その頃、久々に自分の端末を確認したカリンは、事務部からの呼び出し通知に首を捻った。IDカードと給与支払口座の通帳を持参すべしとある。日付は一月以上も前だった。
「クロイツェル伍長、参りました」
敬礼と共に、担当者に挨拶をする。深いワインレッドの髪に、灰色の目をした大尉がカリンに答礼した。
「帰着したばかりのところに、早速来てくれたのね。
この度は大変残念なことでしたね。
貴官のご不幸に心からお悔やみを申し上げます」
「な、なにをおっしゃるんですか」
カリンは混乱した。
「貴官のお父さま、シェーンコップ中将が戦死をなさったことです」
彼女は白く繊細な面に、労わりの色を乗せた。
「貴官は知らなかったようですが、シェーンコップ中将は生前に認知届を提出されました。
軍に登録されたDNA情報を元に検査を行い、親子関係が確認されました。
キャゼルヌ事務監とヤン司令官の職責において、受理、承認されています」
カリンは口元を押さえた。ヤンが承認したということは、父の死の一年以上前の届け出になる。
「シェーンコップ中将は、美人だったらご自分の娘とおっしゃったそうね。
ヤン提督が、確かに美人だからそういうことなんだろうね、
貴官の夢を叶えてくれる大事な子じゃないかと、
しかるべき手続きをと勧められて、事務監も同調をなさったそうです。
つまり、貴官は唯一のシェーンコップ中将の相続人です。
死亡退職金と遺族年金の受給の手続きをしてくださいね」
「うそ、どうしてそんなこと……それに、夢って何を……」
「百五十歳まで生きて、沢山の子どもや孫や曾孫に囲まれて、
これで厄介払いができると、嬉し泣きされて看取られるということだったそうです。
これは、ヤン提督からの又聞きの又聞きになるけれど」
「そんなの、誰も教えてくれなかった」
呆然と呟きながら、頭の隅で当然じゃないと囁く声がする。個人情報に関する届け出。ヤン提督やキャゼルヌ中将が、そんなことを漏らすはずがない。カリンの理解を察したのか、灰色の瞳に優しい笑みを浮かべて、まだ若い大尉が説明をした。
「それはね、守秘義務ですもの。認知届は原則として父親が行うものなのよ。
嫌なら、本人か母親が不受理の申し立てをすればいいんだけれど、
それが提出されていなくて、届出が正当なものであれば受理されるの。
あなたの戸籍にも、お父様の名前が載っているわ」
「……そんなこと、全然知らなかった」
「そうね、戸籍なんてめったに取るものではないものね。
それこそ、結婚か遺産相続の時ぐらいかしら。
こんな贈り物は、あなたもお父様もさぞや不本意なことでしょう。
でも、ハイネセンに戻ったら、軍はなくなってしまうし、
復員者が溢れていて、すぐに就職するのは難しいわ。
その間、あなたの生活を守ってくれるはずよ。さあ、受け取ってあげて」
黒髪の魔術師が遺した、ラストマジック。それを知るのが百十三年後でないことを、少女の為に残念に思う。青紫の瞳から、白磁の頬を伝う水晶を、ブライス大尉は静かに見守った。
「私にもわかるわ。亡くなった父は軍人だったから。
何万ディナールのお金より、生きている父を返してと思ったものよ。
辛いわよね。ちょっと休んでくるといいわ。せっかくの美人が台無しよ」
立ちつくす少女の肩を抱いて、休憩室にそっと連れて行く。ソファに座らせると、ドアの窓のカーテンを閉めてから退出した。もちろん、表示を使用中にすることも怠りない。くぐもった嗚咽がドア越しに聞こえてきた。
ブライス大尉は、長い深紅の睫毛を伏せて、回れ右をした。もう十年近い過去、同じ痛みを味わった。願わくば、あの
そして、シェーンコップ中将の書類を準備する。彼の預金も相続すれば、当面の生活には困らないし、望めば再就職の技能教育も受ける余裕はある。彼女の気に入りそうな資格をリストアップしておこうか。このくらいの贔屓は許されるだろう。この二月、戦死者にかかる業務をずっとやってきて、すんなり相続人が見つかったほうが珍しい。
「でも、私もこれからどうしようかしら。バーラト星系政府の試験を受けようかな。
仕事もあれだけれど、勉強しなくちゃね」
現在の財政状況では、中将の年金といえども、それほど潤沢なものではない。まして、大尉の退職金など月収の三ヶ月分ぐらいだろう。伍長にいたっては言うまでもない。就職試験の服は買えても、靴や鞄まで賄えるかあやしい。
