『初めまして』
今更ながら、私の立ち位置と言うのは非常に不公平だと思う。
まず、私はリトの女の子とのフラグをどうする事もできない。
気付けばいつだってリトは勝手に誰かと仲良くなって、そのあとに私は知り合うという形が殆どだった。
要するに、私はあの人たちとリトの出会いを全然知らない。
知ってて数人。それも阻止する事は困難だと思う。
だからこその前座。
今までのリトとの日々は、これから仲良くなっていく皆よりも少しでもリードを保つ為に必要な事だった。
もしもリトと同じ学校へ行けたなら。
どれだけのフラグを邪魔する事ができるだろうかと出来ない妄想も幾度と無くやった気がする。
でも仕方ない。そう、仕方ない。
逆に、阻止できないならこっちが一歩先を歩けば良いだけの事なんだ。
だから私は今日もリトと手を繋ぐ。
この温もりを手放さないように、誰にも渡さないように。
走って行ってしまうリトに置いていかれない様に。
いつまでも隣を歩ける為に、その手をつかみ続ける。
◆
「リト、入学おめでとう!」
「ありがとな、美柑。わざわざケーキまで用意してくれて」
「祝い事なんだからそんなの気にしないの! 私とリトの間に今更エンリョなんてしなくていいでしょ」
季節は流れ、春。
結城リトは無事に入学試験を合格し、この春から彩南高校の1年生となった。
同時に美柑は5年生へと進級し、小学校生活の後半へと足を進める。
今日はそんな美柑の提案による、リトの入学祝いを家で行う事になっていた。
参加者は相変わらずという組み合わせで兄と妹のふたりっきり。
父の才培は残念ながら本日はアシスタント不足による執筆部屋での箱詰め状態に追われてしまい不参加となった。
「しかし大変だよな~俺が手伝うって言ったのに今日はわざわざ断ってきたんだぜ?」
「向こうは向こうでちゃんとやるって。それに今日くらいは自分のことをちゃんとお祝いしなきゃね」
「カッコつけちゃってな~」
「あはは。ま、そのくらいしないと気が治まらないんだから仕方ないよ」
口では残念そうに言いながらも、実は内心ではリトと二人になれた事を喜ぶ美柑。
無論、彼女は親の事を嫌っているわけではない。
が、切っても切れない間柄よりも大事な距離感というものが世の中にはあることを美柑は知ってしまった。
多少の申し訳なさを感じながらも、彼女にとっての優先順位はあくまで『リト』が上である。
むしろ、仮にこの関係を邪魔されるような事になれば自ら縁を切る事も考慮しているぐらいなので、今日の欠席は彼女の望む所でもあった。
当然、この事が露呈すれば間違いなく結城夫妻の涙腺は悪い意味で決壊するだろう。
だがそんな事はどうでもいいと言わんばかりに今日の美柑は喜んでいた。
自分の兄を祝う為に、態々美味しいケーキを売っている店を思い出しながら下調べしたぐらいである。
一生一度の祝い事を大好きな人とふたりっきりで祝える。
彼女にとってのかけがえの無い時間と思い出こそが今の結城美柑という少女を動かす一番の力となっていた。
「ん、コレ美味いな」
「でしょ! ストレイキャッツっていう洋菓子のお店のなんだけど最近評判なんだよ」
いつもと同じように二人で食卓を囲み、同じ食事を同じ時間にする。
自分の手料理を振る舞い、それを一番の人が美味しいと言ってくれる。
美柑にとっての憩いのひと時、至福の時間。
彼女は今日を噛み締める。
そんな
――――――
もう一度確認するが、今日の美柑はご機嫌だった。
その理由はもう一つ別の所にある。
時間は少し戻り、先日の事。
日常風景として定着しつつある、二人での風呂の時間から徐々に彼女の機嫌は右肩上がりになっていた。
その理由というのが、彼女にとって全く予期していなかった事だけに今の美柑は舞い上がっている。
「そういえばリトって好きな人いないの?」
以前よりも大胆になり、この時間にも慣れてきた美柑。
リトの体を背もたれにしながら世間話をするぐらいに余裕が出来た頃で、ふと気になっていた質問をした事がきっかけである。
結城リトが片思いしている相手、西連寺春菜という少女の存在。
リトが彼女と知り合ったのは中学の頃だと美柑は記憶していた。
ならば、今の時期はほぼ確実に接触している。
そう思った美柑にとっては、どの程度の関係なのか知る必要が大いにあった。
『小学生の妹』という立場である彼女は、リトと他の女性のフラグについて干渉することが殆ど出来ない。
必然、情報を手に入れるにはリト本人から入手しなくてはならなかったが、リトが意図して本当の事を言わない可能性もある。
