銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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キャゼルヌのスカウトは原作中のエピソードですが、スカウトしようとした人物は筆者の創作になります。


魔術師のものさし

 しかし、今のままでは国民の生活全てを国がかりで賄う、『巨大な政府』を続けなくてはならない。皇帝(カイザー)ラインハルトは、旧帝国の不平等を己が才能と武力によって、力ずくで解消した。民衆はそれを熱狂的に支持し、自らは座したまま、その実りだけを享受した。帝国軍に従軍した、一億人を除いて。

 

 これは非常に危険なことだ。パンを与えられる事に慣れ、自ら田畑を耕し、収穫をして粉をひき、こねて焼いてようやく口にできるものだということを忘れてしまう。国民がみな口を開けてパンを待つようになる前に、自らが作れと諭し、道具と方法を与えなくてはならない。

 

 この役を割り振られたのが、皇太后ヒルダなのだ。至難というのも生温い。家庭レベルでも、大盤振る舞いした父親を母親が諫めると、子どもは必ずこう言う。

 

「お母さんのケチ!」

 

 一番うるさい軍事という長男は、大きく育ちすぎた。そろそろ仕送りを減らして自活の道を歩んでもらいたい。彼の下には、もっとお金のかかる民生と教育と医療という三兄弟が控えている。

 

 亡き父は、天才でこのうえなく美しく、万人を魅了する力の持ち主だった。子どもたちは、彼の言うことならば何でも聞いたし、一番上は父のお気に入りで特に仲良しだった。

 

 遺された母は、美しく賢いが、父親と一番上によく意見をした。あまり聞き入れてはもらえなかったが、それでも多少の効果はあった。父は母の言う事は、かなり尊重したからだ。

 

 さて、絶対の権威である父がいなくなり、きかん気な長男があまり仲のよくない母の言葉を素直に聞くか?

 

「お父さんが亡くなって、お金がないの。

 おまえもそろそろ別の仕事を探して、下の子達を助けてあげて」

 

 歴史上、いくらでも例がある。母より大きく力が強い彼は、こう言い放つ。

 

「おまえの言う事なんて聞かない! ここは俺のものだ。出ていけ!」

 

 そして、新たな争いが起こり、家は壊れて住人もばらばらになり、野垂れ死ぬ者も出てくる。それほどに父たる皇帝を失った国は脆い。皇帝の遺言をいつまで強大な軍部が守るか。隣人としては、この母子家庭が壊れて大火事になったりしないように、それとなく長男に仕事を紹介してやったり、下の子の育て方を教えたりしなくてはならない。

 

 まずは、無駄な軍事行動を省かせる。商業の邪魔という、惑星フェザーンにとってこれ以上ない大義名分で。これは、帝国の侵攻でむりやり併合されてしまった、元フェザーン人の溜飲をも下げさせた。

 

 もともと、フェザーンは帝国と旧同盟のいいとこ取りをしてきた。人口の少ない金満国家ならではの利点で、これは新銀河帝国にも真似ができない。自治領主の選出方法も、同盟の選挙に近いものであったし、民生に教育や医療は同盟のものをそのまま取り入れた。

 

 フェザーン人は実利主義である。父の財産は妻と子で相応に分ければいいし、税金は所得の差で多寡を決めればいい。皆商人で身分もなにもないのだから。

 

 教育は一定までは義務にして、それ以上を望むなら学力と財力に応じて学べばいい。

 

 劣悪遺伝子排除法を恐れて、出生前診断や治療を忌避する意味もない。病気は早期発見早期治療が基本じゃないか。妊娠出産は病気じゃないが、女性の人生の一大事なんだから。

 

 そういうお国柄だから、銀河帝国に意見をした、バーラト星系共和自治政府を見直すようになった。ルビンスキーの火祭りで、焼失したハイネセンポリスの復興事業が開始すると、旧同盟領の企業を孫請けにしたフェザーンの企業が、赤字覚悟の格安価格で落札したのである。

 

 独立独歩を掲げてきたフェザーン人にとって、母国の危機を尻目に同盟に逃げ込み、生き恥を晒して往生際が悪く、死してなお余所様に放火するような人間を、自治領主にしていたなんて消去したい恥だった。

