異国人も同国人も翻弄する者がいる一方、物わかりの悪い同僚に苦闘する者もいる。
「もう、怪我人はさっさとハイネセンに帰ってください」
長身の女性少佐は、見事にくびれた腰に手をやって、リンツ以下の
「だが、イゼルローンの返還にあたって、要塞防御部指揮官代理が、
不在というわけにはいかんだろう」
「こっちだって、帰還者の数に応じて、病院も縮小させたいんです。
今回の帰還には、傷病者が沢山いるんですから。
医療従事者を同乗させると、こちらでは充分な治療はできません」
「しかしな、やりかけのまま放りだすわけにはいかないだろう」
要塞防御部門も、要塞主砲や砲塔の射程や限界を、元の持ち主よりも詳しく解析し、運用していた。その移管にあたっては、リンツ大佐以下百余名の薔薇の騎士らが、負傷を押して取り組んでいる。それの目途が立たないと、帰れないと言うものだったが。
彼女は、波打つ見事な黒髪を勢いよく揺らし、さらに長身のリンツをキッと見上げた。
「では、リンツ大佐に伺いますけれど。
その要塞主砲やら砲塔の運用、帝国軍に懇切丁寧に教えて、
彼らは誰を相手に戦うというんですか」
「あ」
その指摘に間抜けな顔になった歴戦の猛者たちを、美しい黒い瞳が冷たく見やった。
「敵もいなくなるのに、意味がないでしょう。
必要なら、帝国軍が好きなだけ研究すればいいんだわ。
そんなことしてる暇があるなら、出発まで電子治療を受けてください。
あれだってリース機器なんだから、返却しなくちゃならないんですよ」
「いやそのなあ、いいんだろうか」
「でかい図体の怪我人が、うろうろしている方が迷惑です。
後遺症が残っても、退職金や年金に加算するお金はありませんよ。
大人しく療養しててください。あっちが勝手にやってくれるでしょ。
だいたい、あんな方法でここを二回もふんだくった相手が何を言っても、
まともに信じるもんですか」
彼女の言葉に、彼らは顔を見合わせた。言われてみれば当然だった。二度も悪どい
「たしかに貴官のいうとおりだ」
「じゃあ、さっさと治療と荷造りに行ってください。
乗艦名簿のやりくりをしなくちゃならないから」
「いや、それは待ってくれ。事務部門やミンツ中尉の護衛ぐらいはできる」
チャベス少佐は、豊かな胸の前で腕を組むと、治りかけの怪我人らをじろりと見た。皇帝ラインハルトの旗艦に乗り込み、生存したのは二百四名。その一人として負傷しなかった者はいなかった。ここに残留しているのは、中程度の負傷者である。軽傷者と重傷者は、第一陣で帰還した。前者はヤン夫人らの警護、後者は治療のためである。
「では、病院で診断を受けて、診断書の提出をしてください。
一週間の電子治療で、回復できる方のみ残留を許可します。
本当に手が足りなくなりますから、怪我人はお呼びじゃありません。
四の五の言うなら、ハイネセンに救急搬送できる理由を、小官が作ってさしあげてもいいわよ」
そして、鋭く軍靴の音を響かせて、薔薇の騎士連隊長に歩み寄った。チャベスは格闘と射撃の名手で、衛生兵としても優秀だ。人体の急所を知り尽くしている。思わず半歩後退するリンツに、病院の方向を指さして告げる。
「さっさと行ってきて」
「了解しましたっ」
連隊長に従い、一糸乱れぬ右向け右で、走り去っていく百人あまり。彼女は、形の良いブロンズの額に、青筋を立てて見送る。こんなに元気な連中なら、結局ほとんど居残るに違いない。
「まあね、離れがたい気持ちはわかるわよ。
ここは魔術師のお城で、あの人たちは騎士だったもの。
主の後をその長が追っ掛けちゃったら、部下だって途方に暮れるわ」
故国を捨て、あらたな国にも受け入れられなかった流浪の騎士団。温かな言葉を与え、居場所をつくり、彼らの価値を正当に評価した、最初で最後の司令官。彼女の情人だった美丈夫も、心からの尊敬と忠誠を彼に捧げた。ときおり毒舌で味付けをして。
「本当に男って馬鹿なんだから。あんなに大きな娘がいたくせに。
もう陸戦隊員としてはいい歳なんだから、大人しくしていればよかったのよ。
いやよね、中年になっても不良のままなんて」
だが、彼は歳をもう重ねない。それに自分は追い付き、追い抜いていくのだろう。この平和になった世界で。
「でも、中年以上にはならないのね。ちょっと惜しいわね、ワルター。
娘が、せっかく素敵な彼氏を捕まえたのに。
あなただったら、かっこいいおじいちゃんになったと思うのよ」
そして、義理の息子の養父は、優しいお祖父ちゃんになったろう。彼は、実子と同じぐらいの『孫』に恵まれたかもしれない。娘の子に、年下の叔父か叔母ができる可能性の方が高かったかとも思う。ほろ苦く、愛惜を込めて。
