は提督のことを、何も知らなかった。あの人はなんと強い人だったのだろうかと。
「そのために、どれだけのことを考えていたんだろうと思うんです。
君達にはちょっと難しかったかな?」
黄金と褐色の頭が、同時に頷いた。
「それでも、いつも戦ってばかりではありませんでした。
戦闘のない時は、ヤン提督は昼寝をしたり、読書をしたり、
ブランデー入りの紅茶を飲んだり、三次元チェスで負け続けたり、
サインする書類を溜めてキャゼルヌ事務監に怒られたりしていました。
イゼルローンの森林公園のベンチがお気に入りの昼寝場所でした。
ジャカランダの樹の下のベンチです。 もう花の季節は終わってしまっているでしょうが」
「フェリク、どんなお花かしってる?」
「ぼくもはじめて聞いたお花だよ」
ふたりの少年は、居合わせた大人達を順番に見上げるが、みんな苦笑して首を横に振った。代表してミュラーが質問する。
「アレク殿下、小官は不調法なものでして……。ヘル・ミンツはご存じですか」
「私もイゼルローンで見たのは、あの六月の一度きりです。
紫色の綺麗な花が高い木の梢に咲いて、それは見事なものでした」
それは魔術師のいない六月のこと。あの花の色に似た瞳の少女に叱咤され、励まされ、ようやく立とうと決めたころ、ジャカランダは既に散っていた。
「森林公園の木には、ちゃんと帝国語のネームプレートが付いていますから
すぐにわかると思いますよ。ちょっと奥の方ですけど」
「ミュラーげんすい、ぼく、行きたいな」
「御意にございます。手配をするように」
「あの、ミュラーげんすい。ぼくもアレク殿下といっしょに行かせてください」
「元よりそのつもりですよ。卿は殿下の随員なのだから。
ハインリッヒ候補生の指示に従うこと」
「はいっ」
微笑ましい様子に、ユリアンは目を細めた。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。ようやく歩き始めたばかりの子と、首も据わっていなかった赤ん坊がもう少年期の入口に立っている。親戚の子どもを見る叔父さんみたいだなと思い、はっと胸に迫るものがあった。ヤンがユリアンを引き取ったのは、ヤンが二十七歳の時だ。
十二歳の少年を預かるというのは、かなり気を遣ったこともあったろう。学校やスポーツの成績のことは、放任といってもいいぐらいだったが、歴史や社会に関する質問についてはヤンなりの意見を誠実に返してくれたものだ。十五歳の年齢差であっても、ヤンは『父』だった。
そして、この子たちは、獅子帝と疾風という父を持っている。親は子どもを選べないし、子どもも親を選べない。歴史上の偉人を親に持つ、それがどんなに重いことか。ましてや、彼らの国は専制国家である。子が親の地位を継ぐのは当然。そして、父の業績に及ばなければ容赦なく指弾されるのだ。
だが、五百年に一人の天才とその覇業にずっと従いえた者と、同等を要求されるのは非常に厳しいし、それを実現されたら再び宇宙は割れる。この子たちがそれに直面する前に、政体を変革してもらう必要がある。民主共和制の苗を残すために、屍の山と血の河を作った者の一人として、微力を尽くしていくように。
――ユリアン・ミンツのその後の生涯を方向付けたのは、この行啓対談だと後世に評価される。
ヤンが生前語ったように、剣より強い武器に持ち替えて、師父の本来の夢を継いだのだ。だが、それはまた別の話である。