 

 その被害者が、大きな顔をしている猪を引っ込めてくれた恩人になった。一時的にはぎりぎりの利益しか出なくても、バーラトを肥えさせて、長期的に回収をすればいい。バーラト星系政府はできる連中だ。いい顧客の卵は大事に育てて、金の卵を産むガチョウにしなくては。そして、バーラトを動かして、このコチコチの帝国にフェザーンの根を張っていきたい。枝を広げて、百花を咲かせて実を結び、人間を潤して満たす。

 

 そのためには、帝国の国営企業を民間に移管せよ。旧フェザーン人とバーラト星系政府の財務省長官の意見は一致している。

 

 彼、ギルバート・ガードナーは、キャゼルヌの出馬要請を受けて当選した政治家である。約二十年前、士官候補生であったキャゼルヌの組織工学論文を評価し、己が会社にスカウトしようとした気鋭の人事部長であった。この時44歳。その後、代表取締役まで昇進し、会社の業績を飛躍的に向上させた。経済界きっての切れ者であり、定年後も会長にと慰留されたものの、健康なうちに余生を楽しみたいと引退。玩具メーカーという業種上、軍部との利益関係が生じることもなく、時候の挨拶状を送りあう付き合いは続けてきたのだ。お互いの夫人を通じてだが。

 

 選挙にあたって、議会が元軍関係者ばかりになることを危惧し、キャゼルヌは彼に声を掛けた。ガードナー自身にも、その人脈からしかるべき立候補者を推薦してもらった。大手玩具メーカーの社長だった人である。教育や出版、報道界とも関係が深く、教育や情報、文化面に強い人材を揃えることができた。かつて政界に身を置いた者は、ラグプール刑務所の騒乱で、健在なのはホアン・ルイぐらいだったからだ。トリューニヒト政権で、主戦論を唱えていた者達が立候補したところで、石もて追われるのが関の山だろうが。

 

 さて、切れ者を見出した切れ者が、手持ちから繰り出したカードは強力なものだった。その知名度と人気は抜群だが、政治家としてはまだ卵といっていいフレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンを支え、バーラト星系共和自治政府主席としての二期八年をみごとに乗り切らせ、帝国本土の経済の活性化に重要な提言を行ったことで知られている。

 

 さて、ムライの投じた一石が、歴史に広げる波紋をまだ知らぬ頃、ビッテンフェルトは年上の僚友に不満をぶつけた。

 

「バーラトの駐留事務所長はとんでもない石頭だ。

 オーベルシュタインの奴とさしてかわらんではないか!」

 

 憤懣(ふんまん)やるかたない様子に、統帥本部総長のメックリンガーはコーヒーを勧めながら事情を聞きだし、あやうく美髯(びぜん)をぐっしょりと濡らすところだった。批評家肌で、悪く言えばお高く留まった彼が、派手にむせかえるのを見て、ビッテンフェルトは呆気に取られた。

 

「お、おい、どうしたんだメックリンガー。大丈夫か」

 

 散々に咳き込んで、珍しく顔を高潮させたメックリンガーは、遥かに体格の勝る僚友の襟元をテーブル越しに掴むと、ぐいと引き寄せて耳元に叫んだ。

 

「大丈夫かではない! 

 この短絡者の猪め、世の中にはやってよいことと悪いことがある。

 これは重大な越権行為だ。早々に謝罪しなくてはならん。

 その前に、卿の口からミッターマイヤー軍務尚書に説明と謝罪を行え!」

 

「いや、別によいではないか。不問に付すと言っているのだから」

 

「貴様、悪いのは耳なのか? それとも頭か! 