とにかく、ワルター・フォン・シェーンコップはいい男だった。ちょっとお目にかかれないぐらいの美丈夫で、瀟洒で、女性の扱いを心得ていた。社交の場でも、シーツの上でも、本当にうっとりするぐらい。選考基準が高くなってしまって困る。金褐色の髪の友人には負けるだろうけど。
「とは言え、結局あと一か月中にはみんな退去するんだけど。
住民登録しないと、被選挙権も選挙権も得られないってこと、あの人たちわかっているの?」
九月のはじまり。イゼルローンの住人は、帰還を急がねばならなかった。
「もう、じきにさよならね、女王陛下。あの人たち以上のいい男はいなかったでしょ。
そして、これからもきっと現れない。でも、それでいいの」
戦争がなくなれば、常勝も不敗もない。そのほうがずっと素晴らしいこと。
帝国を叩いて締めあげ、捩じ伏せて、第二陣が出発する。宇宙暦801年9月10日早朝。到着は9月30日を予定。急ぎ足の航海となるだろう。航法主任はフィッシャーの愛弟子マリノ准将だ。誰も予定の完遂を疑う事はない。
「じゃあ、お先に失礼しますよ、軍司令官、要塞事務監閣下。
艦隊の解体案は提出したとおりです。
いざとなったら、超光速通信を入れてくれればいいですから。
悪いなラオ大佐、後は任せた。貴官なら大丈夫だ」
「ああ、貴官の航海の無事を祈る」
「気を付けてくださいね、アッテンボロー提督」
「アッテンボロー提督、くれぐれも道中気を付けてください。
しかし、この貸しは高いですからね」
恨めし気な主任参謀にも、アッテンボローは敬礼した。
「俺が当選したら、貴官を第一公設秘書にするから勘弁してくれ」
「それは恩返しにはなりませんよ。苦労するのが目に見えてるじゃないですか」
「戦争と政治は悲観論で最悪を考えなきゃいけないんだとよ。
おまえさんの天職だろ? 今までありがとうな。そして、これからもよろしく」
第二陣は、どうにか翌週中の出航に漕ぎ着けた。しかし、すぐにも最終の帰還が待っている。ワーレンらは、息つく暇もなく、次の局面に取りかかることになった。それまでに蓄積された、旧同盟の後方事務のノウハウ。これは貴重なものであった。軍務省で奮闘するミッターマイヤーらの下にも、その報告は届けられた。
「彼らがただ一艦隊で、間断なく戦ってこられた理由が理解できた。
メルカッツ提督が、魔術師の後継者に命がけで助力したこともだ」
周囲が敵であった境遇から親友と二人で身を興し、権威と戦い続けたラインハルトには、持ち得ない人心掌握術だといえよう。第二人者が不要といったオーベルシュタインの言葉は、冷徹に過ぎるとミッターマイヤーは反発した。あの温良で公正な、ラインハルトの無二の親友、キルヒアイス元帥を失う結果を招いたのだから、なおのことだ。
しかし、キャゼルヌの言葉に翻訳されれば理解できる。オーベルシュタインが表現を変えればよかったのか。だが、それに自分は聞く耳を持ったか。やれ、公正よ豪胆よと褒められても、それは表面的な思考に留まり、隠された意味を読み取れないということではないか。美点と欠点は、背中あわせに存在する。
「それにしても、何はなくとも金と食糧か。まったく耳が痛いことだな、フェルナー少将」
「御意。キャゼルヌ中将の指摘のとおり、帝国本土に新領土からの輸入が激増しておりました。
そして、帝国の軍需物資などに加工されているものが多々ありました。
旧同盟軍を解体して、兵員が民間に戻り、新領土は経済的に改善傾向にあります。
一方、帝国本土は……」
「リップシュタット戦役からの復興も不十分ということだな」
「行政官が不足しております。軍部から、人材を異動すべきだと考えます。
とりあえず、ワーレン元帥に随行させた十名を、国務省に異動させようかと」
フェルナーは、彼らの一人からの伝言を思い出し、力なく笑った。
「しかし、小官の策は六十八点だそうです。
頭だけではなく、手足をつれてくるべきだと。彼らは手強いですよ」
「考えてもみるがいい。
氷の船で旅立ち、五十年の流浪の果てに国家を築いた人々の子孫なのだ。
二百年の間にその精神は眠り、変質も腐敗もしたが、ヤン・ウェンリーがそれを覚醒させた。
彼の戦いをみれば、その部下らがいかに手強いか、自明の理だろうよ。
まったく、卿の人事案には感謝する。
柔軟なミュラーであれば、うまく適応でき、逆に危機に気付きにくくなっただろう」
「いや、小官の手柄ではありません。
先方に、おふたりの元帥を除外された段階で、
ワーレン元帥かミュラー元帥しか選択肢はありませんでした。
先方は中将でもよかったと言ったそうですが、