「でも、私たちは生きているから。
辛くても、苦しくても、まだまだそっちには行かないわ。ねえ、お父さんたち」
ポプランと宙港管制官のフクシマ大尉、そしてラオ大佐も難問に頭を悩ませていた。
「スパルタニアンの移動かあ。個人認証を解除して、宙港で戦艦に詰め込みますか」
「宙港内で曲芸飛行は許可できません。
そんな真似、中佐やコードウェル少佐にしかできないでしょう。
この一グロス以上、ぜんぶそうやって収容するつもりですか」
「だがなあ、誘導電波だと、所定数以上に積めないぞ。
艦載機の残った残存艦もあるし、そうすると載せきれないんだが。
イゼルローンの外に誘導して、
「却下です。今はこれ以上、一欠片も
それに、また帝国軍に疑われますよ」
フクシマとラオに交互に反論されたポプランだが、ラオの言葉に反応した。
「そんなこと言ってもなあ……。ん、そりゃ、今じゃなきゃいいってことじゃないのか?」
ポプランは緑の瞳をまたたかせた。
「どっちみち、次に帰還するのは、選挙出馬予定者と艦隊の兵員でしたよね」
フクシマは頷いた。
「はい、そうですね。小官ら宙港管制担当や事務管理部門は、
帝国への要塞引き渡しがもっと進んでからになります」
「じゃあ、第二陣が出立してから、帝国軍主導で雷神の槌で爆沈させましょうよ」
ラオは躊躇いがちに声を掛けた。
「ポプラン中佐はそれでもいいんですか?」
「まあ、愛着はあるから惜しいんですが、スパルタニアンは宇宙空間でしか飛べないし、
跳躍航行もできないし、シャトルよりも航行距離が短い。
要するに、戦争にしか使い道がないんですよね。
ハイネセンに輸送しても、どうせ邪魔者扱いされるんでしょう。
だったら、女王陛下に引導を渡してもらったほうが諦めもつくかな、ってところです」
「わかりました。キャゼルヌ中将にその旨報告します」
「後は資材として切り売りしたらという案ぐらいなんですがねえ」
「それこそ無理です。四十メートルもある機体を、分解収納できる資材商人はいませんよ。
それも一グロス以上。これは軍需造船企業の工廠が必要です」
「やっぱりそうか。ところで、アッテンボロー中将に伝えておいてください。
千メートル級の旗艦なんて、買える商人はいないそうですよ。
ボリス・コーネフが言ってましたが」
ポプランからの注進に、ラオは溜息を吐いた。
「まあそうでしょう。結局、動かせる船は動かすことになりそうです。
キャゼルヌ中将の輸送経費の予算比較案を見せたら、びっくりしていましたよ。
というよりね、人員輸送に民間業者を参入させることもないんですね。
もっとも、帝国本土の企業はほぼ国営のようですが」
「多分、食料もそうなんじゃないですかね。
来る日も来る日も同じようなメニューで、パン、肉、芋、以上。
俺はね、そんなに野菜や果物好きってわけじゃないが、
クロイツェル伍長の気持ちがわかりました。
戦闘食の野菜ジュースでいいから出してくれとね」
「戦争の為に完全に計画生産をしていたのでしょうね。
さもなければ、あんな大軍を養う事はできないでしょう。
ドーソン大将のように、ケチで細かいだけの入札をやっていたら、
ガイエスブルク来襲から半年足らずで、三ヶ月も三個艦隊を出して張り付けられませんよ」
「あれには参ったよなあ」
「だが、その物資を整えていた戦略の天才は亡くなりました。
彼の右腕もね。気を付けた方がいいと、ヤン提督の幼馴染に伝えてください」
黒髪に黒目という点で、ラオはヤンに似ていなくもない。参謀としての傾向にも、色濃い影響があった。勝っているときも最悪を想定するのだ。要するにどちらも悲観論者なのである。ヤンは元々がそうだったが、ラオの場合は、アスターテの会戦の経験が大きい。そして、幕僚会議に出席して、磨かれていったものだった。
「同盟のクーデターの時と同じで、怖いのは食料不足です。それも帝国本土の方が深刻だ。
フェザーン商人が介入すると、軍人に煙たがられる。
適度な距離を保ちつつ、助言や助力を与えるようにしないと」
「今度はフェザーンが火薬庫ですか」
「ええ、帝国経済とフェザーン経済ほど食い合わせが悪いものも少ないですよ。
片や計画と統制、もう一つは自由と競争。それが同居しているんですからね」