 国際問題だ。皇太后陛下によって定められた軍務省の命令に、

 一司令官たる卿が従わぬと解釈されるか否かの瀬戸際だ。

 まかり間違えれば、卿は謀反人として処断されるのだぞ!」

 

「なんだと!?」

 

 その体格に不釣合いな細面から、一気に血の気が引いた。

 

「卿がしでかしたのは、それほどのことだ。

 わかったか、この愚か者! さっさと軍務尚書のもとに行くぞ」

 

 メックリンガーは僚友の首元に掛けた手をそのままに立ち上がり、軍用ケープを緒飾ごとに握り締めて歩きだそうとした。

 

「おい、待て、落ち着けメックリンガー。手を離してくれ!」

 

「卿はもっと慌てるがいい!」

 

 七元帥の中で、アイゼナッハの次ぐらいに冷静なメックリンガーの剣幕は、ビッテンフェルトから反論の言葉を奪った。仮にも銀河帝国元帥を、嫌がる大型犬を獣医まで引き摺っていくような扱いである。

 

 そんな様子で執務室を出ていく上官を、副官のザイフェルト少佐は呆然と見送った。荒々しくドアが閉じられたあとで、ようやく我に返ると軍務省官房長フェルナー少将に連絡した。ミッターマイヤーの在席を確認し、これから統帥本部総長と帝都守備艦隊司令官が来訪する旨を告げ、用件の概要を伝達しようとしたところで時間切れとなった。内線画面の向こうで、図太いフェルナーが目と口をまんまるに開き、周囲がどよめくのが伝わってきたからだ。

 

「おふたりともそちらに到着されたようですので、直接にお話があろうかと思います。

 ご連絡が遅れたことをお詫びします。失礼いたしました」

 

 彼は敬礼して、静かに通話を切った。

 

「お二方、いくらなんでも足取りが速すぎはしませんか」

 

 そして、惨状を呈しているコーヒーテーブルを片付け始めた。幼年学校の従卒に見せるわけにはいかないからだ。 元帥閣下にして統帥本部総長の副官が、いったい何をやっているのだろうか。それにしても、床が絨毯でなくてよかった。もしもそうだったら、さぞ派手な染みが残っただろう。

 

「虚しい……」

 

 いっそ行政官に異動しようか。だが、新領土に赴任するということもありうるし、問題が山積している旧門閥貴族領に飛ばされるかもしれない。

 

 それがここよりましだと思える日までは頑張ろう。ああ、モップがけの方がずっと楽だとも。考えてみろ、これが血でないだけありがたいじゃないか。

 

 ビッテンフェルトが二人の高官から、叱責の十字砲火を食らったことはいうまでもない。さんざんに油を絞られて、その後は三人揃っての謝罪の通話である。問題児を学級委員長と風紀委員が、厳格な生徒指導の教師の前に連れてきたような図であった。もっとも、告発者も被告と同じくらいに萎縮していたが。

 

 ムライは、オレンジを中央に、蜂蜜色と黒褐色が左右に並ぶ姿に、眉を寄せた。

 

「こんにちは。本日はお揃いでいかがなさいましたか」

 

「ムライ事務所長、先日は帝都守備艦隊司令官が無礼を働いたようだ。

 卿の寛大な対応には感謝するが、銀河帝国として見過ごすことはできぬ。

 統帥本部総長として、軍規の徹底と人事の統括が不十分だったことを、

 まずは謝罪させていただきたい」

 

「軍務尚書としても、政府間の外交で決定した公約を覆すことはないと確約しよう。

 帝都守備の職務に熱心すぎるあまりの勇み足だが、そちらに不信感を与えたことだろう。

 わが国の省間の連携が不十分と思われても仕方がないが、どうか信用していただけないか」

 

 二人の高官が口々に謝罪を述べたため、当の本人はうろうろと視線を彷徨わせた。それに気が付いたメックリンガーは、通信画面の死角となっている同僚の爪先を踏みにじった。眉一つ動かさず、容赦なく力を込めて。ビッテンフェルトの背筋が強制的に伸ばされる。あの温雅だった芸術家提督が変わってしまった。これも陛下の死のせいだろうかと思い、ミッターマイヤーはなにやら切なくなった。

 

 ビッテンフェルトは悲鳴を呑みこみ、激痛を堪えてどうにか謝罪の言葉を述べた。

 

「先日は、小官の浅慮のせいで大変なご迷惑をおかけした。

 卿の温情のおかげで、大事には至らずに済んだことをあわせて感謝したい。申し訳なかった」

 

「おや、私は個人的な苦情ならば聞く気はないが、問題にはしないと申し上げたはずですが」

 

「国家同士の約定を、個人の感情で破るなど許されることではない、のだろう?」

 

 なぜ、疑問形で発言する。さてはこいつ、俺たちの説教の意味を理解しておらんのか!?