しかし、そこは家庭内での身近すぎるとも言って良い距離と接触。
また、出来る限りのヒミツを作らず打ち明ける事を続けてきた事がここに来て活きてきた。
既にリトは美柑を普通の妹以上の存在として認識している。
正しくは、妹以上に想っている故に大抵の事を共有し合っている。
つまり、この程度の質問は何事も無く本音を打ち明けられる内容となっていた。
この事については美柑自身もここまでの成果があるとは思っていなかっただけに、その点を改善し素直に接し続けてきた自分を褒めている。
美柑の質問に対して一瞬考えるような吐息を漏らすリト。
半分以上は春菜の話題になるだろうと踏んでいた彼女は目を瞑りながら、背中からの返答を待つ。
やがて口を開いたリトの答えは予想外の言葉で、心に余裕を持っていた美柑を現実へと引き戻した。
「う~ん、気になる人はいたけど。クラス別れてからは話す機会なくなっちゃったしな~」
「ふむふむ?」
「ん~…今考えるとそうでもないかな~って気がするし、ゴメンな。今はいないかも」
「………え?」
その返事に思わず素で声を出してしまう美柑。
彼女の記憶では、リトはこの時点でも春菜の事を想っていた可能性は高い。
しかし、この場で『気になる人がいた』と言ってから否定するとは考えてもいなかった。
リトという人間を美柑はよく知っている。と、本人自身思っているだけにこの言葉の意図をもう一度読み取った。
リトはこの手の話題であれば、言葉で責めれば否定する。
何かあればあるほど大げさに身振り手振りを加える。
だが、今はどうだろう?
せいぜい「え!? い、いるわけ無いだろ!?」ぐらいの返事をするだろうとしか思っていなかった。
(え、どういうこと? これってつまり……)
『気になる人はいた』
これが春菜で間違いない筈だと結論付ける美柑。
『今考えるとそうでもないかな』『今はいないかも』
この言葉を意図して自然に出せるほどリトという人間は器用ではない。
つまり、これは彼の今の本音と言うこと。
「へ、へ~~…もう高校生なのにリトってそういうの考えたりしないんだ~」
「うるさいな~、別にいいだろ? 今はそんな気がしないって言うか…」
美柑は平静を装う。
もしも気が緩めばこのまま喜びを体で表してしまいそうだったからだ。
リトの言葉を頭の中で反芻させる。
これはつまり、今のリトの心は春菜から一時的に離れていると言う事で間違いなかった。
(私が昔より仲良くなりすぎたから? 好きって言ったから? それとも…キスしたから?)
答えは解らない。
でも確かな確信と現実は今、ここにあった。
美柑の体が震える。当然、寒いからではない。
瞬きを忘れるほどに目を見開き、頭で理解すると同時に息を呑んだ。
心も体も満たされるほどに熱を帯びていく感覚に溺れそうになる美柑。
(これは間違い? それとも正解? …どっちでもいいや、今は)
ずるずるとリトの背中から潜るように体をずらし、沈んでいく。
長い間、湯船に潜り続ける美柑に対してリトが慌ててその体を引き上げると同時に、彼女の笑い声がその背中越しに聞こえた気がした。
「…ふへっ♪」
角度からは見えないその表情は、のぼせる寸前のように真っ赤であり、だらしなく蕩けていた。
◆
「ねーリト、しばらく一緒におフロに入って良い?」
お祝いも済んだところで私は食器を洗いながら、リトへちょっとしたお願い事をする。
後ではきっとテレビでも見ながら「何を今さら」みたいな表情をしているに違いない。
未だ上機嫌で泡立てた食器を洗い流すと、リトが近づいてくる気配がした。
「ん、どーかした?」
「いや、さ。もう美柑って高学年だろ? 流石にそろそろ一緒に風呂ってのはどうかなって」
手が止まる。
どうやら「何を今さら」と思ったのは私の方だったみたいだ。
ちょうど洗い物を終えた私はタオルで手を拭きながら無言でリトの方へ振り返る。
困ったような表情で頬を指でかきながら見つめるリトに私は抱きついた。
そんな行動にリトは驚いた声を上げて、慌て出す。
相変わらず、こんな手に弱いんだから。本当に困った兄だ。
ずっとこんな調子なら、かえって都合もいいんだけど。
さて、どうしようかな。
もうそろそろララさんがリトの入浴中に来る頃だから、せめて一緒にいないと何かと不安なんだよね。
でもまさかこのタイミングとは…。
リトってこういう事を自分からはあまり言わないって思ってたのに…変化させすぎるとこうなっちゃうのかな。
「み、美柑…?」
「いいじゃん、兄妹なんだから。節約と思ってさ、もっと一緒に入ろーよ」
「いや、それだと俺が……」
俺が?