そんな実力を持つ者は、上級大将以下には存在しないのです」
ミッターマイヤーの眉間に皺が刻まれた。
「卿の言うとおり、実に手強いな」
「御意。そして恐らく、ミュラー元帥が担当をなさっても、
こちらに同じような報告がされたことかと。
まことに厳しいが、それも平和を願ってのことです。
これは彼の温情でしょう。いや、ヤン元帥の遺徳というべきか。
キャゼルヌ中将こそ、こちらに勧誘したいものです」
「それはやめてくれ。俺の居場所がなくなるだろう」
ミッターマイヤーは、半ば本気でそう言った。ワーレン一行から送られてくる、報告書の類が見る見るうちに磨きあげられている。組織経営の英才の力量が伺えた。
「だが、俺も教えを乞いたいものだ」
「閣下にここを離れていただく訳にはまいりません。
ですが、今後バーラト星系に駐留官事務所を置くことになりましょう。
武官も送ることになろうかと」
「なるほど。人選は卿に任せる」
「御意」
後にハイネセンへの赴任は、栄転であると同時に、猛勉強すべしとの意味となった。『キャゼルヌ学校』への入学命令だと、帝国の武官文官に恐れられることになる。その栄えある第一回生には、ミュラー元帥も含まれていた。
新帝国暦三年十二月、ワーレン元帥帰還。宇宙艦隊司令長官に任命される。ミュラー元帥と交代し、旧都オーディーンに駐留。帝国軍の主要施設はオーディーンに多くが残っており、フェザーンに完全移転するための調査を兼ねてである。これにより、オーディーン駐留艦隊のアイゼナッハ元帥は副将となる。
ワーレンは久々に息子と再会した。あまり会えないでいるうちに、すっかり大きくなった。大喜びで飛びついて来る、その背は伸びてずっと体重も増えた。もう、そろそろ少年に差し掛かっている。
「父さん、おかえりなさい!」
「ただいま、これからは父さんも一緒に暮らせるぞ。
これから遠くで仕事があっても、
きっとおまえも、おじいちゃんたちも連れて行けるようになるだろう」
「ほんとうに?」
「ああ、本当だ。父さんたちみんなが頑張れば、きっとそうなるさ。
おまえが大人になる頃には、一万光年先の学校に通えるかも知れないな。
もちろん、おまえが望むんなら」
「うーんと、まだわかんないや。
でも、ぼくは父さんが帰ってきてくれてうれしいよ。
これからずっと、一緒にいられるんだよね?」
でも、まだまだワーレンの腰までしかない、小さな子ども。ワーレンは屈みこむと、息子を抱き上げ、頬を寄せた。
「ああ、そうだ。今までの分、一緒にいような。
まあ、帰りが遅い日はあるだろうが、それでも家に帰ってくるよ。
それが、父さんが教わった仕事の極意なんだ」
家族のために仕事をした人を、ちゃんと家に帰すこと。そのことを求め続けたから、ヤン・ウェンリーは負けず、あれほど部下に慕われた。征旅の時代は終わりを告げ、これからの自分の役割は、帝国軍に属する人々を家に帰すことだった。それは、きっと
帝国の内乱と、相次ぐ外征で、帝国本土こそ疲弊しているからだ。ゆっくりと軍を縮小し、荒廃した領土の社会資本と雇用を建て直し、教育と医療を中心に、民生を充実させていく。
「父さんが働いているのは、一番に家族のためなんだから」
「皇帝陛下じゃなくて?」
「ああ、そうだよ。おまえと幸せに暮らせるようにだ。
みんなが教えてくれたんだ」
自分と家族という最小単位を幸せにできない、そんな栄光に意味があるのか。元帥という地位、皇帝という地位も虚しいだろう。
「だから、オーディーンを大事に守るんだよ」
「じゃあ、ぼくも、おじいちゃんとおばあちゃんも、
学校のみんなも、父さんが守ってくれるんだね」
「もちろんだとも」
アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥は、ローエングラム王朝において、第二代の宇宙艦隊司令長官と大公領駐留艦隊司令長官を兼任した。堅実で豪胆な用兵家としてその地位に昇った彼だが、後世に評価されているのは、大公領オーディーン就任後の事績によってである。
剛柔併せ持ち、堅実に無理をすることなく、着実に軍縮を進めていった。その足取りは、ゆっくりとしたものに見えたが、八千万を超えた帝国軍を、十年あまりのうちに六千万人規模に縮小。失業者を出すことなく、行政の充実と民間経済の活性化に足並みを揃えて行なった。
彼は、能吏の極意を見事に継承したのである。帝国軍の宇宙艦隊の中枢がオーディーンに配置されたことにより、帝国本土の民需が活性化し、退役者は再就職先に困らなかった。剣を握る手は、大地を耕し、パンを焼き、妻と子供を抱きしめる手に変わっていった。
いつの間にか銃爪の