 

 ミッターマイヤーも、統帥本部総長とは反対側の爪先を踏んづけてやった。逞しい長身の背筋が、定規を通したように垂直に伸び、直立不動で悲鳴を堪える。

 

「隣のお二人が、そのようにおっしゃったのですか。

 閣下は正直でいらっしゃいますな。そして、帝国軍は随分と風通しがよくなったようだ。

 今の軍部なら、単なる発言や憶測をもって、陥れられるようなことはありますまい。

 それが帝国軍以外にまで広がってほしいというのが、私からの希望です。

 むろん、個人的なものですが」

 

 魔術師が、思考の物差しとして信頼した参謀長は、静かにそう言った。

 

「さて、わが国は個人の平等を掲げています。

 社会的な役割に応じた責任の量に差はあれど、

 人間自身の価値は皆が等しく有するという考えです。

 二つの国家も同じく、規模は違うが国として対等な関係でありますな。

 暮らしているのは人間、治めているのも人間です。その仕組みが多少違うだけだ」

 

 だからこそ専制に抗って、滅びた国の軍人の言葉とは思えないものだった。それはムライの記憶の中にある、穏やかなぼやき声。彼と同じ年頃、同じ役職の青年らに向けて、再生を開始しよう。

 

「その違いのせいで、我々は百五十年殺し合った。他にも方法があるはずだろう。

 私の上官はそうぼやいて、いつも嫌々戦いをしておりましてな。

 そのくせ、宇宙の誰よりも戦争が上手だった。

 そんなご自分を、誰よりも嫌っておられた。敵であった帝国軍よりも」

 

 かの人と同じE式姓を名乗るムライの黒い視線が、若き三人の元帥に注がれた。

 

「これからは対話をすべきでしょう。

 まだ外交自体が手探りなのです。試行錯誤をするのも止むを得ませんな。

 誤りはどんどん正し、恥ずかしがらずに認めて謝罪をしていけばいい。

 生きている限り、やり直しの連続となるでしょう。それでいいのです。

 そうしないと、いつまでたっても最適なものはできないし、

 死をもって、本当に償えるものなどありません。

 人は必ず過ちをするし、その人間が集まって国となるのですから。

 国は生き物です。皆の手で育て、余計な枝葉は払い、雑草を抜いていかねばならない。

 できるかぎりの長きにわたって。それが、ヤン・ウェンリーからの伝言です」

 

 結ばれた言葉に、三人の元帥は敬礼を捧げた。

 

 戦いではなく、言葉で和平をかなえよう。それは、ヤン・ウェンリーが望み、果たせなかった夢であった。彼は、人は歴史という大河に浮かぶ木の葉だと考えていた。その大きさに違いはあれど。

 

 しかし、流れを塞き止め、あるいは変えるほどの巨木も時にはあるのだ。倒れた木が遺した種や、あるいは枝を挿し木として、人々に受け継がれていく。彼の死は後世に、民主主義の再生と覚醒をもたらしたと評される。遺された近しき人々にとどまらず、歴史上は無名の人々にまで。

 

 そして、敵であった人々の心にも、やがてゆっくりと芽吹いて花を咲かせる。対話と外交という土壌に、平和という大輪の花を。

 

 そして、ムライは咳払いをした。

 

「もうひとつよろしいでしょうか」

 

 代表して最上位者が返答する。

 

「ヘル・ムライ、なんなりとおっしゃっていただきたい」

 

「私の上官がさらに嫌ったのは、軍人による民間人への暴行と、

 上官から部下に対する暴力による制裁でしてな。

 あなたがたも心に留めおいていただきたいものだ」

 

 厳しい一瞥を向けられ、帝国軍の二高官はそろそろと足の位置を変えた。中央にいた彼らの部下は、再び敬礼を捧げた。先ほどよりも勢いよく。

 

 ムライ事務所長の眉間に皺が寄った。咳払いに隠して呟く。

 

「まったく、困ったものだ」


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