変なの。別に、お互い気にしないんだから裸くらい別にいいはずなのに。
要領を得ないリトに思い切って本音をぶつけて見る。
「私は気にしないよ? 私はリトともっともっと一緒にいたいし、ずっと仲良くしていたい。それがダメなの?」
「悪くない! それは悪くないんだけど…その、あんまり風呂とかでも近すぎるとこっちが困るんだって」
「困るって?」
一緒におフロに入るか入らないかでここまでもめる兄妹っているのかな?
世間の一般的な事は知らないけど、お互い譲れないんだからこのくらいの口喧嘩くらいはあるよね、きっと。
とにかく私はリトと一緒におフロに入るのを止めるつもりはなかった。
力なくうな垂れて、頭をかきながらリトは観念したように呟いた。
「だから、その…最近成長してきただろ? 背とか…胸、とか。美柑は恥ずかしくなくても俺はその…慣れてないんだよ」
「…………え。あ………お?」
「百歩譲って入るのは良い! 良いけど! そろそろ後から抱きついてきたり、前を洗おうとしたりするのはやめて欲しいって言うか…」
言葉が出なかった。
これはもしかしなくても、リトが私を意識していると言う事で間違いないよね?
ど、どーしよ…こんな風に思われてたなんて、作戦上手く行き過ぎちゃったんじゃないの?
うあー…顔が熱い!? こんな顔、恥ずかしくて見られたくないのに!
で、でも何か言わなきゃ。
とにかく、それでいいって返事を。あと私も…自重しないと。
「ご、ごめん。そ、そそそれでお願いします」
「なんで、敬語?」
私も相変わらず、こんな手に弱い。本当に困った妹だと思うよ……。
――――――
自らを悔い改めて勝ち取った…いや、守りぬいたかな?
とにかく、リトとの混浴する権利を私は未だに持っている。
正直言って、この判断はやっぱり正しかったと思わされたのはたった数日後の事だった。
リトが春菜さんを昔ほど想っていなくて、リトが私とおフロに入るのを恥ずかしがったり、この世界はちょっとずつ知らない未来に進んでいる。
ようやく理解できる変化の訪れに不安はあるけど、同時に喜びもある。
リトが倫理感を壊して背徳的な恋愛に目を向けるかは正直微妙だけど…今ならほんの少しだけ希望が見えてきた気がする。
別にリトとのそういった関係が望みと言うわけではないけれど、望まれるならそれはそれで構わない。
私はリトと一緒にいたい。それだけなんだから。
だから、そう。
ここから先は、もう一歩も譲らない。
目の前の光景から目を逸らさない。
最後に見た時も、ずっと綺麗になった貴女を私は羨んだ。
今の姿も全然綺麗で、きっと男の人は釘付けになってメロメロになっちゃうんだろうなってくらい素敵だ。
だからって、この人を奪わないで欲しい。
私の隣で、驚きすぎて声も出ない兄の顔を抱き寄せる。
たいした凹凸は無いけど、最近成長してきた私の体に遠慮も羞恥も無く、この人は
三者三様、裸の三人がそれぞれの反応でお互いを見つめ合う。
最初に口を開いたのは、この事態を想定していた私。
何でもないような顔で、不思議そうに私たちを見つめる綺麗な瞳に向かって言ってやった。
「初めまして。この人は私のだから」