ポプランは明るい褐色の髪をかきむしった。
「ううん、宇宙海賊の夢も実現が難しいなあ」
「そんなやくざな生き方はよくないですよ。真っ当に生きましょう、真っ当に」
この常識的な台詞に、ポプランは思わず訊いてしまった。
「ラオ大佐、貴官は本当にアッテンボロー提督の部下なんですか」
「小官も時々不思議に思いますよ」
それでも、彼もヤン・ファミリーの一員であった。キャゼルヌの先制攻撃を受けた、フェルナー肝煎りの後方経験者らだったが、女性中佐の助言を受けて、業務責任者を決め、それぞれの部門を担当することになった。艦隊の運航計画について、アッテンボローとラオのコンビは、帝国に速攻を仕掛けた。
「繰り返しますが、小官は選挙に出馬予定です。
来週中にも出港しないと、被選挙権を認めてもらえません。
旗艦の戦術データはすべて抽出し、提出しました。
当艦の戦術コンピュータは真っ白な状態ですよ。
小官もヤン元帥と同様に、勝算のない戦いはしません」
彼は、ビッテンフェルト元帥の無礼な挑戦状に、それを上回る返答を突きつけた伊達と酔狂の革命家である。これまでの戦いには勝算があったというわけで、しかも事実でもあった。
「失礼をいたしました。中将の言う事は気になさらないでください。
しかし、嘘は申しておりません。どうぞ、戦術コンピュータを確認して下さい。
それでもお疑いならば、提出データの検証をしてください。
ただし、今週中にお願いします。当方の準備も必要ですので」
取りなすと見せかけて、上官に賛同し、更に期限を切り詰めるその参謀。こうなると、戦術コンピュータの確認のみで諦めるしかない。アッテンボローがヤン艦隊に配属されて以来の、数々の激戦の生きた記録である。たったの三日間で検証が終わるボリュームではないのだ。
「了解した。貴官ら立ち会いの下、戦術コンピュータの内容確認をさせていただこう」
アッテンボローはきびきびと敬礼した。
「感謝します。こちらの技術士官を同席させますが、帝国軍の技術者も動員していただきたい。
やるからには徹底的に公開としましょう。
そちらの艦隊から千人も出していただければ、半日で終わりますよ」
そして、感謝と共に爆弾を送りつける。
「じゃあ、明後日金曜日にいたしませんか。
帰還者予定者に、土日に半日ずつ交代で休暇を割り当てられます」
それに主任参謀も同調して、さらに期限を切り詰める。相手に判断の時間を与えない、これも交渉のテクニックである。
「少し待ってはもらえないだろうか。明後日に千人の動員とは……」
いっそ優しいほどの口調で、ラオは言った。
「千人が無理でしたら、五百人を二回でも、三百人で三.三回でも構いませんよ。
タイムラグが発生しない方が、そちらも安心できるのではというだけのことです。
まあ、三百人だと明日から動員していただく必要があるんですが。
少将閣下ならば、それだけの部下をお持ちではありませんか?」
「本来ならば卿の言葉のとおりだが、小官は後方担当として同行したのだ」
「なるほど、事務の応援でお越し下さったわけですね。それは軍務省次官殿の指示ですか?」
「そのとおりだが」
「惜しいですね。六十八点だ。そうお伝えください。
いい線は行ってますが、頭だけではなく、手足も動かすべきでしたと。
で、動員はどうなさいますか」
「協議させていただきたい」
「手短にお願いしますよ。こちらは停戦後の二ヶ月、監視部隊に打診を送り続けました。
その間に手を打っていただけたら、こんなことにはなっておりません。
アッテンボロー中将も、本来ならフェザーンから直行する予定でした。
それをお忘れなきように」
苦労性の常識論者は、心の天秤が振りきれると、相手の喉元を正論で締め上げにかかる。アッテンボローは、この部下を怒らせないようにしなくてはと、何度目かの決心をした。なにしろ、アッテンボローは当選したら、彼を公設秘書にする腹づもりだったからだ。
ラオ大佐に絞られた少将は、それでも五百人の動員を決定した。三階級下に見ろという、ラオの指摘は正しいのかも知れない。勝ち馬に乗っていれば、誰しも勢いを増す。その俊足が失われた今、真価が問われているのだろう。一年前の自分たちのように。
だからといって優しくしてやるつもりはない。敵ながら天晴れ、だがまだ友達じゃない。それがイゼルローンの面々の本音であった。