※練習用の掌編です。小説家になろう掲載中
彼が帰ってくるなら天国。
帰ってこないなら地獄
初めは自分を買う人間の一人だった。
いつも通りの流れのあとに、いつもと同じように帰っていく毎日。
しかし、事が終わっての会話で同郷であることがわかり話が弾んいった。
いつもぶっきらぼうな彼であったが、ひょんなことで見せる意外な一面がえらくかわいらしかった。
かんざしをつぶして作った煙管を渡した時の目を丸くした顔など、思わず笑ってしまった。
普段は不満そうに閉じている口をぽかんと開けて、睨むような眼がまんまるく見開かれた姿が偉く子供らしくて。
その彼が、いつものしかめ面をさらに深めてやってきた。
実はこういうことだ。
彼は敵討ちをされる立場だったのだ。
宴会で酔って口論となり、刀を抜いてきた相手を返り討ちし、そのまま脱藩した彼。
その彼を討たんとすべく、殺された相手の嫡男と、助太刀の叔父たちがやってきた。
彼は落ち着こうと努めながら、それを話す。
しかし、私は見逃さなかった。
握りこんだ彼の手が震えているのを。
怖がっているのだろうか、それとも緊張しているのだろうか。
いつもより彼が小さく見えて、なんとなく守ってあげたくなって。
そっと抱きしめた。
彼は驚いたような様子だったが、そっと抱きしめ返すと、私を離して、閨を後にした。
そのまま消え入りそうな、嫌な予感がした私は、思わず後ろ袖を引いて彼を呼び止め、幸運のお守りにと簪を渡した。
彼は、それを無言で懐にしまうと、そのまま去って行った。
彼が去り早一日。
何も音沙汰がない。
客の噂では、河原で斬りあいがあったそうだが、あの人は帰ってこない。
自分で何があったか確認しにいきたいが、客の相手が忙しくて出られそうにない。
彼はどうなったのだろうか、気が気がで夜も眠れない。
数日経て、黒い頭巾をかぶった男が私の元にやってきた。
男は、多数の小判と彼の形見を私の目の前に置いた。
私は男の顔を見たが、男は無言で首を振る。
どこか頭がぼんやりとして、思考がまとまらない。
震える手で、男の遺書を開いた。
もらった小判で陰間から自分を買い取った私は、寺への道を歩く。
目的地の寺はあまり大きくなく、現に人の姿は多くはない。
寺に付くと、そのまま目的の墓の前まで行った。冷たい墓石を見る。
しばらく呆けたように、その場でぼうっとしていた。
草木が乱雑に自生し、墓石にひびが入っている、などと言うことはなく、灰色の石はちゃんと整備されていた。しかし、線香1つ挙げられてはおらず、酷く殺風景だと私は思った。
黒い頭巾、あの時の男がやってくるのが見える。
その懐には、見覚えのある簪が顔をのぞかせていた。